ルックバックのレビュー・感想・評価
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いい映画だ!
タイトルの通りで、背中を見て
天狗になっている主人公が、素晴らしい才能を見せつけられて努力する、それが1年以上、全てを投げ出してる事もよくわかる。
それでも、超えられない壁でプツリと糸が切れて挫折する。
しかし、才能者が自分を認めてくれている事をしり、また漫画を描き始める。
順調に進むキャリアをテンポよく端折るのも良かった。読み切り漫画。
手をつなぐを象徴的に使えている、背中を追いかけている。その手が離れるときが、二人の決別。
決別で背中を向けて泣いているが強がる事で観客が主人公を嫌いにならない。目を見せずに頬をつたう涙で表現しているのが素晴らしい。
読者投票と単行本が増えて行くことで、努力や人気になった事もよく端折る事が出来ているのが素晴らしい。
アシスタントの催促の電話も作画を続けながらで、多忙感とどこかで離れてしまった相方(京本)と比べてしまっているのがよくわかり、台詞が上手い。
部屋前の4コマ漫画からの妄想で、主人公を救うのも素晴らしい。
第三者を介入させずに、主人公藤野がまた漫画を続けられるようにできている。
サインと4コマ漫画は、キーアイテムが2つになってしまっているが、ショートの端折り方として悪くないなぁと思う。
漫画の映画で、エンドロールが作画からスタートするのも粋だな。
良作。
ルックバック感想
嵐みたいな映画だった。
嵐すぎて、シナリオを追ってどうこう感想を書くような気持ちじゃないので、嵐のような熱量で私も感想を書きたいのと、主人公の藤野が良すぎたので藤野に焦点を当てて書きたいことを書いてみる。脱線しつつほぼ書き殴り。
藤野、人間すぎる。
小学生の頃の漫画、絵の稚拙さはあるけどもとの漫画力はかなりある。くだらないが普通におもろいし。これは多分藤野の天性の人間力によるもので、で、天性のものって、磨くことは出来るけど、全くない素質はなかなか育てようがないわけで、
京本はそれを自然とわかっていたから藤野に憧れたと想像。
(理由として、小学生の頃の4コマで、藤野は自分のイメージ、架空のものを描いていて、(この頃から超漫画家。)不登校の京本は過去に観たであろう風景を描いている。ただまぁ京本ももう何年も見ていないであろう景色を何かの資料があったにしてもあそこまで描けるのはすごい。4コマならではのメッセージもあるし。)
藤野の京本への劣等感が出会いの最初にあるから藤野の実力はそこまでな描かれ方をされているけど、前提として二人とも分野が違う最強系主人公の物語だと私は思った。
藤野、自分でも自分の実力と魅力に気づいていて、でも気付ききれていなくて(だから一度絵を辞めたと推測)、そんな自信あるのに無いような藤野が魅力的すぎた。
藤野が京本に初めて会った土砂降りの帰り道のシーンが一番好きで、正直あれで大号泣した。感情移入したのもあるし、あの藤野が可愛すぎて。あの時の嬉しいんだけどむず痒くてもどかしい、くすぐったくて舞い上がって涙が出るような、多分喜怒哀楽のどれにもはまらないもっと本能的な「興奮」。涙出るほど良い。あの瞬間、“生きてる”なんだよな。
結果二人とも成功したのに、あれだけ小学校時代のことが劇中で描かれているにも関わらず、小学校の先生や同級生の、シャークキックに対するコメントシーンがない描かれ方が良かった。創作に対して世の中の見方ってあの描かれ方と近いものあると思うし、それでも、創作や表現にどっぷりではなくても、関わる人生は良い。
なんでかって、
