国宝のレビュー・感想・評価
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原作未読者には辛いかも
立花喜久雄を演じる吉沢亮と、大垣俊介演じる横浜流星は役作りのためにいったいどれくらいの労力と時間を割いたのだろうかと思わせる渾身な演技でした。
この2人の渾身な演技がなければ「国宝」はコケた作品になったに違いありません。
春江演じる高畑充希、彰子演じる森七菜、藤駒演じる見上愛のヒロインと喜久雄の関係がこの作品のキモとなるのに、その描き方がテキトー過ぎです。
特にいい加減過ぎたのが大垣俊介と春江との関係が『えっ?それだけ?』と思わず目が点になったほどです。
上映時間の175分の半分以上は濃密かつ美麗な歌舞伎の世界を描き、最も重要な人間ドラマが希薄でテキトー。
なんともモヤモヤ感が残る作品でした。
吉田修一原作、李相日監督 の「悪人」、「怒り」は『あぁ、邦画はまだまだ捨てたもんじゃないんだ!』と思わせる素晴らしい作品だっただけに少し残念でした。
悪魔との契約後も努力し続けることを止めない『ファウスト博士』
予告編を見、荒筋を読んだ限りでは、
「氏より育ち」が「梨園の家格」を凌駕するお話か、
真逆の「血は水よりも濃し」の落としどころかと思っていた。
なぜなら歌舞伎の世界での
血筋に重きが置かれることは論を待たず。
先代が廃業し後ろ盾のない『獅童』や
養子である『愛之助』の立場は耳にするところ。
更には「高麗屋」と「成田屋」の
昔からの関係も同じ文脈。
浮世絵に描かれている両家の役者を見れば、
特徴的な鼻の形の区別がつかぬ時さえある。
そんな中で異色は『玉三郎』か。
1950年の生まれで早くして人間国宝に。
梨園の出ではなく、高身長に左利き、
養父も随分と若い頃に亡くしている。
にもかかわらず今の地位。
どれだけの研鑽を積み、いかほどを犠牲にしたのかと、
頭を垂れる思い。
本作の主人公が女形とのこともあり、
『玉三郎』の姿が投影されているようには見える。
もっとも劇中で、血と芸についての言及がないわけではない。
御曹司を守ってくれるのは血筋だし、
部屋子を守ってくれるのは身体に染み付いた稽古の結果だと
いみじくもふれられる。
とは言え、二人の主人公が、堕ちるところまで落ちても、
最後のよすがになるのが芸への執念なのは
もっとも感銘を受けるエピソード。
その線上で『寺島しのぶ』のキャスティングは興味深い。
当初は梨園の慣わしについて素で演じられることが眼目かとも考えたが、
ストーリーが進むに連れ異なる思いも湧き上がる。
『菊五郎』の子供に生まれながらも
女であるばかりに歌舞伎役者にはなれない。
加えて母親は易々とは越えられない高い壁の『藤純子(緋牡丹のお竜)』。
が、身体を張った演技で数々の賞をものにし、
今では一枚看板に。
彼女の生き方もまた本作に重ねて見えてしまう。
歌舞伎の世界でも四肢を失ってなお舞台に上がった役者が
江戸時代には居たよう。
しかしより最近の例としては『エノケン』を思い起こす。
脱疽で右足を大腿部から切断しても
義足で舞台に立った気概には感銘を受ける。
『吉沢亮』と『横浜流星』の努力は認めつつ、
舞踊家『田中泯』の演技と踊りが
二人を凌駕していたのも事実。
とりわけ劇中での〔鷺娘〕は、
短い尺ながら自家薬籠中としている。
できればフル尺で観たいものだが・・・・。
一番色っぽかったのは田中泯?(笑)
久々に90点上げちゃいます。3時間があっという間でした。
こんな事書いちゃ申し訳ないんだけど物語は思ったように展開し、思ったように終わりますが、それがまたなんと心地の良いことか。
本当の主演は吉沢亮でしょうけど、横浜流星が助演では可哀想なので、まさにW主演と言ってもいいと思います。後半3分の1はまさに横浜流星が主演でした。
歌舞伎の世界が舞台の映画なのに配給が東宝ってのも「ん?なにかあったの?」なんてゲスな勘ぐりをしたくなりますが、松竹の社員さんたちが悔しがってないかな?とも思います。
本当に美しく、強く、気高く、脆い二人の主演でしたが、私にとって一番色っぽかったのは田中泯であったことは内緒です(笑)
アカデミー賞に出品しないかな。国際長編映画賞受賞すると思うんだけどな。
歌舞伎の悪魔を憐れむ歌
李相日× 吉沢亮×横浜流星「国宝」血筋を重んじる歌舞伎の世界に人生の全てを賭けた男の物語。ロバート・ジョンソンはブルーズのためにクロスロードで悪魔に魂を売ったけど、吉沢亮演じる喜久雄は長崎の冬の夜に父の最期を見た時すでに芸の悪魔と契約していたのかもしれない。
