国宝のレビュー・感想・評価
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伝統とか世襲とか血とか死ぬほど嫌いでした
まず、役者の方々はどの方も素晴らしかった。
吉沢亮は栄光から転落まで、正に喜久雄になりきっていたし、歌舞伎のシーンは息をするのも忘れるくらい圧巻。渡辺謙、田中泯の安定感も流石だった。
特に喜久雄の少年時代を演じた黒川想矢が素晴らしかった。この映画の中で1番印象に残りきっとこれからも多くの作品に出演して成長していくであろうことが楽しみ。
なんですが…
二代目が死ぬところまでは食い入るように見ていたんだけれど、そこから先が失速感。何の前触れもなく何で吐血したの?彰子(森七菜)とどうにかなるのが唐突すぎない?人間国宝、なんで和室に寝転がされてるの?
そして全体的に色んな意味で湿り気がありすぎて、私には合わなかった。歌舞伎も最初は圧倒されたけど、演目も飽きるし歌舞伎のセリフも節回しが耳について気持ち悪かった。
映画館ではスッキリ爽快になりたいという自分の好みを再確認しました。なぜこんなにも評価が高いのでしょうか?
個人的に高畑充希と見上愛の演技は苦手。横浜流星もやはり顔がいいだけだった。
いい対比、血
拾われた子なのに渡辺謙の歌舞伎の役を代役することを渡辺謙から指名された吉沢亮、これをぽっとでの吉沢亮というコソ泥に取られたと思った横浜流星がそっちが取るならこっちも取ると言わんばかりに吉沢亮の彼女をとる。(みんなの意見を見ていると高畑充希の母性が働いたみたいなのを言ってる人もいる)ここの対比から映画が動き出していったと感じる。横浜流星と高畑充希が歌舞伎の店から出る場面と吉沢亮が歌舞伎の舞台から退出する場面からもこの対比が示唆されていると感じる。
また吉沢亮の血に対する執念と絶望が森菜々と横浜流星によってうまく表されていると思った。
光は見せたが、境地は描けず
映画『国宝』は、人間国宝という称号に至る芸道の苦しみと、その背後にある人間的な業を描き出す意欲作である。吉沢亮をはじめとする俳優陣の演技は迫真に満ち、舞台シーンには息を呑む迫力があった。
小さな注文をつけるならば、義母(寺島しのぶ)、義父(渡辺謙)、そして小野川万菊(田中泯)へとつながる人間関係が簡略化されていた点は惜しい。ただし、尺の都合上やむを得ない部分もあっただろう。
しかし看過できなかったのは、隠し子との対面という局面で娘が父に向かって発する「役者としての賛辞」である。あまりに安易で説明的であり、業を背負いながら舞台に立ち続ける人間国宝の姿を象徴的に描ききるはずのラストを、陳腐な和解と感動の演出へと引き寄せてしまった。
さらに言えば、業の深さを超えた先にある「国宝にしか辿り着けないはずの」澄み切った境地を、光一本の暗示にとどめるのではなく、確かな像として描き出してほしかった。
俳優陣の努力と舞台シーンの緊張感は確かなだけに、ラストの安易な謝辞と境地描写の不足が、作品全体の美しさに水を差した。業の深さそのものは見事に表現されていたが、それを超えて芸道に昇華する崇高さが、最後まで届かない。その不在こそが、本作を惜しくさせる最大の要因である。
熱?圧?
原作未読。
画面から演者の熱と言うか、圧を凄い感じる。ほぼ、狂気と言うのを吉沢亮が発してる。
ただ、原作未読なので何とも言えないんだが、コレ凄い原作カットしてるんだろうなぁ。
俊介と春江の駆け落ち(で良いのか?)のくだり、俊介が逃げ出すのは分かるんだが、春江はなんで?でっ、何年の経って帰って来たら、即復帰出来る。多分、この辺の二人と喜久雄の葛藤って(原作で)凄い大事に書かれてるんじゃないかなぁ。
しかも、半二郎が死んだ途端に、喜久雄が干されるって。いや、ホンマに血の世界だよなぁ。
人間国宝の万菊が木賃宿みたいな所に住んでるって・・・・・この人も血の外の人だっけ?
