国宝のレビュー・感想・評価
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芸の世界の凄みを体感!
前評判がかなり高いので、期待していきましたが、見応えありました~。
出番前の緊張感、本番中の息遣い、かなりリアルな演出ですので、見終わった後はぐったりです。舞台の上の緊張感が(もちろん実際の比ではないでしょうが)味わえます。裏方目線のカメラワーク、すごいとおもいました。
私は歌舞伎は観たことありませんので、通の人からしたらどうなのかわからないけれど、役者さんたち、かなり凄かったと思います。子役も、渡辺謙も、横浜流星も、吉沢亮も圧巻の演技です。どれだけ稽古したのか、それを想像するだけで役者の世界の凄さを感じるし、それが歌舞伎の世界の凄みの表現に繋がっているとおもいます。
命を削って舞台に立つ。それがまったく大げさな表現ではなく、ほとんど狂気に近い、究極的には才能も血筋も超越した世界。「あんな風には生きれないよな」と三浦貴大がつぶやくシーンがありますが、選ばれた人だけが到達する世界なんだと思います。それがとっても美しく描かれていました。
惜しむらくは高畑充希演じる春江の描かれ方。二人にとって重要な人物で、高畑充希という演技派を使ってながら、ちょっと生かしきれてなかった感じがしました。少女の頃からかなり喜久雄(吉沢亮)寄りだった気がしましたので、俊介(横浜流星)にいってしまったのが、唐突な感じがして、「え?なんで?」という違和感が否めませんでした。たぶん、自分がいないとダメな方にいってしまう尽くすタイプの女性なのでしょうが、結局梨園の奥様におさまってしまうし、中途半端な人物像だと思ってしまいました。
あと、人間国宝のお許しが出て、喜久雄が歌舞伎に戻れるシーンがありましたが、それもなんか唐突な気がしました。だって、人間国宝なのにもう権力もなさそうだったし、「今さらなんで?」でした。原作ではその辺がもっと詳しく描かれてるのかもしれませんね。
まあ、でもこういう些細な違和感は歌舞伎のシーンの凄絶さで吹っ飛びましたので、それだけでも必見です!
圧巻
この作品の感想を言葉にするのは非常に難しく、易々と語れない
けど、吉沢亮をはじめとする役者たちが見事に体現して見せてくれた
魅せられたと言った方がよいだろう
悪魔と契約を成立させたあとの喜久雄が見もの
万菊の不気味さと美しさは凶器的
最後に…
喜久雄と俊介の後ろ姿が見分けがつかぬほど似ていた
不離一体とはこのことを言うのだろう
『道』と愛と友情と打算の人生を描いた素晴らしい傑作
・ヤクザの子が歌舞伎の世界を歩んでいく人生の話。
・まずストーリーが素晴らしい、師匠への尊敬、幼馴染との友情、継子ならではの気遣いと気まずさ、それら多様な愛憎・仁義を良くも悪くも洗い流す年月の儚さ、そしてそんな儚い諸行無常の世の中でも歌舞伎を極めるという道をひたすら進む主人公の生き様。
本当によくできていると思う。
・次に背景描写が素晴らしい。70年代から2010年代までそれぞれの時代の匂いを感じる背景とモブの時代描写が本当に現実味を表してる。
・最後に役者の演技が素晴らしい。
とにかく歌舞伎が上手くなりたいという主人公役の吉沢亮。
ボンボンであり裏切り者であり親友である幼馴染役の横浜流星。
大役者であり一門の長である師匠役の渡辺謙。
そしてそれらを取り巻く女性たち。
・どれもこれも本当に素晴らしかった。
曽根崎心中のシーンは一度目は圧倒され、二度目は涙が出た。
・ただ一つ、この映画は歌舞伎の演目を簡単に知っておいたほうがいい。
公式サイトに演目の簡単な説明があるからそれだけ読んでから映画を見たほうがより楽しめると思う。
なお簡単に説明すると、
