国宝のレビュー・感想・評価
全449件中、301~320件目を表示
波乱万丈過ぎ
渡辺謙はじめ、国宝級俳優を揃えた作品。
国宝級顔面を持つ吉沢亮は、美しすぎる顔立ちのせいもあり、いまいち普通の役ではリアリティが感じられないけど、今回はまさにハマり役(^^)b
喜久雄の波乱万丈過ぎる生涯を描く本作だけど、あんな挫折したのに異例の速さでの人間国宝になる?みたいな、俺はちょっとリアリティが感じられなかった…
高評価で期待し過ぎたのか、個人的には刺さるものが無かった…
(隠し子の最後の言葉にはちょっとグッときた)
ただ、エンドロールで流れる曲「Luminance」は秀逸で良かった♪
それにしても糖尿病って怖いですね(^_^;)
長い
もうそろそろ終わるかな〜(終わってほしい…) と5回は思った。
邦画に多い演出の、セリフや効果音無しの表情で魅せる手法は、個人的には好きだけど、多用されすぎて後半飽きてしまった。またか…という感じ。
最後に娘が出てくるシーン以降も、いまいち必要性が分からない。その前の喜久雄と俊介の曽根崎心中が良かっただけに、それを超えてこない最後のシーンは必要?
そのへんをバッサリ切って、もっと喜久雄と俊介の和解とかをクローズアップしてほしかった。
喜久雄が俊介と春江をあまりにアッサリ許しすぎて…
結婚を考えた相手と親友が同時にいなくなったと思ったら父親が亡くなった途端急に戻ってきて、今度は自分が追い出されるんですよ?
その時の喜久雄は言葉に出来ないほどの屈辱を感じているはずです。
なのに拳を一発食らわせる程度で、その後も呼ばれたらあっさり戻ってくる。いつの間にか二人藤娘を一緒に演じている。
この時に私の感情が追いていかれてしまった。
小説を読んだらもっと補完されているのかな?
吉沢亮さん・横浜流星さんの演技は凄い
歌舞伎の舞台裏を詳細に描いた映画でした。早変わりの技術や化粧・着替えの様子から才能だけや血筋だけでは芸術の域まで達成できないような歌舞伎の世界が描かれていたと思います。何しろ横浜流星さんのお初の声にびっくりしました。ホントに女形の方…よりもまだ女声の色気がある声に驚きました。吉沢亮さんも屋上で踊るシーンはハラハラしながらみました。大きな役に抜擢されて緊張した時に話すセリフも感動ものです。
話は二人の歌舞伎役者の人生(半生)を描いていましたので確かに長いです。
また、事件もアクションもそんなには無いので
ただ、半生を割とテンポよく描いていたと思います。
後は二人をとりまく女性陣…寺島しのぶさんの役の気持ちはよくわかりますが
最期の吉沢亮さんのお相手(先輩歌舞伎役者の娘)の気持ちが良くわかりませんでした。
突拍子無く表れて…って感じで去り方も急に居なくなった感が。
その辺のストーリーが余計というか…って感じがありました。
物語の終わりの方で急に出てきていなくなったって感じで結局、別れたんだろうか?
って匂わせで。
逆に娘との再会シーンは感動しました。
国宝≠人間 なのかな?
悪魔と契約したんや。
でも実際は人を辞めて悪魔にでもならなきゃ、いや悪魔をブチ殺さなきゃ国宝……そう宝と認められないんだから。
そのぐらいのスケールとイメージなのだと思う。
どないしてくれるん?ドライアイになって飲み物飲むの忘れて脱水症状になったわ。
のめり込んで観たわ。後ろのばばぁのお喋りとケータイの着信音に「このクソババア!うるさいんじゃ!」と怒鳴り散らすのを忘れるぐらいに見入ったわ。(でも決して忘れた訳ではありません)
たまらんな。こんなにのめり込んで観る邦画。あったかなかったかのレベルやわ。
正直もったいないなぁ。
こんなんテーマでドラマ化して字幕付けて海外向けに売って行ったらとんでもなく儲けたのに。
そーゆーとこにビビってたらあかんねん松竹。
二人の演技は他の皆さんがレビューしているので書きませんが梨園の妻としての寺島しのぶに高畑充希の二人の顔つき。良かったです。
と言っても寺島しのぶは本家ですから生まれてからずっとこの世界にいた訳ですから。彼女の横には富司純子の残像というか影というかそのものと思えるものがチラチラ見え隠れしたのは私だけでしょうか?
