国宝のレビュー・感想・評価
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賞を総嘗めにして欲しい
ここ最近の横浜流星の作品は映画館で観てきたので、これも観に行くか。
そんな気持ちで観に行ったら、圧倒された。
横浜流星と吉沢亮に。
上映時間は175分。予告も入れたら3時間。でも長さは感じなかった。
歌舞伎は東銀座で観たことはあるけど、外国人ゲストの付き添いで行ったから、質問に答えるのに手一杯で、芸術を楽しむ余裕はなかった。でもあの空気感は覚えてる。
いやいや、ど素人の自分にしてみたら横浜流星も吉沢亮も歌舞伎役者にしか見えない。
いつ撮影したの?いつからいつまで練習してたの?2人ともここ数年ずっといろんな作品に出てたのに…
すっごい映像美がある訳ではないけど、映画館で観て欲しい映画。
あ、でも2人が同時に舞台に上がるシーンは、袖のうちに帯でどっちがどっちか意識しておいたほうがいいかも…2人とも美形だから女形のお化粧すると、とても似てる気がする。
あと30分は欲しい、心に残る何かが欲しい。
好きな歌舞伎を題材にした物語
映画開始早々から力が入った。
3時間という長尺の映画
だけど、後30分伸ばして
バタバタと過ぎた数十年の
終盤を埋めて欲しい。
執念の映画
現実でも、非現実でも
芸事には終わりはない。
良い世界を観た。
※
【赤と白の映像美】
雪、紙吹雪、血、襦袢、マニュキュア、口紅、紅隅、白塗りなど様々な赤と白色が出てくる。それぞれが印象的で意味を持つ。雪とクロスする紙吹雪も良いが、個人的には入れ墨をなぞる赤いマニュキュアの妖艶さには強い印象を持った。
【舞台】
舞台から見える風景は恐ろしくも美しい。
田中民 演じる人間国宝役の踊りはハッとするが、個人的にはもっと、もっと強く繊細に美しく映し出す事は出来たはず、特にその後の少年の感想に繋げるのには、あっという間で少々弱い印象を受けてしまった。だからこそ少年の目に映った、手の届かないほど異次元の踊りを見たかった。それでも若手二人の舞台は、ある意味見事としか言えない。よくぞここまで…そして稽古したと、感心する。最後の「鷺娘」は必見。
【演技】
演技なのか、その者になっていたか、見ていた。
冒頭の永瀬正敏の強烈な演技はトラウマの様に最後まで残り。場を踏まえた渡辺謙の師匠として親としての苦渋感溢れる演技。田中民の次元の違う世界に住む者の存在感。吉沢亮・横浜流星の敵視しあうも互いに強い絆を感じる関係。家・血筋、特に息子への愛を大切にする寺島しのぶの存在に徹する演技、主にこの辺が気になった。特に寺島・田中の目の演技は怖いほどで、台詞は無くても一瞬で心の中を表すほど他を圧倒していた。
監督がその演技で良しとしたのか、
役者が、その者になる事を選んだのか、
観る人が薄っぺらさを感じなければ
どちらも正解だと思う。
3時間30分、有ってもいいかも。
※
美しい異世界
歌舞伎は実際に見たことないし知識も持ってないので自分にとっては異世界。
ただ歌舞伎の芸を身につけるのは大変なことと知っているつもりなので演じきった吉沢亮と横浜流星は素晴らしいと思いました。
しかも女形!
難易度も高いハズ!
