国宝のレビュー・感想・評価
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芸を極めるということ
3時間飽きさせないテンポ感でもっと描いて欲しい部分もあるくらいで、切り詰めて切り詰めての3時間なんだと思う。歌舞伎の世界に復帰できた理由に関わる部分や人気絶頂の演目も見てみたかった
人間国宝の芸を見たことがあるわけでもないので何とも言えないが、芸に魂を売ることの意味。あらゆることが芸の肥やしになると言われる世界で、血筋の理不尽さに葛藤することや、芸のために他者を利用すること、婚外子を作ること、義兄弟の将来を奪ってしまうこと、仲直りをすること、義母の心無い言葉、義父の執着、自分の才能に溺れること、挫折、あらゆる経験が芸に反映されて、老人といわれる年齢の男性が若い娘を演じる際にこれまでの自身の経験や自分が傷つけた女性のことを思い出すように演じることで細部に神が宿る。そうゆう歌舞伎の世界があることを描いた作品なんだと思った。だからこそ国宝になれたのは全ての人をおかげなんだと本気で思っている、婚外子のことも最初からわかっていたけど芸のために必要な過去であった。ここで謝ったりするのは自分の芸の到達を否定することになるので、謝ったりはしないけど人のおかげで到達できたことを理解しているし感謝している。そうゆうことと解釈した。
別世界すぎて共感とかはできないけど、綺麗事じゃない世界の美しさ、儚さを感じて納得させられた。
病室での曽根崎心中の練習シーンと結婚式場の屋上のシーンが個人的にはベストアクトだった。
生きる覚悟が物語を熱くさせる「国宝」
映画「国宝」がこれほどまでに惹きつけられるポイントに関して自分なりに考察をしてみた。
要約すると以下となるだろう。
1. 脚本(構成)・セリフ
2. 俳優の演技
3. 映像美/音楽
どれも素晴らしかったが、1に関して深掘りしてみる。
まず、主人公である吉沢亮演じる喜久雄の運命を決定づける事件として、父親を目の前で殺害される事件が起きる。
そして復讐を試みるが失敗して、身寄りのない喜久雄は歌舞伎の世界に入っていく。
そこから彼の復讐は父を殺した男を殺害する代わりに、銃よりもナイフよりも強力な「芝居」を極めることで復讐を果たすことを目指していく。
映画の後半で喜久雄が「ある景色を求めている」といったセリフがあるが、映画のところどころに登場する雪が降り頻るシーンはまさに父が殺された時の光景であり、彼の復讐が始まった原点である。
復讐を完遂させるため、彼は「復讐の悪魔(鬼)=芝居の鬼神」となって日本一を目指すことになる。
この「父を殺される」シーンが彼の運命を決定づける訳だが、単に歌舞伎に入るきっかけのようにも見られてしまい、
彼の演技に対する動機というのが少し分かりずらいというのはあったかもしれないが結果的に分かりづらさ故に何度も見る方が多くいたとも言えるのではないか。
分かりずらいシーンで言うと、一生添い遂げると言っていた幼馴染が、横浜流星演じる俊介の元に行ってしまったのも、
のちに子を授かる芸妓と関係を持つことにより、個人的には理解できた部分があった。
喜久雄の幼馴染は、喜久雄のことを誰よりも理解しており、芝居の鬼神となり「自分だけの男」ではなくなってしまったことを理解していた。
「永久に自分の男」にならないと理解してるからこそ、彼を諦め俊介の元に行ったのではないだろうか。
喜久雄が3代目を就任した際に、元芸妓との子供が「お父さん」という呼びかけに応じなかったのも彼はもう「父=人」ではなく「芝居の鬼」となったからだろう。
最終的に芝居の世界で国宝となり、彼の復讐=見たかった世界を成し遂げることになる。
個人的には、この復讐という脚本のエンジンがこの物語を深くそして狂気の世界を創造していく訳ではあるが、
彼がなぜそこまでこの復讐にこだわったのか、また復讐の先に彼は何を感じたのかというのはもう少し見たかった/理解したかったと感じてしまった。
