「昔ながらの「芸の道」のイメージ」国宝 greensさんの映画レビュー(感想・評価)
昔ながらの「芸の道」のイメージ
本当は、公開前のYUKIKAZEを観に行ってレビューを書く気満々だったのですが、上映会に2つ応募して2つとも見事に落選しました!笑 なので今はYUKIKAZEの内容や主題歌に関してリリースされた前情報を見ながら、 “その時”がくるのをひたすら楽しみに待ちます!
ということで、今は他の映画の鑑賞タイム(^^)
話題の作品「国宝」を観に行きました。原作は読んでいません。
結論からいうと、一年以上前から歌舞伎の所作の稽古や精神を身体に叩き込むなど努力を重ねて難しい役に挑んだ吉沢亮さん(立花喜久雄役)と横浜流星さん(大垣俊介役)は、素晴らしかったと思います。2人とも艶のある踊りが素晴らしく、ニ人道成寺では息もピッタリでしたし、鷺娘も素晴らしかったです。一人が抜き出ると、もう一人がそれを上回ろうとしのぎを削る2人のライバル関係も良く表現されていました。そういえば、最近他にみたF1(ブラッドピット主演)も1年以上役作りに取り組んだとのことで、俳優さんの役が肉体的訓練を伴う場合ってすごく時間をかけて取り組むんだな、、と改めて驚きました(自家用戦闘機に乗って訓練するトムクルーズまで行くと、ありえないレベルです)
作品に対する感想は、、、個人的には少し残念でした。
なぜかというと、主人公の一人で、最後に国宝に上り詰める立花喜久雄(吉沢亮さん演じる)について描かれているのは、昔から世間にある「芸を極める道」の一つのイメージのままだったからです(私のような外の世界に生きる一般の人には中の世界をうかがい知れないので、現実とこのイメージがどのくらい合っているのかは判断出来ませんが)。よく聞く「芸のこやし」という言葉に表れる芸の世界です。つまり、芸を極めるために身近な人たちを傷つけ、不幸に陥れていってしまう業深さ、そして自身もその業深い生き方に傷つき、泥の中をのたうちまわるような苦しみを抱えながら生きる人生について描いていたのです。
描き方は、大胆かつ丁寧に描いていたと思いますし、歌舞伎の舞台は美しく映像化されていたと思いますが、、、やはり描かれていた世界が自分には「私が見たい”芸を極める道”は、これではないような気がする、、、制作陣はなぜ今この時に、この古びれたイメージを映画化しようと思ったんだろう。」という気持ちになりました。例えば「次の時代の国宝には喜久雄のようではない人たちに、どんどん国宝になってもらえるといい」という希望が込められているのなら制作意図を理解できますが、実際にはそうではなさそうだし(国宝となった喜久雄に対して喜久雄の娘が放つ言葉が、喜久雄の生きてきた道を肯定しています)、この作品が描いている世界を私は手放しで素晴らしい!と拍手喝采はできませんでした(原作を読んでみたら印象が変わるかな、、、?)
