国宝のレビュー・感想・評価
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映像美は圧巻。プロットはやや雑
映像がとにかく繊細で素晴らしい。
撮影がアデルブルーは熱い色のソフィアン・エル・ファニというのを見て納得。
歌舞伎という扱い辛い伝統芸能を題材によくぞここまでの映画を作り上げたなと感心した。
問題のプロットだが、話の焦点が芸事への執念なのか、キクオとシュンスケとの因縁や友情の物語なのかがやや散漫になった印象。
少し欲張り過ぎて色々な要素を詰め込み過ぎた印象はある。
シュンスケの足の件や師匠半次郎の死もやけにアッサリと消化してしまったなと感じた。
また、キクオとシュンスケが過去の軋轢を超えて、再び舞台で共演するに至るまでの流れがバッサリカットされているので、1番見たかった美味しいシーンが見れなかった印象。
あとは主人公キクオの何を犠牲にしても芸事にかける執念のような部分もあまり強くは描かれておらず、娘を蔑ろにするシーンもパレードのシーンだけなので、最後の娘の言葉もあまり効いてない感がある。
もう少し色んな要素を交通整理してまとめてシナリオを練り直したら更に良くなったと思う。
「国宝」というタイトルも話の真芯に合っているかと言われたら合っていない気もする。最後に人間国宝になりましたという展開があるだけで、あくまでも記号。キーワードとして出てくるだけなので、
「国宝」という題にするならば、国宝というものが何なのか、映画としてもう一段深く掘り下げて見せて欲しかった。
それこそ歌舞伎なだけに話の筋にビシッと一本筋を通して欲しかった。
ミミズクの意味
喜久雄が「他に何も要らないから日本一の歌舞伎役者になりたい。」と悪魔と取り引きした事を娘にまで言ってしまったのは、歌舞伎の世界での確固たる地位と居場所が欲しかったからなのではないだろうか。それ位、歌舞伎界のしきたりが厳しい事を亡くなった師匠である半二郎からも聞かされていたから。
何一つ約束されたものは無かったけれど、生まれ持った才能と実の父の見事な死に様、そして半二郎への恩、切磋琢磨して互いに成長して来た俊介への思い、自ら望んだかの様に背負い、全ての苦難を乗り越えた喜久雄が手にしたものは、皮肉にも自らを犠牲にしても喜久雄を支え続けてくれると言う、無償の愛を貫いた女達を演じた様な「女方」によるものだった。
人間国宝となった際にカメラマンになった娘からの質問に「忘れた事はないよ・・・」と自分の名前を言ってくれた。日本一の役者になった父にそう言われ、綾乃にはまるでお正月でも来たかの様な嬉しい瞬間だったのでは。
最後にアナウンサーの順風満帆と言う言葉にも感謝の気持ちを表せる位、心は満ち足りたものだったけれど、父が最後に残した雪が静かに降るあの美しい景色は未だ見れてない事を言った様に思えた。
俳優陣の神がかった演技は言うまでもなく、脚本や演出の妙を感じる最高の映画作品
私は歌舞伎に詳しくないし、原作小説も読んでいないので、なにも予備知識が無いまま見に行ったのですが、その状態ですごく楽しめる素晴らしい作品だと感じました。
まず、この映画は意図的に喜久雄からの視点に偏らせておいて、喜久雄に感情移入させる作りです。
だから初見では俊介のことを本当の意味で理解しきれないと思います。すべて見終わったあとに、振り返ってみてやっと理解できます。
女性たちは、喜久雄がどういう状況にいるのかを表す写し鏡です。
喜久雄が付き合う女性が変わることはターニングポイントを表しています。
そして、最後に出てくる綾乃。
国宝認定に関する取材で「ある景色を探してる」って言ってる。=喜久雄はこの時点でまだ究極の境地に達していない。しかし、ラストシーンでは「キレイやなあ」。
つまり綾乃とのやり取りの中に喜久雄が究極の境地にいたるヒントが隠されています。
noteに解説書いたので、気になった方はどうぞ
国宝 解説 ~俊介を中心に~
吉沢亮には星5つ
歌舞伎は見たことがなく知識もない。
原作も読んでいない。
吉沢亮、酒の量はさておき、よく精神保ってるなと思う程彼が素晴らしかった!
あの高笑い、もう一回聞きたい!彼の舞台を生で観たい!
ブラックスワンを思い出した。
喜久雄の歌舞伎役者としての役どころより、吉沢亮の役者人生の方が凄まじいのではないかとも思ったりした。
だから、歌舞伎知った上で見るべき映画なんだろなー!解説ほしい!
吉田修一の映画が多すぎて、ア、生きてる人だったと毎回思うのはさておき、やっぱり吉田修一の映画は毎回同じ感想になる。展開が何だか都合がいいし、その展開にぐっとこない。
小説を描ききれてないからなのだろうか?
