国宝のレビュー・感想・評価
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歌舞伎の生々しさを伝える
歌舞伎ファンから観ても、シネマ歌舞伎を観ているのかと思うくらい、二人は歌舞伎役者になりきっていた。
ここまで歌舞伎の口舌を修得するのは大変だったろうし、凄い。
失敗の許されぬ舞台の緊迫感、一つ一つが息をつかせぬ美しさを持ち、あっという間の三時間。愛憎まみえる二人の人生のクライマックスは、やはり俊介が糖尿で壊死する足をつと差し出す、曽根崎心中でしょう。
浮き世を忘れて己のことだけを考えていればいいのは幸せなのか、それとも逃げ場のない牢獄なのだろうか。田中民の「あなた、歌舞伎が憎くてたまらないのでしょう」と。でもそれでいいのよ、というセリフがすべてを物語っているのかもしれない。
『世襲』という制度は芸の世界において、後ろ盾にも枷にもなる。その世界の光と闇を、描ききったなぁと。色々なエピソードが、様々な実話を彷彿とさせました。
ただ気になったのが、いくら先達の娘とねんごろになったからといって、三代目を襲名した人間をあそこまで落ちぶれさせることはしないかと。また、俊介が歌舞伎から遠ざかっている間に、別の成功をおさめて意趣返しするものだと期待していたら、そうじゃなくあっさり戻ってきただけだったのが残念。原作ではやはり成功してから戻って来るそうです。やっぱりねー。三時間あってもそこは描けなかったのか…?
春江、喜久雄から俊介にさらっと乗りかえたけど、それは喜久雄に取り残された者同士の共感からか? しかし結局俊介が亡くなっても息子が跡取りになるので、後見人として喜久雄と二人で花井家の中心に据えられることになりますよね。ここまで、春江の計算なのか?!と思ったら、したたかなんもんだと思ったのでした。
あとね、任侠の世界で、余興で子供に歌舞伎をやらせるということがあるのかな…?と。ただ、両者に日常から遠い世界としての共通点は、あるのかもしれない。
いやぁ、細々したことはさておき、演者の憑依系演技、こちらも力が入り、どっと疲れました。
それにしても邦画は相変わらず老けメイクは下手だね。
国宝
この映画は努力の結晶だと感じる作品でした、役者も歌舞伎も演じることは一緒のように思えるが奥が深いのだなとわからない部分がわかるように描かれてる。
また血のつながり、世襲の大切さなど天才の才があっても超えられそうで超えられない難しい壁というものを感じました。また恋愛模様も複雑で悪魔と契約する場面があるがそれほど演じる女形など見るものを魅了する魔力は凄まじかった。年齢的に関係なく楽しめる作品。
あそこまでなるまでに相当な練習をしたと聞いたが素晴らしいとしか言えない言葉にできない。
芸の道を歩む人生
親を亡くしたヤクザの息子が歌舞伎の女形として人生を捧げる話
喜久雄は歌舞伎の家に生まれた俊介と競い、先に襲名するも血筋を重んじる世界で挫折する。再起し、俊介と再び同じ舞台に立つが、俊介は病で亡くなる。すべてを失った喜久雄はやがて人間国宝となり、父が亡くなった雪景色に芸の道でたどり着く。
張り詰めた空気感があり、時間を感じずに物語に引き込まれた。出てきた歌舞伎の演目について知っていればもう少し理解が進みそう。
2人の関係が壊れなくて良かった。
重苦しい作品ですがまだ観たい
まず吉沢亮の少年時代の役者さんが綺麗。
吉沢亮も美しすぎる。
横浜流星も綺麗だと思っていたが、女方で見るとやっぱり男。でも吉沢亮の女方はひたすら美しかった。
1年半歌舞伎の練習をして臨んだだけあって2人の歌舞伎のシーンは圧巻でした。歌舞伎役者だっけ?と思ってしまう迫力があり歌舞伎をフルでやってもらい映画を撮っても良いんじゃないかと言うくらい引き込まれました。
重厚感ある映画だし、楽しい気分になる映画ではないけど、また観たい。そんな作品でした。
長いのでトイレ注意です。
前方席の人が中座したりしてとても気になりました。
せめて画面を遮らないよう屈もうとする姿勢くらいは見せて欲しいものです。
あと数隻隣の外人と日本人カップルの私語うるさすぎました。この映画は静かに観てほしいかな…。
血とは。
予告編から熱量が伝わったので、ぜひ観てみたいと思っていた。吉沢亮さん、すごかった。気迫を感じました。横浜流星さんはあえて吉沢さんを引き立てようとする感じの演技だったように思う。
2人の絆はとても濃い。しかし「血」には勝てない。「血」によって2人は振り回され、翻弄され、苦しめられる。序盤菊久雄の実父が撃たれて真っ白な雪が真っ赤な血で染められるが、あれがメタファーなのだろう。終盤孤独な菊久雄を唯一救ったのは内縁の娘というこれまた「血」。なんとも言えない気持ちになった。
菊久雄は優しすぎるからもう子ども(特に男の子)は作らないんだろうなぁ…とぼんやり思った。
カメラワークも美しく、李監督の芸術性が光った。
原作を読んでないので何とも言えないが、個人的には森七菜のくだり、必要だったかな?と思っている…。その後本妻になったのかもよくわからないままだし…。私だけかな?
