国宝のレビュー・感想・評価
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前評判が高過ぎて。。
前評判がかなり高かったので期待に胸を膨らませ観ました。
経験上これだけ評判の良い映画は確実に面白い作品だと高をくくっていましたが、前半から「ん?」と思う部分が所々見受けられました。
簡単に言うと3時間でも時間が足りなかったのか、話しの切り替わりが早過ぎてイマイチ感情移入できず。。
それでも3時間、、何とか前後編にできなかったものかと悔やまれる印象です。
それでも歌舞伎のシーンは素人目ながら素晴らしいです。
良くも悪くも話題に事欠かない作品ではあります。
考えさせられる
菊久雄はさまざまな経験をして、芸を極め、トップに上り詰めていく。歌舞伎はよく知らないが、ギリギリまで磨き上げたその演技は非常に見応えがあった。菊久雄はいろいろな人に迷惑をかけて犠牲にして芸を磨いていくが、彼の芸は他の人を踏み台にするような激しい人生があったからこそつかみ得たものだったのか?それとも菊久雄が聖人君子でもあの芸は習得できたのか?それをずっと考えていた。
歌舞伎のお芝居は、すごかったけれども、、
正直レビューです。
まずこの作品に出演され歌舞伎を演じられた俳優陣の皆様には敬意を表します。
それを踏まえた上で申します。
歌舞伎のシーンではなく、その他のセリフの掛け合いや間、流れに若干フワッと感があり割と多くのシーンでこれは自然なやり取りではないな、と作り物感を感じてしまう部分がありました。
また後半になればなるほど内容的に重複しているシーンがあり、もう少し簡潔にまとめられるなと思った部分もありました。
また、渡辺謙さんや渋みのある名脇役さんをもう少し色々なシーンで立てられる部分もあったのでは、、と思います。(偉そうにすみません)
あと、暗い中サクラがキラキラするシーン?が劇中何度もあるのですが、あれがなんだったのか、、も???で、視聴者にそれは想像させたかったのか分かりませんがなんだかフワッと感がありました。
演者さんが素晴らしいだけに台本がちょっともったいない感じが残念でした。
あと一歩深いところに到達してほしいなという感覚がありながらエンドロールとなりました。
映像美
舞台映像が美しかった。前半の豪華キャストにドキドキしました。
どちらかと言うと、ボンボンっぽいのが吉沢さんで、横浜さんが運動神経や立ち姿等、才能に目をつけられる人かなと思い、逆のCASTも観てみたいと思いました。この映画は顔のアップが多いので、このキャスティングなのか…。
私的には最後の一言がそぐわない気がしました。軽い作品になってしまったというか、全てを説明しなくてもと思いました。まぁ年代によるかと思います。
吉沢亮は、今後の作品にこれ以上打ち込むことはできるのか?
みなさん不思議だとは思いませんか?
歌舞伎を見たことがないのに、
世襲制を身近に感じたことがないのに、
任侠の世界など知らないのに。
共通する言語がないはずの世界に、わたしたちは『よさ』を見出すことができたことに。
そこには、痛いほどにわかる〝人間味〟が共通言語として存在していたのではないでしょうか。
喜久雄のように、何かに夢中になったことがある者。
俊介のように、友に先を越された者。あるいは、人の期待に応えたいと願った者。
父・半ニ郎のように、容赦なく質を求めた者。
母・幸子のように、子を最も愛した者。
春江のように、脆い人を支えたいと寄り添った者。
藤駒のように、一途に想うことで満たされる者。
彰子のように、好きな人と一緒になることを選んだ者。
万菊のように、自分の背中に憧れを抱かれた者。
そのどれにも属さなくても、この3時間たっぷり観たはずです。竹野のように、だれか(喜久雄)を静かに見守ったことがある者。
この全ての登場人物は、観ている人のどこか重なる部分があるのかもしれない。
そこに我々は儚さや、希望、絶望、煌めきを感じたのかもしれない。
何かを全力で夢中に取り組む時間のすべてが青春だから。
もう青年期のように眩しくはない青春が、これからの我々の人生に尊さを味わわせてくれるはず。
俳優の凄みだけでなく、カメラワークも素晴らしいかったです。
観劇者から見る役者。
役者からみる観劇者。
様々な視点を映してくれたことで私たちは体感できました。
また、心中するシーンを習得するのに喜久雄はとても必死でしたが、喜久雄を追ってたときの春江はいつもその顔をしてました。一夜を共にし、明け方流した涙の顔は、心中をも覚悟する女の顔でした。
さらに、情景的描写の父が殺された日の雪、俊介が出て行くときの雨、舞台ではずっと煌びやかな紙吹雪。
その全てが、あの大きな拍手の音と重なって聞こえました。
