ザ・ウォッチャーズのレビュー・感想・評価
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親子鷹で同系ジャンル映画に挑戦! 及第点のアイルランド版「八幡の藪知らず」スリラー。
マジか。これ、ヒロイン、ダコタ・ファニングだったのか!
観てるあいだ、一切気づかなかったよ(笑)。
いつものように予備知識ほぼゼロで観に行ったので(「シャマランの娘が撮った」ということだけは知っていた)、エンド・クレジットでダコタちゃんの名前が出て来て、マジでびっくりした。なんなら、この映画で一番びっくりした(笑)。
いやあ、こんな顔に育ってたのか。
ふつうにくせのない別嬪さんに育ってるやん。
そういや、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にもマンソンズ・ファミリー役で出てたんだっけ。観たのにまるきり忘れてました……。
あと、ふつうに「原作があった」ことにも、結構びっくりした。
父親のシャマランが意地みたいにオリジナル脚本のどんでん映画ばかりで勝負し続けている監督なので、娘もその系譜を受け継いでいると勝手に思い込んでいたのだ。
これもある種の先入観を利用した「どんでん返し」のようなものか。
まあ、本編のほうはそこまでびっくりするような映画ではなかったし、父親が『シックス・センス』で一時代を画したような衝撃性は感じられなかったが、この手のゴチック・スリラーとしてはずいぶんと良く出来ていたほうではないだろうか。
みんな、期待しすぎだったのか、
二世監督なので評価が辛いのか、
ちょっと手厳しい感じがするけれど……(笑)。
このお話の場合、設定がどうとかクリーチャーがどうとかは二の次で、まずは「一度入ったら二度と抜けられない森」を舞台とした「森ホラー」なのだ、というのが重要だ。
要するに、童話でいえば『ヘンゼルとグレーテル』。
ホラーでいえば『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』あるいは『クライモリ』。
日本でいえば『青木ヶ原樹海伝説』あるいは『八幡の藪知らず』。
「何度も同じ場所に戻る」
「背後の車が突然消える」
「どこまで行っても出られない」
これらの現象は、実は「何が棲みついているか」とか、「森がどういう構造か」とはあまり「関係がない」。この魔法がかかったような鬱蒼たる森に、もともと付随するタイプの怪奇現象であり、超常現象である。
その意味で本作は、「森で迷う」という狩猟採集民にとっての原初的恐怖、DNAに刷り込まれた惧れに根差したスリラーだと言って良い。
そして、この「迷いの森」という王道の恐怖を、「アイルランド」という土地性と結び付けたことこそが、この作品本来の意義なのだと僕は思う。
米メリーランド州の魔女伝説と結びつく『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』。
米ウェストバージニア州の南北戦争落ち武者伝説と結びつく『クライモリ』。
南米アマゾンの秘境性と結びつく『人喰族』『グリーン・インフェルノ』。
中米のバルベルデが舞台の『プレデター』。
ドイツの黒森が主な舞台となるグリム童話の恐怖譚。
羆嵐の伝承をベースに旭川の森を舞台に展開する知念実希人の『ヨモツイクサ』……。
「森」の恐怖には、つねに地域性があり、それぞれの風土性がある。
『ザ・ウォッチャーズ』の主役は、ダコタ・ファニングでも、他の三人でもない。
真の主役は、アイルランドの森なのだ。
アイルランドは、幻想と魔法の国。
森のたたえる雰囲気や空気感にも独特なものがある。
そして、何よりも、アイルランドは「妖精の国」。
だからこそ、本作には、謎の「妖精」が出て来る。そういうことだ。
― ― ―
「アイルランド」「森」「妖精」の三題噺から、本作は二つの方向性を引き出した。
ひとつは「何かに観られている」という根底を成す設定。
もうひとつは「なぜ観られているか」に関する理由付け。