連獅子は獅子の親子が張り合う演目、二人藤娘は藤の精が化けた2人の娘がもどかしい恋心を語る演目、(二人)道成寺は女の霊による恨みの演目。
そして曽根崎心中は、男が嵌められ、それに憤った遊女が相手方に殴り込みに行き、縁の下に隠れていた男に心中する覚悟はあるかと問う演目
年に1本しか見ないなら、コレを見よう
3時間近い長尺ながら、最初から緊張感のある場面、エピソードが続き、最後までスクリーンに釘付けされる映画である。
こんなのは滅多にないよ。年間100本見たとしても、あるかないか、のレベルだ。
ぼくは年に10~20本程度しか見ていない映画ファンだけど、数年に1本お目にかかれるかどうかという完成度だ、と思う。
吉田修一原作、李監督の過去作品も見ているが、過去作をしのぐ熱量だった。
役者の迫真の演技に加え、松竹が全面協力したんじゃないか、と思うくらい歌舞伎芝居の舞台裏の雰囲気もうまく出ていた。
映画の世界では、ライバルというべき東宝が配給だけれど、ミュージカルその他実演も多数手がける東宝だし、一時期は松竹に対抗して歌舞伎公演もやっていた。ある意味、歌舞伎の世界をこんな形で描いて、松竹の鼻を明かしたようにも映る。
純粋な歌舞伎ファン、演劇ファンが吉沢、横浜らの芝居をどう見たかは知らない。しかし、李監督による本作は、映画的にはかなり成功し、歌舞伎や日本舞踊の魅力をスクリーンを通して感じさせた。
主人公が「人間国宝」になる、というある意味ハッピーエンド、成功譚なのだが、それを編年体で追い、これだけの映像にまとめるのはすべてにおいて高い水準がないとできない仕事だ。
中途半端な映画をたくさん見るより、これ1本見ておけばよい、と言っておこう。
封切りから4日、休み明け月曜の昼間ながら、東京都心のシネコンは8割ほども客が入っていた。やはり映画好きはよい作品を知っている。
国宝は2025年の代表作
舞台の演目だけなら星5つ
1人間国宝にまでなった歌舞伎役者の半生を描く。
2任侠だった父の死後、遺児、吉澤亮は父と興行上の縁があった大阪歌舞伎の名跡、渡辺のもと歌舞伎の世界に入る。同世代であった渡辺の息子、横浜流星とともに厳しい修業をしながら二人は女形として頭角を現す。そうした中、渡辺が事故に遭い、代役が立つこととなった。本来なら血筋のある横浜となるところ、芸の力やなりの美しさで吉澤が選ばれた。そして・・・。
3 本作は、一般社会と異なる歌舞伎の特異な事柄の中でドラマが展開していく。一つ目 は、歌舞伎の閉鎖的な世襲制度。親から子に芸や名跡が引き継がれる。吉澤は流れに棹さしハレーションを起こす。二つ目は歌舞伎役者を巡る女性関係。10代からお茶屋に通い、女遊びは芸の肥やしと割り切る。そして隠し子。三つ目は歌舞伎の源流にある蔑まされる立場。劇場では役者の看板が掲げられ誉めそやされるが、元を辿ればどさ回りで糊口をしのぐ。劇中、吉澤が歌舞伎から一時期離れ、女性とともに車で地方を巡る旅は、泥水を啜るような現代の道行き、河原乞食の姿であった。四つ目は女形の存在。男社会の歌舞伎で女形は、なりや仕種、声音で女に化ける。老骨の万菊は化物と思われながら手と目線の演技には女が宿った。女形の芸に対する不作法な客の反応に吉澤の心が荒ぶ。
4 長尺な映画であるがドラマの合間に挿入される吉澤と横浜の舞台の演目や楽屋で化粧する場面が素晴らしく、最後まで引き込まれた。音曲や囃子の臨場感や演者の完成度が高く、演目の神髄に魅了された。特に横浜が女形を演じた曽根崎心中は鬼気迫るものがあり、ラストの鷺娘の吉澤は神業であった。鷺娘では、雪の中に倒れた吉澤の目にはあの日の父と同じ景色が写り、心で対話した。一方、ドラマではシレッと省略されてしまったところがあるのは残念。親の仇討ちで襲撃した後始末や舞台の代役を決めるときの渡辺の煩悶、女形の頂点になった万菊、田中が成れの果てになるまで。これらはどうだったんだろうか?
