国宝のレビュー・感想・評価
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主人公に救いがなさすぎて可哀想
原作を読んでから2度目の鑑賞をしました。自分の中でストーリーを補完できたので、凄く良い映画だと思いました。2回目は星4.5です。
1回目の感想
役者の方々、本当に練習を頑張られたんだろうと思います。女形の舞は1年半で習得できるものではないだろうし、吉沢亮と横浜流星の美しさには息を飲みました。しかし、やはり本物の歌舞伎役者と比べると少し劣るものがあり、この世のものではない美しさを感じるには至らなかったのが惜しいです。
ストーリーにおいては、納得出来ない部分が多々あり、展開に気持ちが追いつかず、正直理解も感動もあまりできませんでした。
鑑賞後原作を読んだのですが、原作では登場人物の行動原理が良く描かれており、共感できる人間らしさがあります。
上下巻に渡る原作を3時間の映画に収めるため、出来事や人物を最小限にしたのだと思いますが、スピード感がありすぎて感情が追いつかない、人物の行動原理が分からずただただ恐ろしいというような弊害が出ていると感じました。
特に主人公に救いの手を差し出す人物がことごとく描写されておらず、主人公が可哀想過ぎて観ていられませんでした。個人的には12話くらいのドラマの方が良かったんじゃないかと思います。映画館で観る迫力よりもストーリー性を重視してほしかったです。
私の理解が及ばないせいでもあると思うのですが、原作を限りなく単純化した上で伝えたかったことってなんだったのか、よくわかりませんでした。
禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…か。
凄いものを見せられたナという気持ちはしています。
観賞以前からキャスティングが逆じゃないか、吉沢亮と横浜流星が逆の役をやった方がシックリとくるんじゃないのか、もっと良い作品になったんじゃないのかというのが有って、観賞中もますますその思いを強くしていたのだけれども、それでも途中から段々とそんな事どうでも良いヤと思う様になって来ました。
人生というのは生まれた時代や場所や境遇を背負って、死ぬ迄その役柄を演じ続ける事に他なりません。他人の人生を生きる事は出来ないし、他人の境遇を羨んでもその人間に成り変わる事は出来ないのです。
それは俳優の演技にしても全く同じ事が言えて、あの人の役の方が良かった、この人の役の方が良かったと言っても仕方が無くて、自分が与えられた役の中で懸命に生きる、与えられた役の中の人生を生き抜けるという使命を果たすという事に他なりません。
そういう意味では二人は間違いなく与えられた役柄の人生を生き抜いていたし、その人生を全うしたという事が出来るのでしょう。
禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…
父親の敵討ちを戒め、将来を誓う証に背中一面に彫り物を入れたハズの喜久雄と春江は、それでも遂に結ばれる事は無かったし、実子の俊介を差し置いて花井家の後継に指名されたハズの喜久雄の見た夢は、半二郎の本心を悟ると時を同じくして音を立てて崩れ落ちて行きます。
それでも失ったハズの人生は、何処かで帳尻が合う様に出来ているのかも知れません。最後に悪魔との取り引きは果たされたのだという事を観客は知りますが、その喜久雄に笑顔は有りません。
「順風満帆な役者人生を歩んで来られて…」と事も無げに発するインタビュアーの問い掛けに、「皆様方の支えがあって此処までやってこられました…」と面白味の無い定型句を返答する喜久雄の人生の壮絶さを、けれども我々観客は知っています。
人は与えられた自分の人生を全うする事でしか、自分自身の役割を果たす事はきっと出来ないのだろうという事、そういう事をつくづくと考えさせて貰いました。
原作の吉田先生は、映画『楽園』の原作者でもあるとの話。
映画『楽園』も以前に観賞しましたが、奇をてらった感じが凄くして自分は駄目だったのを覚えています。こちらの作品は人の持つ業だとか宿命の様なもの迄をも深く感じて、とても強く心を揺さぶられました。
先生も…腕を上げましたネ…なんてww
意外とエンタメ映画だった
歌舞伎で才能を放つ男の栄光と挫折の話。
文句のない俳優陣と日本の伝統文化を
掛け合わせたなんとも美しい映画。
音楽や映像も素晴らしく映画館で観るべき!