NG特集はいらないけど
この映画の撮影秘話とかの特番とかやって欲しいww
メイキング映像が気になって仕方がないくらい良かったです。
あと気になったのは
三浦貴大
この方普通のサラリーマン演じさせたら日本一のような気がします。めっちゃ身近におるおる感が半端ないww
ガブガブ飲みたいんや
以前王様のブランチで紹介してたのと評判がいいので遅ればせながら9:30より観ました。いやぁ~良かった。余韻を感じられる素晴らしい作品でした。任侠に生まれ、芸の道に人生を捧げる喜久雄の50年の物語。国宝までたどり着くまで幸福に見えたのは少年時代、ライバルであり親友の俊介と芸に勤しんでいるとき、共に舞台に上がっている時、春江と過ごす時間。誰かといる幸せや、心休まることを全て犠牲にして、芸に向き合う。ラストシーンで人生の全てを芸にかけたからこそ見れる景色。本当に何かを成し得ようとするならば、全てを投げうる覚悟が必要。吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、みなさん素晴らしい演技。吉沢亮と横浜流星は、複雑な関係性を見事に表現した。本音と建前と思いやりや葛藤する思いがすごく伝わった。「曽根崎心中」を演じる吉沢と横浜の演技にはグッときた。観て損しない作品です。日本中の方にお勧めする映画です。糖尿病は怖い。みなさん健診で血糖値を測り気をつけましょう。
あんな風には生きれないよな〜
はじめのシーンで何故ヤクザの父親が憎しみの感情を持って人を斬る狭間、よく見ておけ!と叫んだのか疑問だったが、最後になって漸く理由がわかった。主役も最後に人を斬る描写があるが、それは友への愛情からであって憎しみではない。本当の意味でカタギになれたのではないか
素晴らしい映画を観ました
あっと言う間の3時間。
主役、喜久雄さんが歌舞伎役者として人間国宝と成るまでの人間模様。紆余曲折の物語。
歌舞伎のシーンは迫力あったし綺麗。
役者さんの苦労を感じました。
映画館で是非観て欲しい大作。
吉沢亮さんの代表作の1つに成ると思われる作品。
作品そのものが現代大歌舞伎
梨園の人間交差点、魂の交錯、芝居の中の見事な歌舞伎芝居
血筋か才能か、そんな単純な話だけでは終わらない
東一郎の曽根崎心中で前半のピーク、多少の中弛みは感じたが、半弥の曽根崎心中で熱量増幅
圧巻のラストの鷺娘
座ったままもう一度最初からそれぞれの人生を振り返りたいと思った
*撮影も個性的と思ったらチェニジア出身
*おかみさん(寺島しのぶ)の愛憎こもった演技も印象的
*少年時代の喜久雄の積恋雪関扉という演目も素晴らしく、此処で一気に心を掴まれる
*国宝授与の取材時、カメラの女性がさりげなくジャケットの衿を直す、そりげなさが逆にえ?引っかかる、そーか、なるほど
ちょっとした動きますまで拘ったこの作品そのものが現代大歌舞伎のように感じた
歌舞伎役者の業、親子の業
ドロドロした内幕物になっていないのは、喜久雄と俊介の二人の関係が心地よいものだからだと思う。足の引っ張り合いがない。
ライバルだが無二の親友の二人は、互いの芸を認め、相手を蹴落とすことで自分が浮上しようとは考えない。自分の芸を極めようと精進して高みを目指す。親友でありライバル、そして真摯に同じところを目指す同志でもある。紆余曲折あっても、基本的にふたりの関係は最後まで変わらない。お坊ちゃんの俊介がやくざの家に生まれたみなしご喜久雄を見下していないのは、親がしつけているからだろう。こういうところ、さすが格式ある「お家」であると思う。(実際の歌舞伎の家は甘やかしてやりたい放題のようだが)
二代目半二郎が自分の代役に、半弥ではなく東一郎をたてたのは、もちろん東一郎の方が優れていたからだが、本当にそれだけか。
実力はあるのに気持ちが今ひとつな実の息子を奮起させるために敢えてそうした意図はなかったか。
歌舞伎界詳しくないし原作読んでいないが、外から来たものを歌舞伎界で表舞台に立たたせるには、養子という方法があるのは知っている。
本気で東一郎を後継ぎと考えていたなら、まず彼を養子にして、「血」を繋いでやると思う。二代目亡き後の喜久雄の極端な不遇は、やくざの家に生まれたこと、オンナ癖が悪かったこと以上に、それをしなかったところが大きいだろう。二代目は、自分は白虎を襲名、東一郎を三代目半二郎に指名したときでさえ、喜久雄を養子にしなかった。俊介が戻った時、すぐに事実上家を継げるようにだろう。
喜久雄に「歌舞伎界は血がすべてなので、これからつらい目にあうだろうが芸で生き抜け」のようなことを言うのは、彼を養子にしない言い訳のように聞こえる。二代目が白虎襲名披露の舞台で倒れた時に口にするのは「俊坊」なのだ。
東一郎が歌舞伎界に復帰できたのは、万菊が彼を養子にしたのか。
万菊が喜久雄を嫌い、認めなかったのは何故か。