イプセンが「人形の家」を作って以降、物語に「生き方」を求めてしまうようになってしまった観客である我々に、
喜久雄が問いたかった生き方というのはどのようなものだったのだろうか。それは見たものの「覚悟」によって景色は違ってくるだろう。
何がこの映画を特異にしているか
2回目の鑑賞(前回は8月1日)。1回目は主人公の喜久雄に感情移入していたようで、最初の道成寺で泣き終えて、そのあとはやや感動の押し売りの感がしたが、今回はシュン目線でも観れたせいだなのか、後半も泣けた。
>>『国宝』は若いアイドル的な俳優が主演とあって、若い観客層を動員している
そういう地域もあるらしい。わたしが見た回は2回とも間違いなく50代以上がほとんどだった。(ブログの書き手にとっては50代は若いんだろ、との忠告も頂いた。確かに。)
嘘つきや裏切り者に罰があって観る側は満足するわけで、裏切りがあるとすれば万菊と春江になる。2人への罰を望むむきはまずないだろう。この作品の何が観客に満足を(満たされない現実生活の救いとなるものを)与えているか。そこを考えるときに、ワイドショーの観客インタビューにあるような映像の美しさとか役者の芸達者ぶりということを書くつもりはない。
自分が役を獲るために、息子に役を与える為に、権謀術数をめぐらしライバルを蹴落とすことがない。登場人物にさまざまな障害が降りかかるが、陥穽にはまるわけではない。おかみさんは菊ちゃんをキタナイと言うが息子に対してもキタナイと言う。
この映画は、嘘も策略も皆無ながら観客を飽きさせないという意味で、清廉潔白だと言えるだろう。「てな感じで言ったら(怒ったら)オモロいんやけどな」の台詞のとおりに、僻むにしてもありきたりな僻みはない。勧善懲悪を目指すドラマティックな展開と一線を画している物語の清浄さが多くの人を魅了して飽きさせないモトなのかもしれないと思った。
原作が良すぎる分どうしても…
原作を読む前に一回鑑賞をし、原作を読んでから二回目の鑑賞をしたレビューになります。
どうしても、モヤモヤが消えないのが正直な所です。やっぱり徳次がいない、彰子がいなくなる、客席との境界が消える、喜久雄が俊介のような時期を過ごし、歌舞伎から離れているような描写がある、そこから復帰、足の切断までが早すぎる、喜久雄の辿り着いた先が違うなど、原作との相違点が多すぎてしまい、作品に没入出来ませんでした。
やっぱりNetflixなど、資金を投じてドラマで見たい、それか原作のように上下で分けて欲しかったです。徳次がいたから喜久雄はやっていけていましたし、彰子さんは喜久雄を支え続けていますし、何なら綾乃との関係も無くなっていません。原作のネタバレになるので控えますが、喜久雄はもっと歌舞伎に身を捧げて、ずっと躍り続けます。それが無くなってしまっているのが一番寂しかったです。
色々と書きましたが、それでも歌舞伎のシーンは素晴らしいです。徳次のセリフも、他のキャラが言っていたり、暖簾にも徳次の名前があったりということはありましたし、三時間で徳次は無理だったんだろうなとは思いました。
本当に演技なりセットなり音楽なりと、様々な熱量が素晴らしい分、脚本が気になってしまうというのが正直な今の感想です。
納得の高評価 ストーリーはあえて単調で良い
公開から2ヶ月以上経ってしまったが、映画館で鑑賞できて本当に良かった。配信されてからでいいと思っている人は、できれば映画館の音響と大きなスクリーンで観てほしい。歌舞伎を観るという観点からも、観客席に近い環境が大事だと思う。
一見、「わかる人にはわかる」系の映画かと思うが、意外にも理解しやすく、一般の視聴者でも場面ごとのテーマを感じ、考察しやすいのも大ヒットの理由の一つと考える。それが物語に空白がないとか、ストーリーが単調だという一定の低評価にも影響しているが、個人的には歌舞伎という馴染みがなく難しい題材だからこそ、良いバランスだと考えている。
