ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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目線と表情と、吃音
まず第一印象としては、抜群の雪景色と雪解け後の自然豊かな田舎風景、スケートリンクとスケーターの華麗さ、男の子の淡い恋、どのシーンも最高に絵になるし、たいへん綺麗でした。
ただ、綺麗という一言ではこの映画を全くもってまとめきれない、繊細で、非常に奥深い、見応えのある映画でした。
この映画はセリフよりも「目線や表情」で観客に強く語りかけてくる作品でした。
まず、この映画の時代設定はおそらく、スマホではなくガラケーである事や、ブラウン管のテレビやカセットテープが使われている事、荒川がスケーターの頃の写真を収めたカレンダーが1993年となっていた事や小学校のクラスの後ろの壁にあった皆んなの書き初めが「税金」であった事から、消費税が3%から5%に上がった97年ごろではないかと考えられる。(追記、荒川と五十嵐が食事してる場面、荒川とさくらの母親が事務室で話し合っている場面の後ろに写っていたカレンダーから95〜96年の出来事だと概ねの予想がついた。
追記、インタビューで2001年ごろの設定と仰っていました。)
この時代設定が物語後半に於いて非常に巧く機能する。
物語前半は、タクヤがリンク際で、ふと顔を見上げだ先にいた、さくらに目が止まる。その瞬間、タクヤの目にはさくら以外の人が見えなくなり、幻想的な光が射し、華麗なスケート姿に目が釘付けになり、絵に描いたような一目惚れをする。
そして次に、個人的には最も深く印象に残った、タクヤが初めてスケート教室に体験?(追記、体験ではなく、アイスダンスとホッケーの合同練習だったと考えられる)に来たシーンである。
荒川はコーヒー片手にタクヤを気にかける様子で見て、タクヤは、周りは滑っているなか棒立ちで、まさに目を奪われた状態で呆然と、たださくらだけを見つめる。そして、さくらは練習の最後の決めポーズをして、荒川がこっちを見てくれていると期待しながら振り向くと全く違う方向に顔を向けている事が分かり、落胆した様子で肩を落とし、観客に背中を向け、みんなが滑っている輪の中に加わろうとする。
荒川はタクヤを見つめ、タクヤはさくらに見惚れ、さくらは荒川を見るという視点の切り替えが非常にスムーズで見事なまでに綺麗で、あのワンシーンで三人の関係性を一瞬にして示した圧巻のシーンであった。
また、荒川は後々に真相が分かるが、上記のシーンでさくらの練習中にも関わらず、タクヤの方ばかり見る。
また、教室が終わってもなお一人で残り、必死に練習しているタクヤを遠目から柔らかな笑顔を浮かべながら眺める。
さくらに関しては、序盤に荒川と母親が話している様子を車のサイドミラー越しに荒川だけを見つめる。それも母親が車に乗ってくるまでずっとである。また、湖での練習を終え車で帰る際に、喋りかける事もないのに荒川の運転している横顔を少し見る。そして街中で荒川の車を見つけ、若干の笑みを溢しながら小走りで駆け寄ろうとする。
これらのシーンから、さくらは確実的な好意が含まれている感情を荒川に抱いているのは十分に伝わってくる。
上記のようにセリフが無くとも、三人の関係性が視点と表情だけで見事に表現され、素晴らしい演出の数々を写してくれた。
そして後半、さくらは荒川が同性愛者だと知るところで物語の大きな転換点を迎える。
これもまた、うまい演出で物語序盤から中盤まで、荒川と五十嵐の仲は恋仲であるかは確定的ではなかった。所々匂ってはくるのだが、めっちゃ仲の良い友達、もしくは兄弟や親戚とルームシェアしている、という線も捨てきれずにいた。
ただあの車内での、頬を触ったり、アイスの分け方は完全な恋人同士のイチャつきで、恋仲である事が確定的になる。(ただ、観客はダブルベットであることや、ベランダのシーンで五十嵐が荒川の肩に顎を乗せ、タバコを一服欲しがるシーンでほぼ確定的にはなるのだが)
荒川が同性愛者だと分かったさくらは、時代的な意味でもショックが大きかった事を想像するのは難しくない。
「時代的な意味でもショック」と言うのは、決して差別的な意味では無く、LGBTQの認知が広がったのは(体感であるが)ここ10年くらいの出来事ではないかと思う。
人は往々にして理解、認知の及ばない事柄は、歴史の流れからも分かる通り拒絶、排除してしまうモノであると思う。