前者は、「窃視」「監視」「舞台」「監禁」といったテーマと結びつく。
後者は、「観察」「模倣」「複製」「チェンジリング」といったテーマと結びつく。
これらをうまく、ちりばめられた小道具と結び付けているのも面白い。
前者は「リアリティ・ショーのビデオ」「ガラス張りの部屋」「鳥かご」「監視カメラ」
後者は「オウム」「鏡」「双子の姉妹」「死んでいるはずの来訪者」などと呼応する。
これらが、巧みに「オーバーラップ」しているのも、作り手の頭脳的なところで、僕はけっこう感心してしまった。
●たとえば「物まね(ザ・ウォッチャーズの目的)」を象徴するオウムは、同時に、森に出入りできる水先案内人としての「鳥」の機能と、「鳥かご」に閉じ込められている4人を象徴する機能と、まっさきに地下室に持っておろされるような「炭鉱のカナリア」としての機能を併せ持つ。
●彼らが閉じ込められている「鳥かご」は、牢獄であると同時に、この森で唯一の避難所(レフュージ)でもあり、いつか脱出すべき場所であると同時に、敵から身を守ってくれる憩いの場所でもある。
●覗き見のために部屋に用意された巨大な「ガラス板」は、外部からは観察用の「窓」として穿たれているが、内部からは4人を映し出す「鏡」として機能し、常に4人の姿を「コピー」して、ダブルイメージを形成している。彼らは、つねに「複製される恐怖」に映像のなかで潜在的にさらされつづけているわけだ。
さらには、本作の設定やビジュアルイメージには、さまざまな既存のイメージや過去作品のニュアンスが巧みに取り入れられている。
●明かりのなかで、4人が並んで立たされる設定には、マジックミラー越しに目撃者が容疑者の顔認証をする『ユージュアル・サスペクツ』のような取り調べのイメージが援用されている。同時に、この「4人横並び」は、芸能界におけるオーディションをも連想させる。
●室内が明るく、前面が総ガラス張りで、外から異形が様子をうかがっている設定というのは、『ミスト』(2007)におけるスーパーマーケットの舞台装置と酷似している。あのスーパーマーケットは、「籠城するための避難所か、それとも脱出するべき牢獄か」の判断で内部紛争が生じたという意味でも、本作の鳥かごと類似した装置である。
森を抜けたら現れる、小集団が運営するステージというイメージは、『ボーはおそれている』でも観ることが出来た。
●パンフレットでは、『パンズ・ラビリンス』『ウィッチ』『アンチクライスト』の名前が影響を受けた作品として筆頭に挙げられていて、当然それはさもありなんといった感じだが、「監視映画」としては、『裏窓』『コレクター』『硝子の塔』『トゥルーマン・ショー』といった既存の前例ないしは近年のリアリティー・ショー・ブームが念頭に置かれているだろうし、そこに『SF/ボディ・スナッチャー』や『ローズマリーの赤ちゃん』『ゼイリブ』『ステップフォード・ワイフ』『寄生獣』といった「異形が人間にすり替わって紛れ込んでいる」擬態系の恐怖、あるいは失われた愛する物を異形の力を借りて復活させようというフランケンシュタイン幻想がかけあわされている。終盤に判明する、とあるキャラクターの正体に関しては、『スピーシーズ 種の起源』や『スプライス』あたりを想起させるところもある。
●地下のダンジョンを支配している異形のクリーチャーという設定は、『ディセント』や『トレマーズ』を容易に想起させる。同時に、害意をもった「集団」が「出られない森」に巣食って、人間たちが罠にかかるのを待ち受けているというのは、まさに『グリーン・インフェルノ』や『クライモリ』と同種の設定である。一方で、「逃げようとしない限り、単に観察してくるだけで危害を加えてこない」という設定は、『未知との遭遇』や『コクーン』のような、フラットな姿勢で人間に接してくる異星人映画をも想起させる。
●なにより、森から出られない設定や、異形の怪物が外でうろついている設定、外界から孤絶させられた小さな集団内で、厳格な「ルール」が設定され、共同体のメンバーがそれに諾々と従っているというのは、なんのことはない、父親であるM・ナイト・シャマランの『ヴィレッジ』(04)の焼き直しのようなものである(笑)。