また色も重要なテーマの一つで、真っ白な雪の庭の中、真っ赤な鮮血が流れる父が撃たれるシーンと、女方の真っ白な肌と真っ赤な唇・隈取はリンクしている。父が撃たれた悲しみを感じながらも、あの光景は喜久雄にとって最も鮮烈な記憶であり、どこか美しさも感じていたのではないだろうか。
血統に守られ苦しめられた俊介についてや、喜久雄に打ちのめされた俊介と春江が共鳴し合ったこと、二代目半二郎の役者としてと父としての苦悩、女性たちを敢えて深く描かないこと、など多く考察されている点については、概ね他の人の意見に同意する。
ただ、前述したようにストーリーが単調だという意見に対しては、ドロドロした人間模様や騙し合い、あっと驚く展開は作品をチープにしてしまうと思い同意しかねる。逆に登場人物全員が悪意を持って行動していないのが、この作品の長所だと思う。
歌舞伎に対しての知見は全くないことを最初に断っておくが、吉沢亮と横浜流星、また子役の2人の演技は圧巻だった。
吉沢亮さん、ただの超絶イケメンだと思っててごめんなさい。万菊さんの言う通り、顔があまりにも良すぎると芸を見てもらえないこともあるんですね。
そういえば、喜久雄(キクオ)と万菊(マンギク)の音が共通していることは何か意味があるのか。少ない登場人物の中、音を重ねず名づける方法はいくらでもあると思うが...
吉田修一のスゴさとヌルさ
面白いよね。
観てて「さすが芥川賞を獲ってからエンタメ路線に転向した作家の作品」と思ったもん。
でもグレてしまった横浜流星が戻ってきて、今度は吉沢亮が追放されてしまうあたりで「ん?」と思うのね。
なんとか吉沢亮も戻ってきて、そしたら横浜流星が足を切り落とさないといけないってとこで「んん?」と思うの。
しつこいんだよね。この作品、そこまで「こっちを苦しめます、はい、次はこっち、ついででもう一回こっち」ってやらなくても描けそうな気がすんだけど。
普通のエンタメ作家がやってるなら気にならないんだけど、吉田修一だからね。《パークライフ》で芥川賞とった。ちょっと一言いいたい。
同じことの繰り返しになっちゃってる気もするけど、みんな繰り返し好きだから、多分、いいんだろうな。
みんな、なんとなく収まるところへ収まっていくけど、森七菜が可哀想だね。
完全に利用されただけだもん。「お、森七菜でてきた」と思ったら利用されてるからね。
役者はみんな良かったけど、なかでも高畑充希よかったな。
横浜流星が逃げ出す前後の演技がすごかった。久しぶりに高畑充希を観た。
吉沢亮は、芸に精通するにつれて、色んなものを失うんだよね。
見上愛は最初から「二号さん、三号さんでいい」って吉沢亮と真剣に愛し合おうとしないし、高畑充希は結婚を申し込まれても身を引く形で断る。
この辺が不幸といえば不幸だけど、自ら望んだ不幸で、芸を手に入れたからいいんだってことだね。
最後に三浦貴大が「あんな風には、生きられねえよな」と我々を代表して言ってくれるね。
観てる間『こんなシビアな世界に身を置かなくて良かった』と思いながら観てたからね。
ラストで出てくる瀧内公美もさすが。
これだけの出番で、とても大事な台詞をビシッとやり切れるのは瀧内公美ならでは。
あと映像観てて、1970年代の日本はきれいだなと思った。
日本の勢いが衰えていない頃というのが大きそう。
それでファッションがいまとほとんど変わらないね。横浜流星や吉沢亮の衣装でそのまま令和に来ても違和感ないもん。二周回ってトレンドになってんの。
そして映画は大ヒットしてるけど、分かる。
令和の映画といったら《国宝》が挙がる作品になる気がする。
李相日監督の手腕も確かだね。
題材の歌舞伎は日本人のDNAに刻み込まれてると思うんだよね。ここを扱うと響きやすいんじゃ。
それに「芸のために全てをささげる」っていう、なんなら「芸道」の感じが、日本人はそもそも好きだった。
芸に身を捧げて舞台上で死ぬのも好き。
世襲のボンボンを叩き上げの実力者が倒す構図も大好き。
こういうのを集めて、きちんと捌く吉田修一は凄い!