ただ、個人的には予想とは違う作品でした。
「怒り」の監督ということもあり、
人間の奥底のなんとも言えない感情を
出してくるのかと思いきやそうではなかった。
歌舞伎の知識があればもっと違ったのかも。
みんな口を揃えて「傑作」「余韻がすごい」
「もう一度観たい」と言っていたので、
考えさせられたりどんでん返し的なのを
勝手に期待してしまった自分もいたので、
100%楽しめなかったのが悔しい。
ストーリーも明暗はっきりしていたし
対照的な2人を主人公にして
それぞれの苦悩を描いてるのも
そりゃ多くの人が感動するよなと納得した。
実際に自分も感動した!
でももう一つ何か欲しかったような気もする。
どうでもいいけど屋上で踊るシーンは
ジョーカーみたいでしたよね。
評判どおり
見応えのある作品だった。物語は簡潔に言えば、芸に身を捧げた対照的な2人の歌舞伎役者の生き様を描いた内容。正直、既視感のある内容ではあるけど役者さん達の熱の入った演技に魅せられた気がします。
吉沢亮さん、横浜流星さんの掛け合うような演技合戦に釘付けになりました。
あと渡辺謙さんの圧倒的な存在感はさすが。途中退場になるけどその存在の余韻は最後まで残っていたし、意外なところで女形の田中泯さんの存在感が凄かった。
映画を見ながらふと昔の映画…五社英雄さん、宮尾登美子さんの作品性を感じてしまった。内容は全く異なるのに人間の持つ性(さが)、情念、執念みたいなものを。
歌舞伎のシーンも思いのほか多かった。最近、歌舞伎の舞台を見たばかりで比べてしまいました。本物の歌舞伎役者には敵わない気もしますが(当然と言えば当然ですが)、メインのお2人とも本家に見劣りしないぐらいの上手さでした。
驚いのは喜久雄の父役、永瀬正敏さん。極道の役もなかなかハマってました。
そして森菜々ちゃん…大人のラブシーンを演じてて驚きました。
頼むから
道を極めること
私は歌舞伎をよく知らない。知っていることと言えば、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんがテレビに出ていて見たことがある程度である。
本作は、評価が非常に高いということで鑑賞することにした。結果として、本作は周囲の評価通り、素晴らしい内容となっている。
ストーリーとしては、主人公(喜久雄)が中学生~人間国宝になるまでを描いた自伝的なものとなっている。歌舞伎という一本の太い芯が通った人生の中で形成される人間関係をリアルに描いている。
まず、映像自体がとても美しい。歌舞伎シーンもさることながら、どこのシーンを切り取っても絵になるような構図になっている。
一番の魅力は、歌舞伎シーンの迫力である。私は本物の歌舞伎を観たことはないが、幕があがってからの役者のキレのある演技や舞台視点からの荘厳な雰囲気には、息を飲んでしまった。とにかく臨場感がすごい。通常、このような映画の場合、ストーリーの進行に必要のない演目のシーンには、退屈をしてしまう場合があるが、本作の場合それは起こらない。むしろ、もっと観ていたいと思わせるほど演技に迫力がある。
主演は吉沢亮さんであるが、女形が非常によく似合っていた。彼の演技が、本作の出来の比重の多くを占めているように感じる。
終盤のシーンで、喜久雄が娘に偶然出会うシーンがある。そこであなたが舞台に立てているのは、周りの犠牲があってのものだと言われる。冗談半分で悪魔と契約したと言った喜久雄は、周囲の人間と共に、自分自身を最も犠牲にしたのである。私は、こういった本物の役者が提供するエンタメに対してなら、大金をはたいてでも体験するべきであると考える。なぜなら、そこには常人では到底計り知れない労力と時間が犠牲にされているためである。
今回の鑑賞により、歌舞伎への興味が一気に湧いた。人生で一度は、生で鑑賞してみたいと思った。心からそう思わせてくれる作品である。こういった、ごく稀に出会うことができる最上級の作品は、未知の世界の映画を鑑賞することの活力を与えてくれる。
観ていて思い出したのは『覇王別姫』。世界観などいろいろ似ている。後...
