「芸に魅せられ、芸を極め、芸に飲みこまれる」国宝 TSさんの映画レビュー(感想・評価)
芸に魅せられ、芸を極め、芸に飲みこまれる
息を飲んだ。気がついたら息をしていない場面が何度か。
原作小説は、抑揚を抑えた講談調の語り口で、歌舞伎に魅せられた男を描く一代記。まさに波瀾万丈の物語だったが、文字で表現される場面場面が、頭の中で映像となって次々と展開していく感覚があり、一気に読んだ。ただ、歌舞伎に疎い私は、舞台の情景が脳内でうまく像を結べなかった。
その作品が映像化された。
うまく像を結べなかった世界が、スクリーン上で鮮やかな映像となって展開していく。
喜久雄が、俊介が、舞台の上で踊り、舞う。
3時間近いその時間を全く感じさせない、最初から最後までテンポ良く、キリッと締まった展開。どこにも無駄がない。極限まで磨きに磨き、削りに削ったような鋭敏さを感じた。
役者の動きにピタリと寄り添い、寸分の隙を見せることも許さないような緊張感のあるカメラワークと、それに応える俳優たちの演技が光っていた。
主演の吉沢亮は、素の喜久雄の演技と歌舞伎役者としての演技どちらも素晴らしいのだが、歌舞伎役者としての演技に凄味を感じた。
「二人道成寺」は、横浜流星との息の合った軽やかな演技が華やか。
「曽根崎心中」は、二代目代役として出たお初、盟友俊介の最後の舞台での徳兵衛のどちらも、役柄と喜久雄本人の想いが滲み出す。
圧巻は、最後の「鷺娘」。本当の舞台を通しで観てみたいと思う演技。歌舞伎の世界に入り込み、美の世界に迷い込んで忘我の境地に達する。
喜久雄は、芸の極みに達して常人が見えないものを見ている。その瞬間、彼は芸を自分のものとし、自己と一体化したのではなく、むしろ逆に歌舞伎という芸に飲まれているようにしか思えなかった。
原作のラストシーンをどのように描くのかが一番気になっていたのだが、原作とは違う味わいがあった。
脇を固める俳優の演技も良かった。横浜流星、渡辺謙らの演技は、「熱演」という熱量を感じるものだったが、目を引いたのは希代の女形、万菊を演じた田中泯。この存在感は何だろう。身体表現を追求するダンサーなのに、大きな動きがなくとも、その佇まいに人を惹きつける力がある。「メゾン・ド・ヒミコ」で演じたゲイの老人役に強烈な印象が残っているが、今回の女形役も異様な存在感を放っていた。
喜久雄という男は寡黙な男だ。彼が話さない代わりに、彼の心情を表現するような言葉を師匠たちが発していたように思う。
「ほんまもんの芸は刀や鉄砲よりも強い」という二代目半二郎。
「歌舞伎が憎くても私たち役者はやるの」という万菊。
この2人の台詞が強く印象に残った。
吉田修一の執念の賜物と言えるような原作は勿論のこと、映画の脚本も、映像も、音響も、美術も、俳優陣の演技も、そしてそれをまとめ上げた監督の手腕も素晴らしい。色々な要素が、それぞれ非常に高いレベルで結晶して生まれた映画のように思った。間違いなく、後世に残る傑作。
美しい舞が、残像のように脳裏に残る。
<追記>(2025年6月14日)
公開当日のレイトショーで観て直ぐに上のレビューを書いた。それから1週間、このサイトのレビューやWEBニュースで流れてくる評判の高さに驚きつつ、時の経過とともに冷静になって考えると、5.0という自分が付けた評価が気になり始めた。
過去に5.0の評価をした作品は、何かしら「心を大きく動かされる」「また観たい、また観るだろう」と思える作品だった。しかし、本作はそれに当てはまらないことに気づいた。
結局私は、この映画のスケール感と、原作で埋められなかった脳内映像を補完できたことには満足したが、感動とか、そういう感情は沸かなかったことに気づいた。
上のレビューでは触れていないが、多くの方が指摘されているように、女性の描き方が非常に薄くて雑だった。原作も薄めだったが映画は原作より相当薄い。それは喜久雄と俊介に焦点を当てて他を削らなければ、800ページにわたる大作を映画化することなど到底不可能だったからやむを得ない選択だったと思いたいが、一方で何故、女性陣の中で幸子(寺島しのぶ)だけクローズアップしたのか疑問が残った(原作では他の女性と比べて幸子の扱いが突出している訳ではない)。