望まずして4人の集団が強制的に結成させられて、傍がきいたら鼻で笑うような謎ルールでがんじがらめにされたうえ、それに逆らったら死の報復が待っている、というのも、父親の前作『ノック 終末の訪問者』(23)と、とてもよく似ている気がするし。
要するに、原作探しや演出において、イシャナは結局、父の幻影を追い求めている部分があるということだ。
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演出面でも、全体のイメージの統一の面でも、イシャナ・M・シャマランは、新人監督らしからぬ手腕を発揮しており、僕は素直に感心した。
もちろん、手長足長みたいなクリーチャーの造形をダサいと思う人もいるだろうし、「何かに監視されている、何かに監視されている」とさんざん強調しておいて、実はどんでん返しでもあるのかと思ったら、「マジで何かに監視されてるだけ」でがっかり、という人もいるだろう(この展開自体、父親の『サイン』(02)を彷彿させる)。
でも、細部に関しては意外にちゃんと考えてある部分もあって、たとえば、なんでここまで明確な「ルール」が設定されていて、かつきちんと継承されるようなことが可能なんだろう?って不思議に思うようなところも、真相をきくと、なるほどコイツが元凶だったから可能だったのか、といちおうは理解できる仕掛けとなっている。
全体の展開としては、そこそこうまくバランスがとられているし、先に述べたように「要素をより合わせる」手癖が上手い。
まあ、要所要所で製作に控えるお父さんが助け舟をだしているのかもしれないが……。
マイナス点で一番気になる点をいえば、やはり「食」の要素がどうやって成立しているのか、観ている範囲ではよくわからないところだろう。
あんな原始的な罠で毎日何羽もカラスが捕まるとはとても思えないし、一日4羽獲れたとしても、それと山菜だけで4人の飢えが満たせるとは到底信じがたい。何より、炭水化物はどうやって手に入れているのだろう?? 1週間くらいなら鳥肉だけでもなんとかなるかもしれないが、何か月、何年という話になってくると、正直絶対に飢え死にすると思う。
夜じゅうは姿をウォッチャーズに見せているとして、どういうサイクルで寝て、狩猟・採集に費やして、蓄音機とビデオの他にどんな娯楽があるのかなど、総じて「生活面」の要素がまるできちんと練られていないというか、敢えて観客が意識しないように気配を消させて、「そこはあんまり考えないでね!❤」みたいな作りになっているのは、さすがにどうかと思う。
とくに「排尿・排便」と「身体の清拭・衣服の洗濯」「水の管理」といった部分に関して、ほとんど言及されないあたりに、作品が概念的でリアリティーを欠く大きな要因があるように思う。
あと、冒頭の配送ミッションが、森で起きた事件と何か関連があるのかと思ったら、何にも言及されないまま終わったのには、ちょっとびっくりした。特段、道に迷ったような描写や、交通標識が誤解を生む表記だといった描写もなかったし、あれって言われたとおりに行ったら、あの森に迷い込んだってことだよね? ペットショップの店長がザ・ウォッチャーズの回し者みたいな話になるのかと思っていたのだが、的外れな推測でした。
その他にも、終盤の(森を脱出したあとの)蛇足感とか、シェルター建設に関する適当きわまる説明とか、教授の資料に関する雑な扱いとか、不穏な気配を漂わせながら結局なんにも起きない乗り合いバスとか、双子設定が活かしきれていないところとか、婆さんの正体について説明不足に感じる点とか、なんでクリーチャーは森から出られないかの謎設定(いきなり「封印だわ!」ってどういうことだよww)とか、ひっかかる点もそれなりにあるのだが、まだ24歳の新人監督の仕事にめくじらをたてるのも大人げないでしょう(笑)。
全体としては「僕好み」の謎解き風味のきいた良質のサスペンス・スリラーでした!