でも、そういうのは直木賞作家に任せておいて、芥川賞作家はもっと文学っぽい作品を書いてくれないかなあ。なあ、修一!
前半の良さが最後まで引っ張ってくれた
全然俳優さんの名前とか知らないからずっと子役で成長物語かと思って見に行ってた。 オーブニングのカチコミというのかなのセットも良かった。 子役がまた良い。 彼らが一生懸命歌舞伎の練習をして型を身につけようとしているから色々説得力がでてくる。 国宝の歌舞伎俳優の演技を観て感動したりするのも練習の賜物だしなぁとか。 肉体の酷使とか見てると演技と言っても歌舞伎は西洋でいうところのバレエに似てるのだなと思った。 主人公が歌舞伎一家の跡継ぎに選ばれるまでは本当に面白かった。その後ちょっと中だるみしたように思ったりもしたしラストは何となくこうなるなぁという展開だった気がする。何処か中国映画の覇王別姫を思わせる。観てない人は見て欲しい。良い映画。製作側としては歌舞伎も世襲ではなく実力でしょ、
が裏のテーマかなと思った。露骨に言ったら歌舞伎界も協力してもらえないけどまあよくある話なんでしょうねで進めたのかな、と思った。 憧れの国宝の俳優さんも最後老人ホームにいるところを見るとあの人も実力でトップまでいったけど天涯孤独の人だったんだ、何処かの家の人じゃなかったんだなと合点がいった。 主人公のライバルの跡継ぎになる筈の人が贅沢三昧で糖尿病で足を失うという所に因果応報とか家柄より実力という裏テーマを感じた。 親が息子でなく主人公を選ぶ所にもう少し葛藤があってもとか思ったが難しいかな。原作読まないとね。 江戸時代の頃は家は法人みたいなもので優秀な人間を養子に入れて後を継がせるなんて当たり前だったようだけど歌舞伎はどうだったんだろう。血の繋がりを意識しはじめるのは明治以後だそうだけどね。
抽象的な物をどう理解するか
いわば現代アートのような抽象性があった気がします。いかに寛容に柔軟に内容を受け止められるかが重要なのかなと思いました。
飛び飛びでわかりにくい部分が多かったです。説明されないと気持ち悪いともう方も少なからずいらっしゃると思います。
しかし、ここに「想像することが出来る」というものが隠れているような気がしました。やはりこうなるのか、いやこの事があったからこうなるのか。など3時間があっという間でした。
音楽が素晴らしかったですが少し頼り過ぎでもあるのかなと思いました。ただ、音楽に頼らないきめ細やかなセリフのみのシーンはそれに負けないくらいとても綺麗でした。
気楽に、見たものを自分の中にすっと落とし込むことではまる映画だと思います。そうすることで自然と鼓動が映画についていってました。
想像できるという一面もありましたが、ただただ美しかったです。
なぜ国宝となったのか?
国宝を初視聴。
ポップコーンとコーラを購入し臨んだが、ほとんど手をつけずに終わったほどに、あっという間の175分だった。
視聴後も気づけば小一時間ほど各種歌舞伎の場面が頭をよぎる時間が続き、心地よい放心状態だった。
落ち着いて映画を振り返って気になったことがひとつ。
なぜ喜久雄は、血の繋がりが無い中で数少ない歌舞伎界の味方であった俊介が逝去した後、国宝となれたのか?