だから96年〜97年当時のLGBTQに対しても、現在ほどの理解や認知が及ばなかったのではないかと思う。(当時を生きていた訳ではないため、見当違いでしたらすいません)
また逆にさくらの視点で荒川を見ると、前半のシーンにあった練習の最後の決めポーズも見てくれず、やけにジャンプやらスケーティングなどのエコ贔屓に近い扱いを新入りの男の子にしており、荒川からの提案で急に入ってきた初心者の男の子とペアを組まされ、荒川達がイチャついてた車が自分の目の前を通った直後のシーンで、荒川とタクヤが並んでストレッチしている姿を眺める場面へと至る。
眺める場面までの出来事を組み立てると「女のスポーツを男にやらせて楽しんでるんですか?気持ち悪い」と邪な発言ではあるが、さくらが拒絶してしまう事は分からなくはない。その発言が「良いか」「悪いか」ということは置いといて、その考えに至るのは「仕方がなかった」のではないかと、情報を少ないながらもしっかりと絶妙に描かれていた。
少し脱線するが、それら行為を現在の価値観と擦り合わせて、私たちの物差しで、さくらは「加害者」ではあるかもしれないが、「差別する者」と位置付け非難してしまうのはやや傲慢な気がしてしまう。
さくらが荒川へ抱いた考えは否定しないが、ただ発言するという行為自体は、もちろん全くもって肯定出来ない。むしろ強く否定していかなければならない。それは過去から先人達が学び現在までに繁栄しくれた、または教育してくれた賜物であるし、感謝すべき事だとも言える。
そして自分は純粋に少年の恋を応援していただけだと思っていたが、さくら側から見るとそう見えてしまっていた、かもしれないという疑惑からの先の発言に答えるかのように、荒川は「羨ましかったんだ。ちゃんと恋してるのが」と吐露する。
荒川の言う「ちゃんとした恋」は今まで出来てこなかったであろうし、もし荒川がタクヤぐらいの年齢であったなら、同性愛はまず周りからは受け入れられなかったであろう。下手したらいじめなどの排除の対象にもなっていたかもしれない。だから「ちゃんとした恋」をしているタクヤを羨ましいと言った気持ちも理解できる。
それをあの短い一言のセリフと物悲しい表情で表していたのは圧巻の他言いようがない。
またタクヤとのキャチボールのシーンで「タクヤ、ごめん」と若干の涙目と声を震わせながら言う。その発言でボールのことも含まれているが、これまでの行いに対しての謝罪だと一発で分かる。あそこに池松さんの俳優としての凄さが十分に感じ取れた。
また、荒川がドライブする何気ないシーンにも音楽がかかるのに、前半で印象的だった各々の視線がすれ違うシーンと物語の転換点である車内でのシーンは音楽がかからずに、この映画の中でもたいへん際立った場面へと、より昇華していたのではないだろうか。
また、逆にこの映画の純粋性が最も高められていた、湖での練習のシーンは「going out of my head (君に夢中)」という曲が鳴り響き、周りの音は一切しない。
緩急が凄すぎる。度肝抜かれた。脱帽。
また瑣末な事ではあるが、登場人物の映画の本筋とは関係ない些細なセリフが良い。
食事中に母が「タクヤ、左手」と注意した事や、ガソスタで「社長」と声をかけ、「うぜぇーw」と返した所、車内で肉まんを食べる時に「いただきマンモス」と言って肉まんを頬張った場面。どれも似たような事を言われた事もあるし、言った事もある。
セリフが説明的では無く、演技してる役者と言うよりも、普段いる人間を写しているかのような気がして素晴らしかった。
ただ少々分からない点もあり、タクヤの父親も吃音を抱えていた事。これに関しては意図がよく分からなかったうえに、必要性も感じなかった。誰かこの意図が分かる方がいたら教えて頂きたい。
また、後半は主に荒川を軸にした物語なのに、結末はエンディングの歌もあいまってタクヤの吃音に軽く戻り帰結する事。荒川を軸にしたまま、船の上での汽笛を聞きながら終わるというエンディングでもよかったのではないかと少々感じた。(もちろん今作でのエンディング、春のあたたかな風景と、タクヤがさくらに何か言いそうな場面で終わるのも、最高によかった)
まぁでもこれまで書いた通りに、卓越した脚本と演出、自然なセリフと演技とで、たいへん素晴らしい見応えのある最高の映画でした!!
追記、パンフレットが非常に可愛らくて、素敵です。ぜひ買う事をおすすめします!
