ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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“ある視点部門”でなく“ある界隈部門”
最後のエンディングロールに流れる曲を真剣に見た(聴いた?)のはもしかして初めてかも、、、。この映画のために書かれた曲だと思ったらずっと前の曲なのね、お恐れ入りました、映画の終わりがまだ続いているかの名エンディングロール👏
心象描写もへったくれもない喋り過ぎな映画しかないんか!トホホと日本映画を観るのを止めてたけど、ちゃんとした普通の脚本の映画を観れて嬉しい^^。あのおバカ監督の題名だけはイカしてた「−1.0」はぜひこの作品に使ってもらいたいほどだ。
主演の男の子って「天狗の台所」のあの少年なのねぇ。スカしたふてくされガキがこの子とは、演技力バリバリやんwww
日本人受けする男の子と女の子をキャスティングした監督の眼力は、きっとふたつの“ある界隈”では万雷の拍手で迎えられたに違いないwただあまりそこの世界の人を刺激し過ぎる脚本となるとちょいとヤバ系なので、まあ綺麗に作っとこ、ということなのか。
小さな恋のメロディ、からのベニスに死す、からの第三の男、で終わるのかと思ったら最後は僕のようなチンケな想像より美的感覚に優れた方のナイスなカットでした。
今回の評価は、30人余りの小さな映画館で観たんで、いい意味でのバイアスは掛かってるっぽい気がしますw、あしからず。
監督の次回作を見逃さんようにせんと^^/
美しい雪の世界にうっとり。
ポリコレストーリーにおける「許容」と「強要」の分かれ道
すごーく綺麗な、視覚的に訴えてくる感じの映像美な映画で、
同じ年の作品でいえば「夜明けのすべて」が好きな人なら、
この作品も好きになるかもねってジャンルの、
マイノリティ系社会派映画だった。
ただ個人的には、こういうポリコレ色強めの作品は、
ハマるハマらないの差が大きくなり、「正欲」を観た時にも感じたけど、
そこを前面に出してくる感じの映画は、
中西希亜良が演じた「さくら」と似たような、
少し引いた反応を示してしまう。
ただそれは、さくらの「同じような」反応とも違う。
さくらは、「とある人物」の同性愛指向に対し、拒絶反応を明確に表示するのだが、
それは未熟で無理解な子供としての、知識のない者としての直接的な反応だろう。
ましてや、大人がそれをやったら、ただのバカだ。
そうではなくて、人物ではなく「作品」に対して、少し引いた反応になるという話だ。
では「そこ(ポリコレ)を前面に出してくる」というのは、どういう意味かというと、
「内容がつまらないのに、ポリコレを強要してくる」という意味だ。
あくまで個人的な感想の話だけれども、
ようは「夜明けのすべて」のように、
面白いストーリーなら、ポリコレ話をすんなり受け入れられるけど、
「正欲」のように、面白くないストーリーなら、
ポリコレを強要されてるように「感じる」という意味での「少し引いた反応」なのだ。
そもそも「ぼくのお日さま」って、退屈ストーリーでつまんなくねって思ったのだ、
あくまで個人的な感想として。
ポリコレストーリーは、面白いと「許容」できるが、面白くないと「強要」と感じる。
池松壮亮の演じた荒川のセクシャリティの話も、後半で唐突に出てきた感じだったし、
さくらの同性愛に対する拒絶も、タクヤ(越山敬達)と、あれだけ仲良くペアで練習できていたのに、
中盤までのさくらから感じる人間性と、終盤の拒絶に至る反応が、1人の人間として一貫性の無い感じがする。
荒川を拒絶する反応が、タクヤを拒絶する反応にも影響を及ぼすのが、
どうも一致しない。合点がいかない。
サクラって子供とはいえ、そこまで人間性が未熟な子だったのかなと、
疑問が浮上してしまったのだ。
ただ、人間なんてそう単純なものではないよ、と言われれば、それも否定できなかったりする。
