化け猫あんずちゃんのレビュー・感想・評価
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山下映画だし、久野映画だった
主人公の女の子、かりんが最初に発する台詞は「チッ」という舌打ちである。自分の父を哲也と呼び捨てにするかりんは(呼び捨てにされてもしょうがないほどに駄目な父親なのだが)、ことあるごとに悪態をついたり、人を利用しようとする、なかなかに困った性格だ。このかりんの表情がいい。ムッとした表情も、だれかを騙そうとしている時の上目遣いも、作り笑顔の感じも絶妙である。ロトスコープを採用したからの類型的出ない見事な表情芝居が大量に見られるのが素晴らしい。
本作の元になる実写映像は、山下監督が撮影しているが、その山下節みたいなものが案外画面に残っているのが面白い。駄目な大人ばっかり出てくるのも山下映画っぽいが、セリフの独特のテンポ感がいつもの山下映画そのままだった。
あのテンポ感でアニメーションとして成立させるのもアニメーターの芝居センスがないといけない。その点、今作は本当にアニメ―ション芝居がいい。後半のカーチェイスシーンは、実写で撮れないからいきなりアニメで描いていると思われる。あのシーンはクレヨンしんちゃんのテイストが混じっていて、「ああ、シンエイ動画だ」って感じる。久野・山下コンビの作品をもっと観たい。
猫らしからぬあんずちゃんが友情の可能性を広げる
ある夏の日、父親の実家に置いてけぼりを食らった少女、かりんが、猫なのに人間の服を着て、原付バイクに跨り、妙な捨て台詞を吐くのが得意なあんずちゃんに出会う。永遠に寄り添えそうにもない少女とあんずちゃんの関係性に、果てして、変化は起きるのか?
このジブリ的世界をユーモアと脱力感で塗り替えたような世界は、猫を演じる森山未來等、演者の動きや表情を抽出してアニメ化する"ロトスコープ"という手法によるものだとか。その効果を巧く説明はできない。ただ、現れる度に猫らしくない言葉や動きでかりんはもちろん、我々観客も幻惑していく森山未來の魅力が、未知の世界へと引っ張っていく。そして、ラストに用意された感涙の瞬間へと。
らしくない動物ほど面白いものはないという発想の下、友情の可能性を大きく広げたあんずちゃん。見終わった今も、あの不貞腐れた物腰が後を引いている。
化け猫にもなれば猫神にもなる
母親を亡くし、父親は借金まみれ。
そんな父親に連れられて、実家である田舎町の寺にやって来た11歳のかりん。
そこで出会ったのは…
こういう作品の場合、その出会いが要。
同世代の女の子? 男の子?
ちょっと年上のお兄さん? お姉さん? 人生を教えてくれそうな大人か、老人?
それとも、人間ではない存在…?
ズバリ、猫なのだが、猫は猫でも化け猫。
雷雨の日に拾われ、住職夫妻に大事に大事に育てられ…。
猫にしては長寿。10年経っても20年経っても死なず。
遂には30年経ち、人間の言葉を話せるように。
その名も、化け猫のあんずちゃん!
いましろたかしの同名コミックを、山下敦弘監督と『クレヨンしんちゃん』などに携わったアニメーション作家・久野遥子のタッグで映画化。
なるほど、アニメーションでしか表現出来ないユーモラスな作風。
何と言っても、あんずちゃんのキャラ!
年齢は37歳。猫で37歳なら、人間の歳だと相当。
当の本人(猫)は働き盛り。普段は寺男、たまに按摩のバイトやその他諸々。
バイクに乗って移動。が、人間じゃないから…と無免許のままで、お巡りさんに停められる。
スマホを使う。お酒も嗜む。臭い屁をこく。親父ギャグを言う。…
中身は完全おっさん。
だけど、情に厚い。仲の良い中年おじさんのよっちゃんの為に、取り憑いた貧乏神に「引いてくれ」と掛け合う。
地元では名が知れ、小学生男子二人が弟子入りを乞う。
どうやらこの町では、あんずちゃんの存在は普通。巨大猫が人間のように歩き喋っても、誰も驚かない。
所謂『ドラえもん』の世界みたいな。そういや日本の漫画の世界には他にも居たね。『うる星やつら』のこたつねことか。
ぼやきは多いが、面倒見は良く、おしょーさんから孫のかりんの世話を頼まれる。
一見可愛らしい普通の女の子のかりん。
が、実際は大人の前では猫被り。あんずちゃんや同世代の子供の前では毒舌。
自分の魅力を使って、お願い事やお金を恵んで貰おうとする、末恐ろしい子!
