ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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心の小箱に そっと大事にしまっておきたい
エンドロールで 号泣しました。エンドロールの少し手前あたりで 泣きそうになっていたのですが、エンドロールで 涙が出てきて 歌詞の最後で 涙が止まらなくなりました。
出演者が みんな いい!!!
舞台となる スケートリンクに 陽差しが入るのも いい。
湖のスケートリンクにも 憧れます。
パンフレットを読んで びっくりしたのですが、撮影は 湖のスケートリンクから 始められていたとの事。
あの 柔らかな わきあいあいとした 心弾む雰囲気を 引き出せたのは ひとえに 池松壮亮さんの 温かく静かな包容力が 深く大きかったからなのだなぁと 感じました。
言葉を呑み込んでいる人たちの物語
三者三様に、言葉を世界に向けて発することのできない人たちのお話でした。
タクヤは吃音で、実際に言葉が出にくい。
さくらは親にもコーチにも自分の気持ちを伝えられない。
ヒサシはおそらくあの町では口にできないセクシャリティと、それを直感によって悟られたことがもたらした誤解(彼は小児性愛者ではないので完全に誤解)を解けないまま街を出ていく。
吃音や同性愛が「取ってつけたような設定」であるというコメントがありましたけど、テーマを上記のように捉えればむしろ必然性のある設定ですね。
前半はむしろさくらが不憫に見えたのですが、呑み込んでいた言葉をようやく発する時が来たと思ったら、まるで異なる形で出てしまうという悲劇。
それも、何が原因で誰が悪いとも言えないような形で……
タクヤや友人があまりにかわいいのでそれだけで泣きそうになりますけど、しかし表面的にはそこまで悪意に満ちた人が出てこないのは、悪意は発する本人も予期せぬところで現れて人間関係を壊してしまうという世界の不穏さの対比のように思いました。
ラスト、二人の出合い直しになるといいなと思いつつ。
私、この映画は好きですが、かなりしっかりとミソジニーの匂いもすることを付記しておきます。
ローラーとバイオリン、じゃなくて
ローラーとバイオリンとは、タルコフスキーの卒業製作作品だが、あの瑞々しさったらない
あれは、バイオリンを弾く少年と
作業車運転手の、ささやかな交流であった
見せ物としては
取るに足らない、そんなはずのおはなしを
掘り下げて、掘り下げて、マクロかミクロかよくわかんないけれど、
いま、目の前に起きている、現実として
目と耳に訴えた
あー、ぼくのお日さまは、そんなすごい作品と並んでしまいました
名作でした
「美しさと残酷さ」
タクヤは、美しく光り輝きフィギュアスケートをしている少女さくらをうっとりと見つめ続ける。まるでなにかにとらわれたように見つめ続ける。さくらへの憧れから、タクヤもフィギュアスケートを始め荒川の指導をうけていく。タクヤと荒川にはいつしか信頼関係が築かれていく。
さくらのコーチをしている荒川は、さくらにタクヤとアイスダンスのペアを組む提案をしさくらは同意し荒川の指導のもと二人の練習が始まる。リンクには西日が差しこみ綺麗な光につつまれている。まさに冬の「お日さま」を浴びているようだ。そこで二人が手をつなぎ、タクヤがさくらの腰に手をまわし。足を手を振り滑る、シンクロして滑る姿は美しく目を奪われる。二人がうまく滑れたときタクヤとさくらの笑顔、ハイタッチ、心がなごむ。特に川の氷での練習は解放感にみち荒川、さくら、タクヤが一つのチームとなって強固な信頼関係で結ばれ目標であるバッチテストにむかっていた。すべてが順風満帆なとき、さくらは、荒川の「実態」を見てしまう。
多感な思春期にある中学生のさくらには、荒川の「実態」を受け止められない。さくらは、はっきりと荒川に自分の想いを伝え荒川から離れ、タクヤと再びペアを組むこともなかった。荒川もさくらに「実態」を突き付けられたとき、なに一つ言い訳をしなかった。それが「現実」だから。
タクヤはバッジテストに現れないさくらに自分が嫌われたと思う。ただタクヤは吃音で自分の想いをしっかり伝えられない。さくらになぜ来なかった問えず、心ここにあらずにリンクにいる姿が切なく描出される。
奥山監督は光り輝く三人の美しいコラボレーションを見る者の脳裏に刻み付け、吃音障害とLGBTQの「実態」を提示する。さくらの若さが「理解不能」をうみ、単に善悪ではなく、奥山監督の描出するさくらの荒川に対する「拒否反応」が一瞬にして残酷な結末に転じる。この厳しい終焉には輝く光はない。春をむかえても暗澹としたタクヤと荒川の姿に胸をえぐられる。終幕、道で再会したタクヤとさくらの笑顔に救われた。
純真
136本目。
設定は10年ちょっと前位か、それよりもうちょっとか?