以下、この映画と自分の事を多分に踏まえて書いています。
首を上下にリズムを取りながら発話したり、言葉の一音目を連発した後、一音目を伸ばしながら言葉を発したり、一音目が出た後は割とスラスラと言葉が出たりとタクヤの吃音の演技が大変素晴らしかったです。
僕自身、幼い頃から吃音を抱えていまして、今はだいぶマシにはなったのですが、まだ発音しにくい行があったり、人の目を強く意識してしまうと吃音が出てしまったりと日々苦労しています。
これは吃音症あるあるだと思うのですが、人と喋る時は発音しやすい言葉を選んだり、タイミングや抑揚を付けながら話したり、また発音を手助けしてくれるルーティンにも近いような動作をしながら喋ったりと、割と自由度が高くまだマシになるのですが、それらを全て制限されてしまう音読の時間は本当に苦痛でしかありませんでした。そして、音読のシーンの周りの反応がリアルでした。小学校低学年の時は笑われるんです。ただ、小学校高学年くらいからは周りも理解、または慣れからか、笑われなくなるんです。むしろやけに静かになって、危険物を扱うかのように教室全体の緊張感が増すんです。
それをタクヤが音読をしている姿のアップから、小さな笑い声も一切ない静かな教室を引いて写すという形でしっかりと表現されていて非常にうまいなと感じると同時に、当時のトラウマ的記憶も蘇り、昔の自分と完璧に重なって辛くなってしまいました。
また、吃音持ちとして印象深いシーンがあります。
それは、荒川とタクヤが初めてちゃんと会話をした、スケート靴を貸した時です。
「あげるんじゃないよ、貸すんだよ」とスケート靴を差し出し「使い方分かる?」と聞いた後に、吃りながら「ホッケーの靴と似てるから」とタクヤが答えます。
僕自身の経験上、その後の返しは吃音を気遣うような「大丈夫?」とか「そんな緊張しなくて良いよ」「ゆっくりで大丈夫」などの声がかかります。
僕としては、そのような反応は相手から自分への最大の配慮がなされていてありがたいのですが、おこがましいことに、やっぱり「自分の喋り方は変で、気を遣わせてしまうよね」と自覚してしまう瞬間でもあるのです。
それを荒川は特に触れずに(時代や認知度の低さから初めて吃音症に接したかもしれないという状況の中で)何かを悟ったような顔とコンマ数秒の間をおいて、受け入れるかのように「そうだね」とだけ返します。
そこの場面で、荒川という人となり、受容度の高さが垣間見れる非常に優しい良質なシーンでした。
上記のように、友達やコーチなどの登場人物が特に吃音に触れる事もなく、逆に過干渉的な行動や哀れみの目を向ける事もなく、また制作側の健全に話せる人達のエゴ的な偽善や、タクヤに何か成し遂げさせて美談に仕上げ商業的に消費するような事もせず、ただ淡々と吃音を抱えるタクヤを映していたのが、会話をしていてつっかえた時に待っていてくれた、自分が言いたい言葉を察してリードして少し言葉を言ってくれた理解ある友人の様な安心感というか、そっと寄り添ってくれ、ただ肯定して、励まされた気がして嬉しい気持ちになれました。
だからこの映画を作ってくれたことに感謝を申し上げたいです。
ありがとうございました。
ハンバートハンバート
元々ハンバートハンバートが好きで、
この「ぼくのお日さま」も、
コピーとかカラオケとか歌ってました🎤
「虎」「横顔しか知らない」
とかも良い曲だし、
往年のヒット曲をアコースティックでカバーしてる曲も多数あり、米米クラブ「浪漫飛行」大江千里「格好悪いふられ方」などもお勧めなので、是非聞いてみて下さい🙏
今の人たち、大江千里なんて知らんだろうなあ💦
あ、映画の話😅
タクヤとサクラがぎこちないダンスから、
コーチが居なくても2人で練習する所、
そこで拍手するタクヤの友だち、
あそこからずっとウルウル🥹
凍った池での3人の練習?戯れ?
あんな多幸感溢れる映像は
間違いなく今年一番👍😭
確かに敏感な思春期だと、
男同士のイチャイチャは受け入れられないだろう。
でもサクラは、タクヤの事は悪く思ってないだろう。
ラストは色んな事思わせる。
やられたー😱
サクラ演じた中西さんは、
今後本当の競技の方でも出てきそうな技術と、
抜群のビジュアル😍
タクヤは偶に女の子にも見える位だから、
女子人気出るだろうな👌
池松の配役は抜群👍
元フィギュアの選手っぽい。
若葉がまさか出てるとは意外でした😳
でも適役でした。
冒頭の話含め、
真っ先に観ようと思ってたのに、
上映回数が少ない❗️💢
「ス○○」とか減らしてもっとやって❗️
心の小箱に そっと大事にしまっておきたい
エンドロールで 号泣しました。エンドロールの少し手前あたりで 泣きそうになっていたのですが、エンドロールで 涙が出てきて 歌詞の最後で 涙が止まらなくなりました。
出演者が みんな いい!!!
