国宝のレビュー・感想・評価
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波乱万丈過ぎ
渡辺謙はじめ、国宝級俳優を揃えた作品。
国宝級顔面を持つ吉沢亮は、美しすぎる顔立ちのせいもあり、いまいち普通の役ではリアリティが感じられないけど、今回はまさにハマり役(^^)b
喜久雄の波乱万丈過ぎる生涯を描く本作だけど、あんな挫折したのに異例の速さでの人間国宝になる?みたいな、俺はちょっとリアリティが感じられなかった…
高評価で期待し過ぎたのか、個人的には刺さるものが無かった…
(隠し子の最後の言葉にはちょっとグッときた)
ただ、エンドロールで流れる曲「Luminance」は秀逸で良かった♪
それにしても糖尿病って怖いですね(^_^;)
長い
もうそろそろ終わるかな〜(終わってほしい…) と5回は思った。
邦画に多い演出の、セリフや効果音無しの表情で魅せる手法は、個人的には好きだけど、多用されすぎて後半飽きてしまった。またか…という感じ。
最後に娘が出てくるシーン以降も、いまいち必要性が分からない。その前の喜久雄と俊介の曽根崎心中が良かっただけに、それを超えてこない最後のシーンは必要?
そのへんをバッサリ切って、もっと喜久雄と俊介の和解とかをクローズアップしてほしかった。
喜久雄が俊介と春江をあまりにアッサリ許しすぎて…
結婚を考えた相手と親友が同時にいなくなったと思ったら父親が亡くなった途端急に戻ってきて、今度は自分が追い出されるんですよ?
その時の喜久雄は言葉に出来ないほどの屈辱を感じているはずです。
なのに拳を一発食らわせる程度で、その後も呼ばれたらあっさり戻ってくる。いつの間にか二人藤娘を一緒に演じている。
この時に私の感情が追いていかれてしまった。
小説を読んだらもっと補完されているのかな?
国宝≠人間 なのかな?
悪魔と契約したんや。
でも実際は人を辞めて悪魔にでもならなきゃ、いや悪魔をブチ殺さなきゃ国宝……そう宝と認められないんだから。
そのぐらいのスケールとイメージなのだと思う。
どないしてくれるん?ドライアイになって飲み物飲むの忘れて脱水症状になったわ。
のめり込んで観たわ。後ろのばばぁのお喋りとケータイの着信音に「このクソババア!うるさいんじゃ!」と怒鳴り散らすのを忘れるぐらいに見入ったわ。(でも決して忘れた訳ではありません)
たまらんな。こんなにのめり込んで観る邦画。あったかなかったかのレベルやわ。
正直もったいないなぁ。
こんなんテーマでドラマ化して字幕付けて海外向けに売って行ったらとんでもなく儲けたのに。
そーゆーとこにビビってたらあかんねん松竹。
二人の演技は他の皆さんがレビューしているので書きませんが梨園の妻としての寺島しのぶに高畑充希の二人の顔つき。良かったです。
と言っても寺島しのぶは本家ですから生まれてからずっとこの世界にいた訳ですから。彼女の横には富司純子の残像というか影というかそのものと思えるものがチラチラ見え隠れしたのは私だけでしょうか?
最近は映画館でも歌舞伎が上映されているので、実際の舞台を拝見する事が難しくても身近なものになってきているのでTVやスマホの小さな画面ではなく大きなスクリーンで楽しんでみては?