そういや、僕らの世代で『ウォッチャーズ』といえば、なんといってもD.R.クーンツの『ウォッチャーズ』(究極のワンちゃん大活躍ホラー小説)なんだけど、あれも真相の面ではなんとなく近しい部分もないではなかったな。
全米4位
M・ナイト・シャマラン製作のもと、娘のイシャナ・ナイト・シャマランが長編監督デビューを果たしたホラー「ザ・ウォッチャーズ」(ワーナー)は、4位に初登場。ダコタ・ファニング(「イコライザー THE FINAL」)は、28歳の孤独なアーティスト・ミナを演じました。彼女は、地図にない不気味な森に迷い込み、こつ然と現れたガラス張りの部屋に避難。そこにいた人々は“何か”に監視されており、破ると殺される3つのルールを課せられていました。ジョージナ・キャンベル(「クリプトン」)が共演
シャラマン節
ナイトシャラマンの娘、イシャナの
長編監督デビューを果たした「ホラー映画」
え、ホラー映画だっけ?!
はい、ホラー映画という体なのですが
良くも悪くもナイトシャラマン節と言うか…
まぁ原作がホラー小説じゃなくて
寓話、おとぎ話なのだとすれば納得。
そもそも全然怖くないのは想定内🫠(笑)
ウォッチャーズに監視されているのは不気味
でも快適空間でもないそんな所に軟禁状態で
食事もままならず、お風呂やトイレ問題
とにかく人間関係トラぶりそうなのに
そこは比較的緩く進む。
緊迫感がありそうでなくて、
物語も新鮮味はないから退屈かな。
シャマランの一族
シャマランの一族だから解釈は観客に任せます的な難解な作品なのかと思ったら
割と理路整然とした作品で
オチもスッキリ終わって面白かった
所々あるジャンプスケアは要らないと思う
他の人の感想みたらファンタジーって言ってる人が結構居て
へぇってなった
個人的にはクトゥルフ神話的な話ではあるなぁとは思った
まぁクトゥルフ神話がファンタジーであるというのならファンタジーかもね
ネタバレ禁止映画として衝撃度は低、丁寧さは高
深い森の中に迷い込み、小さな小屋にたどり着いた主人公が、夜な夜なやってくるウォッチャーズにおびえながら、すでにそこにいた3人とともに脱出できるかというお話。
シャマラン監督の娘ということだが、父親と同じ路線を期待通りに歩んだいわゆるネタバレ禁止のサスペンス映画。
・ザ・ウォッチャーズって、何者なのか
・どうやって脱出するか
・すでにいた3人は(もしくは主人公も含め)、ただの被害者か、それともいわくがあるのか、というかいわくアリにしか思えない
というような謎をきれいに回収していく。
伏線も含めて、曖昧さや「判断は観客にお任せ」的な逃げ方はやめて、丁寧に説明していく。
やや説明的なセリフはあるにせよ、その点では好印象。
家族のドラマも多少絡めているが、自分としてはそこは薄味。
もはや妖精でも、怪物でも、宇宙人でも対して変わりはないウォッチャーズの正体は
大した問題ではない。
脱出に関しては、さんざん苦労した迷いの森をあっさり抜けられたのは
マデリンのおかげと一応、理解。
リアリティ番組のビデオはミスリードだったのか、カップルになれば出られるというオチは無かった。
っていうかペットショップのくだりもミスリードで、人間は飼われているのではなく、小屋に逃げ込んだだけ。
さいご、脱出時に森を抜けられて、太陽の下で生きられているため、さいごの3人に「いわく付き」は無いと思わせておいて、人間とのハーフであれば、大丈夫かもねという後付け説明はちょいと反則。
全体としては謎の衝撃度は低め、正攻法で謎を説明する丁寧さは高めでした。
森に潜む不穏な陰
M・ナイト・シャマラン監督がプロデュースし、その娘イシャナ・ナイト・シャマランが、初監督作品としてメガホンを撮ったサスペンス・ホラー。冒頭、不穏な森から必死に逃れようとする一人の男とその男を得体の『知れない何か』が追い詰めるシーンから映し出される。のっけから、ハラハラ、ゾワゾワさせる緊迫感と悲壮感を植え付けてくる、シャマラン・ワールドに引きずり込まれた。