最近は映画館でも歌舞伎が上映されているので、実際の舞台を拝見する事が難しくても身近なものになってきているのでTVやスマホの小さな画面ではなく大きなスクリーンで楽しんでみては?
きっと何かを成すためには、相応のものが対価として必要
前半は歌舞伎のシーンが少し怖く感じた。
歌舞伎をきちんと見たことのない私には、現実的ではない歌舞伎のビジュアルと、力強く綺麗な演技に畏怖の念を抱くような気持ちになった。
だが、見ていくうちに歌舞伎の魅力がなんとなく分かったような気がしてきて、とにかくその綺麗さに魅入ってしまっていた。
終始、何かを一生懸命に頑張れる人はすごいなと羨ましく思っていた。
だが、主人公には歌舞伎しかなくて必死にしがみつくしかなかったのだろう。
父が死に、歌舞伎の世界に入り厳しい稽古の日々の末に輝かしい景色を見たのも束の間、過去の傷痕で人生のどん底へ。しかしまた舞台に立つ機会がきて、だが今度は親友がいなくなり、国宝となった。
そんな主人公の激動の人生を見ていて、言葉にできない胸の苦しさでいっぱいで、ずっと涙が止まらなかった。
私にはまだ分からず、共感できなかったシーンもあって難しかった。
まだまだ人生の経験値が足りないのだろう。
もっといろんな経験を積んだら、分かる日が来るかもしれない。そのときにまたこの映画を見たい。
禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…か。
凄いものを見せられたナという気持ちはしています。
観賞以前からキャスティングが逆じゃないか、吉沢亮と横浜流星が逆の役をやった方がシックリとくるんじゃないのか、もっと良い作品になったんじゃないのかというのが有って、観賞中もますますその思いを強くしていたのだけれども、それでも途中から段々とそんな事どうでも良いヤと思う様になって来ました。
人生というのは生まれた時代や場所や境遇を背負って、死ぬ迄その役柄を演じ続ける事に他なりません。他人の人生を生きる事は出来ないし、他人の境遇を羨んでもその人間に成り変わる事は出来ないのです。
それは俳優の演技にしても全く同じ事が言えて、あの人の役の方が良かった、この人の役の方が良かったと言っても仕方が無くて、自分が与えられた役の中で懸命に生きる、与えられた役の中の人生を生き抜けるという使命を果たすという事に他なりません。
そういう意味では二人は間違いなく与えられた役柄の人生を生き抜いていたし、その人生を全うしたという事が出来るのでしょう。
禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…
父親の敵討ちを戒め、将来を誓う証に背中一面に彫り物を入れたハズの喜久雄と春江は、それでも遂に結ばれる事は無かったし、実子の俊介を差し置いて花井家の後継に指名されたハズの喜久雄の見た夢は、半二郎の本心を悟ると時を同じくして音を立てて崩れ落ちて行きます。
それでも失ったハズの人生は、何処かで帳尻が合う様に出来ているのかも知れません。最後に悪魔との取り引きは果たされたのだという事を観客は知りますが、その喜久雄に笑顔は有りません。
「順風満帆な役者人生を歩んで来られて…」と事も無げに発するインタビュアーの問い掛けに、「皆様方の支えがあって此処までやってこられました…」と面白味の無い定型句を返答する喜久雄の人生の壮絶さを、けれども我々観客は知っています。
人は与えられた自分の人生を全うする事でしか、自分自身の役割を果たす事はきっと出来ないのだろうという事、そういう事をつくづくと考えさせて貰いました。
原作の吉田先生は、映画『楽園』の原作者でもあるとの話。
映画『楽園』も以前に観賞しましたが、奇をてらった感じが凄くして自分は駄目だったのを覚えています。こちらの作品は人の持つ業だとか宿命の様なもの迄をも深く感じて、とても強く心を揺さぶられました。
先生も…腕を上げましたネ…なんてww
農民の話
丁稚奉公のように先祖代々続く農家で農業を学び育ち
皆と収穫を祝い、人生の不作や凶作に翻弄されていく
段々と醸成されていく畑から特異な味のものが出てくる
その農作物は宿命でその家族でも創る事は出来ない
人生に苦労と紆余曲折があり その肥料や堆肥が役や舞台に滲み出ていく
芸の肥やしが撒かれた土壌は違う
携わった仲間達と耕して過ごしてきた畑が在る
鍬を持つ姿を天から見てる
彼はその農家の次男坊
原作読んで楽しみにしてました
原作読んで楽しみにしてました。吉沢くん、流星くん、綺麗ですね。短い間に歌舞伎の所作を身に着けて、役者ってすごいと思いました。
でも、ストーリーは • • •え!いじめ?