多感な時期にペアとかは嫌じゃないとかは杞憂で、純真さに心持っていかれる。
時代が時代だから、その辺の難しさはあったりもするけど、まだ始まったばかりだよと思ってしまう。
冬の雪道の、春溢れる緑の、通学路
いい映画だった
「たくや、さ、女の子のほう見てたでしょ」
『みみみみてない。見てないよー』
「じろじろー、じろじろー(笑)」
『僕はそう、思いません』
「僕はそう思います(笑)」
あの冒頭の下校の雪道のシーンで、すでにもってかれた。あの雪道の登下校は、北海道の小学生のあるある。そこで交わされる会話も。
男の子も女の子も、小学生同士の会話がどことなくユーモラスで、観ていて微笑みがこぼれてきた。あの頃は、ほぼピュアだから。皆んな。
大人たちがいるから、もちろん、それだけではないんだけれど…
スリージャンプの練習のシーン。
ぽろん、ぽろんと鳴っていたピアノが、ゆっくりと「月の光」のメロディになっていくところがよかった〜♪
窓のあるスケートリンクや、晴れた日の雪一面の外の景色や、あの湖の一日。まばゆい白い光(Photon!)は、あの時間、気持ち、動き、を永遠にしていた。
そう、あの頃って、今より瞬間瞬間に存在してたと思う。
考えてみれば…、あの頃、身の回りに起こった事件って、しっかり決着がつくことなんて、(逆に)なかった。
そうそう、中途のまんまでおわることばかりだったなあ。
初恋や憧れという思春期の少年が抱える仄かな想いをテーマに描いた青春グラフィティ、と思わせておいて、実は重めのテーマも抱えた作品です。ラストシーンの続きが気になります。
上映前に流れる「劇場内ではマナーを守りましょう」の映像の
この作品バージョンを観てから、何となく本編の方が気になって
しまい、鑑賞することに。・_・
さあ鑑賞。
舞台は北海道。
野球の練習中、ボーっと立ったままの少年。
目の前に白いものが舞い降りる。
雪だ。
空を見上げる少年の頭上をボールが越えて弾む。
※これだけで、この少年の感性・性格が伝わってきます。
静かで雄弁な人物紹介だなぁと感心。・_・
場面代わってスケートリンク。
アイスホッケーのゴールを守るのは、また同じ少年だ。
相手のシュートが飛んでくる。
プロテクターの無い脇腹にパックが当たる。
ああ、痛そう…
脇腹を気にしつつ道具を片付け、帰ろうとする少年。
視線の先、リンクの中には一人の少女。
今はフィギュアスケートの練習時間だ。
軽やかに滑り、ジャンプ。
華麗な演技に心を奪われ、じっと見つめ続ける。
友人から " もう帰るよ " と声が掛かるまで眺めていた。
次の日、皆が帰った後のリンクの上に一人
昨日の少女の滑りを真似ようとする少年の姿が。
ぎこちない滑り。ジャンプ。転倒。
スピン …のつもりで 回転。トテトテトテ。
そんな少年を見ている一人の男。
フィギュアスケートの少女のコーチをしている男だ。
見知らぬ少年の、フィギュアスケートの演技(?)が
気になっているようだ。
次の日もまたフィギュアの練習(?)をする少年に
コーチが声をかける。
” その靴では、フィギュアの滑りはムリだ ”
” … ”
言葉の出ない少年に、更に声をかける。
” 上手く滑れるようになりたいか? ”
” !! ” ※うん
” この靴を使え ”
” !? ” ※いいの?