『得体の知れない何か』は父のシャマラン監督も得意とするところ。そのDNAをしっかりと娘も引き継ぎ、その『得体の知れない何か』を『森の監視者』として描いた作品。ある意味、最近の父の作品より、個人的には、ストーリーの展開を楽しめた。但し、やっぱりラストがどうもご都合主義で、しっくりこないでエンドロールを迎えるのも、父のプロデュースの影響なのか…とも勘ぐってしまう。(笑)
15年前の交通事故で母を亡くしたミナは、そのトラウマからなかなか抜け出せないでいた。ある日ミナは、鳥籠の一羽の鳥をある場所に届けに行く仕事の途中、森の中で迷い、車も故障してしまう。助けを求めて森を彷徨っていると、車が消えてしまい、何かが追ってくる気配を感じる。そんな時突然、ガラスに囲まれた鳥籠と呼ばれている小屋が現れ、その中にミナは避難した。
そこには、老婆のマデリンと若い女性シアラと10代のダニエルが居た。彼らは、毎夜訪れる『得体の知れない何か』に監視され、怯えながら何か月も鳥籠で暮らしていた。そして、そこには破ると、『得体の知れない何か』に殺されてしまうルールがあった。何とか脱出を図ろうとするミナだったが、次第にその鳥籠が作った人物や作られた目的、経緯が明らかになる中で『得体の知れない何か』の、驚愕な正体も見えてくるのだが…。
主役には、どこかで観た覚えがあると感じていたら、なんと『宇宙戦争』でトム・クルーズの子供役や『トワイライト』シリーズでも出演していてた、ダコタ・ファニングが演じていて、随分、成長した姿に驚かされた。
ホラー仕立てのヒューマンドラマ
森の中に迷い込んだミナ(ダコタ・ファニング)が辿り着いたコンクリート造りの建物。一見お洒落な別荘かと思いきや、ウォッチャーズ=怪物から身を守るためのシェルターでした。夜になると襲って来る怪物は、生態どころかどんな姿なのかも分からず、それが怖さを醸成していましたが、むしろもっと怖かったのは極限状態に陥った時の人間心理でした。この辺の狂気じみた様相は、もし自分が極限状態に陥ったらこんな風になるかも知れないなと感じられ、妙にリアリティがありました。
そして、建物の秘密や怪物の正体が判明し、命からがら森を脱出して街に戻ってからも話が続いたところがある意味本番。そして森で体験したような恐怖とは一転し、怪物とコミュニケーションを取って最終的には両者が共感したように描かれた上、ミナが自分の過去を乗り越えたエンディングを迎える。なんかヒューマンドラマとして締めくくられていたのは意外でした。ガチのホラーを期待していると拍子抜けかも知れませんが、私としてはこの意外性は好みの部類でした。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
つまらなくはない
映画館にて鑑賞しました。
良く言えば王道、なのでしょうか。途中までは割とパニック映画だな感があったのですが、最後の展開は蛇足を感じました。森から逃げ切ったところまでで良かった気もしてしまいました。その後の研究室での答え合わせも悪くはなかったですが、シアラの家でのシーンはなんだかなぁ~、感と言いますか。。。
森から脱出するまでの展開も割と既視感はありましたが。。。限られた空間+未知の生物に襲われる、という映画は割とあるので、新しい展開って難しいんだろうな、と思いながら鑑賞しました。
つまらなくはない、という感想でこの点数になりました。
閉鎖環境ミステリーホラー
いつも通りに何も事前情報を能動的に確認せずに鑑賞開始
たまたま時間が合ったので、クワイエットプレイスDAY1とどっちにしようかな?と迷い、上映回数が少ないほうを選択
最初のほうはそれなりに惹き込まれるものは感じましたが、終盤に向かうにつれて説得力や整合性に欠ける部分が頻出しまくり、結果的にはうーん??という印象になってしまいました
精霊や妖精を具象的に生々しく描くのは日本人にとってはあんまり馴染難いものはあるかな?