撮り方も、
舞台の彼等を、もっともっと叙情的に、アート的に、映したものを見たかった!気がする。
予告編のキスシーンを見た時、てっきり相手は横浜流星と思ってたので、なんだ高畑充希かと思った。森七菜のスケベシーンはなくてよかった。
そんなわけで、色々吐き出せたので、やっとぐっすり寝れそうだ。
「知ってるよ、綾乃」
ここ良かったナァ。
なんなら梅沢富美男にも出てほしかったな。
一般的イメージのファンタジー世界としての歌舞伎界
なぜ松竹ではなく東宝の配給なのか?疑問は上映すぐ明らかになった。いくら60年代とはいえ歌舞伎と反社のつながりを描くとなると松竹的には及び腰になるだろう。
歌舞伎とヤクザ、厳しすぎる稽古、花柳界、お家騒動、舞台の上での死、浪速恋しぐれなどなど、歌舞伎界(梨園)のスキャンダラスな部分をまるでファンタジーのように3時間。ないのはホモセクシャルくらいか。
舞台裏、楽屋裏は相当リアルに描いていますね。松竹の後ろ盾なしでよくぞあそこまで描いたと思います。
舞台シーンも舞踊をメインにしたのは上手くいってます。細かいカット割で綺麗な形になった所をつないでいる様子。役者の努力もあるでしょうがごまかってました。映画の力ですね。
ただ、『曽根崎心中』のシーン、特に台詞はさすがに【国宝級】はおろか歌舞伎俳優のそれではなかった。徳兵衛がお初の足にすがりつくシーンの為の『曽根崎心中』は上手い演目選びだとは思いましたが、、、
渡辺謙が立女形というのはちょっとリアリティがなすぎましたね。ケンワタナベのお初は凄いだろうな。
女形が主役の作品なので女形の精神性に対する言及がもっとあった方が良かった。
万菊役の田中泯さんが女形の物腰の柔らかさとそれゆえのある種の怖さを見事すぎるほど体現していたので、なおさら吉沢亮が【国宝級の女形】というのは説得力がかけていたと思う。
一種の職業映画でもあるが、何年も現場を離れた人間が割とアッサリと戻ってしまう所も描写が足りない気がする。失った信用を取り戻す事は並大抵の努力ではできない。
半半コンビの復活の流れはモンタージュというには少々雑過ぎではなかったろうか?
気になる事は結構あったが3時間近く退屈せずに観られたし、海外に出しても恥ずかしくないレベルで歌舞伎が描けていたと思う。
映像で魅せる映画
恐ろしい映画だった…。
執念、執着、全てを捨てて芸に挑む姿。
3時間、ずっと魅せられっぱなしだった。映画とは映像で語る芸術だと思い知らされた。
そして観終わった後、「ブラック・スワン」を観た後に近い感触を得ていた。
大作であり、傑作だ。
#国宝
日本映画最高傑作の誕生
国宝の映画に関する予備知識は特になく、予告映像を少し見ただけで公開初日に行った。
メインビジュアルのポスターを見た瞬間、私は行くことを決意していた。
私の世界で2番目に好きな映画が『さらば我が愛 覇王別姫』であり、その作品にものすごく似た雰囲気を持っていたからだ。
開始5分で、この映画は傑作に違いない。と確信した。
渡辺謙さんの圧倒的存在感と、黒川想矢くんの凍り付くような妖艶さと瞳の美しさが導入部分で魅入らされた。
序盤は幼いころの2人の様子、まんま覇王別姫!と思ったが、物語が進むにつれ、全く新しい一人の人間国宝・歌舞伎役者の人生の物語であることが分かる。
曽根崎心中を演じる喜久雄・吉沢亮は身震いがするほど美しく、女形そのものだった。その前の緊張で震えるシーンから鳥肌もの。
私が日本映画を好きな理由は、心情の変化の表現が繊細なところ。心情表現を大げさなカメラワークや映像ではなく、俳優の演技に全掛けするところ。
『覇王別姫』は社会性・暴力性が強いのが特徴なので、それとは完全に異なる、「静かに血を憎み、歌舞伎に人生を捧げる」作品となっていた。
クライマックスは年を重ねてからの俊介・横浜流星と二人で演じる曽根崎心中。監督は横浜さんの演技に少し不安があったようだが、無理に前に出ようとしないけど、俊介の子どものころからの一貫した性格を感じられる素晴らしい芝居だったと思う。
最後の喜久雄の舞は、何のセリフもないのに、その指先までまるで最初に子どもの頃の喜久雄が見た人間国宝を見ているかのようなまさに「生きる国宝」。すべての神経が研ぎ澄まされ、ツンと雪の中を舞うような冷酷さと繊細さを感じられる彼の人生が詰まった究極の美に、涙が溢れてしまった。
彼の求めていた「景色」の描写含め、1秒も無駄のない演出、無理に大きな音や激しいCGを使わない無駄を削ぎ取った映像美、トップレベルの俳優陣の芝居、歌舞伎の美しい衣装や道具。全てが完璧。
私の人生で一番の日本映画となった。
青年、壮年、女形を演じ分けるW主演の才能
今を時めく吉沢亮と横浜流星の新たな才能とオーラを見せつけられる3時間でした。
劇中劇とも言える「曾根崎心中」は圧巻の一言。
悪魔との取引を伏線回収してくれた娘役の女優さんは、わずかながら強い存在感でした。
ただ、喜久雄の激動の人生に感情移入しきるにはやや盛り込みすぎとも言える内容。
特に、喜久雄と俊介が再共演に至るまでがあっさり時間経過で流されてしまったのは勿体ない。
作品としては覇王別姫の「超えられない壁」にも思いを馳せたのでした…。
二人の演技は凄い
吉沢亮さんと横浜流星さんの演技は凄い。
特に横浜さん。糖尿病で片足切断、もう片方も壊死?