きっと何かを成すためには、相応のものが対価として必要
前半は歌舞伎のシーンが少し怖く感じた。
歌舞伎をきちんと見たことのない私には、現実的ではない歌舞伎のビジュアルと、力強く綺麗な演技に畏怖の念を抱くような気持ちになった。
だが、見ていくうちに歌舞伎の魅力がなんとなく分かったような気がしてきて、とにかくその綺麗さに魅入ってしまっていた。
終始、何かを一生懸命に頑張れる人はすごいなと羨ましく思っていた。
だが、主人公には歌舞伎しかなくて必死にしがみつくしかなかったのだろう。
父が死に、歌舞伎の世界に入り厳しい稽古の日々の末に輝かしい景色を見たのも束の間、過去の傷痕で人生のどん底へ。しかしまた舞台に立つ機会がきて、だが今度は親友がいなくなり、国宝となった。
そんな主人公の激動の人生を見ていて、言葉にできない胸の苦しさでいっぱいで、ずっと涙が止まらなかった。
私にはまだ分からず、共感できなかったシーンもあって難しかった。
まだまだ人生の経験値が足りないのだろう。
もっといろんな経験を積んだら、分かる日が来るかもしれない。そのときにまたこの映画を見たい。
歌舞伎の魅力
❶相性:上。
★歌舞伎の魅力
❷時代と舞台
1964年(東京オリンピックは10月開催)新年:長崎⇒1965年:大阪⇒1972年⇒1973年⇒1986年:大阪、京都⇒1989年⇒1995年⇒2014年:東京(喜久雄が人間国宝に選出)。
★私が社会人になったのが1964年。
❸主な登場人物
①立花喜久雄〔芸名:花井東一郎〕(✹吉沢亮、30歳)〔少年時代は黒川想矢、15歳〕:この世ならざる美しい顔を持つ。長崎の任侠の一門の生まれ。15歳の中学生の喜久雄は、父親が組長を務める立花組の正月の宴席の余興として歌舞伎を踊る。それが、客として訪れていた花井半二郎の目にとまる。その夜、突然始まった抗争によって父親が殺される。喜久雄は、背にタトゥーを入れ、仇討ちに挑むが失敗し、長崎を追われる。上方歌舞伎の名門の長で看板役者・花井半二郎は、喜久雄を引き取り、跡取り息子の俊介と共に歌舞伎役者としての修業を積ませる。喜久雄は、世襲の歌舞伎界の中で才能を武器に、稀代の女形として脚光を浴びていき、俊介を差し置いて三代目半次郎を襲名する。しかしその重責とプレッシャーにより、心のバランスを崩してスランプに陥るが、上方歌舞伎の当主・吾妻千五郎の娘・彰子の支えを得て復活する。そして、糖尿病のため両足を切断して義足となった俊介を励まし、一緒に舞台に立つ。最後は人間国宝にまで上り詰める。
②大垣俊介〔芸名:花井半也〕(✹横浜流星、28歳)〔少年時代は越山敬達、15歳〕:上方歌舞伎の名門の御曹司として生まれ、看板役者・花井半二郎を父に持つ。生まれながらに将来を約束され、歌舞伎役者になることが運命づけられてきた。喜久雄の親友・ライバルとして共に切磋琢磨していき、京都の歌舞伎座で共演するチャンスを掴み、喜久雄は花井東一郎、俊介は花井半弥として人気を博す。しかし、俊介には正当な後継者たる自負があり、喜久雄には才能だけでは越えられない血筋の壁があった。交通事故により大怪我を負った半二郎が、代役に選んだのは俊介ではなく喜久雄だったため、二人の仲に亀裂が入る。俊介は春江を連れて、歌舞伎の世界から姿を消し、旅芸人となり放浪するが、春江のサポートを得て立ち直り、舞台に復帰し、人気役者となる。しかし、糖尿病で両足を切断することになる。両足義足となった俊介は、喜久雄の励ましを得て、一緒に舞台に立ち、「日本芸術院賞」を受賞した後、帰らぬ人となる。
③花井半二郎(✹渡辺謙、65歳):上方歌舞伎の名門の当主で看板役者。逸早く喜久雄の女形としての才能を見出し、抗争で父親を亡くした喜久雄を引き取る。息子の俊介同様に歌舞伎役者として育てながら、自身も役者としての地位を確立することを志す。
④福田春江(✹高畑充希、33歳):喜久雄の幼馴染で一緒にタトゥーを入れる。喜久雄を追って上阪し、ミナミのスナックで働きながら喜久雄を支えるが、歌舞伎一筋の喜久雄の為を思い身を引く。後に俊介と結婚して子をもうけ、花井の家を支えていく。
