国宝のレビュー・感想・評価
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歌舞伎役者、そもそも大嫌い!
3時間なんて耐えられるか心配でした。
1列目だったし。
いやいや、ふたりの人間の人生の二転三転、
流転劇。。
飽きるどころか、とにかく見逃してはいけない、くらい真剣に鑑賞させていただきました!
ワタシ的には
最初の復讐の顛末、知りたかった。。
森七菜さんの役どころ
必要だったのかな?なんて思ってしまいましたが。
(小説未読のため、実は大切なシーン、役どころななんだろうなあ)
血が欲しかったんだろう。。苦しいね。
3時間で収めるにはイロイロありますよね。
子役たち、光ってましたね!
ぼくのお日さまの越山敬達くん、
俊ぼん役、良かった
もちろん、黒川想矢くんも素晴らしい
吸い込まれました
とにかく
吉沢亮さん、横浜流星さん
素晴らしかった!
だって売れっ子のお二人がお芝居とはいえ、
所作から演技から歌舞伎の稽古など長い時間をかけて表現して見せてくれた
いやー、並大抵のことじゃないですよ。
体力、知力、忍耐力、信念、役者魂…などなど
イロイロな言葉が溢れてきています。
酷評する方もいますが、素人のおばちゃん的には
素直に映画を鑑賞できました。
吉田修一氏、李相日監督、沢山の努力やご苦労の
積み重ねでもありますね!
あした、職場でオススメします
もちろん、2回目も見に行きます。
1回じゃ勿体ない…
歌舞伎のことはよくわからないけどすごかった!
出演者が目当てで鑑賞しました
後に国の宝となる男は、任侠の一門に生まれた。
この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄は、抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。
そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介と出会う。
正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人。
ライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくのだが、多くの出会いと別れが、運命の歯車を大きく狂わせてゆく...。
誰も見たことのない禁断の「歌舞伎」の世界。
血筋と才能、歓喜と絶望、信頼と裏切り。
もがき苦しむ壮絶な人生の先にある“感涙”と“熱狂”。
何のために芸の世界にしがみつき、激動の時代を生きながら、世界でただ一人の存在“国宝”へと駆けあがるのか?
圧巻のクライマックスが、観る者全ての魂を震わせる―― 。
というのがあらすじ!
出演者が目当てで鑑賞しました!笑
吉沢亮さんと横浜流星さんの2人のコンビでしたので笑
2人の役は最初は仲悪くなるのかなと思ったら意外とお互いが高め合っていく関係性でしたね
でも血によって人生が狂いましたね
俊介は姿を消すけど戻ってきたらメインになれるし血筋ってそんなに大事なのかって思いましたね
半次郎が亡くなってからは喜久雄はメインをすることはな なかったみたいで…
血筋の前では芸はかなわなかったですね
芸のために全てを差し出したのにこの時ばかりはだめでしたね
それに人としてかなり酷いことをいろいろしてた気がします
あと屋上でのシーンはほんとにそのまま落ちてしまうじゃないかってぐらいに思えてひやひやしました…
一つ気になったのは彰子はこのシーンでのことでいなくなったのかな?
その後全く出なくなりましたよね
そしていろんなことがあったけど憎みきれなくて歌舞伎で再び一緒の舞台に立ってましたね
最後には人間国宝になり娘にも再会して鷺姫を踊ってる姿は美しかったです…
歌舞伎のことはよくわからないですけどすごかったです!
うまく言葉にできないですけどほんとにすごくて見入ってしまいました…
約3時間あるとは思えないぐらいあっという間に終わった印象です
想像できないほどかなりの練習をしてきたのだろうと思います…
それが伝わるほど特に舞台のシーンでは緊張や緊迫が感じられて息も忘れるほど釘付けになりました!
