国宝のレビュー・感想・評価
全520件中、161~180件目を表示
タイトルなし(ネタバレ)
ものすごい業を見た
でもわかってしまう、共感してしまう
一度魅入られたら切望してしまう気持ち、痛いくらい伝わった
ラストの一言が、本当に全てなんだと思った
"どうしてそこまでしてやるんだ?"と問われても、ただ、あの景色が見たい
それだけなんだと思う
歌舞伎は1ミリもわからなくても、演技に美しい舞に何度も涙がでた
「血をがぶがぶ飲みたいくらいだ」って言葉あたりからみるみる引き込まれて、涙が止まらなくて、そこからずっっと心を捕まれつづけてしまった
血は抗えない、でも才能にも抗えない
ラストが本当に本当に美しくて、2度の曽根崎心中もどちらも本当に心にくるものがあって、あの瞬間を味わえたこと、この体験がまた自分も奮い立たせる一つの火花になるんだと思う
圧倒的な作品
とにかく素晴らしかった。キャストの方すべて良かった。なにしろ吉沢亮の圧巻の演技、とんでもないところまで行っちゃったなー。
横浜流星も今回は受けるお芝居が素晴らしい。白虎の代役の舞台前のシーン、涙が止まらなかった。
3時間があっという間。
原作も素晴らしい。
スケール等々今年の圧倒的な1番な作品。
何回も観るよ。
本当にありがとう!!
今期一番の映画
原作未読。知人に勧められて鑑賞。とても良かった…。父親の死、盟友との別れを乗り越えて舞台に立つ喜久雄の生き様がよく描かれていたと思う。
個人的には俊介に感情移入してしまった。初めの曽根崎心中で、自分の感情を押し殺しながら喜久雄を励ますシーンに胸を打たれた。最期は糖尿病で両足が壊死…。血筋の問題上、実子にあそこまでのアクシデントがないと、喜久雄が日本一に上り詰めるのは難しいだろうから仕方ないのだが残酷すぎる…。それでも強くあろうとする姿に感動してしまった。
勢いで原作も買ったので読もうと思う。
この映画こそ国宝
「国宝」日本アカデミー賞、主演男優賞、助演男優賞が見えた。
見なくてはならない映画であった。
歌舞伎のことは全く知らない。
原作も知らない。
しかし、この作品の素晴らしさは十分に伝わった。
単に「映画」と評していいのか分からない。
きっと今年の日本アカデミー賞有力候補となる映画、題材に興味はないけど、映画館で見ないときっと一生見ることはないなと思いつつ…
仕事が休みになったことで、重い腰を上げ見に行った。
吉沢亮が凄いという前評判で有名だったが、その子供時代を演じた黒川想矢が凄かった!
渡辺謙演じる半ニ郎が一瞬で目を奪われる女形を演じなければならない重要な役どころ。ここでコケたら3時間見てられない。
しかし、見事一瞬で目を惹き釘付けとなり、誰?とスマホを出して検索したくなった。
女形の目、美しさ妖艶さ可愛らしさ、本当に素晴らしかった。
私がこの場にいたら、推しになる!
