「歌舞伎界の華やかさと悲壮のドラマに果敢に挑戦した日本映画の復活」国宝 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
歌舞伎界の華やかさと悲壮のドラマに果敢に挑戦した日本映画の復活
日本の伝統文化である歌舞伎の世界を舞台にして、任侠出身の主人公花井東一郎と上方歌舞伎の名門の血を引く花井半弥の激動の人生を描いた人間ドラマ。「横道世之介」の吉田修一さんが黒衣(くろご)となり楽屋や舞台裏を身をもって3年間も取材した力作の小説を、「フラガール」の李相日監督が約3時間の大作に仕上げて、見応えのある作品になっています。吉田さんの執筆の動機が、溝口健二の戦前の名作「残菊物語」の作中演目『積恋雪関扉』(つもるこいゆきのせきのと・関の扉)に惹かれたというのが意外でした。多くは世襲によって芸が引き継がれる伝統芸能の閉ざされた歌舞伎界を、部外者の眼を通して鋭く且つ大胆にストーリー展開させているのが、時間を感じさせません。それも男性が女装して演じる女形同士の切磋琢磨と確執の愛憎劇でした。これは勿論『関の扉』『連獅子』『二人藤娘』『二人道成寺』『曽根崎心中』『鷺娘』の舞台を再現した演目シーンの充実度と役者の熱演があって、舞台裏の私生活が紆余曲折を経る、華やかさと悲壮を併せ持った醍醐味によるものと印象を持ちました。若い頃にNHK教育テレビの古典芸能番組を僅かに観たくらいの、素養の無い私でも充分楽しめました。その反面、1964年から始まり50年もの長い時間経過の展開の過激性と唐突感がドラマとしての重量感を薄めているのが、贅沢な不満として残ります。脚本と演出に映画としての魅力、それは緩急の差であり、映像の間の扱い、ショットの集中度などがもっと欲しかった。
印象に残ったシーンは、交通事故に遭った父半次郎が代役に御曹司の半弥を選ばず、部屋子(芸養子)の東一郎が大役を務めるエピソードで、初日の楽屋で身体の震えが止まらない東一郎に化粧を施す半弥。才能を見極める半次郎の冷静な判断と実子半弥に掛ける思い、その期待に応えようとする東一郎の責任感から来る精神的重圧に身体が反応するところがいい。半弥の挫折感も丁寧に描かれています。そしてクライマックスの『鷺娘』の舞台シーンは圧巻でした。不自然な演出のシーンでは、襲名披露のお練りの列に芸妓藤駒との子綾乃が駆け寄るところです。藤駒が後を追ってたしなめますが、無反応な新半次郎の割り切った父親像を印象付ける意図が強く、登場人物の情感が弱い。また、主人公喜久雄の落ちぶれた地方巡業もリアリティ薄く、地元の不良青年からリンチされる暴力シーンが定型的すぎます。それと春江と半弥が劇場を後にして駆け落ちする場面の前にある、半弥が春江のアパートを訪ね待ちわびるシーンが曖昧でした。映画的な表現なのに活かされていません。
しかし、1年以上かけて女形の演技を磨いた主演吉沢亮の熱演は称賛に値しますし、敵役半弥の横浜流星の、この個性と容貌が対比されるキャスティングもいい。あまりに整った容姿の男性の演技は実力以下に観られ易いですが、吉沢亮の求道的な姿勢には心打たれるものがあります。横浜流星の演技はまだ完成形ではないものの、誠実な俳優の資質に好感を持ちました。これで吉沢演じる東一郎の女形の柔らかさとしなやかさの色気がもっと溢れ出ていたら文句なしの境地にあったと思います。このふたりの踊りを観ていて、歌舞伎の舞いの厳しさを改めて強く感じました。それは西洋のバレエに通じる肉体の絶え間ない鍛錬と、古典的女性美追求の芸の深さです。現代の人間国宝坂東玉三郎の映像を観て圧倒された経験を持つ素人の感想でした。半弥の父花井半次郎を演じた渡辺謙の不動の存在感は、この作品に安定感を持たせて、尚且つ俳優としての色気を保持しているのには、別の意味で感心しました。ただ襲名披露の舞台で吐血するシーンの是非は拭えません。役者にとっての神聖な場所を汚すような印象を与えます。小説では表現可能でも、映像イメージとしては過剰表現になってしまいます。また糖尿病で片足を失い、それでも舞台に立つ半弥の運命も映画としてはリアリティに欠け、その悲壮感の演出が見せ場となっていても説得力がありません。俳優の中で最も作品の内容に合っていたのは、世界的ダンサーの田中泯80歳の演技でした。手招き一つだけでも圧巻ですし、初めて女形の踊りを観れる贅沢さです。