そうそう、喜久雄らしいと思ったのは、彼が息子を残さなかったことです。彼らしい生き様でありました。
原作ではいるのかな。
読んできます。
ありがとうございます。
映画の神様によるもの
3分の1を見たぐらいのところで傑作だなと感じ、見終わってあらためてそう感じた。ただどこに自分が感動したのか分かりかねるところがあって、考えてしまった。
喜久雄のサクセスストーリーとしても良いできだし、芸に憑かれた芸術家の生涯を描いた芸道ものとしても良い。
ただし前者としてみると、主人公に才能がずば抜けすぎて成功に至る道筋に共感できないし、芸道ものとしては主人公の芸の到達点が美しい景色では説得力が薄い。
ただしそんなことはまるで気にならない。
絢爛豪華な絵と演技に訳も分からず感じ入ったというのが正解だったのではないか。
安珍清姫の説話を知らなくても娘道成寺のシーンは痺れるほど切ないし、曽根先心中も説明不要。また歌舞伎役者じゃない主演二人がうまくいっていない演技と会心の演技を歌舞伎素人でも分かるぐらい演じ分けていたのには声もでない。
映画の出来の決め手は天の配剤なんだと感動。
クライマックスで大作に昇華
凄い作品だと聞いて満を持して観てきました。主人公の波乱に満ちた人生。途中のふとしたエピソードの伏線を見事に回収したラスト。一気に熱くなった!時折り彼が眼にする雪が舞う幻想、長崎では珍しい雪の夜に刻まれた記憶。。。父の生き様は美しい記憶として刻まれていたのか
歌舞伎の世界へ、息遣いの凄み
歌舞伎はスキャンダラスな世界、が1番の印象でした。
本作を観て、役者のみならずその関係者全てが生命を捧げて繋げている伝統芸能であり、あらゆる意味で時空を超えた世界であると感じた。
そんな歌舞伎を、50年という歳月を追って見せてくれた本作。ほとんどバックヤードからのカメラワークで、役者の息遣いから心を奪われた。
生命を削る稽古、緊迫を極めた舞台、そこから解放された時間の、いわゆる「芸の肥やし」、血と芸の間での複雑な人間関係、、、
恐らくもの凄くリアルなんだろう。
主人公は先代から血は継がなかったけれど借金は継ぎ、先代が居なくなれば後ろ盾は無く悲惨な立場に。しかしそこからさらに芸を極めて、生きて国宝となった。
対して御曹司は、血は継いだけれど、病も継ぐ運命。。
この対比が、お互いの慟哭として昇華される最後の曽根崎心中。
曽根崎心中は主人公のお初の方が凄みを感じましたが、2人の行き着く果てとしても良かった。
終始息遣いに心掴まれ、エンディングテーマの息遣いも余韻が継続してひたすらに美しかったです。
語り尽くせないほど魅力に溢れています。是非劇場で体感していただきたいです。
0から感想を思うままに
8月2日に鑑賞。
公開から約2ヶ月たち、大衆鬼映画の襲撃に合うも、箱はほぼ埋まってた。
隣のじゃがりこガリガリ食う女と、前のスマホを触って何度も落とすババアと、濡れ場で馬鹿みたいに反応するキモじじい、スマホの通知音が何度かどこかで鳴ってる、
とてもとても最悪な環境での鑑賞でした。
本当にざんねん。
国宝すごい!面白い!
という声が多く、一緒に見に行った知人の強い希望で鑑賞しました。
知ってた前情報は、
吉沢亮と横浜流星と渡辺謙が出てくる。
歌舞伎の話
吉沢は血が繋がってない弟子で、横浜は血のつながりがある。
というくらい。
公開前のポスターで、役者とか見ないでなんとなく歌舞伎のドキュメンタリー的な作品なのかな?
と思ってたくらいの情報のなさ。
日本アカデミー総ナメレベルとの声を聞きちょっとは気になってはいたけど……
見終わって、シンプル感想が、
・ホワキンジョーカー
・怪物くんはやはり怪物的
・長すぎ、客への信頼0?技術は文句なし
ってかんじだったかな、細かく思い出すと
言いたいこと沢山あって、まとめるのが難しいです。
この3つを主に、細かくつらつらと。
こういう解釈あるよ、ってのはコメントで教えて欲しいです。
1ホワキンジョーカー
まさに、屋上で舞うシーンはホワキンジョーカーそのものすぎません?頭によぎりませんでした?
白塗り、真っ赤なアクセント、
それがよれて、笑ってるのか泣いてるのか分からない狂気じみた表情。
この映画が歌舞伎のドキュメンタリーじゃない時点で、歌舞伎すげー!ではなく、国宝となる人は他の人とは違ってどこか狂ってる!これが喜久雄の生き様!がメインテーマとなると思う。
だから、ここのシーンは歌舞伎での地位的なのが無くなり、血に縛られてない人間として別の道で生きるのもできただろうに踊り続けた喜久雄の心が 狂おしく美しかった。
屋上から落ちるんじゃないか、このまま死ぬのか?とか、なんか恐怖があった。
そこできた森さんとのやりとり。
なんかこのセリフ達がアドリブだったと言う人がいるけど、そうなんですか?
