「歌舞伎vs映画の総力戦」国宝 てんぞーさんの映画レビュー(感想・評価)
歌舞伎vs映画の総力戦
東一郎の人生の物語。大変なヒットを飛ばすのも納得の大作。
物語的には東一郎の幼少/青年/壮年/老境、各章の区切りで大胆に世代をジャンプして時代が変わっていくので、緩急のメリハリは良い。東一郎と半弥の立場と栄枯がくるくる反転していく物語展開はかなりテクニカル。その反面、それぞれの時代に起きたイベントがブツ切りになって流れていくので、東一郎の蓄積した因果の積み重ねが希薄に見えてしまう瞬間はままある。
特に顕著なのは中盤と最後にだけ登場する東一郎の娘と、一番どん底の時に急に現れてボコボコにしていく三人組。三人組は普通に傷害事件なのでちゃんと訴えた方が良い。どちらも東一郎の罪と罰を象徴する存在だが、画面に映る瞬間がなんせ短いので記号性が立ちすぎて浮いて見えるのが残念。
しかし物語部分の引っ掛かりはこの際問題ではない。
東一郎が歌舞伎の為に全てを捧げたように、この映画も本題に全てを捧げている。この映画の本題とはやはり舞台シーン。
東一郎と半弥の絆を象徴する「二人道成寺」から人間国宝の凄みを魅せる「鷺娘」、東一郎を花形に押し上げた「曽根崎心中」 など数多くの舞台が描かれている。
その中でも「曽根崎心中」 は映画のテーマとも絡み合い、病を抱えた半弥と共に挑む二度目の上演は間違いなく作品的なクライマックス。
曽根崎心中の舞台は徳兵衛(東一郎)がお初(半弥)を手にかけると同時に幕が下りる。
病気のせいでこれが最後の舞台になる半弥にとっては幕が下りる瞬間が役者としての最期の時。それを理解しているから、お初を手にかけることを躊躇する東一郎。
命か芸か、その狭間の葛藤と痛みが重なる舞台。バックで流れる映画音楽、画角の変奏、アップが捉える表情の微細な震え、折り重ねられた東一郎と半弥の物語。
これは完成された歌舞伎の様式美に対して、映画という表現手法がどこまで真に迫ることが出来るのか、という挑戦であり決戦である。幕が下り、舞台の観客は万雷の拍手を送るが、映画の観客が見せられたのは芸に生きる者の重い決断。この映画のメタ構造をも味方につけた総力戦で、この作品は歌舞伎に挑む。
命か芸か。人か芸か。作中では折に触れて倫理的な問いかけが行われているが、東一郎の娘が最終盤で再び姿を現す瞬間はその最たるもの。
結局、東一郎 の罪は許される訳ではないが、しかし勧善懲悪を超越する芸の極致にはただ圧倒されるしかない。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。