まだこの子で見ていたいと思わせる喜久雄だった。
黒川想矢のホクロを吉沢亮も引き継ぎ、その年代ごとに歌舞伎女形の中で苦悩と深みを加えてさすがであった。
演じたというより、まさにこの世界を生きていた。
横浜流星の最後の舞も生死をかける素晴らしい女形であった。
歌舞伎人生とはこういうものなんだという説得力を感じた。
そもそもこんなにも歌舞伎にスポットライトを当てた作品を作るにあたって、歌舞伎役者を使わずに配役を決めたところが素晴らしい。
そして、俳優陣がその期待に応え、長年の積み重ねに勝るものはない歌舞伎という世界を、体で表情で内側から全て、魂を込めて伝えてくれたように思う。
女優陣の出番は少なかったが、限られた出番の中で、十分にその人となりが伝わり、出番のない部分は想像力で補えるだけの印象を残してくれた。
ただ、最後の娘との再会シーンは、それまでが壮大なだけに、とってつけたように感じてしまった。
娘との再会は、「あなたをお父さんだと思ったことはない」くらいまでのごく僅かな会話だけにし、
その後の喜久雄の歌舞伎を見て、
泣き拍手喝采してるシーンにした方が良かったなんて思ったり。
色々と素晴らしすぎて記述を忘れてしまいそうだが、エンドロールに流れる主題歌。
井口理の透き通る高音が響き渡り、この壮大なる国宝が完成されたと感じた。
私たちの日常は、色んなことをアップデートしなければならない今だからこそ、変わりゆく時代に、
この古き伝統を守り続けたこの時代の歌舞伎を映画化することに意味があった気がする。
物語は歌舞伎の世界の血筋と才能、喜久雄の波乱の生涯を描いているが、
それを聞くと興味ないと思っていた私もこの作品を見て良かったと思わせてくれた。
前評判の期待は裏切らない。
何も考えず、見て、感じてほしい。
宝
だれもが国宝になれるわけでは無い。
ただ時間は誰もに平等に流れていく。
置かれた立場、環境、資質 など様々。
しかし過ごしてきた、思いで、友情、努力
愛情、時間。
それは誰にでも大切にしたい宝物である。
そう感じさせてくれる映画でした。
余韻に浸ってます
歌舞伎は全くの素人、映画もそれほど詳しくない自分ですが、鑑賞後の余韻たるや今まで観た映画の中で一番かもしれないです。
すぐに原作小説を購入、二日で読破しました。
映画はただひたすら辛く悲しく厳しい描写が多く、次々に襲いかかる不幸...全体的に悲壮感に満ちていましたが、原作小説は日常というか舞台や稽古以外のシーンが挟まれていてホッとしました。
喜久雄を取り巻く環境も映画よりかなり人間味がありました。(語彙力乏しくて申し訳ない)
俊介は歌舞伎の名門御曹司という血と同時に、遺伝性の糖尿病という血を引き継いでしまったんですね。
足の切断という悲劇を曾根崎心中に絡めての演出は上手いなぁと思いました。
もう一度鑑賞に行くつもりです。
羨望と絶望
多くの方が、ストーリーの細かな部分が抜けていて、なぜそういう展開になったのか、後から思い返しても納得できない、という評判を寄せているように見受けられますが、個人的には全く異なる見解を持ちました(原作を読んだ方からすれば、そのように説明的な描写が少なかったのは気になったのかもしれませんが)。
一度世話になった丹波屋から抜けて、その後に半半コンビとして歌舞伎の日の元に返り咲けた理由やエピソード、またアキコはその後どうなったのか、俊介とハルエがどのような生活をして、なぜ丹波屋に戻ってこれたのかなどは、あくまで蛇足でしかないと思いました。かえって、それらの描写がないからこそ、喜久雄やそれを取り巻く周囲の人間の深淵を際立たせていたものと思います。
国宝の中でも、個人的に取り分け素晴らしいと思ったのは、衣装・メイク・キャスティング・演技はもちろんですが、映画のや構成やシーンごとの表現方法でした。