救いの徳次は初めしかいないし、終わりの「河を白くする」って原作の話好きなんですけどね。
一家でいじめです。
恩義を感じている人に向かっていいたい放題のおかみさん、名跡継がせときながら息子の名前をつぶやいて倒れる半二郎。俊介だって出たり入ったりして喜久雄の立場も考えない(原作は葛藤がありますが、映画は感じられない)
ほんと、襲名興行のときの幕を閉められた後の「俊ぼう〜」と聞かされて喜久雄のどうしていいのかわからない顔、吉沢君の演技が心に残ります。
少年時代の喜久雄の演技(黒川くん)素晴らしいですね。
これだけのメンツを揃えて、傑作が出来ないわけないじゃん?ちょーお勧め、感想終わり!だから、いつも通り、脱線するね?
俺が、見たコンサートは、村下孝蔵、MENS5、布施明、ボヘミアン葛城ユキ、スべリーマーキュリー、クイーネス、長谷川都、ポセイドン石川、ワハハ本舗の梅ちゃんの青いシリーズ、さだまさし、スガシカオ、アバンギャルティ、水曜日のカンパネラ、ado、YOASOBIだったが、これらは何も努力しなくても、お客は途切れないが、
客席を見渡すと、俺以外、誰もいないというコンサートも見る趣味がありますが、
↑ 嫌な性格だな、おい
もう、演者と客とのガチンコ対決なわけよ? 故山本KIDの秒殺試合のような緊張感的なやつ?
演者がパフォーマンスを終えた時に、次に何のパフォーマンスをやるタイミングが分からないから、ちょうどうまい具合に聞こえる、嫌味が無い程度に拍手するわけ?
声をかけるのは厳禁ね?俺以外に観客がいないから、声をあげても意味無いからね?
そして、それがお笑いライブだったら、お愛想で笑う事も厳禁ね?甘やかしてはいけません。其奴がつまらないから、その程度の客入りなんだと言う現実を叩きつけなければなりませぬ。
俺も舞台に立った事があるので、客が少なすぎる舞台で演技をするくらい辛いものはなく、吉沢亮のドサ周りの時期の場面では、
↑ 唐突に本題に入るな
屋上で踊り狂っていた場面は、痛くて痛くて、堪らない。
ヤクザの父を殺されて、報復する為に、ハジキとドスを使って襲撃するも失敗。
渡辺謙に拾われて、一人息子と共に歌舞伎の修行をするも、持ち前のセンスで渡辺謙の名を襲名するまでになるが、背中のモンモンがバレて追放。
しばらく、彷徨った後、ようやくお声がかかり、舞台復帰が出来るようになり、スーパー銭湯で培った、アドリブ力が認められて、
見事、純烈の新メンバーとして、友井雄亮の代わりに純烈に加入。紅白歌合戦に出場が決まり、順風満帆の人生を送ったそうな。どっとはらい!