実力か世襲か
評判が良い様なので見てきました。
タイトル通り人間国宝になった人(架空ですが)の半生の物語です。まあ歌舞伎の話しと言うのは話題になるまで知りませんでした(汗)
歌舞伎も歌舞伎の世界のことも何も知りませんでしたが楽しめました。大迫力で歌舞伎を見て感動しウルウルしました。
切磋琢磨して友人ともライバルとも兄弟とも敵とも言える間柄の若者二人が歌舞伎の世界に入る。
順風満帆かと思われた二人の行先に次々と訪れる問題。その人間模様と生き様、最終的に人間国宝と言われる所まで上り詰めるまでの紆余曲折が凄い。
3時間位ある物語だがあっという間に終わってしまった。素晴らしい出来だ。
物語としては長崎の893の親分の息子だった立花喜久雄(後の芸名花井東一郎)は組の新年会の余興で歌舞伎の演目を若集と行い喝采を受けた。
たまたま新年会にお呼ばれしていた歌舞伎役者の花井半二郎がそれを見て端正な顔立ちと演技の立ち振る舞いを見て女方の才能ありとみそめる。
その後色々あって半二郎に弟子入りし半二郎の息子俊介と厳しい稽古に明け暮れる。同い年の二人は意気投合し兄弟のように親しくなる。友人でありライバルであり両者とも顔にも才能にも恵まれて女方としてメキメキと頭角を表していく。しかし芸事が好きで真剣な東一郎と、跡目は決まっておりいつか親父の後を引き継ぐ事が決まっているボンボンの俊介(いつまで経っても俊坊と呼ばれている)は段々芸に身が入らなくなっていく。そして芸で一歩先んじた東一郎が怪我をした半二郎の代役として急遽主役級の役を任される。ここから二人の人生が大きく変わって行く。
この後も人生が二転三転する出来事があり二人は苦難に何度も襲われる。
果たして人間国宝まで上り詰めるのは誰か?一人か二人か両人とも無理か。
二人の友情はどこまで続くのか?どんな人生が待っているのか?
いやあ芸の道は厳しいし世襲もどうなのかとは思いますが、才能があれば出世する世界という訳でもなさそうなのがなんとも。
ただ最終的には家柄云々より芸に秀でていればいつかは認められるかも知れない…かな?そうあって欲しい。
歌舞伎の暗部?とも言える所に踏み込んでいるのは良かった。
心揺さぶられる瞬間
一生をかけて芸を極める人は凄い。ただ長い
名選手名監督にあらずという言葉があるように、選手として凄くても教えられない人はいる
そういう意味では歌舞伎等の伝統芸能は素晴らしい
一方、鑑賞する側も観る目にかんしてはどのように引き継いでいるのか?は疑問
伝統芸能の凄みは正直わたしにはあまり違いが分からないので、今回も曽根崎心中の一部以外は凄いのか?どうかが判断がつかなかった
レビューの点数はかなりいいのでこういう映画が賞を取るのだろうが、わたしには3時間は長く感じたので、周りが時計をみるためにちょくちょく明るくなったり、老夫婦の小声の話やポップコーンの音が気になった
かなりの実力派の俳優が参加されているので、演技は素晴らしい
ケン・ワタナベのそれは伝統芸能そのものと感じた
すごかった。美の暴力
歌舞伎役者の人生は命懸け…凄いものを魅せられた
私は歌舞伎ファンです。好きだったのは八十助(三津五郎)その前にときめいのは若くして亡くなられ辰之助さんでした。
その立場でこの作品を観るととても切ない作品でした。私自身は泣くことはありませんでしたが、グッときたのは2代目半次郎の死に際に息子の名を呼んだりしたところ、
そして曽根崎心中の横浜流星の死ぬ覚悟で演じたお初でした。そこは本当に万感こみ上げます。
吉沢亮の怪演が話題となっておりそれは認める所ですが、横浜流星吉沢亮のお初徳兵衛にはみんな持ってかれました。
歌舞伎指導の鴈治郎の凄さとそれを演じ切った2人を観るとポスター通り横浜流星と吉沢亮の二人の怪演無くして成り立たない作品です。
あまりに横浜流星のお初が佳いので、途中大向うの掛け声が無いのが誠に演出の最大のマイナスポイントに思いました。「あれ?」と何故大向うがないの…とこれが映画である事に引き戻された程です。前半の横浜流星の日常シーンにはあまり良い場面はないのですが、彼自身その浮かれた役が腑に落ちず違和感ある役だったそうなのでそこが原因かもです。現実の歌舞伎役者を思い浮かべて演じられればまた違っていたでしょう。