舞台となる スケートリンクに 陽差しが入るのも いい。
湖のスケートリンクにも 憧れます。
パンフレットを読んで びっくりしたのですが、撮影は 湖のスケートリンクから 始められていたとの事。
あの 柔らかな わきあいあいとした 心弾む雰囲気を 引き出せたのは ひとえに 池松壮亮さんの 温かく静かな包容力が 深く大きかったからなのだなぁと 感じました。
言葉を呑み込んでいる人たちの物語
三者三様に、言葉を世界に向けて発することのできない人たちのお話でした。
タクヤは吃音で、実際に言葉が出にくい。
さくらは親にもコーチにも自分の気持ちを伝えられない。
ヒサシはおそらくあの町では口にできないセクシャリティと、それを直感によって悟られたことがもたらした誤解(彼は小児性愛者ではないので完全に誤解)を解けないまま街を出ていく。
吃音や同性愛が「取ってつけたような設定」であるというコメントがありましたけど、テーマを上記のように捉えればむしろ必然性のある設定ですね。
前半はむしろさくらが不憫に見えたのですが、呑み込んでいた言葉をようやく発する時が来たと思ったら、まるで異なる形で出てしまうという悲劇。
それも、何が原因で誰が悪いとも言えないような形で……
タクヤや友人があまりにかわいいのでそれだけで泣きそうになりますけど、しかし表面的にはそこまで悪意に満ちた人が出てこないのは、悪意は発する本人も予期せぬところで現れて人間関係を壊してしまうという世界の不穏さの対比のように思いました。
ラスト、二人の出合い直しになるといいなと思いつつ。
私、この映画は好きですが、かなりしっかりとミソジニーの匂いもすることを付記しておきます。
「美しさと残酷さ」
タクヤは、美しく光り輝きフィギュアスケートをしている少女さくらをうっとりと見つめ続ける。まるでなにかにとらわれたように見つめ続ける。さくらへの憧れから、タクヤもフィギュアスケートを始め荒川の指導をうけていく。タクヤと荒川にはいつしか信頼関係が築かれていく。
さくらのコーチをしている荒川は、さくらにタクヤとアイスダンスのペアを組む提案をしさくらは同意し荒川の指導のもと二人の練習が始まる。リンクには西日が差しこみ綺麗な光につつまれている。まさに冬の「お日さま」を浴びているようだ。そこで二人が手をつなぎ、タクヤがさくらの腰に手をまわし。足を手を振り滑る、シンクロして滑る姿は美しく目を奪われる。二人がうまく滑れたときタクヤとさくらの笑顔、ハイタッチ、心がなごむ。特に川の氷での練習は解放感にみち荒川、さくら、タクヤが一つのチームとなって強固な信頼関係で結ばれ目標であるバッチテストにむかっていた。すべてが順風満帆なとき、さくらは、荒川の「実態」を見てしまう。
多感な思春期にある中学生のさくらには、荒川の「実態」を受け止められない。さくらは、はっきりと荒川に自分の想いを伝え荒川から離れ、タクヤと再びペアを組むこともなかった。荒川もさくらに「実態」を突き付けられたとき、なに一つ言い訳をしなかった。それが「現実」だから。
タクヤはバッジテストに現れないさくらに自分が嫌われたと思う。ただタクヤは吃音で自分の想いをしっかり伝えられない。さくらになぜ来なかった問えず、心ここにあらずにリンクにいる姿が切なく描出される。
奥山監督は光り輝く三人の美しいコラボレーションを見る者の脳裏に刻み付け、吃音障害とLGBTQの「実態」を提示する。さくらの若さが「理解不能」をうみ、単に善悪ではなく、奥山監督の描出するさくらの荒川に対する「拒否反応」が一瞬にして残酷な結末に転じる。この厳しい終焉には輝く光はない。春をむかえても暗澹としたタクヤと荒川の姿に胸をえぐられる。終幕、道で再会したタクヤとさくらの笑顔に救われた。
初恋や憧れという思春期の少年が抱える仄かな想いをテーマに描いた青春グラフィティ、と思わせておいて、実は重めのテーマも抱えた作品です。ラストシーンの続きが気になります。
上映前に流れる「劇場内ではマナーを守りましょう」の映像の
この作品バージョンを観てから、何となく本編の方が気になって
しまい、鑑賞することに。・_・
さあ鑑賞。
舞台は北海道。
野球の練習中、ボーっと立ったままの少年。
目の前に白いものが舞い降りる。
雪だ。
空を見上げる少年の頭上をボールが越えて弾む。
※これだけで、この少年の感性・性格が伝わってきます。
静かで雄弁な人物紹介だなぁと感心。・_・
場面代わってスケートリンク。
アイスホッケーのゴールを守るのは、また同じ少年だ。
相手のシュートが飛んでくる。
プロテクターの無い脇腹にパックが当たる。
ああ、痛そう…
脇腹を気にしつつ道具を片付け、帰ろうとする少年。
視線の先、リンクの中には一人の少女。
今はフィギュアスケートの練習時間だ。
軽やかに滑り、ジャンプ。
華麗な演技に心を奪われ、じっと見つめ続ける。
友人から " もう帰るよ " と声が掛かるまで眺めていた。
次の日、皆が帰った後のリンクの上に一人
昨日の少女の滑りを真似ようとする少年の姿が。
ぎこちない滑り。ジャンプ。転倒。
スピン …のつもりで 回転。トテトテトテ。
そんな少年を見ている一人の男。
フィギュアスケートの少女のコーチをしている男だ。
見知らぬ少年の、フィギュアスケートの演技(?)が
気になっているようだ。
次の日もまたフィギュアの練習(?)をする少年に
コーチが声をかける。
” その靴では、フィギュアの滑りはムリだ ”
” … ”
言葉の出ない少年に、更に声をかける。
” 上手く滑れるようになりたいか? ”
” !! ” ※うん
” この靴を使え ”
” !? ” ※いいの?
