ルックバックのレビュー・感想・評価
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4コマのオチ
マンガと映画のいいとこ取りの素晴らしい作品。
短いながらもストーリィはお互いの青春と友情、サクセスストーリィを詰め込んだ見応え。
見どころは本当にたくさんあるので困る。
お互いがお互いの背中を見て走る
キョウモトの絵の上手さに描くことを諦めたフジノに見せるのは再びマンガへとひきも引き戻すキョウモトの背中。
引きこもりだったキョウモトを外の世界へと引っ張るのはフジノの背中。
ラスト、マンガに後悔し絶望したときに見たのはあの日のキョウモトの背中。
そこには「藤野歩」
再びマンガと向き合うフジノ
事件のテロップが入るあたり京アニの事件の鎮魂も思わせる。
キョウモトに対して描いた4コマのオチは死
フジノに対して描いた4コマのオチも死
冒頭のフジノが描いた4コマも小学4年であのネタはすごいと思ったよ。面白い。
単行本の表紙とかほぼチェンソーマンでサービスも多い。
嬉しい時には雨の中でステップを踏むのである。
その背中を見て
「ルックバック」言葉の通りその背中を見てという事になる。主人公の女の子は、小さい頃から自分の描いてる漫画が上手い上手いと周りに褒められてきて、自分自身もなんだかそれを真に受けて生きてきた。
それでもある日同じクラスの生徒で、同じく漫画を描く作品を見た時に自分の作品がどれだけ滑稽に映っていたのかを自分自身が驚愕する事になる。
この作品ですごいと感じたのは、その自分の力のなさに一度は、漫画を描くを諦めた事。
それは、自分の限界がここまでなんだとボーダーを引いて下がろとした。
でも、同じく漫画を描いてる家に踏み入れた時に自分は、【頑張っても才能のあるやつなんかに勝ってないよね?】という自分の考え方を後ろから殴りつけられる程にその子は、頑張っている事を知った。
そこでその主人公は、諦めるのではなく、さらに漫画を描き始める事になる。普通ならそこでまたも諦めそうな気もするのにそれでも続けていくのは、自分がやりたい事がこれだ!といえるくらいに自信があったからなんだろうと思う。
【自分が好きな事】と【自分が得意な事】は、似ているようで違う。それは、努力を続けるのに価値があるのかとも言えるかもしれない。得意ならそれ以上に頑張らなくてもなんとなくこなせてしまう気がするから。
でも、頑張っている人にしか見えない光景があるはずだと僕自身は、信じている。
頑張ることが正しいと言うことを言いたいのではないけど、頑張らないとダメな自分に向き合えないと考えているから。
この作品は、色んな観点から見てもものすごく示唆に飛んだ作品で見る度に自分の考え方を変えてくれるような気がする作品でした。
とても面白い作品で短いながらも濃縮な1時間でした。
辛い中にも美しさが際立つ映画
原作を読んだとき衝撃だったし、涙が止まらなかった。
映画版はテンポも良く絵が美しい中に、
漫画が恥ずかしいとか
他のことをして遊びたいとか
別の習い事をした方がいいとか
そういった周りの言葉に押し流されて
自分の夢を取るに足りない
元からそんなに真剣に目指していた訳でもないと思い込み、
ストレートに心から凄いと言って信じてくれる人の言葉で
夢に舞い戻って
褒められるとなんでもないことのように嘯いて。
苦しくなるほど本当のことがたくさん詰まっている。
結末を知らなくても、ふたりの笑顔に涙が出てくる。
藤野に助けてもらったからこそ、ひとりで頑張りたいと思う京本の気持ちも、
見離されたように寂しく思う藤野の気持ちもどちらも分かってひりひりする。
連載漫画のグラフと増えていく巻数、重版される新版、
巻かれるアニメ化の帯
といった余計な言葉を足さず見せていくようなシーンを
合間に挟みつつのドラマが展開してく表現が良い。
京本が殺されて連載もストップしてしまって、
いろんな事実だけでも辛いのに、
「京本死んだのあたしのせいじゃん」
「描いても何も役に立たないのに」
からの京本パートが吐き気がするほど苦しい。
背中を見て、という四コマから、
藤野のサインが背中に描かれた半纏、
そして藤野の後ろ姿。
讃美歌のような曲で終わるのも美しかった。
クリエイターじゃなくても
ネットの評判を見て、いわゆるクリエイター的な人に刺さる映画なのかなと思っていたけど、そうじゃなくても十分楽しめた。いろんな要素があって、とても良かった。
最後にパラレルワールド的な描写になりそれが藤野を救うラストになっていくけれども、それが力技だし現実的じゃないのに雑に感じるわけでもなく納得できてびっくりした。こんなにストンと入ってきたの初めてかも。
濃密な一時間
一時間で1700円は〜なんて心配ご無用。
とても短時間な作品と思えないほど濃密な体験ができます。
まず、画が素晴らしい。手書きなのにキャラがよく動く。やはりCGには出せない味わいが手書きにはたくさんある。
背景もカット構成も飽きがこない。キャラに負けじと背景も動く動く。
声優陣も河合優実さん、吉田美月喜さんも独特の世界観を熱演。あらためてテロップみるまで誰がやっているか忘れてた。
原作既読で悲しいお話、原作の良さを演出でさらにバージョンアップさせていて悲しさが増す。