5 主人公以外では、家を守ろうとする寺島の存在感は渡辺以上に大きく、横浜と吉澤を支えた女性達の一途さに感心し、二人の子役のキャスティングに拍手した。
原作未読者には辛いかも
立花喜久雄を演じる吉沢亮と、大垣俊介演じる横浜流星は役作りのためにいったいどれくらいの労力と時間を割いたのだろうかと思わせる渾身な演技でした。
この2人の渾身な演技がなければ「国宝」はコケた作品になったに違いありません。
春江演じる高畑充希、彰子演じる森七菜、藤駒演じる見上愛のヒロインと喜久雄の関係がこの作品のキモとなるのに、その描き方がテキトー過ぎです。
特にいい加減過ぎたのが大垣俊介と春江との関係が『えっ?それだけ?』と思わず目が点になったほどです。
上映時間の175分の半分以上は濃密かつ美麗な歌舞伎の世界を描き、最も重要な人間ドラマが希薄でテキトー。
なんともモヤモヤ感が残る作品でした。
吉田修一原作、李相日監督 の「悪人」、「怒り」は『あぁ、邦画はまだまだ捨てたもんじゃないんだ!』と思わせる素晴らしい作品だっただけに少し残念でした。
悪魔との契約後も努力し続けることを止めない『ファウスト博士』
予告編を見、荒筋を読んだ限りでは、
「氏より育ち」が「梨園の家格」を凌駕するお話か、
真逆の「血は水よりも濃し」の落としどころかと思っていた。
なぜなら歌舞伎の世界での
血筋に重きが置かれることは論を待たず。
先代が廃業し後ろ盾のない『獅童』や
養子である『愛之助』の立場は耳にするところ。
更には「高麗屋」と「成田屋」の
昔からの関係も同じ文脈。
浮世絵に描かれている両家の役者を見れば、
特徴的な鼻の形の区別がつかぬ時さえある。
そんな中で異色は『玉三郎』か。
1950年の生まれで早くして人間国宝に。
梨園の出ではなく、高身長に左利き、
養父も随分と若い頃に亡くしている。
にもかかわらず今の地位。
どれだけの研鑽を積み、いかほどを犠牲にしたのかと、
頭を垂れる思い。
本作の主人公が女形とのこともあり、
『玉三郎』の姿が投影されているようには見える。
もっとも劇中で、血と芸についての言及がないわけではない。
御曹司を守ってくれるのは血筋だし、
部屋子を守ってくれるのは身体に染み付いた稽古の結果だと
いみじくもふれられる。
とは言え、二人の主人公が、堕ちるところまで落ちても、
最後のよすがになるのが芸への執念なのは
もっとも感銘を受けるエピソード。
その線上で『寺島しのぶ』のキャスティングは興味深い。
当初は梨園の慣わしについて素で演じられることが眼目かとも考えたが、
ストーリーが進むに連れ異なる思いも湧き上がる。
『菊五郎』の子供に生まれながらも
女であるばかりに歌舞伎役者にはなれない。
加えて母親は易々とは越えられない高い壁の『藤純子(緋牡丹のお竜)』。
が、身体を張った演技で数々の賞をものにし、
今では一枚看板に。
彼女の生き方もまた本作に重ねて見えてしまう。
歌舞伎の世界でも四肢を失ってなお舞台に上がった役者が
江戸時代には居たよう。
しかしより最近の例としては『エノケン』を思い起こす。
脱疽で右足を大腿部から切断しても
義足で舞台に立った気概には感銘を受ける。
『吉沢亮』と『横浜流星』の努力は認めつつ、
舞踊家『田中泯』の演技と踊りが
二人を凌駕していたのも事実。
とりわけ劇中での〔鷺娘〕は、
短い尺ながら自家薬籠中としている。
できればフル尺で観たいものだが・・・・。
絶妙に惜しい感
原作読了済み
尾上右近がナレーションのAudible版がまるで壮大な映画のようで、ものすごく浸れたのもあり、
実際に映画になったらどんなかと、かなり楽しみに劇場へ
場内のお客さんはかなり年配の人が多めな印象でした。
もとより数十年のひとりの人生を描いた作品なので、三時間あるとはいえかなり省略しないと入りきらないのは当然なのはわかります。
が、歌舞伎の舞台部分を中心にして描いていた本作は、画像的な華やかさは勿論あって良かったのですが、もう少し各所に説明入れた方が話わかりやすくなったのかなぁ?と