歌舞伎の神の申し子であることを完全には自覚しきれていない喜久雄を、敢えてどん底に堕ちるように仕向け、全て失ったとき最後に残るのが歌舞伎であると、細胞の隅まで自覚させるためだったのでは、と思う。
きれいな顔に食われないように、という喜久雄への忠告は、なまじ顔が良いと芸を正当に評価されないと言いたかったんだろうが、女性を引き付ける美しさがゆえに女性問題を起こし勝ち、それがせっかく持っている無二の才能を生かす道を閉ざすことになるという意味もあったかも。そして、時期が来た時、満を持して、喜久雄を歌舞伎界に戻したのだろうと思った。
「血」がすべての歌舞伎界で、プリンス・半弥が役者生命だけでなく生命そのものも断たれたのは、父から遺伝した糖尿病の体質、その「血」のせいだったのが皮肉だ。
喜久雄の、「悪魔との取引」は成立していたかのように、どんな境遇に落とされようとも、すべてを失っても歌舞伎の世界に戻ってくる運命を感じる。そして、喜久雄の目の前に立ちふさがる障害は、最終的には消えていく。喜久雄は幾多の障害を越えたなら、生涯歌舞伎役者として前に進み続ける人生を与えられたようだ。
喜久雄が契約した悪魔の正体は、実はあの小さい神社にいた神様だったと思う。悪魔なら、多分、楽させて、精進のための試練は与えないから。
ひらひらと、目の前をはなびらか雪のようなものが舞う「景色」を見るために、喜久雄はずっと芸を追い続けるのだろう。
取材に来た、捨てた実の娘、綾乃の意外な言葉に、喜久雄は人間の領域を超えて神の域に近づきつつある存在になっていると思いました。
吉沢亮と横浜流星が素晴らしい
歌舞伎に詳しい人から見たら粗があるかもだが、ふたりの、特に吉沢亮の踊りや所作は、少なくとも自分が息を詰めて見入ったくらい見事に見え、役にリアリティを感じました。優しい顔立ちでどこか中性的なので、とても美しい女形で、見とれてしまった。横浜流星はもともと身体能力が優れているので、彼より半年早くけいこを始めた吉沢亮が、追いつかれそうで気が気ではなかったとインタビューで言っていたが、劇中だけでなく実際にもふたりで切磋琢磨しながら芸を磨いたようで、そこからすでに「魅せる映画」が始まっている。
その昔、日曜日の朝の、息子たちも私も大好きな某仮面ライダーで、この二人が親友同士の役で出演していたのをつい、思い出しました。
そして、田中泯さんの存在が圧倒的。
この映画の楔のようなもので、他の誰にも代われない、彼にしかできない役だったと思う。
人間国宝の万菊が、最晩年をたった一人、あんなところで過ごしているのが衝撃
こんなこと、現実にはあるんでしょうか。
いわゆる役者ばかで、他のことにこだわらなかったのか。
彼も芸の神に選ばれた人だったと思う。
二代目といい俊介と言い、芸とお客さんファーストであるとしながら、舞台上で血を吐いて、あるいは激痛で、倒れて公演を中止する、片足で倒れながら舞台を勤める、役者としての「やりたい」気持ちは分かるし感動的ではあるが、「役者」としてお客さんに完全な芸を見せることからは程遠いがそれは良しとするのか、と少し思いました。「お客様に無様な舞台を見せた」と恥じ入ったりはしないんですね。
追記:喜久雄が半二郎の代役を演じる際、俊介に「お前の血をごくごく飲みたい」と言うのに、銭湯で働くバンパイヤの姿が浮かんできて笑ってしまって困った、笑う場面じゃないのに。
作品にはまり込んでしまう3時間!!あっという間でした。
それでも舞台に立つ
歌舞伎の世界に足を踏み入れる喜久雄を、少年期を黒川想矢さんが、青年期以降を吉沢亮さんが演じる。
喜久雄と共に切磋琢磨しながら成長していく同い年の歌舞伎名門の御曹司・俊介を横浜流星さんが演じる。
渡辺謙さん( 俊介の父親 )と寺島しのぶさん( 俊介の母親 )が、伝統芸能継承の重責や厳しさを絶妙の演技で表現。
当代一の女形・万菊を演じた田中泯さんの猛禽類のような鋭い目つきに圧倒された。
永瀬正敏さん、高畑充希さん、宮澤エマさんの演技も素晴らしい。
喜久雄と俊介かそれぞれの境遇の違いに苦悩する姿、互いを思い合う姿が胸に迫る。
『 鷺娘 』を舞う吉沢亮さんの国宝級の美しさに泣きそうに。吉沢亮さんの舞台『 鷺娘 』を観てみたい人は沢山いるでしょうね。
吉田修一さん原作『 国宝 』を2ヶ月ほど前に読み終えての鑑賞。
7割ほど埋まった映画館での鑑賞
極めることの凄まじさ、孤高さ、尊さ
遅ればせながら鑑賞。
6月初旬公開にも関わらず、どでかいシアターを今なお満席にする異常な事態が続いています‼︎
それもそのはず、余韻を感じられる素晴らしい作品でした。
任侠の一門に生まれ、芸の道に人生を捧げる喜久雄の50年の物語。
あらすじを見ただけでは想像できない人生を歩み、"国宝"まで辿り着きます。
国宝までたどり着くまでの人生の中で、幸福に見えたのは少年時代、ライバルであり親友の俊介と芸に勤しんでいるとき、共に舞台に上がっている時、春江と過ごす時間。
