大きな家のレビュー・感想・評価
全10件を表示
ただただ主題歌が最高だった。
予告で見て気になったので見てみました。テーマというか舞台にしてる場所からのイメージですごく重いものを想像していました。たしかに冒頭はそのような話から始まります。
しかし内容的には児童養護施設という括りというよりかはある数名の子供や若者たちの生活やそこに対する思いを映し出すものでした。わりと幸せそうな画が多いです。これはあえてそういう感じにしてるのだと思います。作中で彼らがどういう生い立ちでどんな悲しいことがあったのかはほとんど語られることはありません。でもきっとあの笑顔の背景には彼ら彼女らが抱えてきた何かがあるのでしょう。私としては正直その辺りが見たかったという思いがあります。
なので、そのあたりを期待してる方は見ない方がいいと思います。
今作は出演者にボカシもなく顔出しで出てることもありそういったことは出さないということでやってるので仕方ないと思います。
私も正直コレジャナイ感がありましたが、それでも見ていて嫌な気はしない作品でした。
に、してもどの方もお子さんもそうだったけど本当はこの人ら役者さんなのかな?ってくらいお話しや感情表現が上手でよくない言い方かもしれませんがいわゆる彼らの人生の中に「普通ではない」何かがそれぞれあったからなのか精神的な自立度が高い方々だなと思って見ていました。
そんな今作で1番良かったと思っているのはハンバートハンバートさんの主題歌。
この主題歌がすべてを持っていくというか、ものすごい多幸感溢れる楽曲でめちゃくちゃ良い曲だな〜と思ってなんだかあたたかい気持ちで劇場を出ることができました。
戦災孤児院から委託養護施設への変遷
90名の入所者に対して112人の職員で24時間年中無休。なかなか手厚い。
素晴らしい職員の人たち。ご苦労さま。ありがとう。ワタシも厨房のおじさんには胃袋つかまれた。
塾にも行けるし、リトルリーグにも入れてくれる。
お年頃になると広い個室も与えられる。
うちの子供部屋の3倍は広い。
申し訳なくてうちの子供には見せられない😅
両親の離婚で片親になった親が預け、また再婚し、ますます引き取りにくくなったケースが多いように感じた。
帰れる実家があると思っている子供の現実にも様々な違いがありそうだ。
学校の同級生から根掘り葉掘り聞かれる前に自分からここがオイラの家だ。大きいだろうと言うんだと言っていた少年のなんとけなげで、いじらしいことか。あの少年は本当に吹っ切れていたのかな?でもそれは誰にもわからない。
国と都から援助があって運営しているそうだが、お金を払える親からは養育費を貰っているのだろう。いずれにしてもおとなのエゴが撒いた種。なんだかな〜って気持ちになった。
オイラの税金が役にたって欲しい。ふるさと納税みたいに使い道を指定できればなあ。
寮長先生が施設を出てから世間に胸張って言えるようになるケースは5割に満たないと言っていたから、この映画に顔を出している子供たちや職員はさしずめエリートたちなのだろうと思う。
ネパールの児童養護施設研修旅行は映画スタッフが企画したのか???ネパールの子供たちは(人身売買や臓器売買の危険から逃れて暮らせて)幸せだと胸張って言っていたが、それが羨ましいんだと言っていた彼女。俯いてスマホしか見ないで、人の目を見ない日本人社会は彼女が感じる不安や孤立感を増幅させるのだろう。遊園地に就職していった彼女が俳優志望のシャイな弟分に連絡しろよ〜って引っ越しトラックから叫ぶシーンは泣けた。
職員の女性と目がそっくりで依存関係にある高校生の女の子が心配だなぁ。歌舞伎町で悪い男に引っかかるなよ。
見たままを見る
激しい感情のぶつかり合いや暴力的な状況があるのかと思ったが、ほとんどなく、それは先入観だった。自分の誕生日に親に会うのを楽しみにしていた子供だが親の都合でキャンセルになり、、見てる方が辛くなって叫びそうになった。
知ることからはじめたい。見てよかった。
自分の境遇に対する向き合い方が多様
年末の休日にいつもの映画館で
木曜日で終わるので駆込み
結構入っていた
スクリーン鑑賞は