タイトルなし(ネタバレ)
原作を読んでいなければ満点をつけていたかもしれません。
それ程に、俳優陣の演技が素晴らしかったです。
特に主演の吉沢亮さんと横浜流星さん、そして圧倒的存在感の田中泯さん。皆さん大変素晴らしかったです。繊細な指先の動き、眼差し、呼吸、芸に生きるしかできない人間の悲哀と歓喜。スクリーン越しでなくそれらを目の当たりにしたようで、心を揺さぶられました。
勿論、現実の歌舞伎世界と比べれば色々と差異はあるでしょうけれど、映画作品としての歌舞伎の世界と、そこに生きる人間の生き様を充分に堪能させていただきました。それも鴈治郎さんの全面的なご協力があってこそでしょうか。
しかし、如何せん原作からの改変がとても多く、映画作品として三時間に纏める必要があったとはいえ、重要人物とも言える徳次の描写も僅かですし、何より「その台詞をここでその人物に言わせるのか?」と感じるシーンもあり、個人的には脚本に納得がいかない部分が多くあったのは否めません。
喜久雄の人生にスポットを当てた展開・構成とした意図は理解しているつもりですが、だとすればここは不要では?と思えるシーンもあったりと、原作を愛する身としては要所要所でがっかりしてしまったというのが正直な気持ちです。
それでも、素晴らしい俳優陣が相当な努力と表現力でもって各人を演じ、「国宝」をこのような美しく生々しい映像作品として鑑賞できた事、とても嬉しく思います。
歌舞伎に取り憑かれた男
【印象に残ったシーン】※覚え書き
◼️代役の本番前、震えて身動きがとれない喜久雄に俊介が化粧を施すシーン
お互いの血と芸が羨ましいと言い合う2人。2人の葛藤や感情が痛いほど伝わってきて泣けた。
◼️喜久雄が落ちぶれてぐちゃぐちゃになりながらも、屋上でただただ踊り狂っているシーン
美しくも歌舞伎に取り憑かれ狂気を感じる様子がとても印象的だった。吉沢亮圧巻の演技。
◼️片足を失いながらも曽根崎心中を演じる俊介の半分壊死した片足を喜久雄が涙目で抱えるシーン
共に切磋琢磨し、衝突も和解も乗り越えてきた2人の絆とやるせなさが伝わってきた。
他にも俊介の子供を喜久雄が指導していたり、胸が熱くなる場面が沢山。
シーンの切替や話のテンポがよく、3時間の長尺でありながらあっという間に感じた。
とにかく俳優さんの熱演が凄い。歌舞伎のシーンも存分にあったけど、どれだけ練習を重ねたんだろう。
画面の迫力や舞台の臨場感など、是非映画館で観てほしい作品。
上出来の日本映画だけどモヤモヤ
知り合いが「圧倒されます!」と薦めてきたので鑑賞。確かに歌舞伎の上演シーンは素晴らしくて、普通なら客席からしか見れないものを演者の背後から撮ったり、顔面アップで表情を見せたり、照明と演者の動きの踊りを見せたり、音もよくてとても美しかった。客席から見ることこそが真の鑑賞なのかもしれないが、娯楽としての歌舞伎のイメージが爆上がりする映画ということは間違いない。物語もアダルトで優雅なスポ根という感じで、主人公たちの芸への真面目さが「国宝」レベル。何かにひたむきに取り組む真面目な人ほど共感するのではないかと思う。
しかしモヤモヤが残る。
まず、長編小説を3時間におさめるためだったのかもしれないが、女性キャラの物語に空白がありすぎて意味が分からない。キクオが女性キャラ達にかけた苦労こそが、芸の道をきわめるために払った犠牲の大部分なのだから、女性キャラに共感できるような形にしないと「悪魔との取引」の重みが全然伝わらないのではないかと思う。だからキクオが払った犠牲がよくわからないというか、シュンスケが命を削ってまで舞台に立ったのに比べると、キクオ自身は何もしていないように思える。キクオが苦しむ表現も、ボコられて絶望してる感じになるだけで、あまり深みを感じない。
あと子役の撮り方が搾取的でいただけない。これが歌舞伎の女形ではなく、女性アイドルの高みを目指す物語だったら、15歳くらいの女子の子役がアイドル養成学校とかで薄着で汗かきながら振付を練習したりしている姿を舐めるように撮っていい訳がないだろう。またもし何かエロティシズムを表したかったというなら、なぜ大人になった2人にはそれが表されないのか?キクオの化粧をしてあげたり曽根崎心中で足を触ったりするのは確かに印象的だけど、その他は全部スポ根で2人の関係は全然発展しない。ストレートの男性同士が互いに優しくて親密なのは素晴らしいことだけど、ならば子供時代の半裸の練習シーンの撮り方は文脈に合っていない。それに子役がかわいそう。