自分を田舎の実家寺に預けた父親を苦々しく思っており、何かと舌打ち。
しかし、心根では死んだ母親を今も思っており、孤独を抱えた女の子。
おっさん猫と小生意気で孤独な女の子のひと夏の交流。
時代設定は現代だが、雰囲気は昭和。あの小学生男子二人の感じなんか。
ノスタルジックであり、独特のユーモア。いやズバリ、緩い笑い。
何気ない日常をユーモラスにシュールに描いており、劇的な事は起きず。
今のアニメーションに求める斬新さ、テンポの良さ、ドラマチックな感動やリアリティーを見たい人には合わないだろう。山下監督の緩コメディのあの感じ。
キャラは役者の動きを基に、アニメーションを描き写す“ロトスコープ”を使用。あんずちゃんは森山未來が声と動きも担当。よって独特で好みは分かれるかもしれないが…。
しかし私ゃ、この作風が気に入った。
シュールだけど、ノスタルジックでハートフル。
あんずちゃんにかりん。
おしょーさん。小学生男子二人。よっちゃん。
メッチャ可愛いうずらのようなピーピーちゃん。情に厚い妖怪たち。…え? そうそう。この町には妖怪たちも住んでいる。
貧乏神。そして、地獄からの珍客…!
終盤、思わぬ大(珍)騒動。
母親会いたさに、貧乏神の案内で、あんずちゃんとかりんは地獄へ。
地獄と言っても何だか平和的。でもちゃ~んと、○○地獄とか怖~い怖~い罰はあるけど。
何故か地獄のホテルで清掃員をしている母親と再会。その直前、現世で半殺しの目に遭って現れては消える父親にはウケた。
母親を連れ立って現世へ。勿論これはご法度。
あんずちゃんたちを追って、地獄から鬼たちや閻魔様が現れる。
何故かコテコテ関西弁の閻魔様。手下の鬼も含め関西やくざみたい。
かりんや母親を守る為に、あんずちゃんや妖怪たちは鬼たちに立ち向かう。だけど、メッチャ弱ェ…。
迷惑はかけられない、と母。
駄々をこねるかりん。
掟を破ったからには覚悟は出来てるんやろな、と閻魔様。
はい、と母。
帰るで、とそれ以上何も言わない閻魔様に、厳しくも温情を感じた。(閻魔様を演じるは、宇野祥平)
別れの時。かりんは逆立ちしてみせる。私はこんなにも成長したよ。
また風変わりな日常が戻って…。
借金を精算した父親が迎えに来る。
苦々しかった父も自然に受け入れる。
このひと夏、奇妙な体験、ユニークな出会い…。
少女は確かに成長した。序盤と終盤の表情も違う。
だから…。
父親と帰ろうとしていたが、かりんは戻る。
この町が、あんずちゃんが、いつの間にか大好きになっていた。
あんずちゃん!
