ハロルド・フライのまさかの旅立ちのレビュー・感想・評価
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ある老人のロングトレイル-なぜ野宿で、装備なしで?
四国88か所のお遍路、約1300キロを歩いた経験からすると、800キロを60日以上かけて、というのはそんなにすごい距離ではないし、かなりのスローペース。しかしまあ、ほとんど運動もしていなかったご老人が、ロクな装備も持たずに野宿を続けながら歩くとすれば大変なのは間違いない。
ホスピスで最期を迎えようとしている昔の同僚をはげますため800キロ歩いて会いに行こうという思いつきは理解できる。ゴールに着いたあとの、もうほとんど意識がない状態の彼女との再会は、イギリス人らしい抑制されたシーンでとても胸をうたれる。主人公ハロルドの思いはたしかに届いたのだ。
そこに至るまでの800キロ、色々な人と出会いながらの長い歩き旅、というだけで十分にハートウォーミングな一篇になっただろうと思うが、この映画にはもう一つ、裏の物語が用意されている。
ハロルドは金がないわけでもないのに装備も整えず野宿をつづけながら歩く。ゴールまで歩くだけでは足りず、自分を罰しようとしているかのようだ。徐々に、彼が実は、平凡な老人というよりは、めったにない辛い体験をした人であり、自責の念を背負い続けていること、本人も妻も表面上は穏やかながら不幸な人生を送ってきたことがわかってくる。
ゴールにたどりつき、妻との関係にも何か良い方向への変化が生まれる予感が示唆されるけれど、それだけですっかり救われるわけではない。その意味では後味は苦い。
普通に公共交通機関を使えばいいのに
本人にとっては、徒歩で向かう事が危篤の人の為になるという信念を持っているからしょうがないけど。
行く先で主人公が不幸な目に遭う様は、山野一のどぶさらい劇場を読んでいるようだった。お年寄りが虐められているのは、子どもが虐められているのを見るより辛いです。
原題は贖罪と内容そのままのタイトルでベストセラーとの事。自分は無神論者で神なんか信じている人は、身近に相談できる人がいない可哀想な人としか思っていないので全く主人公に共感できませんでした。
お爺ちゃんの演技が真に迫る神演技で全力で可哀想な人を演じていて、お爺ちゃんを虐める人も無茶苦茶憎たらしくて演出は素晴らしいので、そこは見どころです。
ハロルド・フライの贖罪の旅
手紙を出すのを躊躇して、そのまま800Kmを徒歩🚶で歩こうなんて
思うかな〜!?という疑問が頭に浮かびながら
ハロルド・フライのロードムービーを鑑賞しました。
ハロルド・フライが会いに行く相手クイーニーに
自分が徒歩で会いに行くからそれまで生きていてくれ!と
ホスピスに伝言するわけですが、その動機が彼の旅とともに明かされていきます。
彼は息子との関係性がうまくいかず息子を亡くしていることと、
それが影響して夫婦仲が険悪となり、職場で荒れた彼の身代わりとなって
同僚のクイーニーが免職されるという、この二重苦と言いましょうか、
これらの発端が自分自身にあるという後悔から、贖罪の旅に出たというのが
本筋であろうと思います。
にしても、上映時間がちょっと長いかな〜と感じましたね。
彼の徒歩の旅がイギリス中でニュースになって、同行者が出てくるのは面白かったのですが、
それが彼の旅に与える影響はあまり描かれていない気がしておりましたが、
それでも妻が夫のことに想いを馳せ、実際に会いに来るところは、じんわり心に沁みました。
ハロルド・フライは旅を通して妻をも不幸にしてしまうところだった、と、
どこかのタイミングで気づいたと思うんですよね。
それがゆえのラストの二人で手をつなぐシーンに繋がったのだろうと思いました。
おそらく高齢のハロルド・フライが800Kmを歩ききるバイタリティがあるというのには
驚きをかくせませんし、たぶん自分の方がまだまだ若いので
負けていられないなと思いましたね笑
後悔と恩返し。
恩人から届いた手紙の返信へと手紙を書きポストへ向かった定年退職してるハロルド・フライと自宅で待つ妻モーリーンの話。
ポストから郵便局へと書いた手紙を持ち歩き、途中ミルクを買いに立ち寄ったスタンドの青髪ファンキー女子から「病気に効くのは薬じゃないよ!気持ちだよ!」と自分の胸を叩く、その言葉を聞き普段は自宅の駐車場までしか歩かないハロルドが800キロ先恩人がいるホスピスを目指し歩き出す。
その歩く道中、息子との事、恩人クイーにーとの経緯を小出ししながら 800キロ先のホスピスを目的地に歩くけれど…、作品とはいえ幾らなんでも無理でしょと!途中買い物、泊まるホテル代あるなら交通機関使ったらと脳内ツッコミ!