歌舞伎をぶっ壊してはいけないとは思うけど、週刊誌報道のせいで心中を図った役者が実際にいるし、そういう社会的な側面を上手く扱って歌舞伎界の改善に寄与する映画だったらいいのにと思う。この映画は歌舞伎の舞台が魅力的に見えるというだけにとどまっていて、話自体はあまり尖ってなくて面白くない。原作を読めばのめりこむのかもしれないが。
鬼気迫る
吉沢亮、横浜流星の鬼気迫る演技に尽きる作品。
映像も美しく、主演ふたり以外のキャストの演技も素晴らしい。
後半の「曽根崎心中」は命を賭した情念に圧倒される。
李監督は情念を映像で表現することができる監督。
劇場で観るべき作品。
原作未読なので、人物間の関係性、年月の経過について、もう少し掘り下げてほしかった印象はあるが、3時間の作品なので、そこまで望むのは難しいか…
キャスト、シナリオを含め、たくさんの賞を受賞するのではないかと思う。
見応えたっぷりであっという間の3時間
何か映画館で観たいなと思い、異常に口コミの高い国宝を映画館で鑑賞。
水曜のレイトショーだったから段々の席はほぼ満席だったので、前方席で。
3時間もあるけど眠くならないかな、トイレ行きたくならないかな、大丈夫かな、、、と観る前は不安だった。
しかし、映像のコマ割りがとても綺麗で、場面転換も自然に切り替わり、静寂と荘厳な音楽を使い分けて、全く飽きのこない3時間だった。
場面の理解ができなくても、すぐあとで理解できるようにストーリーが紡がれるので、置いてかれる感もなかった。
3時間に納めるために原作から端折った部分も多くあるのかと感じる部分はあったが、とても綺麗なストーリーでラストも余韻たっぷり。
エンドロールの音楽も良かった。適当なアイドルとか知ってる歌手がAメロBメロみたいに歌う歌ではなくて、しっかりと映画の世界観に合って、気持ちを盛り上げてさっと引くみたいな。
歌舞伎の知識などは皆無であったが、歌舞伎のイメージしている通りで、吉沢亮も横浜流星も最高の演技だった。
どこから声出してるのか、あんな色気のある声と、男の声を使い分けて、しなやかな動きも素晴らしかった。
大画面で、迫力満点の大音量で観るべき映画だった。
面白いけど、過大評価
「映画館で見るべき作品」と聞いて見に行ってきた。実際「映画館で見るべき作品」と言われる所以は理解できた。歌舞伎のシーンは圧巻であり、本当に美しい。美しいという言葉だけでは表現し尽くせない。知識が全くない私でも惹き込まれた。横浜流星、吉沢亮の演技がすばらしい!!映像美、演技の観点では評判通りだったが、ストーリーの方は若干気になる点があった。まず、高畑充希ひどくない!?ということ。歌舞伎の演目と重ねたかったのは分かるが、横浜流星を選んだ過程が描かれていないため、ただの尻軽に見えた。次に、絶望・転落からの復帰があっさりしすぎじゃない!?ということ。屋上でのシーンは素晴らしかった。華やかな役者人生からの転落をまざまざと見せつけられ、胸が痛かった。しかし、そこから次の日には誘いが来て!?突然復帰!?血が大切だのどうのこうの言ってた割に血がなくても案外すぐ復帰できるやんけーと思ってしまった。転落期間をもう少し詳しく描写してほしかった。最後に、あやの(隠し子)との再開のシーンいらないなということ。あの芸妓さんが何番目でもいいから〜とかいって吉沢亮を誘ったくせに、その子供にあんな恨み節言われる筋合いなくない!?あやのちゃんが「あなたが舞台で輝くためにどれだけの人が犠牲になったか〜」みたいなこと言ってたけど、犠牲にしたのってせいぜい芸妓さん(自分の意思では?と思うけど)、あやのちゃん、森七菜、くらいでは?しかもあやのちゃん、吉沢亮のこと大して知らないよね?突然現れてわかったような口聞いてお父ちゃん(涙)とか言っても、何も刺さらなかった!なんだこいつは!と思ってしまった!ストーリーへの文句はこれくらい。それ以外は素晴らしかったです!最優秀作品賞あるかもね
