「日常の中で燻り続ける焔」愛に乱暴 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
日常の中で燻り続ける焔
主人公桃子は妊娠を機に義理の両親から新築の離れをあてがってもらい、夫真守との略奪婚を成し遂げる。しかしその直前には流産しており、それを言い出せずにずるずる来てしまった。
ちなみに離れを新築と解釈したのは後半で桃子が埋めたらしい流産した子供が着るはずだった肌着を床下から掘り出すシーンがあるから。それは離れを建てる前の庭に埋めたものと解釈、でもこれはあくまで個人的解釈。
そんな流産の事実を言い出せなかった負い目があるのか義母にはやたらと気を使う桃子。そんな桃子によそよそしさを隠さない義母。
日々の家事全般を完ぺきにこなしているが夫真守との関係は冷え切っていて会話もままならない。もともとただの浮気から妊娠が発覚しての結婚であり、そこには最初から愛などなかったのかもしれない。桃子は彼の浮気を疑っていた。
いつもいなくなった飼い猫を探す桃子。しかしそれは飼い猫ではなく知らず知らずのうちに流産した子供を追い求め続けている彼女の姿であったのかもしれない。義母は彼女の肩辺りに見えた猫(霊)に対して思わず手で追い払うしぐさをする。床下から聞こえる猫の鳴き声やら首輪の鈴の音に反応するのは桃子と義母たち女性だけだ。真守には聞こえない。
義母は先立たれた夫の遺品整理がままならないのは夫への思い出のためではなく心機一転人生をやり直すことができないからだという。この年齢になり今更解放されたところでどうすればいいのか。長年主婦として生きてきた彼女の諦念の思いが伝わる言葉である。それはまるで首輪をしたまま捨てられる飼い猫のような。
しかしそんな義母も別の女性と駆け落ちして戻ってくることのない息子のためにこの家を守り続ける必要がなくなり、手放す決心をする。彼女はようやく家の呪縛から解放されたんだろう。
桃子も真守と別れて主婦生活から解放されたかに見えた。これで彼女らは家や子供の呪縛から解放されるんだろう。もう猫の姿を追うこともないのかもしれない。
しかし作品は離れを解体し、母屋に移り住んでいる桃子の姿で幕を閉じる。これは彼女が義理の母を受け継いでこれからも家に縛られ続けることを選択した姿なんだろうか。家の呪縛からはそうたやすくは逃れられないということを暗示するラストなんだろうか。
劇中で桃子が他人のTwitterらしきものを見ていて、その内容が真守の浮気相手の件とリンクしているので、てっきり浮気相手のものかと思いきや実は過去に桃子がアップしたものだというどんでん返しはお見事。原作では日記らしいけど映像作品としてよい改変だと思う。
普段から桃子の日常の中で描かれる人間関係が絶妙な雰囲気で見ていて面白い。義理の母から魚を渡された桃子がそれをすぐさま冷蔵庫に投げ捨てて自分が作った石鹸で手を洗うところなんかは二人の微妙な関係性がよく描けてるし、冷え切った夫婦関係も事務的な会話の中に時折桃子の本音が混ぜ込まれていて、それでも聞こえないふりをしてる真守の気まずい態度が絶妙。
桃子の元の職場の上司もいい加減なことばかり言うお調子者で、石鹼教室に関わる若手の社員も自分の出世しか考えておらず、桃子の周りには誰一人彼女を思いやってくれる人間はいない。
一見、平穏な主婦生活を続ける彼女を取り巻く環境には彼女にとって優しい存在が一人もいないことに気づかされる。
そんな環境に置かれた彼女の心の中に燻る小さな焔が飛び火して周囲のゴミ捨て場で小火を引き起こしていたのだろうか。
桃子は小火の現場から必死に逃げて行きつけのホームセンターにたどり着く。そこにはおそらく彼女と同じく周りには優しい存在がいないであろう外国人店員の姿が。
彼は言う、いつもゴミ捨て場をきれいにしてくれてありがとうと。その言葉に泣きながら返事を返す桃子。
ありがとうと言ってくれて、ありがとうと。思えば真守も義理の母も周囲の人間誰一人、桃子に一度もありがとうとは言わなかった。
そんな当たり前の言葉が人の心には優しく響き渡るもの。今までの桃子にはそれはなかった。
本作はフェミニズム映画として鑑賞した。登場する女性たちはみな当然ながら妊娠や出産、家事育児というものを背負わされ、背負ってきた。
「身重」という言葉があるように女性は生まれながらに重荷を背負わされてる気がする。子孫を生み、育てるという宿命みたいなものを。
今なら少子化の原因は女性が子供を産まなくなったからだとあからさまに言う人間がいる。女性の社会進出は間違いであったみたいな。
確かに女性の生きる選択の幅が広がり、子孫を産んで育てるだけの人生に縛られる必要もなくなった。だから生まれる子供の数が減ったのは事実かもしれない。しかしそれは女性が自由に生きることができるようになった結果であり、それで少子化になったからと女性を責めるのは違うと思う。女性は子孫を生むという重荷から解放されて、やっと「身軽」になれた。少子化はこれは人類が成熟しきった証なのかもしれない。女性のせいにするのではなく他の解決方法を見つけるしかないんだと思う。
本作もそんな常に妊娠や出産とセットで見られてきた女性たちが一人の人間として最後には解放されたのだと信じたい。ラストシーンが解釈の余地はあるけど。
本作は単に不倫による因果応報的な物語だけではない、何気ない主婦の日常を通して現代社会に生きる女性たちの閉塞感、そしてそこからの解放を描いた佳作だった。
どこにでもありそうで、なさそうな日常。
そこに立つ桃子を演じた江口さんの表情や所作の細やかさがさすがでしたね。
自分の立場を探し続けている桃子に、はじめは不審に感じてた外国人青年の言葉が響いたときにはぐっとくるものがありました。