” あげるんじゃない。貸すだけだ ”
” …!” ※…ケチ じゃなくて ありがとう
こうして、月謝を貰うわけでもない少年を相手に
コーチのフィギュア指導が始まった。
熱心な練習の成果か、次第に上手になる少年の滑り。
本来の生徒である少女も、少年が気になっているようだ。
そんな頃。
コーチが、少年と少女でペアを組むことを提案する。
” 私はシングルでの大会出場が目標なので… ”
渋る少女に、コーチはこう説得する。
” ペアでの練習は、シングルの滑りにも良い影響がある ”
いざペアでの練習を始めてみると、奥が深い。
相手の滑りを意識したスケーティングが必要になるので
一人で滑る時よりも考えて滑る事が増えるのだ。
ペアでの滑りがサマになってきた頃,コーチが切り出す。
アイスダンスの競技に出るための、参加資格を取らないか と。
その気になり、練習を続けていた二人だったのだが
ある日、少女が、コーチのある場面を見てしまう。
もしかしたら、あの少年に対しても…
急速に冷えていく少女の心。練習にも来ない。
そして、出るはずだった出場資格をえるための資格審査会場にも
とうとう少女はやってこなかった。 あららー。
少女が何を見たのか、気になる方は劇場まで。 ・-・;
…ということで
フィギュアの練習を通して、少年・少女・そしてコーチの間の
心の揺らめきを描いた作品でした。
鑑賞前に予想した程には軽くもない内容の作品で
ハッピーエンドとは言えない終わり方とも思うのですが
それぞれが新しい道に進むのだろうと思わせる、何とも
絶妙なバランスの上に成り立っている作品でした。
鑑賞後も不思議な余韻が残っている感じです。
観て良かった。
◇あれこれ
■舞台の街は何処?
どこなのだろうと、鑑賞しながらあれこれと予想。
北海道? 小樽? 函館? 北見?
ロケ地の地名を見たら、白糠。北海道の太平洋側か。
少年の家。犬小屋は家の外に。 寒くないのだろうかと心配。
※この柴犬クン、良い味出してました。 いいな♡
■お日さまは誰のこと?
タイトルにもある「お日さま」。そして「ぼく」。
少年にとってのお日さまは、たぶん少女。 そして
コーチにとってのお日さまは、少年。
自分に無い美しい演技をする少女への憧憬と
自分が失った純粋な情熱を持つものへの懐古と。
それに浸るだけでは無い、それぞれが前に進もうとすることを
予想させるエンディングだったと思います。
■少し感じた違和感
「男子に女子の振りつけを教えて楽しいんですか?」
自分が食べているものに、相手が口をつける。
自分には見せないような柔らかな笑顔を見せる。
恋人同士がするような行為を男同士でしている場面を目撃したさくらが
コーチにぶつけたセリフ。
同性愛者に対して、思春期の少女が感じた嫌悪感は、まだ分かります。
ただ、フィギュアスケートが女性の競技であるかのようなセリフには
かなり違和感を感じました。(この作品中、唯一の違和感かも)
いつ頃の価値観なのかと疑問だったのですが、パンフを見ていたところ
このお話の時代は2000年ちょうどの頃のようだと分かりました。
(携帯電話も折畳式のガラケーだった気が…)
その頃だと、世間一般の認識はそんな感じだったかなぁ…。
と、フィギュアスケートのペア競技を描いた漫画を思い出しました。
「愛のアランフェス( 作:槙村さとる)」は1980年ころの作品です。
ストーリー忘れました。・-・ もう一度読んでみたい気が…。
■少女を演じた子
13才ですか。若いなぁ。
フィギュアスケートも経験者なのでしょうね。とても上手。
作中でもスケーティングが上手くなる様子が演じられていた気がします。
(少年のスケーティングも、次第に上手になっていくのが分かりました)
清原果耶さんや芦田愛菜さんに少し似ているような気もしました。
今後の確約に期待したいです。
◇最後に
吃音に悩む少年が、野球やアイスホッケーよりもフィギュアス
ケートをやりたいと思う少年の心の機微。そして思春期の少女の
異性に対する敏感な感受性。
さらには同性愛嗜好のある(と思われる)コーチという、色々な
要素が丁寧にぎっしりと練り込まれた、無駄も隙も無い繊細な
ストーリーの作品だったなぁ と。
画面に映ったもの全てが、こちらに語りかけてくる感じで
意味の無いカットが無く感じられるくらいに充実の90分でした。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
とてもシンプルでピュア
監督は光を操る天才なのか?と思うほどスケートリンクに差し込む光が美しかったです。
3人でふざけ合う姿が自然で可愛い過ぎて癒されっぱなし。
中学生って難しい年頃ですかね、ほろ苦かった。。
ただ最後はタクヤとさくらの距離ができてしまった関係も雪解けとともに解けていったように見えました。
寒い中で食べるカップラーメンは絶対美味しい。
あと肉まん食べる前にタクヤが「いただきマンモス」って小声で言っていたような…(⁈)
スケートができて演技ができて透明感がある中西希亜良ってどこから見つけてきたのよ?