なかなか難しいのはわかりますが、唐突に登場人物が出てきては居なくなるような感じで(原作もそういう面がないわけではないのですが)セリフというか、会話を控えめにしていたせいか、ちょっと原作未読だとこれわかりにくいのでは?と思うところが何回か。
朝ドラみたいに、第三者のモノローグとかもしかしてある方がわかりやすかったかなぁとは思いました。テレビじゃないから、現実的な演出ではないですが。
昭和のオリンピックあたりから始まる物語なので、時代的なことはただ年号でなく、時代を表すような絵をカットに挟むとかしたほうが、そういう時代なんだな、とか観て直感的に理解しやすかったかもな、とか、
なんとなく全般的にもう一声!って感じの残念さがありました。
時代背景も知っていて観るのとは受け取れる情報が違うかなぁって。
関西歌舞伎の凋落とか、地方巡業のこととか、そのあたりの説明も全部端折られてるので、歌舞伎に普段縁のない人には、どさまわりしてる時との小屋の違いもわかりにくかったのでは?とか。
なんとなくイロイロ思いながら観ておりました。
吉沢さんも流星さんもとても綺麗に舞を魅せてくれており、その辺は良かったと。
かなり稽古しないとなかなか所作全般大変だったろうなぁ!と。
小説では(映画では、ほぼ最初にしか出番なかった)トクちゃんが格好いい立ち位置なのですが、これはしょうがないけどほぼ出番なしだったのもやや残念。
長崎弁が大阪弁になるとか、そういうあたりも曖昧だったなぁとか。
歌舞伎演目に全振りしたのはわかるのですが、そのぶん登場人物たちの魅力が全員かなり浅くなってしまっていたかなぁと。
原作にある最後のシーン、普通に劇場内で終わったのはちょっと残念でした。
街中で状況をまったく知らない人々の中で無心に舞う姿とか、そんな演出で観てみたかったかなぁ。
一番色っぽかったのは田中泯?(笑)
久々に90点上げちゃいます。3時間があっという間でした。
こんな事書いちゃ申し訳ないんだけど物語は思ったように展開し、思ったように終わりますが、それがまたなんと心地の良いことか。
本当の主演は吉沢亮でしょうけど、横浜流星が助演では可哀想なので、まさにW主演と言ってもいいと思います。後半3分の1はまさに横浜流星が主演でした。
歌舞伎の世界が舞台の映画なのに配給が東宝ってのも「ん?なにかあったの?」なんてゲスな勘ぐりをしたくなりますが、松竹の社員さんたちが悔しがってないかな?とも思います。
本当に美しく、強く、気高く、脆い二人の主演でしたが、私にとって一番色っぽかったのは田中泯であったことは内緒です(笑)
アカデミー賞に出品しないかな。国際長編映画賞受賞すると思うんだけどな。
うつくしい。
まず出てくる感想は、「傑作だ!」。
本作品、1960年代の長崎から始まり、大阪に舞台を移して2014年のラストまでの約50年間を描く大作。もちろん上映時間も175分と長い。
観る前は、その長さがちょっと不安だったのだが、まったく問題なし。
あっという間の3時間だった。
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とにかく映像がきれい。特に歌舞伎の舞台を撮った場面は素晴らしい。
この美しい映像がこの作品の肝でしょうね。
そしてその美しい映像に映える吉沢亮のきれいな「顔」。
この作品、吉沢亮でなければ撮れなかっただろうな……
横浜流星も超絶イケメンだけれど、女形の姿では、吉沢亮の存在感が圧倒的。
登場人物のキャラ的には、配役が逆でもよかったのかもしれないが、女形の姿の美しさを見たら納得。素晴らしかった。
そもそも、この作品のテーマの一つは「美しさ」だと思う。
「美しさ」に魅了された人々が紡ぎだす狂おしいまでの物語。
吉沢亮演じる主人公、喜久雄は、実は劇中ほとんど感情の動きを見せない。
彼の感情が大きく動くのは、その尊厳が脅かされるときに示す激しい「怒り」と、「美しさ」に対する強い憧憬だけだ。
それ以外の感情はほとんど描かれない。
彼を突き動かしているのは、「美しさ」に対する強い衝動だけだ。
その衝動が、彼自身と彼に関わる人々の運命を翻弄してしまう。