もしアドリブならば、森の演技力というか役と作品の理解力すごい。
あのセリフの有無で最後の答え合わせが変わってくると思うから、あのセリフなしは考えられない。
つまり、アドリブなら森の大勝ちで脚本家の大負けである。
(最後の答え合わせはまた後ほど)
ホワキンジョーカーが評価されて、あの狂演を、
吉沢はやってのけた。
和製ジョーカーの誕生であり、吉沢の演技力が眩しい。
全体的に歌舞伎の演舞は吉沢も横浜も凄いとは思います。
でもそれは役だから出来なきゃ話になりませんし…
そして歌舞伎がすげーが映画の本題じゃないので、この感想は割愛で。
2怪物くんはやはり怪物的
怪物くんとは、「怪物」で演技光りまくってた、
黒川想矢さん。
怪物級に今回も演技が凄かった。
怪物の時のスピーチで、2つの自分と戦ってる。と言った、かっこいい心の持ち主で、
黒川さんの演技の実力が今回確定となったと思う。
女形として衣装を着てるとき、顔立ちが綺麗すぎて見惚れた。
父親が襲撃にあった時、橋の下で覚悟を決めてる時、墨を入れてる時、全部の表情が良すぎた。
初めて舞台の裏側に行く時のセットに触れながら歩いてるキラキラした表情と、親の仇を失敗したと言った時の重い苦い表情と、田中泯さんの舞踊を見て感動してる時の表情と、、、
惹かれる表情が多すぎる、つい目で追っちゃうんだよなあ。
かわいいなあ、かっこいいなあ、
というか、任侠の世界での頭の血縁でも歌舞伎の真似事みたいなやつやらされるの?下っ端だけどやらされるもんなの?
任侠の世界と歌舞伎の世界、繋がりあるんか…そりゃあるか……
高畑ともなんだかんだ一緒にいるんだし、一緒に仇打った相方も実は裏で繋がってて欲しいな…なんて。でも失敗したってのは、そうじゃないんでしょうか?
頭がないと困るのは、任侠時代も味わってたのか、喜久雄くん…
とまあ、色々考えるとキリないですが。
私の中で主演賞でも、助演賞でも、受賞できるくらい黒川さんは凄いと思ったし、
テレビドラマやチープな映画に安売りするような人にはならないで欲しいなと願います。
3長すぎ、客への信頼0?技術は文句なし
3時間くらいあるんですよね。この作品。
長すぎませんか?
繰り返すけどこの映画のテーマの国宝になる人間とは?喜久雄の生き様とは?な訳で、
カットできる、いらないシーン沢山詰めすぎ。
原作があるらしく、おそらく削ったシーンは沢山あるのでしょう。
それでももっと短く出来たでしょうに…
まず、国宝となった吉沢のインタビューが、
私の中での「最後の答え合わせ」だと思うんです。
2つの質問をインタビューされてるシーンです。
1若くして国宝となり順風満帆でしたね?
国宝になったのはみなさんのおかげです。
2何を目指しているのか?
見たい景色があるんです。言葉じゃ表せないけど。
こう質問されて、こんなような感じで答えていました。
これがこの映画の答えでしょう。
と、私は思いました。
側から見たら順風満帆。
実の息子を差し置いて3代目を襲名し、
渡辺謙、田中泯、横浜流星、の死後
一門を(トップとして)支えて、国宝となる。
本当は任侠の人間だった事や、隠し子、森とのスキャンダルで一時は歌舞伎を離れていた事…
世間はすぐに忘れてしまう。
森パパの言うとおり、世間一般からは、順風満帆に見えるでしょう。
そして、決まった文句で、皆さまのおかげです。と。
皮肉だよ。
皆さんを蹴落としてきた。捨ててきた。おかげです。
怖いですね。
それから二つ目の質問の答え。
見たい景色があるんです。
ほんと、森の例のセリフのように、
何を見てるの?だよ。
何が見たくて、何を見てるんだよ。
見たい景色なあ。。。
もし、例のセリフが森のアドリブならば、
この後のカメラマンの女のグダグダな説明は仕方ないのかもしれない。
アドリブじゃないなら、いらない!カットして良い。
客を信じてカットするべきだ。
カメラで写真を撮るよと言うのに、全然外を眺めてる。
見たい景色は、カメラマン(娘)ではない。
カメラマンが娘と同じような年頃で、全然カメラを向かない、服を直すために触れてもなお外に目をやる…
それだけで、このカメラマンの女は娘なんだろうな
ってのがわかるのに、
わざわざ、わかる?みたいに聞かんでええ。
忘れられても憎んでも歌舞伎を見てると感動するよ、なんてわざわざ言わんでええ。
外に目をやってるだけで、カメラマンとして歌舞伎役者の父を写真におさめるだけで、分かるから。
ぐだぐだ、最後にいらん解説的シーンをわざわざ入れられて興醒め。映画の良さを殺しにかかってる。
ドキュメンタリーじゃねえんだよ。
それと、ついでに
森さんの濡れ場もいらんやろ。あんなはっきり写さなくてもいいやろ。
森パパに役の交渉をして、森にお兄ちゃんお兄ちゃんって可愛く声かけられて、森パパに殴られる
それだけでいいだろ。森が色っぽすぎたから?