国宝感想
はじめ、タイトルが個人的にちょっと権威的な感じな気がして好きじゃない(なかった)のですが、本編は大変な力作で最後まで興味深く見られました。
一将功成りて万骨枯る、といったところでしょうか?(だけじゃないでしょうが、)
ひとつの道で功を成してきた人というのは、(自他問わず)どれだけの犠牲を払ってきたのかと思うと感慨深いものがありました。
しかし他を引き合いに出すのもなんですが、残菊物語で道頓堀川で錦を飾る歌舞伎役者菊之助と病で荒屋で床に伏せるお徳の犠牲(内助の功)の対比が鮮烈だっただけに、どうしても本作と比較せざる得ませんでした。
思えば、主人公の喜久雄と俊介は、血(筋)か芸かですったもんだするわけで…
しかも二人は他人でありながら家族以上に心情の面では繋がってもいて…
これもまたチェン・カイコーの覇王別姫を思い浮かべる所ですが、
それにもまして丹波屋?の名跡にまつわる二人の関係性が、個人的に本作の突出して良かったところでした。
その梨園の血(筋)には抗えない、その喜久雄のどうしようもない藻掻きが面白かったです
半二郎の代役に(なってしまった)抜擢され楽屋で喜久雄が震えながら言う「俊介の血をガブガブ飲みたい」は喜久雄の懊悩を象徴する最も印象深いセリフでした。
あと気になった所は、少年喜久雄がカチコミに失敗した後、これから父の復讐が芸にどう転嫁していくか?… に、個人的に興味あったんですが、作者が興味無かったのか、どうやらそこに触れられることが無く、最後の鷺娘の紙雪と父が逝ったあの雪景色との心象風景に留めるだけで(そこが良いいのか?)終わってしまった所が惜しい所でした。
また、いよいよ喜久雄と俊介が袂を分かち、駆け落ちしてドサ回りしながらドン底を味わう喜久雄…
万菊に呼び戻されて再び二人藤娘?を踊る件りの、その二人の情感を描かない端折り具合が酷く乱暴に思いました。長尺ゆえの英断だったのか、再会の二人をもっと丁寧に見たかったです。
いろいろ過去の名作と比べて気になった所を上げ連ねましたが、近年の邦画にしては質と量ともに充実し見応えある作品なのは間違いないと思います。
つらつらと考えるうちに、、
国宝とは芸道(美しさ)に悪魔はんに身を売った男の皮肉と捉えると、この嫌った表題がまた違った趣きに見えくる不思議。
それを最たる犠牲者の一人、喜久雄の娘の口から吐露させたのは言うまでもありません。
芸能の世界に落ちる
良かった〜!!!とても没入して観ることができました。
歌舞伎に魅せられ一心不乱に突き進んでいった喜久雄が、転がり落ちていく場面は苦しくて仕方ありませんでした。
見向きもされない余興で踊った後に、観客に暴行を加えられた喜久雄が、酒を飲み屋上で朦朧と踊った時はそのまま飛び降りてしまうのではないかと思いました。というか、感情移入して飛び降りたくなりました。
何度も絶望を味わっても舞台に立ち続ける精神力がすごい。並大抵の人ならどこかで自死してしまうのでは?とさえ思います。
喜久雄が光の当たる場所に戻ってこれて良かったですが、結局は芸の力ではなくて権威のある人物の力で戻ってきたことにモヤモヤしました。
どれだけの芸や技量があっても、最終的に血筋や人脈があって初めて評価されるんかい。と…
喜久雄に力があったからこそ、万菊さんの目に留まったとも捉えられますが…。
俊介は最初から最後まで素直でまっすぐで、とてもいい奴でした。守ってくれる血筋があって、愛してくれる両親がいて、味方になってくれる妻がいて、、喜久雄とは正反対でしたね。
春江も半次郎も幸子もみんな俊介の味方で、喜久雄の周りには誰1人いませんでした。
傷ついて、挫折して、孤独になって、最後には歌舞伎だけが残っていたことが印象的でした。
役作りのために演者は歌舞伎を身につけたのでしょうか…。歌舞伎の世界はわからないので、凄いのかどうかも判断できませんが、舞台のシーンはすっかり見入ってしまいました。役者魂恐るべし
全体を通して、とてもとてもおもしろかったです。映画館で観てよかった!