純粋さで繋がった縁は多分そう簡単に切れないし何かを生む。もっとみんな純粋でいい。創作はそういう世界だと言ってくれてるような気がして、しんどいけど、京本は藤野に描いてくださいって言うと思うし藤野は描くしかないし、そうなんだよ、やるしかないんだよ。
見終わったあとにキャッチコピー調べたら、「描き続ける」で、さらにずーん。良すぎたな。
やはりアニメはいいですね
アニメは最高なんだけど切ない物語でした。
藤野と京本の出逢いと別れ、そして永遠の別れ
しかし出逢った事はお互いに最高の幸せだったと思う。
前にあった京アニの事件を思わせる話ですが、通り魔の台詞が原作では色々変更されてるようですね。
この作品を観る前の日に実写邦画を観ましたが、アニメや漫画ならこれでいいけど役者さんに演技させると残念な事になるような演出がチラホラありました。
やはり日本のアニメーションは最高ですね。
追記
公開劇場が追加され私の街の劇場でも公開されましたので再度鑑賞しました。
藤本タツキさんの作品、チェンソーマンは知っていましたがコミックもアニメも観ていませんでしたので、コミックを購入して読みました。最高にハマってます。
アニメも配信で拝見しましたがコミックほどイマイチ魅力を感じません。
しかしこのルックバックはコミックもアニメも魅力的です。
アニメのチェンソーマンに足りなかったもの、この劇場版アニメにあったものは藤本先生の絵がそのまま動くアニメーションになってることですね。
監督の押山清高さんが藤本タツキ先生の絵の魅力をアニメーションに昇華されています。
チェンソーマンの劇場版が製作されるそうですが、ジャンプに連載されてる藤本先生の絵が動く作品にして欲しいと感じました。
制作はMAPPAらしいですのでそのあたり期待したいですね。
言葉にできないぐらいいい映画
知り合いに勧められて鑑賞!
学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野
クラスメートから絶賛され、自分の画力に絶対の自信を持つ藤野だったが、ある日の学年新聞に初めて掲載された不登校の同級生・京本の4コマ漫画を目にし、その画力の高さに驚愕する
以来、脇目も振らず、ひたすら漫画を描き続けた藤野だったが、一向に縮まらない京本との画力差に打ちひしがれ、漫画を描くことを諦めてしまう
しかし、小学校卒業の日、教師に頼まれて京本に卒業証書を届けに行った藤野は、そこで初めて対面した京本から「ずっとファンだった」と告げられる
漫画を描くことを諦めるきっかけとなった京本と、今度は一緒に漫画を描き始めた藤野
二人の少女をつないだのは、漫画へのひたむきな思いだった
しかしある日、すべてを打ち砕く事件が起きる…
というのがあらすじ!
原作は読んだことないのですが忠実に映像化されてるみたいです!
京本からファンだと告白された帰り道のシーンは躍動感や嬉しさがこちらにも伝わってきましたね😊
2人の漫画家の道が丁寧に描かれてる印象でした!
そして観てて思ったのが実際にあったあの事件を思い出させるような感じ…
4コマ漫画がきっかけで2人は漫画家になるんですけど京本が亡くなる事件はほんと理不尽…
原作は読んでいなかったので展開にびっくりしました😳
そしてその後の展開も驚き!
破った4コマ漫画が違う世界線にいくとは…
違う世界線でも2人は漫画を描いていくことになる感じがまたよかったですね☺️
違う世界線ではちゃんと生きてる…
観終わった後はルックバックのタイトルにはいろんな意味が込められてるなと思いました!
あと2人の声優さんもすごくよかったです!
短い時間でしたがとてもいい映画でした!
素晴らしい映画をありがとうございました!
