「みなさんは、どう思いましたか?」国宝 またろうさんの映画レビュー(感想・評価)
みなさんは、どう思いましたか?
このお話は、人間国宝小野川万菊が、自らと同じ境地の人間(次の「国宝」)を生み出すまでの話だったのではないでしょうか?
映画のはじめの方で喜久雄少年が、万菊の歌舞伎を見て「怪物(だか化け物だか)」と言っていた。その怪物万菊に憧れた喜久雄が、万菊と同じ「怪物(だか化け物)」になっていくまでの物語に見えました。
そして、俊介と喜久雄の人生に要所で手を差し伸べ(いや、いたずらに狂わせ)、両者を追い込み、突き放し、切磋琢磨させ、次の怪物(「国宝」)を生み出そうとした万菊が影の主役だったのではないでしょうか?
万菊にとっては、俊介でも喜久雄でもどちらでもよかったのではないか?自身と同じ境地に立つ人間(「怪物」=「国宝」)が育ちさえすれば。
二人に対して残酷な手引をした万菊の人生も、映画の中では語られていなかった(と思う?)が、相当なものだったのだろうと推察されます。
それぞれの生い立ちや才能の違い、人生の流れ(や万菊の手引に)翻弄され、清濁を併せのみ到達された境地、自分を恨んでいるであろう娘にさえ拍手を送らせるほど圧倒的高みにのぼった芸の力、を「国宝」という言葉で表現しているのだと感じました。
一点の曇も許さいない風潮がある現代社会に対するアンチテーゼにも思えました。
またろうさま、初めまして。
共感ありがとうございます🙂
喜久雄の天性の才能にいち早く気付いた、万菊(田中泯)の目線なら万菊の“話”ですし、二代目半二郎(渡辺謙)なら半二郎、春江(高畑充希)なら春江…。
喜久雄の才能を客観視していたのは、竹野(三浦貴大)とも言えます。
冒頭の長崎に登場する喜久雄の幼馴染・徳次(下川恭平)は、原作ではキーパーソンです。
春江の「劇場を建ててあげる」や、再会した娘・綾乃(瀧内公美)の「お正月が来たみたい」は、本当は徳次の台詞です。
喜久雄は幼い綾乃に「悪魔と取引」したと本音を口にしますが、関わった人達にある意味で利用され、同時にその人達のおかげと、自らの努力と才能で「国宝」になります。
万菊に限らず、天才と呼ばれる芸術家は、自分の継承者やクローンを残そうとしながらも、その弟子の才能に嫉妬して潰そうとするという矛盾は、現実でも珍しくないかと思います🫡
※長文コメント失礼しました。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。