” あげるんじゃない。貸すだけだ ”
” …!” ※…ケチ じゃなくて ありがとう
こうして、月謝を貰うわけでもない少年を相手に
コーチのフィギュア指導が始まった。
熱心な練習の成果か、次第に上手になる少年の滑り。
本来の生徒である少女も、少年が気になっているようだ。
そんな頃。
コーチが、少年と少女でペアを組むことを提案する。
” 私はシングルでの大会出場が目標なので… ”
渋る少女に、コーチはこう説得する。
” ペアでの練習は、シングルの滑りにも良い影響がある ”
いざペアでの練習を始めてみると、奥が深い。
相手の滑りを意識したスケーティングが必要になるので
一人で滑る時よりも考えて滑る事が増えるのだ。
ペアでの滑りがサマになってきた頃,コーチが切り出す。
アイスダンスの競技に出るための、参加資格を取らないか と。
その気になり、練習を続けていた二人だったのだが
ある日、少女が、コーチのある場面を見てしまう。
もしかしたら、あの少年に対しても…
急速に冷えていく少女の心。練習にも来ない。
そして、出るはずだった出場資格をえるための資格審査会場にも
とうとう少女はやってこなかった。 あららー。
少女が何を見たのか、気になる方は劇場まで。 ・-・;
…ということで
フィギュアの練習を通して、少年・少女・そしてコーチの間の
心の揺らめきを描いた作品でした。
鑑賞前に予想した程には軽くもない内容の作品で
ハッピーエンドとは言えない終わり方とも思うのですが
それぞれが新しい道に進むのだろうと思わせる、何とも
絶妙なバランスの上に成り立っている作品でした。
鑑賞後も不思議な余韻が残っている感じです。
観て良かった。
◇あれこれ
■舞台の街は何処?
どこなのだろうと、鑑賞しながらあれこれと予想。
北海道? 小樽? 函館? 北見?
ロケ地の地名を見たら、白糠。北海道の太平洋側か。
少年の家。犬小屋は家の外に。 寒くないのだろうかと心配。
※この柴犬クン、良い味出してました。 いいな♡
■お日さまは誰のこと?
タイトルにもある「お日さま」。そして「ぼく」。
少年にとってのお日さまは、たぶん少女。 そして
コーチにとってのお日さまは、少年。
自分に無い美しい演技をする少女への憧憬と
自分が失った純粋な情熱を持つものへの懐古と。
それに浸るだけでは無い、それぞれが前に進もうとすることを
予想させるエンディングだったと思います。
■少し感じた違和感
「男子に女子の振りつけを教えて楽しいんですか?」
自分が食べているものに、相手が口をつける。
自分には見せないような柔らかな笑顔を見せる。
恋人同士がするような行為を男同士でしている場面を目撃したさくらが
コーチにぶつけたセリフ。
同性愛者に対して、思春期の少女が感じた嫌悪感は、まだ分かります。
ただ、フィギュアスケートが女性の競技であるかのようなセリフには
かなり違和感を感じました。(この作品中、唯一の違和感かも)
いつ頃の価値観なのかと疑問だったのですが、パンフを見ていたところ
このお話の時代は2000年ちょうどの頃のようだと分かりました。
(携帯電話も折畳式のガラケーだった気が…)
その頃だと、世間一般の認識はそんな感じだったかなぁ…。
と、フィギュアスケートのペア競技を描いた漫画を思い出しました。
「愛のアランフェス( 作:槙村さとる)」は1980年ころの作品です。
ストーリー忘れました。・-・ もう一度読んでみたい気が…。
■少女を演じた子
13才ですか。若いなぁ。
フィギュアスケートも経験者なのでしょうね。とても上手。
作中でもスケーティングが上手くなる様子が演じられていた気がします。
(少年のスケーティングも、次第に上手になっていくのが分かりました)
清原果耶さんや芦田愛菜さんに少し似ているような気もしました。
今後の確約に期待したいです。
◇最後に
吃音に悩む少年が、野球やアイスホッケーよりもフィギュアス
ケートをやりたいと思う少年の心の機微。そして思春期の少女の
異性に対する敏感な感受性。
さらには同性愛嗜好のある(と思われる)コーチという、色々な
要素が丁寧にぎっしりと練り込まれた、無駄も隙も無い繊細な
ストーリーの作品だったなぁ と。
画面に映ったもの全てが、こちらに語りかけてくる感じで
意味の無いカットが無く感じられるくらいに充実の90分でした。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
圧倒的映像の美しさ
こどもたちのかわいさ、恋人たちの温もり、美しい風景の中にある人間のリアルさや切なさ。綺麗な映像に反して決して綺麗にはいかない現実も描かれていて触ったら壊れてしまいそうな程繊細。雪やスケートリンクに光が反射しキラキラする様子、氷が削れる音、心地良くてずっとこの世界に浸っていたい素敵な映画体験でした 、これは絶対映画館で見たほうが良い!美しい世界観に引き込まれる。
ここからは結構細かい感想↓
びっくりしたのは台詞の少なさ。余白を大事にしたいと台詞を増やすことで他人事のようになってしまう。といっていたのは知っていたが想像してたよりも少なかった。台詞が少ないのでBGM、見るBGM感覚なかんじ!