高畑と比べて、ドキっとしたから?高畑くらいサラッとでいいのに。
雨の日に高畑のアパートに雨宿りした横浜のシーンくらい、ニュアンス?とかでもいいのに、
あのシーンのせいで、キモいおじさんがなんか唸ってた。気色悪い。
強引的駆け落ちに説得力持たせたいのか知らんけど、
カットしても理解できるよなあ。
他のシーンで、色々出来たんだし、わざわざここのシーンを入れるのはもったいないような気もする。
とまあ、この映画みたく長々とつらつらと書いてきたけど、
総じて楽しかったし、
ホラー映画みたいな人間の怖さと醜さの恐怖を感じたし、
吉沢と横浜と黒川の狂演が拝めたのでよかったです。
とても美しかった。
でも、光には影がある
3時間もの大作とはいえ、原作小説を読めば書かれていない部分がわかるのかもしれない。
主人公に共感するのではなく、客観的に観ている映画だったように思った。
歌舞伎を踊り始めた理由は好きだったからなのかもしれないけど、人に振り回される人生だなと感じた。
自分で選んだのは背中の入墨と復讐だろうか。
ひかりモン相手にチャカを出すな卑怯者。
筋を通しましょう。
で、そこから、始まる人生。
ただ、楽しいだけ、稽古をして上達をしていくのが楽しい年齢から、実力だけをつければ良いと言う話ではなくなってくる、自分ではどうにもならない血筋。
周りが反対しても、世襲された芸名。
世襲制でしか支援者が許さない世界で、後ろ盾がなくなったことで追われる人生。ドサ回り。
そこでの経験も芸の肥やしになっているのか。
そして、時代背景の書き方が見事だった。
昭和から現代の世論
2号でも3号でも良いと言われてそのようにしていたけど、これもまた時代。子供が可哀想なのに。
その辺の道徳心も歪んでいた時代の書き方もお見事。
若さ故に、苦労する事も厭わず恋愛に生きようとしているのもまた時代。
この逃避行の間、彰子の顔も全く見てないし全然表情も出さなかったし、何も語らなかったのが印象的だった。
歌舞伎を見たのは一度だけ。
女形の所作の美しさに惚れ惚れした。
今回の役を演じるにあたって相当な努力をされたんだろうなと感じた。
子役もお見事。
歌舞伎に詳しくなくても、知っている演目だったのも世界に入り込みやすかったのが良かった。
思っていた以上に歌舞伎は周りにあるもんですね。
歌舞伎未経験
歌舞伎未経験ですが、3時間も夢中になって観てきました。出演者で始めからわかったのは渡邊謙、寺島しのぶだけ。後は何となく、吉沢亮、横浜流星、高畑充希、三浦友和さんの息子さん?予備知識ゼロでした。出地、家業、ヤクザ、色恋、憎愛、家族、ライバル、マスコミ、病気、生き死に、親ガチャ、いろいろ取りまぜながら、半世紀に渡り、歌舞伎で人間国宝となるまでを描いていました。女形を演じるというより、乗り移った感を十分に感じました。それにしても美しかった。そして、時々あの人やあの人、はたまたあの人まで想像しながら見てしまいました。
歌舞伎役者として悪魔と取引するほどの飽くなき追求心。本気の人たちの魂のぶつかり合いに心が揺さぶられる映画
第78回カンヌ映画祭監督週週間で公式上映された国宝。
入れ違いで現地で見ることはできなかったが、日本の映画館で視聴。
感想は、とにかく「すごい」。
約3時間の映画があっという間で、スクリーンに引き込まれたまま終了。
数日経った今も、映画の中の世界にいる錯覚を起こすくらい。
伝統芸能の歌舞伎の世界。
世襲で将来が約束されている横浜流星演じる俊坊と、任侠の出で守ってくれる血縁がなく、芸や才能だけで生きなければならない吉沢亮演じる喜久雄。
まずは2人の関係が美しかった。
渡辺謙演じる花井半二郎の代役に喜久雄が任命され、舞台前でのシーン。
それぞれの置かれた立場が違うからこその心情。葛藤や喜びがありありと伝わって、
涙なしには見れませんでした。
2度目の曽根崎心中も、同じように涙なしには見れませんでした。
1度目では離れ離れになった作品。2度目には2人の心が通じ合った作品へ。
2人の役者魂が共鳴して、どんな言葉も陳腐に聞こえてしまうような、
ものすごい圧巻の舞台でした。
国宝にまでなる喜久雄のプロ意識がすごい。
歌舞伎以外一切興味がない。自分のことを好きでいてくれた彼女も、家族も、子供も。
「神様に願い事をするのではなく、悪魔と取引していた」というくらい、
歌舞伎が上手くなる以外には何も入りません、と宣言するくらい。
芸への飽くなき追求心にとにかく圧倒されました。
「ここまで来るまでにどれほどの人を傷つけ犠牲にしてきたのか。
でも、三代目花井半二郎の舞台を見た時に、驚くほど魅了され、違う世界へ連れて行ってくれると感じる。終わったら思いっきり拍手をしていた。」
最高の褒め言葉だと思いました。
見たい景色があり、ずっとそれを追い求め続けている。
最後の鷺娘を通して見れた景色。
一生かけて熱中できるものがあることそのものが美しいと思いました。
もう一回見たいか?