長い人生の中では束の間の時間だったと思う。
私は、自分の人生に置き換えた時に、「ここまでやれない」と思ってしまった。
誰かといる幸せや、心休まることを全て犠牲にして、芸に向き合う。
芸術としては素晴らしいものを産み出しているけれど、これは幸せな生き方なのか。
だけど、ラストシーンでそれは払拭されます。人生の全てを芸にかけたからこそ見れる景色がある。
同じ、国宝であった万菊さんの言葉。
「でもそれでいいの。それでもやるの。」
どんなに苦しくても辛くても憎くても。
歌舞伎に向き合った。
だからこそ、誰もが見られない景色が見れた。
本当に何かを成し得ようとするならば、全てを投げうる覚悟が必要。
吉沢亮さん、横浜流星さん、渡辺謙さん、田中たみさん、みなさん素晴らしい演技です。
吉沢亮さんと横浜流星さんは、複雑な関係性を見事に表現されました。
本音と建前と思いやり。
ぐちゃぐちゃになって、葛藤する思いがすごす伝わりました。
半二郎さんの代役で「曽根崎心中」を演じる前の2人の極限のシーン。
色んな感情の中で、喜久雄を鼓舞するあのシーンはグッときました。
俊介も素晴らしい歌舞伎役者だった。
では、何が結果を変えたのか。
それは、"なりたい"ではなく、
"なにを失っても必ず成し得る"という、
あくまと取引きできる覚悟だったんじゃないかと思う。
観た人が、思い思いの感情を持てる素晴らしい映画だと思います。
頂点に立って見えたのは、静かな理解と受容の世界だった。
「血に翻弄され、血に抗い、血に回帰するしかなかった物語」。それが、映画『国宝』を貫く深層であり、本質ではないか。
喜久雄は、ヤクザの家に生まれ、暴力と孤独の中で育ち、自身の中に流れる「血」——出自、性質、宿命——に抗うようにして芸の世界へ身を投じていく。血縁のない歌舞伎界で「血筋」の代わりに彼が頼ったのは、ただひたすらに芸を極めることだった。しかし、そこに待っていたのは救済でも赦しでもなく、ただ静かな“理解”だった。
対になる半弥(俊介)は、血筋を持つ者として家の重圧と伝統を背負い続ける。
「血」に守られ、「血」に縛られる者と、「血」から弾かれ、それでも「血」へ向かう者。二人は、芸を通じて理解し合いながらも、決して交わることのない道を歩んでゆく。
血に抗いそれに打ち勝つという構図は幻想でしかない。それがわかっているこの映画は、「血を超える」という美しい物語に仕立てることをしない。
むしろラストに現れる娘の存在が血から逃れられなかった者の皮肉な帰結であると同時に、芸と人生のすべてを受け入れたひとつの肯定にも見える。
喜久雄は刺青を消さなかった。ヤクザの生まれで、刺青のある人間が人間国宝になれるのか――そんなツッコミは、“野暮”でしかない。この映画では、刺青が「血の象徴」であり、そして「抗ってきた証」であるという強烈なアイコンだ。彼は制度に取り込まれながら、刺青という反制度の刻印を背負ったまま“頂”に立たされた。そこにこの作品の最大の皮肉と美しさがある。
血の物語でありながら、“血を超える”という幻想を描かない。
それが物語としての限界ではなく、逆に誠実な到達点なのだと思う。
歌舞伎に取り憑かれた男
非常に評価の難しい作品だった。各方面で称賛の声を聞くように、役者陣の演技については3時間通して圧巻で文句のつけようがなかった。しかし、脚本や題材選定では、やはり万人受けしづらい部分多く、ここまで世間で評価を得ているのも少し驚いてしまう。
まず役者陣の演技だが、誰一人としてこの世界観を壊している人がおらず、端から端まで本当に文句がなかった。その中でもやはり語らなければいけないのは主演の吉沢亮と横浜流星の演技力だろう。私は歌舞伎については疎いが、それでも彼らの芸には息を呑むような迫力と凄みがあった。昨年その演技力を持ってして「正体」をヒットさせた横浜流星を横目に、巷で話題の吉沢亮が演技力で捩じ伏せに来る。これほどまでにレベルの高い演技の殴り合いはなかなか見れないと思う、近年稀に見る良作だった。
しかし冒頭にも書いたような脚本や題材選定の取っつきにくさはどうしても残る。そもそも今時馴染みの少ない歌舞伎という題材に加え、二転三転以上にしつこくひっくり返りまくる展開、さらには作中通してほとんど希望を持てるような描写の無さ。これが現代の、特に映画をたまにしか見ない層には非常に刺さりづらそうだなと思った。やはり演技力で殴られ続けた結果、その辺が気にならなくなるのだろうか。
とはいえ、自分の存在意義を歌舞伎にしか見出せない人間が、悪魔と取引をし、歌舞伎以外を全て捨て、歌舞伎に取り憑かれていくという筋書き自体は、どこか切なくとも胸を打つ構成だと思う。
原作未読のため、原作で内容をチェックしたいと思える一作だった。
一見さんお断りの映画なのか....?