かりんが寺に戻った所で終幕。
絶妙な終わり方であり、その後はどっちにも取れる。
あんずちゃんと再会し、この町で楽しく暮らしました。
もしくは…
あんずちゃんは居なかった。
あんずちゃんは化け猫。何か訳あって化け猫として長生きし、この世に留まっていた。
それを終えたから…。
私的には後者の方がしっくり来る。
あんずちゃんは幸福の猫神様だったのかもしれない。
意味が分からん、訳が分からん、が・・
擦れたトトロに癒される
公式SNSで森山未來さんが猫耳被ってロトスコープに挑んでいるメイキングを見てしまい、これは絶対観なければと思っていた。
最初はロトスコープ特有のリアルすぎる動きに慣れなかったが、完全に森山未來みを失ったあんずちゃんが出てきてから物語にぐっと引き込まれた。
物語は「ザ・少女のひと夏の冒険」なのだけど、ディテールがものすごく良い。
田舎の気だるい夏休みの雰囲気だとか、そのへんのおじさんのキャラデザとか、フィクションの中に楽しいリアルが散りばめられている。
人物配置や設定的にはトトロに通じるものがあるが、こっちの世界のトトロやサツキは相当擦れている。好みは分かれそうだけど、そういったリアルさも人間(猫だけど)のおかしみを感じさせられて癒された。
特にラストシーンは素晴らしく、スタンディングオベーションものだった。
鬼のエグさ(但しキャラデザは最高)が見ていて辛かったのとお母さんが心配なところだけ評価は星-0.5です。
お盆の楽しいひととき
うちの愛犬はもう13歳なので老犬である。あんずちゃんが「化け猫」で37歳(この先も死なない)であるならうちの犬も「化け犬」になりいつまでもそばにいて欲しいものである。
このアニメ映画は実写で撮影した映像からトレースし、アニメーションにする「ロトスコープ」という手法を採用したとのこと。あんずちゃんを演った森山未來のユルイ感じが妙にハマってたのはそのおかげなんだと思う。
そのあんずちゃんはいきなり原付に乗って登場し普通に話すし、マッサージはうまいし、料理はするし(いいかげんだか)、パチンコ好きだし、やたらに屁をこく。既に町のみんなに溶け込んでいた。そこらにいるオッチャンと同じだが、面倒見がよく傷心の小学生かりんの心の拠り所となる。
母に会うために行った地獄では、閻魔様と鬼たちと戦うことになる。あんずちゃんも良い仲間となった妖怪たちもコテンパンにやられたが、勝気な母は閻魔様となしをつけたようで、かりんもあんずちゃんたちも助かった。地獄に仏ありってことだろう。
かりんはこれからもあんずちゃんと過ごし成長していくでしょう。
お盆に故郷に帰省したら思いがけず楽しいひとときが作れた感じでした。とっても面白く素敵な映画をありがとう。
ほのぼのとした妖怪もの
昔風な描き方をしたアニメ。
昭和60年70年代の原風景に登場しそうな少年たちや大人。その中で人間の様な化け猫あんずちゃんとお寺に預けられた少女が織りなす情景を上手く描き兄妹の様な関係を作り上げていく。
途中から妖怪ものになったのが残念でした。
もう少しあんずちゃん(妖怪だろうけど)との交流のみで描き切って欲しかった。
仮に
お寺に住み着いた化け猫(あんずちゃん37歳)が、住職の孫娘と出会い...
すごい良かった。
「カラオケ行こ!」の、とある後半場面の演出がすごい好きで、
じゃあ観るか。と思って観てきました。
すごい良かった泣いちゃった。
ラスト、かりんちゃんがそれを選ぶと思って無かったから。
本当にラストのラストに山場が来るとか思って無かったから。
本当に良かった。
すごい良いラストだった。
かりんちゃんがさ、
だってさ、
一番今そこにいて安心出来る場所が、あんずちゃんのいる場所なんだ。
っていうのが、ラストのラストで。
こんなの泣いちゃうじゃん?
泣いちゃいました。
多分かりんちゃんは最初「なんだこのウザいやつ」ってあんずちゃんのこと思ってたし、
準大人ポジとして見てて、
でも、地獄に入った時に、あんずちゃんの猫の姿を見て
かりんちゃんから見たあんずちゃんの印象が変わったんだよね。
あそこの演出本当に良かった。
それ、僕も経験した事あります。って思ってグッときた。
置いといて。(置いとかんけれども)(あれはかりんちゃんが、あんずちゃんの事、対等な相手と認識した瞬間だよね)
あんずちゃんもさ、「めんどくせー」って思ったのは、それはそれで本当で。その上で、
自分がずっと一緒にいる。
って言ったんだな。って分かって、
ラストの寂しさも伝わってきて、
だからさ、
かりんちゃんにとって、あんずちゃんのいるとこが「安心出来る場所」って思ったんだ。
っていうのがさ、
すごい泣けた。
「夏が終わってサヨナラ」
って話になるんだな、って思ってたから、
秋になって、落ち葉掃いてるあんずちゃんのところにかりんちゃんが帰ってきて、
「化け猫あんずちゃん」って"行って戻ってくる型"の物語なんだと思うんですけど、
かりんちゃんにとって、今、
戻りたい場所が、
あんずちゃんのとこだった。
っていうのが、すごい泣けて良かった。
もっふもふして安心して過ごして欲しい。笑ったり怒ったりして過ごしてくれ。頼む。って気分。
(考察)映画の見方が180度変わる!?「化け猫あんずちゃん」の衝撃的真実?