でっ、その人の前で踊ったら、突然に(彰子利用した事)許されて復帰。
高畑充希も、えっ、その役ですか?って感じがする。嫌いじゃないし、むしろ好きな役者だけど、その役ですか?
寺島しのぶはなんか・・・・ガチ過ぎて怖い。
美しい映像で楽しめました。
ストーリー自体が長い人生を描いたものなので作品自体も長大なものになっていますが、やはり多くの事を盛り込んでいる分、早いテンポで流れていきます。
かなりの時間が経ってから人間社会のドロドロした様子が始まるのですが、こういう部分は苦手なんでちょっと長く感じました。しかし話の内容から見てまだまだこの作品は長いぞっていうのがよくわかります。
最後のシーンの一言が意外にあっさりしていましたね。
伝統を支えてきた人々
血統が歌舞伎を支えているものの表であるとすれば、血統ではない者や女性という、裏で支えてきたものを主役とした作品である。
歌舞伎の家に生まれることが標準のスタートラインであるならば、それ以外の家に生まれることはマイナスからのスタートであり、さらにもとの家柄が任侠というのであればマイナスの中でもかなり下である。芸能と極道のつながりが深いことは冒頭の場面から示されているが、あくまで表に出てこない裏の話である。本来表には出てはいけない血筋から類稀な才能が生まれてしまったところに妙味を感じた。
主人公の喜久雄は晩年に国宝となるが、作品に出てきたもう1人の国宝である万菊も裏の人物であろう。俊介と喜久雄が歌舞伎の世界に戻るときには手を差し伸べていたが、歌舞伎が必要とする人物を見極めていたように感じた。表舞台から離れた喜久雄を呼び出したのが誰もいない殺風景な部屋であるところに、国宝でありながら表舞台から離れて最後を迎えたであろうことが想像できる。半二郎や俊介が病に侵されながらも最後まで舞台に立っていたこととは対照的である。もしかしたら歌舞伎の家柄出身ではないのだろうか?
男しかいない歌舞伎役者の世界だが、女達もまたそれぞれに役を演じているのだと考えさせられた。喜久雄を慕う3名の女性はそれぞれの役で喜久雄を支えていた。この世界では歌舞伎が中心であり、それをどう支えるかが最も重要であるのだろう。
血が重要であった歌舞伎の世界だが、時代を経るに従い変化も余儀なくされていた。俊介の子は歌舞伎よりバスケットボールに夢中になっていたし、喜久雄にはそもそも息子がいない。歌舞伎の才能には見た目も含まれていると思うが、それを維持する家が続かない。喜久雄が国宝に選ばれた際のインタビュアーの解説では、さも喜久雄がずっと晴れ舞台で活躍してきたかのような話ぶりであった。スキャンダルなどなかったかのような様子だが、世間からすればやはりそのように見えるのであろう。かくいう私もこの作品を見るまでは歌舞伎の世界の知識はほとんど持ち合わせていなかった。伝統を繋いできた人々の壮絶な生き様を学ばせてもらった。
― 芸術という狂気に生きた者たちの、静かで壮絶な神話 ―
映画『国宝』は、ただの芸道ドラマではありませんでした。
それは、“芸術に殉じる”ということが、どれほど非人間的で、時に残酷で、そして美しいかを描いた静かな神話のような作品でした。
特に心を奪われたのが春江という人物です。
彼女は一見すると、主人公・喜久雄のかつての恋人であり、後に彼を裏切って俊介と駆け落ちする“裏切り者”のように映ります。しかし物語を追ううちに、その行動が表面的な愛憎ではなく、喜久雄を“国宝”に仕立て上げるための冷徹で戦略的な自己犠牲だったのではないかと思うようになりました。
俊介との関係も、純粋な愛情というよりは、喜久雄の才能を開花させるための“装置”だったのではないかと感じます。俊介の老いと病、そして没落──春江はそれを見越しながらも、あえてその道を選んだ。そこには、芸のために他者すら犠牲にできる恐ろしい覚悟が見えました。