評判がいいと聞いたので見に行きました。
見終わった後の率直な感想書き連ねます。
・なんかすごいのはわかるけどなんだったんだ?
・なにを見るのが目的であり、ゴールなのか???みたいな類のモヤつきが付きまとう(邦画特有の苦手意識かも?)
・小説あったのを映画のクレジットで知って、小説読んでから来るべきだったな....と後悔
・結局「俳優」が「歌舞伎役者」やってすごいね、で感想が止まる
・演技は本当にみなさん、凄すぎる。凄すぎるんだけど、行間がわからない
・行間とその時の行動の動機がわからない
・深読みできるほど、映画がゆっくりじゃなく、無視できるほど小さい事象ではない
・割と先の出来事に影響するため、その行動に対しての理解を深めるためには行間を読む能力を求められてて、読めなかった部分は表面的にしか受け取ることしかできず薄っぺらい3時間になってしまった。
・受け取り手の技量に左右される作品なのか...とちょっとがっかりした(高評価を多く聞いていたから、万人受けする作品だと期待して見てしまった部分もある)
【追記】※私にとって、の感想です。悪しからず。
・ストーリーから感じるものが少なかったので、結果この映画から得たものが、悲しいかな「俳優陣がいい仕事をしたな」という薄っぺらい感想のみ...
・歌舞伎のシーンについては、やはりさすがの俳優陣だな、とは思いつつも、そもそも歌舞伎に対しては「血筋(もしくはお家)こそが最大の魅力であり、武器である、だからこその伝統芸能」だと個人的に思っているので、作中どんなに役者陣が素晴らしい演技をしても「俳優」の時点で本当の意味で「歌舞伎を味わっている」気持ちになりきれなかった。
・ストーリーに入り込めなかった分、余計に、見てるものが(本物ではないな)という思いが最後まで拭えなかった。(あ、老けメイクだとか思って見てた)
正直この映画を見るくらいなら、安い席でもいいから、本物の歌舞伎を見に行く方が価値があると感じました。
芸に殉じた者の美と孤独
『国宝』は、芸と血、才能と継承の間に引かれた、見えない線の存在を痛切に描いた作品だと感じた。
喜久雄は、歌舞伎という世界に誇りを持ち、いつも真摯に芸と向き合ってきた。時に手段を選ばず、時に自らを犠牲にしてでも、ただひたすらに高みを目指す。その姿は擦り切れそうなほど切なく、彼の人生すべてが、やがて演技の妖艶さとして舞台に滲み出ていくのを感じさせる。
だが、彼がいくらあがいても、最終的に手にしたのは「国宝」という称号だけだった。家を継いだのは俊介であり、死に際に呼ばれたのも俊介だった。
血が選ばれ、芸は孤独の中に置き去りにされた――そう思わせるほどに、喜久雄の歩みは報われなかった。
芸が血を超えるか、という問いに対して、本作は残酷なまでに沈黙している。
芸は確かに美しく、そして妖しいほどに高貴なものである。だが、最期に家や名を残すのはやはり“血”なのだと、この作品は静かに語る。
万菊がすべてを見通していたとすれば、彼は芸の頂を知る者として、喜久雄の末路を予感していたのかもしれない。
それでも、芸に殉じた者だけが到達できる高みを、彼は確かに見た。
そして私たちは、その儚さと美しさに、胸を締め付けられるしかない。
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