人間というよりも、歌舞伎役者としての本質が強く、真の役者に近い喜久雄に対して劣等感を抱き、支えながらも喜久雄のようになれない俊介は、より人間らしさを醸し出す人物として描かれていました。インタビューに対する受け答えが国宝になってからもぎこちなかった喜久雄の描写からも読み取れるように、この2人は最後まで非常に対称的に描かれていたように思います。
喜久雄のようになれないとわかって、それでもなお芸の道を投げ出せずにハルエと歌舞伎を続けていた俊介は、最後の舞台において、周りの人間が、「あんな風に生きれない」、そう思うような、人間離れした演じ方をします。演技もそうでしょうが、足を切断し、もう片方の足も壊死しかかっている、演技中に症状がおそらく増悪し、限界を迎えているだろうにもかかわらず、人間を超え、役者として死ぬ、そういう生き様が現れていました。最後の舞台で、自分が憧れた真の役者になれたのだと思います。そんな俊介の思いに気づいていたからこそ、限界を迎え芸の途中で倒れた俊介を喜久雄は鼓舞していたのでしょう。そして、これが俊介が舞台で演じる最後の役だと分かっていたからこそ、俊介を殺すことに悩み苦しんでいたような、そんな喜久雄の心情がひしひしと伝わってくるような演出でした。家庭環境に恵まれず、空っぽに近かった喜久雄と、厳しい指導を受けながらも家族に愛されていた俊介の生活環境が2人をそうさせていたのかもしれません。
「国宝」に認定され、自身の追い求める景色に近づきつつある喜久雄は、幼いころに見た万菊を彷彿とさせるような「恐ろしさ」を体現します。恐ろしさの中にも美しさを感じるような超越的な表現は、喜久雄と俊介が万菊の演技から感じ取ったものでした。映画の最後で喜久雄が演じた「鷺娘」は、舞台袖からその演技が完結するまで、その恐ろしさをひしひしと感じるような、ともすればそこに寒気を覚えるようなBGMや演出で仕立てられていました。これは、喜久雄が万菊のような領域に近づいた、あるいは到達した、ということを示唆しているのだと感じました。俊介と二人で最後に演じた「曾根崎心中」では、人間的な葛藤や情動などが演技の中で感じ取られ、喜久雄の中にも、真なる役者としてだけでなく、人間的な部分が感じ取られましたが、まさにあの表現とは真逆です。また、娘の綾乃や藤駒のことを忘れていなかった、ということも喜久雄の中の人間的な部分を叙述しているように思えましたが、最後の鷺娘では、孤高の役者としての芝居、その世界観が堪能できるような演出でした。
私がとりわけ感動したのは、喜久雄が追い求めた美しい景色、それを目にすることができたその最後のシーンの描写です。私たち観衆は、その抽象的な景色を見ている喜久雄を背後から見ていることしかできず、また、その喜久雄の表情や目を介してしか、喜久雄の求めた景色を感じることができませんでした。どれだけ孤独に苛まれても、血に恵まれなくても、人に蔑まれても、否定されても、どうして自分が歌舞伎を続けてしまうのか分からなくても、それでもその景色を追い求め、人間性を超越し、真の役者であろうとし続けた、そして成し遂げた者にしか到達できない景色なのだと、痛感させられるような描写だったのです。とてつもない淋しさが、私の中にはありました。
1人の人間として、家族や環境にも恵まれて生きている私は、一体どれだけのことを犠牲にして、どれほど努力をしたら、こんなに夢中になれるものに出会えるのだろう、そんな絶望と喜久雄への羨望で胸がいっぱいになりました。
それすらも忘れさせるような圧倒的な鷺娘での吉沢亮の演技、恐ろしい中にも幻想的な美しさを感じられる喜久雄の演技は、だからこそ人を魅了し、実の娘の悔恨すらも、感動で上書きしてしまうのでしょう。
この映画を通して、俊介が感じたような憧憬と絶望が、私自身の中にもあることに気づき、どんでもない名作かつ怪作に出会えたのだと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
クライマックスで大作に昇華