一方、主人公・喜久雄もまた、まさに“芸に人生を焼かれた男”です。
彼は春江の離別や裏切りを糧に、次第に“人間”を脱ぎ捨て、“芸の怪物”へと変貌していきます。その過程には苦悶も孤独もありましたが、それこそが春江の意図した試練だったのかもしれません。つまり、春江と喜久雄は、互いに理解し合い、芸のために共犯者となった関係とも言えるのではないでしょうか。
俊介もまた、芸に殉じた者の一人です。喜久雄と対になるように描かれる彼の晩年には、芸の限界、衰え、そしてそれを見守る春江の非情なまでの沈黙が、強烈な印象を残します。そこにもまた、「芸」とは何か、「人間」であり続けることと引き換えに得られるものは何か、という問いが投げかけられていました。
この映画が描いたのは、単なる芸道や愛の物語ではなく、芸術という名の神に人生を捧げた者たちの、静かで凄絶な神話です。
“愛”や“裏切り”という感情ですら、芸術を燃やすための燃料にすぎなかった──そう思わせるほどに、登場人物たちは人間を超えた存在として描かれていたように思います。
春江の恐ろしさ、美しさ、そしてそこに宿る静かな狂気。
喜久雄の孤高さと、燃え尽きるまで芸を追い続ける姿。
俊介の哀しき鏡像。
どの人物も一言で表せない深みがあり、それこそがこの映画を特別なものにしていました。
本当に100年に一度?
普段全く邦画をみない人間です、あまりにもオススメされて見に行きましたが全く良さがわからず、いつ終わるんだろうと思いながら見ていました。
登場人物全員に嫌悪感。昭和の価値観の作品になるのだと思うので仕方ないのかもですが…
才能のある主人公に歌舞伎の血が流れていないこと、育ての親が最期に自分の名前を呼ばないことには同情しましたが、悪魔と取引して人生を捧げた結果酷い目に合っているのは女性だけですよね?
複数の女性や子供の人生壊しているのに、自分だけがすべてを捧げて、過酷な状況になっているような表現で引きました。
お父さんと呼ばれて無視しておいて、成長した娘に才能で免罪されるのもありえない。
歌舞伎の血が流れている側は、飲み歩いたりして真剣に向き合ってないのに選ばれずに逃走。戻ってきても結局血が居場所を作ってくれるし、跡継ぎの息子も産まれて人生イージーモード。
いれたかっただけな濡れ場が邪魔でした。なくても何かあったであろう演出はできますよね。濡れ場がなければもう少し良かったかもしれません。
こちらが100年に一度レベルの作品なのであれば、今後邦画をお金出して見ることはないと思います。
原作と少し違う
原作を読んでない方は満足かな?原作を読むと「上下巻を3時間」にはやはり無理があったな。最高の脇役が一切登場しなかったし、父の死にざまが美しかったとの表現はなし、涙のラストシーンは全く違う。でも映画のラストシーンはそれはそれでよかった、私以外の観客さんは号泣してたしね。
美しい、人間ではない何か
3時間と聞いて身構えて鑑賞したが、やはり話題作なだけあって映像の引き込む力がかなりあった。。
喜久雄の少年期から人間国宝になる老年期に差しかかろうかというところまでを追い、人生を一緒に伴走しているかのような視点から見ることができた。
喜久雄が16歳の時に俊介とともに見に行った当時の人間国宝万菊が舞う景色をずっと心の中で追い、最期に舞台で喜久雄自身が同じ景色を見る。
万菊は病床で美しいものがない世界に安らぎを感じていた。喜久雄たちの生涯を追いながら、それは歌舞伎の世界に生きることのストイックさと表裏一体なのだろうと感じた。それほどに美を追い求め、ある種人間らしい幸せを捨てた先に見える景色。
