35年目のラブレターのレビュー・感想・評価
全242件中、121~140件目を表示
二人の皎子 最高でした
優しくしっかりものの妻 原田知世さん演じる皎子がとても良かった
出会ってから新婚時代の皎子を演じた上白石萌音さんこれもまた良かった
若かったころの思いやりやタコ焼きで怒った皎子など過去の思い出を振り返りながら進行していくストーリーに夫婦の情が見ている側にも溢れるほどにいっぱいになった 鶴瓶さん知世さん萌音さん
よう泣かせてくれました。
この映画の3つ良いところ。ほっこり笑える、泣ける、とにかく泣ける
自分の人生と重なってしまう
二人のラブレター
この作品が教えてくれたのは「幸せ」とは人それぞれによって異なるもの、を
改めて教えてくれた。
それは作中で保が疑問に感じ、言葉に発していた「皎子は自分と結婚して一緒にいて幸せだったのかな」という疑問。
それに対し、皎子は棚に仕舞い込んでいた、タイプライターでのラブレターの中で死後答えているのが後からわかります。
幸せですとはっきり。
夫婦二人がお互いにラブレターを書き合いお互い幸せを確認出来てほんとよかった。
鶴瓶さんも原田さんも円熟した名演、若い重岡さんも上白石さんも文句ない役でした。無理にお涙頂戴ものなストーリー展開でなく、地味に淡々と進む中で何度も目頭が熱くなる作品でした。
安田さんも良かったよ。
じんわりと温かい。
予想裏切られて、大泣き💦😭💦
老後にこんな関係でいられたら
歳をとるにつれ、益々この手のクサい映画が好きになった俺は予告編を目にしてからとても楽しみにしていた。
【物語】
昭和10年、山深い場所で炭焼きを営む貧しい家に生まれた西畑保(重岡大毅)。 恵まれない環境で育った保は満足な教育を受けられず、読み書きも満足にできないまま大人になった。
職探しにも苦労したが、理解ある寿司屋の大将(笹野高史)の下で真面目に働き寿司職人となる。大将に認められ、勧められた見合で皎子(上白石萌音)と出会う。皎子に惹かれた保は読み書きできないことを打ち明けようとするも、できないまま結婚。あるときその事実を知った皎子だったが「今日から私があなたの手になる」と変わらず保を支え続けた。
月日が流れ65歳になり、定年退職を迎えた保(笑福亭鶴瓶)は、ずっと支えてくれた皎子(原田知世)に感謝のラブレターを書きたいと考え、夜間中学に通って読み書きを学ぶことを決意する。
【感想】
観賞前の興味というか、作品に入り込めるか否かの最大のハードルは現代の日本では絶滅しているとも言える文盲の主人公を、どんな設定でリアリティーを持たせるのかと言う点だったが、まあギリギリ納得できる設定だった。
入口のハードルをクリアした後は、期待通り!
予告編で結末の想像がついてしまうような作品なのに、涙ダダ漏れ。
最近、夫婦愛の物語にとにかく弱い。自分は果たしてカミさんと生涯共に過ごすことができるのか?と不安を感じていることの裏返し (笑)
定年後の離婚っていうのは女から言い出すと言うのが世の中の常識みたいで、そういう年代で男から離婚を切り出す話は聞いた憶えが無い。保のように愛されるじいさんに憧れる!!