主人公のアーティスト設定が観た後でわかって作中では絵が描けるという程度にしかわからなかった。
結局オウムをちゃんと届けたのかがわからない。
そもそもなんでオウムを届けなければならなかったのかがよくわからない。ペットショップで働いていたから?→アーティストなんじゃないの?→食えないアーティストだからバイトしているってこと?みたいに推測でしかわからない。(そもそもわたしはアーティストだとはわからなかったので、観た後での推測です)
主人公の双子の姉との関係の描写が中途半端。
ルールを守らなかった為に母を死に至らせた後悔があるのはわかるが、それと作品本筋との絡め方の意図がよく汲み取れなかった。
あの穴の底が結局何だったのかも判然としない
他の方も指摘されているように、あの構造物と地下施設についての説明も「???」だらけ。電源は自家発電だそうだけども燃料は?みたいな疑問は湧いた。
PCかMacかわからないけど端末内の最後の300番目の動画で、なぜ教授が撮影を切らずに撃ちに行ったのか?とか
河に出る方法も、なぜいままで出来なかったのかがよくわからない。教授の説明だけで?
妖精たちにはそれなりの知性があると思しいにも関わらず、地下への扉を放置した理由がわからない。
知性の在り様がよくわからなくご都合主義的に見えた。
人を学習する要素などは、近年発展めざましいAI学習を連想させられました。
監督の「顔」をこれから見てみたい
アイルランドの森の奥
足を踏み入れたら戻ってこれない謎の領域があった
そこにはコンクリートの小部屋が建てられており、部屋の一面だけが全面ガラス張り
主人公含む4人の男女は、毎夜ガラス越しに
"なにものか"に観察されているのだった・・・
父親であるM・ナイト・シャマランに対しても「どんでん返しの監督」という目を向けることに私は否定的なのだが、今作もその影響を受けたプロモーションが目立ったように思えた(日本だけか?)
作品自体も一作目ということもあってか親シャマランの雰囲気に寄せているような印象もある
それでも近年の『オールド』や『ノック』に比べると設定や物語は明解でスッキリとした描き方だ
これが監督自身の作風なのか別の要因によるのかはまだ分からないが、次回作以降も監督の「顔」が見えてくるまで期待を持って観に行きたいと思える一本だった
ただ、尺の問題もあるのかもしれないが、とあるキャラクターがクライマックスで翻意する理由づけがもっと厚く描かれていると良かったなと個人的には感じた
30歳間近のアーティスト、ミナ(ダコタ・ファニング)。 友人から1...
30歳間近のアーティスト、ミナ(ダコタ・ファニング)。
友人から1羽のオウムを動物園に届けてほしいと依頼される。
車で出かけたが、途中、カーナビの故障なのか、森の小道に迷い込んでしまう。
スマホも効かず、車も故障。
助けを求めて、籠の鳥とともに森をさまよううちに夕暮れ近くになってしまう。
と、見知らぬ女性(オルウェン・フエレ)が、「早く逃げ込まなければ!」と、ミナを奇妙な建物に押し込めてしまう。
そこは、一方の壁面がマジックミラーになっており、夜な夜な「ザ・ウォッチャーズ」と呼んでいる生き物がやって来ては、中にいる人々を監視しているのだった・・・
といったところからはじまる物語。
父親譲りの奇妙な設定の映画を撮った娘シャマラン監督。
これは小さい時分から父の映画を観、同趣向の作品が好きなんだろうなぁと推察したが、原作があるんですね。
ま、この手の話を選ぶのは当然かもしれませんが。
原作があるせいか、予想していたほどの破綻はない。
奇妙な監視施設の建築とか、どうやったんだろうなぁ、みたいな疑問はあっても。
「ザ・ウォッチャーズ」の正体もフォークロア、民俗学の領域に踏み込んでいて、英国版『妖怪ハンター ヒルコ』ね、と納得したした次第。
人間vsウォッチャーズの構図に持ち込まないあたりが、非常に好ましい。
結構、好きです、この作品。
ダコタ・ファニングが少々太りじしになっており、その肉体的存在感が映画にリアリティを与えていました。
私はとても面白いなと感じました
ホラー映画としてもよくできていたし、構成が素晴らしいです。
強いていえば少しありがちな話ではありました。
でも父親のシャラマン監督の「KNOCK」に比べると、相当納得のいくストーリーだったし、起承転結の転は三段仕込みで終わったかと思えばまだ先があり。