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物語の本筋は、吉沢亮と横浜流星が演じる2人の歌舞伎役者の人生をなぞるように進んでいく。
そこに横糸として織り込まれるのが、歌舞伎に関わる女性たちの物語だ。
寺島しのぶ演じる歌舞伎一家のおかみは、歌舞伎役者の妻であり母である立場で、運命の荒波に翻弄される。
この役も、寺島しのぶだからこそ、という快演だった。
おそらくは制作陣が歌舞伎一家の彼女を敢えてキャスティングしたのであろうが、見事に奏功していると思う。
妻であり母である彼女を襲う運命を見事に演じている。素晴らしい出来だ。
また、吉沢亮演じる喜久雄に関わる4人の女性たちも、歌舞伎役者である彼に関わったがゆえの運命の転変に翻弄されていく。
物語の終盤で、数十年ぶりに父である喜久雄に出会った娘のアヤノが口にした言葉がそれを象徴している。
「あなたはどれだけの人々の犠牲のうえに、今の地位に立っているのか」
しかしそれは、「美しさ」で人を魅了するためには避けられないことだった。
だからアヤノは言う。
「でも、歌舞伎役者花井半次郎(喜久雄)の演技を観ると、突き動かされるように全力で拍手を送ってしまう。……お父さん、本当に日本一の歌舞伎役者になったんやね」
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吉沢亮と横浜流星の少年時代を演じた2人の役者にも触れないわけにはいかない。
黒川想矢と越山敬達だ。
黒川くんは、「怪物」で主人公を演じ、その後も映画やドラマの出演が続く注目俳優。
この映画でも素晴らしい演技を見せていた。
女形の美しさでいえば、吉沢亮に引けを取らない。
末恐ろしい才能だ。
越山くんは、『ぼくのおひさま』で主演を務めた、こちらも注目俳優のひとり。
正直、背が高くなって感じも変わっていたから、同じ人物と気づかず、映画が終わってから調べて初めて分かった。
でも、後から納得。あの瑞々しい演技は得難い才能だ。
ちなみに『ぼくのおひさま』は、昨年観た映画のなかで僕の一押しの映画だ。
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間違いなく、今年の邦画の1,2を争う傑作だ。
映像美はもちろん、物語も秀逸。
一番のクライマックス、歌舞伎「曽根崎心中」のラストを描いた場面。
自然と涙がこぼれたし、劇中の歌舞伎の観客と一緒に、思わず拍手を送った。
映画を観ることの醍醐味を味わわせてくれる素晴らしい作品です。
歌舞伎の悪魔を憐れむ歌
李相日× 吉沢亮×横浜流星「国宝」血筋を重んじる歌舞伎の世界に人生の全てを賭けた男の物語。ロバート・ジョンソンはブルーズのためにクロスロードで悪魔に魂を売ったけど、吉沢亮演じる喜久雄は長崎の冬の夜に父の最期を見た時すでに芸の悪魔と契約していたのかもしれない。
終盤の壮絶な「曽根崎心中」のシーンである人物がつぷやく「こんな風には生きられないな」のつぶやきは映画を観ている人たちの代弁とも言えるけど、ひょっとしたら李相日の思いかもしれないなと考えたりしたな。
あと、吉沢亮と横浜流星は当然素晴らしくておそらく映画賞レースを席巻するんだろうが、この2人を喰う存在だったのが人間国宝を演じた田中泯で、その色気と悪魔性が混在する佇まいは圧巻でした。
傑作
近年にない邦画の最高峰と言っても過言ではない
これ全編、圧巻の超一流の芸を見せつける、本年ベストワン級の作品の登場です。ここで言う芸は、話の核である歌舞伎の芸の伝承のみならず、映画としての監督・役者・撮影・衣装・メイク・音楽・美術などなど、息をのむ程に凄まじい完成度の技量と言う芸をさす。どのシーンをとってもクライマックスの高揚感に満ち、冒頭からずっと、体が痺れる程の感銘を受けました。
原作の吉田修一とは相性がいいのか、李相日監督にとって「悪人」2010年「怒り」2016年に続いての本作。真っ向から歌舞伎の深淵を相手に、とんでもないエネルギーを使ったものと想像に難くない。歌舞伎の松竹の制作ではなく、東宝なのが気になるけれど、監督としてこれまで彼を支えてきたのが東宝なのだから結構なことで。それに応えるべく、東宝としても相当の制作予算をかけた大作なのは画面の隅々から伝わってくる。そもそも東宝歌舞伎の歴史もあったのですし、本作も松竹のみならず東映までも関わっているわけで、邦画の最上級と言って過言ではないでしょう。
