国宝のレビュー・感想・評価
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芸術感が高い
3時間は長いからしんどそうだと鑑賞前には思っていたのだけど、あっという間だった。ダレることなく話のテンポが速い。ただし、もっと描きたいことがあったのではと思えてしまうほどに、細かい説明は無いから3時間でも足りてないような気がする。
主人公立花喜久雄はヤクザの組長の息子。宴会の場で女形を披露していた。この宴会にたまたま居合わせたのが歌舞伎の2代目花井半二郎。半二郎は喜久雄の姿に将来性を感じた。喜久雄が演技を終え顔を洗っていると、別のヤクザが乗り込んできた。喜久雄の目の前で父親である組長は殺される。
後日、喜久雄は仲間と共に敵討ちに行くどうやら失敗に終わったようだ。喜久雄は背中にミミズクを掘る。
喜久雄は花井半二郎に迎えられた。半二郎には息子の俊介がいる。歌舞伎界の御曹司と言ったところ。俊介は最初、喜久雄と一緒に歌舞伎の練習をするのが嫌そうに思えたが、2人は意気投合し、歌舞伎の練習に勤しむ。
喜久雄と俊介は花井東一郎、花井半哉を名乗る。二人で女形の題目を演じると成功する。
花井半二郎が事故に合う。代役として喜久雄が選ばれる。喜久雄は不安に駆られるも、結果成功に導く。俊介は喜久雄の演技を観ていたが悔しさからか途中退席した。その後俊介は8年もの間、戻ってこなかった。
8年後、花井半二郎は糖尿病のために視力が低下した。まだ健康なうちにもう一花咲かせたいと考えた半二郎は自信を白虎に昇格させたいと考えた。喜久雄は三代目花井半二郎を継ぐことになった。
襲名披露にて、白虎は挨拶が出来ず血を吐いた。そのまま白虎は亡くなった。白虎という後ろ盾が居なくなった喜久雄は歌舞伎の役が得られなくなっていく。また週刊誌にヤクザの子であることもバレてしまい、歌舞伎界で活躍することが難しくなっていく。
喜久雄は女形を売りに個人で営業を行う。しかし上手くは行っていないようだ。連れの女にも辞めようと言われてしまう。一方、俊介は歌舞伎界に戻っている。
喜久雄に万菊が会いたいと連絡があった。万菊は人間国宝の女形。もう90になり、その生涯を終えようとしていた。万菊の前で女形を振るう喜久雄。これが認められたのか?、喜久雄は歌舞伎界に戻る。
歌舞伎界に戻った喜久雄は俊介と再び女形を演じる。昔言われた東半コンビの17年ぶりの復活。
しかし、俊介は突然倒れる。糖尿病に患っていたそうだが、放置してきた。医者の診断で俊介は左足を切断しないといけない。俊介は足を切ることに躊躇が無いようだ。
片足の俊介は、それでももう一度舞台に立ちたいと喜久雄に話す。なら、相手役は俺がやると喜久雄は言う。俊介は再び舞台に立つが、右足が変色していることに喜久雄は気付く。俊介は病気に侵されていた。
2014年、喜久雄は人間国宝になった。
興行成績が良く話題だけど、エンタメ作品ではないのにこの成績だから、本当に作品が素晴らしいのだと思う。
作りが丁寧な映画
公開からしばらく経った平日に劇場で観ましたが、ほとんど席が埋まってて驚きました。
映画自体は、歌舞伎の描写がとても美しく、劇場のスクリーンで観るからこそ輝くものだと感じました。
ストーリーは、芸で成り上がる東一郎と歌舞伎役者一族の血筋で成り上がる半弥のバディもの編と、人間国宝まで芸のみで成り上がる後編(サクセスストーリー編?)に分けられます。
半弥は芸に泣かされ、また東一郎(と半弥も)は血筋に泣かされます。お互いを羨みながら成長していく描写が生々しくて良かったです。
舞台前震えが止まらない東一郎は半弥に「お前の血が欲しい」と口にします。しかしその血筋が原因で、半弥は半二郎(渡辺謙)同様、糖尿病で命を落としてしまいます。
半二郎に「血がお前を守ってくれる」と言われた半弥が、血に泣かされるのは何とも言えない気持ちになりました。
このあたりの描写も、曽根崎心中と、歌舞伎と心中するつもりの半弥の状態を重ね合わせており、丁寧でわかりやすいものでした。
血を継いでいない結果、糖尿病にならなかった東一郎。半弥に家督を奪われドサ回りをし、しかし半弥の最期が近いことを悟り、家督を継ぐことになり、複雑な思いがあったと感じさせました。
ですが曽根崎心中で見せた表情は半弥を失う辛さで満ちており、バディもの編として美しい終わり方でした。