吉沢亮さん更なる高みへ
公開前から気になっており、映画館へ足を運んだ。1番心に残ったのは、終盤で喜久雄が1人で踊った時に後ろの幕の色が一瞬で変わったシーン。美しかった!これを見るためにここに来たのだ、と思ったくらい。
観ていてしみじみいいなと感じたのは、吉沢亮さん演じる喜久雄と横浜流星さん演じる俊介のやり取り。特に、半二郎が代役を喜久雄に指名する前までの2人の様子は見ていて微笑ましく温かい気持ちになった。その後2人に多くの試練が訪れたシーンはどれも見ていて辛くなった。
ちなみに、私がこの映画を観たいと思った1番の理由は、映画キングダムで最優秀助演男優賞を受賞した吉沢亮さんが更なる飛躍を遂げる姿をリアルタイムで見たかったからだ。吉沢さんが初めて演技をしたのは17歳の時。ルックスへの賞賛が多い中、キングダムでは演技力を高く評価された。現在31歳になられた吉沢さんの演技は絶対に映画館で見たいと思っていた。案の定、スクリーンに吉沢さんが映る度に惹き付けられた。
ここからは、感じたことを率直に書いていきたいと思う。まず、主要キャラ以外の各キャラの心情やキャラ設定をもう少しわかりやすく描写してほしかった。この作品、大元は小説であるが、私は小説を読んでいない。他の方の感想を読んだら、映画用に改編した箇所も幾つかあるようだ。私が、もうちょっとこうだったらいいな、と感じてしまった箇所は以下の通り。
例えば、高畑充希さん演じる春江が俊介と結婚した理由。春江の心情を一言でいいから描写してほしかった。あと、俊介が女性達に囲まれて華やかにお酒を飲むシーン。あのシーンが必要だった理由がいまいちわからない。あのシーンがあったことにより、俊介と喜久雄の性格・境遇が正反対だということ、俊介が御曹司だということはよくわかったが、浴びるようにお酒を飲みながら女性達をはべらす「俊介」という人物、実はめちゃくちゃ「いいやつ」である。3時間という限られた時間でこの作品を深くスッキリ理解するために、敢えて俊介をもう少しだけ「やなやつ」として描いても良かったのではないか。(終始いやなやつにしなくとも、例えば青年期と中年期はちょっといやなやつ、そして晩年でいいやつにするとか…笑)
あと、喜久雄が俊介に「俊介の血がほしい」と発したシーン、神社で悪魔と取引したと言ったシーン、二代目半二郎を襲名するパレードで幼い娘が「お父ちゃん」と追いすがる姿とそれを制する藤駒のシーン。この辺りは私にとっては生唾をごくりと飲み込んでしまうようなシーンだったのだが、どれも後のどの場面に繋がる伏線なのかいまいち理解できなくて悔しかった。
つまりこの映画は私自身の理解力の足りなさにより、様々な大事なシーンを味わい尽くすことができなかったのだ。ひとつひとつをきちんと理解し、スッキリした頭で観ることにより、もっと吉沢さんの美しい舞いにのめり込んで見たかった。悔しい。
ところで、この作品では吉沢亮さんが1年半かけて歌舞伎の女形の稽古をし、本番もかなりの長丁場だったと聞く。ご自身の体力の限界の中で踊った際、監督から「上手に踊れるのはわかったから、喜久雄として踊って」と言われた時の吉沢さんのお気持ちはいかほどのものだっただろう。女形を演じる吉沢さんは、言葉でうまく表せないほど儚く美しかった。横浜さんの演技は、脚を失った後に舞った際の表情が素晴らしかった。
吉沢亮さんと横浜流星さんは10代の時に仮面ライダーで共演されたらしい。年齢や芸歴を重ねたお二人の共演を「国宝」という珠玉の作品で見れて本当に良かった。各キャラクターの設定に自分の理解が追いつかなかったため、1回の鑑賞では十分にこの作品を味わうことができなかったが、海外でも高く評価されたこの作品を観ることができて本当に幸せだった。大切にしたい作品だからこそ、ただ賞賛するだけでなく感じたことを正直にありのままに書いたが、私のこの作品への評価は星5つだ。国宝制作に携わった全ての皆様にお礼を申し上げたい。3時間という長丁場で正直お尻が痛くなったが、素晴らしい作品をリアルタイムで観ることができた自分は本当に幸せである。
