「月の光とお日さまの光」ぼくのお日さま セバシチャンさんの映画レビュー(感想・評価)
月の光とお日さまの光
吃音症で言葉を上手く伝えられないタクヤ
感情を表に出すことが少ないさくら
かつて一流のプロスケーターだった荒川先生
3人の感情の交わりを描いた群像劇。
吃音症や同性愛をテーマにした映画はこれまでも沢山あっただろうが、この映画ではそれらの「特徴」に過剰なスポットライトを当てることはない。あくまで3人の心のやり取りを描いている点が、作品としての美しさと澱みのなさを作り出しているように感じる。
3人とも言葉数が多い人物では無いが、スケートという言語を通じて互いに必死になって感情をやり取りしているように見えた。それぞれの目線と動き、スケート靴で氷を砕いて滑る音、リンクに残る軌跡、それらから言葉以上のものが伝わってきた。
映像としても非常に綺麗で、劇中のキーになる曲である「月の光」とタイトルの「お日さま」という対になる2つのモチーフを表現する光の使い方が印象的だった。
そして、「ぼくのお日さま」というタイトルから、お日さまとは、タクヤにとってのさくらのことだと思うかもしれない。しかし、果たしてそれだけだろうか。さくらにとってもまた、タクヤや荒川先生がお日さまであったかもしれないし、荒川先生にとってもタクヤとさくらがお日さまであったかもしれない。
3人ともが互いに光を与え合うように、スケート靴を履いて舞う光景が魅力的だった。
だが、お日さまはいつまでも空を照らしてくれる訳では無い。月の光が差す時に3人がどのような選択をするのか。
お日さまの光が暖かく皆を包み込むものだとしたら、月の光は自分にまとわり付いて逃れられない本性の様に、他者には許容出来ない可能性も在るものじゃないのかと思いました。池松くんの持ち曲がそれだったのも象徴的ですね。