それが人間でもなく人間国宝でもない、"国宝"が掴むもの、そして観客を魅了するものなのだろうか。
演技は素晴らしく感動しました。
何を重視して観るかで評価が変わると思います。
演技はとても素晴らしく、役者さんの魅力が最大限に活かされていると思います。
一方で展開は読みやすく、観ているだけでこうなりそうだなと感じた通りにストーリーが進みました。
読めなかった展開としては、花井半二郎(渡辺謙)が吐血して倒れるというシーン。
なぜ糖尿病で吐血するのか?と気になりました。
中盤までは夢中で観て感動して泣いたところもありましたが、終盤になると気持ちがフラットに戻ってしまった部分があります。
あと後半の歌舞伎のシーンでクラシックな音楽が流れるので、歌舞伎の演技に少し集中できなかったと思います。
歌舞伎そのままのシーンが観たかったと感じました。
芝居はすごいが話はあっさり
日本映画好きが好きな芝居が見られます。
もっと言うなら「芝居がすごい」と言いたい人向けの映画。
もちろん確かに芝居はすごいの一言。
ほぼ全員がハマり役で、上手な森七菜さんの演技が1ランク下に感じてしまうぐらい。
一方、話としては、荒いところは多々ありました。
終わりに近づくに連れてダイジェスト感が増してきます。
重要なファクターだったヤクザの息子という設定はいつの間にか忘れられてすんなり人間国宝になります。
まさに『国宝』
流行りものには基本的に乗っからないクチなのですが、黒木瞳さんのラジオで李相日監督がゲストの週があって、これは動画配信ではなく大きなスクリーンと良い音響で鑑賞したいなと思い遅ればせながら今になって鑑賞してきました。
日本の映画はアニメが興行収入上位を独占してしまい、実写映画にかつての勢いが感じられず、アニメもクオリティ高くなってきて悪くないけど、歴史ある映画館も閉館するなど大きな節目を迎えていると感じています。
そんな中で3ヶ月のロングランも納得の傑作、日本映画の底力を感じました。
日本の芸能界は任侠、現在の反社とも決して浅からぬ因縁があります。そうした中で任侠の世界に生まれ、歌舞伎の世界に飛び込む主人公の境遇は皮肉的であり、またドラマチックでもあります。
また因縁という点で言えば歌舞伎座の落成を機に少なくない不幸が梨園を襲った事もあります。
何処か作中の襲名式での事件に始まる過酷な運命も、そんな現実の韻を踏んだ描き方とも捉えられそうです。
タイトルの『国宝』には幾つかの意味がかけられているのでしょう。
まず歌舞伎という日本の無形文化遺産という日本が誇る文化・芸能としての"国宝"
田中 泯演じる小野川万菊という"人間国宝"の晩年の慎ましさと変わらない優しい手招きの表現、そして藝を極めた者の執念。
そしてなんと言っても"人間国宝"に至る吉沢亮演じる喜久雄の人生をまるごと舞台にしてしまう大胆さと残酷さ。
作品のポスターなどにも使われている二人の女方、苦難を互いに乗り越えてきた相方の俊介の人生。家名と血と藝の重み。
曾根崎心中の二人の絡み、壊死した足に顔を乗せて、転んでも立ち上がり演じ切る姿と刀で本当に殺してしまうのではないかという二人の泣きながらの演技。
多くの人に支えられ、犠牲にして、悪魔に魂を売っても高みを目指した万菊の晩年の舞台とコントラストになる冒頭の雪景色。
音響も演出も、カメラワークも魅せられました。
安っぽい言い方になってしまうかもしれませんが、この映画を機に歌舞伎に興味を持つ人が増えたら良いなと思います。
2度鑑賞して更に高満足
一度目もあっという間に終わりました。
3時間という中で情報量が多く
人物も多く
1回目は少々消化不良でした。
2度目は
展開が分かっているので登場人物の心情も考えたりできた。