レクイエム
京本の世界を開いたのは藤野だった。藤野をてっぺん大将にしてくれたのは、京本だった。掛け替えの無いふたりが、京本の藤野のいない世界で生きてみたい 美大に行ってもっと上手くなりたい
と言ったとき、じーんと胸が締め付けられた。良かったね闇を抜けたね に対し藤野の大将でいられなくなる嫉妬も痛い程伝わった。ふたりで完成品だったから。その後京本が亡くなった経緯わー経て 如何なる理由があったにせよやっぱり出会う親友だったと思わせるものと お互いに通じあうものが切なすぎて半身が失われたような痛みを覚えた。涙が止まらなく会場が明るくなるまで皆席を立てずにいた。大作と思う。
野心と純心
PVを見て、むしょうに見たくなった。吸い寄せられるような絵と声。アニメなのにカメラワークを感じるPVだった。特別なもの・フレッシュなものを感じたので映画館へ行った。
じぶんは漫画を見ない人で、何も知らないまっさらで見た。
小学校四年生の藤野は漫画がじょうずで運動能力にも優れたクラスの人気者だった。尊大な態度だが、まだかわいい範囲内である。
学園新聞に四コマ漫画を連載していたが、不登校児である京本の漫画と併載されたとき、京本の画力は彼女の自尊心を打ち砕いた。
しかし京本は自らの優れた画力に無自覚であり、藤野を「先生」と崇拝しているのだった。・・・。
序盤中盤は藤野・京本の出会いと友情が描かれるストレートな話だが、変なところもあった。京本の家には小学生の京本一人しかいなかった。ふたりが出会ったとき、背中に藤野歩とサインをするのだが、京本が着ていたのは褞袍(どてら)だった。(布地にはっきりした文字を書けることがなにげに不可解だった。)ランドセルを背負って駆けるあぜ道は天へ続いているかのように茫洋としていた。
さいしょから二人の世界は細部が欠けていた。
藤野は京本の画力と消極性を自らの立身に利用するが、不人情なわけではなかった。二人は最初から主従のポジションで交友をはじめたのであり、双方に不満はなかった。しかしやがて京本の心中に背離が芽生える。その経過が、手を引っ張る藤野と、引っ張られる京本の絵で描写された。
二人のペンネーム「藤野キョウ」は漫画家として立身し、連載を抱えて勢いに乗った藤野はぐいぐい京本を引っ張りながら突っ走る。が、京本は藤野から離れて自らの芸術的野心を極めたかった。京本は繋いでいた手を離す。
二人が離れた原因は価値観の違いだった。藤野は周囲の評価・人気に価値を置いた。毀誉に一喜一憂し、熱烈なファンである京本に会ったときは、天にも昇るほどに気分が高揚して、漫画で生きるきっかけをつくった。一方京本はひたすら自己研鑽・探究に価値を置いた。ほめられなくても精進し上達することに価値を見いだした。
顧みると、二人はお互いに自分の本心を秘匿した知らない者どうしなのだった。
とはいえ、次第に離れていく藤野と京本の関係は、大人へと脱皮していく幼友達が直面する普遍的な確執でもあった。──ゆえに、その後の展開は、おもいでぽろぽろがひぐらしのなく頃にに変わってしまったかのように急峻だった。
京本が鬼籍に入る事件は唐突で細部がなかった。凶手の「パクられた」という動機には時事にあてこんだ気配もあった。
ところが。話が愁嘆場へ入ったと思いきや、京本の死に落胆した藤野の意識は、漫画をやめて空手をやっている多層宇宙(パラレル世界)へ飛び、京本につるはしを下ろそうとしていた凶手にドロップキックをくらわして、凶行を阻止したのだった。
漫画で結ばれた少女の普遍的な友情話から猟奇殺人が起こり、と思ったらそれが跳び蹴りで解決するのを予測できたか?→できなかった。
そんな奇抜な構成が58分という変則尺のなかに収まっているのが映画ルックバックだった。
原作にはさまざまな分析があがっていた。
ワンスアポンアタイムインハリウッドのようにシャロンテートが死ななかった世界へのやり直しをはかる試みは、ルックバックのパラレル世界と親近性があるとされ、さらに、
