劇場公開日 2025年6月6日

「才能と血族の相剋、重層的な象徴構造」国宝 marcomKさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5才能と血族の相剋、重層的な象徴構造

2025年6月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

 伝統芸能を極める過程での、才能と血族の相剋が半世紀のタイムスパンで美しく描かれた大作。歌舞伎という閉じられた世界の内側や舞台裏を覗かせてくれますが、それがとても真摯な視点からなのが素晴らしい。華やかな異界を現出させるために、多くの裏方さんや下積み役者さん、家族がいて、それらが歴史に裏打ちされた所作や作法・礼法により裏側でも整然と進行していく美しさ。そして勿論、看板役者になるための厳しい鍛錬と更なる高みに登るための非凡なる生き様が、切磋琢磨し合う二人と血族を絡めて描かれています。至芸を成立させるために多くの人々の死屍累々の犠牲があると見るか、唯々自己の修練と精進こそが最後の要なのかは見る人の立場により捉え方が違うかもしれません。この手の物語にありがちな、あからさまな悪事や意地悪をして主役を蹴落とそうという人が出てこないのが清々しかったです。誰もが各々の立場で必死に生きながらお互いに関わり合っていました。

 歌舞伎、能狂言、華道、茶道など、芸事の中でこれほど強力な血族のしがらみがあるのは世界の中でも日本だけなのではないでしょうか? それがコンプラ全盛の現代で最後の聖域というか、功罪半ばであることは確かですが、それによって生み出され継承発展されている芸があることも事実です。でも本作の結論は才能は血族を超克できるということと感じました。おそらくはその方向性は海外へ発信する際には必要不可欠でしょう。本作では血族により守られ、引き継がれるもの(芸も、肉体的欠陥も)と共に、排除されるものと、それを乗り越えるものが生々しく描かれていました。

 そして行き着く先の至芸の世界、孤独な境地の象徴として、田中泯が演じる万菊の圧倒的な存在感が重しになっていました。彼の「メゾン ド ヒミコ」でのあるコトバで肩を震わせて嗚咽したことがあるのですが、本作でも短いコトバの一つ一つがストーリーの重要な鍵になっていました。終盤、何故場末の木賃宿にいたのかは原作を読めばわかるのでしょうか? 至芸を見極める目力の凄みとの対比が強烈でした。枕元の人形は孤高の象徴でしょうか?

 「2人の女方が向き合っている」プロモーション写真は、直ぐに「覇王別姫」を想起させましたが、あちらは壮大な歴史と政治のうねりに翻弄される伝統芸能、こちらは至芸の境地に至るまでの才能と血族の相剋で、全く内容が異なりました。求められる演技レベルは本作は人間国宝ですから自ずと高くなりますが、万菊、喜久雄共にシネマティックな感興を見事に達成していたと思います。

 最新映画館のハイレベルな音と映像が、リアルな劇場体験を彷彿とさせ、色々な視点からの撮影が、歌舞伎の魅力を見事に表出しています。出だし長崎の料亭での縁側を花道として使う演出もその後の展開を象徴していたり、橋、河原、舞台袖、稽古場、同演目等、複数回登場するシーンが、時代により違う意味を持つ重層的な象徴構造になっているのも面白かったです。本物の歌舞伎の情報量は桁違いですので、これを機に是非歌舞伎座や劇場に足を運ばれる良いきっかけになればと感じました。

コメントする
marcomK
PR U-NEXTなら
映画チケットがいつでも1,500円!

詳細は遷移先をご確認ください。