前回の室井後編以来だ
なんとなくテーマはダブるが
こちらはドキュメント
フジテレビの日曜14時くらいにやりそうな内容だが
テレビと異なり情報は少ない
こちらは様々なことを想像しつつ観る
別に知らなくてもいい
今日入口で配られたチラシには
> 子どもたちの持つ家庭事情などには具体的に言及せず、
> ただ今を生きる子どもたちの発する声や
> 心の動きに焦点を当てています。
とあった 共感する
出てきた子はいい子ばかりで
応援する気になったし もらい泣きもした
自分の境遇に対する向き合い方が多様で
ひたすらポジティブなタイプがいたり
学校で施設の子に会うと微妙なんてことも
卓球部のオリンピック話は結構笑った
冒頭のシーンで語られていたように
道を踏み外す子も少なくないと
それが現実だし人間の奥行きだろう
あ ネパールも出てきたな
かの国では施設で一緒の子は当然に家族とか兄弟
一方日本では違うというのが 興味深い
文化の進み具合のような気もする
どちらがいいということでもないと
20年くらい前だったら
施設の子は家族・兄弟ですと
言わねばならない空気だったかも
百名山山登りもよかった
日本という国がちゃんとしたいい国だと
再確認できた気がした
皮肉でなくて本当に
長かったが
この人数を描こうとしたら必要かなと
今年の最後としては上々の良作だった
「家」にこだわらなくても良いのではないか
本作を紹介するニュース番組に、プロデューサーを務める斎藤工氏が、訪問した施設で出会った子どもの表情に感じた後ろめたさのあったことを話していた。これまで観た児童養護施設を舞台とした作品として、『隣る人』というのがあり、当時放映されたドラマ"Mother"における施設の描き方への反証という位置づけもなされ、様々な困難を抱える子どもたちに親身に寄り添う姿勢のある職員たちの姿を丁寧に取り上げていた印象がある。本作でも、同様の職員たちは描かれている。にもかかわらず、取り上げられる子どもたちは口々に、施設は家ではない、家族ではない、と言う。題名とは齟齬があるのではないかいう思いが募った。最後に取り上げられた、卒園した19歳の人が、自分の可能性を追いながら、時々施設を実家のように思って訪問する姿であった。そこでようやく題名が回収されていた。近年放映されたドラマ『ファイトソング』では、施設長の年齢が卒園した主人公たちと近いせいか、「家」ではないけれども親しみ易い場所や人という位置づけだったように感じた。
血のつながりがなくても家族だ、という言い方がよくなされるけれども、子どもたちには必ずしも理解するのは容易ではないのだろう。家族ではなくても、共同体としての故郷という位置づけでも良い気がする。もちろん、長い時期を過ごしても、故郷と感じられず、戻りたくないと思う人がいて当然であろう。施設も、家ではなく、「故郷」で良いのではないだろうか。斎藤氏が伝えたかった意図を上手く受け止められたとはあまり思えないけれど、児童養護施設には、様々な思いを抱いた子どもが生活し、社会に出て行っているということは確かなことなのだろう。
淡々とした暮らしの中にある複雑な思い
児童養護施設は、おおむね2〜18歳之子どもたちが暮らす施設。
批判も否定もすることなく、ありのままの生活を知ってほしいという映画。
生まれも
性別も
年齢も
育った環境も違う子どもたち
その子たちが、自分の言葉で思ったことを話します。
まず、こういう子たちがいることを知ってほしいと思います。
子どもたちが話した言葉をそのまま受け止めてほしいです。
施設に暮らす子たちは、むしろ幸せなのかもしれません。
冒頭、施設職員が話した自立後の子たちの困難さ…半分の子たちは挫折を味わっていることに、むしろ目を向けてほしい。
あくまでドキュメンタリー
とてもデリケートな作品で、配信はしない
パンフに色々と注意書きがある。
そういう中で何を映画に込めるのか?
と言ったらこういう形になるのではないだろうか。
「子供達の本音を聞き出す」
映画としては特に楽しくも無く、感動的な盛り上がりも無く
淡々と終わっていきます。
あとは受け手の想像力なのかな?