⑤大垣幸子(✹寺島しのぶ、52歳):半二郎の後妻、俊介の実の母親で、上方歌舞伎の名門を支える女房。初めは喜久雄を引き取ることに反発するが、喜久雄の役者としての才能に気づいて育てていく。
⑥彰子(✹森七菜、23歳):歌舞伎役者・吾妻千五郎の娘。スランプとなった喜久雄のことを慕い、結婚し、復活させる。
⑦藤駒(見上愛、24歳):喜久雄が京都の花街で出会う芸妓。まだ無名の喜久雄の役者としての才能を予見する。喜久雄の子を出産する。
⑧竹野(✹三浦貴大、39歳):歌舞伎の興行を手掛ける三友の社員。世襲の歌舞伎に対して、冷ややかな態度をとる。温泉街で妖艶な芝居を見せる俊介と出会い、復帰のチャンスを与える。
⑨梅木(✹嶋田久作、69歳):歌舞伎の興行を手掛ける三友の社長。喜久雄と俊介を若い頃から見込んで、様々な大舞台を用意する。
⑩吾妻千五郎(✹中村鴈治郎、65歳):上方歌舞伎の当主。彰子の父。歌舞伎指導も担当。
⑪小野川万菊(✹田中泯、79歳):当代一の女形であり、人間国宝の歌舞伎役者。若い頃の喜久雄と俊介に出会い、2人の役者人生に大きく関わっていく。
⑫立花権五郎(✹永瀬正敏、58歳):喜久雄の父親で長崎・立花組組長。組同士の抗争によって命を落とす。
⑬立花マツ(宮澤エマ、36歳):長崎・立花組組長の権五郎の後妻。血は繋がらないが、喜久雄をヤクザの世界に巻き込まないように尽力する。
⑭徳次(下川恭平、20歳):立花組の住み込み舎弟。喜久雄とは兄弟のように育てられ、喜久雄が花井半二郎に引き取られた際にも同行して喜久雄をサポートする。
⑮女性カメラマン(✹瀧内公美、35歳):人間国宝に選ばれた喜久雄を取材する。最後に喜久雄と藤駒の娘であることが明かされる。
❹まとめ
①任侠の家に生まれながら、歌舞伎役者として芸の道に人生を捧げ、人間国宝に選ばれるまでになった男の激動の物語。
②歌舞伎の奥深さ、美しさを描く物語は1964年から始まり、70年代、80年代、90年代へと進むが、サクセスストーリーではなく、人物(主人公以外に関連する人物も含む)の努力、成功、歓喜、葛藤、苦悩、挫折、転落、復活、狂気、得るもの、失うもの等々、プラス面とマイナス面とをバランスよく描いている点に説得力がある。
③一番の驚きは、上方歌舞伎の名門の当主で看板役者の二代目半二郎(渡辺謙)が、ピンチヒッターとして、跡取り息子の俊介(横浜流星)ではなく、父がヤクザの喜久雄(吉沢亮)を選んだこと。血筋ではなく才能を選んだのだ。この時点では、三代目半次郎を継ぐのが喜久雄か俊介かはまだ未定であるが、喜久雄が一歩リードしたことは確かである。落胆して家を去る俊介の気持ちがよく分かるが、選ばれて張り切りと戸惑いの両方を持つ喜久雄の気持ちも分かる。そして、苦渋の決断をした半二郎の気持ちも分かる。上手い脚本である。
④本作には、幾つかの名作歌舞伎が登場する。それ等の内容を知っていれば、本作の理解と感動がより深まったのではないかと思われるが、残念ながら門外漢である。
⑤しかし、演じた吉沢亮と横浜流星の踊りには感動した。圧巻・絶品・見事である。大勢のキャラとエピソードが登場するので、中には共感出来ないこともあるが、この2人の熱演を観られただけで十分である。
⑥舞台の魅力も伝わった。
⑦歌舞伎のことは全くの素人である私だが、若干の接点はある。
ⓐ現役時代、銀座の歌舞伎座から徒歩5分の目的地に出張することが数十回あり、要件が早めに終了した時に観た公演が2回あった。
ⓑ名古屋の中日劇場でも歌舞伎公演があり、1回観ている。
★上記3つは30年以上前だが、今では内容は覚えていない。
ⓒ中日劇場では、ジャンルは異なるが、市川猿之助(三代目)の「スーパー歌舞伎」の全作を公演していて、その全部を観た。
★こちらの内容は今でも覚えている。
⑧本作を観て、「秀でた芸術を生み出すには、並外れた努力と、既存の概念に囚われない発想と、既存の価値観に挑戦する決断力等が必要なこと」がよく理解出来た。美しく感動的な芸術の裏には、芸術家の葛藤や、苦悩や、たゆまぬ探求心があるのだ。