良すぎたのでもう一度見たい、という気持ちと、
あまりにもあらゆる感情を受け取って重すぎたので、見るのは1回でいいという気持ち。
どちらも隣り合わせの気持ちです。
人生は思い通りにはいかない
なかなか上映時間の長さから(私的には映画の上映時間は2時間半が上限笑)観るのを躊躇していましたが
母親がどうしても観たい!名古屋の映画館ではチケット完売で観られなかった、というので私の住む街で観ました
「すごく良かったよ!3時間あっという間だよ」という友人の言葉を信じていましたが
吉沢亮さんと横浜流星さんの真摯な練習あっての歌舞伎のシーンは圧巻でした
でもなんていうんですかね
「不幸のてんこ盛り」をこれでもか、と次々に見せられた感はあります
役者の血だけでなく、病気まで伝わってしまう残酷な運命とか
は??ってところも正直多かった…
個人的には、最後の
「おとうちゃん」ってとこだけがグッときました
ホンモノの歌舞伎の舞台を観たくなりましたが、エンドロールでVFXがかなり使われていることを知り、映画ならでは、の演出も多かったのだと知りました
この映画の世界観をホンモノの歌舞伎に求めてはいけないのだろうなと心しました
あともうひとつ
渡辺謙さんはやっぱり凄い!
そうそう、渡辺謙さんの出演していたシーンまではなんかすごく良かったのだと今気づきました
追記。田中泯さんはリアルに人間国宝にして欲しい!
撮影、俳優、脚本、及び監督が凄い、久しく見ていない芸術至上主義の映画に拍手
李相日 監督による2025年製作(175分/PG12) の日本映画。配給:東宝、劇場公開日:2025年6月6日。
歌舞伎はこれまで全く見たことは無かったし、李相日監督作も、ソフィアン・エル・ファニ(チュニジア系フランス人)撮影監督の作品も初体験。
とても印象に残ったのは「にじり寄る」様なカメラワークだった。冒頭、少年時代の主人公・喜久雄の背肌に白粉が塗られる映像から物語は始まる。以降何度も登場する首筋、目尻、手先、指先等、身体の一つ一つを捉えるクローズアップは、美しくどこか官能的でもあり、人物の迸る感情さえ感じさせ、とても気に入った。
主人公喜久夫の少年時代を演じたのが15歳の黒川想矢(高校生)。歌舞伎界の名門当主の花井半次郎が、彼の演技の才能に魅せられるという展開で、それを説得力を持って見せるという難易度の高い役を見事にこなし、この子の演技は凄いと驚かされた。「怪物(2023)」の演技も驚くほど優れていたので、本物の天才子役や!と思わされた。
勿論、ヤクザの家に生まれながら歌舞伎界の人間国宝と変貌していく喜久雄(花井東一郎)を演じた吉沢亮の奥が見えない様な表現者としての能力には脱帽。年輪を重ねた末の人間国宝の老けメイクの出来は今ひとつと感じたが、カメラを通した吉沢の神がかった歌舞伎演舞の美しさが大きな感動につながった。
脚本は「コーヒーが冷めないうちに」の会話が素敵だった奥寺佐渡子。この映画のヒロイン春江(高畑充希)は、プロポーズされたあの夜「一番のご贔屓になって、特等席でその芸を見る」みたいなことを言っていた。そして紆余曲折はあったが、国宝となった喜久雄(吉沢亮)の舞台を観ている春江の満足げな姿に、あの夜に話した言葉を叶えていることに気づかされる。喜久雄と同じく背中に刺青を入れた彼女も、歌舞伎の世界で一目を置かれる存在となったのだと感慨を覚えた。
ただ、御曹司花井半弥(横浜流星)に走ったのが、芸一筋で凄みを出しつつあった喜久雄に傷ついたもの同士としての同志愛からであったのか、それとも将来までを考慮した喜久雄への深い愛による計算なのかは、それらが混在していたのかは分かりにくい部分があった。脚本も高畑の演技も、最後の様には感じさせたが、もう少し示唆的なものが欲しかったかも。
対照的に、喜久雄と一緒にドサ周りまでした著名歌舞伎役者の娘・彰子(森七菜)は、「どこ見てんの」と問い詰め、彼が踊り狂った屋上から降りた後は、映画には登場せず。原作とは異なり、彼の元を去ったということか。見返りを求めてしまう、お嬢様育ちの限界という設定なのだろうか?
