「《歌舞伎》という世界の天国と地獄。」国宝 こっこさんの映画レビュー(感想・評価)
《歌舞伎》という世界の天国と地獄。
観た人にだけと話すように書いているので、未見の方は読まない方が良いです。
感想としては、先ず「ちゃんと原作を読みたい!」だった。こんな波瀾万丈な物語、本編では描かれていない部分(=本編の前後のエピソード)が相当有った筈だ。いや、無きゃおかしいw!つまり《本当のお話(=原作)は、この何倍かの文量》なのではないか、映画である以上、尺は3時間ぐらいが限界なので、『話を端折っているのではないか?』…と云う《何か喰い足りないような感覚》だった。
そうした(本当はもっと沢山の物語があるのに)『ダイジェスト版を観せられた様な感覚』が、最後まで抜けなかった(本当にそうだったら、李監督、超長尺のD.C.版を出してねw)。
これは即ち、それ程までに《物凄く芳醇な物語だった》と言うことだ。主演と助演のお二人は、あれだけの舞踊を憶えるまでの苦労と、それを感じさせない様なお芝居をして、本当に頑張ったと思う。これには拍手と賛美しか無い。売れっ子の二人が此処まで出来るように成る迄には、膨大な時間と大変な努力が必要だっただろうと思うからだ。
ただ個人的に、終映後一番強く感じたのは『映画としての感想』と云うより、日本の歌舞伎の世界の奥深さ、伝統芸術の底しれない芳醇さに“これでもか”と酔わされた様な心持ちだった。
舞台のシーンを観ていると《もっともっと歌舞伎が観たい!》と自然に想いが深まっていって、演じる側の地獄が描かれている作品だが、観る側も《その地獄に惹き込まれていく様な》気分だった。明日からでも、直ぐに歌舞伎を観に行きたい気持ちにさせてくれた。これは本当に一番誉め讃えたい点だ。
主演二人の数奇な(と言ってよい)人生については、逆に「こんな波瀾万丈な人生にしなくても良いのに…」とすら感じた。二人とも一回ずつドン底まで堕ちる部分は、不要なエピソードと言っては失礼だが、『わざわざこんなややこしい話にしなくても…』と何度も思った。
その分、女優陣のエピソード、例えば森七菜ちゃんは結局どう成っちゃったのか(実家へ帰ったの?)、見上愛ちゃんは(娘が成人するまでに)どんな苦労をしていたの?、(流星君が)行方不明期間の高畑充希ちゃんの苦労話(元々は吉沢くんの彼女だったのに…)は…?、等と考えると、そういうところも端折られている気がして、これらも強いモヤモヤ感の一因だ。
まぁそもそもこんな堕ち方をしたら(二人共)、幾ら当時の歌舞伎界でも、そうおいそれとカムバックなんて出来ないだろうし(最後のインタビュアーの『順風満帆な人生…』ってのは何かの嫌味かw?)、まして《人間国宝》にまで…と云うのは、冒頭に書いた『原作で確認したい』と感じた一番だ。
大変雑駁な感想で申し訳無いが、纏めとして言えば、N.C.でもD.C.でも良いし、シッカリ前,後編で分けても良いから『完全版』を観たいという事、(松竹じゃなくて東宝だから)上方歌舞伎だったのねという事、その歌舞伎をもっともっと今後は観てみたいという事、序盤のシーン(永瀬さんの長崎ヤクザ抗争部分)はそんなに重要だったかという事、フクロウの彫り物に関して(そんなに丁寧に描く)必要性はあったか?という事、二代続けて糖尿病で死ぬのは(学びが無くて)ヒドいねという事w、そして結局は『チャンと原作読んでから観に行けば良かった』ということに尽きる、という事だ。
役者陣が贅沢な分、それぞれの芝居の時間が足りなくて、3時間も有るのにアッと言う間で《観客を喰い足りない気分》にさせる、本当に深い深い井戸のような作品だった。
でもこんなに《邦画らしい邦画》を観たのは久し振りだなぁとも感じたのだから、これはこれで高評価としたい。
まぁそもそも吉田修一の小説って、『怒り』もそうだったけど《回りくどい》所が難点なんだよねぇ…。
追記:思い入れたっぷりで原作を読んだのだが、本編と違い《笑いあり涙ありの大長編》だったので、当初はややつんのめってしまったが、登場人物全員、しっかり書き込まれていて、過不足無くとても楽しめたので、未読の方は直ぐに読まれることをお奨めする(役柄の顔と名前を忘れない内にねw)。
そんな訳で原作は原作の面白さがあり、細かい部分で違いは有るものの、納得のゆく素晴らしい小説だった。あまりの面白さに一晩で読破してしまったのだから、コレはスゴい!映画と原作で2度楽しめるのは滅多に無いことだ。吉田修一、見直したぞ!!!
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