素晴らしい映画をありがとうございました😊
アイデンティティの発露を見る紛れもない傑作
序盤、タルい映画かなぁと見ていたが、高畑充希と横浜流星の駆け落ちに「うん?」となる。原作は読んでいないが、映画シナリオ的にはさすがに無理があるかなと思ったが、横浜(家元)=日本と置き換えると俄然面白くなる。
実情はどうかはしらないが、昨今SNSではクルド人などの問題もあり、日本人による日本の存在が問われている。
外様に名前を奪われた横浜は紆余曲折を経て帰っては来るが、壊死により片足を失い、最終的には死んでしまう(明確に描写はされない)。
で、吉沢亮。
彼が襲名する事が、日本の凋落といえば言い過ぎかもしれないが、失われていく様とリンクしていく。途中、お互い出たり戻ったり仲直りもするが、結果的には日本の血を家元から排除する。それでいて最後、カメラマンの娘から自身のある種の否定に対して見つめることしかできない。なぜか?田中泯からも言及があったように嫌々ではあるが、逃げることも出来ず、自ら悪魔に魂を売った事実は否定も肯定もできないから。歴史の中でドサクサに紛れながら、意思を持って日本を侵食していった何か。それを描く李相日。言わずもがなだが、彼のルーツは在日である。彼らが日本に血として入っていく歴史を描いている映画なんだと気付かされたとき、この映画が持つ意味の重さを感じることができる。
大手配給で観客を呼べる若手の俳優を使いながら、シネコンでちゃんと集客した上で、自身のアイデンティティを描くというのはなかなかできるものじゃない。それを見事にやってのけた監督に脱帽。
そういえば、ファーストカットでも首筋に色を塗るという暗示的なスタートになっていたようにも思う。
話変わって、映画にでてくる女性たちは血というものを大事にしているように感じる。唯一吉沢側になびいた森七菜ですらも「もう止めよう」のセリフ以降全く出てこなくなる。恨みつらみを語った前述のカメラマンを始め、監督は女性に対してどのような想いがあるのか是非聞いてみたい。
これらを3時間ちゃんと見せてくれて最後国宝という文字が縦字で出るが、縦に線を引いて半分に割ったとき変な異物(玉の中の、)のせいで綺麗なシンメトリーにならないのかぁとか思ってみたり。
久しぶりに良い映画を観た充実感はあるものの、自分に歌舞伎の素養がないのが残念。曽根崎心中くらいはなんとなくわかるが、役者の演技の上手い下手が観ていてわからなかった。もう少し勉強してからもう一度見れば、もう少し深みにはまれるかもしれない。
『エンターテインメント』
一度の鑑賞での私見。文中すべて敬称略。
歌舞伎への理解はそれほど深くはなく、念のための予習(原作読破)もかけ足なので、文学としての『国宝』をさほど噛み砕いた思いも持てないまま劇場へ向かった。
田舎町では上映されなかったので近場の町まで車で一時間半のドライブをしての鑑賞。往路は眠気との戦いで、このままでは3時間の長尺上演中もしかしたら居眠りするかもとの杞憂もあった。だが睡魔に襲われた瞬間は一秒たりともなかった。画面から全く目をそらすことができなかった。
原作上下巻のボリュームはけっこうなもので、これを映像化するとなるとかけ足もしくはつまみ食いになるのは必定で、レビューの中にも(特に女性の描き方が)深掘りできていないという意見が散見される。
しかし私は寺島しのぶを除いて「女性の存在は不要」とも感じた。二度の濡れ場などは全くもって不快でしかなく、絢爛な映像の中にポタリと落とされた泥水のように思えてしかたがない。むしろ長崎の養母である宮澤エマを再登場させて欲しかった。
原作は文学であっても映像は『エンターテインメント』を謳っている。芸事に精進する二人の青年の葛藤を描くのに恋愛はもはや不要とさえ言えようが、エンタメには色事が必須なのであろうか。しかし3時間で描ききれないのなら、真っ先に削るのは女の存在ではないか。
喜久雄と俊介の間にある才能と血縁への計り知れない渇望に、男女の恋愛など挟み込む必要はない。吉沢亮、横浜流星ふたりの若い役者が短い期間で鍛錬を重ね、観る者を楽しませ、あるいは息苦しさを誘う舞台を披露する姿をただただ堪能すればいいのだと感じた。
蛇足の最たるものは最後の最後で登場した綾乃である。「なぜここにこんな形で……?」の戸惑いしかなかった。「悪魔と契約を交わした喜久雄」が捨てたものの象徴としての隠し札だったのかもしれないが、そもそも「悪魔と契約を交わした」描写と結果がこの作品ではあまり活かされていないので、せっかくの瀧内久美の無駄遣いとしか思えなかった。