『藤野が雨に打たれながら喜んでいる場面を『雨に唄えば』や『ショーシャンクの空に』や『台風クラブ』、パラレルワールドが描写されている点を『ラ・ラ・ランド』、漫画が藤野と京本の未来に大きく影響している点を『バタフライ・エフェクト』、事件発生後の藤野と事件発生前の京本がドアの隙間をすり抜けた4コマ漫画を介して繋がっている描写を『インターステラー』との共通点として挙げている。』
ウィキペディア「ルックバック」より
そもそも凶行が阻止されたのは多層宇宙のどこかであり藤野は京本がいない世界で黙々と漫画を描き続けるのだ。
無事解決を見せてからバッドエンドに沈めるのは未来世紀ブラジルのようでもあった。あるいは藤野はサリエリだったのかもしれないが、京本は藤野を天才と仰いでいた。なんであれ既存作品との類似はルックバックの理解を助けてはくれなかった。
ルックバックは突飛な展開をもった出会いと別れの話と言える。泣かそうとしながら泣かさねえぞともしてくる意地悪設計の青春物語とも言える。野心的作風とキャラクターの純粋さが不協和音をおこしている。キラキラの蜜月から悲劇へ落とすことでジャンル区分するとしたらホラーになるのかもしれない。
京本が魅力的だった。愛すべきイモっぽさ。ざんばら髪で猫背で豊頬で口元にほくろがある。吉田美月喜のたどたどしい山形弁はやみくもに護ってあげたくなった。だいたいにおいて、PVでこの声を聞いたから矢も盾もたまらず映画館へ走ったわけである。そんな淳良な京本が異常者の犠牲になるのは理不尽だった。おそらくルックバックが言っているのは夢を抱きながら生きている者が突如として遭う惨禍のことである。交通事故か新型コロナウィルスか自然災害か痴漢かパワハラ上司かDVか病気か冤罪か、何かは解らないが、人はわりとあっさり陥穽にはまり込んで抜け出せなくなることがある。それは事件に巻き込まれるほど稀なことかというと、そうでもない。そしてそれを生き残ったのであれば哀しくても唯唯生き続ける他はない──とルックバックは言っているのではなかろうか。
映画館は子供(家族連れ)が目立ったがまったく子供向けではなかった。
感動はする
ネタバレは無いように書こうと思ったけど無理だな。観てから読んで欲しいです。
構造は割と王道のジュブナイルな感じ。とにかく序盤から中盤の感情の作り方がすごくリアルでいい。
子どもが創作をする時の周囲との関係がとても共感性羞恥。でもちゃんと実力が伴ってきて、あんまり恥ずかしいことを言わなくなってくるのもとてもいい感じ。
ただ、起承転結の転が、今まで積んできたリアリティを崩しちゃった感じがして、個人的にはその辺りから感情移入が弱くなった。
サブヒロインが通り魔に殺されるなんて流石に流石過ぎると思う。
ここに引っかからずに抜けられた人は満足度が高い気がする。自分はここが展開として安易なように感じてしまった。
でもまあ、その後のことを考えるとまあかな。ただ、最後も前向きな雰囲気作って何も解決せずに終わったし、解決しなくても確かに感動はしたのだけれど、サブヒロインぶっ殺して全て丸く収まったことにするのはちょっと違う感じはした。
結局エンドロール観て前向きに働こうとは思うんだけどね。
中盤以降、関係が不安定になってきてからの感動要素は背景美術によるノスタルジー演出が多分にあるように思うので、この辺は新海誠作品と同じ枠だと思う。
ただ、自分は劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデンがどうしても嫌いなタイプだし、昨今のやす子とフワの問題でもやす子のツイートを見てフワみたいな反応する気持ちも分からんでもないくらいひねくれている。素直に見りゃ星5つなのかもしれないね。
まあ、基本は新海誠なので映画館で観るのが良い。高くてもやってるうちに見ておくべき。
京本にとっての漫画とは? 追記 原作本読んだよ
原作は未読で、評価の高さで鑑賞。藤野視点がメインだが、京本視点でも見たかった。なぜ不登校だったのか、家族はどのように関わっていたのか。京本にとって、藤野の存在は憧れだけだったのか。美大に行こうと思った心の動きが知りたかった。二人共に家族との関わりが見えないが、それは本作の原作者自身を投影しているのか?