さて、客が俺一人しかいないミュージシャンが、演奏が終わった後、
馬鹿ね🎵馬鹿ね🎵止せばいいのに🎵
俺が座っている席にやってきたのだ。挙動ってしまった俺は、つい余計な一言を聞いちまったぜ?
あのー、客は俺一人で、今月はミュージックチャージ無し月間で、ドリンクチャージだけなのに、貴方はどうやって、ご飯を食っているんですか?
と、聞いたのさ?そうすると、彼は、こう答えたんだ?
ご飯ですか?お茶碗とお箸で食べてますよ?
ってな?
おい、おい、俺はお金の心配してるんだぜ?
食べる作法については聞いてないぜ?
HAHAHAHA!!
あんな風には生きれないよな〜
はじめのシーンで何故ヤクザの父親が憎しみの感情を持って人を斬る狭間、よく見ておけ!と叫んだのか疑問だったが、最後になって漸く理由がわかった。主役も最後に人を斬る描写があるが、それは友への愛情からであって憎しみではない。本当の意味でカタギになれたのではないか
良かった。
主演2人が何となく好きではないので良かったのが悔しいくらい。大河の主役は伊達じゃないんだなぁ、見終わったらそんな事はどうでも良いくらい緊張感と存在感が迫る舞台だった。映画っていうより舞台って言った方が今の気分にハマる。
歌舞伎界の人達じゃないのにあんなに歌舞伎に足を運びたくさせるなんて…なんかもう頭が下がります。
序盤の永瀬正敏のカッコ良さから学生時代の2人を演じた子達の演技にも引き込まれて見てよかった。
2度目の演技とか同じ日になんか出来ないだろとかおもっちゃうんだけど、セットとか2回組んだのかな。他にも色々とどうやって撮ったんだろう。気になる。
パンフのテキスト量が多そうだったので読みたいなー
映画でしか見れないカメラワークも素晴らしくて舞台から見た景色や均衡というか近さみたいなものがこんなに感じられるもんなんだなぁと圧巻でした。
3時間ダレない展開、人生の浮き沈み、世襲、家制度の生む軋轢、
3時間ダレない展開、人生の浮き沈み、世襲、家制度の生む軋轢。
ストーリー展開が良い。二人のライバルが競い、喧嘩し、一方が成功し 一方が敗退する。しかし時は、それを逆転させる。そして更に 再逆転させる。
映像も良い。
本当の歌舞伎は詰まらないが、本映画は面白かった。
(この後に歌舞伎座6月を観劇したが、相変わらず連獅子とか、最悪につまらなかった。)
『エンターテインメント』
一度の鑑賞での私見。文中すべて敬称略。
歌舞伎への理解はそれほど深くはなく、念のための予習(原作読破)もかけ足なので、文学としての『国宝』をさほど噛み砕いた思いも持てないまま劇場へ向かった。
田舎町では上映されなかったので近場の町まで車で一時間半のドライブをしての鑑賞。往路は眠気との戦いで、このままでは3時間の長尺上演中もしかしたら居眠りするかもとの杞憂もあった。だが睡魔に襲われた瞬間は一秒たりともなかった。画面から全く目をそらすことができなかった。
原作上下巻のボリュームはけっこうなもので、これを映像化するとなるとかけ足もしくはつまみ食いになるのは必定で、レビューの中にも(特に女性の描き方が)深掘りできていないという意見が散見される。
しかし私は寺島しのぶを除いて「女性の存在は不要」とも感じた。二度の濡れ場などは全くもって不快でしかなく、絢爛な映像の中にポタリと落とされた泥水のように思えてしかたがない。むしろ長崎の養母である宮澤エマを再登場させて欲しかった。
原作は文学であっても映像は『エンターテインメント』を謳っている。芸事に精進する二人の青年の葛藤を描くのに恋愛はもはや不要とさえ言えようが、エンタメには色事が必須なのであろうか。しかし3時間で描ききれないのなら、真っ先に削るのは女の存在ではないか。