★長嶋茂雄や大谷翔平等、超一流のスポーツマンも同様と思う。
⑨原作は上下2巻720ページの長編で、本作も175分の長編だが、近年流行りの前後編に分けて2本にするのではなく、1本にまとめた力量は見事である。
禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…か。
凄いものを見せられたナという気持ちはしています。
観賞以前からキャスティングが逆じゃないか、吉沢亮と横浜流星が逆の役をやった方がシックリとくるんじゃないのか、もっと良い作品になったんじゃないのかというのが有って、観賞中もますますその思いを強くしていたのだけれども、それでも途中から段々とそんな事どうでも良いヤと思う様になって来ました。
人生というのは生まれた時代や場所や境遇を背負って、死ぬ迄その役柄を演じ続ける事に他なりません。他人の人生を生きる事は出来ないし、他人の境遇を羨んでもその人間に成り変わる事は出来ないのです。
それは俳優の演技にしても全く同じ事が言えて、あの人の役の方が良かった、この人の役の方が良かったと言っても仕方が無くて、自分が与えられた役の中で懸命に生きる、与えられた役の中の人生を生き抜けるという使命を果たすという事に他なりません。
そういう意味では二人は間違いなく与えられた役柄の人生を生き抜いていたし、その人生を全うしたという事が出来るのでしょう。
禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…
父親の敵討ちを戒め、将来を誓う証に背中一面に彫り物を入れたハズの喜久雄と春江は、それでも遂に結ばれる事は無かったし、実子の俊介を差し置いて花井家の後継に指名されたハズの喜久雄の見た夢は、半二郎の本心を悟ると時を同じくして音を立てて崩れ落ちて行きます。
それでも失ったハズの人生は、何処かで帳尻が合う様に出来ているのかも知れません。最後に悪魔との取り引きは果たされたのだという事を観客は知りますが、その喜久雄に笑顔は有りません。
「順風満帆な役者人生を歩んで来られて…」と事も無げに発するインタビュアーの問い掛けに、「皆様方の支えがあって此処までやってこられました…」と面白味の無い定型句を返答する喜久雄の人生の壮絶さを、けれども我々観客は知っています。
人は与えられた自分の人生を全うする事でしか、自分自身の役割を果たす事はきっと出来ないのだろうという事、そういう事をつくづくと考えさせて貰いました。
原作の吉田先生は、映画『楽園』の原作者でもあるとの話。
映画『楽園』も以前に観賞しましたが、奇をてらった感じが凄くして自分は駄目だったのを覚えています。こちらの作品は人の持つ業だとか宿命の様なもの迄をも深く感じて、とても強く心を揺さぶられました。
先生も…腕を上げましたネ…なんてww
原作読んで楽しみにしてました
原作読んで楽しみにしてました。吉沢くん、流星くん、綺麗ですね。短い間に歌舞伎の所作を身に着けて、役者ってすごいと思いました。
でも、ストーリーは • • •え!いじめ?
救いの徳次は初めしかいないし、終わりの「河を白くする」って原作の話好きなんですけどね。
一家でいじめです。
恩義を感じている人に向かっていいたい放題のおかみさん、名跡継がせときながら息子の名前をつぶやいて倒れる半二郎。俊介だって出たり入ったりして喜久雄の立場も考えない(原作は葛藤がありますが、映画は感じられない)
ほんと、襲名興行のときの幕を閉められた後の「俊ぼう〜」と聞かされて喜久雄のどうしていいのかわからない顔、吉沢君の演技が心に残ります。
少年時代の喜久雄の演技(黒川くん)素晴らしいですね。
あんな風には生きれないよな〜
はじめのシーンで何故ヤクザの父親が憎しみの感情を持って人を斬る狭間、よく見ておけ!と叫んだのか疑問だったが、最後になって漸く理由がわかった。主役も最後に人を斬る描写があるが、それは友への愛情からであって憎しみではない。本当の意味でカタギになれたのではないか
タイトルなし(ネタバレ)
家族で鑑賞🎥
絶対映画館で見たかったので、
行けて良かったです!