血の繋がりは喜久雄が映画を通して求めてきたものであるにも関わらず、結局それが無い中で大成出来たのには、どのような行間があったのか。
劇中劇を通して、裏方にハイライトが多く当たっていたように感じた。歌舞伎の一舞台には多くの人が関わっているのだと思った。
普通に考えると、必須なのは血の繋がりではなく人との繋がりであり、血はその手段でしかないのではないかと思う。
国宝となるためにも人との繋がりが必須なのだろうか。
喜久雄は国宝へとなる過程で、何をもって人との繋がりを築くことができたのか。
無粋と承知で、何があったかを知りたいと思ってしまいました。
良かった。ただ腰が痛くなった…
上映時間2時間50分と事前の広告が20分。3時間以上も座っているのは少し身体に負担がありますね
上映する劇場がどんどん減ってるのでやっぱり見れるうちに見とこうと思いました。
ほぼほぼ満員の劇場でみるのは気分が良かった。
内容は御曹司と拾われた子の切磋琢磨してる姿がとっても良かった。
本物の歌舞伎役者のようでした。
と、私はこんな薄っぺらな感想しか言えないのが悲しい。
気になる皆さんはぜひ劇場に足を運んでもらいたい。
鬼滅の刃に被らなければ、と悔やまれます
観にいく前に事前予約するのをおすすめします
ところで分かる人コメントで教えてほしい。
隠し子?の男の子って誰の子なんですか?
あとあの女の子は3代目(のちに5代目襲名した)人の子なんですか?
高畑充希が奥さん役してた人の子です
悪魔にお願いした、といっていたのは
半弥だったような気がして
教えてくれたら嬉しいです
よく夫に読解力がないと言われます
その通りです。
芸の道
映画を見たという感じが、すごかった。
舞台、演者、観客、3つが揃っての歌舞伎、血の継承。技を身に付けてとそれざぞれの葛藤。
ステージに立つために、努力して、厳しいスタンスで臨んでいるのは、歌舞伎だけでなく、他の芸事も同じとも感じました。
人間国宝に上り詰めたところで、娘から言われたことと、それでも舞台には引き込まれたこと。ドキュメンタリーを観たかのようなドラマでした。
振り付けをピタリと揃え、周囲のスタッフや曲、演出、ステージを支える人、観客を楽しませるアーティストも根本は同じなのかなと。
東宝で良かった。
松竹が悪いとかじゃなくて、
松竹が作ったら本物が豪華出演して、
歌舞伎のドキュメントみたいになって、
テーマを描ききれなかったのでは?と思う。
ほぼ歌舞伎界の人が出ないことで、
フィクションの世界の空気が揃い、
全ての「表現者の性質(さが)」の作品になったと思う。
これは歌舞伎を見せる映画ではなく歌舞伎役者の人生を見せる映画だから
歌舞伎の演者が全員、その役として歌舞伎を演じていたことが
本当に素晴らしかった。
吉沢亮は叩き上げの天才の歌舞伎を、横浜流星は優しい御曹司の歌舞伎を、田中泯は歌舞伎そのものになった人の歌舞伎を。
個人的には冒頭の料亭のシーンが一番好き。
魅入ってしまいました
歌舞伎には特に縁はない人生でしたが、歌舞伎シーンを含め演技に引き込まれました。
