「ピカソが死ねばピカソ自身の美の探求は終わるが、世襲制の歌舞伎はそうもいかず、そこに加虐性や業の連鎖の主因がある」国宝 えすけんさんの映画レビュー(感想・評価)
ピカソが死ねばピカソ自身の美の探求は終わるが、世襲制の歌舞伎はそうもいかず、そこに加虐性や業の連鎖の主因がある
後に国の宝となる男は、任侠の一門に生まれた。
この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄は、抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介と出会う。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人。ライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくのだが、多くの出会いと別れが、運命の歯車を大きく狂わせてゆく...(公式サイトより)。
自身の目の前で愛人同士に喧嘩をさせてキュビズムの代表作「泣く女」を描き上げたピカソのように、歌舞伎の美しさに魅了された人たちの加虐性を底糸に、血、伝統、芸事、才能、男と女、興行の危うさなど視点から描く。
鴎外や漱石の純文学作品のように、とにかく無駄な要素がひとつもない完成度の高い映画。スクリーンには意味のないものはひとつも映っておらず、歌舞伎舞台上の義太夫が絞られて映画音楽であるクラシックが徐々に開かれていくタイミングや、場面切り替えのトランジションまで完璧である。
そんな完成度の中でひときわ印象的なのが、途轍もない重圧を背負う喜久雄がひとり楽屋で化粧ができずにいるところに、俊坊が訪ねてくる場面。本作の名シーンのひとつだろう。ほかにも歌舞伎の再解釈とも言えるような映像美が随所にみられるが、撮影監督がチュニジア出身の外国人ということを後で知って合点がいった。日本人ならもしかしたら、「歌舞伎」という固定観念に捉われて、無意識のうちに、馴染みの画角になっていたかもしれない。
幼少期の喜久雄を演じた黒川想矢と、当代随一の女形を演じた田中泯の演技力が圧巻。というか、主要キャストに歌舞伎役者を配していないところに、李監督のこだわりや配慮が垣間見られる。
ピカソが死ねばピカソ自身の美の探求は終わるが、世襲制の歌舞伎はそうもいかず、そこに加虐性や業の連鎖の主因がある。本作は、「美しいものを追求し、皆に感動を与え、後世に継承していくのだから、誰かを傷つけたり、普通では考えられないようなことをやっちゃっても仕方ないよね」とは開き直っておらず、徹底的に苦悩し葛藤し、落ちるところまで落ちるあたりに好感が持てたのだが、最後のカメラマンの登場でちょっとその気を感じてしまったのでマイナス0.5。
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