「その道と芸を極めた者を“国宝”と呼び、それを魅せてくれた映画を“至宝”と呼ぶ」国宝 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
その道と芸を極めた者を“国宝”と呼び、それを魅せてくれた映画を“至宝”と呼ぶ
李相日監督の作品は必ずその年のマイベストの一つになる。それくらい現在の日本映画界で絶対的信頼の名監督。
原作が吉田修一となれば尚更だ。
そんな二人の『悪人』『怒り』に続く3度目のコラボレーション。
なので映画化発表の時から超期待していたとは言え、その期待を越えてきた。
すでに見た方々がタイトルに絡めて絶賛しておられる通り。
まだ2025年上半期も終わってないが、今年一番は決まったかもしれない。
歌舞伎。
古くから伝わる日本の伝統芸能。
今尚多くのファンを魅力し、受け継がれ、その人気は国内のみならず海外にも。
多くの名門、人気役者。その芸と道を極めた者は“人間国宝”にもなる。
日本文化にとっては“至宝”の一つ。
しかし、なかなかに特殊な世界。敷居も高く、好きな人は好きだが、興味無い人は全くの無関心。
専門的な言葉や演目を始め、知らない事の方が多い。
自分もだが、歌舞伎を見た事がない人は伝統芸能でありながら日本国民の大半を占めるだろう。
そんな歌舞伎初めましての人でも見れ、引き込まれ魅了される作品になっているのが見事。
私の勝手なイメージ。歌舞伎は世襲制。歌舞伎の家に生まれた者が代々受け継ぐ。
勿論そうではない役者もいるだろう。本作は“異例”の世界から。
人気歌舞伎役者の半二郎はある宴の席に招かれる。
任侠の組長が主催の宴。その組長は歌舞伎好き。
宴の余興で、組長の息子が女形を演じる。
歌舞伎の世界の生まれでもないのに、組長の息子・喜久雄の美しさと才に半二郎は驚く。
その宴の席で、敵対組との抗争が。喜久雄は目の前で父を亡くし…。
仇討ちを決意するが失敗に終わり、行く当てもない天涯孤独の喜久雄を引き取ったのは、半二郎。
あの悲劇の一夜が新たな人生の始まり。かくして喜久雄は歌舞伎の世界へ…。
無論招かれざる存在。
半二郎の妻・幸子は“極道もん”とあからさまに邪険にする。
が、半二郎は喜久雄の才に確かなものを見ていた。
半二郎には息子・俊介がいた。いずれは跡取りとして次の三代目半二郎を襲名し、御家の名門・丹波屋や歌舞伎界を背負って立つ。
俊介も何処ぞの馬の骨か分からない奴を白い目で見る。
歌舞伎のプリンスと部屋子。天と地の全く違う立場ながら、半二郎は平等に厳しい稽古を付ける。
日々の厳しい稽古を共にし、いつしか二人に友情が育まれる。
稽古に、若者二人の友情と青春に。切磋琢磨。
やがて二人は才能を開花させ、若き女形コンビとして注目と人気の的に。
二人の歌舞伎役者人生を決定付ける初の大舞台。
これを見事成功させ、歌舞伎界のニュースターへ。
任侠の世界から歌舞伎の世界に鳴り物入りで入った喜久雄は見る。見た事ない景色を。
順風満帆だった。
ある時、半二郎が交通事故に遭い、舞台に立てなくる。しかも、大事な舞台の直前。
代役は…? 遂にこの時が来た。跡取りとして。
誰もがそう思っていた。
が…、半二郎が指名したのは、まさかの喜久雄だった。
思わぬ事に動揺する喜久雄。俊介も。
これをきっかけに、二人の運命と歌舞伎人生は大きく変動していく…。
吉沢亮と横浜流星。人気のWイケメン。それだけに留まらない。
演じた役が歌舞伎界を背負って立つのなら、二人はこれからの日本映画界を背負って立つ若手実力派。いや、若手と言うのも失礼なくらいの頼もしさ。
この二人の共演も見たかった理由の一つ。
にしても、同性から見てもお美しい二人。女形は大正解。
勿論ビジュアルだけじゃない。二人共、超売れっ子。過密スケジュールの中、一年半にも及ぶ歌舞伎の訓練。
たかだか一年半の訓練だけで舞台に立てるような世界ではない。人間国宝となった歌舞伎役者であっても修行に勤しむ。芸の道に終わりは無い。
本来歌舞伎役者でもない、訓練の期間も限られている。それでも歌舞伎役者になりきり、魅せた役者魂!