大迫力で、音楽、映像とてもいい。
吉沢亮の演技がとても魅了されました✨
歌舞伎一筋で生涯それしかいらないって
思える喜久雄が、羨ましいなって思いました。
命かけて、努力したことが
人生にあるのは素晴らしい。
歌舞伎って素晴らしい日本舞踊ですね。
楽しみました
踊りの謡のシーンがたくさんあり歌舞伎に疎い身には楽しくみることが出来ました。経験者や目利きにはまた違う感想があるのやもしれません。
物語の筋や展開がどうというより血やしきたりといった世界を垣間見ることが主眼の作品。
説明も最低限でノイズが少ないのも良かった。
寺島しのぶさんや渡辺謙さんらの大阪弁は…調子がズレてたなあ。舞台が上方なのでその言葉を使ったのでしょうが…関東弁でも良かったのかもね。
あと昭和40年代の大阪はあんなに綺麗な街ではありませんでしたよ。リアリティラインとか気にする部分ではないのですが、NHKの朝ドラみたいな画面に感じました。
懐かしい街並みを再現することには力を割かなかったのかも。
残酷なシーンもドサ回りのコミカルなシーンも田中泯も再起もすべては舞台を際立たせるため。
ミュージカル映画のように気軽に楽しめました。
良かった。
主演2人が何となく好きではないので良かったのが悔しいくらい。大河の主役は伊達じゃないんだなぁ、見終わったらそんな事はどうでも良いくらい緊張感と存在感が迫る舞台だった。映画っていうより舞台って言った方が今の気分にハマる。
歌舞伎界の人達じゃないのにあんなに歌舞伎に足を運びたくさせるなんて…なんかもう頭が下がります。
序盤の永瀬正敏のカッコ良さから学生時代の2人を演じた子達の演技にも引き込まれて見てよかった。
2度目の演技とか同じ日になんか出来ないだろとかおもっちゃうんだけど、セットとか2回組んだのかな。他にも色々とどうやって撮ったんだろう。気になる。
パンフのテキスト量が多そうだったので読みたいなー
映画でしか見れないカメラワークも素晴らしくて舞台から見た景色や均衡というか近さみたいなものがこんなに感じられるもんなんだなぁと圧巻でした。
3時間ダレない展開、人生の浮き沈み、世襲、家制度の生む軋轢、
3時間ダレない展開、人生の浮き沈み、世襲、家制度の生む軋轢。
ストーリー展開が良い。二人のライバルが競い、喧嘩し、一方が成功し 一方が敗退する。しかし時は、それを逆転させる。そして更に 再逆転させる。
映像も良い。
本当の歌舞伎は詰まらないが、本映画は面白かった。
(この後に歌舞伎座6月を観劇したが、相変わらず連獅子とか、最悪につまらなかった。)
糖尿病は怖いな
3時間という長さをまったく感じさせない映画でした。1時間は歌舞伎のシーンかな?当方、歌舞伎はあまり得意ではないですが、吉沢亮と横浜流星の二代イケメン人間国宝のビジュアルのおかげなのか、歌舞伎のシーンは見入ってしまった。とにかく美しい。その一言に尽きる。
ストーリーはテンポ良く、飽きるタイミングはなかったです。途中、ジョーカーをオマージュしているであろうシーンもあったりと常に惹きつけるシーンがつづいた。
ふたりともダークサイドに落ちるも、交互に復活し、最後に完全体で大復活。意外にこのストーリー展開っていままでなかったかも。最後の娘のシーンは読めてしまっていらないなぁと思ってしまいましたが、それ以外はどれも魅力的なシーンでした。映画館で観るべき映画です。観て本当によかった。
『エンターテインメント』
一度の鑑賞での私見。文中すべて敬称略。
歌舞伎への理解はそれほど深くはなく、念のための予習(原作読破)もかけ足なので、文学としての『国宝』をさほど噛み砕いた思いも持てないまま劇場へ向かった。
田舎町では上映されなかったので近場の町まで車で一時間半のドライブをしての鑑賞。往路は眠気との戦いで、このままでは3時間の長尺上演中もしかしたら居眠りするかもとの杞憂もあった。だが睡魔に襲われた瞬間は一秒たりともなかった。画面から全く目をそらすことができなかった。
原作上下巻のボリュームはけっこうなもので、これを映像化するとなるとかけ足もしくはつまみ食いになるのは必定で、レビューの中にも(特に女性の描き方が)深掘りできていないという意見が散見される。
しかし私は寺島しのぶを除いて「女性の存在は不要」とも感じた。二度の濡れ場などは全くもって不快でしかなく、絢爛な映像の中にポタリと落とされた泥水のように思えてしかたがない。むしろ長崎の養母である宮澤エマを再登場させて欲しかった。
原作は文学であっても映像は『エンターテインメント』を謳っている。芸事に精進する二人の青年の葛藤を描くのに恋愛はもはや不要とさえ言えようが、エンタメには色事が必須なのであろうか。しかし3時間で描ききれないのなら、真っ先に削るのは女の存在ではないか。