この作品は吉沢亮の演じる役者が16から70代に人間国宝となるまでの一生をわずか3時間に詰め込んだ作品で描ききらないことの方が多いのです。なので展開の描写について不足を思う皆さんの感想はもっともですが、仕方ありません。
また、私は若手が歌舞伎役者を演じるなんてなんぼのものよ、位の気持ちで観てました。
少年期はいや違うな、と思っていたら確かに上達してきているし、歌舞伎舞踊は全編舞うわけではないものの、大根役者とは思わせぬほどに、しっかり踊っているし、芝居も(声がいかほど劇場で本当に響いたかはわかりませんが)佳い声で歌舞伎らしい芝居、そして現代生活の中でも歌舞伎役者らしい芝居を魅せてくれて、正に怪演、凄いものを魅せてもらったと慄いています。
老齢の人間国宝である歌舞伎女形を演じた田中泯さんはとても歌右衛門さんに似ていらっしゃり、
存在感もある良い役者だとは思いしたが、舞台上の演じる歌舞伎には私は特には心動かされませんでした。恐らく彼の矜持を持つ舞踊と歌舞伎は本質に違いがあるのでしょう。しかし歌舞伎役者の重鎮として見事な存在感でした。
鴈治郎さんは最近拝見していなかったのですが、舞台を降りた現代の場面も良いのですが少しふくよかになられて、しっかりダイエットして長生きして欲しいとおもってしまいました。彼は原作者にも黒衣を渡し小説を作るのにも大きな役割を果たした方で上方歌舞伎を代表する役者の一人なので彼の導き指導のおかげで出来上がった作品です。
歌舞伎役者は良い役者が次々と病に倒れており、悲しみに暮れるばかりです。皆肉体と精神を削って、正に悪魔に操られるかのように芸の道に生きています。原作者もその様な想いと共に作品を作りその世界を多くの人々と共有したかったのでしょう。
継ぐ名前があるかどうかも役者には大きい問題です。ご贔屓に喜ばれるのは役者の息子が見事に成長して役者になること。血筋が大事とは思っていないけれど現実にお子さんや兄弟の初舞台や共演は本当に楽しみなものです。
ただ、一方で本名や新しい名前で活躍する役者も当然いますが、引き立てる師匠たる名題役者がいてこそです。この作品では師匠を亡くしその跡継ぎたる若旦那も家出された部屋子は普通はほかの部屋子になるところなのではないでしょうが、大きな名前を継いで半次郎になったので家を離れる事はできなかったのでしょう。
寺島しのぶさん演じる2代目半次郎(渡辺謙)の妻が息子(横浜流星)が継ぐべき名を吉沢亮のきくちゃんに奪われるのは配役の妙があり過ぎます。(現実の歌舞伎界では甥が菊之助になりましたが、寺島しのぶももしも己が男に生まれていたならば息子に菊之助の名前を渡したかったでしょう。)
2代目半次郎(渡辺謙)も半弥(横浜流星)も糖尿病とは…です。2代目半次郎の最期は大量の吐血でしたが、原作未読ですが、肝硬変による食道静脈瘤破裂かもと医療に詳しい身内に言われました。生活の乱れがあったら肝臓も悪いかも、と。
令和ならば糖尿病から失明や脚が壊死する危険性も十分知られているでしょうに親子2代を襲った病魔は憎いものです。
女性との関係、親子関係等描ききっていませんがそこを描くと5時間は掛かるでしょう。ならばドラマにすれば、という問題ではなく3時間に凝縮したからこそ描いていない部分を想像する余白があります。
吉沢亮の半次郎の人力車でのお練りに「お父ちゃん」と駆け寄る娘になんと言うことができましょうか。嫡出の娘やご贔屓が駆け寄ってもあの様な素振りになるでしょうし、あれが娘にとっては悲しいかもしれませんが、仕事中の親を邪魔しており、内縁の妻の芸鼓のささやかな思惑まで想像します。愛人はこういうものとは思いませんが、あれは仕方ない場面だと思います。
鷺娘の映像演出は美しかったです。クライマックスシーンでしょう。でも、本当の日本の宝である玉三郎さんの鷺娘を知っていると、それに敵う人など居ないのです。
海老反りはやはり全然違ってました。斜めからの見返り美人の様な海老反りでした。なので音楽とカット割り等で美しく仕上げていました。
しかし心の目でここは玉様の鷺娘と変換して鑑賞しました。皆さんも心の目で見たでしょう?