たとえば、私の母は生前、<私とは全く真逆で>、人の悪口を一切言わない人だった。
母の妹、つまり叔母も、面倒見の良い叔母さんだった。
この2人は、私に比べれば、人間の「できた」人の部類に入ると思われる。
でもこの2人が、世間話をきっかけに、昔のエピソード話に花を咲かせている際、
「むかし、近所に朝鮮の子が住んでて、からかったら『チョセン、バカに、スナー』って怒っちゃってさ(笑)」
とかいう、モロに差別的なエピソードトークをぶっこんで、笑い話にしてた時は、
私は心臓飛び出るかと思うほどビックリして、ドン引きした。
人間として「できた人」で、尊敬できると思ってた2人ですら、
そういう人間的に「至らない面」を持ってる事もあるんだなと、
子供のうちに学習できたのは、逆に運が良かったのかもしれない。
人間なんて、そう単純なものではない。
だからサクラも、「吃音は受け入れたけど、同性愛は受け入れない」という人だったのだろう。
そういう捉え方もできなくはないが、作品のストーリーを追っていく際、
一度疑念が芽生えると、すべて疑念ありきで考えてしまうのも人の常であり、
ラストの再会のシーンは何だったのか、必要だったのか、
もう頭の中がグチャグチャになってしまって、
良い作品だったなぁだけでまとめることは、もはや、できなくなっていたのだ。
良かった演者
中西希亜良
あの二人はあの後何を話したんだろうか。
途中まで、それこそ胸の前で手を組み合わせて目をキラキラさせてスクリーンを見つめてしまうような、幸せすぎる場面が続いてたから、絶対どっかで何かあるんだろうなあ、と思って半ばびくびくしてたんだけど、、あんな風になるとはなあ・・・TT
最後ほんとは、コーチとあの子が再び邂逅するところまでたどり着いて欲しかったんだけど。。
しかしもちろん、この映画の終わりはあれで良いのだと思う。
もう少しこうなって欲しいかな、と思うところを敢えて足さない、絶妙なストーリー運び。
セリフもそうだったんだけど、もう一つ二つ、何か付け足してしまいそうなところを、そこで止めるが故の余韻がすごくいい味わいになっていたように思います。
あの少年の吃音も、こういう言い方はおかしいかもしれないけど、その少ない言葉なりの余韻にプラスに働いていたと思う。
終わり良ければ全て良し、というけれど、じゃあ終わりが良くなければ、それまでの全ては色褪せて、ダメになってしまうのか。
決してそうではなくて、そのひとつひとつのきらめきは、確かにそこにあって、人の心を、時間を、価値あるものにするのだということ。
その大切な事実に、光を当てる映画だったと思います。
ラスト、あの二人は、あの後どんな会話を交わしたのだろうか・・・すごく知りたい!!
向けられる「視線」、はずされる「視線」
美しさと、残酷と、
ドビュッシーの「月の光」に纏われて、
美しいフィギュア・スケーターが舞う。
ヒソヒソ声の多い静かな映画中で、そのシーンは
三上さくらの決意を告げるように激しい。
“微塵も許さない“
私のスケーティングに荒川先生の
“訳ありな人生“の介入を、
私のスケーティングは、
“アイスダンスなんかではない“
半分お遊びの、吃音リハビリのような、
タケシのスケート
に、“組み込まれたくない“
繊細な映像表現の情景詩のような映画です。
時にソフトフォーカスして焦点が広がりぼやける。
美しい少女スケーター。
吃音の少年は、何をやっても下手っぴ。
唯一、荒川先生の教えてくれたアイスダンスの基礎。
「滑れるようになったタケシ」
さくらとの幸せな時間、
荒川先生の掬い上げてくれる優しさ、
さくらは心構えも既にプロで、
彼女はある意味で完成しているし、
心に“遊び“がない、
だから潔癖で汚れや妥協を許さない、
タケシは流されただけ?
でもタケシの自信になったと思う。
小さな小屋の芝犬、
雪中の真っ赤なポスト、
高い橋を走る電車、
置いてかれる荒川先生の恋人、
車に積まれた思い出品の段ボール、
(なんで捨てないんだよ!!)