花井東一郎襲名の際、神社で悪魔に「芸以外何も要らないから成り上がりたい(うろ覚え)」と娘の前で誓ってしまう東一郎ですが、妻と娘とも疎遠になり、半弥を失い、とうとう芸だけが残り人間国宝まで上り詰めます。
インタビュアーにドサ回りやスキャンダルが無かったかのように「順風満帆な歌舞伎人生(うろ覚え)」と言われ、娘がカメラマンとして現れても表情から感情はあまり読み取れません。
この時の達観したような、感情の機微が感じられない表情が、東一郎がまるで人間の枠を超えて芸術品になってしまったような感覚に陥ります。同じように人間国宝だった万菊(田中泯)さんと重なります。
総じて、人間関係の描写、歌舞伎の描写がとても良いバランスで両立されていると感じました。
3時間長の映画ですが、あっという間に感じました。
人間
映像美の余韻
音の強弱の使い方や音楽、映像の魅せ方、クライマックスの映像美がとにかく惹き込まれる。
日本の伝統芸能、歌舞伎の重鎮さというか、一人前の歌舞伎役者になるまでの道のりはこんなものじゃないくらい大変なんだろうなと。
人間国宝になる人は並々ならぬ努力の日々と覚悟と責任と…想像も出来ないほどの物を背負ってる。
それを歌舞伎に触れたことのない世代にも伝えてくれる。
歌舞伎を演じ、歌舞伎を演じている喜久雄を演じ…吉沢亮くんの努力と演技力と…全てに感動。
横浜流星くんももちろんすごい。
ちゃんと2人にスポットライトが当たり、進むことにより、主人公は喜久雄だけど、喜久雄だけでは主人公として成り立たない事も思い出させてくれる。
そして出てくる人達全ての人間臭さよ。
人って綺麗事だけでは生きられない。
打算も裏切りも執念も諦めも弱さもみんな映し出される。
頭では分かっているけど、気持ちの整理が付かない、やっぱり受け入れられない、納得出来ない事ってあるよね。
まさに、歌舞伎を通して喜久雄という男の一生を描いた人間ドラマ。
映画館で観られて良かった。
まだまだ今夜は色んな場面を思い出しながら余韻に浸れる。
箔がついたね!亮くん!!
もう一度観たいかと言われたら
誘われても、見に行かないです。
オンデマンドでも見ません。
役者さんの演技はとても素晴らしいし
映像もとても美しかったです。
歌舞伎に対しての興味も湧きました。
でも「映画」というパッケージで
歌舞伎の世界観と、人間国宝の半生を
描き切るのは無理があるような。
あの尺があるならば、映像美よりも
もっと描いて欲しいことが沢山あります。
撮り直しができる「歌舞伎映像」に
力が入り過ぎてると感じました。
歌舞伎の素晴らしさは
歌舞伎で観たらいいと思いました。
重厚な作品、今年を代表する映画では
過去最高の映像作品のひとつ
今期最も素晴らしい映画かもしれない。
とにかく面白かった。
陳腐な感想になってしまうのだけれど、とにかくすごかった。夢中になって画面に食い入り、見つめていた。
「ぴんとこな」という漫画を読んでいたので、
歌舞伎界は特に血筋が大事、と知っていましたが、
ここまでとは思っていませんでした。
本番前、半二郎が喜久雄にかける言葉は、稽古を休まずやってきたから、忘れても身体が反射で踊ってくれる、に対し、俊介には、花井家の血がお前を守ってくれる、と声をかけていることにはやはり息子と部屋子の違いを明らかにつけていることがわかる。実子より部屋子のほうが芸が上手いと認めていても、やはり可愛いのは実子。
喜久雄の芸への異常なまでの執着心にはゾッとするものを感じたが、同時に喜久雄の好きなようにさせてあげて、と思わせるまでの説得力を与えてすらいた。
だからこそ、高畑充希や見上愛、森七菜(役名ではないが)のたくさんの女性が喜久雄を支え、芸の道へ押し戻したんだと思う。
俊介はフラフラしているように見せかけているが、本当は本気で稽古をしても喜久雄に敵わない、とどこか思っている節があったから、御曹司であることを盾に遊び歩いていたんだと思う。
それと高畑充希演じる春江のしたたかさには舌を巻いた。
墨を入れるぐらいには喜久雄に入れ上げていたはずなのに、喜久雄の芸を見て落ち込む俊介を見るとすぐに乗り換える。その前にも片鱗はあって、役をとられてやけくそになった俊介が春江にいたずらしてやろうと家に上がろうとした時も、思惑を読み取って家にあげようとした。