芸を愛し芸に愛された喜久雄に俊坊や春ちゃんは、振られたもの同士みたいな感覚だったのだろうか。
壊死していると思われる俊坊の右足に喜久雄が…のシーンは鳥肌ものでした。
フィクションなんだけど、彰子はその後幸せであってほしいな…とか考えてしまいました。
いつもいっぱいだったので、ようやく見に行けましたが、それも納得の映画です。
国宝
個人的な感想から入ると公開から2か月のミニシアターだったが昼間の良い時間帯を選んだ為か最後の1席でした。
1番前で観たので大きなリビングのスクリーンで見ていた感じでした。
3時間は長いのにエンドロールでは誰も席を立たずでした。
吉澤亮がとにかく美形。今の大河ファンなのに横浜龍星より感情移入出来てしまった自分が意外でした。
歌舞伎のテーマ以外にも糖尿病だったり不倫だったり、ありそうなことがあちこちに当たり前のように描かれていて時代設定が40年前だけどこの頃もこうだったんだなと思った。
国宝の取材のインタビューのカメラマンが娘で大人になっていて、ここで涙腺が少しやばかった。
3時間は長いけど、いい見応えのある映画でしたね。
主人公に厳しすぎる世界
とりあえず観終わって、最初の感想は「主人公にきつすぎる世界すぎるだろ。。」でした。
今作は主人公がかわいそうになるくらいほんとにひどい目に合います。
ただ、救いがなかったかというと若干はあったので、抗争で亡くならずに済んだのは良かったのかなーと思いました。
吉沢亮さんの演じる主人公喜久雄は、ただ生きるために一生懸命に与えられたこと(歌舞伎)をやっていただけなのに歌舞伎の世界は認めてくれない。それでも生きていくしかない、辛さを描いた作品だと思います。
私が観た感想なので、みなさんとは違うかもしれませんが主人公はただ普通の友情や普通の愛情が欲しかっただけなのだと思いました。
ただ、それは最初の学生時代でしか手に入れられず、その後はひたすら特異な人生を歩むだけになってしまった。。
友情という面で見れば、数回俊介と一緒に出演するシーンがあったがそれのみで、以後俊介は亡くなってしまうため、頼れる存在もなくなってしまう。
愛情という面で見れば、序盤に幼馴染も舞妓の方も2番手で良いような発言をし、主人公が得たい「普通の愛情」というものは得ることができなかった。
それだけなのかというと主人公の頑張りを見ていた人もいたため、それで少しは救われたのかなと思います。(それは舞妓の方の娘であったり、以前の人間国宝であったり)
また、主人公は以前の人間国宝のように人知れず亡くなっていくのかもなーと思いました。
(主人公には芸を磨く以外できることはないので。。)
ふと思いましたが、幼馴染とあのタイミングで結婚をしていれば、得たいものは全て得られたかもしれませんね。
言葉で言い表しにくいのですが、見てて感情が揺さぶられる作品でした!
少なくとも近年の邦画では1番観て良かったと思えた作品です。
どうせ邦画は面白くないと思っている方いましたら、ぜひ!と思います。
感想見てくださった方ありがとうございました!