の中舞台に立って…。
原作も読みました。あのボリュームをよく3時間で
まとめたな、と思います。
では涙溢れて心打たれるシーンがあったか、と言うと
そこはうーん、どうなんだろう。
二人の役者人生は飽きることなく最後まで見れました。
圧巻の舞台シーンに目が潤む! が、2~3の稚拙演出シーンが惜しい。 後半ネタバレ ★4.0
舞台で "役" を演じる。 只それだけのシーンでこれほどスクリーンに見入り、目が潤んだ事は初めてかも・・。
おそらく、吉沢亮は来年の「日本アカデミー主演男優賞」を獲るだろう。
とにかく、吉沢亮と横浜流星この二人の舞台演技はずば抜けていた!
本物の歌舞伎ファンでも "納得" 以上の物を感じたのではないかと思う。
演舞以上に、女形独特の発声も全く違和感なく、本物の歌舞伎役者かと感じるぐらいに洗練されていて、
監督の舞台の魅せ方も巧いと感じた。
その舞台に臨むまでの紆余曲折が物語りで描写されているのだから、いっそう感涙に繋がる。
この原作を書いたのは、実際に歌舞伎で「黒衣」をされていた方が書いたようで、
その独特の世界観や舞台裏なども詳細に描写されている。
渡辺謙も過去視聴した中で一番の演技をしていて、
序盤での謙さんの絶妙表情は特別な存在感を放っていた。
さらにビックリしたのは、女形の国宝重鎮(万菊)役。
「はぁい、よぉろぉしぃく・・」とそのハンナリとした台詞は、
この人だけ本物(歌舞伎役者)を使っているのか?と感じたくらいで、
それを 田中泯さん が演じていたと、視聴後チェックで知って尚驚くことに♪
物語の序盤は説明描写的で心が動かないが、1時間経過した位の「曽根崎心中」の舞台から、
心に訴えるシーンが続き圧巻に繋がる。
稽古シーンで、「そんなので、命を賭すか否かが伝わるか!」的な叱責に吉沢亮が女形台詞を言い直すのだが、
3度目には本当に魂が入ったように表現されていて、相当な修練の賜を感じた。
ただ鍛錬・洗練されている舞台描写とは全く逆の、安易で稚拙なシーンも2~3あり、特に序盤は長く感じた。
それはネタバレに記す事に。
まあとにかく舞台シーンは圧巻です。
上映舞台挨拶で監督・役者とも、「とにかく観て下さい」と語っていたのが頷けます。
超力作・必見♪
私が感じた甘い描写 ↓ ネタバレ
序盤の宴会襲撃シーンは稚拙過ぎて、あきれた。
あのシーンにそれほど予算を掛けれなかったのかもしれないが、
よそ者が殴り込んで来ているのに、その数分後でも親分が自席に座っているのはあり得ない。
周りの若衆が、より安全な奥部屋へ連れていって当然。
それが、いつの間にか親分一人になって、銃で撃ってくれと言わんばかりに日本刀を掲げるポーズで・・・。
この時点で、これが★4.4か?・・と落胆・・。
あのシーンにもっと本格的殺陣を取り入れていたら、さらに高評価に繋がったと視聴後は惜しく感じた。
さらに後半、喜久雄が落ちぶれて旅館のステージ後に観客との一悶着シーンも、
まるで過剰な映画演出を感じて違和感たっぷり。
この監督は、激しい動きシーンは自然に撮れないのかと勘ぐってしまう・・。
監督の過去作をチェックすると、「フラガール」のみ観ていた(私も高評価)が、
イーストウッドの名作「許されざる者」のリメイク版は平均★3.3とかなり低い。
やはりアクションは苦手なのかも♪
脚本的には、かなり慎重な性格を表している喜久雄が、他の女性との関係を持つ点の、心境変化の描写が簡素な事や、
2度の舞台上でのアクシデントも、また?と感じてしまった点も惜しい。
まあ、現代作品に「黒沢明作品」のような完璧を求めるのは私ぐらいと思うので、
★は私なりの高評価 4.0 に♪
娘が悪魔と交わした契約は、彼の人生を弄んだのだろうか
2025.6.6 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(175分、G)
原作は吉田修一の同名小説
歌舞伎の女形として才覚を認められた二人の青年を描いたヒューマンドラマ
監督は李相日
脚本は奥寺佐渡子
物語は、1964年の長崎にて、立花組の宴会に呼ばれる歌舞伎役者の半次郎(渡辺謙)が描かれて始まる
組長・達雄(永瀬正敏)の息子・喜久雄(黒川想矢、成人期:吉沢亮)は、彼の前で「積恋雲関扉」を披露する
半次郎は彼の才覚に声を失うものの、その演目が終わるや否や、別の組の刺客がその宴席にカチコミをかけてきた
それによって達雄は殺されてしまう
半次郎は喜久雄を部屋子にして、自分の元で育てることになった
半次郎には一人息子の俊介(越山敬達、成人期:横浜流星)がいて、当初は喜久雄の存在を疎ましく思っていた
だが、ともに稽古に励む中で友情が芽生え、いつしか唯一無二の親友となっていく
半次郎は二人を女形として組ませてデビューさせることを決め、「二人藤娘」を披露することになった
興業主の三友の社長・梅木(嶋田久作)は二人の才能を認めるものの、社員の竹野(三浦貴大)は血縁社会における部屋子の存在を訝しんでいた
物語は、喜久雄と俊介が一大ムーブメントを起こす様子が描かれるものの、半次郎の交通事故によって、様相が一変してしまう様子が描かれていく