実は、施設の子に関わっています。
ボランティアです。月一外出サポートです。
小学校1年生から8年間、動物園にいったり、果物狩りしたり
うちに来てテレビゲームやったり、ご飯作って食べたり。
18歳になったら自活しないといけない。
そのあとはどうかかわれるのか?心配は尽きません。
映画の中では、家庭の事情で施設に入っている子が
多かったですが、身寄りのない子も当然います。
今サポートしている子の事情も知っています。
月1回だけの付き合いです。当然家族にはなれませんし
「家族と思ってね」なんて言ったことは一度もありません。
ただ、両手を繋いで歩いた記憶だけを与えてあげたかった。
以下秘密事項
施設はここ数年来の改修&新築工事でかなりきれいになっています。
一日密着取材されたのに、1秒も使われてなかった(笑)
お守りになるような作品
児童養護施設の日常と子供達のありのまま
の姿の映画。
子供達の純粋で繊細、ストレートな言葉遣いなど
正直な気持ちは美しい。
切ないが思いやりがあり優しい世界。
何が凄いって、家庭の事情を言及せず
発する言葉を拾いモザイクもかけてない
所。色々な方向性からの気持ちや意見も
取り入れてるはず。
子供達の視点から見ている社会や家族の
ありかたが鋭くて切ない。
特に普通とは違うと言う言葉が。
同じ児童養護施設のネパール
での体験と経験。
考え方と文化の違いが印象深い。
今後の生きていく上で必要な糧になるのかも
しれない。
家族でもない、他人でもない。
帰る場所、帰れる場所の大切さ。
知見が恥ずかしながら広がりました。
守るという幸せも込めて
沢山の方々に観て欲しい。
どう観たらいいのか・・・
冒頭の施設スタッフさんのインタビューで、施設を出たあとしっかり貯金をして自立している子もいれば、生活が破綻してしまったり犯罪を犯してしまったりみたいな子もいて、きちんと自立できている子は半数くらいかな?みたいな語りがあったので、ずっとそれに引っ張られすぎてしまったかもしれない。
実際に登場した子どもたちは皆、それぞれ心に闇の部分を抱えつつも、施設に適応した生活を送っているように見えたが、これらの子どもたちも施設を出たあとの自立は容易ではないのか、半分は破綻してしまうのか・・・といえば、決してそういうことではないように思える。とはいえ、ではこの施設にはここに登場した以外にもっと破綻しそうな危なっかしい子どもたちもいるのか、といえば、それもちょっと違う気がする。
実際に登場した子どもたちがどのような境遇でこの施設にたどり着いたのか、詳細は語られず(それは当然仕方のないことではあるが)、施設のスタッフや園長先生の気持ちも語られないなかで、淡々と子どもたちの生活場面が流されていく。もちろん、こういう子たちが居るんだなと感じることは大事だと思うが、それをどういうふうに受け止めたらよいのか、結局最後までもやもやしたままだった。
ただ少なくとも、ここの施設の子どもたちは、施設スタッフのあふれる愛情の下で暮すことができ、経済的不自由も少なそうで、かなり恵まれているんだろうなと。こういった施設の多くでは、もっとギスギスした、過酷な環境に置かれているのではないかと、そこは容易に想像できるところであり、そこに思いを馳せるとどうにも暗い気持ちになる。
敢えて日常から表現される施設
児童養護施設の子どもを被写体に、7歳、11歳、そして施設を出ていく年齢の18歳、卒園後の19歳と、少しずつ成長した子どもにカメラを向けていく。同じ子を追いかけていくわけではないが、施設を巣立つ若者の成長を見届け、祝福するような構成といえる。
小学生の女の子はクラスになじめず、やっと友達ができた様子を涙もろい施設のスタッフが親のように見守る。思春期の男の子たちは、初めて美容院で髪を切り、互いに彼女がいるか気にするなど、ちょっと色気づいた様子。施設を出ていく女の子は名残惜しいのか引っ越しの荷造りが進まない。卒園後の男の子も言い訳を用意して施設に戻ってくる。
このように、大人ぶって施設に頼りたくない時期、頼るべき時期、頼りすぎてしまう時期もあるだろうから、バランスよく子どもの気持ちを満たすのが難しいだろうと思った。
どの子も施設は「実家」でなく、あくまで「施設」。スタッフはお母さんではなくて「おばさん」。「血のつながっていない人を家族とは思えない」。「友達は一緒に住んでいる他人」。そんなドライな言葉を残す。それが子どもの過酷な環境をさりげなく伝えているのか、ちょうどいい言葉がないだけなのか。
子どもとスタッフとの関わりは、言葉ではなくふとした場面に描かれており、スタッフのような料理を作れる仕事に就きたい、初任給が出たらジュースをシスターにおごりたいといった関係に心和む。
監督の舞台挨拶つきで鑑賞した際、一人ひとりにビデオレターを贈るような気持ちで制作されたとお聞きした。確かに卒業式で上映される思い出ビデオを見ている感覚に似ている。個人的にはアクティブな雰囲気を過剰に演出するような音楽や、それぞれの子にコメントを取りにいくような作り方にやや居心地の悪さを覚えた(もちろんそれが見やすさにもつながっているのだが)。
冒頭に出てくるようなスタッフ側からの視点から締めくくるなど、映像集にとどまらず、施設という場所をトータルに考えさせるメッセージがもう少しあればと思った。
全10件を表示