この町を出て、また次の町へ流れていくフェリーボート、
捨てたもの、捨てられたもの、
残したもの、
タケシの心に荒川先生が灯した明かりが、
タケシのこれからをを支えることを、
私は心の中で、
願っている。
よかった
昨年、ドラマ「天狗の台所」で知った越山敬達君。
今放送中のシーズン2では、随分大きくなったし演技も上達。
今作は、撮影時期が遡って、更に初々しかった。
9月公開時は見られなかったが、本日見たのは寒い今の時期にピッタリだった。
雪の街の小さなお話。
表現する事や、伝える事は難しい。
(吃音や障害、性的嗜好などのありなしにかかわらず)
思春期のそれぞれの恋心がとても淡く、感情が静かに揺れ動くような作品だった。
2人がスケートしてるシーンは美しかった。
池松君の声が、いつにもまして心地良かった。スケートやった事ないというのがスゴい。
ハンバートハンバートは、おかあさんといっしょかなんかの子ども番組だったかな、「ポンヌフのたまご」だけしか聞いた事ないけど、良いデュオですよね。
*****
ちょっと、昔見た いしだあゆみの「時計」を思い出した。
ぼくのおひぃさま
小学生の恋愛を描いた作品は珍しく、あっても子供向けか演技が拙いものだが、本作はどちらでもなかった。
越山敬達くんもだが、中西希亜良ちゃんの魅力が凄い。
清原果耶の凛々しさに芦田愛菜の愛らしさをちょい足ししたような感じで、横顔の綺麗さは特筆もの。
スケートも、越山くんは徐々に上達する様子が、中西ちゃんは神々しいまでの美しさが印象的。
なかなか3人が絡まないので心配になったものの、荒川がタクヤを教えるあたりで俄然良くなる。
2人が次第に活き活きしてくる様がとても自然。
技が成功した時の喜び、特に教えた側のそれが真っ直ぐ伝わってきてこちらまで笑顔になる。
アイスダンスをやる流れは、本当にさくらのためになるか、タクヤの応援が先に立っていないか少しモヤる。
そして、2人の練習を不満気に見つめていたさくらが心を許す段階がなかったのは残念。
しかしその後の3人の交流はそれを忘れるほど眩しく、特に湖のパートは多幸感に溢れていて目が潰れた。
光の差し込むリンクで演技を合わせるシーンは美しすぎて目玉が溶けた。
というか、小学生で女の子とあんな距離なんて、たとえ好きなコじゃなくてもドキドキ堪らんだろ。
まぁタクヤからそういう疚しさは感じないので、純粋にスケートも好きなのだと思う。
ただ、後半の展開は正直好みじゃなかった。
恋人と察するには弱く、逆に理解したならタクヤに邪な感情があるなんて勘違いしないと思うが、そこはいい。
それでも、さくらと荒川が決裂したままで、アイスダンスの本番にも挑めない幕切れはスッキリしない。
荒川は一応前進と捉えてもいいし、タクヤとさくらはまた何かが始まりそうなラストではある。
決してバッドエンドではないが、ストレートに幸せな3人が見たかったです…
タクヤの友達も、もっと絡ませてほしかったなぁ。
ただ一緒に居たいだけなのに、、、
イヤータクヤくんとサクラちゃん可愛すぎて、あんなに一生懸命練習したのに、、、タクヤくんにはアイスダンスを続けて欲しかったなー。サクラちゃんは出て来た時からスケートが上手いのは充分分かっていましたが、タクヤくんは本当に上手くなっているようで、アイスダンス出させてあげたかったなー。タクヤくんの爽やかな淡い気持ちを思うと切ないなー。タクヤ役の越山敬達くんサクラ役の中西希亜良さん2人の演技が凄すぎます。タクヤくんは本当にきつ音に見えてしまいます。最後に流れる主題歌も反則ですよー。最後にあの感じでエンドロールにいかれて、自然に涙が出てきます。ハンバートハンバートさんのぼくのお日さまものすごく素敵な曲でした。最後久しぶりに会ったサクラちゃんにタクヤくんは思っている事言えたかな?観終わった後の余韻の残り方がすごいなー。これだけ感想が出て来るくらい映画館で観て良かったです。今年観た映画で1番良かったです。
テアトル新宿でまだ観る事が出来たので2度目の鑑賞致しました。映画の中の風景が素晴らしく、特に自然光や光入れ方がMVみたいです。ゆっくりした時間の流れがあり、空気感すら感じます。何回観ても、良かった。やはり今年1番心に沁みる映画でした。3人でカップラーメンを食べながら足をカタカタやる所や先生の居ない所でサクラちゃんと合わせて友達が拍手するシーン等素晴らしいシーンの連続です。本当にありがとうございました。
淡く輝く「ぼくのお日さま」
言葉で多くは語られないものの、目線の揺れ動きや画面のトーン、映像の前後関係などによって登場人物の心情がしっかりと伝わってくる作品。
タクヤが初めてサクラに目を奪われるシーンや、荒川が初めてタクヤを見つけるシーンは、彼らの「お日さま」がここにあるのだと如実に表されている。そしてそれは、サクラがじっと荒川を見つめる時も同様の意味を持っている。
加えて、サクラにとっての「お日さま」である荒川が、しかし彼女の理想通りの存在ではないと気づき、失望を顕にした時、作品のトーンがぐんと下がる展開も面白い。
そして彼らの美しいバランスは崩壊し、スケートを通じた繋がりも失われる。