終盤の壮絶な「曽根崎心中」のシーンである人物がつぷやく「こんな風には生きられないな」のつぶやきは映画を観ている人たちの代弁とも言えるけど、ひょっとしたら李相日の思いかもしれないなと考えたりしたな。
あと、吉沢亮と横浜流星は当然素晴らしくておそらく映画賞レースを席巻するんだろうが、この2人を喰う存在だったのが人間国宝を演じた田中泯で、その色気と悪魔性が混在する佇まいは圧巻でした。
傑作
近年にない邦画の最高峰と言っても過言ではない
これ全編、圧巻の超一流の芸を見せつける、本年ベストワン級の作品の登場です。ここで言う芸は、話の核である歌舞伎の芸の伝承のみならず、映画としての監督・役者・撮影・衣装・メイク・音楽・美術などなど、息をのむ程に凄まじい完成度の技量と言う芸をさす。どのシーンをとってもクライマックスの高揚感に満ち、冒頭からずっと、体が痺れる程の感銘を受けました。
原作の吉田修一とは相性がいいのか、李相日監督にとって「悪人」2010年「怒り」2016年に続いての本作。真っ向から歌舞伎の深淵を相手に、とんでもないエネルギーを使ったものと想像に難くない。歌舞伎の松竹の制作ではなく、東宝なのが気になるけれど、監督としてこれまで彼を支えてきたのが東宝なのだから結構なことで。それに応えるべく、東宝としても相当の制作予算をかけた大作なのは画面の隅々から伝わってくる。そもそも東宝歌舞伎の歴史もあったのですし、本作も松竹のみならず東映までも関わっているわけで、邦画の最上級と言って過言ではないでしょう。
「俊介(横浜流星)の血をコップで飲みたい」と述懐する喜久雄(吉沢亮)が本作の要で、誰しもが思う歌舞伎の世襲に対する違和感が映画としての力強いベクトルとなっている。興行サイドの竹野(三浦貴大)のセリフ「今は同じ様に扱ってくれるが、いずれ損をみるのはお前だよ」が私達の感覚なのは確かでしょう。およそ日本の古典芸能に世襲が当然の世界は多い、その世襲に対する世間の懐疑を払拭すべく一層の精進に励む。もちろん外様からの移植も現実にあり、芸に対する能力は天性のもので、本作のように血を凌駕することもある。
その「血」と「天性」とのシーソーを二人の青年に託し、その生々流転を描く。そこに入る前の少年期が結構長く、また演ずる少年がとてつもなく魅力的で、いつになったら吉沢と横浜になるのか?なんて忘れそうに。ことにもイントロである正月の長崎の描写だけで、心を鷲掴みにされました。1964年と言えば東京オリンピックの年、なのにこの時代がかった任侠宴会が、料亭の大広間で一気呵成に描き切る。興行主への挨拶に訪れた半二郎との出会いにより少年の命運が決まる。
大阪での部屋子生活からは、同い年の跡取り息子である俊介とともに切磋琢磨の日々。厳しくとも練習が出来る喜びを炸裂する喜久雄が微笑ましい。やがて、本来の主役の二人に代わるが、まるで違和感ない。よくぞ、当代きってのイケメンかつ演技派の吉沢と横浜が押さえられたもので。美形揃いでなければ決して成り立たないお話で。鏡に向かう姿勢からして完璧に物語を表現し、白塗り娘に仕上げた美しさは格別で、しつこいくらいにアップで捉える。
ただ、彼等を取り巻く女たちの描写に手が回らず、ことにもラストシーンでの父親との再会も、なんの情緒も湧かないのが惜しまれる。寺島しのぶ扮する半二郎の妻も、「この泥棒が・・」と喜久雄を責め、五月蠅く冷酷にしか描かれないのも残念で。舞台化粧後も一瞬どっちかな?と迷うシーンも多々あり、悩ましい。国宝たる万菊(田中眠)が引退後とはいえ何故に安アパートなのか? などなど仔細に、程ほどの欠陥も内包してますが、舞台への執念描写の力強さの勢いで十分となってしまいます。
そして歌舞伎の名場面集を客席からだけでなく、舞台にもグルリと回るカメラで、実際以上に美しく感動的に描写されるのが圧巻です。主演の二人も相当どころか、それこそ血のにじむ鍛錬の成果が、映像に血となり肉となり定着しているのが、観客に伝わるのです。女郎の「はつ」の気持ちに入り込まなければまるでダメとセリフにあるとおり、吉沢と横浜は入魂の演技を成し遂げた。二度にわたる曽根崎心中の舞台は、それぞれの内面と重なり見ごたえ充分です。
本物の美しさ
吉沢亮さんが魂を削って演じた東一郎は見せかけではなく本物の歌舞伎役者女形として生き、どのシーンを切り取っても見惚れる美しさがあった。歌舞伎の知識のない私にも台詞一つ一つの“間”の取り方や手先に至るまでの所作に魅入ってしまう贅沢品。