歌舞伎や映画作品を期待してみるとイマイチかも
評判通り面白く3時間集中できた
役者あるあるの酒、女、名声欲が良いタイミングで給仕され飽きさせないのは非常に演劇的だと思った
原作の省き方、時間の飛び方も併せ映画脚本というか演劇脚本寄りと感じた
歌舞伎を扱っているが伝えたいことは人間を経て役者という生き物に成ってしまった舞台人の在り方なのかな キャスト陣の中でも一番の役者ともいえる渡辺謙の配役 身体で感情を表現する役者に「綺麗な顔は邪魔」という台詞を舞踊家に言わせる 役者によって台詞は同じなのに表現が変わる 自分の感情は無く相手が求める「周りの皆様のおかげ」と答えるシーンは特ににそれを感じた
映画は監督のもの、演劇は役者のものというのがよくある作品だけど主演のパワーで演劇的要素が強まっていると思う
努力を見せないのが芸であり歌舞伎なので、この作品の努力が伝わる歌舞伎はそこを求めると低評価になるだろう(歌舞伎役者を出すのは筋違いだし映像と調和しない)
任侠の息子である必要性、原作で描かれている徳ちゃんや嫁、子供の物語もバッサリカットし一応出しました感(森七菜はかわいいのでもっと見たい)年代ジャンプも多くストーリーを映画に求める人には国宝というタイトル含め意味不明でしかない
歌舞伎を題材にした長編小説を直接映像表現にするのは難しいので演劇手法も利用して映画にしたという構造があるのかなあと割り切って見るとその表現手法が歌舞伎にも思えてきて無茶苦茶面白かったです
とても美しかった。
でも、光には影がある
3時間もの大作とはいえ、原作小説を読めば書かれていない部分がわかるのかもしれない。
主人公に共感するのではなく、客観的に観ている映画だったように思った。
歌舞伎を踊り始めた理由は好きだったからなのかもしれないけど、人に振り回される人生だなと感じた。
自分で選んだのは背中の入墨と復讐だろうか。
ひかりモン相手にチャカを出すな卑怯者。
筋を通しましょう。
で、そこから、始まる人生。
ただ、楽しいだけ、稽古をして上達をしていくのが楽しい年齢から、実力だけをつければ良いと言う話ではなくなってくる、自分ではどうにもならない血筋。
周りが反対しても、世襲された芸名。
世襲制でしか支援者が許さない世界で、後ろ盾がなくなったことで追われる人生。ドサ回り。
そこでの経験も芸の肥やしになっているのか。
そして、時代背景の書き方が見事だった。
昭和から現代の世論
2号でも3号でも良いと言われてそのようにしていたけど、これもまた時代。子供が可哀想なのに。
その辺の道徳心も歪んでいた時代の書き方もお見事。
若さ故に、苦労する事も厭わず恋愛に生きようとしているのもまた時代。
この逃避行の間、彰子の顔も全く見てないし全然表情も出さなかったし、何も語らなかったのが印象的だった。
歌舞伎を見たのは一度だけ。
女形の所作の美しさに惚れ惚れした。
今回の役を演じるにあたって相当な努力をされたんだろうなと感じた。
子役もお見事。
歌舞伎に詳しくなくても、知っている演目だったのも世界に入り込みやすかったのが良かった。
思っていた以上に歌舞伎は周りにあるもんですね。
意外に面白い
歌舞伎という世界で展開しているワンスアポンアタイムインアメリカの2人の関係性、友情、一生涯の道のり的な人生ロードムービーという感じ。
観る前のイメージとは良い意味で違います。
長い感じしなかったです。
敬称略で失礼します
吉沢亮と横浜流星、師範の渡辺謙の鬼気迫る演技や歌舞伎世界の厳しさ、辛いけど青春を捧げて役者世界にのめり込んでいく成長過程は見て取れました。
ですが如何せん2人とも下半身が自由過ぎませんか?
人間国宝になって居ますが、関係を持った芸妓と子供を存在しない物のように放置。その他にも女の子利用して歌舞伎世界を去る。
ライバルの半次郎(横浜流星)は菊ちゃん(吉沢亮)の彼女横取りして駆け落ち。歌舞伎世界から逃げ出したくせに父が死んだら子供連れて何食わぬ顔で出戻り。
歌舞伎役者2人と幼なじみの女の子の三角関係を描いている気もしますが、彼ら全員自分勝手な人間という印象を受けました。
悪魔と取引をしたと言っていましたが、バチが当たったと個人的には思っています。
みなさん吉沢亮の顔の良さで誤魔化されていませんか?
最後の台詞「綺麗やなぁ」で全て良かったことにして締めくくろうとしていますが、その景色にたどり着くまで人としてやっていることは最低です。「こんな人でも人間国宝になれてしまうんだ」というガッカリ感。劇場で泣いている人が居ましたが共感出来ませんでした。
同じことをされたら許せますか?
高評価レビューが多く期待していた私は正直期待はずれでした。
歌舞伎知識があればもっと楽しめたのでしょうか?
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