喜久雄と俊介の間にある才能と血縁への計り知れない渇望に、男女の恋愛など挟み込む必要はない。吉沢亮、横浜流星ふたりの若い役者が短い期間で鍛錬を重ね、観る者を楽しませ、あるいは息苦しさを誘う舞台を披露する姿をただただ堪能すればいいのだと感じた。
蛇足の最たるものは最後の最後で登場した綾乃である。「なぜここにこんな形で……?」の戸惑いしかなかった。「悪魔と契約を交わした喜久雄」が捨てたものの象徴としての隠し札だったのかもしれないが、そもそも「悪魔と契約を交わした」描写と結果がこの作品ではあまり活かされていないので、せっかくの瀧内久美の無駄遣いとしか思えなかった。
もしかしたら『エンターテインメント』という煽り文句は興行上での建前で、李監督は吉田文学の再現をしようと試みたのかもしれない。そうだとすれば試みは失敗に終わったのだろうが、歌舞伎という若い世代にはあまり馴染みのない題材をテーマにある程度の集客に成功しているからには、物語の映像再構成は成功したと言える。
序盤は二人の若く見目麗しい女形の舞踊主体の演目が多く取り入れられ、観客の目を楽しませてくれる。互いの不遇の時間を経て復活を果たした後にはあの「曽根崎心中」。二度目の曽根崎心中にはさすがに心震えた。希代の名女形である三代目澤村田之助を思い浮かべる観客も多かっただろう。
物語は喜久雄の父が命を落とした1964年から始まり、シーンが変わる毎に数年後を描くという形になっている。同列に語るにはテーマが違い過ぎるが、同じ尺の映画で取り上げさせてもらうならもう何度鑑賞したか分からないほどの「ゴッドファーザー」である。あれも一人の人間の一代記とも言える作品だが、主人公のマイケル・コルレオーネが時を経るごとに本質から変化しているのがよく描かれている。
本作がダイジェストでしかないと言われる所以は、○年後と時代が飛んでも喜久雄の根っこに変化がないせいではないか。芸道一本道をただひたすらがむしゃらに進む姿を描くためには必要な時間経過とは言え、描写にもう一工夫あれば、と悔やまずにはいられない。
ともあれ、ここ数年の鑑賞作の中では出色の出来であることに異論はないし、演者の熱演とキャスティングの妙(特に田中泯!)には唸らされることしきり。これで喜久雄の阿古屋が観られたらすべての文句が引っ込んでいただろう。
そもそも原作からして養子にも入っていない部屋子が名跡を継ぐあたり、現実ではありえない設定であるからには、映像化された本作は四の五の言わずただ美しさを楽しめ! と目の前のテーブルに載せられた満漢全席なのだと言えなくもなく、そうでも考えないと最後の演目『鷺娘』の大仰・大音量のOSTには納得できない(非常に残念な演出だった)。
余談だが、丹波屋に引き取られるくだり。「徳ちゃんどこいったんかいな」という疑問が涌いたのだが、「仇討ちでヘマをした」という喜久雄の返事で私の中では徳ちゃんはその際に権五郎の元に行ったのかと思い込んでいた。しかし本作を心から愛している皆さまのレビューによってどうやら裏設定では事業で成功していて、喜久雄を応援し続けているということがわかり、ホッとしたやら見逃した自分が悔しいやら。
余談2
NHKの『100カメ』をいう番組をご存じだろうか。先月、べらぼう収録の裏側が放送されたのだが、横浜流星が他の出演者が何日も苦労して会得した俄祭りの踊りの振り付けを、収録現場であっという間に覚えてしまったという場面があったが、その時の振りがなんとなく女形の方だなあと感じられた。本当に余談。
理由はともあれ、いかにも順風満帆ではないか?