一方最初から愛人として生きぬいた芸妓・藤駒(三上愛)は、彼の娘綾乃をもうけ、あの娘は写真家 (瀧内公美)として本物の芸術が分かる優れた女性に成長した様。
子どものときに父親である喜久雄が神社で願掛けをしているのを見かけ、「悪魔と取引した、日本一の歌舞伎役者になれるように」と言われた綾乃。人間国宝になった喜久雄と再会したとき、「悪魔さんに感謝やな」「あんたのことお父ちゃんだと思ったことなんかいっぺんもあらへん」と恨み節を伝えながらも「しかしそれでも、客席から見てると正月を迎えるような何か良いことが起こりそうな気分に満たされて、気がついたら思いっきり拍手をしていた」「本当に日本一の歌舞伎役者になったんだね」と話す。
原作には無い台詞らしい。恨んでいた人間さえ喜久雄がたどり着いた至高の芸術を讃えており、感動もさせられた。脚本の奥寺佐渡子、凄い!
国宝となった喜久雄による最後の「鷺娘」は、本当に美しかった。そして、多くを犠牲にして芸術家たる彼がやっと手に入れた至高の景色、李相日監督も映画作りにそういった境地を目指しているということか。今後も大きな期待ができる監督の様だ。久しく見た覚えが無い芸術至上主義の映画を、今作り上げたことに大きな拍手をしたい。
また、画期的な映画を企画・プロデュースしてくれた村田千恵子(鬼滅の刃で有名なANXの子会社ミリアゴンスタジオ)にも感謝 。マーケティング主導ではなくクリエイターのビジョンに寄り添うものづくりを目指しているとかで、今後も期待。
あと、とりあえず人間国宝となった歌舞伎役者の演舞映像や、この映画に登場の歌舞伎演目(関の扉、藤娘、連獅子、道成寺、曽根崎心中、鷺娘)のストーリー確認や映像視聴に今は夢中となっている。演目内容が映画のストーリー展開に沿って綿密に選択されていたことを、あらためて知った。
監督李相日、原作吉田修一、脚本奥寺佐渡子、製作岩上敦宏 、伊藤伸彦 、荒木宏幸 、市川南 、渡辺章仁 、松橋真三、企画村田千恵子、プロデュース村田千恵子、プロデューサー松橋真三、撮影ソフィアン・エル・ファニ、照明中村裕樹、音響白取貢、音響効果北田雅也、美術監督種田陽平、特機上野隆治、美術下山奈緒、装飾酒井拓磨、衣装デザイン小川久美子、衣装松田和夫、ヘアメイク豊川京子、特殊メイクJIRO床山、荒井孝治 、宮本のどか、肌絵師
田中光司、VFXスーパーバイザー白石哲也、編集今井剛、音楽原摩利彦、音楽プロデューサー杉田寿宏、主題歌原摩利彦、 井口理、助監督岸塚祐季、スクリプター田口良子、キャスティングディレクター元川益暢、振付谷口裕和 、吾妻徳陽、歌舞伎指導中村鴈治郎、アソシエイトプロデューサー里吉優也 、久保田傑、 榊田茂樹、制作担当関浩紀 、多賀典彬。
出演
立花喜久雄(花井東一郎)吉沢亮、大垣俊介(花井半弥)横浜流星、福田春江高畑充希、大垣幸子寺島しのぶ、彰子森七菜、竹野三浦貴大、藤駒見上愛、少年・喜久雄黒川想矢、少年・俊介越山敬達、立花権五郎永瀬正敏、梅木嶋田久作、立花マツ宮澤エマ、吾妻千五郎中村鴈治郎、小野川万菊田中泯、花井半二郎渡辺謙、芹澤興人、瀧内公美。
※ネタバレ考察※
まず軽く感想。
これは今年1番の映画になりそう。
演技、映像、ストーリー、どれをとっても素晴らしくあっという間の3時間でした。
ということで考察です。原作は読んでいません。
①刺青
きくおの刺青はミミズクで、恩を返すという意味が劇中でも語られましたが実は春江も一緒に刺青をしており、おそらく睡蓮の刺青でした。
花言葉は、「清純な心」、「信仰」、「信頼」、「優しさ」、「甘美」です。
どれも当てはまる言葉だと思いますがきくおに対する愛するが故の「信仰」は春江にぴったりな花言葉だと思います。
②春江の行動
春江はなんでしゅんすけに行ったのか?が議論されています。
そもそもしゅんすけに行ったと思う人が多いですが違います。
結果から見るとあそこでしゅんすけが春江と消えたことによって、きくおは半次郎の名を襲名できています。
その後戻ってきてしまいますが戻ってきたことによって名前を奪ったことから解放されて結果しゅんすけと17年ぶりの共演をして復帰。
しゅんすけの足の壊死も「ただのアザだと思った」事により膝下の切断につながっています。
そして最後のしゅんすけとの共演を後に国宝へと進んでいきます。
春江がしゅんすけと戻ってきた時ごめんも言わなければ何も言い訳のセリフもなく、ただきくおを見守る描写しかありません。
映画最後の演目でも春江は舞台を見に行っています。
春江が自分で言った通り外から支えている、と思うと繋がりが見えてきます。
春江は最初から最後まできくおを想って、芸を極めさせるため、成功させるために行動しているのです。