鶴瓶は良くも悪くも期待通り、想定どおりの鶴瓶だったが、原田知世が思った以上に良かった。歳相応の落ち着きと、サラっとした感じでありながらも温かみがあり、やり過ぎない佇まいが良かった。結末で明かされるラブレターを受け取ったときの皎子の真意にはホントにやられた。
本作はやはり永く一緒に暮らし続けることの難しさを身に染みて知る既婚者にこそおススメです。
夫婦の心の絆物語
癒し
こういうお涙頂戴的内容の映画はまず観ないのだが、封切り前に、ある居酒屋で隣の席の20代と思われる若者達が、この映画を観たい観たいと盛んに言っていたので、気になって観てみた。
なるほど、泣けるしラブレターに纏わる展開もそれなりに面白く、全般的によくできた映画だ。
ただ特に若者受けする内容は見当たらなかった。
はて、若者は、この映画に何をみるのだろう。
若い頃の失敗は、努力すれば年老いてからでも取り戻せるという希望かしら、あるいは若者達の令和の現実ではハードルが高い、リアルな心の繋がりかしら、はたまた理屈はどうあれ、ただ胸を熱くさせる癒しが欲しいだけかしら…
時間を戻して、あの居酒屋の若者たちに問いたいが、キモ!と言われて無視されそうだ笑
全く似ていないから別人の話し
温かい気持ちになれます。
鶴瓶さんですねー
とある手紙を手にした保が、それを「読むあげること」ができるかどうかへと反転される経緯に不意を突かれ、感動を覚えました。
今年は第2次世界大戦の終結から80年という節目の年を迎えている。「もはや戦後ではない」との有名な文言を掲げた経済白書は1956年のものだったが、それ以降の日本でも確かに「戦後」は続いていたのです。
本作の主人公にとって、戦争で学校に行けず文盲になってしまったことにより味わった苦しみが「戦後」を引きずることになったのです。そんな主人公が最愛の妻にラブレターを書くため文字の勉強に奮闘する物語が本作の軸になっています。
笑福亭鶴瓶と原田知世が夫婦役を演じ、夫と彼を長年支え続けた妻の人生をつづったヒューマンドラマ。2003年に朝日新聞で紹介され、創作落語にもなるなど話題を集めた実話をもと執筆された小倉孝保による小説を原作として映画化しました。
●ストーリー
西畑保(笑福亭鶴瓶/重岡大毅)は貧しい家に生まれ、学校でお金を盗んだと誤解され、教職員や同級生からいじめを受け、小学2年生を最後に学校に通わなくなってしまいます。その影響から字の読み書きが困難となり、そのことが理由で様々な場所でいじめや差別を受けてきました。
皎子(きょうこ・原田知世/上白石萌音)と見合結婚してからも読み書きができないことを隠してきましたが、回覧板に自身の名前を書けなかったことで隠しきれず、離婚を覚悟で読み書きができないと白状したのです。すると皎子は保の手をとりながらこう告げたのです。「今日から私があなたの手になる」 その言葉に、その眼差しに、保は救われたのでした。
けれども皎子は保に文字の読み書きを教えてはみたものの、保は乗り気にならず、いつしかやめてしまいます。子どもが生まれた時の出生届は手に包帯を巻いて怪我したと偽り窓口の人に代筆を依頼して凌いだのでした。
保は、奈良市内の寿司屋で、寿司屋の大将の逸美(笹野高史)から働きぶりを認められて、定年後も雇用継続で勤務していましたが、64歳の春に退職することになったのです。退職前の帰り道の夜、談笑する女性グループに何度か遭遇し、聞いてみると近くの夜間中学帰りだというのです。3月の終わりに中学校に話を聞きに行き、どんな時も寄り添い支えてくれた皎子へ感謝のラブレターを書くことを退職後の目標にしようと保は思いつくのです。そして一大決心し夜間中学に通う入学手続きをして、帰宅後に家族に打ち明けます。すると皎子からは鉛筆を1ダースプレゼントされます。