はじめにこの映画を見たときは、そもそもかりんちゃんを連れていったあんずちゃんが戦犯なのに、お母さんが罪をただただ被った、お母さん目線報われないバッドエンドな映画だと思っていました。お母さんが閻魔に詰められているときは怖すぎてまじで泣けますし、最後にかりんちゃんがあんずちゃんと住もうと思った理由もよくわかりませんでした。
ですが映画の謎について考えたり化け猫について調べていくうちに、実はこうなんじゃないか?なかなかハートフルでハッピーな映画だったんじゃないか?と思って来たので、その考察です。
結論からいうと、
地獄から連れだしていた母親の正体は、実はかりんちゃんのためにあんずちゃんが操っていた別の人の死体で、死体を化かして「幻でもいいから、お母さんに会いたい」っていうかりんちゃんの願いを、あんずちゃんがこんな形で叶えちゃったのかなと思いました。
なかなか変なことを言ってると思われてそうですが、一応根拠のある考察だと思っています。
・一般的に化け猫は人に化けたり、死体を操ったりができるらしい、手ぬぐいを頭に巻くのも好きらしい。(映画のなかで手ぬぐいを頭に巻く描写もあるので、作者も化け猫感は大事にしてそう)
・久しぶりにあった時のお母さんの行動は、あんずちゃんでも再現できそう(かりんちゃんが逆立ちを頑張っていたことも知っていた、お母さんの顔写真も一度見ている)
・お母さんとかりんちゃんが会ったとき、かりんちゃんの頭をお母さんが唐突にペロッと舐める。(あんずちゃんが操っているのでつい猫っぽさがでちゃった)
・地獄で謎にあんずちゃんが普通の猫になる。(実はこのとき、貧乏神にあんずちゃんが化けていてみんなを誘導していたんじゃないか、貧乏神はそもそもかりんちゃんに見えていないわけだし、どこまで本当だったか分からない)
・地獄の入り口の近くは、葬儀場?みたいなところだったと思うので、死体を用意することは可能そう。
・閻魔がお母さんたちを一回逃したときに「死体のにおいはすぐ分かる」みたいな意味深なセリフ(死体をあんずちゃんが化かして操っていたから)
ここまでが本当なら、
終盤の、閻魔のお母さんへのセリフも、実はあんずちゃんに向けて「お前、かりんちゃんのためだろうと死体をもてあそぶようなことするのはまじやばいからな?ほんと覚悟しとけよ」みたいな意味で、最後にかりんちゃんがあんずちゃんと住むことを選んだことは、覚悟をもって頑張ってくれていたあんずちゃんの思いがかりんちゃんに伝わったかもしれない、すごくハートフルなハッピーエンドだったのではないでしょうか。
長文すみません。でもどんなですか?この考察ならけっこー救われませんか?✨
夏にサッパリ
第二弾が見たい
まず、和尚さんの顔がかわいい!
カリンちゃんと、お父さんの顔が普通に描かれているぶん
和尚さんの目が「点々」なのが、一段とのほほんとした性格を表しているような感じ。
後半、あんずちゃんと閻魔様は、何か関係あるのかと思ったけど
特になにもないのかな。
カリンちゃんのお母さんが、なぜ地獄にいたのか?
(そもそも天国はない設定?)
あんずちゃんは、なぜ化け猫になったのか?