半次郎は代役に喜久雄を抜擢し、その成功によって俊介は家を出て行ってしまう
俊介の不在によって、喜久雄が次代の半次郎になったが、俊介の母・幸子(寺島しのぶ)の胸中は穏やかではなかった
その思惑とは裏腹に喜久雄はスターへの道を駆け上がっていくものの、半次郎の死が全てを変えてしまう
彼の死によって再び注目を浴びることになった俊介は表舞台に戻り、同時に喜久雄の出自がリークされて転落してしまうのである
映画は、上下巻の原作を3時間にまとめたもので、歌舞伎のシーンを含めて見応えのあるシーンが多かった
だが、メインが喜久雄と俊介の友情になっていて、恋愛関連はかなりざっくりとしたものになっている
また、国宝の女形として登場する万菊(田中泯)との邂逅もピンポイントに思えて、死の間際に俊介を呼び戻した経緯は謎だったりする
彼がいなければ喜久雄は成長できなかったと思うが、こういった人間関係はかなりざっくりとしたダイジェスト感があるので、歌舞伎のシーンの没入感には遠く及ばなかったように思えた
映画にはいくつかの演目が登場するが、ビジュアルで感じられるので事前知識はいらないように思える
キーとなるのは「曽根崎心中」くらいなので、この演目に関してはあらすじくらいは知っていた方が良いかもしれない
テーマとしては、血縁と才能を取り上げていて、血縁が紡いだもの(病気)と、才能が繋げたもの(文化的遺伝子)が対比となっている
だが、人生において、歌舞伎で生きていく上では血縁の方が大事で、それはその家にストーリーがあるからだと思う
贔屓さんはその家の物語をリアルタイムに観て応援してきた世代なので、才能よりも優先するものがある
そう言った意味において、歌舞伎という世界は特殊な世界なのだが、喜久雄が部屋子から成り上がり、彼の一家の物語が生まれていくのならば、それはいずれは認められていくものなのだろうと思った
いずれにせよ、歌舞伎に詳しい人が見たら本職と比較して粗が見えるのだと思うが、そこまで馴染みのない人が見る分には問題ないと思う
個人的にはざっくりとしか知らなくても付いていけると思ったので、歌舞伎のことは知らないから避けようとするのは勿体無いと思う
個人的には、二人が最後に演じた「曽根崎心中」のシーンで終わっても良かったと思ったので、最後の綾乃(瀧内公美)との再会と赦しは不要だったように思えた
彼女をキーキャラとして登場させている意味はわかるので、それならば「彼女が悪魔と交わした取引」というものを明言しても良さそうに思う
おそらくは、喜久雄の契約以上に綾乃の契約にも重さがあったと思うので、それが描かれなかったのは残念だなあと思った
「見てみたい景色」とは
歌舞伎の家柄の血筋にない人間が、才能だけでその世界を登り極めるには多くの代償を払わなければならない、という本筋がしっかりと描かれていた反面、おそらく原作を3時間弱の尺に収めなければならないという制約ゆえ細かな部分で唐突な展開が感じられ、話の内容を咀嚼しきれない点がいくつかあった。
ただなんといっても吉沢亮の歌舞伎の女形の演技は圧巻で鬼気迫るといっても過言ではない。吉沢さんの容姿はあの役にうってつけで彼の代表作になることでしょう。
作品の終盤、歌舞伎をやっているのは「見てみたい景色があるから」とインタビューに応えていて、それがラストシーンでわかる描写があるが原作を読んでいない自分には今一つ何なのかはっきりわからなかった。
後で考えると、人間国宝に上り詰めた歌舞伎役者の境地になり初めていつもの客席がその景色になるということかもしれない。
物語終盤で久しぶりに再会した娘から家族を捨てて歌舞伎一筋の生き様を批判されるのかと思いきや最後は彼の舞台を称賛する言葉。それがなんとなく物語として出来すぎな印象で少し冷めてしまった。
娘からどれだけ恨まれようが全うしてきた歌舞伎の道、という救いどころのない辛辣さを残してこそ、この作品はもっと引き締まると思う。
人間国宝とはいったい
悪魔と取引をしてあらゆるものを犠牲にして、人間国宝まで上り詰めないと見れないあの景色はいったいどんな景色だったのか。
万菊さんの「歌舞伎が憎くて憎くて仕方ないんでしょ?でもそれでいいの。それでもやるの」って言うセリフや寝た切りの状態で「やっともういいと言われた心地がした」って言うセリフを聞くと人間国宝はすごく孤独で芸に取り憑かれた人間なんだと感じた。竹野の言う通り本当に芸だけ残して死んで行ったのか。万菊さんも悪魔と取引してたのかな。
て言うか田中泯さんは劇中でも言われてたけど、現実でもバケモンであり人間国宝だと思うw
全てを引き換えに極めた道
やっと鑑賞できました。
多少の粗はあるけれど、そんなものは気にならないくらい力のある素晴らしい作品だと思います。
細かい点についてはあまり語ることもないのですが(是非、みてほしい)、鑑賞終わって、帰って、ずーっと国宝のこと考えてて、夜シャワー浴びてる時にふと心に浮かんだことを書きますね。
キクオが全てを引き換えに芸を極めたいと願い、その結果として4人の女性を不幸にしました。