凄い作品だと聞いて満を持して観てきました。主人公の波乱に満ちた人生。途中のふとしたエピソードの伏線を見事に回収したラスト。一気に熱くなった!時折り彼が眼にする雪が舞う幻想、長崎では珍しい雪の夜に刻まれた記憶。。。父の生き様は美しい記憶として刻まれていたのか
歌舞伎の世界へ、息遣いの凄み
歌舞伎はスキャンダラスな世界、が1番の印象でした。
本作を観て、役者のみならずその関係者全てが生命を捧げて繋げている伝統芸能であり、あらゆる意味で時空を超えた世界であると感じた。
そんな歌舞伎を、50年という歳月を追って見せてくれた本作。ほとんどバックヤードからのカメラワークで、役者の息遣いから心を奪われた。
生命を削る稽古、緊迫を極めた舞台、そこから解放された時間の、いわゆる「芸の肥やし」、血と芸の間での複雑な人間関係、、、
恐らくもの凄くリアルなんだろう。
主人公は先代から血は継がなかったけれど借金は継ぎ、先代が居なくなれば後ろ盾は無く悲惨な立場に。しかしそこからさらに芸を極めて、生きて国宝となった。
対して御曹司は、血は継いだけれど、病も継ぐ運命。。
この対比が、お互いの慟哭として昇華される最後の曽根崎心中。
曽根崎心中は主人公のお初の方が凄みを感じましたが、2人の行き着く果てとしても良かった。
終始息遣いに心掴まれ、エンディングテーマの息遣いも余韻が継続してひたすらに美しかったです。
語り尽くせないほど魅力に溢れています。是非劇場で体感していただきたいです。
歌舞伎役者として悪魔と取引するほどの飽くなき追求心。本気の人たちの魂のぶつかり合いに心が揺さぶられる映画
第78回カンヌ映画祭監督週週間で公式上映された国宝。
入れ違いで現地で見ることはできなかったが、日本の映画館で視聴。
感想は、とにかく「すごい」。
約3時間の映画があっという間で、スクリーンに引き込まれたまま終了。
数日経った今も、映画の中の世界にいる錯覚を起こすくらい。
伝統芸能の歌舞伎の世界。
世襲で将来が約束されている横浜流星演じる俊坊と、任侠の出で守ってくれる血縁がなく、芸や才能だけで生きなければならない吉沢亮演じる喜久雄。
まずは2人の関係が美しかった。
渡辺謙演じる花井半二郎の代役に喜久雄が任命され、舞台前でのシーン。
それぞれの置かれた立場が違うからこその心情。葛藤や喜びがありありと伝わって、
涙なしには見れませんでした。
2度目の曽根崎心中も、同じように涙なしには見れませんでした。
1度目では離れ離れになった作品。2度目には2人の心が通じ合った作品へ。
2人の役者魂が共鳴して、どんな言葉も陳腐に聞こえてしまうような、
ものすごい圧巻の舞台でした。
国宝にまでなる喜久雄のプロ意識がすごい。
歌舞伎以外一切興味がない。自分のことを好きでいてくれた彼女も、家族も、子供も。
「神様に願い事をするのではなく、悪魔と取引していた」というくらい、
歌舞伎が上手くなる以外には何も入りません、と宣言するくらい。
芸への飽くなき追求心にとにかく圧倒されました。
「ここまで来るまでにどれほどの人を傷つけ犠牲にしてきたのか。
でも、三代目花井半二郎の舞台を見た時に、驚くほど魅了され、違う世界へ連れて行ってくれると感じる。終わったら思いっきり拍手をしていた。」
最高の褒め言葉だと思いました。
見たい景色があり、ずっとそれを追い求め続けている。
最後の鷺娘を通して見れた景色。
一生かけて熱中できるものがあることそのものが美しいと思いました。
もう一回見たいか?
良すぎたのでもう一度見たい、という気持ちと、
あまりにもあらゆる感情を受け取って重すぎたので、見るのは1回でいいという気持ち。
どちらも隣り合わせの気持ちです。
昔ながらの「芸の道」のイメージ
本当は、公開前のYUKIKAZEを観に行ってレビューを書く気満々だったのですが、上映会に2つ応募して2つとも見事に落選しました!笑 なので今はYUKIKAZEの内容や主題歌に関してリリースされた前情報を見ながら、 “その時”がくるのをひたすら楽しみに待ちます!