③社長と継いだ人
社長がきくおとしゅんすけの2人に初めて挨拶した際に一緒にいた人(名前忘れた)が歌舞伎はエンタメだ、血が繋がっていないから苦労しますよと言ってきくおに殴られました。
ですがきくおが半次郎のおっちゃんの代役として出た際、明らかに感動してました。たぶん。
そこから歌舞伎を下に見るような発言をしていないことと、社長を継いでいること、きくおに歌舞伎に戻ってこないかと会いに行ったことからも、きくおの演技から歌舞伎の魅力に気付いたということがわかります。
つまりきくおのファンなんです。
最後のカメラマンの言った、「気づいたら拍手をしていた」1人なのです。
④きくおの襲名式
半次郎は白虎に、きくおは半次郎に襲名する式で、半次郎(渡辺謙)が血を吐き倒れてしまいます。
意識がもうろうとする中、しゅんすけの名前を呼び続けていました。
それを聞いたきくおは「ごめんなさい」と呟いていたのです。
ここのシーンの前にお墓参りで襲名の話をする場面があります。
半次郎の奥さんは「半次郎」の名はしゅんすけに残すべきだと言いますが、半次郎は「戻って来ないんだからしょうがない」ときくおにする事を変えません。
奥さんは「これだから芸能の人間は!」と非難しますが、最後に息子の名前を呼ぶ事からしゅんすけに名前を譲りたかった「父親」の部分が垣間見えます。
襲名式で血を吐き倒れる事になるくらい、半次郎はしゅんすけに名前を譲るために長年息子を待ち続けていたのです。
きくおも「半次郎」の名前を奪ったという罪の意識から謝罪の言葉が漏れ出てしまったのです。
④きくおの見た景色
きくおが最初に国宝を見た時と代役で出た時、最後の演目が終わった時に黒バックの桜吹雪が散っている描写が挟まります。
これはなんなのか。
しゅんすけと一緒に大舞台に立った後のインタビューで「景色が違った」とコメントしています。
これは大舞台に立ち、芸が極まって来て出た言葉だと思います。
最後のインタビューで「探し物をしている」とコメントしています。
これはもちろん最後のシーン。演目が終わった後に見た景色のことです。
つまり、きくおが国宝を見た時に見た、目の裏に浮かんだ景色。
これを追い求め、探し求める事が実は映画のメインストーリーだったのです。
国宝のおじちゃんが「どこにいたんだ?私には分かる、踊ってみなさい」と言ったのは「あの景色を見たいんだろ?踊りなさい。芸を極めなさい。」という意味なのです。
そして最後、芸を極めたきくおは「綺麗だ。」と言います。少年時代に夢見た景色を見ることができたのです。
⑤最後のカメラマンとのシーン
印象に残るシーンでした。
「拍手を浴びるためにどれだけの人を片付けたのかわかってる?」
これに共感している人が多いようですが、この映画で言いたいのは、芸ごとを「極める」事は何かを捨てること、悪魔と契約するような事を表現しています。
どの女性もきくおを応援していました。その恩返しはきくおにとっては「芸を極める」ことだったのです。
最後きくおは自分の娘の事を忘れていませんでした。きくおは誰の恩も忘れていません。きくおなりに全力で恩返しをしているのです。
「悪魔に感謝せんとな?」
このセリフの後きくおが衣装の準備をするシーンに切り替わり、「はい」と言いながら準備します。
ここではシーンが切り替わるので娘に返事をしていませんがここの「はい」というのはきくおの気持ちだと思います。
なので娘には返事をしませんが悪魔に感謝している、後悔をしていないということなのです。
「拍手をしていた」
憎んでいるのに極まったその芸に拍手をしてしまった。というシーンです。
きくおは決して傷つけた人たちを忘れてはいません。
拍手を受けるための代償を十分理解しています。
まんぎく国宝のように、きくおは今後も国宝として、死ぬまで舞台に立ち続けるでしょう。
もしかしたらそれは恩返しもありますが、責任や償いの意味もあるのかも知れません。
以上です。
うろ覚えな部分があるので間違っていたらすいません。
やり切った先に見えるもの
噂の「国宝」をようやく鑑賞。
気になったセリフは「悪魔との取引き」。どの世界でもトップに登りつめるには周りを蹴落とし、全てを犠牲にすることがあるということか。そしてそれを嫉ましく思う人もあれば、崇める人も。
また結果だけを見て、順風満帆の人生ですねという人も。もちろん波乱と苦悩の人生だったのに。
そんな国宝が最後に追い求めて最後に呟いた、もう一つの気になったセリフが「綺麗だな…」。その意味はよく分からなかったが、その景色は、初演の時と同じ景色だったと思う。やり切った先に見えるものは一体何なのか?
