ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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2024年視聴映画で一番でした
綺麗なものへ惹かれるまっすぐな気持ちは大人もこどもも同じで、生き物であれば光に吸い寄せられるもので。
『原始、女性は実に太陽であった。』と書いた平塚らいてう女史はその後に『今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である』と続けて女性の開放に尽力したといいます。本編における元プロフィギュアスケーター・荒川コーチのふとした時に見せる顔は、それこそ病人のような月光の人と感じました。美しく氷上で舞うさくらにも、彼女にまっすぐに惹かれ成長していくタクヤも、荒川にとってはまぶしい太陽そのものであったのでしょう。
本作は車やポスト、携帯電話の形状などから20年以上前の時代として描いていましたが、終盤での荒川への風当たりなどは現代においては描きづらい内容かなと。ただ見えないだけで確かにある『異なるものへの嫌悪』すらもまっすぐに描ける最後の時代でもある、そんな絶妙さがお見事でした。
作中、スケートをする間は2人や3人の世界を明確に表現していましたが、そこから一歩引いた場面場面では『この社会での当たり前』が多数描かれています。
劇場が明るくなったあとに、自分にも当たり前の先にあって、胸の奥にあるような、記憶の中の心を焦がすほどのお日さまのような人を思い出して涙が出てしまいました。伝えたい気持ちが伝わるといいなあ。
少年よ。人生いろいろあるけれど大丈夫。お天道様はついて回るからね。
おそらく小樽がモデルの港町。冬から春まで短い季節を切り取っている。思いつくまま3点ほど。
まず1つ目は登場人物。主要な人物はほぼ3人でフィギュアスケートのコーチの荒川と、彼に教わるさくらとタクヤ。
でもこの物語の主役はやはりタクヤであって、この映画は本質的にはタクヤ少年の一冬の経験を取り上げたものだといえるだろう。荒川とさくらは彼の忘れがたいエピソードを彩る脇役ということになるのだと思う。
2つ目は映像上の光の処理。常に太陽の光が満ちている。全編のうちかなりの尺を占めるスケートリンクは、常に、窓から入ってくる淡く、でも輝かしく、どこか懐かしい太陽光で満たされている。さくらのプログラム用の曲である「月の光」と連動もしているのだろう、でもこれはあくまで昼の光である。そして3人が、凍った湖で練習し、そのあと戯れるシーン。北海道の冬の太陽なのでそんなに強くはない。でも空は晴れて3人の姿を順光で、逆光で、明るく照らし出す。バック曲はTHE ZOMBIESの「Going out my head」。幸福感に満ちたシーンである。
3つ目は、全編で徹底される言葉の少なさ、静謐さ。荒川にとっては(彼を慕うタクヤにとっても)厳しい状況となってしまうのだが誰も声を荒だてず、静かに運命は進んでいく。
つまり、この映画は、タクヤが人生の早い段階で経験した成し遂げたこと、うまくいかなかったこと、受け入れなくてはならないこと、を優しい陽の光のもとで静かに静かに描いたものだと言えるだろう。
タクヤくん、最後になってもやっぱり言葉はうまくでてこなかったね。でもさくらにはもう一度会うことができたじゃないか。大丈夫。おひさまは常について回るんだから。
いろんな感情がこみ上げてくる!!暖かくて、切なくて、温かい
「悪は存在しない」に匹敵する最高傑作だと感じました。
景色も音楽も心が洗われる程素晴らしいです。木漏れ日が優しく、主演2人もこれ以上ない程自然体で、びったりはまっていました。吃音症を感じるタクヤ(越山敬達)が、スケートの上手いさくら(中西希亜良)に憧れて、という初恋のような展開に胸がおどります。
しかし、あることがきっかけで、せつない物語に急変します。
いろんな感情がこみ上げ、涙目になりながらも登場人物たちに共感していました。
ラストの終わり方が素晴らしく、想像力を生み出し心が豊かになります。
本当は
「ベイビーわるきゅーれ」と連チャンで観たかったんですが。池松くんって声がイイよね、ちょっと竹野内豊化が進んでるような気がしますけど。
同じ位の年でも女の子の方が大人びてるよね、フィギュアだとスタイルも良いしね。
カメラの距離感はお日さま目線って事なんでしょうね、三人それぞれにお日さまが有った。
またGネタか・・最後の言葉は? とちょっとイラっとしましたが、ハンバートハンバートのエンディング曲で吹っ飛んだ! これってフーの“マイジェネレーション”だよね? そうでしょ?!