喜久雄と俊介の間にある才能と血縁への計り知れない渇望に、男女の恋愛など挟み込む必要はない。吉沢亮、横浜流星ふたりの若い役者が短い期間で鍛錬を重ね、観る者を楽しませ、あるいは息苦しさを誘う舞台を披露する姿をただただ堪能すればいいのだと感じた。
蛇足の最たるものは最後の最後で登場した綾乃である。「なぜここにこんな形で……?」の戸惑いしかなかった。「悪魔と契約を交わした喜久雄」が捨てたものの象徴としての隠し札だったのかもしれないが、そもそも「悪魔と契約を交わした」描写と結果がこの作品ではあまり活かされていないので、せっかくの瀧内久美の無駄遣いとしか思えなかった。
もしかしたら『エンターテインメント』という煽り文句は興行上での建前で、李監督は吉田文学の再現をしようと試みたのかもしれない。そうだとすれば試みは失敗に終わったのだろうが、歌舞伎という若い世代にはあまり馴染みのない題材をテーマにある程度の集客に成功しているからには、物語の映像再構成は成功したと言える。
序盤は二人の若く見目麗しい女形の舞踊主体の演目が多く取り入れられ、観客の目を楽しませてくれる。互いの不遇の時間を経て復活を果たした後にはあの「曽根崎心中」。二度目の曽根崎心中にはさすがに心震えた。希代の名女形である三代目澤村田之助を思い浮かべる観客も多かっただろう。
物語は喜久雄の父が命を落とした1964年から始まり、シーンが変わる毎に数年後を描くという形になっている。同列に語るにはテーマが違い過ぎるが、同じ尺の映画で取り上げさせてもらうならもう何度鑑賞したか分からないほどの「ゴッドファーザー」である。あれも一人の人間の一代記とも言える作品だが、主人公のマイケル・コルレオーネが時を経るごとに本質から変化しているのがよく描かれている。
本作がダイジェストでしかないと言われる所以は、○年後と時代が飛んでも喜久雄の根っこに変化がないせいではないか。芸道一本道をただひたすらがむしゃらに進む姿を描くためには必要な時間経過とは言え、描写にもう一工夫あれば、と悔やまずにはいられない。
ともあれ、ここ数年の鑑賞作の中では出色の出来であることに異論はないし、演者の熱演とキャスティングの妙(特に田中泯!)には唸らされることしきり。これで喜久雄の阿古屋が観られたらすべての文句が引っ込んでいただろう。
そもそも原作からして養子にも入っていない部屋子が名跡を継ぐあたり、現実ではありえない設定であるからには、映像化された本作は四の五の言わずただ美しさを楽しめ! と目の前のテーブルに載せられた満漢全席なのだと言えなくもなく、そうでも考えないと最後の演目『鷺娘』の大仰・大音量のOSTには納得できない(非常に残念な演出だった)。
余談だが、丹波屋に引き取られるくだり。「徳ちゃんどこいったんかいな」という疑問が涌いたのだが、「仇討ちでヘマをした」という喜久雄の返事で私の中では徳ちゃんはその際に権五郎の元に行ったのかと思い込んでいた。しかし本作を心から愛している皆さまのレビューによってどうやら裏設定では事業で成功していて、喜久雄を応援し続けているということがわかり、ホッとしたやら見逃した自分が悔しいやら。
余談2
NHKの『100カメ』をいう番組をご存じだろうか。先月、べらぼう収録の裏側が放送されたのだが、横浜流星が他の出演者が何日も苦労して会得した俄祭りの踊りの振り付けを、収録現場であっという間に覚えてしまったという場面があったが、その時の振りがなんとなく女形の方だなあと感じられた。本当に余談。
歌舞伎通ではないと楽しめないのかな
みなさんの、特に評価の高い方の書かれていることが、残念ながら実感できなかった。確かに両主役の演技は目を見張るものがある。最初の国宝(田中)の演技もCGを1回つかっているが、優美な感じがすごく出ている。それでも3つ指摘したい。春江は俊介と出ていくが、何故、春江が出て行ったのか、そこがしっかりと書かれていない。また、半次郎(渡辺)が逝去したとしても急に落ちぶれるのは何か、丁寧ではない。さらには、喜久雄が復活するのも他力(国宝の力?)となり、見ている人の喜びが少ない。
これは、本を読んでないものの感想なのかもしれないが、主人公が芸のみに生きていくところの研ぎすまれ方(悪の模様だが、カッコ良さ)が見たかった。私にとっては、もう少し丁寧にわかりやすくしてほしかった。時間が短かったのかな。ただ、あっと言う間の3時間だった。正直、映画館でなかったら、ギブアップしていた。
才能か、血か(世襲か)、遺伝か
約3時間と上映時間は長いですが、ちょっと展開が早すぎて、見てる側に多少の補正が必要になります。
ただ、原作小説がなかなかの長編であるらしいので、そこは致し方ないとは思います。
「オレにしかできないお初をやる」
俊坊のこの台詞・覚悟は個人的に刺さりました。
糖尿病で倒れる2代目半次郎
同じく糖尿病で倒れる半弥
世襲か?遺伝か?