歩き疲れ倒れて面倒見てくれる看護士さんから始まり、途中撮られた1枚の写真でニュースに出ちゃって時の人となっちゃうハロルド、1人の未成年とワンコから始まりいつの間にか凄い団体になってお祭り騒ぎみたいになっちゃったけど。
ホスピスまで残り28キロで突然奥さんへ「もう無理だ」と泣きの電話と、喫茶店で「息子に会いたい」と泣き始めたのには何故ここで?とちょっと笑っちゃったかな。
ラストのハロルドがスタンドで働くファンキー女子へ送った手紙で涙と、息子の事で25年前からハロルドに対して冷めてたモーリーンから「やっぱり貴方を愛してる」とハロルドへのキスにも涙。
自己満足、身勝手さが鼻について共感できず
ちょっとポストまで、のはずが、
何も言わず、携帯も持たずに800㎞歩くことにした、はないでしょう
助けられなかった息子、助けられたクイーンをもう裏切れない?
長年連れ添った伴侶は放っておいてもいいのですか?
必ずしも良妻ではないかもしれない
けれど、モーリーンの心情を考えると、辛かった
置いてけぼりにされたモーリーンがどんな気分になるのか、
彼女にひどい仕打ちをしているとは考えないのでしょうか
また、
最期を覚悟しているクイーニーに本当に会いたいなら、
願をかけて歩くより、時間優先ではないのか
自己満足を優先させ、
末期の癌患者にとっての2か月がどんなものかも現実離れしすぎていて、
苛々してしまった
あなたを愛していることに気づかされた、
という、
モーリーンの言葉に救われたが、
ハロルドの自己満足で、迷惑極まりない行動に共感できず
ただし、
ペネロープ・ウィルトン、ジョセフ・マイデルはさすがの演技だった
場面は少ないものの、リンダ・バセットも凛として素敵だった点は評価している
おじいちゃんのホッコリ映画じゃない! (1200文字)
着の身着のままで家を出たハロルド。
800キロというと、東京から札幌や広島くらいの距離で、おじいちゃんだから…ともっと近いイメージでいた私は後から調べてびっくりしました。
それは何週間もかかりますね。
最初はクイーニーに会いに行くことで彼女に希望を与えたいという動機があったものの、歩みを進めるうちにハロルドの心に変化が表れます。
ホスピスへの旅は、次第に息子が生まれてから亡くなるまでをたどる、彼の追想の旅に置き換わっていくのです。
ドラッグにより病んでいく息子を救うことができなかったという自責の念や、そこから25年にわたる妻との心の隔たりなど、これまで心の底に沈めていたさまざまな思いが浮かび上がってきます。
ナメていたわけではないのですが、この映画がおじいちゃんのホッコリ映画でないことが分かってくると、こちらも急に真剣味が増してきました。
ハロルドの妻、モーリーンの様子が多く出てくるのは、この映画に夫婦の絆の再構築という要素があるからです。
母親であれば、父親と同じかそれ以上に、息子のことで心を痛めていたはず。
「ハロルドばかり慰められ、注目され、褒められ…自分だって苦しんでいるのに!」という辛さは、ごく自然なものに感じました。
隣家の妻を亡くした黒人男性に心を開いて癒やされ、ハロルドの元へ足を運んでボロボロの姿に対峙し、彼女は彼女で夫への負の感情を乗り越えることが必要だったのですね。
ハロルドの亡くなった息子デイヴィッドを演じているのが、アール・ケイブという若い俳優さん。
もしや…と思ったら、ミュージシャンのニック・ケイブの息子さんでした。角度によってはお父さんにすごく似ています。
ドラッグに依存して病んでいる感じが妙に生々しく、真に迫っていて、上手いのか天然(!?)なのか分かりませんが、とても良かったです。
息子デイヴィッドの幻影を人混みの中に見て、それを妻に報告するシーンは、夫婦がこれまでの悲しみを共有する、切ないながらもあたたかい場面でした。
当初の目的クイーニーとの再会は、彼女がもうろうとしていたため、たいして感動もなく、道連れの青年も、犬も、応援の団体も、みんないなくなり、最後はハロルドひとりとなります。