私は誰と誰が付き合ったって別にいいと思うけど
思春期の子供は勝手に裏切られたとか思うからね…
関係が深い程に、不信感からの突き放し方がデカい。
その先の話がもう少し見たかった。
それにしても、スケートができて演技ができて透明感がある中西希亜良ってどこから見つけてきたのよ?
ビックリの逸材だよ。
ラストからの主題歌の演出が見事!
ハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」という楽曲から着想を得たというのは知っていたが、ラストシーンからの主題歌、ここまでの演出とは!余計な言葉が極力省かれた音と映像の世界、結末を迎えふつふつと湧いてくる言いたいことの全てがそのまま歌詞に代弁された。マイノリティを考える物語だ。
光のオブジェ
奥山大史×池松壮亮「ぼくのお日さま」うまく自分を表現できない、思いを伝えられない、そんな3人が出会った特別な時間を暖かく、優しく、そして残酷に描いた秀作。3人の繊細な関係を象徴する光の中のスケートシーンは震えるほど素晴らしい。
「CLOSE クロース」「Girl ガール」のルーカス・ドン監督も「ぼくのお日さま」を絶賛してますね。
圧倒的映像の美しさ
こどもたちのかわいさ、恋人たちの温もり、美しい風景の中にある人間のリアルさや切なさ。綺麗な映像に反して決して綺麗にはいかない現実も描かれていて触ったら壊れてしまいそうな程繊細。雪やスケートリンクに光が反射しキラキラする様子、氷が削れる音、心地良くてずっとこの世界に浸っていたい素敵な映画体験でした 、これは絶対映画館で見たほうが良い!美しい世界観に引き込まれる。
ここからは結構細かい感想↓
びっくりしたのは台詞の少なさ。余白を大事にしたいと台詞を増やすことで他人事のようになってしまう。といっていたのは知っていたが想像してたよりも少なかった。台詞が少ないのでBGM、見るBGM感覚なかんじ!
夜のシーンから光に包まれた朝になるところは、映画の世界がこちらまでに通じているかのようにパッと眩しくなってなんかよかった。北海道の雪、スケート場、寒い映像と連動してるかのように館内も冷たい風なひんやりしていて世界観がリンクしてるようだった
荒川とタクヤふたりの練習風景は息を呑むほど綺麗。この映画すきだなとその時おもった。
サクラの、人を見つめる表情が良かった。
タバコを吸う池松は良すぎた。荒川先生にサクラ惚れてたけどわかるよその気持ち。。
現役時代の荒川の写真を見つめる五十嵐、なんだか色んなことを頭巡らせて切なげな表情がとてもよかった。ヒトシアラカワー!とちょけるシーンは若葉さんの素?!って思っちゃった、当て書きの力もあるのかな。
ベランダのシーン、体ゆすりながらタバコ一口ちょうだいーばりに口開けてる五十嵐!かわいい。本来、「一口ちょうだい」と台詞あったのに、台詞の引き算の判断天才過ぎる。荒川の背中にピッタリと寄り添う五十嵐の多幸感に満ち溢れた表情の良さ😭車内のアイスのシーンもめっちゃ微笑ましかった。池松さんと若葉さんのや恋役良すぎ
ベッドで語るシーンの辛さが伝わる表情凄かった、遠めなカメラワークなのにその距離感で悲しい感情がちゃんと伝わるのすごすぎた。
カマかけたりちょけたり甘えたり行動するのはいつも五十嵐の方で、一方通行なかんじがした、五十嵐とスケート、結局スケートを選ばれたの切ない。自分から背中を押す五十嵐は切ない。結末を思えば今までの振る舞いはとても切なく感じた
少年少女の思いを感じて、雰囲気を楽しめた。
主人公が吃音の小学6年生の男の子、その主人公が一目惚れするのが中学1年か2年の女の子。
この女の子が美少女でした。
こんな子のフィギュアスケートを間近で見たら一目惚れしちゃいますね。
この女の子、フィギュア経験者で初演技での映画デビューだったらしい。。
少年少女のほのぼのとした恋の物語と思っていたら、思わぬ方向へ話は進んでいった。
この設定は最近多いですね、時代なんだろうと思う。
単純に吃音の少年と年上の少女との小さな恋の物語にすればよかったんじゃないかな。
さりげなく描かれる、すれ違う少年の思いと少女の思い。
これで十分だったような気がしました。