「俊介(横浜流星)の血をコップで飲みたい」と述懐する喜久雄(吉沢亮)が本作の要で、誰しもが思う歌舞伎の世襲に対する違和感が映画としての力強いベクトルとなっている。興行サイドの竹野(三浦貴大)のセリフ「今は同じ様に扱ってくれるが、いずれ損をみるのはお前だよ」が私達の感覚なのは確かでしょう。およそ日本の古典芸能に世襲が当然の世界は多い、その世襲に対する世間の懐疑を払拭すべく一層の精進に励む。もちろん外様からの移植も現実にあり、芸に対する能力は天性のもので、本作のように血を凌駕することもある。
その「血」と「天性」とのシーソーを二人の青年に託し、その生々流転を描く。そこに入る前の少年期が結構長く、また演ずる少年がとてつもなく魅力的で、いつになったら吉沢と横浜になるのか?なんて忘れそうに。ことにもイントロである正月の長崎の描写だけで、心を鷲掴みにされました。1964年と言えば東京オリンピックの年、なのにこの時代がかった任侠宴会が、料亭の大広間で一気呵成に描き切る。興行主への挨拶に訪れた半二郎との出会いにより少年の命運が決まる。
大阪での部屋子生活からは、同い年の跡取り息子である俊介とともに切磋琢磨の日々。厳しくとも練習が出来る喜びを炸裂する喜久雄が微笑ましい。やがて、本来の主役の二人に代わるが、まるで違和感ない。よくぞ、当代きってのイケメンかつ演技派の吉沢と横浜が押さえられたもので。美形揃いでなければ決して成り立たないお話で。鏡に向かう姿勢からして完璧に物語を表現し、白塗り娘に仕上げた美しさは格別で、しつこいくらいにアップで捉える。
ただ、彼等を取り巻く女たちの描写に手が回らず、ことにもラストシーンでの父親との再会も、なんの情緒も湧かないのが惜しまれる。寺島しのぶ扮する半二郎の妻も、「この泥棒が・・」と喜久雄を責め、五月蠅く冷酷にしか描かれないのも残念で。舞台化粧後も一瞬どっちかな?と迷うシーンも多々あり、悩ましい。国宝たる万菊(田中眠)が引退後とはいえ何故に安アパートなのか? などなど仔細に、程ほどの欠陥も内包してますが、舞台への執念描写の力強さの勢いで十分となってしまいます。
そして歌舞伎の名場面集を客席からだけでなく、舞台にもグルリと回るカメラで、実際以上に美しく感動的に描写されるのが圧巻です。主演の二人も相当どころか、それこそ血のにじむ鍛錬の成果が、映像に血となり肉となり定着しているのが、観客に伝わるのです。女郎の「はつ」の気持ちに入り込まなければまるでダメとセリフにあるとおり、吉沢と横浜は入魂の演技を成し遂げた。二度にわたる曽根崎心中の舞台は、それぞれの内面と重なり見ごたえ充分です。
本物の美しさ
吉沢亮さんが魂を削って演じた東一郎は見せかけではなく本物の歌舞伎役者女形として生き、どのシーンを切り取っても見惚れる美しさがあった。歌舞伎の知識のない私にも台詞一つ一つの“間”の取り方や手先に至るまでの所作に魅入ってしまう贅沢品。
生まれながらに歌舞伎の神様に愛された男というよりも悪魔に取り憑かれてしまった東一郎が恐ろしくも儚げでした。
作中ブロマンスを思わせる横浜さん演じる双子のような片割れ半弥の存在が悲哀のポイントでもあったが、青春時代2人で大舞台まで上がっていく姿が眩しかった。
個人的には一番人間味のあった三浦さん演じる三友社員竹野の心の変化、成長にも驚かされた。
反面女性の登場人物の心情が終始理解できず感情移入が難しかったのも事実。後半は畳み掛ける展開のアップダウンが激しく気持ちが追い付かない…。
いやしかし歌舞伎のシーンは本編の半分を占め、盛り上げる和楽器も迫力満点。主題歌の原摩利彦feat.井口理「Luminancs」も世界観に違和感がなく癒されました。
劇場でこそ観るべき一作です。
歌舞伎と心中
美しかった
美しき狂気
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