国宝のレビュー・感想・評価
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美しき化け物
とにかく圧巻の一言。
一生をかけて、ありとあらゆるものを犠牲にして、
血を巡る愛憎も友情も、その何もかもを包み込んでひたすら舞台に打ち込み続ける。
手足がもげようとも、光を失っても、
身体のあらゆる自由を失っても、
役者としての更なる高みを探求する瞳の輝きは何よりも美しく、そして底のない闇のような不穏な異質さも合わせ持っておりこちらを覗き込む度に心底ゾッとした。
舞台上で見る華やかな役者としての顔。
しかし、その内側には、夥しい数の呪いが渦巻いており、役者自身も知らず知らずのうちにその一部に飲み込まれていく。
歴史という狂気に取り憑かれた化け物のようである。
その美しさと恐ろしさの相反する2面性に人は感化され、
おもわず目を奪われてしまうのかもしれない。
国宝が国宝たる所以、しかと脳裏に焼き付きました。
平日昼間でも満員!
心に残ります。
これは本当に凄い。日本映画史に残りますね
予告編を超えた稀有な映画
実は映画「ルノワール」を観ようと思ってたのだが、こちらの映画の評判がやたらに良かったので、その真偽をどうしても確かめたくなり、平日の昼間に鑑賞。長時間映画の割に高齢者率高し。
うーん、やられた(笑)。ほんと、こりゃ圧巻だ。お金を払って映画館で映画を観るという行為をこれまでのいろんな駄作のせいで放棄しそうになっていたが、がんばって続けてきた甲斐がある。
今までどれだけ巧みな宣伝や予告編にどれだけやられてきたことか。もちろんこの映画も事前に予告編を見た。ちなみにこの映画の予告編、そんなに面白そうじゃない。あんまりピンと来ないし、期待できない。しかし、これほどまでに予告編にいい意味で裏切られた映画も珍しい。予告編がかすむくらい本編が圧倒的なのだ。
とにかくいろんな人に観てほしい。きっと観た時の年齢や経験、置かれた状況によっていろんな感想が生まれるであろう映画だ。個人的にはもっと若い時にこの映画に出会っていたらとも思うし、もっと歳を取ってからまた観てみたいとも思う。間違いなく5つ星。
良い映画
カメラは悪魔の目線
芸道映画という映画ジャンルがあります。刻苦勉励して芸の道を究める主人公とそれを支える周囲との人間関係を緯糸に、見事芸の頂点に達する姿を描くパターンの映画です。
日本の三大巨匠の一人・溝口健二監督が1939年に監督した『残菊物語』が、このジャンルの最高傑作といわれていますが、86年を経て漸くこれを凌駕する作品=本作が生まれました。
芸道で頂点(=人間国宝)に昇りつめた、一人の男の波乱万丈の半生記といえますが、周知のように高評価で客の入りも頗る良い作品です。最近の日本映画ではあまり類のない、175分という長尺にも関わらず、全く飽きることなく、間怠いこともなく、一気にほぼ3時間を見終えました。
しかし本作はスジを見せる映画ではなく、飽きさせない映像を巧妙に組み合わせて構成した見事な成果だと思います。
3時間、ほぼ寄せアップのフィックスでのカットで終始しています。ミドルレンジのカットも殆どなく、引きロングは、各劇場の舞台を俯瞰したシーンのみです。
最近の作品で多用される手持ちカメラは殆ど使われず、僅かに吉沢亮扮する主人公の東一郎こと喜久雄が、三代目半二郎を襲名する口上の舞台で起きた、先代半二郎吐血に伴う、ドラマにとって重要な事件の描写シーン、そして三代目半二郎が落ちぶれてドサ回りの演舞後に暴行された後の宴会場ビルの屋上で自暴自棄に陥るシーンのみです。つまり観客が酔うような揺れるカメラワークは殆どなく、どっしり落ち着いて見据えられた、換言すると凝視せざるを得ない映像ばかりで組み立ててあったといえます。
寄せアップのカットは長回しせず、短く切ってテンポ良くつないでいるので、観客はその映像に惹き付けられたままです。更にカメラアングルは殆どが、やや仰角気味で、観客は少し見上げるような映像が続き、少しずつ心理的にその人物に圧倒されていきます。
寄せアップばかりなので、観客にはその人物のその時々の感情のみが具に伝わります。引きロングは情報、即ちその前後関係やその周辺の人間関係や環境等を伝えるのですが、それが殆どないため、観客は専ら人物の感情のみを見せつけられ、客観情報がないままです。完全に感情の起伏に踊らされるがままになり、人物に自然と感情移入してしまい、スクリーンに没入させられていました。