上映時間が長くなってもいいから、もうちょっと掘り下げたお話が観てみたいと思いました。
カエルさんが掘り当てた温泉、気持ちよさそうだったな♪笑
タイトルなし(ネタバレ)
ある夏のこと。
11歳の少女かりん(声・元動作:五藤希愛)は、父・哲也(声・元動作:青木崇高)に連れられ、哲也の実家の寺にやって来る。
哲也は借金で首が回らなくなり、実父の和尚に借金を申し込みに来たのだ。
だが、和尚は断り、哲也はかりんを置いて出て行ってしまう。
さて、その寺には、齢37歳になる老猫がいるのだが、なぜか死なずに人間大になり、言葉も話すようになっていた。
のみならず、原付二輪に乗り、按摩までする。
名は、あんず(声・元動作:森山未來)。
町の皆はあんずの存在を疑うことなく受け入れており、かりんもあんずと仲良くなっていく・・・
というところからはじまる物語。
あらすじ中に(声・元動作)と書いたが、台詞担当の俳優などが実際に動作をし、それをトレースしてアニメ化するロトスコープの手法が用いられている。
ロトスコープ=リアルな動きをリアルに表現するアニメ手法、と思っていたけれど、本作では、柔らかいタッチで、ほのぼのとしたアニメに仕上がっている。
監督は久野遥子と山下敦弘のふたりだが、ロトスコープの元の動作の演出とアフレコが山下敦弘担当で、アニメ化の担当が久野遥子と思われるが、いかがか。
さて、町の少年ふたりも巻き込み、ほのぼのとした騒動が持ち上がるのだが、後半は、死んでしまったかりんの母親・柚季(声・元動作:市川実和子)を探して地獄へ行くあたりから、やや既視感が。
既視感があってもいいんだけど、それを超えるものがなくて、ちょっと後半は残念。
ずんだらな「地獄八景亡者戯」みたいな・・・
ということでハナシ的には、大満足というとこまではいかなかったですが、ロトスコープによるアニメ表現が面白いので満足。
(同じロト手法なのに、人間と化け物では動きが違うんです)
また、精密な背景も魅力。
けっこうな。
化け猫あんず、中身が中年オヤジで笑える。かりん(1 1才)が、いい子じゃないのも良い。
あんずちゃんがスクーターに乗ってたり、携帯で話してても、カリンは逃げ出すほど驚いてはいない。化け猫が身近にいても当たり前の世界らしい。後で妖怪も出るが、これも普通のこと。
寺に飼い猫がいたり、山にタヌキがいるのと変わらない。動物じゃないから普通に言葉も話す。
化け猫や妖怪が、特にに妖術などを使えないのも良い。
化けガエルの穴ぐらの家具も人間の住まいと変わらなくて、テレビがあるのが笑えた。
あんずちゃん、食事中にかりんちゃんにシリ向けて屁をこくし、立ち小便をするし、動作もモッサリしててまるで中年オヤジ。
パチンコ屋で、「これは、カリンちゃんのバイト代だから絶対使えない」などと言いながら、「でも増やせばいいか」と結局使ってしまう所が1番笑えた。
親が頼りないから子供がしっかりするのはドラマでは定番だ。カリンもその例にもれず、パパの哲夫がグータラなので、カリンは逆にしっかりしている。
カリンは哲夫のいい加減さに振り回されてムカつくことも多いが嫌いになったりしない。
僕がカリンと哲夫の親子関係が面白いと思ったのは、哲夫が突然カリンを置いて東京へ行ってしまう場面だ。突然のことにカリンもふざけんじゃねえよと怒るけど、こんなことはしょっちゅうなのだろう。カリンも諦めて哲夫を見送る。その時、カリンが哲夫が金がないのを心配して「これしかないけど」と言って哲夫に1枚渡す(千円?1万円?)。 哲夫も「おおワリイな」と言って普通に受けとる。
見送るカリンは、山を下る哲夫に向かって「バカヤロー」と叫ぶと、哲夫は背を向けたまま片手を振って応える。カリンをシッカリ者の頼れる娘だと思って安心しているのだろう。
哲夫はカリンにたびたび、「だいじょうぶ だいじょうぶ」と言うのだが、それに対するカリンの反応が面白い。カリンは「ホントに?」といった顔をしたり、「ふん、大丈夫じゃないくせに」と皮肉な笑みを浮かべたりする。
カリンに言わせると、哲夫の「だいじょーぶだいじょーぶ」は大丈夫だったためしがない。
カリンはヨイコなのだが、裏表があるヨイコなのもいいと思った。
