Shirley シャーリイのレビュー・感想・評価
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現実と非現実が混沌とする世界観
シャーリィ&スタンリー夫妻 とフレッド&ローズ夫妻が主な登場人物なのですが、
シャーリィの小説のキャラでもあるポーラとローズの境界がわからなくなったり、
はたまたシャーリィとローズがごっちゃになったり等、すごい複雑に人間が絡みあって
時間軸も後半は特に曖昧になったりと、混沌とした世界観だなと感じました。
シャーリィが自分のことを「魔女」と言っていることが、
彼女の強烈な発言によって裏打ちされていたり、
ローズをタロットで占ったときに「ハングドマン」が3回連続で出てきて
不穏な空気感を醸し出したり・・・と、なかなかエッジが効いていると言いましょうか
違和感のつくり方が上手いな〜と思いました。
それにしても、男どもがクズすぎる!と感じたのは私だけはないはず。
クソみたいな男しか出てこないな、なんて思いながら観ていました。
女性の扱いについて、時代感はあるにせよ、酷すぎませんかね。
まあ女性陣のやっていることも不穏だったりはするんですよ。
ローズが卵を床にわざと落としたり、パーティーでサンドウィッチを床に落としたり、
崖で自殺未遂に至ったりなどなど。
シャーリィは前述の通り発言が怖いですしね。
ラストでは、シャーリィの小説が完成して喜ぶシャーリィ&スタンリー夫妻と
フレッドのクズっぷりがバレて崩壊するローズたち。
実に明暗のくっきりしたコントラストになっていたと思います。
実によくできた作品だと思いますし、ずっと考察しながら観ていましたね。
【不穏感が横溢する作品。(褒めてます。)作家シャーリーと夫の歪んだ悪魔的な人間性に呑み込まれつつ、夫の為に彼らと嫌々同居していた若妻がシャーリーにより強かに自立していく姿が印象的な映画。】
■発表した短編「くじ」が話題になるが、シャーリー(エリザベス・モス)は体調の不調を訴え、ベッドに寝た切り。
大学文学部教授のスタンレー(マイケル・スタールバーグ)は一計を案じ、助手のフレッド(ローガン・ラーマン)とその妻ローズ(オデッサ・ヤング)を自宅に住まわせ、ローズに家事全般をお願いする。彼女は夫の為と思い、その申し出を引き受ける。
◆感想
・色んな所に書いてあるが、序盤はシャーリーを演じたエリザベス・モスの眼の下の濃い隈の顔と、ローズに対しての非常識な言葉が、観ていてとても嫌な気持ちになる。
エリザベス・モスは、元々”何処か、内臓がやられているんではないか?”と思う位、目の下の隈が印象的な顔つきと、意地の悪そうな眼付きの女優No3に入る方であるが、今作ではそれが非常に効果的である。
・更に、シャーリーの夫スタンリーがコレマタ嫌な奴で、最初はフレッドに対し下手に出るが、フレッドに対する出自の劣等感を隠さずに、約束していた論文を読む事を引き伸ばし、更には彼の論文をローズとシャーリーの前で酷評するのである。
更には、露骨にローズに背後から近づいたりして・・。
似たモノ夫婦であろう。
・だが、シャーリーは徐々にローズを受け入れていく。描かれないが消息不明になったスタンレーの教え子ポーラをモデルにした小説を見て貰っているとも言っている。
・シャーリーはスタンレーが勤務する大学の学部長主催のパーティに行っても毒を吐き続けるが、彼女に感化されていたローズも、盛りつけられたサンドイッチをポイポイとさり気無く床に捨てている。
■更にシャーリーは、ローズに対し”貴方の夫は浮気しているわよ。女学生の中からよりどりみどり・・。”と言ってニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
だが、ローズにも思い当たる節は沢山有って・・。
そして、フレッドとローズの夫婦関係に軋みが入り始めるのである。
■徐々に強かな女になって行くローズは、シャーリーの車でポーラが行方不明になった道で降ろしてもらい、二人は坂道を上がって断崖絶壁に立つのである。
この辺りは、現実が小説に侵食され、境界が曖昧になっている状況を示している。
<ラスト、フレッドとローズはシャーリーの小説が書き上がったために、漸くスタンリー&シャーリー宅を車で出るのであるが、ローズはフレッドに対し冷ややかな視線を向けている。一方、スタンリーはシャーリーの小説を激賞し、シャーリーも嬉しそうである。
今作は、作家シャーリーと夫スタンレーの歪んだ悪魔的な人間性を描くとともに、一見彼らに養分を吸い取られたかのように見えた若夫婦の中で、素直で従順だった妻がシャーリーから薫陶を受けた事で強かな女になっていく様を描いた不穏感が横溢する嫌な気持ちになる作品である。>
<2024年8月14日 刈谷日劇にて鑑賞>
キーワードは「吊るされた男:正位置」、意味を知っているとニヤリとできますよ
2024.7.18 字幕 京都シネマ
2019年のアメリカ映画
原作はスーザン・スカーフ・メイルの小説『Shirley: A Novel』
実在の作家シャーリイ・ジャクスンが『絞首人(Hangsaman)』の執筆に至った経緯を描いたヒューマンミステリー
監督はジョセフィン・デッカー
脚本はサラ・ガビンス
物語の舞台は、アメリカ・バーモント州ベニントン