藤野は自分が漫画を描いたために京本が死んだと思う場面があったが、そこからまた漫画を描き始める。それは表現者の性(さが)であるともに、自分の漫画で、人に生きる希望や勇気を与えることもできるという決意の現れであるとも思う。
京アニのことを想起する場面は見るのが辛かったが、漫画を描く人もアニメを作る人も、それを乗り越えて前に進んでいると思う。これからもさらに多くの人の心に残る作品やアニメ映画が作られることを願う。
(追記)原作本読みました。ストーリーは原作通りですが、映像になって、藤野の話し方(河合優実が上手い)とか雨の中を走る場面が凄く良くなっています。特別料金じゃなかったら、何度も見たい映画なのに、それだけが失敗です。スラ厶ダンクのように、少ししたら再上映にして、その時は通常料金、レイトショーや曜日割り引き、学生割、シニア割等にしたら、今回の興行収入を大きく越えるでしょうね。
嫉妬と絶望を作品に落とし込む藤野、同じ感情を刃に込める男の違いとは何か
2024.8.19 イオンシネマ久御山
2024年の日本映画(58分、G)
原作は藤本タツキ『ルックバック(集英社)』
絵の上手い小学生が漫画家として成功する過程を描いた青春映画
監督&脚本は押山清高
物語の舞台は、北九州付近のどこかの町
小学4年生の藤野歩(河合優実)は、漫画が上手いことを自慢にして、学校新聞で4コマ漫画を連載していた
クラスメイトの反応に天狗になる藤野だったが、担任(斉藤陽一郎)から提案されたあることにて、彼女の日常は激変してしまった
それは、隣のクラスの不登校生徒・京本(吉田美月喜)のために連載枠を空けると言うものだった
これによって、藤野と京本の漫画が並んで掲載されることになるのだが、京本の漫画は風景画でセリフがない中でも物語を感じさせるものだった
京本の漫画が評価され、画力も明らかに劣っていたことで劣等感を感じる藤本は、努力を重ねて画力をアップさせようと奮闘し始めた
だが、その差は埋まることはなかった
6年になっても漫画を描き続け、とうとう卒業までその生活を貫き通した
だが、卒業式の日、藤野は担任から「京本の家に卒業証書を届けてほしい」と頼まれてしまう
渋々承諾した藤野は彼女の自宅に赴くものの、呼びかけても反応はない
ドアが開いていたために中に入ってみると、そこにはおびただしい数のスケッチブックが積み上がっていて、彼女の努力は藤野の数十倍にも及ぶものだった
藤野はそこで4コマ漫画の原稿用紙を見つけ、「漫画を描くの、やめた」と呟いて、京本への嫌がらせを書き殴った
だが、その4コマは風の悪戯で飛んでいき、京本の部屋へと吸い込まれてしまった
藤野は慌てて逃げ出すものの、京本がそれを読んで追いかけてくる
そこから奇妙な関係が始まり、二人は「藤野キョウ」として、漫画賞に向けての長編漫画を描き始めることになったのである
映画と言うカテゴリーに入るのかはわからないが、映画館では特別上映の作品で、各種サービスが適用されない作品になっていた
58分で1700円と言う値段で、少々割高に感じるのだが、口コミで高評価が広まり、拡大上映が続いている
当初は近隣の映画館での上映がなく、遠方に行く必要があって躊躇していたのだが、近くで上映されることもあって鑑賞に至った
『チェーンソーマン』などで人気を博する作家だが、基本的に映画しか観ないのでほぼ知らないまま鑑賞したが、漫画家を含む創作者のモチベーション維持のストーリーだったので、すっと入ってくる内容だった
藤野の承認欲求拗らせみたいなところがベースにあり、反骨心が彼女を奮い立たせるのだが、その持続と停止の切り替えがリアルに感じる
また、現実に起こった事件をモチーフにして、「もしもの世界を夢想する」という現実逃避の末に現実を受け入れると言う過程も秀逸であると思う
加害者は創作者の端くれだが、二人の間にあった違いとは何だったのか
他人の創作に気を取られ、そこに嫉妬心を抱いたりするところまでは同じなのに、その後の行動がまるで違う
その違いを生んだのは、切磋琢磨できる存在であり、孤独ではなかったと言うことになるのだが、藤野自身もプロになってからはどことなく孤独を感じている
