大きな家のレビュー・感想・評価
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敢えて日常から表現される施設
児童養護施設の子どもを被写体に、7歳、11歳、そして施設を出ていく年齢の18歳、卒園後の19歳と、少しずつ成長した子どもにカメラを向けていく。同じ子を追いかけていくわけではないが、施設を巣立つ若者の成長を見届け、祝福するような構成といえる。
小学生の女の子はクラスになじめず、やっと友達ができた様子を涙もろい施設のスタッフが親のように見守る。思春期の男の子たちは、初めて美容院で髪を切り、互いに彼女がいるか気にするなど、ちょっと色気づいた様子。施設を出ていく女の子は名残惜しいのか引っ越しの荷造りが進まない。卒園後の男の子も言い訳を用意して施設に戻ってくる。
このように、大人ぶって施設に頼りたくない時期、頼るべき時期、頼りすぎてしまう時期もあるだろうから、バランスよく子どもの気持ちを満たすのが難しいだろうと思った。
どの子も施設は「実家」でなく、あくまで「施設」。スタッフはお母さんではなくて「おばさん」。「血のつながっていない人を家族とは思えない」。「友達は一緒に住んでいる他人」。そんなドライな言葉を残す。それが子どもの過酷な環境をさりげなく伝えているのか、ちょうどいい言葉がないだけなのか。
子どもとスタッフとの関わりは、言葉ではなくふとした場面に描かれており、スタッフのような料理を作れる仕事に就きたい、初任給が出たらジュースをシスターにおごりたいといった関係に心和む。
監督の舞台挨拶つきで鑑賞した際、一人ひとりにビデオレターを贈るような気持ちで制作されたとお聞きした。確かに卒業式で上映される思い出ビデオを見ている感覚に似ている。個人的にはアクティブな雰囲気を過剰に演出するような音楽や、それぞれの子にコメントを取りにいくような作り方にやや居心地の悪さを覚えた(もちろんそれが見やすさにもつながっているのだが)。
冒頭に出てくるようなスタッフ側からの視点から締めくくるなど、映像集にとどまらず、施設という場所をトータルに考えさせるメッセージがもう少しあればと思った。
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