「徒歩のロードムービー」ハロルド・フライのまさかの旅立ち かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
徒歩のロードムービー
私が通っていた小学校は家から4kmくらいあって、小学生は毎日往復徒歩で通学。
通学路の最後の1/4が大きな川の土手で、カンカン照りの夏場、日差しを遮るものもないところ、干からびたミミズを踏ん付けながら、吹きっさらしで真冬の風をまともに受けながら、雨なんか降ると傘をさす手の感覚がなくなって、それでも学校へ行くにも家に帰るにも歩くしかないので黙々と歩くんだけど、その時に子供ながら悟ったことは、足を前に出し続けさえすれば、いつかは目的地に着く、ということ。
そして、ひとりでなら歩いている時間はそっくり「思考」の時間になる。
ハロルドは自分の中でもやもやしているものをひとりでじっくり考える時間を得た。
「歩く」ことの肉体的苦痛は、息子のこと、クィーニーに自分の罪をかぶらせてしまったこと、その恩返しもできていないことなど絡めて、そのまま自分への「罰」だったのかも
思考が進むにつれ彼は便利な持ち物を全て奥さんに託し、本物の巡礼の修行僧のようになってしまった。
ハロルドがひとりで勝手に出ていって大分自分勝手だとは思ったが、車で追いかければすぐ見つかるのに、なんだかんだ言い訳して追いかけようとしない奥さんの方にも、ひとりになることでたっぷり思考の時間ができた。
ふたりとも、半端にくすぶっていた様々な葛藤を自分の中で十分に熟成、あるいは発酵させて、ある程度の「真理」に行きついたよう。
ハロルドの行動は確かにクイーニーを助けることはできなかったが、死の直前の彼女に生きることへの張りをもたらしたし、道中で出会った若い同性の恋人がいる紳士、移民の元医師の女性、ガソリンスタンドのお姉さんに、クイーニーへのプレゼントのガラス玉の反射のように、人生に些細なきらめきは残してくれたようだ。
小さい「いいこと」がある人生は、ないより100倍も良いと思う。
息子に似ていると思って目をかけていた若者に裏切られ、しょぼい犬にも捨てられ、がっくり気力をなくして、妻に泣き言の電話を掛けてしまう気持ちは分かる。そんな日もある。
年寄りだからと言って何でも達観しているわけではない。
生きている限り、人生の「途上」なのだ。
隣人も含め、出会った人々が親切で良い人が多くてほっとした。
メディアで取り上げられた途端に有名人になり、勝手に一緒に「巡礼」してTシャツなんか作るミーハー集団なんかも現れたが、よくある「持ち上げて落とす」マスコミの餌食にはならなかったようで良かった
ゴールについた彼は、相当臭ったと思う。
クイーニーに会う前にお風呂に入って身だしなみを整えられるくらいのお金やモノは取っておけばよかったのに、と思った。
かばこさん、共感とコメントありがとうございます。
小学生が4㎞歩くのはかなりキツかったのでは。 往復で8㎞。
雨ニモ負ケズ を実践されていたのですね … @_@
>生きている限り、人生の「途上」なのだ。
良い言葉です。・_・ 正に金言。
小学校まで4kmって結構ありますね。
時に皆さんのレビューに、小説のように素敵だなと思うことがありまして、かばこさんは大変だったと思いますが、最初の段落…良いお話を聞かせていただきました。いつかは目的地に着く、思考の時間、身体的には大変でも、大事な時間なんですね。
共感&コメントありがとうございます。
奥さんの方にも時間が、目から鱗でした。カーテンを引きちぎったり結構苦悩してましたが。
最初、悠々? と旅していたのがちょっと珍しかったです。