「二人の友情に感動した。」国宝 muneさんの映画レビュー(感想・評価)
二人の友情に感動した。
ある雪の日、立花組の宴席に上方歌舞伎の花井半二郎が挨拶に訪れる。組長息子の喜久雄は余興で女形を演じるのだが半二郎はその演技に才能を感じるのであった。その時唐突にカチ込みを受け雪の中で父は殺害されてしまう。それを見ていた喜久雄はなぜか美しく思えてしまうのであった。喜久雄は父の仇を取ろうとするが失敗してしまい、半二郎に引き取られ丹波屋で憧れの歌舞伎の道に進むのであった。半二郎の息子俊介は、初めは反目していたが、お互い厳しい修行を受けることで親友になっていた。ある日人間国宝の万菊の鷺娘の講演を観て喜久雄は雪の日を思い出すのであった。二人道成寺で脚光を浴びると半二郎は「俊介は血が守ってくれる」歌舞伎は世襲制であった、一方で「喜久雄は毎日の稽古が助けてくれる」と言うのであった。次第に俊介は芸に身が入らなくなっていった。ある日、半二郎が代役を立てることになった。誰もが息子俊介がなるだろうと思っていたが、半二郎は喜久雄に代役をさせるのであった。喜久雄は曾根崎心中の舞台前に俊介の血が羨ましいと吐露する醜態をみせていたが、講演の演技は迫真に迫るもので、それを見た俊介は敵わないと講演途中逃げ出すのであった。喜久雄の恋人であった春江は哀れな俊介をみかねて行動を共にした。順風満帆な喜久雄は舞妓の藤駒との間に娘をもうけていたが父親だと名乗りすらしなかった。それどころか神社で悪魔に何もいらないからもっと歌舞伎が上手くなりたいと願をかけるのであった。すると失踪した息子俊介の代わりに丹波屋の名跡を継ぐことになり、襲名の舞台で半二郎は悪魔に取り憑かれたように死亡してしまう。父の他界で帰宅した俊介は人間国宝の万菊の元でもう一度歌舞伎の稽古をやり直すことにした。万菊は俊介が歌舞伎を恨んでいるのを見抜いて「恨んでもするのが歌舞伎」と逆に諭すのであった。一方、喜久雄は出自のスキャンダルとゴシップで役がなくなってしまっていた。役を獲るためだけに彰子と結婚するが、そのことが逆に歌舞伎界から追放されてしまう。追放された喜久雄は彰子と地方で小さな講演するほど没落していたが、いっそう歌舞伎しかないと感じるのであった。一方で歌舞伎に復帰した俊介は名声を得ていた。万菊によって喜久雄は歌舞伎に復帰させてもらうと、昔のように俊介と二人道成寺をするのであった。しかし今度は俊介が糖尿病進行で足を切断することになり一旦歌舞伎を諦めたが、新しい歌舞伎をしたいと懇願、俊介は自分の原点だと演目は曾根崎心中で二人は共演する。その共演中に喜久雄は俊介の命が短いと悟ると本物の悲涙を流すのであった。俊介の新しい歌舞伎とは命を削る鬼気迫る歌舞伎なのであった。俊介が死んでからも喜久雄は一人で歌舞伎を続け人間国宝になっていた。自分の娘と再会した時、喜久雄に歌舞伎を続けたことがどれだけ周りが血を流したか恨みをぶつけ、それでも歌舞伎に感動をしたことも告げる。それからも喜久雄は歌舞伎を続けた。喜久雄は何を探していたかも忘れてしまっていた。ある講演で鷺娘を演じた。会心の演技を終えた後、雪の日のことを思い出すとそれが有終の美であったと気づくのであった。
本編は三時間の長編ではあったが、理由としては歌舞伎の映像美が多く含まれているからである。その映像は色彩鮮やかで、BGMで上手く盛り上げられていた。美しいと言えば主演の吉沢亮も美しくそれを目当てで鑑賞するのも良いだろう。歌舞伎の知識はなくとも鑑賞できる内容で、多くの人に歌舞伎に興味を持たせる映像美であった。映像美は高印象だが、物語は奇抜さは感じられず、どんでん返しもないやや退屈な人情劇であった。俊介は喜久雄が血が羨ましいと言われたら、自分が継ぐはずだった名跡も喜久雄に与えてしまう。一方喜久雄は芸のためなら不義理なこともする人間であった。私は歌舞伎よりこの二人の友情に感動した。そして一方が隆盛すると片方が没落する数奇な運命でもあった。ここまでくると喜久雄の生き方は歌舞伎の話なのに、なにか極道の話のようにも思えてくるのだ。
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