もしかしたら『エンターテインメント』という煽り文句は興行上での建前で、李監督は吉田文学の再現をしようと試みたのかもしれない。そうだとすれば試みは失敗に終わったのだろうが、歌舞伎という若い世代にはあまり馴染みのない題材をテーマにある程度の集客に成功しているからには、物語の映像再構成は成功したと言える。
序盤は二人の若く見目麗しい女形の舞踊主体の演目が多く取り入れられ、観客の目を楽しませてくれる。互いの不遇の時間を経て復活を果たした後にはあの「曽根崎心中」。二度目の曽根崎心中にはさすがに心震えた。希代の名女形である三代目澤村田之助を思い浮かべる観客も多かっただろう。
物語は喜久雄の父が命を落とした1964年から始まり、シーンが変わる毎に数年後を描くという形になっている。同列に語るにはテーマが違い過ぎるが、同じ尺の映画で取り上げさせてもらうならもう何度鑑賞したか分からないほどの「ゴッドファーザー」である。あれも一人の人間の一代記とも言える作品だが、主人公のマイケル・コルレオーネが時を経るごとに本質から変化しているのがよく描かれている。
本作がダイジェストでしかないと言われる所以は、○年後と時代が飛んでも喜久雄の根っこに変化がないせいではないか。芸道一本道をただひたすらがむしゃらに進む姿を描くためには必要な時間経過とは言え、描写にもう一工夫あれば、と悔やまずにはいられない。
ともあれ、ここ数年の鑑賞作の中では出色の出来であることに異論はないし、演者の熱演とキャスティングの妙(特に田中泯!)には唸らされることしきり。これで喜久雄の阿古屋が観られたらすべての文句が引っ込んでいただろう。
そもそも原作からして養子にも入っていない部屋子が名跡を継ぐあたり、現実ではありえない設定であるからには、映像化された本作は四の五の言わずただ美しさを楽しめ! と目の前のテーブルに載せられた満漢全席なのだと言えなくもなく、そうでも考えないと最後の演目『鷺娘』の大仰・大音量のOSTには納得できない(非常に残念な演出だった)。
余談だが、丹波屋に引き取られるくだり。「徳ちゃんどこいったんかいな」という疑問が涌いたのだが、「仇討ちでヘマをした」という喜久雄の返事で私の中では徳ちゃんはその際に権五郎の元に行ったのかと思い込んでいた。しかし本作を心から愛している皆さまのレビューによってどうやら裏設定では事業で成功していて、喜久雄を応援し続けているということがわかり、ホッとしたやら見逃した自分が悔しいやら。
余談2
NHKの『100カメ』をいう番組をご存じだろうか。先月、べらぼう収録の裏側が放送されたのだが、横浜流星が他の出演者が何日も苦労して会得した俄祭りの踊りの振り付けを、収録現場であっという間に覚えてしまったという場面があったが、その時の振りがなんとなく女形の方だなあと感じられた。本当に余談。
歌舞伎通ではないと楽しめないのかな
みなさんの、特に評価の高い方の書かれていることが、残念ながら実感できなかった。確かに両主役の演技は目を見張るものがある。最初の国宝(田中)の演技もCGを1回つかっているが、優美な感じがすごく出ている。それでも3つ指摘したい。春江は俊介と出ていくが、何故、春江が出て行ったのか、そこがしっかりと書かれていない。また、半次郎(渡辺)が逝去したとしても急に落ちぶれるのは何か、丁寧ではない。さらには、喜久雄が復活するのも他力(国宝の力?)となり、見ている人の喜びが少ない。
これは、本を読んでないものの感想なのかもしれないが、主人公が芸のみに生きていくところの研ぎすまれ方(悪の模様だが、カッコ良さ)が見たかった。私にとっては、もう少し丁寧にわかりやすくしてほしかった。時間が短かったのかな。ただ、あっと言う間の3時間だった。正直、映画館でなかったら、ギブアップしていた。
才能か、血か(世襲か)、遺伝か
約3時間と上映時間は長いですが、ちょっと展開が早すぎて、見てる側に多少の補正が必要になります。
ただ、原作小説がなかなかの長編であるらしいので、そこは致し方ないとは思います。
「オレにしかできないお初をやる」
俊坊のこの台詞・覚悟は個人的に刺さりました。
糖尿病で倒れる2代目半次郎
同じく糖尿病で倒れる半弥
世襲か?遺伝か?
