「名作だけが持つ風格は十分過ぎるほど感じる でも全体的に建て付けが悪く寸詰まり感があるのが少し残念」国宝 Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
名作だけが持つ風格は十分過ぎるほど感じる でも全体的に建て付けが悪く寸詰まり感があるのが少し残念
二週間ほど前に出された梅雨入り宣言もどこへやら、この数日はお天気続きだったのですが、今朝は一雨来そうな雲行きでございました。そんななか、平日の正午少し前に開始、午後三時に終了という中途半端な時間帯にもかかわらず、『国宝』を観に集まった善男善女で劇場はざっと七分の入り、なかなかの盛況です。思えば、三週間ほど前、梅雨入りに先立って始まったこの興行は週を追うごとに好調さを増してまいりました。この『国宝』、この勢いですと今年を代表する一本になりそうでございます(以上、吉田修一が『国宝』で使った文体の文体模写でございます)。
ということで、観てきました『国宝』。任侠の家に生まれた 主人公の喜久雄(演: 吉沢亮)が歌舞伎の世界に入って女形として芸道に励み、ついには人間国宝になるまでの50年に渡る一代記です。中身はと言いますと、さすが評判に違わぬ出来栄え、歌舞伎に疎い私のような者でさえ、スクリーン上で展開される歌舞伎の演目「二人道成寺」や「曽根崎心中」等の様式美や歌舞伎役者でない者たちによる歌舞伎の熱演に酔いしれていったのでございます(なぜかまた国宝調)。まあでも鑑賞直後に思い出したのは数年前にヒットした『ボヘミアン•ラプソディ』でした。あの映画は最後のコンサート•シーンがすごくてそれがすべてを持っていってしまった感じで、ところでストーリーはどうだったと問われるとあまり憶えてませんと答えるしかありませんでした。この映画も少し似ているところがあって絢爛豪華な歌舞伎シーンに目を奪われていると、特に後半の駆け足で寸詰まりになっているあたりはスジを追うのに苦労しそうです。私は原作小説を読んでいましたので大丈夫だったのですが、逆に原作からの改変部分が気になってしまいました。
小説のほうでは「徳次」というキャラクターがいて、ほぼ全篇に渡って重要な役割を果たします。映画のほうではその徳次は冒頭の新年会のシーンで「関扉」を喜久雄といっしょに演じただけであっさりといなくなります。徳次は喜久雄より二つほど年上の 原爆症で親を亡くした孤児で喜久雄の父親に拾ってもらって立花組の部屋住みとなっていました。彼は喜久雄のことを「坊ちゃん」と呼び、喜久雄が義経だとしたら、武蔵坊弁慶みたいな存在で、喜久雄が歌舞伎役者として頭角を表してきたあとは喜久雄の回りの汚れ仕事を引き受けてゆきます。彼がいなくなったので、彼が喜久雄の娘の綾乃を救い出す場面も、「国性爺合戦」を元ネタにした「長江を白く染めてみせる」と言った彼の名文句も映画では出て来ず、非常に寂しい思いをしました。彼の他にも、喜久雄の父親亡き後、長崎でその跡目を継ぐ「辻村の叔父貴」とか、大阪で知り合った友人でTVで冠番組を持つ売れっ子お笑い芸人の「弁天」とかが小説にいて映画にはいません。まあ尺の都合上、致し方のないことかもしれませんが、これらの人々がいないおかげで映画では後半部分の話の進め方に苦労しているフシが見受けられ、残念な説明ゼリフが多くなったと思います。ということで、もっと尺を長くして『国宝-青春篇-』と『国宝-花道篇-』の二部構成にして別々に公開したらどうだったろうか、という考えがちらりとよぎりましたが、言い出したらキリがないこと、ここは175分の一本にまとめた李相日監督の力量に敬意を表したいと思います(これ、実は李監督が意識していたであろう『さらば、わが愛 覇王別姫』とほぼ同じ長さなんですね)。
あと、原作では喜久雄も俊介(映画では横浜流星が演じている)もなんとなくカタギではない感があって、特に喜久雄のほうは芸のためなら何でもやってしまいそうな怖さがあったのですが(それこそ「悪魔と取引している」感あり)、映画では吉沢亮や横浜流星のパブリック•イメージに引っ張られて原作にあった毒気のようなものが少し弱まっている感じがします。これも映像化すれば必ず出て来る問題で、ここは吉沢亮、横浜流星を始めとする俳優陣それぞれの熱演に敬意を表したいと思います。