吉沢亮が客席の景色を見て感嘆するのは、歌舞伎ファンにはわかります。
八十助(三津五郎)さんは「昔死ぬ前に『八十助のあの舞台を観れて良かった』と思う人が一人でも居てくれたら嬉しい」と話された事があるのですが、「死の間際に自分の人生や家族の事ではなく演劇について思いを馳せる人がいるものかしら?!」と、その発想に驚きましたが、次第にその言葉が理解できました。
歌舞伎役者はそう思う位、人生命懸けで舞台に立っています。
観客にも命懸けで鑑賞して欲しい位に。
そして一期一会の素晴らしい舞台に出会った時、観客の一人一人は感動に打ち震えます。舞台の感動が観客に伝わる様に観客の感情も舞台に届くはずです。それこそ役者冥利に尽きる瞬間でしょう。
それは玉三郎の鷺娘とそれを観れて感動する観客が居ればその風景が表現できたでしょう。
それを映画俳優や舞台ファンでないエキストラが再現する事は困難です。だから心の目でラストは観るのです。
歌舞伎への想いがあるとこの作品の見方感じ方は違うと思いますが、吉沢亮、横浜流星、そして周りの人々皆良く、間違いなく日本映画史に残すべき1作品だと思います。
マイナス0.5は歌舞伎役者以外が演じる限界分で、そこは皆さん心の目で補っていきましょう。
20年ぶりの映画館
余りの評判に「20年ぶり」に『国宝』を観て来ました。但し歌舞伎役者に評価を聞いたら「大絶賛」と言うのは当たり前の反応。歌舞伎役者が「他人を貶す」ことは「自分をリスクに晒す」ことを意味しますからね。それこそ、大師匠でもない限り(直弟子は別として)たの役者に対する本心は決して言わない筈です。歌舞伎も舞踊もやったことがないであろう俳優たちがこの映画で頑張ったのは流石です。私は第一作目から市川猿翁の大ファンでしたから、3代目が四代目猿之助を亀治郎にするのか、市川右近にするのかの騒動を、この映画を見て思い出しました。これからは、血筋だけではなく、愛之助や尾上右近などの活躍を見るにつけ、時代の変遷、歌舞伎社会の現実を思い知らされた映画でした。
語れる映画 リピしたい
原作を読んで、これは映画化されるだろうな。この雪の場面 歌舞伎の舞台 でも誰が演じる、、、読んでいても画が浮かんでくる読書体験でした。
そしていよいよ映画化 よかった。
映画館で映画を見るのは久しぶり でもこれはスクリーンで、ストーリーじゃなく 画面をと思いました。
また嬉しかったのが 周りでいろいろな人が見ていて 感想を交流し合うのも 見てない人に語るのも、リアルにできたのが嬉しい。
そうそうあの場面 高畑みずきには共感しなかったけど、、、
もう一回本を読んでから見たいね
ほんとはもっといろいろドラマやストーリーがあるんだよ
だめ 見にいくから話さないで
国宝で会話が弾みました。
ぎゅっと3時間に収めて
楽しめた。
歌舞伎の美しさを再確認し、歌舞伎自体をより知りたいと思える作品。
とても美しく、心に残る作品でした。
特に、歌舞伎の舞台を映し出す映像の構成や、役者の所作、音楽の響きが一体となっていて、本当に美しいと感じました。
あまり注目されることは少ないかもしれませんが、
舞台を支える「囃子方(はやしかた)」や「衣裳方(いしょうかた)」といった方々の存在が、とても印象的でした。
囃子方は舞台の音楽を奏で、衣裳方は舞台上で役者の着替えをサポートします。普段の観劇ではあまり見えない存在ですが、この映画では彼らの働きがしっかりと映し出されており、改めてその重要さを感じました。