夜のシーンから光に包まれた朝になるところは、映画の世界がこちらまでに通じているかのようにパッと眩しくなってなんかよかった。北海道の雪、スケート場、寒い映像と連動してるかのように館内も冷たい風なひんやりしていて世界観がリンクしてるようだった
荒川とタクヤふたりの練習風景は息を呑むほど綺麗。この映画すきだなとその時おもった。
サクラの、人を見つめる表情が良かった。
タバコを吸う池松は良すぎた。荒川先生にサクラ惚れてたけどわかるよその気持ち。。
現役時代の荒川の写真を見つめる五十嵐、なんだか色んなことを頭巡らせて切なげな表情がとてもよかった。ヒトシアラカワー!とちょけるシーンは若葉さんの素?!って思っちゃった、当て書きの力もあるのかな。
ベランダのシーン、体ゆすりながらタバコ一口ちょうだいーばりに口開けてる五十嵐!かわいい。本来、「一口ちょうだい」と台詞あったのに、台詞の引き算の判断天才過ぎる。荒川の背中にピッタリと寄り添う五十嵐の多幸感に満ち溢れた表情の良さ😭車内のアイスのシーンもめっちゃ微笑ましかった。池松さんと若葉さんのや恋役良すぎ
ベッドで語るシーンの辛さが伝わる表情凄かった、遠めなカメラワークなのにその距離感で悲しい感情がちゃんと伝わるのすごすぎた。
カマかけたりちょけたり甘えたり行動するのはいつも五十嵐の方で、一方通行なかんじがした、五十嵐とスケート、結局スケートを選ばれたの切ない。自分から背中を押す五十嵐は切ない。結末を思えば今までの振る舞いはとても切なく感じた
【観ていて温かい気持ちになって行く中盤までの展開と、その後のシビアな現実。けれどもヤッパリこの作品は温かい気持ちで観終えるんだよなあ。今作は若き男女の成長と幾つかの別れを描いた逸品だと思います。】
■アイスホッケーのキーパーをしているタクヤ(越山敬達)は、吃音のある男の子。ある日、同じスケートリンクでフィギュアスケートの練習をするサクラ(中西希亜良)の姿に惹かれて行く。
そして、タクヤは一生懸命にホッケー靴を履いたまま、フィギュアスケートの練習をするのだが、転んでばかり。
そんなタクヤの姿を見たサクラのコーチをしている元プロのフィギュアスケート選手だった荒川(池松壮亮)は彼にスケート靴を貸してあげ、コーチをしてあげるようになる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・“ぼくのお日さま”の意味は、色々と考えられると思うけれども、私はタクヤに親切にフィギュアスケートを教えてくれる荒川であり、タクヤがその流麗なスケートをする姿をぼーっと見ていたサクラであり、タクヤの事を温かく見守る家族や親友の男の子であると思ったな。
あとは、ゲイである荒川にとっては、純粋で、純朴なタクヤではないかなとも思ったな。
映像から言えば、スケートリンクに柔らかく窓から差し込んで来る太陽の光かな。
・中盤までは、荒川の指導を素直に聞くサクラがタクヤとアイスダンスのペアになり、楽しそうに練習する姿や、三人が野外の凍った湖で練習した後に、雪上で遊ぶ姿がとても良かったなあ。
・けれども、サクラが荒川が楽しそうにタクヤと接する姿や、荒川のパートナーの男(若葉竜也:この人が出演する映画は、殆ど良いね。)と楽しそうに車の中で戯れる姿を見て、少しづつ不機嫌になって行って、母(山田真歩)の言葉もあり、アイスダンスの昇級試験を無断で休むところから、トーンが変わって来るんだよね。
それは、サクラが女性として成長したという事であるのかもしれないし、ゲイに対する偏見かも知れない。
しかし、奥山監督は第一作の「僕はイエス様が嫌い」と同様に、その辺りの解釈を観客に委ねている気がするんだよね。
<荒川はパートナーと別れ、思い出の湖畔でタクヤとキャッチボールをして、別の地に旅立つ。
そして、タクヤとサクラは少し成長して、見通しの良い一本道で久しぶりに出会うのである。
二人は、そのまま柔和な表情のまま、歩いて近づき、吃音のタクヤが何かを言い掛けて、暗転するのだけれども、私はタクヤはサクラに対して肯定的な事を言ったのだと思ったな。
でなければ、アンナに優しい表情で近付かないでしょう。
今作は、観ていて、温かい気持ちになって行く作品であり、その理由は何といってもタクヤを演じた越山敬達君の柔和な表情と、サクラを演じた中西希亜良さんのポニーテールの似合う姿ではないかなと思ったな。
勿論、池松壮亮さんと若葉竜也さんの安定した演技がそれを支えているのは、間違いないんだけどね。>
愛おしく美しい。
タクヤとさくらが妖精のよう。画角が昔のテレビサイズなのはなぜなんだろう?さくらのフィギュアスケートシーンでの美しさ愛らしさ、タクヤのきれいなくちびるが何かを言おうとしている最後が特に可愛らしく美しい。エンドロールの歌はまるでこの映画のために作られたようで涙ぐみました。池松壮亮さんの演技も素晴らしい。古いボルボもいい感じ。映画館で買ったパンフレットも初めて見るタイプで、やはり可愛らしく愛おしい。早く配信されないかな。繰り返し見てみたい。
さくらに対してひどくない?