その孤独を生み出したものが自分の行動だと責め立てても、それを否定する京本が心の中にいて、それゆえに藤野は救われているのかな、と感じた
いずれにせよ、58分と言う短い作品だが、ものすごく濃密な時間になっていたと思う
現実がモチーフになっていて、そこに至らなかった理由というのが明確に描かれているので清々しいと思う
創作者の苦悩は誰にでもあるものだが、嫉妬を作品に変えた藤野と、ペンを刃に落ち変えた男との差は埋まらない
現実では悲劇を救うヒーローは現れないのだが、せめてもの抵抗というものがそこにあって、それはとても切ないものであるように感じた
鑑賞後も続く思い
賞賛の言葉は山ほどあるが、それはさておき
この作品ほど、観賞後の観客の心に余韻を残す映画、というのもなかなか無いのでは。
58分間。
観客は藤野と京本の物語に瞬く間に引き込まれ、
大いに共感し、喜び、いきなりの急展開にとてつもないショックを受け、どん底に突き落とされる。
パラレルワールドはあるらしい。しかし元の世界の現実は変えられない。
気持ちはかき乱され、一種の放心状態である。
それでも日々は続く。また机に向かっていく藤野の背中を見つめる。
美しい音楽がレクイエムの如く藤野と観客を包みこむ。
下から上に向かうエンドロールにさえ、なにか天に昇っていくような感覚を覚える。
観終わった後も、映画の余韻からなかなか抜けられない。
誰かとずっと語りあいたい。
そんな映画だった。
全てのクリエイターの皆様に感謝。
藤野と京本、最高の2人
高評価とネットでの宣伝のシーンが心に残って鑑賞しました。
面白くなりそうな出だしに期待が膨らみ嫉妬・独占欲など人間味溢れる中盤
同性の友情以上にお互いに必要な存在へ
一体どうなるのか終盤への期待が溢れて…
からの突然の・・・大事件
わかります、わかりますよ。人生には不条理な事が降り掛かる事がある事も
でもこの短い作品でそれは不合理な気がします、消化する時間がとても、余りにも足りません、倍の上映時間は必要かと
藤野と京本のその後が、結末が、見たかった。そう強く、強く、感じた作品でした。
映画のボリュームとしてはどうなのか…
元々前後編の読み切りの短編だからか、話のボリュームとしては、いまいち物足りさなを感じた。
漫画仲間の友人が殺された後、パラレルワールド的展開を見せてはいるが、それが現代に生きる主人公にどのように作用し、どのように乗り越えていくのか、もっと葛藤を見せてもいい気がした。
一緒に漫画を描き、二人でデビューしたからこそ、藤野は京本のことを縛っていくようになってしまう。
だからこそ、自分が京本を殺してしまったと思い込む藤野は、もっと苦しみながら漫画を描いていくことになるだろうに、葬儀のあとのシーンで全てを解決させてしまうのは、違うような気がした。
もっとその後の苦しみながらも、贖罪のように漫画を描いていく藤野を見たかった。
ほぉ。
だいぶ前にSNSで作品が素晴らしいと話題になっていて、たしか無料公開もしていてそのときに読んだ記憶があった。ただその内容はほとんど覚えていない。
ちなみに同じ作者の作品で大ヒットしたチェーンソーマンの存在は知っているし、地上波の深夜アニメは一応全話録画しているものの、なんだかんだ未だに見ていない。
本作の予告編が公開されたときも何やら感動するだの話題になっていたことや、作品自体が短くサクッと鑑賞できそうなことに加え、一般料金が1,700円と多少リーズナブルだったことなどから観に行くことに。
まず全体的なBGMが良かったようにおもった。
動きも走るシーンだったり、後半でツルハシを持って学校で暴れる犯人の動きも躍動感があって良かった。
ただ、後半で世界戦が入り混じる?ようなところは素人には良くわからなかった。
Aという世界線とBという世界線があり、それぞれ二人の主人公が進んだ別々の物語があった的なことなのかなと勝手に解釈。
あと、途中から二人で漫画の共同制作をすることになるのだが、何の前触れもなく急に始まったので「どういう流れで始めたの?」とちょっと疑問におもった。とはいえ話の展開から何となく推察することはできるのだが。