ということで、今は他の映画の鑑賞タイム(^^)
話題の作品「国宝」を観に行きました。原作は読んでいません。
結論からいうと、一年以上前から歌舞伎の所作の稽古や精神を身体に叩き込むなど努力を重ねて難しい役に挑んだ吉沢亮さん(立花喜久雄役)と横浜流星さん(大垣俊介役)は、素晴らしかったと思います。2人とも艶のある踊りが素晴らしく、ニ人道成寺では息もピッタリでしたし、鷺娘も素晴らしかったです。一人が抜き出ると、もう一人がそれを上回ろうとしのぎを削る2人のライバル関係も良く表現されていました。そういえば、最近他にみたF1(ブラッドピット主演)も1年以上役作りに取り組んだとのことで、俳優さんの役が肉体的訓練を伴う場合ってすごく時間をかけて取り組むんだな、、と改めて驚きました(自家用戦闘機に乗って訓練するトムクルーズまで行くと、ありえないレベルです)
作品に対する感想は、、、個人的には少し残念でした。
なぜかというと、主人公の一人で、最後に国宝に上り詰める立花喜久雄(吉沢亮さん演じる)について描かれているのは、昔から世間にある「芸を極める道」の一つのイメージのままだったからです(私のような外の世界に生きる一般の人には中の世界をうかがい知れないので、現実とこのイメージがどのくらい合っているのかは判断出来ませんが)。よく聞く「芸のこやし」という言葉に表れる芸の世界です。つまり、芸を極めるために身近な人たちを傷つけ、不幸に陥れていってしまう業深さ、そして自身もその業深い生き方に傷つき、泥の中をのたうちまわるような苦しみを抱えながら生きる人生について描いていたのです。
描き方は、大胆かつ丁寧に描いていたと思いますし、歌舞伎の舞台は美しく映像化されていたと思いますが、、、やはり描かれていた世界が自分には「私が見たい”芸を極める道”は、これではないような気がする、、、制作陣はなぜ今この時に、この古びれたイメージを映画化しようと思ったんだろう。」という気持ちになりました。例えば「次の時代の国宝には喜久雄のようではない人たちに、どんどん国宝になってもらえるといい」という希望が込められているのなら制作意図を理解できますが、実際にはそうではなさそうだし(国宝となった喜久雄に対して喜久雄の娘が放つ言葉が、喜久雄の生きてきた道を肯定しています)、この作品が描いている世界を私は手放しで素晴らしい!と拍手喝采はできませんでした(原作を読んでみたら印象が変わるかな、、、?)
その意味でガッカリしたシーンは、喜久雄に捨てられた娘の綾乃(瀧内公美さん演じる)が、国宝となった喜久雄に対して、自分は(喜久雄を)父親として認めたことはないけれども、舞台を観ると抗いようもなく心を動かされ、拍手をしてしまう、というようなセリフを言うシーンでした。
業の深い芸事の道を描いていると分かってはいたけれど、ああ、この映画はここでわざわざ娘役にこのセリフ(そういう生き方を肯定するようなセリフ)を言わせてしまうんだ、、、と思って、ガッカリしたのです。ダメ押しのセリフにトドメを刺されたような感じでした。
もちろん実際の芸能の世界では、喜久雄のような業深い生き方からは一線を引いて芸事を極めている方が沢山いらっしゃると思いますが、「国宝」というこの作品のタイトルでさえ私の目には、「国宝(という名の魔物)」という副題?もついているかのように、業深さゆえに暗くどろどろした影がピッタリと寄り添っている印象でした。
作品で描かれた主人公2人の生き方については、大垣俊介(横浜流星さん演じる)の方は最後、自分を捨てて全てを喜久雄に委ねてしまったように見えたので、その後の生き方は身も軽く、清々しい印象を受けましたが、喜久雄の方は自身の過去の全て、”悪魔と取引”までしてしまう業の全てを自分の中に抱えたまま生き続けなければならない重苦しさを感じました。少なくとも、喜久雄のようにどろどろの深い沼にはまって自身がのたうち回っているような状態では、同じ沼、あるいは他の苦しみの沼にはまっている人に対して、手を差し伸べて引き上げる手助けをしてあげることは出来ないかな、と思いました。