だが、だからこそ何度失敗し転んでも立ち上がるタクヤというキャラクターが重要になるのである。
太陽と月
スケートリングで滑るサクラに合わせて流れた音楽がドビュッシーの月の光。「僕のおひさま」は「月の光」、たけるにとってそういうことなのかな、と。序盤から心掴まれた。
おそらく少し時代も前の北海道の小さな街(函館?)の染まってないその街感の演出の仕方、
そこで生きる人たちの生活の表現が凄いな〜と。
物語的にも、活音を抱えるたけるの頑張りや、そこに光を見てる池松君、それを見て?のサクラのそれぞれの心情が刺さってくるものがあった。
たしかのサクラから観たらなんでアイスダンス?なんでこいつ?先生どうした?ってなるよなそりゃと思うけど
エンドロールで流れるハンバードハンバードからも伝わるたけるのやるせなさや、当時の小さい街では理解されない恋愛感情をもつ池松君の苦悩とか、見ていて苦しいものが込み上げてくる反面、
地域の美しさ、羽を広げたように滑るタケルや、大自然の氷の湖で3人で滑って踊る姿がとても眩しくて印象的だった。
じーんと心に響く良い映画。
ムーミン谷に春が来た
この物語は冬の物語であるが
人生の春のようでした
すべてが愛おしい時間のように感じ
そしてとても残酷でした
早く雪が溶けないかなと思っていた少年が春が来ることを名残惜しくなる頃
スナフキンは旅立ちます
また帰ってくるよねというムーミンに
わからないと言う
そこはムーミン谷に冬が来たらねと
本来なら逆だけどそう言ってよスナフキン
と涙ながらに思いながらもその対話は素晴らしかった
二人で滑るシーンはとてもとても幻想的すぎてこの世のものとは思えないぐらい美しいシーンだったからこそ、その後のあのシーンは
滑りきったあと何を思ったのか
さらに青年はなんと言ったのか考えさせるなと噛み締めているとハンバートハンバートが歌い出すんですよ
そんなの涙しかない
素晴らしかった
かわいいと美しいの融合
優しくて温かくてちょっと痛い
お日さまのような光に溢れた映画
スタンダードサイズの画面に映し出される一コマ一コマが、導入場面から一枚の絵として成立しているようだった。気を衒わず、ズドンと主題を真ん中に配置する中央構図が多いのだが、その分、描かれる人や物に、観ているこちらもグッと気持ちが寄る。
最初、その後いじめやトラブルが描かれることを予感し、「主人公タクヤの吃音という要素はいらないのでは?」と思っていたのだが、友人たちがそこを全く問題にしない展開が心地よかったし、マイノリティとはいえど吃音の人は一定数いる訳で、単に身構えてしまうこちら側の問題だった。それに、マイノリティということで言えば、サクラがコーチである荒川の性的指向に嫌悪感を表明することによって、サクラの恋愛感情や思春期ならではの心の動きと、同性カップルにまだ不寛容だった描かれている時代性が、対比的にごく自然に立ち上がっていたと思う。
それに、鑑賞後公式ページを見てみたら、なんとこの映画、ラストの主題歌がきっかけで作られたことがわかり、なるほどと思った次第。
(ちょっと脱線するが、エンドロールの主題歌の歌詞を見ながら、歌だと吃音が出ないというのは、「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」でも出てきたエピソードだったなということを思い出した)
フィギュアスケートの場面で流れるドビュッシーの「月の光」。「ぼくのお日さま」というタイトルなのに、月の光なんだ…と漠然と思いながら観ていたが、月はお日さまによって光輝くのだから、これ以上の曲はないのかとこれも途中で思い直した。
帰路で、妻に「タクヤにとって、サクラがお日さまってことだったのかな?」と話しかけると、妻は「私は、荒川コーチやフィギュアスケートそのものがお日さまだったんじゃないかな?」と言っていて、確かにと思うと共に、荒川自身もタクヤとサクラ2人の関係をお日さまのように、まぶしく暖かく感じていたんだろうなと思いが広がった。
とにかく、全編、お日さまのような光に溢れた映画。
この奥山監督はまだ28歳とのこと。ベイビーワルキューレの阪元監督も28歳。ナミビアの砂漠の山中監督は27歳。日本映画の若手の活躍がこれからも楽しみ。
何とも言えない余韻あり
劇場では見逃すかと思いましたが、タイミング合い、ラッキーでした。映像がとてもよく、ペアの二人はほとんどセリフないのに自然でわかりやすい。カセット時代ならではの風潮や意識も前提なのですね。ほろ苦いながら、希望も感じる結末かと思いました。男の子はどこまで事情を知っているのだろうかと思いました。若い俳優のお二人はとても楽しみ。池松さんは素晴らしいですが、若葉さんも出ていると知らずに観て、程よい存在感がさすがですね。
すごいリアルな映画
さくらの気持ちも理解は出来るけど、荒川が一番傷つく言葉言われてて凄い悲しくなった。あの時代設定なら当然とも言えるかもしれないけど、でも凄く現実味があって感情移入もしやすい凄く良い映画だと思う。
最後の解釈お任せって感じも好き。
雪と光の美しさ
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