そこへモーリーンが迎えに来るラスト、これはずるい…(涙)
息子へのつぐない、夫婦の絆の再構築には、ハロルドが長い道のりを歩く必要があったのです。
道中で出会った女性が印象的な話をしていました。
「基本的なことが意外と難しい、歩くことや寝ること、食べること、子育ても…」
確かにそうだわと、ハッとしました。
生きていれば、必要なことは何でもうまくできるかといえば、そうでもないのです。
ハロルドみたいに、近道をせず、不器用に愚直に、試行錯誤していくことが大切なのでしょうね。
ありふれた展開かと思いきや、厳しく深い話で、とても良かったです。
長文お読みいただき、ありがとうございました!
巡礼の旅
思ったより、宗教的なイメージを強く感じました。
といっても、ストーリーにそういう要素がたくさん入ってるというのではなく。
途中で世間からも「巡礼の旅」と扱われるのだけど、それよりもずっと、ハロルド自身の姿勢が、巡礼者のそれになっていると思いました。
その描かれ方は、真面目で、深いものでした。
正直もう少しハートウォーミングでほっこりする感じを想像してたのですが(見に行く人は概ねそうだと思うんだけど)そういうものとは少し違いましたね。
結末もそうなんですけど、やりとげて良かった、みたいに安易に言えるようなものではなくて。
旅の終わりに、主人公は灰色の海を見つめて、顔には笑顔もない。
旅はただ終わって、何が得られたわけでもなかった、と彼は言います。
そんなことない、あなたはやり遂げたんだ、それには意味があるんだと必死に諭す妻の言葉にも、表情が緩むことはない。
でもなんだか、その彼の険しい表情の中にこそ、言葉にならない答があるような気がしました。
厳しくも暖かく、誠実さを感じる終わり方だったと思います。
途中世間に注目されるくだりの都合よさとか、回想シーンが親子というより祖父母と孫にしか見えなかったりとか、いろいろ気になるところはあったのですが、、予想とは違う、静謐な余韻の残る良作でした。
最後の、登場人物たちが様々な形で、揺れ動く光に照らされる場面を見て思ったのですが、、神は気まぐれにこの世界のところどころに光を投げかけて、それに照らされることも照らされないこともある。
その見えざる意図を知ろうとして、もしくはそこに導きがあるのを信じて、人は巡礼の旅に出る。
その先にそれぞれが得る答こそが、例え望んだとおりのものでなくても、それこそが神の恩寵と言えるものなのかもしれない。
そんなことを思いました。
可愛いおじいちゃんが
友達に会いに何百キロも歩き人気者になっていく話かと思ったけれどテーマはとても重くて無力感もあるけれどそれでも何かをすること動くことは無駄ではないと思いたい。
古い知人から届いた一通の手紙。それが心の奥底に刺さった古いトゲに触れた時、主人公は抱え込んできた悔恨の念を抱えて人生を精算する旅に出ます。
原作があるようですが、全く知りませんでした。 ・_・;
どんなストーリーかと紹介文を読んでみると、手紙を出そう
とした主人公が投函せずに、結局は自分で手紙を手渡そうと
そのまま歩き始めてしまう というお話らしい。
その内容で、いったいどんな物語が描かれるものかととても
気になってしまい、鑑賞してみることに。 ・_・シマシタ
◇
古い知人(クイーニー)からの手紙がハロルドに届く。
その手紙は、その知人がホスピスに入っていること、そして
人生の最期を迎えつつあることを知らせるものだった。
手紙の返事をしたためてポストへと向かう。
当たり障りのない返事を書いたのだ。躊躇う事は無いのだが
何故かハロルドは投函ができない。 …んむむ
次のポストまで歩いて、そこで入れよう。次だ次。
ところが次のポストでも、また投函ができない。
次こそは。次の郵便局では…と。
やがて彼は、ある事を決意する。
” そうだ やはり本人に会って直接伝えよう ”
そう心に決め、ハロルドはクイーニーに合う為に歩き出す。
目指すは800マイル先の北の町だ。 1280㎞ (えっ)
ふらっ と出かけてきたその足で。果たして大丈夫なのか?