敬愛するスタンリー教授(マイケル・スタールバーグ)の助手をしているフレッド(ローガン・ラーマン)は、妻ローズ(オデッサ・ヤング)とともに、彼の邸宅に向かっていた
そこではパーティーが開催されていて、スタンリーの妻で著名な作家シャーリイ(エリザベス・モス)を囲んでの食事会のようなものが催されていた
ローズは彼女が書いた『くじ』に魅了されていて、会える日を楽しみにしていた
少ない会話を交わしたローズとシャーリイだったが、彼女は一目でローズの妊娠を言い当てた
スタンリーは彼女の特殊能力の一つだと揶揄うものの、シャーリイの言葉はどこか棘があって、ローズは自尊心を傷つけられていると感じていた
物語は、『くじ』以降、執筆に取りかかれないシャーリイの世話係としてローズが住み込みで働き出すところから動き出す
ローズもベニントン大学で学んでいたが、その隙間だけでは世話をすることはできず、さらに出産が近づいたことで休学せざるを得ない状況になっていた
シャーリイは相変わらずマイペースだったが、ベニントン大学の学生で行方不明になっているポーラ・ジーン・ウェルデンとローズを重ねることで、次作のインスピレーションが生まれつつあった
シャーリイはローズと会話を重ねる中で、なぜポーラは姿をくらましたのかと想像を重ねていく
そして、シャーリイの脳内イメージはさらに洗練され、長編小説の執筆へと向かう事になったのである
実際の『絞首人』という作品も、このポーラをモチーフにしたナタリーという主人公が登場し、その失踪が物語のインスピレーションになっていると言う
この執筆の期間に彼女を支えた人物がいたと言うところから着想を得たのが本作の原作で、本作は事実と虚構がかなり曖昧な作品になっている
ローズ&フレッドは架空だが、シャーリイとスタンリーは実際の夫婦で、ベニントン大学の教授と生徒だったと言う関係も同じ
また、『絞首人』もそのままの内容になっていて、本作ではシャーリイがポーラにローズを重ねて想像を膨らましている、と言う内容になっていた
『くじ』と『絞首人』を読んでいると楽しめる内容だが、それを知らなくても、作家の創造性の実情が描かれ、それに巻き込まれる女性としての物語としても良くできていると思う
シャーリイはポーラにローズを重ねるが、ローズにとってのポーラはポーラでしかない
だが、ポーラの物語を考えていくうちに、なぜ彼女は森へ行ったのかと考えるようになり、夫の裏切りも相まって、ローズは深い森の奥へと足を運ぶ事になった
森を抜けた先で起こった出来事は、一つは事実で、もう一つはシャーリイの想像だった
このどちらかが正しかったのかは『絞首人』を読めばわかるのだが、ざっくり言えばローズはポーラではない、という事になるのだろう
このあたりを踏まえて、『くじ』『絞首人』を読んでみると、映画の見え方というものも変わってくるのかもしれません
いずれにせよ、小説を書いたことがある人なら、創作の産みの苦しさと突然降って湧いたようなアイデアの雨というものが感じ取れると思う
シャーリイが紡ぐ物語にローズが感化され、またシャーリイの哲学が染み込んで行動を変えていくのも面白い
作家ならではの着眼点や考察力、観察力なども汲み取れる作品で、そのあたりに着目しても面白いのではないだろうか
ちなみに、タロットカードの吊るされた男の正位置は「生まれ変わりの直前を意味する」ので、そんなに悪い意味ではなかったりする
自分の意思では動けず、その状況を受け入れるという意味合いがあるので、その意味を知っていればニヤリとできたかもしれません
サスペンス・ホラー・ファンタジー まさに魔女夫妻の毒に翻弄され、少女は強かな妻(おんな)となった
若い夫婦は、作家と教授の夫婦の家で同居することになる。
女流作家シャーリィは、女子大生失踪事件をテーマにした小説の執筆が難航。
ローズは、その事件の調査を始めるが…。
サスペンス・ホラー・ファンタジー。
まさに、魔女のようなカリスマ作家夫妻の毒に徐々に毒され、翻弄され、まだ少女だったローズは、強かな妻に成長する。
ラスト、まるで思い通りに操ったように、実に満足げに振る舞っているような夫婦二人の様子が怖い。
シャーリィが、そういう人の大きなエネルギーを吸い取って生きている魔女のように思えてた。
魔女、歳の差女性同士の対立と絆…とくればサスペリア(リメイク版)...
魔女、歳の差女性同士の対立と絆…とくればサスペリア(リメイク版)を想起するが、実際、直接的にオマージュしたらしきシーンもある(パーティー会場での視線の交錯)。カメラワーク含め、終始不穏。ヒロインたちの癖は強いが、それ以上にセクハラモラハラパワハラ連発の大学人たちの男社会があまりに酷く、魔女になるか失踪するしかないのはよく分かる。伝記に基づくとはいえ、煮え切らない結末になるのは納得感が薄い。文鎮で夫の頭勝ち割らないの?「少女革命ウテナ」でいうとウテナが消えた後も学園に残った薔薇の花嫁(=作家)!?ラストシーンは、それでもなんでも書き続けるのだ、という作家の凄み、として解釈するべきか。結末近くの絶壁前で二人が並ぶシーンと、主な舞台となる蔦に覆われた屋敷の美しさ・妖しさは、そんな小さな疑問をなぎ倒すだけのパワーがあるのだが。
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