1回目は
隠し子の関わりが理解できなかったが
2回目はラストに続く隠し子との関わりを意識できた。
歌舞伎を観たこともないがとても楽しめた。
そして
歌舞伎に興味をもった。
大切な人と観ると歌舞伎も一緒に観ようとなる。
良い作品を観ることができてよかった。
いきざま
2人の歌舞伎役者の「生き様」が凄まじい。対照的な強さと弱さを持つ2人でありながら、2人ともスピリットで生きて演じている。
演じていた役者さんともシンクロするものがありました。吉沢さんも横浜さんも、この作品以前と以後みたいな感じで評価されるようになると思います。
歌舞伎役者には遠くおよばないですが、わたしたち一人一人が懸命に生きることで、たどり着ける場所や見ることがかなう景色もあるのではないか……とも思います。
高畑さん、見上さん、瀧内さんなど、女性俳優さんもとても魅力的です。
日本文化への敬意を感じる作品
予備知識なく見たが凄い映画だった。
歌舞伎という特異な世界に身を置く二人の若者を、今や人気俳優となった吉沢亮と横浜流星が演じている。
正直人気若手俳優のダブル主演という事もあり、人気俳優の人気にあやかろうという浅ましさを感じてしまいちょっと避けていたが、二人の演技は非常に素晴らしく心を打たれた。
特に曾根崎心中は物語の核となる演目であり、指導シーンから師となる渡辺謙演じる半次郎の指導も、見ているこちらにも緊張が走るほどすさまじいものだったが、それに呼応するように演技がめきめきと上達する喜久雄の姿がまた良く、興奮を覚えたものである。
中盤の喜久雄版は「天才」を感じさせるものだったが、終盤の俊介版はまさに俳優生命をかけた鬼気迫る迫力があり、喜久雄版と違った良さに自然と涙がこぼれた。
日本の伝統芸能である歌舞伎は、存在こそ誰しもが知っているものであろうが、実際に見たという人は本当に一握りであろう。私もテレビで一部を見ることがあるだけで、ちゃんと見たことは無い。
しかし本作品はその大部分が知らないであろう歌舞伎という世界に観客を引き込むことに成功しており、魅力的に感じさせることが出来ていると思う。
どうしても主演二人の評価に偏りそうであるが他のキャストも非常に良かった。
子供時代を演じた黒川想矢さんと越山敬達さんの演技も良い。
おかみさん役の寺島しのぶさんも素晴らしかった。
この日本の古典芸能を扱った作品の指揮を執ったのが李相日監督というのにも驚いた。
もっとも、李相日氏の作品は過去にもフラガール、悪人など良質な邦画を沢山撮られている方ではあるが、日本人でさえ過半数歌舞伎の魅力というのを一本の映画として最大限に見せていると思うし、この作品を見て歌舞伎を見てみたいと思った人も多いだろうと思う。
李監督は本当に上手いなと率直に感じた。
歌舞伎の魅力もそうだが、映像が本当に美しく是非劇場で見て欲しい作品です。
気迫に飲み込まれる
映像、演技、音楽、全てにおいて熱量、気迫が凄くて最後の最後まで惹き込まれました。
前情報なく見たので、横浜流星さんと吉沢亮さんの立場が予想と逆でびっくり。
しばらく頭の中で整理できず「オレ御曹司だぞ〜」に笑ってしまった(横浜さんが言うイメージがなさすぎて笑)。
ちなみに子役時代の二人も予想と逆でした(全然当たらない!笑)。
個人的には吉沢亮さんに試練が多すぎて、なんで吉沢さんだけがこんな目に合わなきゃならんのだ、光希ちゃんの役の女も嫌いだわー、そもそも半二郎が喜久雄を指名したのが間違いだわ、借金背負わすな!とかだんだん腹立たせながら見ていました。笑
ちょっと腹は立ったけどまた是非見たいなと思います。
とても美しくて良かった!!
まず、序盤吉沢亮の子供のころの役の子がまたうまくて可愛くて良かった!!