その上、登場人物が非常に絞り込まれています。3時間の長尺にも関わらず、喜久雄、横浜流星演じる初代半二郎の息子・俊介の二人の尺が大半です。これに渡辺謙演じる初代花井半二郎が前半、寺島しのぶ演じるその妻が中盤以降に2人に絡み、少し限定的に高畑充希演じる俊介の妻、見上愛演じる祇園の芸妓・藤駒、森菜々演じる喜久雄のパートナー・彰子、三浦貴大演じる興行会社スタッフ・竹野が、エピソードによって絡むだけです。
今一人、登場シーンはごく僅かですが、物語の転機で重要なリード役を果たしたのが田中泯演じる女形役者・小野川万菊です。喜久雄の初めての舞台見学の時、楽屋での万菊の手招きには不気味なオーラが充満していました。ギリシア神話のサイレーンの如く、喜久雄を怪しく辛く苦しい歌舞伎の世界へ陥れたともいえます。
更に、ドサ回りからの復帰を促す手招きにもゾクッとする怖さが漂っていました。既に臨終間際の寝たきり状態であり、しかもどういう経緯を経たのか、簡易宿泊所の4畳半の薄汚い部屋の中の粗末な布団からであり、喜久雄を魑魅魍魎が跳梁跋扈する歌舞伎界に引き戻そうとする悪魔のような手招きでした。
万菊は、三代目半二郎襲名披露の口上のシーン、先代半二郎が吐血し舞台がパニックになるシーンにも、終始無表情でそこに立会っており、物語の重要な転機での舞台回し役、恐ろしくも無気味な役回りを果たしていました。女形らしく凛として、六代目歌右衛門を彷彿させる演技でした。
万菊の辿った履歴は一切出て来ませんが、これは彼に限ったことではなく、他の人物の私生活や周辺情報は全く触れられず、のみならず喜久雄の私生活も最低限のエピソードを間接的に描くのみです。
全シーンには4W1Hの情報は皆無で、唯一Whatのみ、つまりそこでその時に起きていることのみ伝えられ、あとは観客の想像力に委ねられます。スジの根幹以外は、観客から完全にシャットアウトされていて、あくまで主役2人の言動のみにフォーカスしていましたので、自ずと感情移入し没入していかざるを得ません。
カメラの目線はどこにあったのか、てっきり主人公・喜久雄目線だと思って観ていました。しかし寄せアップばかりで映すにも関わらず、喜久雄の本音の思惑は、実は見えてきません。殆ど喜怒哀楽が表情に出て来ない、又は敢えて出してきません。これは俊介とは好対照で、俊介は都度都度感情を剥き出しにしています。喜久雄目線ゆえに自分以外を客観視して映し出しているせいか、と思っていました。
喜久雄が願掛けして祈るのは神仏ではなく“悪魔”に対してであり、ひょっとするとカメラは、歌舞伎の神様ならぬ歌舞伎の悪魔の目線なのかと思い直しています。将に本作では田中泯扮する万菊の目線だったのではないかという気もしています。
アクションなし、ラブロマンスなし、美しい自然描写なし、そもそも映像の9割方が屋内であり、さらに舞台の演技シーンがその内の半分くらいは占めていました。そんな退屈な構成のはずが、3時間を飽きさせずに惹きつけ続けたのは、一つには脚本の力であり、二つ目は巧みな映像の組み立て、そして何より大きいのは、寄せアップで映され続けた主役2人の、指先まで神経が研ぎ澄まされた技量、更に演技がスクリーンいっぱいに滾るように溢れかえった熱量です。
1972年上演の「曽根崎心中」で喜久雄が演じたお初には、スクリーンに食い入って見入ってしまい、その真に迫った劇中劇の演技には、思わず感極まって全身に震えがきてしまいました。
二人の舞台共演シーン、二人藤娘、二人娘道成寺は、華麗で優美で妖艶で、しなやかな風でいてはんなりと、たおやかで、寄せアップの細かいカット割りで見せられるので、つい前のめりにスクリーンに見入ってしまいました。
また劇場舞台の映し方が秀逸でした。殆どが舞踊、つまり台詞がなくて演者がひたすら舞台上を激しく動き回る演目です。通常公演での舞踊は、狂言と異なり、単に見ているだけではなかなか意味が理解できず、やや退屈することが多いのですが、本作では舞い踊る様の寄せアップを短いカットで切り替えて、その上、演者を360度回転して映し、更に観客席からのアングルに加えて舞台後方からも映し、その熱く激しい動きと表情がリアルにビビッドに観客に伝わってきました。この迫力をスクリーン上で増幅するために、撮影に使用された劇場は、京都・南座と京都・先斗町歌舞練場という、それほど舞台上が広くない劇場です。東京・歌舞伎座は舞台上が広すぎて、映像にすると間延びしてしまったと思います。それゆえに歌舞伎座はファサードのみ使い、劇場内部は南座であり、先斗町歌舞練場のやや狭苦しいロビーや楽屋でした。築98年の先斗町歌舞練場のレトロで重厚な時代感が巧く使われていました。