世襲が慣習だとしたら、遺伝は逃れられない運命。
慣習は逃れられるけど、運命からは逃げられない。
俊坊は一度、歌舞伎から逃げたけど、遺伝の糖尿病からは逃げられなかった。
すごく切なかった。
一方で、才能を開花させるにも、本人にはどうしようもできない運命のようなものがあります。
よく言われるのが「縁」というものです。
運命は受動的ですが、縁は能動的な要素を含んでいるような感覚です。
喜久男は干されてる間も演じることを止めませんでした。止めなかったことが再起の縁を引き寄せました。
記者から、「史上最年少で人間国宝になり、順風満帆な軌跡でしたがどうでしょう?」みたいなことを聞かれますが、
喜久男はひと言「関わってきた皆様のおかげです」と答えます。(北島康介の「なんも言えねぇ。。。」を思い出しました笑)
上映時間の3時間はこのひと言に集約されているようで重さを感じます。
「オレにしかできないお初をやる」
「関わってきた皆様のおかげです」
そんな人生を歩んでみたい。
帰ってきた王道日本映画。大画面から溢れる吉沢亮の圧巻の演技に心震える!
日本の伝統芸能歌舞伎の世界を舞台に繰り広げられる人間ドラマ。閉鎖的な世界と言いながら、繰り広げられるのは、才能、血統への劣等感と親子愛、師弟愛、現代社会に共通する人間の本能に迫るものがあります。しかし歌舞伎独自の素晴らしさを見事な映像美で見せてくれ、また演じる吉沢亮、横浜流星の歌舞伎、演技がすばらしく、170分画面から目が離せません。李監督、ドラマ部分は、歌舞伎関連に集中しているところもありますが、その分歌舞伎世界をしっかりと描かれていて、この映画の完成度の高さに酔いしれました。撮影はソフィアン・エル・ファニ。まるで外国映画を見ているようなカメラワークが素晴らしいです。劇場はほぼ満員。私の見た回は、中年以上が多く、嬉しかったですね。
血を受け継ぐ意味
妻が【関西歌舞伎を愛する会】に所属してまして 結婚前ですから 30年以上前に南座で初観劇しました。以降、主に上方歌舞伎を中心に年数度、歌舞伎を観に行きます。仁左衛門師はもちろんのこと こっそりと鴈治郎師のファンです。
梨園で 「血」の重要性は門外漢には想像もつかないですが、例えば上方落語での【狐芝居】なんかでも ぼんやりと伺い知れます。実力があり 歌舞伎を人一倍愛していても 血縁がなければ一生端役がふつうです。
本作でも 主人公の苦労は描かれていますが 一方で 横浜流星氏演じる二代目の辛さが涙を誘います。
父が視力低下で苦しみますが、おそらくは糖尿病に伴う眼底出血じゃないか、と勘繰るんですが・・・で、倅も あれだけ細い体躯で 下肢の壊疽をきたす、となると おそらくは 父から遺伝した糖尿病が原因じゃなかろうか、と。
歌舞伎の世界で「血」を受け継ぐ意味。
生物として、人間として「血」を受け継ぐ意味。
二人が互いに相手を羨ましく思う一方で 年月が、遺伝子が 残酷に二人を別つ・・・あれこれ考えさせられる映画です。
虚構の中にある一瞬の煌めきを彩る者たちの儚さと美しさ。
上半期1位
凄み。
見応え充分な、映画館で観るべき映画。
凄いものを観た。出演者それぞれの存在感がすごい。吉沢亮と横浜流星はもちろん、渡辺謙もちろんだが、田中泯がすごかったなあ。
怪我をした半二郎が代役を息子の俊介ではなく、才能で喜久雄を選ぶのはすごい。そのことで俊介が家を飛び出し、喜久雄に後継ぎに決めての襲名披露での場面。印象深い場面だった。血を吐き倒れながら叫んだ名前は息子の名前。やはり父親なんだな。家を飛び出し8年。もう喜久雄に継がせるしか無い。才能もある。でも半弥がやはり気がかり。そんな半二郎を呆然と支える喜久雄の表情が、、、とても迫力のある場面だった。
俊介と春江が2人できえてからの8年。どんな風に過ごしたのか、そんな場面も観たかった。でも約3時間の長い映画、これ以上はねえ、いっそこんな大作、2本に分けてもう少し飛ばした所をやって欲しかった。
吉沢亮も横浜流星も、これまで闘う映画が多い気がするが、今作ではあんなにしっとりと色っぽく女形を演じて、どんだけ練習したんだ。ほんとに2人の根性はアッパレ。なんかこれで終わっちゃうのは勿体無いね。本当にすごい。もちろん吉沢亮が主演で満足だが、2人が逆のバージョンでも観て見たいわぁ。