血統を重んじる伝統芸能の歌舞伎の世界で、血統の縛りを超えて、芸の才能の力で立身出世し、人間国宝にまでなるヤクザ一家の生まれのひとりの男の物語である。歌舞伎の世界は皆親類どうしで世間が狭く、芸も子へと受け継がれていくが、そうした伝統や常識を打ち破る圧倒的な才能が存在した。
しかし、歌舞伎がわからない、観たことがない私のような素人の目にはその才能は如何程のものがわからない。そこまでの才能が何だったのか分からずじまいでありもやもやする。なぜ歌舞伎一家の出の横浜流星はだめで、孤児となり引き取られた吉沢亮のが優れていたのか?わからない。
原作には描かれているのだろうが、冒頭にはじまる長崎のヤクザたちの抗争がどのような理由で起きたのか分からずじまいである。主人公は、両親を失い、どういうわけか冒頭のヤクザたちの抗争の場にいた大阪の歌舞伎役者の一家に引き取られる。
幼馴染の男友達はなかなかの演技だったのに暴力団事務所に主人公と一緒に殴り込みしたあと消えてしまった。幼馴染の女の子はどこの出で、主人公を追って大阪についてきて、いつの間にか高橋充希になっているのである。
大阪の歌舞伎一家をささえるパトロンの嶋田久作はいつの間にか消え、歌舞伎に興味のなかった鞄持ちの男(息子?)がなかなかの存在感を増して主人公のピンチを救い最後まで出てくるがあの人は何だったのか?いつ歌舞伎界を応援するようになったのか?不明である。重要に見える人物が理由もなく消え、一方で大した人物にみえないものが重要だったりするのだ。
最大の不明は、人間国宝となることが決まり記者会見のあとの写真撮影で、京都の芸姑との間にできた娘がカメラマンとして出てくるところ。
いきなりあなたを父親としてみたことはなかったと身の上話をし始めるが、周りの者はなにをしているのか?娘は、あなたは、いろんな人を犠牲にして国宝にまでなったのですというが、映画を観る限りでは、犠牲になったのはカメラマンの娘とその母親くらいだろう。それ以外は迷惑をかけている人は出てこない。あなたの歌舞伎を観ると本当に感動する、おとうさん、という娘は自分を捨てた父親に和解の意を伝えるがいかにも唐突だなぁ。人間国宝の会見の場でこの場違いなやりとりは不思議であれ、ドラマ性をもつことはなかったと思う。
人生の悲喜こもごもを背負ってついに人間国宝にまでなった感動の演舞で幕を閉じる。歌舞伎の世界は確かに大変かもしれないが、それがあまりよく伝わらなかったのと、ヤクザの家の出で、親を失ったという大きな苦難以外は、才能ある順風満帆な人生だったように見えてしまうのだが。あの平凡な記者のインタビューと同じ感想になってしまう。
結末までの挫折と紆余曲折がまどろっこしく感じた
とても期待していましたが、面白かったか否かは微妙なところかな。
泣ける訳でもなく、笑える訳でもなく。
歌舞伎は観たことが無いので、劇中歌舞伎については何も言えないです。
物語の構造が、何故か「昭和元禄落語心中」に似ているかもしれません。
天涯孤独の少年が、厳しい修行を経て歌舞伎の女形としての天賦の才を見出だされ、ついに人間国宝に。。。
とは、すんなりといかないのだけれど、題名で着地点が端から見えてしまっているので、結末までの挫折と紆余曲折が、まどろっこしく感じました。
物語のキーパーソンとして出演している田中泯さんの演技は善き。
高畑充希さんはいつもの高畑充希さん。
出番は少ないけれど、見上愛さんは存在感がありました。
主役の吉沢亮さんは悪くはないけれど、お口の中がアップで丸見え。
仕方ないけれど、どうにか修正出来なかったかな?と感じました。
オールドメディアのゴリ押し映画
大手事務所ありきの映画かな?電通など利権関係も絡んでるんでしょう、テレビでかなりの量の広告をうっていますねそういった意味では広告宣伝費にかなり巨額なお金をかけているのでしょう、たいしたことない映画です。F1か鬼滅の刃を見ることをお勧めします。
人生の縮図