3人でドライブ、タクヤが寝てしまい、コーチの荒川とさくらのふたりだけの会話
タクヤだいぶうまくなったよな、頑張ってるよな、さくらのおかげだよ
さくらが不満げな顔をする。
当然でしょう。
コーチが心を砕くのはタクヤにだけですか、そうですか、私はタクヤを育てるためのボランティアなんですか、そんなキモチになると思う。
荒川がさくらにアイスダンスを勧めたのは、さくらもスケーティングが上達するから、とか言ってたのだから、二人になったら当然、さくらはだいぶ表現力が上がったな、とか、どういう点が良くなってるとか、気をつける点とか、さくらに関する話が出て当然なのに、まったくない。タクヤ、タクヤって、私はタクヤにお仕えする身ですか、ふざけんなよ、だろう。
荒川が同性愛者であってもなくても、自分が肩入れする子のために他の教え子を勝手にボランティア指定して充てがうのはNGだ。傲慢だと思う。教え子は自分が向上するためにコーチのもとに通っている。一人が一人として尊重されるのが当然ではないか。
娘がこんな扱いを受けたら、親が怒るのも当然。
しかも娘はスクールでピカイチの実力を持ち、シングルで向上することを自身も願っているのだから、こんなコーチ、すぐさま切りますよ。
さくらの母親が、ヒステリックなステージママのステレオタイプに描かれていてモヤモヤしました。
サクラがアイスダンスを引き受けたのは、明らかに荒川に恋心を抱いているからで、荒川のこの態度には二重に傷つく。
さらに、男性と楽しそうにいちゃつく荒川を見てしまったら、自分は眼中にないのが決定的だし、ひょっとして荒川はタクヤに下心があるのでは、と疑ったとしても不思議はない。
幾重にも傷つけられ、彼女が荒川に不信感を募らせるのは自然の成り行き。
この映画をみて、荒川はさくらの幼い腹いせの犠牲者、みたいな解釈をする人もいると思うが、それではさくらが可哀想過ぎる。
タクヤが吃音だったり、荒川が同性愛者だったりがとってつけたよう。
タクヤ、ビリー・エリオットみたいに、「さくらのように舞いたい」という願望があっただけ、ということはないですかね。
タクヤは何も悪くないので、さくらと再会して嬉しそうで良かったね
風景が美しく、目の保養になりました。
さくらのスケーティングが素晴らしくて見入ってしまった。
でも、私には刺さらない映画でした。
いい作品です。
池松壮壱が、海のはじまりのイメージ強すぎてスカン思いましたが、この作品は良かったよ。サクラは、まだ若いから許せないやね。タクヤもサクラが、来なくて残念。
でもまたなんか始まったらいいよね。
久しぶりに、いい作品でした。吃音にテーマ絞ってないのもいい。サクラ役の方可愛らしいね。これが、デビューみたいやね。
ほのぼの
ほのぼのとした作品。主人公のタクヤとサクラは、スケートがそれなりに上手いと思った。映画の最後、タクヤはサクラにどんな声かけをしたかったのかしら? それが気になりました。余談ですが、スケートの邦画でいえば、1986年倉本聰監督、中嶋朋子、いしだあゆみ出演「時計」があります。スケート選手役の中嶋朋子の成長を実際に5年間かけて撮った作品。「ぼくのお日さま」を観て、「時計」が観たくなり探しましたが、ビデオは廃盤、DVD は未発売。残念です😭
美しくはあるが...