今の歌舞伎は松竹が興行元であり、歌舞伎座、南座は松竹の劇場です。またスタジオ撮影はほぼ東映京都撮影所で行われ、従い殆どの仕出しは東映京都の俳優です。
にも関わらず配給は東宝という、奇妙な組み合わせの作品でもあります。
3時間目が離せない静かな緊迫感と映像美
ガブガブ飲みたいんや
以前王様のブランチで紹介してたのと評判がいいので遅ればせながら9:30より観ました。いやぁ~良かった。余韻を感じられる素晴らしい作品でした。任侠に生まれ、芸の道に人生を捧げる喜久雄の50年の物語。国宝までたどり着くまで幸福に見えたのは少年時代、ライバルであり親友の俊介と芸に勤しんでいるとき、共に舞台に上がっている時、春江と過ごす時間。誰かといる幸せや、心休まることを全て犠牲にして、芸に向き合う。ラストシーンで人生の全てを芸にかけたからこそ見れる景色。本当に何かを成し得ようとするならば、全てを投げうる覚悟が必要。吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、みなさん素晴らしい演技。吉沢亮と横浜流星は、複雑な関係性を見事に表現した。本音と建前と思いやりや葛藤する思いがすごく伝わった。「曽根崎心中」を演じる吉沢と横浜の演技にはグッときた。観て損しない作品です。日本中の方にお勧めする映画です。糖尿病は怖い。みなさん健診で血糖値を測り気をつけましょう。
素晴らしい映画を観ました
見応えあり!題材、キャスティング、映像美に大満足!
学生時分に 養成所出身の役者さんに魅せられて 歌舞伎ファンになった自分にとっては、色々と思うところがあるテーマだった。
才能、意欲、努力、美貌、従順さ、人気よりも「血筋」や「格」がモノ言う梨園の世界。
かと言って「家柄」が素晴らしいだけでは務まらないのが歌舞伎役者である。
とは言っても、やはり地位や環境に恵まれた「名家」が名優を育んでいると感じるし、使命を全うしようと命を削る「世継ぎ」が生まれてきてくれたからこそ守られている伝統文化だと、最近はひしひしと感じるようになった。
役者が紆余曲折、試行錯誤している間に、観客だって年を重ねる。考えや感じ方も変わる。
深く刻まれた皺に入り込んだ白粉の老大家に感じる美しさと色気。凄み。散り際の美学が 少しでも理解できるこの年代になって、この映画が観れたことは幸いだった。
進む方向は同じでも立場や力量の違う役者2人の苦悩や思惑をドラマティックに描き、明確な「序列」によってバランスを保つ特殊な業界事情についてや 役者の生き様を約3時間にまとめ上げたのは見事だと思った。原作を読んで もっと理解を深めたいし、歌舞伎にもっと足を運びたくなった。
感動しました
長さを感じない
俳優、美術、音楽…全てが完璧にはまっていた。
今村以来、いや黒澤以来?
最近観た映画の中でダントツ1位‼️
キラキラ
最近、ジークアクスにハマってるせいか、キラキラを求め身勝手な行動をする喜久雄がマチュに見えて仕方なかった
真面目にレビューすると、この映画は歌舞伎をあまり知らない人のほうが楽しめるのではないかなと思った。
曽根崎心中はストーリーにかなり関係するので、あらすじを調べてから観に行った方がいいが、歌舞伎に馴染みがあるとそのフィルターを通して見てしまうので、そんな甘くない、歌舞伎はこんなんじゃないと本当の歌舞伎と照らし合わせて粗を探すような見方になってしまうと思う。
歌舞伎を知っている人からすれば色々ツッコみたい部分(舞台上で頷き合うところとか)はあるだろうが、これは"歌舞伎"ではなく"映画"なので、そこは差し引いてみてほしいと思う。
そして、凄いと思ったのが吉沢亮の演技力。
ずっと喜久雄の影がありながらもギラついてる少し嫌な雰囲気が凄くこの映画を引っ張っていた気がした。
あと凄くきれいなところが喜久雄が客に殴られたあと屋上で鬱々としてるシーンで、喜久雄の背中と持ってるウイスキーの瓶が背後の街明かりで照らされて、光の輪郭を帯びていて、それがとても綺麗で好きなシーンだった。
あと観てる最中「JOIKA 美と狂気のバレリーナ」という「国宝」と同じく、実力はあるが、血のせいで認められず苦悩するバレリーナの映画を思い出した。
全体的に見応えのある映画だったが3時間は流石に余程の映画でないと長い
全1500件中、821~840件目を表示
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