吉沢さんには「喜久雄の生き方についてどう思いましたか?」と尋ねてみたい気がしました(俳優という仕事全てに関わることかなとは思いますが、吉沢さんは喜久雄の役を演じることで自分の身体の中に入ってきてしまった毒を解毒する必要なんかは無いのかなぁ〜、、、なんて感じました)。
そういえば、田中泯さんが女形の人間国宝、小野川万菊役を怪演していましたが(目の動き一つだけでギョッとさせられます笑。微笑んでいるのに不気味だし、すごい迫力です)、その万菊が喜久雄に向かって、貴方は自分の美しいお顔に注意なさい、と忠告するシーンがありますが、注意すべきは顔ではなくて野心だと思うのですが、、、やっぱり顔なのかな、、笑。
ものすごい人数の方が鑑賞した、この話題作。個人的に少しガッカリした後に感じたことは、、芸事の神様がもし今まで喜久雄のような人の上に(そうでない人よりも多く)降臨していたのだとしたら、今後は神様にはちょっと考え直して欲しいかも笑、ということです。
私たち観客の側にしても、今までは喜久雄のような芸の道が最高だと絶賛してきたかもしれないけれど、本当は喜久雄のような生き方ではない人が到達する芸の道の素晴らしさを、まだ目にしていないだけなのかもしれない(これまで表に出てきていないのなら、この映画が喜久雄の生き方を世に見せているように、もっと表に出して見せて欲しい)
1人の人の生き方として見た場合、喜久雄のように「芸の肥やしを消費」しながら芸の道を極めなければ神様が降臨してくれないとなれば、とても苦しいと思うんですよね。
例えば自分が植物の種だとして、生まれた?時から「自分は1人の人を大切にする人生を生きたい」と考えている種だとして(変な例えですけど笑)、それが毎日上から水をかけられる度に「成長するには芸の肥やしが大事だぞ!」と言われたら、、、ウンザリしそう!まっすぐ伸びようとする芽さえねじ曲がりそう‼︎
1人の人を大切にし続けるのも山あり谷ありで、そこには努力して作る道があるように思います。その努力も神様が見ていてくれると嬉しいかな。
ということで。鑑賞後、これまでの世間の古びたイメージを打ち破る、新しい「芸を極める道」を見てみたい!と期待が膨らむ、、そんな作品でした(俳優さんたちの演技、映像などが素晴らしい分、描かれた世界が寂しすぎて、評価が低くてすみません!この作品のタイトル「国宝」も、もし「これが国宝と呼ばれるものの実態の全てです」という意味だったら、寂しいを越えて愕然としてしまうかも、、。人間国宝制度?の根底が揺らぎそうです)。
血が受け継ぐのは良いものだけではない
歌舞伎座には長年、年に数回足を運んでいるので、歌舞伎シーンはある意味「別物」として楽しませていただきました。原作は読んでいませんが、素直にストーリーとして、よくできている作品だと思いました。血筋として俊介には歌舞伎界でアドバンテージがあったけれども、糖尿病体質を父親から受け継いでいたという致命的なディスアドバンテージがあった。世の中、短絡的に親ガチャとか、裕福な家系とかを羨む風潮があるけれども、心身の健康な血筋が第一、と思わずにいられなかった。原作も読みたいと思っています。
タイトルなし(ネタバレ)
簡潔に言うと、ヤクザものの息子が歌舞伎役者を目指す物語。
映画から緊張感や迫力、凄みをビシビシと感じて動けなかった。ストーリーに引き込まれるというよりは、俳優陣の鬼気迫る演技に圧倒されて身動きが取れなかったというのが正しい。
3時間途切れることのない集中力が必要になる物語だが、展開が早くスピード感があるので3時間があっという間だった。緩急ある構成力が素晴らしい。
吉沢亮は、「どこまでも稽古を積んでも足りないと感じてしまう」と語っていたが、その気持ちはスクリーンの喜久雄からも感じ取れるのだった。型は違えど、きっとこの2人も演じることに取り憑かれた人たちなんだろう。
ただ、3時間に詰め込みすぎではないかと思うところもある。一つ一つの出来事が起きてから完結するまで短すぎるから人物の心情が描ききれていない気もする。前編後編に分けても良かったのではないか。