切り詰めた表現ぶりと昭和のような風景に癒やされました。劇中の音楽が少ないことと自然さを大切にした演技には子役の男の子と女の子の魅力がいっぱい詰まっていました。北海道の一都市の何気ない日常風景にもほっこりさせられました。
ただ、話の展開的にネタバレになるのであまり書きませんがみんなそれぞれ傷ついて終わっていくという展開に優しくないなと感じ、釈然としないものを感じました。
吃音であること、同性愛者であること、先生と生徒の恋愛感情などいろいろな問題を提起しながらもそれぞれが解決しないまま、ただ存在することの美しさとともに過ごした時間のきらめきだけが残りました。
それぞれの登場人物のかかえる問題を少しすっきりさせて終わらせてやって、きれい事かも知れませんが胸がキュンとする感じを味わいたかったかな。そんなわけで美しい映画だっただけに少し残念な気持ちが残りました。
今年のベストかもしれない傑作!
役者の方、みなさんが自然で本当に引き込まれる。
映像がまた最高に美しい
アイスダンスというのでしょうか、
初々しく、かつ美しく物語を描いてくれる素晴らしいシーンの連続でした。
男の子も女の子も最高!
お日さまってなんだろうと最初は思いながらみていましたが
スケートリンクや学校など太陽の日差しがとても美しい
言葉にすればするほど野暮になる。
ずっと余韻に浸っていたい。
また見たい。
エンディングがまた余韻を引き取って最高なんですよ!
ぜひ劇場で観てほしい。
そんな作品です。
初々しさが最高!
タクヤとサクラの汚れのない無垢な演技に感動しました。幼少期からスケートの経験があって、これだけの演技が出来るキャストを探すだけでも、この映画の製作者の苦労が伺えます。始まってからすぐに気付きましたが、画面の縦横比がシネマスコープの2.35:1ではなくて4:3か7:6くらいの縦横比になっていたのには、何かしら製作者の意図があったのではないかと考察中。
ラストシーンで、タクヤが笑顔のサクラに自分の気持ちを伝えられたのか? 成長した二人の続編があっても良いんじゃないかと考えさせられる良作でした。
北海道の冬の寒さと対照的な、春のパステルトーンの美しい風景を背景に、 少年少女の幸福に満ちたかけがえのない時間が見事に刻まれている
白銀の北海道の冬の寒さと、対照的な春のパステルトーンの美しい風景を背景に、
少年少女の幸福に満ちたかけがえのない時間が見事に刻まれている。
何より二人の自然な演技が素晴らしい。
そしてそれを引き出した奥山大史監督、池松壮亮、4人の信頼関係が結実した結果です。
まさしくその場に存在した二人の、それも永遠ではない時間。
ちょっとしたことから、もろくも崩れ去る繊細な時間。
しかし、大人の感情とは無関係に、
一人ひとりがちゃんと歩き出す、ラストシーンもまた温かい。
パンフレットの主演3人と監督の対談が、とっても微笑ましい。
撮影中の様子やカンヌ出席のエピソードを語る様子にも信頼感が表れてます。
女の子のスケーティング場面は美しいけれど、エンディングは活かされているのか?
美しくフィギュアスケートを滑る女の子にみとれる不器用な男の子を、女の子の男性コーチが応援しようとコーチを始め、女の子は不満を抱えながらも、アイスダンスの練習に取り組んでいく。男の子は、父親とともに吃音であったが、楽しい雰囲気のなか、コンプレックスは徐々に薄まっていく。アイスホッケー仲間からの冷やかし視線はあった。女の子は、コーチが同性の恋人と一緒の場面もみつけて嫌悪を始め、アイスダンスの試合をすっぽかし、コーチ契約も解除してしまう。男の子は中学生になり、コーチと別れを告げ、コーチは同性の恋人とは一緒ではない。最後に男の子が女の子と道で出くわし、口を開こうという場面で終わる。エンディングテーマで、吃音の悩みが語られる。劇中でもっと描き込んでほしかった。
清らかな作品⛸️🌕
フィギュアスケートが好きなので、その場面がたっぷりあったのが嬉しかったです✨✨
「月の光」がよく合う作品だと思いました。
さくらにしたら、コーチが不潔に見えるのは仕方ない。誰にも彼女を責められないし、もちろん、コーチも、責められてよいはずありません。
それぞれの人生が交錯して、またすれ違っていく展開が自然で、とても現実的な映画だと思います。
タクヤとさくらを演じた二人が、本当にどこにでもいそうな子たちになりきっていて好感を抱きました。
池松さんの声がシブい✨✨スケート未経験だったので半年練習なさったそうですが、とても上手いので驚きました。
そこで切るの⁉️と思いましたが、エンドロールの歌を聞いて納得です。
ただ…豚まんを食べながら運転するのは、やめた方がいいかなと思いました😅
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