「杞憂」とはこのこと
奥山大史監督、聞き覚えがあるような?ないような??調べてみると、あ、『僕はイエス様が嫌い』の監督か。。U-NEXTで配信されていたのを気づいていながら、宗教物かな?と思って敬遠していたのですが、本作を観る前に鑑賞してみましたところ個人的には好みではなく。。と言うことで、本作次第では私にとって「微妙な立場」に立つ(「ナニサマ発言」ですが、個人の指標のため悪しからず)可能性を踏まえつつ劇場へ。TOHOシネマズシャンテの初日は思いのほか客入りまばら。私はポイントを使って鑑賞です。
まず始まってすぐ気が付くのが、『僕はイエス様が嫌い』同様にアスペクト比がいわゆるスタンダードサイズと言われる「1.33:1」。こだわりなのでしょうね。取り敢えず、シャンテは幕で調整したりはしないので左右は黒枠です。そして始まって間もなく、劇中の空に白くヒラヒラと何かが舞い、少年タクヤ(越山敬達)が一言「初雪だ」。ま、CGですよね。と言うことで、観ている私としては、この調子でまた「小さい神様」とかみたいのはやめてねと祈るばかりですが、、、先に言っておきます。大丈夫です。ちゃんと気温や体温が伝わってくるような作品に仕上がっています。
そして、観終われば第77回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に選出された意味も理解できる脚本です。なお、特にその点では“学生”であるタクヤとさくら(中西希亜良)の目線と時間軸で考え、90分という短めの尺が物語り全体の印象にもいい影響となっている気がします。そして、この二人が兎に角キラキラしてるんですわ。素敵すぎる。中西希亜良さんは英語、フランス語も出来るとのことなので今後の活躍の幅が無限大。迷わずチェックイン必須ですね。
一方、池松壮亮さん、若葉竜也さん、お二人して相変わらず良すぎます。まぁ、自然。二人の掛け合いはもはや役でやっているようには見えません。他にも山田真歩さんや、いつも遠目ではありますが流石の存在感の篠原篤さんなど粒ぞろいなキャスティングは、やはり商業映画としての力が入っていて見応えがあります。何なら、次回は是非、大人の映画をじっくりの内容、それなりの尺で観てみたい奥山監督。勿論、こちらもチェックイン済みです。
と言うことで、「杞憂」とはこのこと。しっかり堪能できました。光の演出がされた美しいスケートシーンを味わいたければ、是非、劇場での鑑賞をお勧めします。
雪解けのように誤解も解ける?
曲に合わせフィギュアスケートを練習する中学生サクラと、そのサクラに見惚れフィギュアに心奪われた吃音でホッケーをやってる小学生タクヤと、サクラのフィギュアスケートの先生荒川の話。
フィギュアスケートを見様見真似でホッケーシューズで練習するタクヤにフィギュアシューズを貸す荒川、…後にサクラとタクヤをペアにしアイスダンスをやろうかと言い出した荒川だったが…。
最近使われてる昭和感のある色合いのフィルムと、そのなかで楽しむフィギュア練習の時間が雰囲気良く、優しい時間って感じで観てて心地いいし温かい、観てるこっちもいつの間にか微笑んでる。
荒川の穏やかさと優しさの雰囲気のなか練習を楽しんでるタクヤとサクラには何故か涙で。…荒川が同性愛者と知ってしまったサクラだったけれど中学生という年齢で処理出来なかったんでしょうね…。
個人的にはアイスダンスの方でちょっと感動的に終わるのかな?何て思ってたんだけど違った展開になってしまって。作品的には雰囲気良く観てて幸せな時間、幸せな気持ちなれるって感じで良かったね。
思春期も美しい
エンドロールの途中から泣けてきた。
思春期の淡い想いや照れ、吃音のこと。男性同士の愛情への理解。今もあるのかなぁ、あるんだろうなぁと思った思春期女子の潔癖感。
雪の白さや、柔らかなお日さまの光が素晴らしい。暖かなお日さまが全て溶かして春が来る。繰り返し繰り返し。
この作品の池松壮亮さんは、とても姿勢が良く美しい。そして若葉竜也さんは相変わらず優しく強い。
普段は少年少女が主役級の作品をチョイスすることは無いのだが、今回は池松、若葉の両俳優が観たかった。
でもタクヤ役の越山敬達さんは可愛いかったな~。素敵な俳優さんだし、とても気持ちの良い余韻を残す俳優さんだ。
そして、とにかく私が好きだったのは、タクヤくんの友達。あの強く優しい友達。ずっとずっと、あのまま大人になって欲しい友達。
もう少し、続きを観たかった作品。素晴らしい!