世襲が慣習だとしたら、遺伝は逃れられない運命。
慣習は逃れられるけど、運命からは逃げられない。
俊坊は一度、歌舞伎から逃げたけど、遺伝の糖尿病からは逃げられなかった。
すごく切なかった。
一方で、才能を開花させるにも、本人にはどうしようもできない運命のようなものがあります。
よく言われるのが「縁」というものです。
運命は受動的ですが、縁は能動的な要素を含んでいるような感覚です。
喜久男は干されてる間も演じることを止めませんでした。止めなかったことが再起の縁を引き寄せました。
記者から、「史上最年少で人間国宝になり、順風満帆な軌跡でしたがどうでしょう?」みたいなことを聞かれますが、
喜久男はひと言「関わってきた皆様のおかげです」と答えます。(北島康介の「なんも言えねぇ。。。」を思い出しました笑)
上映時間の3時間はこのひと言に集約されているようで重さを感じます。
「オレにしかできないお初をやる」
「関わってきた皆様のおかげです」
そんな人生を歩んでみたい。
喜久雄を取り巻く女たちに憤る
歌舞伎のシーンはとても良かったです。
ただ2人の関係性の描写や、転機となるエピソードの内容描写があっさりし過ぎていて、原作を読んでいないと物足りなく感じるのかと思いました。
しかし、後々思い返すと余白がある分、色々と想像させられました。私は特に、喜久雄に付いてきた春江が俊介と駆落ちしてしまうのが許せませんでした。春江はただ目の前で弱っている男がほっとけなかっただけで、うまくいっていない男を支えるのが好きなだけの女だと思いました。喜久雄を追ってついてきて、喜久雄からの結婚しようかという言葉も断って日陰の女として支えるような事を喜久雄に言っておきながら、いざ目の前で俊介が弱みを見せると簡単に乗り替える女です。喜久雄だって頼れる親も歌舞伎仲間もいない不安の中なんとか己を奮い立たせ頑張っているのに、親や周りの環境に恵まれている俊介がうまくいってないからといって喜久雄を捨てて俊介に付いていき、子供まで産みいけしゃあしゃあと戻ってきました。俊介も喜久雄の女を奪っておいて悪びれもなく春江にも会ってくれと喜久雄に言います。俊介は戻ってきても母親や歌舞伎界に歓迎されます。喜久雄は俊介が出て行ったあと、誰からも支えて貰えず独りでたえてました。もし、春江が側にいてくれたら、春江が喜久雄のプロポーズを受けて結婚していたら、俊介に乗り換えなければ俊介も出て行ったとしてももっと早く戻ってきていたかもしれない。そう思うと春江が憎くてたまりません。
それと、芸子の藤駒も身勝手だと思います。最初から2号さんで良いといい喜久雄に真剣に向き合わず娘を産みます。娘はもちろんどうして父親が自分たちを大切にしないか疑問を持ち父親を憎みます。でもそれは母親の藤駒の責任だと思います。最初から正妻になる気もなく2号さんでいいからと喜久雄にいいよったからです。(自分では相応しくないという理由より芸子を辞める気はなく正妻になる覚悟もなく喜久雄という甘い汁だけ吸いたいという風にしか見えない。)子供はそんな母親の事情とは関係なく父親を求めます。そこで父親に相手にされず父親を憎んでしまう。でもそれは藤駒の身勝手さが生んだものなので喜久雄に怒りをぶつけるのはお門違いだと思います。
だから、喜久雄にいいよりながらも真剣に向き合おうとしなかった女たちに憤りを感じます。もし、喜久雄がきちんとした家庭を持ち妻や子に支えられていたら、もっと違う結果になっていたと思う。彰子へ汚い手も使いたくて使ったんじゃない。そうせざるを得ないまで追い詰められていたんだ。(彰子もその後どうなったか分からないので気になった。)
ただ男女の愛情ではなく喜久雄と俊介の2人だけの感情、簡単なライバル関係ではない絆には魅せられました。
理由はともあれ、いかにも順風満帆ではないか?
