「どこ見てんの?ーだから、どこ見てんのよ!」国宝 critique_0102さんの映画レビュー(感想・評価)
どこ見てんの?ーだから、どこ見てんのよ!
国内ではかなり評判がいいらしい。
そんな話を、帰国前から聞いていた。歌舞伎ファンの自分としても、期待はそれなりに大きかった。
けれど、森七菜演じる彰子のあの一言——
「どこ見てんの?」
このセリフが、なんとも皮肉に、この映画のすべてを言い表していた気がする。
俳優たちはそれぞれ“よく見て”演じていた。
でも映画そのものは、いったいどこを見ていたのだろう。
目がうつろになっていく二代目の姿が、その迷走ぶりを象徴しているようにも見えた。
森七菜は、以前の繊細な印象から一転、少し挑発的な役をそつなくこなしていた。
ついこの間まで「賢治の妹」だったのに、成長したものだ。
そして滝内公美(綾乃)や見上愛(藤駒)のキャスティングには、どこか奇妙なつながりを感じた。
「光る君へ」では、明子であり、彰子でもあった。登場人物たちが別の世界で呼応しているようで、つい目が泳ぐ。
定子=高畑充希=春江……この連鎖も面白い。
結局、「どこ見てんの?」と、観客の自分にも跳ね返ってくるのだ。
問題は、タイトルの「国宝」だ。
まさか本当に喜久雄が“国宝”になってしまうとは思わなかった。
タイトル通りすぎる展開に、ちょっと拍子抜け。
中盤のぐだぐだした流れも、俊坊や喜久雄のライバルが“人生の迷走”を繰り返すくだりも、正直、何を描きたかったのか掴みづらい。
脚本は結局、何を軸にしたかったのか。
人物なのか、芸なのか、それとも「国宝」という制度そのものの寓話なのか。
焦点がずっとぼやけたままだった。
とはいえ、俳優陣の演技は見ごたえがある。
吉沢亮の演技は確かに光っていたし、横浜流星も悪くない。
むしろ渡辺謙や田中泯といったベテランの存在感が、やや浮いて見えるほどだった。
でも、もし世間が“名演”だけを見て満足しているのだとしたら、やっぱり言いたくなる——「どこ見てんの?」
この映画、演技の力で持っているけれど、映画という総合芸術としてはバランスを欠いている。
演技が良ければ良いほど、作品自体の空洞が目立ってしまうという皮肉。
チームで作る映画を、個の技量だけで完結させてしまった感じがする。
結局のところ、吉沢亮——いや、アイリスオーヤマのCMだけが、自分の視線の行方をちゃんとわかっていたのかもしれない。
ラストの余韻まで、どこか広告っぽいきらめきが残るのはそのせいだろう。
アイリスオーヤマだけが、きっと喜んでいる。
……そして気づけば、自分も問われている。
「で、あなたはどこを見てたの?」と。
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