「死の間際に実の息子の名を呼ぶのはある意味普通」国宝 さとぼうさんの映画レビュー(感想・評価)
死の間際に実の息子の名を呼ぶのはある意味普通
クリックして本文を読む
死の間際に実の息子の名を呼ぶのはある意味普通だ。芸より血だと思っているんだとしかあの場では思えなかったし、実際本音としては実の息子に襲名させたかっただろう。家継続の為にはもう待てない。自分は我慢して目の前で頑張っている喜久雄に継がせよう。その我慢が限界を超えた瞬間が襲名披露の壇上だったのは不幸だったけど。それでも死ぬときは預かった息子ではなく、0歳から育ててきた息子の方の名を呼ぶのは役者としてではなく、父としての自分の心から、飾りなしに出た言葉だった。と思う。
喜久雄が俊介と違うのは、父を二回看取っていること。実の父と歌舞伎の父。それだけでも業が違う。俊介が帰ってきて隅に追いやられた時間は人生の休み時間であり、俊介がいない間に握っていたバトンを一時返していただけ。そして俊介が死んだあとは孫にバトンを渡す役目を遂げたはず。立派につないだのだ。
最後、国宝=国の宝にはなれた。見たかった景色を見つけた。けれども本当に喜久雄は国宝になりたかったのだろうか。それよりも、どこかのたった一人の一番の宝物になったほうが、人間としては幸せだったのかもしれない。死ぬときに混濁する意識の中で、「喜久雄」と必死で自分の名を呼んでくれる。そんな人はこの世界にいるのだろうか。芸に魂を売った結果、そんな人はいないかもしれない。わかっていてその寂しさをも抱きしめながら生きる喜久雄と、国を背負う全ての芸の人に心より感謝と敬意を表したい。
コメントする
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。