もうひとつ、この作品は半世紀に渡る 歌舞伎役者の一代記なのですが、時代背景の描き込みが少し弱いように感じました。半世紀のほぼ半分が昭和、残りが平成だったはずですが、登場人物やそれにまつわるエピソードに当時の世相との関連があまり見い出せませんし(喜久雄の実母が原爆症で亡くなっているあたりは出てきますが)、背景に時代を象徴する何かが出てくることも少なかったように思います。このあたりは1920年代から始まってほぼ半世紀を描いた『さらば、わが愛 覇王別姫』と大きく差がついたところだと思います(もっとも覇王別姫のほうの半世紀は、国民党の中華民国の時代から始まって日本軍の統治があったり、共産党政権の誕生があったり、文化大革命があったりの激動の時代だったので、時代を描くことが物語と不可分だったわけですが)。私は喜久雄、俊介の六つほど下の年齢で彼らの成長とともに昭和、平成の時代へのノスタルジアめいたものを映画内でも感じたかったのですが、歌舞伎の美しさを見せたい、主人公の生き様を感じてもらいたい、あたりを主眼においた李監督の演出意図に敬意を表して、この話はここで止めたいと思います。
今回、私は原作小説→映画の順だったのですが、原作小説が面白すぎました。小説の地の文が語り物のような調子で(私は講談や落語の地噺を想起しました)読み始めたときにはこりゃやり過ぎだろと思いましたが、だんだん慣れてきて語り物口調で叙事的に展開されるエピソードが面白くてページを繰る手が止まらなくなりました。本当かどうかわからないにしろ、村上春樹は自分の小説が外国語に翻訳されることを意識して小説を書いているという言説がありますが、同じレベルで吉田修一は自分の小説が映画化されること意識して小説を書いていると感じました。また、先ほど、小説のほうが毒気が強いようなことを書きましたが、小説には映画にない「救い」もあります。喜久雄の娘である綾乃に関しては小説では納得できる着地点が用意してありました。原作小説未読の方にはぜひ一読をお薦めします。
あ、ここは映画のレビューでしたね。映画『国宝』は2025年の日本映画を代表する一本になるのは間違いないところだと思います。でも映画としてはバランスが悪い感じもするし、何よりも『さらば、わが愛 覇王別姫』との差も感じましたので、李相日監督の次回作への期待も込めて星は厳しめにつけました。
映画からずれててすみません💦
映像化発表後に原作を読むとその人たちで頭の中で映像化してしまうので読めなくなる派です😅でも、本レビュー拝見して読んでみようと思います。吉田修一さんの作品は映像化されまくってるのでほんまにヒットメーカーですね
バーバラさん
コメントありがとうございます。
私は小説とそれを基にした映像作品は別モノだと思っています。国宝に関しては、映画が原作小説の歌舞伎の部分を映像化してイメージを作ってくれた点はよかったのですが、小説のほうが好きかな。これで10話ほどのドラマを作るにしても制作側の解釈が入ることからは逃れられないし、もうお腹いっぱいみたいなんで、別の映画を観るほうがいいです(笑)
レビュー拝読させていただきました。
私も原作を先に読んで映画を後に観ました。
原作は2019年に上・下巻一気に読みました。
吉田修一さんは2002年の作品、パレード以来注目している作家さんですが
国宝は私が歌舞伎好きということもあり本当に魅力的な作品で
ワクワクしながら読み進みました。
それが映画化される…と知ってもすぐには観たいとはなりませんでした。
なぜなら、あの内容を3時間の映画にするには内容をかなり
端折ってしまうのでは?という不安がありましたから
若く美しい時の上巻青春編はともかく下巻の花道編はどう映像化されるのか…
あの原作の世界がどう映像化されるのか…
とくに衝撃を受けたラストシーンは?