吉沢亮さんと横浜流星さんがもっとお歳を召した時、国宝の中で生きていた喜久雄と俊介のように変わらずお互いを高め合える仲で、共に素晴らしい俳優さんのままでいらっしゃったら、きっと私はまた感動するに違いない。
間違いなく力作だが、もっと揺さぶりが欲しい
間違いなく力作である。私が映画館で観た時、3時間近い上映時間の間、誰一人席を離れる者はいなかった。スクリーンに映し出された映像を一瞬間でも逃すまいという熱気で映画館内はあふれていた。近ごろこういう機会は少ない。
予告編を観たときに私の脳裏に浮かんだのは「中村仲蔵」であった。歌舞伎役者の血筋ではなかったが、努力と才能で人気となり、江戸時代の一太歌舞伎役者となった人である。落語や講談の演目になっており、講談師・神田伯山さんの得意演目で、神田伯山さんのyoutubeチャンネルで聴くことが出来る。50分を超える大作だが、長さを全く感じさせない。古典芸能の凄みを感じるはずだ。
ちなみに伯山さんのお師匠・神田松鯉さんは人間国宝です。
実際の歌舞伎役者の方がネットに映画の感想を出されており読んでみると、足の所作がちょっと違うといった感じでかかれていた(全体的には肯定的な表現になっている)。当然であろう。子どもの頃から日々の鍛錬を経たひとからすれば、映画で1年半以上の準備期間を設けたとはいえ、細かいところが気になるのは当然だ。ハリウッド映画が日本を舞台にすると、日本人からすれば何とも奇妙に思える場合が多いのと同じだろう。こちとら日本人を何十年もやっているのだ。細かい所が気になってしまう。
映画の歌舞伎は、あくまで映画の中の歌舞伎として演出されていると思うべきであって、実際の歌舞伎は歌舞伎座などの劇場に行って観るべきだ(松竹系映画館であれば劇場中継もある)。
隠し子のエピソードなど、私たちが歌舞伎役者に持っているイメージにやや寄せ過ぎではないか。
女性陣の描き方が有り体でかつ平板で総じて女性の影が薄い。取ってつけたような役割はどうにかならないのか。
脚本は女性の方のようだが、この辺りに葛藤はなかったのか?
また映画全体を俯瞰させるような狂言回しの役割がいてもよかったと思う。三浦貴大さん演じる竹野が狂言回しとして最適かと思うが、制作陣は意識しなかったのだろうか。
とはいえ、最初に書いたように本作は力作である。そこは認めたいと思う。
冒頭の長崎のシーン、長崎では珍しいであろう深々と降る雪の中、入れ墨が浮き上がり赤い血が白い雪へと染みていく様は、往年の東映任侠映画のいち場面のようだ(本作は東宝配給)。
このあと、少年ら2人は敵討ちを試みるが、これはあとで登場する演目「曾我兄弟」(歌舞伎の仇討ちモノの定番)へと意識付けられている。
歌舞伎が江戸時代に大いに人気を得たのは、なによりも情念を描くことに専念したからだと思う。人のもつ、恨みや嫉みや恋しさ、憎しみといったものに焦点を当てて、観るものの心を揺さぶり続けたからこそ、観客は「よっ、成田屋‼」などと歓声をあげるのだ。
本作での血筋に生まれた者と、才能に恵まれた者との相克がそれほど強い感慨をわたしには与えなかった。
本作は、やや情念がかっらと乾いている節がある。主役二人の情念の絡みがもっと欲しい気がする。
私としては、もっともっと揺さぶってくれ‼と願う。李相日監督はそれが出来る人だからだ。
歌舞伎の主要な演目が紹介され、さながら「教養 歌舞伎入門」という趣きもあり、多くの観客のスノビズムを刺激するだろう。
映画に刺激を受けた人は、歌舞伎だけではなく、落語、講談など古典芸能へと踏み入れてはどうか(これは私自身への鼓舞でもある)。映画を観て、面白かった、よかっただけで済ませずに、まだまだ自分の知らない世界が手招きしていると思ったら、なんとも興奮するではないか。
おとこに賭けるおんなたち
もしかしたら、監督か意図するところではないのかもしれないけれど。
私には、この作品のテーマは、
夢に賭けた男に寄り添う女たちの生き様
に思えてならない。
まず最初に。
私自身は、幼少期から歌舞伎を祖母や叔母に連れられて、長年見続けてきた、ひとりの歌舞伎好きであるため、