それと学校の4コマ漫画で活発な方の主人公がひたすら画力を挙げようと練習して描いた方のあるときの4コマ目が「沢北」にしか見えなかったのは私だけではないはず・・・。
入場特典として非売品のこの作品のラフ画みたいな単行本をもらった。事前に知ってはいたがちょっとだけ得した気分。(もちろんパラパラとめくっただけでちゃんと読んではいない)
エンディングのスタッフロールで「方言指導」みたいなのが目に入って、あの方言本格的にやっていたんだとおもって「へぇ~」となった。
なお、作品自体の上映時間は、スタッフロール終了まで「57分」と1時間もなかった。
こういうサクッと鑑賞できる短い作品もいいものだね。
「死」は安易すぎないか
前半は良かったが、京本が美大に行く決心をしたところまで。
藤野は自己肯定感が高いのは良いことかもだが、周囲を見下している。
中学生くらいまでならありかもだが、それ以上の年令になったら痛い。
京本に対する態度も、実は京本を思っているが表現が下手なだけ、というわけではなく、友情はあるし感謝はしているだろうが基本的に自分の下僕のように思っていそうで、京本がついに自我に目覚めてふたりにとって良かったと思ったのに。
死を安易に使ったように見える。
こういうの、感動ポルノっていうのかも、と思ってしまった。
背景が素晴らしい。
エンドタイトルに背景なんとかとして男鹿和雄さんの名前が入っていて、やっぱりと思った。
普通に左利きの人物が出てきたことに、小さく感動しました。
感動
ルックバック最初に思ったことは「短い映画のくせに高いやないか!!」です。実際見たら短い時間でここまで考えさせるのはすごいと感じました。
小学生の頃誰もが味わったであろう喪失感、怒り、そのような感情がしっかり伝わってきました。大人になって同調してきたかと思いきや、片方は夢が違えてしまい、再び小学生の頃のような喪失感、怒り、嫉妬、などの感情がまた出てくるような感覚。面白かった...
こうだったら、こうしていれば…という主人公の感情がとても響きました。
個人的にこの映画は、絵を通して感情を入れたりすることでまた面白い感覚になったので、よかったです。
漫画を好きな気持ち
1時間未満の上映とは思えないくらいの満足感と完成度でした。
漫画を通じて違う境遇の2人が一緒に漫画を制作するようになる、しかも藤田は自分の方が絵が上手くないので負けている気がしたのにその相手にファンと言われて舞い上がる様がなんとも可愛らしく、咄嗟に連載に向けて描いてるよ、って言ってくれて良かったと思う。
引きこもりだった京本と一緒の部屋で漫画を描くようになり、実際に賞を取り京本を外の世界に連れ出して楽しそうに遊んでる姿がなんとも楽しそうで、繋いでる手の描写が離れそうで怖かったがまさか本当に。。
藤田と京本、お互いに漫画に対する情熱と向上心が強いからこそ悲しい出来事が起こってしまったと思うとなんとも切ない。
認められる喜び、求められる嬉しさ
京本の才能に圧倒され、漫画をやめた藤野が、その京本に「ファンです」と言われた帰り道。スキップし、謎のステップになり、走り出す躍動感。それは藤野の抑えきれない喜び。認められることへの喜び。
不登校で引きこもりだった京本が、藤野と協力して作品を作り上げ、打ち上げで町に出て、クレープやファストフードを食べ歩き、自分の手を引く藤野の背中を見ながら頬を紅潮させる。自分を必要としてくれる誰かがいることの嬉しさ。
私自身は絵や芸術的な才能はないけれど、この普遍的な喜びと嬉しさへの共感が半端ない。
自分が外界へ連れ出さなければと後悔する藤野だけど、別のルートでも2人は出会う。そして、その出会いが掛け替えのないものだと再認識してくれたのが嬉しかった。
鑑賞後チェーンソーマンの作者による作品と知って、こんな喜びや嬉しさが原作者の背景にはあったのだろうと思いを馳せました。
秀作アニメ短編
ポスターの少女達の表情に惹かれて鑑賞。1時間弱ととても短いが、原作者と製作者の想いが密に込められていて後を引く作品。