それでも連日の映画の報道を見て映画館へ足をはこびました。
下巻に当たる後半は原作とはかなり違っていました。
それと徳次は是非とも観たかったです。
映画は限られた時間内でギュッ凝縮して仕上がっていましたが
機会があれば10話位のドラマでも観たい気がします。
贅沢な予算のあるNetflixあたりで如何でしょうか?
Freddie3vさま
コメントありがとうございました🙂
今週の評価は、『国宝』は4.3、1位のアイドル映画は4.7。
『国宝』は、今週末に観客動員200万人超えと予想して、このサイトのレビューは現在900件、観客の0.05%の声です。
ちなみにこのサイトで、今まで一番評価が高かった映画をご存知ですか?
23年公開作品、平均評価4.6、トップレビューの共感数は500件超え。それでも年間興行収入ランキングにも、映画賞にも縁の無い作品でした。
映画の大ヒットは、作品の力だけでなくシネマの神様が風を吹かせた幸運、だと思っています。
映画業界の衰退を考えると、映画館に足を運ぶ人が増えることを素直に喜んでいいのでは、とも考えています🫡
Freddie3vさま
共感ありがとうございます🙂
映画『国宝』は、当初4時間30分の長尺で、興行的な事情で3時間に編集して公開されたそうです。
映画で殆どカットされた徳次は、ラストで楽屋暖簾に名前が見えたので、人間国宝になるまで喜久雄を支え続けたのだろうと思いました。
吉沢亮さんと横浜流星さんが、苦労して撮影したシーン(ストリップ小屋の前座…etc.)が結構カットされていたと話していたので、ディレクターズカット版も、いつか劇場公開してほしいと思います。
李相日監督は1週間前の上海国際映画祭で、「いつか『さらば、わが愛/覇王別姫』のような映画を撮ってみたいという想いを持っていた」と、コメントされていました。
李相日監督の15年前に一度頓挫した企画と、吉田修一の映画化は無理と言われた新聞連載小説が出会って、吉沢亮さんに主演のオファーがあったのは6年前です。
李相日監督の作品は、映画賞受賞作で興収約20億円。製作費14億円の『国宝』は既に興収20億円超え、東宝の目標は50〜60億円、TOHO Globalで海外展開とアカデミー賞狙いも想定内でした。
初日と2週間後に行った映画館では、平均年齢が約三分の一に低くなり、中学生もいて驚きました。歌舞伎や国宝のハードルが高かった周りの20代も観たいと言ってるので、公式サイトで演目を予習して行ってねと伝えています。
ラストの喜久雄とスポーツコミックの主人公が感じたキラキラを、選ばれし人だけが見られるダイアモンドダストの世界と表現していたり。K-POPの最先端のパフォーマンスと歌舞伎が、界隈を問わず通じるエンタメと考察していたり。吉沢亮と横浜流星のアクスタグッズが売ってなかった!とお怒りだったり…
最近のレビューの感性がうれしくて、見かけると思わず共感コメントしています。
※長文コメント、失礼いたしました🫢
原作との差異についてはご指摘の通りと思います。徳次が最初しか登場しないこと、弁天が出てこないところは喜久雄のどうしょうもなくカタギではない本性を薄めてしまいました。また竹野の登場部分が少ないところは歌舞伎の興行としての闇の部分の印象をきれいに消し去っています。結果としての50年の芸能史といしての原作の凄みは残らず、半二郎、半也の芸と交流に主題は移っています。それはそれで狙いではあるのだろうが中途半端なところもあります。すべてのエピソードが尻切れトンボになっているとの指摘はそこからくるものです。
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