財布はあるが携帯電話を持ってない。(連絡取れない)
荷物を入れて歩く為のカバンもない。(荷物持てない)
ウォーキングシューズも履いてない。(長く歩けない)
何より今の本人の生活、歩く習慣が全く無い。
運動しない人 車までしか歩かない人 …と奥さんの弁。
ほぼ毎日、歩かずに生活してきた人間なのだ。
果たして。
途中で靴が破れ、足にマメが出来て、潰れる。(痛そう)
歩けなくなるハロルド。 もうダメだ。 (…だから)
通りがかった車の女性に助けられ、手当てを受ける。
実は移民で医師で、パートナーに去られたという彼女から
手当てを受け、一晩の休息をとる。
何とかまた歩けそうだ。
もう要らないという靴や、歩き続けるのに必要なものを
分けてもらい、再び歩きだすハロルド。
歩きながら、ハロルドはある言葉を口にする。
” 君は 死なない 死なせない ”
このコトバを呪文のように唱えながら歩き続ける。
その言葉が、800マイル先に届くことを念じているのか
もしくは、自分自身を奮い立たせるためなのか。
それともその両方なのか。
途中、ハロルドの歩く目的を知った人物が、ハロルドの事を
記事にして新聞に載せる。気付かないうちに有名人。
顔が知られ、ハロルドに同行する人も出てくる。
食料の差し入れをする人もいれば、
揃いのTシャツを作ってみんなで着て歩いたり。
ハロルドの旅が思わぬ方向に変わりかけてしまう。
一日に歩く距離も極端に短くなってしまった…。
” これは …違う ”
夜中にこっそり、一人で旅立つハロルド。
一人に戻って黙々と歩き続ける。
◆
歩くシーンの途中に、回想のシーンが入る。
ハロルドの息子が出てくる。奥さんもだ。
息子の成績が良いことを喜ぶハロルド。
大学に進学した後は思うように成績があがらず悩む息子。
次第に生活が荒んでいきクスリにも手を出してしまい…。
変わっていく息子を止められず、ただ見ているハロルド。
回想シーンが描かれるにつれ、ホスピスに入っている知人
との過去のいきさつも次第に分かってくるようになる。
息子の事で自暴自棄になり、勤め先の工場の商品をダメに
してしまうが、それを「自分がやった」と身代わりになり
勤務先をクビになったのがクイーニーだったのだ。…なんと
ハロルドの奥さんも、ハロルドとクイーニーの間にもしや
何かあったのでは と勘繰ってしまう。 (… 気持ちは分かる)
クイーニーが遠くの町に移り住む事を告げにやって来て
” 気にしないで とハロルドに伝えて ” と頼まれた伝言を
奥さんはハロルドに伝えなかった。 (…気持ちは分かる)
奥様もまた、知人と夫との間にあった「何か」に対して恐れ
怯え、長いこと心を痛めてもいたようだ。
◆
無事にハロルドは知人の元に辿り着けるのか。
知人の命有るうちに尋ねていけるのか。 という
ハロルドの旅を、最後まで見届けるお話です。
予告を見て、そして紹介文を読んで感じたよりも
かなり濃厚なテーマをもった作品でした。 ・_・ハイ
思った以上に心に沁みました。
※年齢を重ねた、過去に心の痛む経験をしてきた人ほど
心に刺さりそうな作品という気がします。
◇最後に
「走れ メロス」ならぬ「歩け メロス」 だなぁ と思えてきました。
途中で一度、もう無理だ歩けないと、諦めかけるのも含めて。
体はボロボロになり、ホームレスに間違われながら。
最後、命尽きる前の知人に再会することができました。
手紙を書いた日、余命が何日残っていたのか分かりません。
手紙の内容も、ただ別れを告げるものだったかもしれません。
それが、歩くことで知人の命が長らえるとハロルドは信じて
知人はハロルドが来ることを信じて、それまでは生き続けよ
うと力を振り絞りました。
ハロルドは辿り着きます。途中心が折れそうになりながら。
知人も、ハロルドが到着するまで生き続けました。