俊介にそこまでの覚悟はなかったので大事にはならなかったが結局この二人が結ばれてしまうんだもの。
その後に家を追われることになった喜久雄が挨拶に来ても一瞥もせず息子に話しかける姿には恐れ入った。
こういう心意気がないから彰子(森七菜)は本命になれなかったんだろうな、と思った。
どこまでもお嬢様な気持ちで、本家を継ぐ気なんかさらさらないから、喜久雄に手を出された時にも出ていく!と啖呵を切ってしまったのだろう。
喜久雄が墨を入れるところから悪手を選んでいく様には胸が痛んだ。絶対こっちは選んではいけない、という選択肢ばかり選んでしまう。これも世間知らずであるが故なのだろう。
人間関係にばかりフォーカスを当てて感想を述べていたが、演者の気迫や演技も本当に素晴らしいものだった。
特に私が泣いてしまいそうになったのは、喜久雄が半二郎の代役を務める前に緊張で震えてしまいメイクができなくなってしまったシーン。
俊介の血をガブガブ飲みたい、と述べる喜久雄には
切実な歌舞伎の血筋への想いと、自身には頼れる身寄りがいないことへの恐怖があったのだろう。
俊介がもし代役で出演し失敗しても彼には血筋があり、親である半二郎が助けてくれる。でも自分には芸しか頼るものがないのだ。一度でも失敗すると居場所がなくなってしまう恐怖もあったのだと思う。
自分も一端の演者(歌舞伎でも役者でもないが)なので、本番前の緊張する気持ちは痛いほどわかるが、小さな子供が一人ぼっちで震えるように静かに涙を流す姿には心を痛めた。この時、喜久雄には俊介がいてくれてよかった、と心底思った。同い年で親友でありライバルであり、それでいてお互いに欠けてはならない存在であり。
歌舞伎を続けて、喜久雄が人間国宝まで上り詰めたのは、芸への異常な執着心もあるが、俊介の意志を継いでいきたいという思いもあったのだろう。
2人の子供時代を演じていた役者さんたちも素晴らしかった。無邪気で2人切磋琢磨している姿が素敵だった。
とにかく良い映画でした。
ただ、何度も観るにはパワーがありすぎて疲れてしまう。
タイトルなし(ネタバレ)
映画『国宝』
放映開始当時に吉沢亮・横浜流星の両名が色々な番組に宣伝として出てて、この映画について語っていた。それを何故か、どうしてか私はこの両名の役所を逆に勘違いしていた。そのせいでその事に気づくまで困惑していた。
『二人藤娘』で花道で待っている横浜流星の元に、舞台装置で迫り上がってくる吉沢亮が向かい合うシーン(パンフレットやポスターの写真のシーン)は、本当に美しい!
(レビュー内、敬称を省略してます)
作品の力に圧倒された
観に行きたくても、行かれる時間の回はいつもほぼ満席でチケットを買えず。
そうこうしている間に3か月経ったというのに、まだ満席になるほどの人気。
全くの予備知識なしに観たのだが、素晴らしい。ダブル主役の二人もそうだが
小野川万菊を演じた田中泯の快演は脳裏に焼き付く。歌舞伎座は建て替えるたびに人が亡くなる、と言う話を聞いたことがある。今回の建て替えでも、幾人かの方が亡くなったり
事件に巻き込まれたりした。単なる偶然と思いたいが、この映画を見ると(フィクションとは言え)いろいろな人の念が渦巻く場所なのかもと思ってしまう。それほど芸ものを極めることは命がけなのだろう。歌舞伎と言う伝統芸能への興味とリスペクトが自然とわいてくる、そんな映画だ。
二人道成寺の鐘
9月2週目にようやく鑑賞。公開から3カ月経過しているが、結構客入りは多い。
9月7日現在で興行収入133億を超えているという。
私は鑑賞直後、作品によってたまに感じる面白い!と心躍るようなことはなく、静かに沁みるような感じ、どう解釈したらいいのか整理がつけにくい感じだった。
所謂エンタメ作品とは違うようにも感じ、ここまでヒットし、巷で話題になるのは意外に思う。
企画段階からのこだわり・仕込みが功を奏しているか。
俳優達の演技はもちろん、美術の細かい所までの設定・カメラワーク含めた撮影・照明等々、総合芸術としての映画の質の高い作品が、広く受け入れられたようにも思える。
原摩利彦による音楽は静かに美しい。演目中に流れても違和感が無かった。
歌舞伎において、こんな立場におかれる二人の役者が、今後実際に現れることはあるんだろうか、見てたみたいとも思ってしまった。
急展開すぎる