和尚さんの前ではニコニコとヨイコを装い、お金がないから出かけられないと可哀想な素振りをする。
自分がカワイイことを分かってるから、地元の同級生男子(井上、林)もニッコリ笑顔で引き付ける。
宴会では妖怪どもの前で可哀想な子を演じて同情を引く。
次の日、妖怪どもはお金がないカリンのために自主的にゴルフ場でバイトを始める。バイト代をカリンにあげるつもりらしい。つまり貢ぐということだ。まさに詐欺である。
あんずちゃんに「ウソつきかりんちゃん」とホントのことを言われてムカついたので、林クンを使ってあんずちゃんの自転車を川に捨てさせる。美男美女に弱いのは子供も大人も一緒だ。
自転車を盗まれて寺で怒りまくるあんずちゃんを見て、いい気味だとニンマリするカリンちゃん。イジワルでワルイ子である。
ずる賢い、こざかしいカリンりんちゃん。なかなかイイねえ。
東京の進学塾へ通うシンイチ君もシッカリ者だ。カリンのことはイイナと思ってるのだろうが、今、自分達に大切なことが何か分かっていて、それを1番にやるべきだと思っている。息抜きは必要だが、勉強をおろそかにしてまでやるべきことなどない。結婚はそれからで良い(中学生ではできないけど)。2月の勝者に向かってゴー 。
最後の列車でのカリンの決断と哲夫の対応が感動ものだ。
カリンは戻って来た哲夫と東京へ帰るために2人で電車の中で座って出発を待っていたが、突然た立ち上がって電車から降りてしまう。そして叫ぶ、わたしはヤッパシここに残りたいと。いい子にするから、進学塾にもちゃんと通うからここにいさせてと懇願する。ここに残りたい思いを、もっとたくさん言葉を尽くして言いたいのだろうが、それ以上言葉が出てこず、うつ向いたまま顔を上げない。
それを見てカリンの強い思いを察した哲夫は「分かった。ピシッとな、シャキッとな」と言ってOKする。喜んだカリンは「哲夫もな」と言って後ろも見ずに走り出す。
哲夫サイコー。
ゆるい空気
*
あんずちゃんの風貌と
森山未來の声がすごく合ってました
実写で撮影したものをアニメーションにする
「ロトスコープ」という手法を
この作品で初めて知りました
なぜわざわざそんなことを…?
なんて思ってしまったりもするけれども、
そうでないと表せないことだったり
そうだからこそ表せたこともあるんだろうな
*
いつものゆる〜い話し口調を崩さず
貧乏神と交渉するあんずちゃんの姿
なんかちょっとかっこよかったな
僕は死んだ人に会いたいとかはないけど
あんずちゃんとただのんびり過ごしたいな
迷惑な鳥を追っ払って3000円もらって
喫茶店で一緒にパフェでも食べたいです
あ〜でも、あんずちゃんはパチンコか
「増やせばいいんだニャ〜」
(完全なギャンブル思考で抱腹した)
*
もう一度観たいなと思っていたけど
公開がわりとすぐに終わってしまって残念…
(あくまでも僕の体感ですけど)
配信を待って、かならずまた観ます!
水彩画のような背景とベタ塗りの登場人物たち
ある雨の日、寺の住職が河原の段ボール箱の中で鳴いている子猫を見つけた。その子猫はあんずと名付けられ、寺で飼われていたが、20年が過ぎても死なず、30年経った頃には人間の言葉を話して2足歩行も出来る化け猫となっていた。現在37歳のあんずちゃんは、原付バイクに乗り、訪問マッサージのアルバイトをしていた。ある日、借金取りに追われてた住職の息子が、11歳の娘かりんを連れて20年ぶりに実家の寺に帰ってきた。借金返済までしばらく娘を預かって欲しいと頼まれ、あんずちゃんがかりんの面倒を見ることになった。そして・・・てな話。
背景が水彩画で、人間や化け猫などがベタ塗りという面白い構成だった。ロトスコープ手法と言うらしいが、新鮮な感じがした。
最初はあんずが生意気だったが、地獄を経験し、亡くなったお母さんにも会えて成長していく姿が良かった。
猫だけじゃなく、カエルやタヌキも喋ってたし、妖怪ランドかい?と聞きたくなったが、ま、いいか。
あんずの動きや話し方も良くて、なかなか面白かった。
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