血統を重んじる伝統芸能の歌舞伎の世界で、血統の縛りを超えて、芸の才能の力で立身出世し、人間国宝にまでなるヤクザ一家の生まれのひとりの男の物語である。歌舞伎の世界は皆親類どうしで世間が狭く、芸も子へと受け継がれていくが、そうした伝統や常識を打ち破る圧倒的な才能が存在した。
しかし、歌舞伎がわからない、観たことがない私のような素人の目にはその才能は如何程のものがわからない。そこまでの才能が何だったのか分からずじまいでありもやもやする。なぜ歌舞伎一家の出の横浜流星はだめで、孤児となり引き取られた吉沢亮のが優れていたのか?わからない。
原作には描かれているのだろうが、冒頭にはじまる長崎のヤクザたちの抗争がどのような理由で起きたのか分からずじまいである。主人公は、両親を失い、どういうわけか冒頭のヤクザたちの抗争の場にいた大阪の歌舞伎役者の一家に引き取られる。
幼馴染の男友達はなかなかの演技だったのに暴力団事務所に主人公と一緒に殴り込みしたあと消えてしまった。幼馴染の女の子はどこの出で、主人公を追って大阪についてきて、いつの間にか高橋充希になっているのである。
大阪の歌舞伎一家をささえるパトロンの嶋田久作はいつの間にか消え、歌舞伎に興味のなかった鞄持ちの男(息子?)がなかなかの存在感を増して主人公のピンチを救い最後まで出てくるがあの人は何だったのか?いつ歌舞伎界を応援するようになったのか?不明である。重要に見える人物が理由もなく消え、一方で大した人物にみえないものが重要だったりするのだ。
最大の不明は、人間国宝となることが決まり記者会見のあとの写真撮影で、京都の芸姑との間にできた娘がカメラマンとして出てくるところ。
いきなりあなたを父親としてみたことはなかったと身の上話をし始めるが、周りの者はなにをしているのか?娘は、あなたは、いろんな人を犠牲にして国宝にまでなったのですというが、映画を観る限りでは、犠牲になったのはカメラマンの娘とその母親くらいだろう。それ以外は迷惑をかけている人は出てこない。あなたの歌舞伎を観ると本当に感動する、おとうさん、という娘は自分を捨てた父親に和解の意を伝えるがいかにも唐突だなぁ。人間国宝の会見の場でこの場違いなやりとりは不思議であれ、ドラマ性をもつことはなかったと思う。
人生の悲喜こもごもを背負ってついに人間国宝にまでなった感動の演舞で幕を閉じる。歌舞伎の世界は確かに大変かもしれないが、それがあまりよく伝わらなかったのと、ヤクザの家の出で、親を失ったという大きな苦難以外は、才能ある順風満帆な人生だったように見えてしまうのだが。あの平凡な記者のインタビューと同じ感想になってしまう。
邦画魂
出演者の俳優魂をひしひしと感じることができた。
初っ端から永瀬正敏に圧倒される。
少年時代を演じた2人の将来がとても楽しみ。
田中泯化け物。
血反吐はやりすぎじゃない?って思った。
少年時代も別の俳優使ったんだから、晩年も特殊メイクじゃなくてピッタリな俳優使ってほしかった。
でもそうなるとラストの歌舞伎シーンが微妙になるのかな。
前半面白く観てたけど後半つまんなくなってきた。
細かい内容も知りたいので原作読んでみる。
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