絶賛されていて主演俳優さんも好きなので見に行きましたが、ストーリー展開が急すぎて観客の想像力頼り過ぎる。
原作があるものなので仕方ないと思いますが、片割れに突然の病魔、そして死去。最後のカメラマンで隠し子が潜入しているのは創られすぎていて興醒めしました。とにかく時間が足りなくて改めて会うシーンを作れなかったんだろうな、という印象。
近年の完全ファンタジーなアニメ作品等の方がよっぽど辻褄が合っています。
主演俳優の顔立ちの美しさ、歌舞伎シーンは本物を見たことがない素人目ですが素敵でした。
主題歌も切なくて良い。それらを大画面、大音量で聞けたのは良かったなという印象。
タイトルなし(ネタバレ)
評価が高いので観に行きました
歌舞伎の世界の見応えが有り
楽しませて頂きましたが
腑に落ちない事が多数あったのが
残念でした
前の席の方が涙を流しておられて
ここは泣く所なのか疑問に思いました
最後の締めも甘く感じました
国宝になった後
父親の敵討ちに
失敗したとの事だったので
その敵に最後は刺されしまって終わった方が映画が締まって良かった気がします
ちょっと残念な終わり方でした
国宝ってこーいう映画だったんだ
登場人物が全員優しくて、優しいからこそ悲しくて、辛くて、苦しくなって、とても切なさを感じたけど、優しい人たちだったからこそみている側としては救われた。
女性3人はストーリーを進める上で必要なのはわかるし、そこが主軸じゃないのもわかるけど、分かった上でほんの少しだけ雑に感じたかも?とは言え森七菜ちゃんの「どこみてんの」のシーンはとても好きでした。
良い日本映画を映画館でみたなーと満足です。
まだみてないなー。迷ってるなー。という方には是非みてほしいなと思いました。
歌舞伎界のタブーに切り込んだ作品
「国宝」の輝きと自己実現の危うさと
前半から飽きさせない展開で起承転結の「承」では、2人の友情が育まれているのが楽しく、後の展開への布石としてもワクワクして見ることができた。歌舞伎役者としてのステップアップも捗り順風満帆な様子。
そこで「転」である。あらすじでは、襲名するのが実子ではないことが分かっていたので、「転」からが本格的なスタートとなる。ここから、高畑充希とは夢のために別れ、シュンスケとも仲違いになり、渡辺謙も居なくなり、と立て続けに大切な人を失っていく。
既視感のある展開だと思ったら、これは「夢を叶えるには何かを失わないといけないという物語」と気づく。私の好きなセッションやLALALANDもそうなのだけど、国宝が違うのは「悪魔との取引」という点だろう。
実の娘に対する無関心、女性への自己中心的な扱いは、彼の女性軽視的な部分は共感できるものではない。しかも彼は謝罪を述べることは無い。後悔がない。必要な犠牲。男として、というか人として最低である。
ということで、キクオが悪魔との契約を明かすシーンは今作の白眉だろう。彼はしっかりと「国宝」を目指していた。そんなに分かりやすくテーマを語らせるのだろうかという疑問も起こらないでは無いが、そう解釈した。また、それが自己実現の持つ究極的な虚しさである。
その意味で彼がラストシーンに見た美しい光景というのは甘美な幻覚に過ぎず、物語の最後に作者が用意した作り物に見えてしまう。彼は基本的に他人のために生きてはこなかった(シュンスケに役を譲ったりもしたけど)。最後の最後に美化して良いのか、というのがこの作品への疑問というか共感できなかったところではある。なぜか娘に許し的な内容を語らせることも。まあいいけど。
「映画内での芝居を本当に死ぬかもしれない設定でさせるとリアリティが増す」というメソッドも侍タイムスリッパーで見たばかりだけど、とても効果的。死期悟った者が演じる曽根崎心中は見応え抜群。役者の持つ迫真性というものが劇場を包むときに観客はその臨場感空間に引き込まれる。これこそがロシアのスタニフラフスキーが生んだメソッド法で言うところのプラーナ(気)の作用であり、演劇の持つ力なのだなあと改めて感心させられた。それを体現せしめた俳優の方々、製作陣は素晴らしい仕事をしていた。
ただ終盤からトイレ行きたくなって、そしたら映画の長いこと長いこと。だから娘のセリフも長く感じたのかも。
全2343件中、361~380件目を表示
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