春江、藤駒、あやこ、彰子です。
春江は春、藤駒は藤で晩春、あやこは文月から夏、彰子は秋でそれぞれの季節になぞらえることができ、さらに人生の青春、立夏、白秋をともにパートナーとして(キクオにその意思はないとしても半ば搾取のような形で)過ごしたとも捉えられます。
万菊さんが半弥に稽古をつけていたときのセリフ。女性のことを知らないから、女性になりきれないからそんな動きになるんです。
これは、キクオの心にも響いていたと思います。
晩年、玄冬には、不幸にした女性も踏み台の一部とし、女性の心を掴み、女形として人間国宝に上り詰めました。キクオは、もう女性を必要とせず、自分が花となりました(万菊さんと同じようにとも思える)。
これは、女性を不幸にできなかった半弥には(もし、健康で長生きしていたとしても)成し得なかったことかなぁと思います。
竹野が万菊さんの死に際に言っていた、芸だけ残して死んでいくんか、というセリフにキクオの行く末が重なりました。
主演のお二人以外の役者さんも演技力が本当に素晴らしく、特に寺島しのぶさん、田中泯さん、キクオの子ども時代を演じた黒川想矢さんの演技が心に残りました。
吉沢亮さんの大粒の涙の綺麗なことよ
核となるエピソードが私にはわかりやすく、サクサク進み、登場人物は少なく悪い人もいないため、観やすい大作だと思いました。
主人公が、初めて花井の家に来た時の緊張感の無い様子と、裏腹な挨拶のしっかりした様で、彼が目の前で見た父の死以上に感じ入れるものは無いと分かります。その後の彼の全ての行動の原因が「親」です。
そして主人公は、花井親子の連獅子を見て、芸に寄って親子というものが存在できると知るわけです。一生懸命やった先に、「親」がいるかもしれない。
親子のような関係にやっとなれたと感じる瞬間がやってきたと思ったら、それが、突然粉々に崩れ、彼は本当の孤児になります。自分が受け取ったものに縋り付き、その全てを見透かす万菊により救われ、花井親子の血としか思えない行動の連鎖を受け止め、血を分けた様な馴染みの子供に稽古をつけ、傷つけてきた本当の娘から、悪魔との契約である芸を認められてやっと、主人公は父親の死の瞬間以上の景色を見ることができたわけです。
結局、彼らを揺り動かしてきたものは、親子という血と、努力できる才能という血だ。という物語だと私は受け取りました。
なによりも、これを完成させるために、俳優たちがしたであろう想像も及ばぬ努力、あっぱれです!!!吉沢亮の大粒の涙と、横浜流星のまつ毛と、田中泯さんのあの瞳、素晴らしかったです!!
先が読めない3時間の興奮
主人公の背中の刺青と歌舞伎の血族ではない身分が波乱を起こす事は予想できたが、全く先の読めない結果になる展開は面白かった。
推しの見上愛がきれいな舞妓役で出てきた時は感動ものだった。8年後に娘と共に出てきた時は、このまま幸せな生活を送ることを願ったがそれは叶わぬ夢だった。娘の呼びかけにも全く無視したとき嫌な予感がしたが、案の定彼は2人を見捨てたのだった。映画的にはいろいろな面でよくできた作品と思うが、彼のこのような生き方には全く共感できなかったので高評価にはできなかった。
紆余曲折があって、晩年、彼は人間国宝となるが(神社で悪魔にお願いしたことの成就)、その時に現れた女性カメラマンが見上愛の娘だった。このサプライズは個人的にはこの映画のいちばんのハイライト。彼は見上愛の事は忘れていなかった。娘も彼が神社でお願いしたのが神様ではなく悪魔だったことを覚えていた。しかも人間国宝に登り詰めるまでに周りの人に色々と迷惑かけたことを知っていた。彼を父とは思っていないと言いつつも、舞台で彼の芸を見ると拍手を送りたくなるというくだりは涙ものだった。
どうしても気になった2つの点
壮大な物語と役者たちの熱演には本当に引き込まれましたが、同時にいくつか「ん?」と感じた点もありました。
役者たちの魂がこもった演技
まず、主人公の立花喜久雄を演じた吉沢亮さんの演技には目を見張るものがありました。
歌舞伎の稽古期間が1年半と聞いていたので驚きましたが、それを感じさせない説得力と表現力で、画面から彼の努力と才能がひしひしと伝わってきました。
ただ、個人的に最も圧倒されたのは、花井半二郎役の渡辺謙さんです。
喜久雄と俊介に稽古をつける場面での演技は、まさに圧巻の一言。
令和の現代ではなかなか見られないような、昭和の時代特有の厳しさ、ときに理不尽ともとれる情熱的な指導が、あまりにもリアルに描かれていました。(実際はもっと厳しいのでしょうが。。)
そして、吐血しながら俊介の名前を呼ぶシーンも秀逸でした。実の息子への深い愛情が切々と伝わり、それを受け止める吉沢亮さんの表情もまた見事でした。
渡辺謙さんが改めて日本を代表する、世界的な俳優であることを強く実感させられました。
個人的に「気になる」と感じた二つの点
さて、全体としては素晴らしい作品でしたが、どうしても気になってしまった点が二つほどあります。
小野川万菊の「早送り演出」は必要だった?