特に、複雑な着物を短時間で着替えさせる場面は圧巻で、見ていてミスが起きないか
(そんなことが起きないように、猛練習をしているのだと思いますが)ひやひやしました。
また、役者たちが日々厳しい稽古を積み重ねている様子も描かれており、伝統芸能を守りながら、観客を魅了し続けるための努力がひしひしと伝わってきました。
華やかな舞台の裏にある、静かで壮絶な努力。
そのすべてが丁寧に描かれていて、歌舞伎という芸能の奥深さに触れることができました。
3時間という上映時間は、長くは感じることはなく、むしろ、もっとこの作品に浸っていたいと思える時間でした。
この映画を観たあと、今度は実際の歌舞伎の舞台を観に行ってみたくなる、とても素敵な作品です。
歌舞伎好きには見逃せない作品
歌舞伎が大好きで、大学時代から現役で働いていた時までは、南座や歌舞伎座などで歌舞伎を鑑賞していました。しかし、リタイア後は歌舞伎のチケットが高いため、もっぱらシネマ歌舞伎で鑑賞しています。女形の坂東玉三郎さんの美しさと幅広い芸に魅了されているので、吉沢亮と横浜流星が女形をどのように演じるのかすごく興味を持ってこの映画を鑑賞しました。大昔に中村鴈治郎さんと扇雀さんの「曽根崎心中」を生で見たときの感動が甦ってきました。鴈治郎さんの手ほどきがあったのだと思いますが、映画の中にも脈々と受け継がれる歌舞伎の魂が宿っていました。ラストの吉沢亮の「鷺娘」は、女形の人間国宝である玉三郎さんが乗り移ったかのような演技に自然と涙がこぼれました。
かのひとをおもう
女形で国宝、原作未読ゆえ
そのまま孤高の玉様、坂東玉三郎様と重ねてしまった。
床山さんを目指す友人に誘われて歌舞伎座に通った大学時代。玉様の亜古屋、お岩さま、揚巻何度も何度も観にいき究極の女形の美に圧倒されたものです。通ううちにその世界がまさに血脈で続いておりそうでないものは余所者の看板背負って舞台に出ているのだと学びました。玉様もあれほど美しく完璧を越えた女形でもその看板はかなりの時間はずされませんでした。女形で唯一無二の国宝となった今でもその影はあるのかもしれませんね。
ぜひぜひ指先脚の爪先まで色香る玉様もご覧ください。
そんな現実を感じながらの鑑賞はかなりハードなものでした。
芸に、血に、極め、にだけ「かぶく」者はそれ以外はどうでもいい、そんなまさに孤独な傾きを見事に演じたお三方に敬意を。
観応えありました。
歌舞伎界の裏表
寺島しのぶがいい
新聞連載時に読んでいたけれど
いい感じに忘れ去っていて
あー、そういえば、そうだった、みたいな感じで
ストーリーを楽しめた
少年時代の2人がほほえましい
そしてそこからの紆余曲折をよくあそこまで、まとめ切ったよなぁ
寺島しのぶの
役どころが、歌舞伎の世界の理不尽を体現していた
田中泯怖いくらいオーラがあった
晩年のアパート暮らし、悲惨な末路かと思えば
「ここには綺麗なものが一つもないの」と言って
これまでの重圧から解放された自由さを語る(寝床で)
なんだか業が深い 歌舞伎の男は全員
そんなにまでしてやっているなら、観たいな、本物の歌舞伎
全1865件中、961~980件目を表示
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