あの流し目一つ、表情一つ、振り一つ、発声や歌舞伎演技全てに、引き込まれる…。
プロから見れば至らぬ点多々かもしれないが、素人から見ればベタな言い方だが本場の歌舞伎役者にしか見えない。本当に役者の才や力量に驚かされる。
序盤の演目でさえ魅了されるが、共にさらに芸を身に付け、紆余曲折あって熟練。クライマックスで披露する演目は真に迫るほど圧巻…。
歌舞伎役者になりきっただけじゃなく、本来の役者としての複雑な内面演技も見て欲しい。
喜久雄と俊介。性格は真逆。
喜久雄は物静かで真面目。真摯に芸や修行に打ち込む。
一方の俊介はパーリーピーポーな性格。芸と修行の合間、遊び歩く。
私たちが抱く歌舞伎役者のイメージは喜久雄だが、ゴシップやスキャンダルを提供した人気歌舞伎役者もいたね。奥さんと出会って改心し、奥さんを亡くし、二児の父親として今は落ち着いたけど。
当初はそんな性格と印象だが、あの衝撃の代役を受けてから、二人の性格と印象も二転三転し、それを巧みに演じ切る。
尚、少年時代の二人を演じた『怪物』黒川想矢と『ぼくのお日さま』越山敬達の順調なキャリアも嬉しい。
世襲は当たり前。そんな中、赤の他人。
俊介のショックは計り知れない。突然家に上がり込んで、何もかも盗んでいって、泥棒と同じ。喜久雄の胸ぐらを掴んで、怒りをぶつける…フリをするが、内心は本心だろう。
喜久雄とて胸中は穏やかではない。寧ろ、俊介以上に動揺。何故、自分が…?
歌舞伎の家に生まれた訳じゃない。任侠の家に生まれた。自分の中には任侠の血が流れている。
生まれは関係ない。才なのだ。
喜久雄はただただ、女形の才があった。それだけなのだ。
酷でもあるし、妥当でもある。しかし、そういう世界なのだ。
歌舞伎の世界だけじゃない。あらゆる各業界全て。才と実力が生きる。
半二郎の判断は間違っていなかった。さらに厳しい稽古を経て、喜久雄は大役を成功させる。
本番直前。手の震えが止まらない喜久雄。自身の生まれや弱音を吐く。
俊ちゃんの血が飲みたい。自分には歌舞伎の血が流れていないから。
勇気付けたのは俊介。芸があるやないか。
俊介に代わり、名実と共に半二郎の後継者となった喜久雄。
俊介は喜久雄の演技を見届け、歌舞伎の世界から去る。その傍らには、俊介に同情した喜久雄の恋人・春江が…。
喜久雄にさらに名誉。俊介が襲名する筈だった三代目半二郎の襲名。
半二郎は白虎を襲名するが、その身体は病魔に蝕まれていた。
それでももう一度舞台に立ちたい…。
が、口上の途中で吐血して倒れてしまう。
その時、半二郎が求めたのは…
俊坊…俊坊…
師から才を認められたのに、師が最期に求めたのは“血”だった…。
半二郎の死。悪い事は続く。
喜久雄にスキャンダル。任侠の生まれ。部屋子時代に出会った芸妓との間に隠し子。
名門丹波屋が傾き、喜久雄は端役しか与えられない。スポットライトを浴びた舞台から一転して、奈落の底へ…。
そんな時、思わぬ人物が帰って来る。
俊介。春江との間に一児を設け、どさ回りなど苦労を経験し、一回り人間的にも成長。
後ろ楯には、かつて喜久雄も俊介も圧倒された日本一の女形で人間国宝の万菊。
一方の喜久雄は大御所歌舞伎役者の娘・彰子と付き合っていたが、父親に取り入る為だった事が発覚し、さらに立場を悪くする。
喜久雄は丹波屋を去る。傍らには、父親から縁を切られ、騙されたと分かった上でもついていくしかない彰子が…。
かつての俊介と立場逆転となったが、これから行く道の険しさはまるで違う。
真面目そうに見えて、女癖の悪さ。本人の性分か、本来の血か…?
去る間際、俊介と相対する。あの時の俊介と同じく怒りをぶつける…フリをして、本当にお互いの感情が爆発。取っ組み合い、殴り合いに…。
一度去った血筋の者が戻り、才を認められた筈の血筋じゃない者が去る。
喜久雄は吐き捨てる。結局、血やないか。
その後の喜久雄の姿は見てられない。
落ちぶれ、荒み、どさ回り中チンピラに絡まれる。TVには再び歌舞伎界のスターとなった俊介の姿。
彰子との関係もぎくしゃく。
あるシーンの虚ろな目と表情は今の喜久雄を物語る。
自分に未熟な所はあった。
それでも血だけじゃない事を信じ、芸に打ち込んできた。
自分はここまでなのか…?