ハロルドにとって人生の総決算とも言える旅は、巡礼の旅の
ようなものだったのでしょうか。
そう思ってタイトルを良く見ると、原題には ” 巡礼 ” の文字が。
邦題ではワザとその二文字を抜いたのかも とも推測。。
ストーリーの先が読めてしまいそうですから。
※ 原題 The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry
翻訳 ハロルド・フライの意外な巡礼(グーグル翻訳先生)
◇おまけ(蛇足?)
旅の途中過程が世間の話題になってしまう辺りは
「進め電波少年」のヒッチハイクの旅を思い出しました。
猿岩石、ドロンズ、パンヤオ。遠い目。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
必要な施しと過剰な応援との間にある温度差とは何だろうか
2024.6.10 字幕 MOVIX京都
2022年のイギリス映画(108分、G)
原作はレイチェル・ジョイスの小説『ハロルド・フライのまさかの旅立ち(The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry)』
旧友に言葉を伝えるためにイギリスを縦断する老人を描いたロードムービー
監督はヘティ・マクドナルド
脚本はレイチェル・ジョイス
原題の『The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry』は、「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」という意味
物語の舞台は、イギリス南部のキングスブリッジ
そこに妻モーリーン(ペネロープ・ウィルソン)と住む高齢のハロルド・フライ(ジム・ブロードベンド)は、数十年前に交流のあったクイーニー(リンダ・バセット)から手紙をもらった
差出元はイギリス北部にあるホスピスからで、彼女はそこで予後を過ごしているという
ハロルドは何を書いてよいのかわからず、妻は「思いついたことを書けばよい」と素っ気ない
とりあえず手紙の体裁だけを整えたハロルドは、その手紙をポストに入れようと思っては辞めるという行動を繰り返して、とうとう町の郵便局まで来てしまった
一息つこうと、向かいの雑貨店に入ったハロルドは、そこにいた青い髪の店員(ニーナ・シン)から「祖母の話」を聞かされる
ハロルドは何かを思い立ち、ホスピスに電話をかけて、「ハロルド・フライが今からそこに行くと伝えてくれ」と言って、何の用意もせずに歩き始めた
妻に連絡をいれるものの、「800キロを歩く」という意味のわからない申し出にあきれ返られてしまう
だが、妻とクイーニーにはある過去があり、夫に捨てられるのではないかと畏れてしまうのである
映画は、ハロルドの無謀な挑戦を描き、その道中でたくさんの人に助けられて「歩いていく」様子が描かれる
カフェで身の上話を聞かされたり、牧場で亡き夫の話を聞かされたりする中で、ある男が写真を撮ったことで、SNS上でバズってしまう
ヤク中の若者ウィルフ(ダニエル・フロッグソン)が「一緒に歩く」と言い出したり、ヒッピーの集団に囲まれたり、挙句の果てには「巡礼Tシャツ」を作って一大ツアー状態になってしまう
そして、旅の速度は落ち、当初の予定が大幅にズレてしまうのである
物語は、闊歩するハロルドと対象的に、気が気でないモーリーンの様子が描かれていく
かつて、クイーニーは町を出るときにハロルドに会いに来ていたが、モーリーンが会わせなかった
さらに彼女から預かった伝言を今もなお伝えていなかった
モーリーンはハロルドとクイーニーが不倫関係にあると思い込んでいたのだが、実際には「息子デヴィッド(10代:ブラッグストン・コロディー、成人期:アール・ケイプ)の死の際に荒れたハロルドの失態を被った」ことで、彼女は会社を辞めるハメになっていた