こうして保は、毎日授業開始の1時間前に学校に行き「あいうえお」から書き続ける日々を過ごします。夜間中学の担任の谷山恵先生(安田顕)からは、じっくりと粘り強い教えや年齢・国籍も異なる同級生たちと共に学ぶ日々で少しずつ文字を覚えていく保。しかし老齢のため物覚えも悪く、気付けば5年以上の月日が経過した頃、一字また一字と書いては消しまた書くひたむきな保と、それを見るともなく見守る皎子は結婚35年目を迎えていました。なかなか書き上げられずにいたラブレターがようやく形になろうとしていた頃、皎子に異変が生じます。果たして保はラブレターを書き上げて皎子にむ渡すことができるのでしょうか。
●感想と解説
知性や知的エリートなど何の役にも立たたず、エモーショナルな感性ばかり持てはやされる風潮が、現代にはあります。そんな反知性主義めいた風潮に異議を唱えるかのように、読み書き能力や知性の習得が戦争で受けた過去の辛い体験を一掃し、夫婦間の絆を強める手段として描かれる展開に清々しさを感じました。
クライマックスとなる場面なので子細は省きますが、ラブレターを「書き上げこと」をめぐることが物語の軸であったはずのなのに、とある手紙を手にした保が、それを「読むあげること」ができるかどうかへと反転される経緯に不意を突かれ、感動を覚えました。 主人公の「書くこと」に向けた奮闘は、同時に「読むこと」をめぐるそれでもあったののです。
印象的だったのは笑福亭鶴瓶と原田知世がごく自然に夫婦役に収まっていることです。 現在、鶴瓶は73歳、原田は57歳。映画のモデルとなった西畑保さんと咬子さんの夫婦は年齢差がほとんどなかったが、鶴瓶と原田は16歳差。かたやお笑い界の重鎮、かたや映画のデビュー作「時をかける少女」の面影を残す女優。キャリアもイメージも異なり、「僕と夫婦っていうのは、気の毒やって思った」と鶴瓶はマスコミからのインタビューに答えていましたが、映画の中の2人は、仲の良い夫婦そのものでした。
苦労をともに乗り越えてきた夫婦を演じるのに、原田は 「鶴瓶さんは、誰に対しても親しく接してくださるので、初日から、自然と隣にいることができました」と振り返ります。「撮影中も、ずっと鶴瓶さんの横に寄り添って、見つめて。実際の咬子さんがしたように、見て感じるっていうことを続ければ、咬子さんに近づくのかなって。だから、役作りについてはあまり考えませんでした」ということでした。
鶴瓶も同様に笑いながら、「恥ずかしいんですけど、演技をするのに、まったく何も考えなかったんです」と話します。
「西畑さんたちは、うちの夫婦に似てるんです」と鶴瓶。「僕らは、夫婦げんかをしたことない、50年以上。声をあららげたこともない。だからやりやすかった」。映画で西畑夫妻が住んでいる長屋風の家が、「僕の生まれた家と似ていた」とも。「親が生きていて、あの家見たら、喜ぶと思う。それほど似てるんで、すっと溶け込めたんですね」といいます。
そんな背景があればこそ鶴瓶も原田も役に成りきって、感情を露わにすることができたのだと思います。
前項で触れたとある手紙を手にした保はボロ泣きに涙を流します。あれは演技ではなくて、鶴瓶は「ほんまに号泣したんですよ。『ここで泣いたろ』とか、『ここで泣いたら、みなびっくりするやろ』なんて一切思ってない。手紙読んで、どんどん悲しくなって、声出して泣いた」と明かしていました。
原田も「撮影期間はそんなに長くなかったんですけど、何か、一緒に人生を歩んできたような不思議な感覚が生まれてきた。だから、涙も生理的なものでした」。
この辺の西畑夫妻に成りきったふたりであったからこそ、本当の夫婦のやり取りのように思えてならなかったのでしょう。
新作落語にもなったお話。名作『芝浜』にもひけをとらない人情噺に、ぜひ触れてみてください
ハンカチ1枚じゃとても足りなかった
なんとなく良さそうと思って見たら、冒頭から胸にきて、ハンカチ1枚じゃとても足りませんでした。過去の2人も、現代のふたりも、お互い思いやっていて、ふつうの暮らしを一生懸命していて泣けます。ふつうって、ふつうのことじゃないんですよね。色んな愛情で成り立ってるんだなあと
全242件中、121~140件目を表示