映像もキレイでしたね。
冬の雪深い街並みと、夏の青々とした緑の風景、このコントラストがキレイでした。
スケートリンクに外から光が差し込み、その中でフィギュアスケートを踊るシーンは幻想的で良かったです。
主人公が家族で食卓を囲むシーンがあって、ここに出てくる父親だろう人も吃音だった。
吃音は遺伝するの?って思った。
私の人生の中で吃音の人に出会った事は無いです。
いまググってみると100人に1人の割合でいるらしい。
私が出会った人の中にも、気づかないくらいの吃音で無口の人がいたかもしれないと思った。
そういえば思い出したのだが、昔会社の昇進試験で人前ではうまくしゃべれないけど、仕事は出来るので昇進試験を通ったという人の話を聞いた事があった。
その人とはほとんど話した事は無かったので普段の話し方は知らなかったが、もしかして吃音だったのかもね。
映画を見終わってみると、吃音に関わる話はほとんど出てこなかった。
吃音を馬鹿にされたりするシーンも無かった。
友達に嫌な役目のキーパーを押し付けられている事くらい。
この辺も差別的なシーンを入れられない時代の流れなんでしょうか。。
青々とした緑の風景の中での最後のシーンは、これからの二人の物語が想像できる良いラストだったと思う。
そして、エンドロールも良かった。
流れる歌の歌詞が吃音についてを歌ってて、歌詞自体もクレジットの隙間に表示されて面白かった。
ハンバートハンバートという男女デュオらしい。
この映画のために作られた曲かと思ったら、もっと前に作られていた曲みたいでした。
そう、この映画は、選曲が良い映画でもありましたね。
監督のセンスと拘りだったのでしょう。
帰ってからYouTubeでハンバートハンバートの曲を聞いて思った。
やっぱり吃音をもっと掘り下げるべきだったんじゃないのと。
もしかして、そういうシーンも取ってて編集でカットしたのかもしれないけど。。
久しぶりにシッカリ最後まで見て、照明が付いてから座席を立ちました。
良い雰囲気の映画でしたね。
【観ていて温かい気持ちになって行く中盤までの展開と、その後のシビアな現実。けれどもヤッパリこの作品は温かい気持ちで観終えるんだよなあ。今作は若き男女の成長と幾つかの別れを描いた逸品だと思います。】
■アイスホッケーのキーパーをしているタクヤ(越山敬達)は、吃音のある男の子。ある日、同じスケートリンクでフィギュアスケートの練習をするサクラ(中西希亜良)の姿に惹かれて行く。
そして、タクヤは一生懸命にホッケー靴を履いたまま、フィギュアスケートの練習をするのだが、転んでばかり。
そんなタクヤの姿を見たサクラのコーチをしている元プロのフィギュアスケート選手だった荒川(池松壮亮)は彼にスケート靴を貸してあげ、コーチをしてあげるようになる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・“ぼくのお日さま”の意味は、色々と考えられると思うけれども、私はタクヤに親切にフィギュアスケートを教えてくれる荒川であり、タクヤがその流麗なスケートをする姿をぼーっと見ていたサクラであり、タクヤの事を温かく見守る家族や親友の男の子であると思ったな。
あとは、ゲイである荒川にとっては、純粋で、純朴なタクヤではないかなとも思ったな。
映像から言えば、スケートリンクに柔らかく窓から差し込んで来る太陽の光かな。
・中盤までは、荒川の指導を素直に聞くサクラがタクヤとアイスダンスのペアになり、楽しそうに練習する姿や、三人が野外の凍った湖で練習した後に、雪上で遊ぶ姿がとても良かったなあ。
・けれども、サクラが荒川が楽しそうにタクヤと接する姿や、荒川のパートナーの男(若葉竜也:この人が出演する映画は、殆ど良いね。)と楽しそうに車の中で戯れる姿を見て、少しづつ不機嫌になって行って、母(山田真歩)の言葉もあり、アイスダンスの昇級試験を無断で休むところから、トーンが変わって来るんだよね。
それは、サクラが女性として成長したという事であるのかもしれないし、ゲイに対する偏見かも知れない。
しかし、奥山監督は第一作の「僕はイエス様が嫌い」と同様に、その辺りの解釈を観客に委ねている気がするんだよね。