あの時の代償か…?
いつぞや神社にて手を合わせた。神様に願ったのではなく、悪魔と取引…。
悪魔が栄光を見せた後、地獄へ叩き落としたのか…?
が、芸の神様は見捨ててはいなかった。
万菊から声が掛かり、喜久雄は再び歌舞伎の世界へ…。
二人の若き天才歌舞伎役者の人生がドラマチックに展開。
難点もある。時代ものだから時々展開が早い。俊介も喜久雄も歌舞伎の世界に戻ってからあっという間。多少のベタな設定やご都合主義もある。そこら辺、800ページ以上に及ぶ大長編の原作小説には細かく書かれているのであろう。
本作に限った事じゃないが、原作小説の全てを映像化する事は到底無理。省略や纏め上げ、壮大な大河ドラマに仕上げた奧寺佐渡子の脚本も見事。
時に観客視線、時にクローズアップで役者の一挙一動を逃さない。フランスのカメラマン、ソファアン・エル・ファニによる映像美。
歌舞伎を完全再現した種田陽平による美術、衣装や化粧・床山も本格的。
言うまでもない李相日の名演出。
厳しい師/父親であり、初の大舞台に挑む二人に優しい言葉をかけ、自身も当代きっての歌舞伎役者として舞台に立つ事を望む。渡辺謙の存在感。
圧巻は万菊役の田中泯。出番は少ないが、前衛舞踏家としての本来の面が女形に活かされ、バケモン級の凄みと、狂気すら感じる演技と、完成された美しさと佇まい。
この万菊が人間国宝でありながら、晩年はボロアパートで孤独に病に伏せっている姿は衝撃でもあった。
歌舞伎は男の世界。なので、高畑充希、森七菜、見上愛、瀧内公美(ラスト近くのシーンは特筆)、寺島しのぶら実力派/注目株の女優陣が揃えられながら、脇に留まってしまっているのは致し方ないとは言え、残念。
が、皆が名アンサンブル。熱演。
映画だが、歌舞伎もたっぷり見せ、あたかも本場の歌舞伎を見ているような錯覚さえも。
全てが超一級。堂々たる3時間。
歌舞伎の世界に戻った喜久雄。
俊介との女形コンビの復活に、世間は沸く。
が、またしても…。
俊介が糖尿病となり、片足を切断。舞台に立つ事も後進に稽古を付ける事も出来なくなり、俊介の息子の稽古は喜久雄が付けていた。鳴り物入りで歌舞伎の世界に入った若者は指導する立場に。
舞台に立つ事を絶たれたかに思えた俊介だが、それでももう一度舞台に立つ事を望む。
二人で挑む『曽根崎心中』。歌舞伎の演目はほとんど知らないが、『曽根崎心中』はほんの少しだけ。劇中披露される演目がその時の心情とリンクしているのが巧み。
演技中、俊介は体力の限界で倒れる。喜久雄は聞く。やれるよな? 俊介は答える。当たり前や!
当初歌舞伎の世界を冷ややかに見ていたがいつしか魅了されていく興行主の二代目の台詞が見る者全てを代弁する。こうは生きられない…。
あなたにも、私にも、こんなにも打ち込めるものはあるか…?
文字通り、その道に生き、その道に死ぬ。
実の父を亡くしても、
血筋じゃなくても、
犠牲や傷を負わせた者が居ても、
悪魔に魂を売っても、
師を亡くしても、
どん底に落ちても、
ライバルであり親友を亡くしても。
天からの授かり物。この世界で生き続ける。
いや、自分で選んだ。もう一度見たかった。見た事ない景色を。
その生きざま。
芸。才。ただひたすらに一つのものに打ち込み、極め続け、頂きに達した存在を“国宝”と呼ぶ。
そしてそれを打ちひしがされるほど魅せてくれた映画の事を我々は“至宝”と呼ぶ。
近大さん
近大さんがレビューに書いていらっしゃる『 今年一番は決まったかもしれない。 』、同感です。
主演、共演の皆さん、演じられている全ての役者さんの演技に引き込まれた本作を超える作品、なかなか難しいでしょうね。
近大さん、長編の本作を鑑賞された当日に長文のレビュー投稿。私には到底出来ません 。そもそも長文が書けないという 😆
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