人間国宝である小野川万菊を演じた田中泯さんの存在感は、疑いようもなく圧倒的でした。しかし、彼の「すごさ」を表現する演出として、一部に早送りのような映像効果が使われていたのが、個人的には少し残念でした。
万菊の卓越性を際立たせる意図は理解できるのですが、そこに頼らずとも田中泯さんなら、その演技力だけで観客を魅了する「凄み」を表現できたのではないでしょうか。実際の舞台で演技が早送りになることはありませんから。そういった視覚的な演出に頼ってしまったことに、惜しさを感じずにはいられませんでした。
竹野の「見た目があまり変わらない」問題
次に気になったのは、歌舞伎の興行を手掛ける三友の社員、竹野を演じた三浦貴大さんです。彼の第一印象は決して良くありませんでしたが、物語が進むにつれて喜久雄の良き理解者となり、非常に魅力的なキャラクターへと変化していきました。
ただ、作中で喜久雄がしっかりと老けメイクで歳を重ねていくのに対し、竹野だけはほとんど容姿が変わらないのが気になりました。私以外にも、「あれ、この人だけ全然老けないな」と感じた方がいらっしゃるのではないでしょうか。細部ではありますが、リアリティの面で少し引っかかってしまいました。
総評:夢を追いかける生き様に感動
いくつか気になる点はあったものの、この映画が非常に見応えのある作品であることは間違いありません。普段、邦画はあまり観ない私でも、この映画は最後まで引き込まれました。
私がこの映画で最も心を揺さぶられたのは、やはり喜久雄の生き様です。
彼は、欲しいものや夢のためならば、どんな犠牲もいとわない。自分の叶えたい夢こそが人生の全てだと信じ、ひたすらに突き進む姿には深く感銘を受けました。
夢のために大きな代償を払い、後悔するかもしれない不確かな未来に人生をかけることは、非常に困難なことです。多くの人は、本気で夢を追いかけることすら難しいのではないでしょうか。
しかし、傷つきながらも自分を信じ、前へ進む喜久雄の姿は、心に刺さりました。
他人の気持ちを完全に理解することはできないからこそ、自分自身を信じて進むことの大切さを、改めて教えてくれた作品でした。
血と芸、半々を継承し遺す、歌舞伎ブラックスワン兄弟
血か芸か。歌舞伎に必要なのはその両方。
それに加え前提となる、
稽古の鍛錬を積んだ踊りと台詞の実力と、
ご贔屓がつく愛嬌や人柄、精神性、
言うまでもなく立ち振舞いの所作・容姿。
多くを求められる世界で、世襲名門一人息子として産まれた、横浜流星演じる俊坊。
反社組長を父に持ち長崎の大きな家で育ったが、ある日他組襲撃に遭い、父を殺された吉沢亮演じる喜久雄。家族を亡くすが、居合わせた歌舞伎役者、俊坊の父の花井半二郎のはからいで、俊坊の部屋子弟子として同い年の兄弟同然に稽古され育てられる。
2人は比べられる気持ちと同等かそれ以上に仲良く稽古に励み、二人とも女方が似合い、喧嘩でき鼓舞し合える親友。
でありながら、
俊坊は血筋に恥じぬ芸の腕前で喜久雄と遜色つけ難いものの、喜久雄の熱心にどこか及ばず芸も親の視線も喜久雄に持って行かれたような寂しさに傷付いていた。
かたや喜久雄は、身寄りもなく、しかも居候の身で本当の息子でないがため、血筋の世界で血筋に守られる安心感が全くない緊張感に常に怯え、だからこそ芸に打ち込み芸で身を守ろうとしていた。出自に恵まれた若き俊坊にはわからない複雑な心情を先に経験しているから、表現に活かせる。
横浜流星の俊坊と吉沢亮の喜久ちゃん、
それぞれの青年期の感情の揺れとそれでも支え合える兄弟のような関係性がしっかり画面から伝わってくる演技力はそれだけで他の作品ならそこが見せ所なはずだが、この作品ではまさかの基礎的能力。
圧巻の舞い、発声台詞回し、顔立ち、
人気、精神性、容姿。
歌舞伎の血筋以外の全てを兼ね備えた、
日本人俳優が堂々と歌舞伎を魅せてくる。
2人もそんな若い逸材がいる日本、すごすぎる。
世襲の歌舞伎役者に見える歌舞伎を振る舞った上で、
吉沢亮も横浜流星も青年期から老年期まで演じ分け、
喜久雄の吉沢亮は、
居候の身分を弁えた全うに稽古に励む立ち振る舞い、
出自が顔を出すヤクザな一面、
血の強さに悩む中、好意を寄せた女の子に、そうだこの子の家系を狙えと閃くじわりとした目。
俊坊の横浜流星は、
育ちの良さから素直だが、打たれ弱く、兄弟同然な喜久雄を慕う花江の包容力を借り、奪う形で結婚した上に跡取り息子までいることで、血筋を頼り歌舞伎役者に復帰するぼんぼん街道が喜久雄を傷付ける。
父半二郎の代役をし襲名までしたのは、
血の繋がらない喜久雄。
喜久雄は夢にまで見た出自をこれで手に入れたかに思われたが、跡取り息子と花江を携えて、戻った俊坊半弥。