冒頭の抗争シーンだけの永瀬正敏は、「息子」「カツベン!」しか観ていませんが、演技に貫禄が付いていい俳優になっていると確認できました。四代目中村鴈治郎を映画で観られるのは素直に嬉しく、原作者吉田修一と歌舞伎の橋渡しを務めた縁からの特別出演のようです。最近「炎上」でも感服した日本映画の黄金期に活躍した二代目中村鴈治郎のお孫さん。歌舞伎界からは、女優陣で寺島しのぶが大垣幸子役を好演するも役柄がステレオタイプで一寸勿体ないと思いました。高畑充希始め若手女優の和服姿も美しく目の保養になり、喜久雄と俊介の少年期を演じた子役もいい。近年の映画や舞台を観て感じるのは、若い世代の演技のレベルが安定して高いことです。
溝口健二の古典「残菊物語」から生まれた、古典伝統の美を再現した日本映画として貴重な新作でした。映画としてもっと極めて欲しかった心残りがありながら、この映画化には素直に敬服します。田舎の映画館は、平日でありながら多くの人たちで埋められて久し振りに活気を感じ嬉しい劇場鑑賞になりました。
日本映画のその美しさと厳しさの本質に果敢に挑戦した作品。
mingardoさん、コメントありがとうございます。坂東玉三郎の誤表示のご指摘を受け、訂正させて頂きました。
溝口監督の「残菊物語」は、戦後の「近松物語」と並ぶ完成度の高さで、私の偏愛の対象の映画です。トーキー初期では10巻が殆どだったのを、15巻で完成させた松竹京都の大作でした。mingardoさんのベストに挙げられているのを見て嬉しく思います。ただ47年前の記憶は薄れ、この作品と具体的に比較してのレビューではありません。当時の感想文を読み返すと、舞台は勿論ドラマ部分の演出を私なりに絶賛しています。映画のドラマ部分も舞台のように溝口が演出し、そのワンショット・ワンシーンの集中力が役者の芝居を本物にしていました。駄文を承知でそのまま記すと、(カメラは舞台の観客の目となり、また映画的視覚をこなしたり、秀抜であった)
ご存じかも知れませんが、歌舞伎にも造詣が深かった淀川長治さんは、1979年にキネマ旬報のアンケートで、日本映画のベスト3に、黒澤明の「羅生門」小津安二郎の「戸田家の兄妹」と並んで、この溝口監督の「残菊物語」を選出しています。
ぬかりなく『残菊物語』(1939、溝口健二) に言及された稀有なレビューです。
つきましてはフォローいたします。往年の名画を多数取り上げられており、楽しみつつゆっくり拝読します。
(坂東妻三郎は坂東玉三郎ですね)
サウンド版フィルムというのなんですね。折鶴お千、マリアのお雪と初期の溝口作品見ることができたのは運良かったのでしょうね。Gustavさんのおかげで頭の中が整理されます
Gustavさんのレビューは目配りがきちんとなされていてバランスがとれていて素晴らしいといつも思います。「恨みでもあるのですか?」と突っ込みを入れたくなる自分のレビューは、しつこくてクドくて鐘に巻きつく蛇のようで、自己嫌悪です
🔺Gustavさん、夏風邪でしたがやっと元気になってきました。「マリアのお雪」のレビューは、同じ日に見た「残菊物語」のレビューの下に書いてありました!新文芸坐さん、古い映画、もっとかけてくれないかなあ~
Gustavさんに頂いたコメントに「マリアのお雪」のことが書いてあって、すぐ山田五十鈴!と思って嬉しくなりました。どこかにレビュー書いたのでしょうが見つかりません・・・。「折鶴お千」はいつのまにか、映画.comでもあがっていたので、以前、「鶴八鶴次郎」の項目に合わせて書いたのを「折鶴お千」に移動させました
最近の映画は昔の映画に比べると話の細かい部分の説明が少なくなっていますね。藤駒の子が人力車に駆け寄るシーンはもうワンカット喜久雄と駒子の心理描写を入れると映画的表現としては格段に惹き立ったものになると私も感じました。が今時の演出表現方法なのかなぁ。と仕方なく思っている自分もいます。
Gustavさん、こんにちは。溝口の「残菊物語」でも関の扉が演じられていましたね!「残菊物語」はたくさんの監督によって作られているんですね。でも悲恋物になってしまっているようですね(見ていないのですが)。だから女の立場からのクールな終わり方をしている溝口の作品がとても好きです
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