素晴らしかった。
昨年観た怪物もそうだったが、荒川の視点、タクヤの視点、さくらの視点が分かりやすかった。
ちょっと痛みもあるけれど、荒川、タクヤ、さくらがフィギュアスケートを通じてタクヤのさくらの恋の応援も兼ねてスケートの指導をし、まさかさくらとアイスダンスをするとは思わなかった。タクヤとさくらもアイスダンスをするたびに呼吸がぴったり合ってさあ、これからと言うときにまさか荒川が?
さくらもタクヤも思春期特有の心情がスクリーンから伝わった。
作品全体を観ているとよくあるストーリーだなと思いがっかりしかけた矢先に、エンデイングのまさかのタクヤとさくらの再会は次どうなるだろうとワクワクさせてくれた内容だった。もう少し、この三人を観ていたかった。荒川役の池松壮亮よりもタクヤ、さくらを演じた子役の二人の演技が素晴らしかった。
考察しがいがある作品であるのは間違いない。
2024年年間ベスト邦画候補でもあり間違いなく5位まで入る。
ナミビアの砂漠と同点の評価をしたい。
せつないけれど貴く美しいひと冬の物語
彼にとってのお日さまは、知らないところで泣いていた
2024.9.13 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(90分、G)
小学6年生のひと冬の初恋を描いた青春映画
監督&脚本は奥山大史
物語の舞台は、北海道にある村
小学6年生の多田拓也(越山敬達)は吃音が原因でクラスに馴染めず、運動神経もさほど良くないことから、野球でもアイスホッケーでもまったく活躍できずにいた
彼には理解者である唯一の親友・コウセイ(潤浩)がいて、相応の学校生活を送っていた
ある日、アイスリンクにてフィギュアの練習をしている三上さくら(中西希亜良)を見かけた拓也は、彼女の演技に魅了されてしまう
それから、放課後に独学でフィギュアの真似事を始め、そんな様子をさくらのコーチである荒川永士(池松壮亮)が見ていた
荒川は少年時代に使っていたフィギュア用のスケート靴を拓也に貸し、基礎的なことを教え始める
そんな様子を見ていたさくらは苛立ちを隠せなかったが、荒川は彼女の気持ちに気づくこともなく、拓也とペアを組ませてアイスダンスの練習をさせてしまう
レベル差は徐々に埋まっていき、拓也とさくらの息も合ってくる
そして、アイスダンスの大会に出ることになったのだが、その直前にさくらは「荒川の秘密」を知ってしまうのである
映画は、とても静かな映画で、ドビュッシーの「月の光」と、窓から差し込む陽光のコントラストで魅せる映画となっていた
LGBTQ+問題が描かれていて、さらに少年少女の素朴な感情が描かれていく
さくらは恋した相手が同性愛者であることを知って傷つくのだが、これは普通の感覚で、それらを社会的に許容するかどうかとは別問題であると言える
ラストで拓也はさくらと再会し、そこで何かを言おうとして映画は終わるのだが、二人がどうなっていくのかはご想像にお任せします、というエンディングになっていた
映画は、語らない映画だが、キャラクターの心情は痛いほどによくわかる内容になっている
さくらの母(山田真歩)も「秘密」を娘から打ち明けられ、その理由を遠回しに荒川に伝えるのだが、相手に配慮しつつも、これ以上さくらが教わりたくないという気持ちを伝えることになっていた
荒川はさくらから「気持ち悪い」とだけ言われてしまうのだが、それはさくらの気持ちが荒川に向いていたことと、生理的な部分が大きいのかな、と感じた
いずれにせよ、とても静かな映画で、展開もそこまで激しくないのだが、キャラクターの内面は恐ろしいほどに動いている作品になっていた
主人公である拓也が問題の蚊帳の外に居続けるというのも斬新で、何もしていないし、何も知らないところで自分の初恋が消えていくのは切なくも感じる
英題は「My Sunshine」というもので、これは解釈によっては「三人それぞれのお日さま」という意味にもなるので、それがうまく噛み合わないもどかしさというものもあるのだと思う
エンディングはこの映画の原案にあたる楽曲でもあるので、あの歌詞が拓也の言いたかったことと捉えるのか、彼の日常を補完しているだけなのかは見方によって変わるのではないだろうか
冬から春への小さな恋
「僕がはイエス様が嫌い」で第66回サンセバスチャン国際映画祭の最優秀新人監督賞を受賞した奥山大史さんが監督・脚本・撮影・編集を手がけて撮りあげた商業映画デビュー作は、何処か疎外感を抱く3人の触れ合いの様が、寓話的な美しさと現実的な厳しさで描く。