正直、大きな期待値を持たず、エンタメとして受け止めるフラットなスタンスで、上映を待ったのだが。
否応なく圧倒された。
どこまでも耽美である。
という表現しか見つからない。
二人の男たちの舞台を陰で支えるのはあくまで己を捨てた女たちであることに打たれる。
物語の軸となるのは、所謂歌舞伎の世界の血筋と
それに抗うかの様な圧倒的な美と才能を併せ持つ
ひとりの男の生き様ではあるのだが。
自分も背中に彫り物を背負いつつ惚れた男を支える覚悟を持つ女、
瞬時に男の才を見抜き、惹かれて、人生を賭すと宣言してみせる女、
何不自由なく生まれ育ち、それ故にか、男の哀愁にどうしようもなく惹かれつつもやりきれない女、
大名跡を持つ男の妻として、我が子可愛さと違い稀な才能との狭間で葛藤しつつ、守るべきものを絶対的に突き通す女、
もし自分なら。
誰の人生を選ぶのだろう。
いや選べるとするなら。
そう漠然と思いながら、
物語に深く没入していった。
わたしなら。
藤駒の生き様を選びたい。
年端もいかない少女の頃に、
出会ってしまった運命の男へ。
うちの人生をあんたに賭ける事にした。
なんて痺れる、男前な台詞ではないか。
そしてその男前な台詞はラストで伏線回収されていく。
惜しむらくは、藤駒の芸事をも飲み込んでいく、そして彼女の芸が結実していく様がほんの少しでも魅せてくれたら。
(それには3時間では足りないのか。)
そして恐らく、殆どの女性が春江のあの場面は納得がいかないのではないか。
それについて、常日頃から歌舞伎贔屓の友人と、
翌日に語り合う事になるのだが。
(あれはあり得ないよねい、
そんなはずないけどねい、と、数々の突っ込みどころはこの際、全て棚に上げた上で。)
春江は、身を挺して男を支える自分を、
愛するタチの女なのではないか。
という見解に落ち着いた。
そしてあの捨て猫の様な哀れな姿の御曹司を
私しか護ってあげられない!
と決めて支える道を選ぶ。
自分の夢というものが、
須く男の隣で支えていく人生とは。
そう言えば。
かなり高名な華道家の方に師事していた頃、
偶然ホテルのサロンで遭遇してご一緒することになり。
(その当時の彼氏の、お坊ちゃま学校として知られた一貫校の先輩にあたる方だった…)
師匠が仰るには。
『あのね、あなたは本当に欲が無いから。
教えてあげるけど、女はね、必死で頑張らなくて良いの。
これは!という男を見つけて育てるの。
そしてその男を王様にすれば良いのよ。
そしたら自分は王妃様なんだから。
あなたの彼、デキる男だから、手放すんじゃ無いわよ!』
と。
当時の彼は既婚者でw
手放すもなにも。
その後、
絵に描いたような御曹司と出会い、
これは!と思ったのだけど…
支える覚悟が足りず、手放す事になった。
(春江はしっかり王妃さまになったが。)
そんな半端な私には、
この物語の数多の女たちの気合いは凄まじくて
眩しい。
木兎は受けた恩を忘れない。
その呪縛を背中に背負いつつ
それでも尚且つどこまでも美しいその姿に。
背筋が凍る様な痺れが走る。
観終わって二日も経つのに
余韻が身体から抜けていかない。
もう一度、
いや、何度か見直したい。
今度は御曹司の所作を、表情を見届けたい。
これは不思議な事だけど。
私が生まれて初めて見たのは、
鴈治郎さんの舞台だった。
幼くて意味もよくわからず、
祖母に訊ねた記憶が残る。
そして、まんまと
歌舞伎に嵌るきっかけとなったのは、
8代目菊五郎を襲名された、菊之助さんの
約20年前の暴力的なまでの美しさだった。
(今も素敵だけど、当時はこの世のものと思えない美しさだった…)
菊五郎さんの父は人間国宝、
そして義父も。
だからこそのキャスティングも
当然あるのだろうけれど。
しのぶさんと鴈治郎さんが
そこに居るだけで、
物語は途端に格調高いものとなった。
間違いなく
日本映画の高みに突出した名作である。
と。断言しておく。
役者という職業の大変さ