素晴らしかった
歌舞伎って観たことなかったのですが最後まで引き込まれました。キャストさんはみんな演技派の方々多数で期待をはるかに超えた作品でした。選ばれた人のみ女形を演じるにはほんとに苦労されて覚悟をきめて役に挑んだことと思います。吉沢亮、横浜流星素晴らしかったです。2人の最後の行末、2人の共演ほんとに素晴らしかった。実際、客席で観てたら泣けたと思う。寺島しのぶ さすがの貫録。渡辺謙、ほんとにカッコいい、今回も魅了されました。今日をきっかけに歌舞伎に興味が出てきました。
演技に対する狂気
いやぁ、、演技が凄すぎて言葉を失った、、
兄弟のようであり、親友でもあり、ライバルでもあり、その複雑な関係性とか、演技への狂気とか、、見事でした
子供時代の喜久雄が演じる女型も美しかった
放課後、練習しながら2人で帰る姿もキラキラ✨
あんな過酷な練習だと凹みそうなのに、楽しいとか異常だけどね
外見の美しさだけでなく、悔しさとか嫉妬とかそういうものすら美しかった
一つの芸術作品を見た感じです
南座など行ったことあるところが出てくるのも嬉しい。舞台裏見学もしたことあるけど、ワクワクします。
幼なじみであり、一緒に刺青まで入れた子が、俊介と結婚して子供まで、、とはびっくりした。
逆に喜久雄が、歌舞伎役者の道を突き進むために、コネを作ろうとその娘に近づいたり、人間味もあった。
せっかく手に入れた地位をまた落として、2人の立場が入れ替わり、喜久雄がそれでもなお這い上がってくる姿は、リアルとはかけ離れている気もするけど、ドラマティックに作られていた。
年月が飛びすぎるので、その間のことが気になった。
再開した喜久雄と春江が普通に接せれるのなぜなんだろう、、喜久雄はなんとも思わないのかなあ、、?お互い様?それよりも歌舞伎?
お父さん、と駆け寄る子供にすら見向きしないのも可哀想でした、、。
それだけこの世界が厳しいのかなあ、、?
圧倒される3時間
冒頭のシーンから、ラストまで息つく暇を与えられず壮絶な人生を体験させられるような作品!
それは主役の人生だけではない。
ヤクザの親分としての死様を見せようとする父親。
高齢になり皺多き顔に化粧をして舞う人間国宝。
自分の息子よりも、芸によって内子に自分の代役、そして名前を継がせる男。
長崎からついてきたのに心折れた男を放っておけない女。
名前欲しさに抱かれ、最も辛い時を支えても報われない女。
芸者だからと日陰の人生を選んで耐えて生きた女と、最後にインタビュー時のカメラマンとして対峙する娘。
原作を読んでいないが、多分もっと様々な事が語られていたのであろう事は容易に分かる。
しかし、それをダイジェストのように感じさせず、多くを語らずともそこにそれぞれの人生があったのだと感じられる俳優達の演技の凄まじさ、脚本の素晴らしさ、それを撮り切った監督の手腕。
それら全てが静かに、だが圧倒的な力でスクリーンからほとばしっている。
そして、あまり語られないと思うが、特殊メイクが恐ろしくハイレベルだった。映画後半、3人が墓参りするシーン。それまでの人生が刻まれた顔が完璧に作られていた。
原作小説も読みたくなった。
いやすげーわ
人間国宝になる歌舞伎役者のお話。
冒頭からすごく引き込まれます。
若い頃の喜久雄を最初見た時点で才能があることがわかる説得力。すごい演出と演技力でした。
親父の死に様のかっこよさ。この死に方が最後の演目につながっている脚本の上手さ。とても良かった。
吉沢亮さん、横浜流星さん、綺麗すぎです。
歌舞伎の世界は結局は血。そこに抗えず狂っていく吉沢亮は破滅的だが、とても美しかったです。そして色々乗り越えた二人の友情。鳥肌です。
マイナス面は、悪魔にお願いする時は神社に悪魔はいねーだろって思った事。また、若干歌舞伎のシーンが多いか、、、流石に本編尺が長すぎる。もっと喜久雄が歌舞伎に戻れた描写欲しかったかなっと思った。
今年No.1邦画かなと。
この映画が『国宝』物です!