雪の降る田舎町、ホッケーが苦手な吃音の少年タクヤは、ドビュッシーの曲「月の光」に合わせてフィギュアスケートを練習する少女さくらに一目惚れしてしまう。
或る日、さくらのコーチを務める元フィギュアスケート選手の荒川は、ホッケー靴のままフィギュアのステップを真似して何度も転ぶタクヤの姿を目にする。
タクヤの恋を応援しようと決めた荒川は、彼にフィギュア用のスケート靴を貸して練習に付き合うことにする。
やがて荒川の提案で、タクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習を始めることになるが、或る切っ掛けで予想外の方向に転がっていく。
音楽デュオ「ハンバート ハンバート」が2014年に手がけた同名楽曲をタイトルにした本作では、池松壮亮さんがコーチの荒川役を務め、テレビドラマ「天狗の台所」の越山敬達さんがタクヤ、アイスダンス経験者で本作が演技デビューとなる中西希亜良さんがさくらを演じている。
吃音のあるアイスホッケーが苦手な少年、選手の夢を諦めて恋人の地元でスケートを教える男、コーチのことが少し気になる、ませたスケート少女、この3人の心が、やがて一つになってほどけてゆく。
映画巻頭の初雪のシーンから、春になって雪がとけるまでの切なくて淡い恋は、その純粋さゆえに何とも言えない温もりを残します。
今観るべき優しさ
脆さと危うさ
この映画では脆さと危うさが常に見え隠れする。
冬の雪が溶けていくこと。
どこにでも行ける思春期の心。
男性同土が恋の道を進み続けること。
心から動かされることをやること。
言葉数が少ないことがこの映画に緊張感をもたらす。
誰もが孤独から逃れたいのに、その孤独を捨てることに恐怖を抱え、捨てたとしてもまた戻ってしまう。
それは夏が来て、冬が現れ、また夏に帰る季節と同じだ。
そんな冬の脆さに、危うさにすがりたくなる。
しらふの夢を見ているような今をまっすぐな太陽が貫く。
ぼくにとってのお日さまは何なのだろうか。
タクヤにとって、憧れであるさくら
さくらにとって、私を見てくれる荒川
五十嵐にとって、好きなことを追い続ける荒川
荒川にとって、昔の夢を見させてくれるタクヤとさくら
そのお日さまは、ふとした言葉や少しの行動で、かげりをみせてもう元には戻れない。
誰かを傷つけるくらいなら、夏のままでいい。
こうして僕たちは大人になっていく。
難しい、最後もやもや
どこまでも澄み渡っていた
美しい融解の物語
吃音の彼の眼差しはスケート少女。少女の眼差しは男性コーチ。コーチの眼差しは同棲中の彼氏と二人のアイスダンスのプロデュース。
少年少女がアイスダンスを始め、心の壁が溶け出す刹那の輝きをカメラが逃さない。心を削るように氷を削る音。雪のように溶けていく二人の関係。それでも乗り越えられなかったもの。主人公にとって数年経てば経つほどいい経験に捉えられるか、トラウマ級の失望になるかを左右する屈指のラストカット。この物語はまだ自分の中で完結せず生き続ける決定打をうつ。セリフが少ないのに本当に情報量が多くて、いろいろな感情を有した素晴らしい映画だった。
池松壮亮✕若葉竜也は強い。この関係性もね。池松壮亮が『男らしくないぞ』と叱咤するシーンも敢えてだと分かるので安心できる。
本来こんな楽しみ方をする映画じゃないんだろうけど、「担任面のドルオタ」としては『こう育って欲しい』という組み合わせが嵌まった時の格別な喜びと『この願いはエゴだったのか』と勝手に失望するのを池松壮亮演じるスケートのコーチに重ねて号泣。想いが嵌まったシーンの温かさが段違いによく撮れてる。
オープニングがこう繋がるのかという驚き。ハンバートハンバートの曲は、吃音で上手く言えないことと愛する気持ちを上手く言えないダブルミーニングにするのは、自分にとっては安直だなと思ってしまったけど、エンドロールの映像と出てくる歌詞がかわいいことかわいいこと。かなり文字が小さいんだけどこれならスタッフへのリスペクト云々の問題にならないだろうと思う。
90分という上映時間も良いね。会話してるのに聞こえない演出も、いかにスケート少女に彼が一目惚れしたのかを示すシーンも、スケート少女が同性愛のコーチに勝手に失望する様子も、とにかくセリフを排しているので、能動的に見る姿勢が問われる。でも観れる仕掛けがたくさんされている。
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