母親は息子が戻れば孫が可愛く、喜久雄こと東一郎は一度は花井の屋根を後にするが、
他の歌舞伎名門の娘、彰子を手玉に取ることで他所の名門の家に転がり込もうと思うが失敗、
踊りの才だけを持って彰子とどさ回り営業活動をしていた。しかし重鎮万菊が死を前に喜久雄を呼び出し、
歌舞伎の表舞台に17年前と同じ、
俊坊と喜久雄、
半弥と半二郎の女方共演として戻る。
これで確執は終わるかに思え、これからと言う時に、
半弥の足は父と同じ糖尿病により壊死が進み、
片脚切断、義足の役者となる。
今や半弥の息子に稽古も行う半二郎だったが、
半弥の最期はすぐそこに見えていた。
半弥と半二郎でもう一度、曽根崎心中でお初と徳兵衛のタッグを組み、足がギリギリ動く最期の公演を行う。
半弥亡き18年後、半二郎は人間国宝に選出されていた。
長崎の産みの両親との別れ、
恩を忘れずお礼に蛇ネズミを取ってくる習性のミミヅクを自身の将来に重ねて彫った背中の大ミミヅク、
親の仇をヤクザの道で取らず、芸で取れと家に入れてくれた半二郎、
その息子俊介との稽古と友情、
長崎から追って来て陰で役者として支えると言いながら、血筋のある俊介を選んだ花江とその息子、
歌舞伎役者人生のために側に置かなかった、
京都から慕う芸妓藤駒とその隠し子となる娘彩乃、
俊坊に遠慮もありながら血筋への安心求めて襲名した半二郎とそれに対する世間の誤解と推測、
出戻った半弥に伴い排他され、
彰子を使おうとし失敗した卑怯にしっぺ返しをくらった惨めなどさ回り、
万菊と半弥に呼ばれ、戻って飾った半二郎の半生。
全てを芸の肥やしにし、
京都の明神様で悪魔と取引した
「誰よりも芸が上手くなる代わりに他に何もいりません」
を貫いて得た人間国宝。
そこに人々は様々な見方をするが、
芸妓の娘、彩乃はカメラマンに成長。
父半二郎の活躍を、舞台でも、ファインダー越しにも、しっかりと見つめていた。
国宝に至るまでの、運命と半生と犠牲と精神の徹底性全てが詰まった半二郎の人生。
反社の組のトップの父の仇を、
果たして芸で獲れたのか?
でも、追い続けた景色、
闇にキラキラとした雪か紙片か輝きか。
その景色に喜久雄は辿り着くことができた。
舞台の幕が降りた後、
何度も何度も感じた、血筋者でない孤独を、
その景色に辿り着いた今は感じず、
孤高の輝きを放つ人間国宝になっていた。
花井家の血を引く息子は花江の血も引く半弥が遺し、
十八番を継ぐ芸は半二郎が遺し跡取りに指導する。
一代かけて、
血と芸半々ずつ遺した2人は結局半々コンビの表裏一体2人で一代を世襲したことになる。
次の代は女方ではない勝負。
果たしてどうなるのか。
この作品を作り上げた、
全てに妥協しない俳優陣に圧倒された。
見事に儚くしなやかな切ない女役を生きる横浜流星。
狂気と熱情を秘めた女役と、そこまで惚れられる男役両方に芸と容姿両方で生きる吉沢亮。
圧巻としか思えない。
横浜流星がよく言う、役を生きる、が歌舞伎を通してまで伝わるほどの、結果の伴う血が滲む徹底的努力を、若い俳優2人ともが同水準に行い、2人から射抜くように放たれる気迫。
画面越しにくらい、何日経っても余韻が残る。
しかも、2人ともが同じ場所で育ちながら異なる人生と人物像を対比させ、演技のみならず頂点の歌舞伎としても仕上げて見せる。
同じ3時間半使うなら愛に生きたタイタニックより、
孤高の喜久雄と花井家に捧げて人生叩き直された気分に浸りたい。
ものすごい邦画なのに、これを撮り残してくれたのはルーツが韓国の監督さんなのか。
日本人が日本文化をここまで撮れなかったもどかしさも感じつつ、本作も出演俳優もそれを指導した歌舞伎文化の継承者達も全て国宝と感じる。
実際より軽いとは思うが、世襲の必然性もしがらみも、わかりやすく映像で見せてくる。
嫁いだ女の歌舞伎理解や稽古の下支えに挨拶参り。鷺娘程に惚れ込んでいなければ、まず無理務まらない。
長崎の頃から喜久雄に寄り添い大阪に追って出てきて、ホステスをしながらも支えてきた筋の通った花江だからこそ務まる役目。半弥と結婚し半二郎を同じ家の者として支え、跡取りまで遺すとことんな女性である。入れ墨入れるだけある。それでも半弥の脚が危ない時に正気を失う花江から、心も半弥にあるとわかり、既に折り合いのついた年齢とはいえ半二郎は寂しかっただろうな。同じ寂しさを京都の藤駒も感じながら彩乃を育てていたわけだが。
彰子もまた、自分は好きだが半二郎からの愛はないと悟りながらも惚れた弱み、半二郎の地方回りを文字通り荷物を抱え行脚してでも支えてくれた。
歌舞伎世襲の、極めないと演目が成り立たず、日本の文化産業としての興行にヒビを入れ後世に借金を残しご贔屓様に顔向できない、正気で生きていられないような重圧を見て育つ女達。男より強いのではないか?