話はとても面白かったのですが、CGが微妙だったのでうまく誤魔化した方が良かったのかなと思うシーンはありました。
個人的には主人公がずっと抱えている罪悪感が軸になっており、最後にはそれに決着をつけることで、綺麗にまとまっているなと思いました。この辺のダコタ・ファニングの演技はとても良かったです。
キャラクターは危ういメンタル状態のダニエルがビジュアルも含め結構好きです。
賛否両論なのは頷けます。
ホラーや謎解き、刺激を求めると、確かに陳腐なところも多々あります…。ホラー視点で行くと、結果として謎クリーチャーが音と暴力性で怖がらせているだけ、な感じです。
謎解き視点では、ツッコミどころしかありません。最後のオチもそうですが、あの極限状態で行き届いているオウムの世話とか、そもそも誰がオウムを届けさせたのかとか、何であんな森の中に普通っぽい自転車が持ち込まれてるのかとか、教授のDVDの謎チョイス(笑)とか、他のところに気を取られる感じです。
しかし、この辺は洒落怖などの穴だらけのホラーがOKな方なら許容範囲と思います。ちなみに私は洒落怖大好物なので、急に古代史の妖精共存おとぎ話が入ってきても全然いけます。オチとしてはそこまで感心はしませんが、結局よくわからず終わるより、はっきりしてくれた方が好みです。
人間心理の視点だと、少し見方が変わるかもしれません。全員にどこかしら不完全さを感じます。でもキアラみたいになれたら、人生辛くても満足度高そうな気がします。これも賛否ありそうですが…。
個人的には、ミナがハーフリングであるマデリンに対し『半分は人間』と伝えたシーンが1番印象的でした。それまで私もマデリンのことを『クリーチャー』と決めつけて見ていたことを思い知ったからです。本当によくある展開でとても単純なんですが、何か今回はグサッと来ましたね。自分の先入観や価値観を思い知らされました。
そして、時間数がちょうどいい!最近の映画は120分超えが当たり前で私には長すぎるんです。120分を超えると、いくらか没入感があっても必ず1度は時間を気にしてしまいます。そもそも、この映画観ようと思ったのは120分以内だったからです。クワイエット・プレイスと迷って、シャマランの娘を選びました。
しかし、これらを求めてこの映画を観る人は少数派でしょうね。なので、胸を張ってオススメはしませんが、私は良かったです。
シャマランの監督作品ということで
期待していたらありえないくらいつまらなくて、調べてみたらシャマランの娘のデビュー作だったのね。
登場人物達が山奥の小屋に軟禁されるんだけど、TVが見れるんだったら電気通ってるじゃん携帯電話を充電して助けを求めろよとか、小屋からの脱出方法が偶然に発見したトンネルであっさり脱出したり、偶然に川に出たら都合良くボートがあってあっさり脱出したり、教授の研究室に難なく潜入して資料をGETしたりとあり得ない偶然が起こりすぎ。
シャマランも娘のデビュー作なんだから気合い入れて脚本に赤ペンつけろよと思いました まる
夜に家では電気を点けるべき
一応、ゆるいシャマラニストとしてはシャマ娘の監督デビュー作を見逃すわけにはいかない。ドローンでの森の空撮はシャイニングっぽさを思わせつつ、なんでそうなっちゃうの?なところには父の遺伝子を感じなくもないが、シチュエーションスリラーかと思いきや話が進むにつれてファウンドフッテージ要素が入ったり、進撃の巨人っぽかったり(見た目だけ)、いろいろと思わぬ展開が…。
予告の謳い文句の通りたしかに予測不能っちゃそうなんだけど、いろいろ入れた一つひとつが薄味で、少ない登場人物の関係性も浅く、理屈をつけてるわりに納得感がない。人の真似をするってだけでオウムも役不足だし。熟女感の出てきた主演のダコタ・ファニング(まだ30歳でした、失礼!)が最後に能町みね子になるぐらいの突拍子のなさを次作には期待したい(さすがに無茶)。
ちょうど良い怖さかも
怖くないわけではないが、怖すぎるわけでもない。この塩梅がちょうど良く、時間も100分と見やすかった。
こういう日本でいう洒落怖系統のホラーは、個人的には大好きだが好みは別れそう。終盤は「うーん…」という感じ。
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