このところ理不尽な理由で若いクリエイターの命が突然奪われることが続いた。美術大学での通り魔事件、大震災もそうだろうし、何より京アニ事件。この作品は原作者や製作者による犠牲者達への鎮魂歌のような気がした。
ストーリーはエモいし(二人で制作に打ち込む姿やドア越しのパラレルワールド展開)、精細な背景を含めて画がとても美しい(特に、嬉しくて舞い上がった主人公が畦道をチャポチャポしながら弾んで行く場面)し、主人公二人の声の演技もリアルですごく良かった。
振り返ってから前に進む
どういう映画か知らなかったが、好評だと目にし、癖のあるキャラ絵に引かれて鑑賞。
二人の若き創作者の関係性だけでも十分にエモかったのだけれど、悲劇的な事件と絶望からの物語の再生に揺さぶられて涙を抑えられなかった。
終業式後に逢わなかった世界の私の解釈は、自分が京本を殺したと自責の念に囚われていた藤野が、「自分の想像力で京本を救い、彼女に赦されて共に生きる未来」というナラティブを創り上げて自分を解放できたというもの。その象徴があの四コマなのだろう。藤野が呻吟の末にあれを描いたことで、心の中の京本と和解できたのではないか。
劇中の事件からの復活が、ちょうど先日大団円を迎えたユーフォと京アニのスタッフと重なって感じられた。(どんな分野であっても)日々苦しみもがき続けながら何かを創り出す方々に敬意と称賛を送りたい。
土砂降りの嬉し涙
この映画のハイライトはどこだろう。
この映画のクライマックスはどこだろう。
はじめから素晴らしかった。
月夜の星々から反転、町に灯る光。ただの光じゃない。それぞれに生き方や人生がある光。その一つにクローズアップ。そして背中が映し出されて、アバンタイトル。
「ルックバック」
ぼくたちは映画の中で何度も背中を見せられた。
そうか。「ルックバック」は「背中を見て」ってことでもあるし、「振り返って」ということでもある。物理的に後ろを向くことも意味するし、過去を顧みるということでもある。
初めて、京本のマンガが学級新聞に載った時、きっと藤野ちゃんは純粋に絵のうまさだけに衝撃を受けたのではないのだろうと思った。
「学校に来ていないくせに」なぜあんなに美しい校舎を描けるのだろう。「学校に来れないくせに」なぜあんなに美しい教室を描けるのだろう。
不登校の子にとって、学校や教室なんて地獄であるはずなのに、それをあんなにも美しく描けるのはなぜなんだ。
そんな思いがあったからこそ、藤野ちゃんは本気になれた。向き合えたのではないだろうか。
卒業式の日。
「何」からの卒業だったのだろう。
あの日、2人ともが「卒業」したのだ。
あの4コママンガは藤野ちゃんの心の現れ。
「出てきてほしい」
自分にとって絵を描くことを本気にさせた不登校の同級生はどんな人なのか。
自分にマンガを諦めさせた同級生を一度は目にしたい。
「出てくるな」
自分を超える絵を描く不登校の子に会いたくない。もしかしたら、バカにされるかもしれない。下手だねって。
自分に現実を突きつけたライバルなんて見たくもない。
「あなたさえいなければ。」まだまだ自分は絵を描き続けていたのに。
「あなたがいてくれたから。」本気で漫画に向き合えたんだ。
藤野と京本にとって、あの雨こそが卒業式を意味するものだった。土砂降りを哀しみの心象として描く作品は数多くあれど、嬉し涙をあんな土砂降りで表現するとは恐れ入る。
2人で1つ。だから進める。でも自分じゃない。
そんな思いがあったのだろう。手を引っ張ってもらえる。いつも前を歩いて、振り返ってくれる。振り向いてくれる。ルックバック。
振り返るといつもそこにいてくれる。だから振り返りたい。別々の道を歩み始めて、振り返ることをしなくなった藤野ちゃんがまた振り返ったのは、ラストの部屋でのみ。
振り返ることで道を知る。だから前にも進めるんだ。
「こうなったらいいのにな。」
誰しもが抱えるそんな淡い願望、濁った諦め。
過去を見つめる。歩んできた道を辿る。後ろにいるから進める。振り返るためには立ち止まらないといけないこともある。
ルックバック。
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