きれいだなぁ
ごめんなさい、
全然分からなかったです泣
歌舞伎を知らないからですかね??
でも、あれが吉沢亮かと思うと、本当にすごくて綺麗でした。
特に吉沢亮と渡辺謙の演技が素晴らしかったです。
横浜流星もうちょっと関西弁がんばってーって思ってしまった笑
他は素晴らしいんですよ?めちゃくちゃよかったです!
途中に出てきた、黒縁メガネの関東の人、
今までずっと関西弁聞いてたので、急な関東弁にぞわーってしました笑
いい意味で。
高畑充希さん役と森七菜さん役が謎でした。
私も心から好きなことがあるので、
稽古は厳しいけどそれ以上にわくわくが勝つことや、寝る時間も稽古したい気持ち、
悪魔の取り引き、すごくよくわかります。
本当にすごかったんだと思うんですが、
私にはストーリーがぜんぜん刺さらず、
なかなか苦痛の3時間でした泣
そして、公開から結構経つのに満席でした。
すごいですね!!
今回初めて、こういう映画で満席を経験し、鑑賞マナーがすごく気になりました。
隣のおじさんずっと鼻や喉を鳴らしたりゲップしたり、ため息(息を深く吐く)ついたり、うるさいし気持ち悪くて嫌でした。
おじさんってこういうの多いから本当に嫌です。
また、会場内で5回くらいスマホ鳴ってました。
平均年齢上がるとこうなるんですか??
鬼滅なんてぜんぜんなんとも思わないですが、おじいおばあの方がなんとかしてほしい。
意外に面白い
歌舞伎という世界で展開しているワンスアポンアタイムインアメリカの2人の関係性、友情、一生涯の道のり的な人生ロードムービーという感じ。
観る前のイメージとは良い意味で違います。
長い感じしなかったです。
芸への愛と執着の物語。これ以上ないという最高のキャスティング。
見応えのある歌舞伎のシーンに濃厚な人間ドラマ、そしてキャストが素晴らしい。初っ端の永瀬正敏さんの貫禄で緊張感が高まる。
様々な愛憎が描かれる。この愛憎が汚いものにならないのは歌舞伎という一つの芸への想いが貫いているからだと思う。喜久雄を部屋子にした半二郎、ライバルでありながら一番の理解者でもある喜久雄と俊介、凄まじい存在感の人間国宝万菊。
万菊がなぜ喜久雄にあのように振る舞ったかは引っかかっていた。初対面で容姿の美しさに触れ、俊介を抜擢し、最後に助け舟を出す。万菊は美しいものから解放されたというが、だからこそ喜久雄を助けようと思えたのではないだろうか。最も優れた歌舞伎役者でありたいという悪魔の声は万菊にも囁きかけ、美しくあろうとせずとも美しい喜久雄に嫉妬があったもののその感情からようやく自由になれたのかなと思ったのだがどうだろう。
芸を愛し芸に執着し、人生を賭けるものたちのドラマ。キャスティングが大勝利だと思った。
田中泯さんは、撮影終了後もこの作品のための稽古を続けておられるそうだ。彼はこう語っている。
「稽古は過去(記憶)との往来が多ければ多いほど確実に未来につながる。現在・過去・未来が複雑なつながりを構成するに違いないのだ。」
冒頭の父を失うシーンで、父が息子にこの姿を見ておけと言い残す時、雪が舞い散っていた。あの雪は彼の脳裏に焼き付いているだろう。そして、俊介とともに過ごした日々を彩る桜吹雪も。
人は過去と往来し、生を泳いでいくのだと思う。過去と、執着とむきあいながら。
読んでから観る、観てから読むか
原作先行の映像作品には常にこの悩みが付きまとう。小説も漫画も読者の世界観があるわけでそのズレをどう楽しむかは、読書好きにとって大きなポイント。結論「国宝」はどちらからでも楽しめる。映画のレビューなので、ここは小説を読むことをおススメしたい。高評価通りの作品。個人的には「とくちゃん」が冒頭だけの登場なのが残念なのだが、切り捨てた決断は大いに評価したい。
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