歌舞伎は一度観に行ったことがあるが、機会があれば是非また観たいものだ。
必要なものは、血筋か、才能か
任侠の一門に生まれた喜久雄は15歳の時に抗争で父を亡くし、
天涯孤独となってしまう。
喜久雄の天性の才能を見抜いた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎は
彼を引き取り、喜久雄は思いがけず歌舞伎の世界へ飛び込むことに。
喜久雄は半二郎の跡取り息子・俊介と兄弟のように育てられ、
親友として、ライバルとして互いに高めあい、芸に青春を捧げていく。
そんなある日、事故で入院した半二郎が自身の代役に俊介ではなく
喜久雄を指名したことから、2人の運命は大きく揺るがされる。
といったあらすじ。
正直、歌舞伎のうまい、へたはわからない私ですが、
血筋、世襲の世界ということぐらいは知っている。
冒頭は任侠もの?見るんじゃなかったか?と思ったけど、
喜久雄が半二郎に引き取られ、厳しいけいこをつけられ、
俊坊と切磋琢磨し、互いに成長していくところから、
ぐいぐい引き込まれていく。
吉沢亮さんが喜久雄、横浜流星さんが俊坊を演じた。
どちらも好きな俳優さんなので、出演映画はほとんど見ているのだが、
今回の映画も素晴らしかった。
お二人の女形の美しさ、歌舞伎を知らない私でも凄さに驚いた。
この二人の人生、芸に生き、芸から逃げ、芸に再び戻り、
と決して順風満帆とはいえない、むしろ波乱万丈の人生。
互いに足りないもの、それは血筋であり、才能であり。。。
そして最後、喜久雄は人間国宝にのぼりつめる。
3時間近くの壮大なストーリーであったが、あっという間であった。
心が揺さぶれる素晴らしい映画でした。
一つことに身を捧げるということ
東一郎と半弥、喜久雄と俊介。今だったらDVレベルのシゴキだが、本気で教え込もうとしたら、こうならざるを得ない面はあるのだろうな。言葉も柔らかく、小突くことも許されない中で、厳しい芸事の世界観をどう伝えていくのか、本当に今の世の中は難しいよな。
それより何より、吉沢亮と横浜流星、二人の芝居に釘付け。子役も良かったけれど、やはり東一郎と半弥、芸そのものと血筋と。この対立軸、振り子が左右に振れる中で、ドン底に叩き落とされ、泥水を啜り、一度は腐ってしまったとしても。それでも、這いつくばって前へ進み、もう一度立ち上がる。陽の光を浴びる。芸人の性、一つ事に心血を注ぐ、その有り様に心奪われた。神様、悪魔との取引、我々は差し出せるものを持っているのか。全て差し出して手に入れたいものが明確にあるだろうか。
曽根崎心中、半弥の手足、もう先がないことを察してから終幕まで、人間の儚さ、それ故の美しさ、搾り出し表現する力強さ。魂が震えて止まらない。
ラスト国宝となり挑む鷺娘。東一郎は何を思い舞ったのだろう。
そして劇場を出た今。観客たちは何を思い、それぞれの人生を舞うのだろうか。
凄いものを観たとは思うけど、面白いとか好きとは思えなかったのは、己...
意外な「発見」があって驚き。
内容は前評判のごとく最高だった。近年見た映画の中では私としては最高傑作。
で、私が感じた意外な「発見」は次の通り。
田中泯さんが小野川万菊を演じているときの顔の表情、特に舞台化粧をした顔を見た時にぞっとした。悪い意味の「ぞっ」ではなく、六代目 中村 歌右衛門丈の姿がかぶって見えたこと。残念ながら六代目 中村 歌右衛門丈が健在の頃の私は小学生で、舞台を見たことがないが写真だけは数多く見ていた。また、私が幼い頃にいたご近所のお婆さんが六代目 中村 歌右衛門丈にそっくりだったので、そのお婆さんの姿もかぶって見えた。
もう一つの「発見」は横浜流星クンが演じた俊坊の舞台化粧をした顔。特に前半の藤娘や二人道成寺の時の顔。中村七之助丈の姿を彷彿とさせた。お二人とも花が高くて細面なので似て見えたのかも?
しかし、歌舞伎指導を受けたとはいえ、歌舞伎役者としての演技をよくもまあこれだけできたものだと感心した。
原作をかなり以前に読んでいたが、もう一度読んでみようと思う。
こんな役者さんがもっと増えてくれたら
全2150件中、1541~1560件目を表示
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