私自身、歌舞伎は女形、睨みや見得、獅子が長い毛を豪快に振り回す毛振り…このくらいしか知らない世界。
でも、映画を観ているのに歌舞伎を観ているかの様に、こんなに美しい伝統芸能があるのかと感動してしまいました。
宝塚と違って歌舞伎は男性だけの世界…だからこそ男性でありながら女性の役を演じることは、立ち居振る舞いや声色、衣装、かつらなど、あらゆる要素を駆使して観客を魅了して美しい歌舞伎の世界があるのですね…
それを演じる吉沢亮も横浜流星も素晴らしい…以上の言葉が見つからないくらい圧巻でした。
何より『曽根崎心中』は吉沢亮も横浜流星も演じ方が違うのにこんなに歌舞伎の演技なんて分からないはずなのに涙が出るほど感動しました。
最後の『鷺娘』では、喜久雄が才能があっただけでなく波乱の人生の最後に見た美しさに涙が止まりませんでした。
口コミ等で3時間はあっという間の素晴らしい映画と聞いて観ましたが、この映画は本当に映画館で観る価値のある映画です
ただ身体は3時間後に固まってました…
不条理への反抗が、歌舞伎を「国宝」に昇華させる
観終わって最初に感じたのが、「これは、人生を懸けて不条理に反抗する物語なんだろうな」ということ。
喜久雄の第二の人生は、父の仇討ちを失敗するところから始まる。身寄りのない極道の子供として育ち、夢や目標、幸福を掴みかけても、すんでのところでするすると手から離れていく。まさに不条理の連続のような人生。
しかし喜久雄は、常にその不条理の只中にいながら、境遇を言い訳にせず、唯一の武器である芸を研ぎ続ける。彼は、常に目に執念のようなものを滲ませ、人生の不条理に向き合い、反抗する。ストーリーが進むにつれて、彼の言動はもはや常軌を逸しているとしか言えないものになっていくが、気づけばいつの間にか、観客は彼に釘付けにされてしまう。
彼の狂気を際立たせるのが、この作品の空気感。
この作品の空気には、常に歌舞伎界の因習が纏わりついている。大抵のシーンが歌舞伎の世界か裏舞台。それ以外のシーンでも歌舞伎界を連想させる場面が多い。そんな作りだからか、3時間ほぼ全てに渡って、常に薄氷の上を歩くような張り詰めた緊張感がある。
しかし、それが一層喜久雄の狂気を鮮やかにする。後ろ盾もなく、いつ消えてもおかしくない世界にいながら、常に運命に反抗し続ける彼の一挙手一投足には、狂気的なエネルギーが宿り続ける。
そしてそのエネルギーは、舞台の上で「歌舞伎」として、艷やかに美しく解放される。
その集大成が、最後の「鷺娘」。
だからこそ、人間国宝は「美しいバケモン」なんだろうな。
全520件中、161~180件目を表示
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