<荒川はパートナーと別れ、思い出の湖畔でタクヤとキャッチボールをして、別の地に旅立つ。
そして、タクヤとサクラは少し成長して、見通しの良い一本道で久しぶりに出会うのである。
二人は、そのまま柔和な表情のまま、歩いて近づき、吃音のタクヤが何かを言い掛けて、暗転するのだけれども、私はタクヤはサクラに対して肯定的な事を言ったのだと思ったな。
でなければ、アンナに優しい表情で近付かないでしょう。
今作は、観ていて、温かい気持ちになって行く作品であり、その理由は何といってもタクヤを演じた越山敬達君の柔和な表情と、サクラを演じた中西希亜良さんのポニーテールの似合う姿ではないかなと思ったな。
勿論、池松壮亮さんと若葉竜也さんの安定した演技がそれを支えているのは、間違いないんだけどね。>
24-093
タクヤ少年の淡い初恋。
可憐なスケーティングのさくらに心奪われる。スケートを通じて心を近づけて行く。
タクヤの恋を応援するコーチ。
コーチの心を知らず、
大人の姿を見てしまうさくら。
前半の爽やかな展開から
後半は苦々しい気持ちになる。
最後は何を伝えたのだろうか❓
愛おしく美しい。
タクヤとさくらが妖精のよう。画角が昔のテレビサイズなのはなぜなんだろう?さくらのフィギュアスケートシーンでの美しさ愛らしさ、タクヤのきれいなくちびるが何かを言おうとしている最後が特に可愛らしく美しい。エンドロールの歌はまるでこの映画のために作られたようで涙ぐみました。池松壮亮さんの演技も素晴らしい。古いボルボもいい感じ。映画館で買ったパンフレットも初めて見るタイプで、やはり可愛らしく愛おしい。早く配信されないかな。繰り返し見てみたい。
さくらに対してひどくない?
3人でドライブ、タクヤが寝てしまい、コーチの荒川とさくらのふたりだけの会話
タクヤだいぶうまくなったよな、頑張ってるよな、さくらのおかげだよ
さくらが不満げな顔をする。
当然でしょう。
コーチが心を砕くのはタクヤにだけですか、そうですか、私はタクヤを育てるためのボランティアなんですか、そんなキモチになると思う。
荒川がさくらにアイスダンスを勧めたのは、さくらもスケーティングが上達するから、とか言ってたのだから、二人になったら当然、さくらはだいぶ表現力が上がったな、とか、どういう点が良くなってるとか、気をつける点とか、さくらに関する話が出て当然なのに、まったくない。タクヤ、タクヤって、私はタクヤにお仕えする身ですか、ふざけんなよ、だろう。
荒川が同性愛者であってもなくても、自分が肩入れする子のために他の教え子を勝手にボランティア指定して充てがうのはNGだ。傲慢だと思う。教え子は自分が向上するためにコーチのもとに通っている。一人が一人として尊重されるのが当然ではないか。
娘がこんな扱いを受けたら、親が怒るのも当然。
しかも娘はスクールでピカイチの実力を持ち、シングルで向上することを自身も願っているのだから、こんなコーチ、すぐさま切りますよ。
さくらの母親が、ヒステリックなステージママのステレオタイプに描かれていてモヤモヤしました。
サクラがアイスダンスを引き受けたのは、明らかに荒川に恋心を抱いているからで、荒川のこの態度には二重に傷つく。
さらに、男性と楽しそうにいちゃつく荒川を見てしまったら、自分は眼中にないのが決定的だし、ひょっとして荒川はタクヤに下心があるのでは、と疑ったとしても不思議はない。
幾重にも傷つけられ、彼女が荒川に不信感を募らせるのは自然の成り行き。
この映画をみて、荒川はさくらの幼い腹いせの犠牲者、みたいな解釈をする人もいると思うが、それではさくらが可哀想過ぎる。
タクヤが吃音だったり、荒川が同性愛者だったりがとってつけたよう。
タクヤ、ビリー・エリオットみたいに、「さくらのように舞いたい」という願望があっただけ、ということはないですかね。
タクヤは何も悪くないので、さくらと再会して嬉しそうで良かったね
風景が美しく、目の保養になりました。
さくらのスケーティングが素晴らしくて見入ってしまった。
でも、私には刺さらない映画でした。
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