クイーニーはハロルドを失職から救った恩人であり、そして彼女の伝言は「あの時のことは後悔していない」というものだったのである
映画は、イギリスの色んな景色が堪能できるロードームービーだが、ハロルドたちが抱える問題はかなり重い
ドラッグの後に自殺したはずの息子を街角で見たりと、ハロルドの疲労が蓄積するたびに過去の怨念に囚われていく
そして、ようやくクイーニーに会えたというのに、彼女の認知症は進んでいて、ハロルドのことを思い出せなくなっていたのである
過去を振り返る旅の中で、心残りがハロルドを抉っていくのだが、これらのミステリー要素が結構ハードなので、意外なほどに疲れる映画になっている
過去を抱えていない老人などいないのだが、仕事に没頭して向き合わなかったことで刻まれたものは、自分を正当化してきた分だけ深くなってしまう
それゆえに、同じ境遇に思えるウィルフに肩入れしてしまうのだが、彼すらも救うことができなかったのは現実的だなあと思った
いずれにせよ、サラっと観られるコミカルな映画だと思ってみると心にズシンと来てしまう内容なので、心して鑑賞した方が良い作品であると思う
親切にしてくれる人はすべて、ハロルドと同じくらいの過去を背負っていて、それゆえに同調し手を差し伸べていくのだと思う
ハロルドの行動は過去を清算したりはしないのだが、必要な施しをして見守ることの意味は大きい
ヒッピー集団や、ハロルドとの旅に意味を求めようとする若者とは対象的になっているので、その温度差を体感するには良い内容ではないかと思った
Keep On Marching
とりあえず、タイトルの雰囲気とポスターの色彩は詐欺だろ、コレ。笑
もっと明るくコミカルなものを想像してました。
導入から旅立ちまでは、驚くほどスムーズ。
そこからは様々な人と出会いながら、断片的に過去を振り返っていくロードムービー定番の流れ。
道中で受ける親切が大袈裟でないのは美点。
ハロルドの年齢や見た目、立ち振る舞いからも、説得力を感じる。
安宿を選んでも相当かかりそうだな、と思ったら後半は財布含めた諸々を家に送ってて驚いた。
いや、でもサスガに無謀ではないかな…
1枚の写真からニュースになり、支援を受けるようになるものの、同行者が増えキャラバンの様相に。
あの軽薄なパリピ感は嫌いだったので、ちゃんと違和感を感じて離れてくれたのは良かった。
しかし、全体としてまとまりに欠けた印象もある。
旅の目的であるクイーニーより、彼女に助けられる元となった息子の件が大き過ぎたことがひとつ。
更に最終的な着地点が夫婦愛の再確認だったことで、どうにもクイーニーにピントが当たらない。
ウィルフも行動の変化が唐突過ぎて、結果的にトラウマ誘発装置の役割に思えてしまう。
キャラバンで当然のように隣にいるおばちゃんも謎だし、お隣さんはいい人なのに便利屋扱い。
ラストのプリズム(まさかウマ娘と被るとは…)が当たるキャラも少なすぎないですかね。
90分くらいで短くまとめるか、120分超えてでも何人かは奥行きのあるキャラが欲しかった。
Keep walking, keep living
泣けました。
邦題が、ちょっとコメディみたいな印象を受けたんですが、シリアスなお話でした。
自分を救ってくれた元同僚クイーニーを救うためなのはもちろん、ハロルド本人の後悔を乗り越える旅でもあり、家族と向き合う話でした。
自分は妻側なので、妻モーリーンの気持ちもよくわかります。
計画性なく突発的に旅立つ。
思い立ったが吉日ではないけど、今だと思った時がその時。
家族は心配でたまらないけどね。
車で移動できる中、歩くということは、自分に試練を課すだけでなく、地に足をつけしっかりと問題に向き合うということなのでしょう。息子が生きている時に、もっと対話してぶつかっていたらと。
Let's go home.