この映画に当たって、主役の吉沢亮と横浜流星は1年半の稽古を積んだという。その努力は素晴らしいと思う。ただ、本職の歌舞伎役者は、それこそ映画の中で描かれていたように物心つくころから日本舞踊や芝居の稽古を積み重ねてきている。その域に達するには、1年半という期間は短すぎるのだから、本当に基本的なことと、映画で扱う演目に限った稽古だったのだろうし、そのことは吉沢、横浜両氏も十分に認識していたことだと思う。
何が言いたいのかというと、本職の歌舞伎役者のレベルではないことを承知していながら、歌舞伎役者を演じなければならない「役者」という職業は、本当に大変なのだな、ということだ。もちろん、映画の中の吉沢亮と横浜流星の演技は素晴らしかったことに異論を唱えるつもりはない。両氏の努力には、素直に拍手を送りたい。
映画自体の感想だが、事前に歌舞伎役者諸氏が本作を絶賛しているとの報道を見聞きした。もちろん、歌舞伎の振興を考えての発言ということもあるだろうが、それにしても絶賛と言っていい評価が続いている。それに興味を引かれてこの映画を見に行った。今回、ジャンルは違うが舞踊の世界で50年以上キャリアを積んでいる、田中泯が女形の重鎮を演じており、その舞踊の場面の評価も高かったのでそのシーンに興味を持っていた。結論から言うと、自分自身に歌舞伎や舞踊に対する素養がほとんどないので、残念ながら田中泯の舞踊のすごさは分からなかった。だが、舞踊以外の場面での田中泯の演技は凄かった。田中泯が映画等のメジャーな場所に出てきたのは、映画「たそがれ清兵衛」が最初だったと記憶しているが、その後もどちらかというと男臭い役が多かったと思う。しかし、この映画の小野川万菊を観たとき、これは確かに女形の役者だ、本当の女形だと感じた。芸達者な役者さんばかりなので皆上手かったのだが、この映画でまず印象に残ったのは田中泯の小野川万菊だった。
感想が前後するが、自分はこの映画の原作になった小説は、新聞連載時に読んでいる。上下2巻の小説を(映画としては少々長いとは言え)3時間に落とし込むわけだから、色々なエピソードがカットされているし、原作から変更した設定もある。だが、私は上手くまとめたのではないかと思っている。このあたりは同じ横浜流星が出演し、そして同じく役づくりのためにかなりの努力をした作品で有りながら(私からみると)残念な出来だった「春に散る」とは大きく違う。
なぜ違う映画の事を持ち出したかというと、原作をもつ映画の場合、絶対にカットしなければならないエピソードが出てくるし、設定の改変も必要になる。問題は、カットしたエピソードや設定の改変が物語として生きているかどうかだと思う。残念ながら、春に散るはそこが上手くいっていなかった。対して「国宝」は、その点が上手くいっていたと思う。
例えば、小説「国宝」ではかなり重要な役どころである徳次は、前半部分にしか登場しない。しかし、原作通りに彼を登場させるとなると、喜久雄と綾乃の関係も描かなければならず、そうするととても尺が足りない。思い切った改変ではあるが、映画としては正しい判断だったのではないかと思う。この映画の場合、そうした割り切りが絶妙だという気がした。
おそらく、本職の演劇関係や、歌舞伎関係者がみれば、「それはありえない」という描写は少なからずあるのだろう。だが、元々これはお芝居、作り話なのだ。嘘と真が混じっているお話なのだ。偽りのほうが多かったかもしれないが、歌舞伎の世界に触れられただけでも良かったのではないかと思っている
3時間もあるので再見するかは思案中だが。
面白い
歌舞伎は全く無知、なのに予告で惹かれて鑑賞。
公開後すぐに話題になっていた。
主演の2人が素晴らしい。
それだけでも見応えがある。
静かに人間模様が描かれているが退屈はしなかった。
むしろ3時間弱の映画でも描ききれていなかった登場人物達のその後が気になりもう少し長くてもよかったとすら思った。
転落からの復活、2人の再共演もあっさり。
その辺も物足りないがそれでも久々に終わった後の喪失感というか、言葉に出来ない気持ちで映画館を出た。
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