やーさんの殺されたところは龍が如くのシーンと被った!(笑)
渡辺謙も渋くてかっこよかった
多分もっと辛くて厳しいのだろうが
かなりまろやか?になってはいると思うが
それすらも想像、妄想して見ているので
全然モーマンタイ
色々な人生模様があり
あーわかるなーという所もあり
吉沢亮くんが屋上で酒を飲んで狂ってるところ
もしかして
この役柄とシーンに没頭しすぎて下の階の人んちに行ってしまったのではなかろうか!?と思った(笑)
けどこのシーンの赤い着物と最後のシーンの赤い着物とでシンクロできて
とても良かった。
流星くんも綺麗で良かった
足がこーなるまでなんで気付かなかったの!!って思ったけど
あそこは原作にかかれているんですか!?
あの役がやりたいってやつ
とかも
ほんとよくて
終始ずっと泣いてた
多分トータル40分くらい泣いてた(笑)
悲しくなくても
綺麗だなっておもって
泣いたりもしてたからね?
役者に思い入れもあるよ!
とくに
吉沢亮くんはフォーゼの時から見てたし
フォーゼのトークショーも行ってるからね!(笑)
生身もみてるけど
あの、若かったころから注目していたが
まさかここまできたなんてね
それもとても嬉しくて良かった。
そしてバンギャだから白塗りというだけで嬉しいしね!!
音楽も良かったなー
最後の歌もあってた!!吸い込まれるような歌で終わって
綺麗だった
涙止まらんかったわ
だが4止まりの理由は
これを買ってまで何回もみるかなーとはならんかな
もう満足した!
でも
見てからずっとあのイナバウアーみたいなやつ真似してずっとやってるよ(笑)
私もあそこまでやってたら
それるようになるのかな?(笑)
もっと長くても良かったかも?
各所で絶賛されているのには、納得の贅沢な映画でしたが、後半の駆け足感は、すでに何人かの方が指摘されている通りだと思います。主人公が人間国宝になるところを結末とするなら、もっと長くないと厳しいのかなぁ、もっとじっくり観たかったなぁと感じました。
今作の尺である2時間55分ならば、吉沢亮さんと横浜流星さんの(擬似)兄弟2人の人間関係にグッと絞り込んで描いてもすごく濃厚な作品になったのではないかなと… なんせお2人がとても素晴らしいので。
(以下、シーンのネタバレあり)
勿論素晴らしいシーンがたくさんありますが、特に、冒頭の料亭での襲撃〜父との別れのシーンが素晴らしいと思います。
父の組の敵対勢力の襲撃のさなか、少年喜久雄の才能を一瞬で見込んだ渡辺謙演じる半次郎が、少年ながら加勢しようと鉄火場に飛び出そうとする半次郎を宝物を抱えるかのように覆い被さって止める。ガラス戸越しの2人の視線の先は、雪の降っている料亭の中庭で、父がたった1人で大立ち回りを演じ、最後には敵の銃弾に倒れる。
永瀬正敏さん演じる組長である父親は、死を覚悟し喜久雄を一瞬見つめる。それはさながら一世一代の大芝居を演じる千両役者のようです。ガラス越しに目線が合う少年喜久雄は、その雪の中での父の最期を見るだけしかできない。のちの喜久雄の人生を決定づけてしまうこの情景は、悲しくもとても美しいシーンだと思いました。歌舞伎役者となり、舞台効果の花吹雪に執着することになる喜久雄の原風景は、まさにここに由来しているのだと思います。
のちに、茶屋デビューをした少年喜久雄が、見上愛さん演じる舞妓に故郷 長崎の事を聞かれ答えます。
「長崎には滅多に雪は降らない…」
それまでの喜久雄の壮絶な人生を思うと、こんな何気ないセリフも喜久雄にとって重いものだと分かります。次回は、雪と桜吹雪という重要なテーマが、映画の中でどう扱われているかに気をつけて観てみたいです。
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