生まれながらに歌舞伎の神様に愛された男というよりも悪魔に取り憑かれてしまった東一郎が恐ろしくも儚げでした。
作中ブロマンスを思わせる横浜さん演じる双子のような片割れ半弥の存在が悲哀のポイントでもあったが、青春時代2人で大舞台まで上がっていく姿が眩しかった。
個人的には一番人間味のあった三浦さん演じる三友社員竹野の心の変化、成長にも驚かされた。
反面女性の登場人物の心情が終始理解できず感情移入が難しかったのも事実。後半は畳み掛ける展開のアップダウンが激しく気持ちが追い付かない…。
いやしかし歌舞伎のシーンは本編の半分を占め、盛り上げる和楽器も迫力満点。主題歌の原摩利彦feat.井口理「Luminancs」も世界観に違和感がなく癒されました。
劇場でこそ観るべき一作です。
歌舞伎と心中
美しかった
美しき狂気
吉沢亮と横浜流星の演技(踊り)は圧巻。 今年一番の邦画だと思います。
ヤクザの親分の子、喜久雄(吉沢亮)は15歳の時に抗争で父を亡くし天涯孤独になる。
喜久雄の才能を見抜いた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎は彼を引き取り歌舞伎の世界へ飛び込むことになり、半二郎の跡取り息子俊介(横浜流星)と兄弟のように育てられる。
そんなある日、事故で入院した半二郎が自身の代役に跡取りの俊介ではなく喜久雄を指名したことから、2人の運命は大きく揺るがされる。
この代役として喜久雄「吉沢亮)が演じた曽根崎心中のお初の演技はとても素人とは思えない演技で映画鑑賞している全員が生唾を飲んでいた。
この踊りをみた俊介は自分の未熟さを知り歌舞伎の世界から距離を取る。
その後、喜久雄が任侠出身とされ歌舞伎界から終われるが、年月が経ち二人は和解。二人して舞台に立つが今度は俊介が糖尿病を患い義足になってしまう。
それでも俊介は歌舞伎への情熱はなくならず、義足をつけ命をかけて喜久雄と曽根崎心中を演じる。この時の2人の演技は凄いの一言。
その後、俊介は糖尿病により亡くなるが、喜久雄は齢を重ね若くして人間国宝になる。
映画の最後には喜久雄が踊る鷺娘はこれまた、物凄い踊り。
3時間はアッというまでした。
チュニジア人カメラマン
細かい点が気になる
全体的には面白かったし、「今1番ほしいものはシュン坊の血や」はグッときた。これがやりたい映画とわかった瞬間でもあり、そこから加速的に面白かった。
ただ、すぐ撃たれて死ぬ永瀬になぜわざわざ「見とけよ」と言わせたのか。なぜ渡辺謙は劇的すぎるタイミングで血を吐いたのか。「悪魔はんと取引してた」とまで子供に言う必要はあったのか。森七菜は必要なキャラだったのか。見上愛の「ウチ、東一郎はんに決めた」の唐突さは狙いなのか、尺の問題なのか。などなど、細かい部分で引っかかることが多かった。基本的にはセリフで言い過ぎ問題だ。言わんでも分かるけどなぁという描写はいくつもあったと感じている。
それ以外で特に気になったのは、観たい部分をすっ飛ばすこと。高校生シュン坊がキクオを受け入れるキッカケくらいは観たかったし、大人の二人がどうやって仲直りしたのかも観たかった。
「今1番ほしいものはシュン坊の血や」を1時間くらいで言わせるという計画で作っていれば、余分なセリフも余分な登場人物も自ずとキレて短くできたんじゃないかなぁと思った。やっぱり3時間は辛いから。
心配ないさ〜
見る見ないは自由だけど、いま見るべき映画
語り出したらキリないですが。今は何でも配信サービスで見れてしまうけど、実際に映画館に行って、デカいスクリーンで「映画を見る」っていう時間と行為は、やっぱ大事なんだと思わせる力がありましたね。ショート動画ばっかり見てちゃダメだわ。最後の演目では、アオリをつけたり斜めに構えず、真正面から見せる構図になっていて、実際に目の前で喜久雄が舞っている、そんな錯覚を覚えました。あと、ポップコーン食ってる暇はないよ。3時間あっという間〜って、ホントかよ。いや、あっという間でした。泣く映画ではないだろうと思っていましたが、予告でも出てくるあのシーンではボロ泣き。その後も涙は止まらず、疲れ果てて映画館を出ました。「まあ、どうせそのうち配信されるだろう」と言わずに、公開終了する前に是非映画館で見てほしいです。
ドキュメント映画
これ米アカデミー賞の外国作品部門いけるのでは?
全1412件中、261~280件目を表示
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