その意味でガッカリしたシーンは、喜久雄に捨てられた娘の綾乃(瀧内公美さん演じる)が、国宝となった喜久雄に対して、自分は(喜久雄を)父親として認めたことはないけれども、舞台を観ると抗いようもなく心を動かされ、拍手をしてしまう、というようなセリフを言うシーンでした。
業の深い芸事の道を描いていると分かってはいたけれど、ああ、この映画はここでわざわざ娘役にこのセリフ(そういう生き方を肯定するようなセリフ)を言わせてしまうんだ、、、と思って、ガッカリしたのです。ダメ押しのセリフにトドメを刺されたような感じでした。
もちろん実際の芸能の世界では、喜久雄のような業深い生き方からは一線を引いて芸事を極めている方が沢山いらっしゃると思いますが、「国宝」というこの作品のタイトルでさえ私の目には、「国宝(という名の魔物)」という副題?もついているかのように、業深さゆえに暗くどろどろした影がピッタリと寄り添っている印象でした。
作品で描かれた主人公2人の生き方については、大垣俊介(横浜流星さん演じる)の方は最後、自分を捨てて全てを喜久雄に委ねてしまったように見えたので、その後の生き方は身も軽く、清々しい印象を受けましたが、喜久雄の方は自身の過去の全て、”悪魔と取引”までしてしまう業の全てを自分の中に抱えたまま生き続けなければならない重苦しさを感じました。少なくとも、喜久雄のようにどろどろの深い沼にはまって自身がのたうち回っているような状態では、同じ沼、あるいは他の苦しみの沼にはまっている人に対して、手を差し伸べて引き上げる手助けをしてあげることは出来ないかな、と思いました。
吉沢さんには「喜久雄の生き方についてどう思いましたか?」と尋ねてみたい気がしました(俳優という仕事全てに関わることかなとは思いますが、吉沢さんは喜久雄の役を演じることで自分の身体の中に入ってきてしまった毒を解毒する必要なんかは無いのかなぁ〜、、、なんて感じました)。
そういえば、田中泯さんが女形の人間国宝、小野川万菊役を怪演していましたが(目の動き一つだけでギョッとさせられます笑。微笑んでいるのに不気味だし、すごい迫力です)、その万菊が喜久雄に向かって、貴方は自分の美しいお顔に注意なさい、と忠告するシーンがありますが、注意すべきは顔ではなくて野心だと思うのですが、、、やっぱり顔なのかな、、笑。
ものすごい人数の方が鑑賞した、この話題作。個人的に少しガッカリした後に感じたことは、、芸事の神様がもし今まで喜久雄のような人の上に(そうでない人よりも多く)降臨していたのだとしたら、今後は神様にはちょっと考え直して欲しいかも笑、ということです。
私たち観客の側にしても、今までは喜久雄のような芸の道が最高だと絶賛してきたかもしれないけれど、本当は喜久雄のような生き方ではない人が到達する芸の道の素晴らしさを、まだ目にしていないだけなのかもしれない(これまで表に出てきていないのなら、この映画が喜久雄の生き方を世に見せているように、もっと表に出して見せて欲しい)
1人の人の生き方として見た場合、喜久雄のように「芸の肥やしを消費」しながら芸の道を極めなければ神様が降臨してくれないとなれば、とても苦しいと思うんですよね。
例えば自分が植物の種だとして、生まれた?時から「自分は1人の人を大切にする人生を生きたい」と考えている種だとして(変な例えですけど笑)、それが毎日上から水をかけられる度に「成長するには芸の肥やしが大事だぞ!」と言われたら、、、ウンザリしそう!まっすぐ伸びようとする芽さえねじ曲がりそう‼︎
1人の人を大切にし続けるのも山あり谷ありで、そこには努力して作る道があるように思います。その努力も神様が見ていてくれると嬉しいかな。
ということで。鑑賞後、これまでの世間の古びたイメージを打ち破る、新しい「芸を極める道」を見てみたい!と期待が膨らむ、、そんな作品でした(俳優さんたちの演技、映像などが素晴らしい分、描かれた世界が寂しすぎて、評価が低くてすみません!この作品のタイトル「国宝」も、もし「これが国宝と呼ばれるものの実態の全てです」という意味だったら、寂しいを越えて愕然としてしまうかも、、。人間国宝制度?の根底が揺らぎそうです)。
レビューにとても共感しました。なぜ今、国宝?血?芸のためなら他人はどうでもいい、といった古臭い芸道映画をやるのか?!をクリアに指摘されていて、そうだよねー!と思いました。歌舞伎は好きですが、「伝統」なんとか、血筋なんとかは意味不明で耐えられません。その狭間で苦しんだり辛い思いをしてる当事者、人達、沢山いると思います。初日に見てから、どんどんこの映画を見る人が増えて、綺麗、美しい、国宝、日本人だからこそ、といった言葉にウンザリしています。でもそれでも、色んな意見や考えもあると思い、皆さんのレビューを折りに触れて読んで納得したりほっとしたり同感することも多く嬉しいです
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