喜久雄のような部屋子達も、出自が異なるという意味では嫁いでくる女達と同じである。
稽古を惜しまない俳優達に務まるのなら、世襲でなくとも芸は務まる気がするが、それを一生の生業とせざるを得ないとなるとまた話は異なる。
大抵の人間は一生はちょっとと思う中で、せざるを得ない世襲の息子、半弥や海老蔵のような存在にはまた、共感や理解が深まるのではないか?反動で激しく飲み遊び女遊びの愚行に走っても、仕方ないとも思える重圧。
珍しく生い立ちに恵まれている側を横浜流星が演じているが、べらぼうとは全く異なるちょっと気弱な女方。
でも、鷺娘の絵を遺した春信先生とべらぼうでは話している。大河でまさかの、お初の徳兵衛なんて台詞も飛び出していた。横浜流星の江戸時代日本への理解は深く厚いものになっていそうだ。
吉沢亮の彰子に目を付けた瞬間の眼差しが忘れられない。こんなすごい作品を見て吉沢亮への印象はすっかり変わりつつあるが、当初吉沢亮に感じていた印象はまさしく闇落ち側面でじわりと彰子を見つめたこの目の印象そのものだった。
横浜流星の方が一見繊細そうで、吉沢亮の方が精神的に追い詰められやすそうな一面を感じる。
残った脚にも壊死が進むが演じ続ける半弥と中の人横浜流星も、
血に勝る芸を求め続ける半次郎の中の人吉沢亮も、
歌舞伎ブラックスワン。
半弥が出て行った8年間と、
半弥が死に国宝選出までの18年間を、
寂しそうだなぁこの間修行に励み続ける孤独はいかばかりかと、国宝選出インタビューの場面を見ながら感じていた。身寄りがない中、同級生で仲良くできる稽古仲間に出会えた奇跡を、血筋のある俊坊を羨ましい時もありつつ、ずっと心強く喜久雄は感じていただろう。半二郎もまた、息子を想う気持ちも勿論あるが、分け隔てなく育ててくれた。
半二郎が遺した功績は、歌舞伎界に2人の継承者を仲良く遺した事に尽きる。
だからこそ半弥も半ニ郎も支え合って、捻じ曲がり切らずに育つことができた。
彰子は気の毒に尽きる。
下手な言葉で語れない作品
うまい言葉が見つからない
下手な言葉を並べられない
それだけ役者たちが全てを注いだ作品だったことはすごく伝わった作品だった
歌舞伎の世界は全く知らない
だけど世襲が継いでいくだろうというなんとなくの知識はある
息子でよかったねと言われる世界であることも
喜久雄が歌舞伎の世界に引き取られた時からずっと心臓が痛かった
代役に選ばれた時もサスペンスでもないのにどこかで崩れる瞬間を想像して苦しくなった
終わるまでずっと
俊介の子どもが息子だったこともまた心が抉られた
立場が逆転するとそう思った
だけど想像と違ったこととしたら俊介は喜久雄の才能を認めていた
悔しいくらいに
喜久雄は努力ももちろんだけれど最期に二人でまた舞台に立てたのは俊介が喜久雄を認めていること、これは大きかったのだろうと思う
結局最後のところは才能で上がれといえど
後ろ盾はなくてはならないものだったのだろう
1人、また1人、
関わってきた人たちの最期を見届ける喜久雄
その姿をみて失礼ながら私の気持ちも1つまた1つ解放させられるかのようだった
それだけ歌舞伎の世界は重い重圧の中守りきらねばならぬ屋号と才能が渦巻いているのだろう
俳優陣1人ひとり光っている人たちばかりだった
今をときめくとかそんなキャスティングじゃない本気のキャスティングをみた
特にこの映画に出演すると決めた吉沢亮さん、横浜流星さんは並々ならぬ覚悟だっただろう
正直なことを言うと彼のストイックさも理解した上で横浜流星さんにこの役は重いのではとも思った
だけどそんなことはなかった、私が彼の限界を見誤っていた
吉沢亮さんは、吉沢亮さんの光で
横浜流星さんは、横浜流星さんの光で
この舞台に立っていた
ご本人のお姿がかっこいいだけではここに立てていない二人の人生をかけた姿だった
カタチ違えど彼らもまた憑依していたように思う
本当に美しかった
そして田中泯さん
彼の何かを見透かすような目に鳥肌がたった
(本当に無知で最初歌舞伎の方だと思っていた)
言葉に凄みがあり説得力があった
どの登場場面も振り返れるほどにあの短時間で記憶に残った人だった
黒川想矢さん
怪物は観ていないけれど前半は確実に彼しか見えなかった
呼吸を忘れるくらい見入ってしまった
幼さと色気が混じる不思議な方だと感じました
(調べたら実写推しの子の少年カミキヒカルも演じていたのですね)
これからの作品も楽しみ
とにかく濃い3時間だった
品格と重みと血
一年半の猛稽古でここまで突き詰めたのかと
思うと考え深い。相当大変だったはず。
ある意味呪いと禁忌の職種に着手。
歴史的作品。
あの万菊の人間としての品格と重みを
ストレートに感じるシーン。
俊介を叱るふりを見せて喜久雄に言い聞かせる
姿は粋だ。
『あなた歌舞伎が憎くて憎くて仕方ないでしょう?
それでもいいの………。それでもやるの、それでも舞台に立つのが私達役者なんでしょう』
全身全霊を芸という悪魔に捧げた
人だから言えるのだろう。
黒川想矢さんが演じる関の扉の女形の独特の
色気、本当に美しく国宝級。
そりゃその演技と見た目を観てしまったら
大人役の吉沢亮さんも焦るし渇を入れられる。
横浜流星さんと頑張ったんだろう。
俊介は愛され続けるという無償の愛によって
芸の域を超えていった。
喜久雄の芸に対しての純粋さ、人間としての
欠陥を受け入れながら静かに去る藤駒。
喜久雄が生涯欲しかった『血』を
残した女性。それが血族。
色々な女性が目の前から消えて行く中で
佇む藤駒は凄い。重要な役割で偉大さを痛感
する。
吉沢亮さんが役者としての一線を
確実に越えた素晴らしい作品でした。
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