ハロルドの旅の最後は自分の家でした。
しっかりと握った手を放さないでねと思います。
*****
おじいさんのロードムービーというと、「ストレイト・ストーリー」を思い出します。ロードムービーは、自分を見つめる時間が描かれ心に残りますね。
【"贖罪と心の再生の旅"初老の男が昔の同僚のホスピスに入居する女性に会う為に英国縦断の800キロを徒歩で旅する中で様々な人と出会い、過去の悔いある人生と向き合い心を再生する様を描いたロードムービー。】
◼️定年退職したハロルド・フライ(ジム・ブロードべンド)の元に、昔、ビール工場で働いていた時の同僚クイーニーが入院している英国北部のホスピスから"彼女が死の床にある。"と言う手紙が届く。ハロルドは返事を書くが、逡巡した後にホスピスに向かって歩き始める。
◆感想
・ハロルドは携帯電話も持たず、手ぶらで歩き始める。彼が最初にミルクを買った店の青い髪で、タトゥーを両腕に入れた若き女性に励ましの言葉を受けながら。
・彼は道中、様々な人と出会う。喫茶店で同席したパンを分けてくれたサラリーマン、確執があった息子デヴィッドに似たウィルフと言う酒とクスリをやっていた青年。そしてハロルドは青年と共に歩き始めるが、SNSでその様が拡散され、徐々にデモ行進の様になって行く。そして、ウィルフも再び酒とクスリをやり始め、ハロルドは再び一人で歩き始めるのである。
◼️旅の途中でハロルドが、歩きながら過去の悲しき出来事を思い出すシーン。
そこでは、息子のデヴィッドがケンブリッジ大学に入りながら、酒とクスリに溺れ、ハロルドに悪態を付き最後は縊死する姿や、その悲しみに依りハロルドを叱責する妻、モーリーンの姿である。ハロルドは息子に何も出来なかった自分を恥じ、妻との関係もギクシャクしていく。そんな彼は自棄になり、ビール工場のビール樽を次々に転がして行くのである。だが、彼の行為の罪を被り、馘首されたのはクイーニーだったのである。このシーンを観ると、何故ハロルドが、800キロの道を歩き彼女に会う決心をしたかが良く分かるのである。
・一人歩くハロルドに対し、出会う人達は優しい。水を所望する彼に快く、水を差し出す女性、道端に"ご自由に"と書いて野菜や果物を無料で籠に置く名もなき人達。異国の女医だった女性は倒れていたハロルドを自宅で介護し、ボロボロの足を治療し、彼女の元を去ったパートナーの事を話しながら彼にナップザックに必要な物を入れて、ボロボロの靴を渡すのである。
-異国の女医がハロルドを優しく治療する姿は、人は自分が悲しき境遇にあっても、他人に優しく出来るのであるなあ、とかなり心に沁みたシーンである。-
・妻のモーリーンも、ハロルドに隠していた事。それは、クイーニーが彼が留守の時に来て"気にしないで"と言う伝言を残していた事である。だが、モーリーンは"自分だけ、救われるなんて。"と言う思いで伝言を伝えなかったのである。
- 前半では、彼女はTVから流れるハロルドのニュースを直ぐに切るが、後半は彼の事を心配し、心優しき隣人レックスの車で彼に会いに来るのである。彼女がハロルドを赦したと言う事であろう。-
◼️ハロルドは漸く、クイーニーが居るホスピスに到着し、彼女に話し掛けるが、病状が悪化している彼女は反応しない。だが、ハロルドは彼女の為に持って来た水晶のネックレスを窓に下げ、帰るのである。
そして、ハロルドは妻モーリーンとベンチに座る。モーリーンは満足げなハロルドに対し、優しくキスをするのである。
ハロルドがクイーニーの病室に吊るした水晶を通した丸い反射光は、優しく彼女を照らしている。それに気付いた彼女は微かに微笑みを浮かべるのである。更には、ハロルドの旅する気持ちを後押しした青い髪の若き女性店員やサラリーマンにも、その反射光は届くのである。