それから、鑑賞後に知ったが、原作者が「100年に一本の壮大な芸道映画」と絶賛しているという。これには少しガッカリした。自分が心血注いだ作品が映画化された喜びの表れだろうが、それはメディアの入らないところで制作陣たちにかけてあげればよかった言葉ではないだろうか。
近年稀にみる邦画の大作であり、圧倒される傑作であることは間違いないと思いますが、上記のようなことを考えた結果、点数は4.5に変えさせて頂きます。
TSさん
寺島しのぶ以外の女たちが、まったくスポットライト無しで、女は助演以下の扱い=エキストラ扱いだったので、僕は三人の女の見分けさえつかなかったほどでした。
でも、映画全体のテーマの組み立て、およびエピソードの取捨選択の中で、監督はより多くを女形に集中させ、逆に周辺の女たちと娘は物語の舞台からは排除される・・そのコントラストが、尚更面白く見えましたねぇ。
あと、喜久雄がドサ回りで疲れ果てて、ビルの屋上で物狂いになるあのシーンですが、「俺は何を見ていたんだろう」との呟きは、三回撮ったうちの最後のふと出たアドリブだそうです。
⇒最後の鷺娘に結ぶ重要な光景に思えました。
大作でしたが、僕はしばらくは二度観はないですね。
TSさん、原作、面白そうですね!今、家族が読んでいて、歌舞伎の演目にこういうのああいうの出てる、文楽の歌詞(曽根崎?)も出てくる、新派出てくるなどなど!おー、と思ったので読んでみようと思います
共感どうもです。
一度5.0を付けた作品を下げるというのはたいしたものだと思います。
でも自分の思いを冷静に判断されての事ですので尊敬します。(冷静に判断された(し直した)姿勢が素晴らしい)
女性の掘り下げが足りませんでしたね。
共感ありがとうございます。
田中泯さんはダンサーなので、主演2人とは役へのアプローチがちょっと違うのかなと思いました。ケンワタナベもミュージカル経験ありますよね。
コメントありがとうございます。
TSさんはじめ皆さんのレビューを読ませていただいて、原作は素晴らしいんだなと思いました。
原作者の方も素晴らしい方なんだと思います。
コメントありがとうございます。
吉田修一さんの原作も作家の執念が感じられ、その力が監督やスタッフ、キャストにも伝わっている、ということなのですね。
恥ずかしながら未読でしたので、早速書店に行ってきます。
こちらこそ教えていただくことばかりです。ありがとうございます。
TSさん、コメントありがとうございます!そうです、そうです、そのお二人です。梅枝改め時蔵は古風な感じが好きで踊りが上手いので注目してます!何の役だったか、寺子屋では彼女が登場した瞬間に空気が変わりました
素晴らしいレビューですね。
私も、コメントしたいと思いながら、
迷っていました。
吉沢亮の女形の声音、その張りと艶、天性の役者ですね。
彼が劇団出身でも、子役出身でもなくて、剣道をやってきたのに、
ここまでやれる。
喜久雄が後年、人間国宝に上り詰める・・・
血筋より才能、そのお手本に見えますね。
朝日の連載小説を読まれていらっしゃるのも、
参考になりました。
ありがとうございます。
おはようございます。コメントありがとうございます。
田中泯さんの存在感は、(どの作品でも)凄いですよね。ダンサーであり、自身で米を作り暮らすスタイルから作られる強靭な身体。
凄いモノだと思います。あんな風に年を重ねられたら良いな、と思っています。では。
TSさん、コメントありがとうございます!原作読んでないのにタラタラ書いてすみません!でも教えて頂きすごく嬉しいです。女形で国宝なら阿古屋やれる役者じゃないかなあ?と勝手に思ってたので。全ての女形が阿古屋をやる(やれる)訳でないので。私が見たのは今のところ玉三郎だけです。それではいけない!と若い女形さん2名位は阿古屋の為のお稽古してるはずです!
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