1.運命と犠牲
人には変えることのできない運命があるが、抗うことはできる。
ただし、何かを得るには何かを犠牲にしなければならないこと。
喜久雄は家族を捨てる選択をするが、国宝という名誉を受け取ることができた。
その後、娘と再会。
娘は、父としては認めないが、歌舞伎役者としては認めた。
倫理的に家族を捨てることは間違っているが、喜久雄がとった選択は間違っていなかったとも言える。人生において、あなたは何を選びとりますか?と問われているようだった。
2.友情
喜久雄と俊介は意気投合するも、互いに嫉妬をする。
喜久雄→俊介の血筋、家族の存在
俊介→喜久雄の演技の才能
途中は蹴落とすようなシーンもあったが、最後にまた同じ舞台に立つことができた。
互いに憎むこともありながら、リスペクト故と感じた。
3.圧倒的演技力
吉沢亮と横浜流星の作り込みに驚嘆。
どれだけ練習したんだろうかと思うほどの圧倒的演技力だった。
もう一度観たいと思える良作。
日本版「セッション」
血と盟友と家族、すべてのものを悪魔に捧げて初めて辿り着ける境地、人間国宝。
「セッション」では成長や努力といった狂気を巧みな映像表現によって描いていたが、本作では「血筋への渇望」や「継父、盟友との死別」など、かなり記号的なストーリー上の事実を積み重ねているだけのように感じる。
芸を極めるために、家族を捨てることで得たもの、継父や盟友との死別を乗り越えた先で得たものというのが描かれていない。芸に邁進する姿というのも中盤以降あまり描かれず、
なぜ人間国宝に辿りつけたのか、辿り着けなかった者と何が違うのか、かなり不明瞭に感じる。
芸以外のものをなぜ捨てる必要があったのかを描かないと「つらい経験をして人間として強くなった」という非常に曖昧な結論にしか辿り着けず、説得力に欠けると思う。
画作りは圧倒的にきれいで、役者の演技も素晴らしいのでぱっと見は良い作品に見えるが、冷静に考えるとストーリーの重要なところは非常にぼやけている。
極めつけは最後の鷺娘。このシーンは歌舞伎以外のすべてを捨てた結果を示す、本作で最も重要なシーン。息を飲むような、あるいは息をすることすら忘れさせるほどの演技、演出が必要になるだろう。
しかしこのシーンではBGMを大音量で流していた。私にはBGMでごまかしているようにしか見えなかった。音楽が大音量で流れているから感動するような、そんなに簡単に人の心は動かない。実際の歌舞伎で流れるはずのない音楽を流すことで凄みを嵩増しして人間国宝を表現しようとするなんて、安直すぎる。
セッションと同様のテーマにしては説得力に欠けるし、そうでなければただ主人公の皮肉めいた人生を描くだけの作品に成り下がる。
画作りがすごくよく、役者の演技も良かったと思う。この映画独特の雰囲気がかなりあっただけに残念な一作。
考えさせられる
菊久雄はさまざまな経験をして、芸を極め、トップに上り詰めていく。歌舞伎はよく知らないが、ギリギリまで磨き上げたその演技は非常に見応えがあった。菊久雄はいろいろな人に迷惑をかけて犠牲にして芸を磨いていくが、彼の芸は他の人を踏み台にするような激しい人生があったからこそつかみ得たものだったのか?それとも菊久雄が聖人君子でもあの芸は習得できたのか?それをずっと考えていた。
映像美
舞台映像が美しかった。前半の豪華キャストにドキドキしました。
どちらかと言うと、ボンボンっぽいのが吉沢さんで、横浜さんが運動神経や立ち姿等、才能に目をつけられる人かなと思い、逆のCASTも観てみたいと思いました。この映画は顔のアップが多いので、このキャスティングなのか…。
私的には最後の一言がそぐわない気がしました。軽い作品になってしまったというか、全てを説明しなくてもと思いました。まぁ年代によるかと思います。
全449件中、301~320件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。