<今作品は自らの過去の人生に悔いを持ちながら生きていた初老の男ハロルドが、元同僚のホスピスに居るクイーニーを励まそうと旅する中で様々な人達と出会い、自らの人生をしみじみと省みながら、徐々に心を再生して行く様を描いた、滋味深く心に染み入るロードムービーなのである。>
歩いていくことの大切さや、親が子にできること
今年207本目(合計1,299本目/今月(2024年6月度)7本目)。
(前の作品 「チャレンジャーズ」→この作品「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」→次の作品「罪深き少年たち」)
さて、こちらの作品。
趣旨としては理解できるし、「小説の範囲では」理解ができるのですが、どうしてもこの手の映画では実話化のほうが何かとお客さんがおおかったようで(この映画は実話ものではない)、そこがちょっと残念でしたが、それは「実話もの以外は全部だめ」ということを意味しません。
誰もが何らか間違えることもあるし、もう最後の力を振り絞って出した手紙に反応して「その(郵便で返すのではなく)直接人に会いに行こう」という考え方は理解できるし、それが実際に届けていくか、あるは郵便物でとするのかは、法律に触れない限り自由だろうと思います。
映画が進んでいくと、もとの家族に子供がいたこと、その子がよくない亡くなり方をしたことも示されますが、そうですね…。国も違う日本の行政書士の資格持ちの立場では、こうした類型の自死をとげる類型は一定数いるので、異変に気が付いた時点でダルクなり当事者の会につなぐなりの対応をしてほしかった点です(特に何もしてない模様?)。
ただそれらも含めての小説でしょうし、そのような自死をとげた子であってもその子が親であること自体は(戸籍などは別としても)残り続けます。その「自死をとげてでも伝えたかった」その子が親である主人公に何を残し、また、どのようにストーリーにからんでいくのか…といったところです。
なお、若干ながらイギリス英語を聞き取ると有利な点があることを確認していますが、大きな面ではないので、フルスコアにしています。
犬は何故ついてきたのか
途中で野良犬が旅の共に加入してついてきたけれど終盤、別の女性についていってしまってお別れしてしまった。
あのワンチャンはご主人を探していた迷い犬だったのだろうか?
真相は全く分からないが、ワンチャンには最後、救いがあったと信じたい。
息子さんが酒とドラッグに溺れた真相が分からないまま話が進むが、ハロルドさんは息子さんが大学で何があったのか突き止めようとはしなかったんですね。
その辺の切っ掛けの部分は謎のまま話が進むので、ちょっとモヤモヤは残りましたがこの映画の本筋から逸れるからカットされたんでしょうか。
大学で交友関係が広がると悪い人間に騙されて…みたいなパターンなら分かるけど、大学でうまくいかないだけで酒とドラッグに逃げるのはちょっと理解しづらかったかな。
奥さんが「私たちは仮面夫婦だった」って言ってたけど、旦那が突然旅に出て怒り狂ってる時点で愛があるじゃん…とツッコミ入れながら観てました。
仮面夫婦なら「よっしゃ!旦那が暫く不在になる!」ってガッツポーズ取るよ。
愛が冷めてる訳じゃなくてただ拗れてるだけなのに、意外と本人は気づかないもんなんですね。
待ち時間を潰す為に予定外に観た映画でしたが、意外といろいろと考えさせられて面白かったです。
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