MGMの映画ということでアメリカでも人気らしいが、突然の事件で大切な人を失う悲しみや憤りは世界共通。日本でもなぜ京都であんな事件が起きてしまったのか。あらためて亡くなった皆さんのご冥福と、遺族の皆様にはお悔やみを申し上げたい。
開始10分で泣いた
いろいろと言葉にならないけど、凄く良かった。2人の描いたマンガは笑かしてくるし、笑ったけど、それ以上に主人公と一緒に驚いて、落ち込んで、笑って、泣いた。
手を引っ張る藤野と一緒に駆ける京本をこれからも思い出すと思う。
漫画家についても考えさせられた。
目をいからせて歯をくいしばって登場人物に同期して描く。
焦って、泣きそうになって登場人物と同期して描く。
沢山の絵の練習がそこにある絵の下書きとして描き捨てられて来てる。
この世の漫画家先生たちの魂込めた絵に改めて感謝。
「描くより、読むほうがいいよ」
そういいながら今日も漫画家先生たちは描いてくれてる。
藤野のせいじゃないよ
感動するけどやっぱり60分では泣けないなあと思っていたら、藤野に命を救われた後「アシスタントになってね」と言われルンルンで帰る京本のシーンで突然ぼろ泣き。そっちの世界線でも、どうしたって京本の世界には藤野がいたんだよね...だったら一瞬でも2人で活動できた京本の人生は大満足だったはず。そんなことを感じ取ってかもう一度漫画を描き始める藤野の背中も良かった。
震えました。
原作未読。
「死と和解できるのは創造の中だけだ」。
藤本タツキはインタビューで、たまたま読んだ本の中に出てきた上記のセリフに触発されて今作品を制作した、と言っている。
それを聞いて、ふと思い出した。(これはずいぶん前にテレビ番組で見た話だ)
かの有名なサグラダファミリアのロザリオの間に、爆弾魔の彫刻があるのをご存知だろうか。1893年にバルセロナの劇場で爆弾を投げ込まれる事件が実際にあり、20人程が犠牲になっている。この時アントニオガウディの血縁者?が巻き込まれて亡くなっているらしく、この爆弾魔の彫刻はガウディ自身の作と言われている。
注目すべきは、この彫刻の爆弾魔の青年の手元。
当時のオルシーニ爆弾と呼ばれる球形の爆弾を悪魔が背後から差し出しており、それを今まさに受け取ろうとしている瞬間の姿が彫られているのだが、その爆弾魔の男の手元は、爆弾を握ってはおらず、手はふんわりと、爆弾から少し浮かせて彫ってあるのだ。
外尾悦郎という日本人がサグラダファミリアの修復に携わっており、彼が言うには「自分も彫刻家だから分かるが、偶然そうなった、ということは絶対あり得ない。意図してそう彫ったとしか考えられない」とNHKのインタビューで答えていた。青年の顔は聖母マリアに向けられており、スペインの内戦と経年劣化で顔の部分がはっきりと残っていないため、どんな表情で彫られていたのか不明だったそうだ。
ガウディは、なぜ手を浮かせて彫ったのか。
もしかすると、青年は、爆弾を投げる事を一瞬ためらったのではないか。そしてその一瞬は、まだ引き返せる一瞬だったのではないか。神と悪魔の狭間、どちらにも属さない、究極の分かれ目の瞬間をガウディは彫ったのではないか。
…if世界。ルックバック。
ガウディもまた、創造の中で死と和解しようとしたのだろうか。
亡くなった方は二度と戻らない。その現実に納得なんて誰もが出来ないだろう。京アニ事件の犯人のした事は決して許されることではないし、この事件に限らず、現実世界には受け入れ難い苦しみや目を背けたくなるような残酷な事がたくさんある。その時、クリエイターは、やっぱり創造するのだ。創作への情熱と喜びと、怒りや悲しみ、孤独を一身に背負って。机に向かってシャークヘッドを描き続ける主人公の後ろ姿に、胸が張り裂けそうになるエンディングであった。涙が止まらなかった。
(藤本タツキは1993年秋田県の生まれ。2011年東日本大震災の時は18才、2019年京アニ事件の時26才、その後コロナ禍へ。)
ものを創るヒトたちというのは、因果な生き物だ。裏を返せば現実に起きた他人の不幸を種に飯を食っているようなものだが、身を削りながら格闘して世に作品を送り出し、それを我々が受け取った時、絡まってぐちゃぐちゃになって訳がわからない塊を一つ一つきれいに解いて見せてもらっているような、何とも言えない不思議な気持ちになる。めちゃくちゃカッコいいし、尊敬する。関係ないけど、「創」という字はキズの意味もある。「切創」「挫滅創」など、受傷した表面に出血を認めるようなイメージのある漢字だ。創造とは出血を伴うものなのかもしれない。
アニメーションの絵が素晴らしく美しく、胸を打たれました。そしてこの短さでここまで見せるのには大変驚きました。映画製作陣に脱帽。映画館に観に行ってほんとに良かったです。
個人的に好きのは、主人公が嬉しさのあまり飛び跳ねながら帰宅するシーン。右足と右腕、左足と左腕が同時に動いてとても印象的な名場面になっています。
あと、なんていうんですかね、最初に描いた下絵?をそのまま生かすようなタッチというか、勢いを残してる感じがまた良かった。キャラクターの気持ちが線に乗って生き生きしてました。手で筆記具を使って描くというアナログな動作と作品そのものがフィットした感じがあり、一体感がありました。
後ろを振り返った時。映画タイトルを反芻した時。悲しみだけじゃなくて京本のキラキラした笑顔が鮮やかによみがえります。鑑賞後しっかりそれが残るのが素晴らしいです。自分の作品を読んだ京本の、ファン達の、あの笑顔があるから、描き続けていくんですね。
僕らは紙である
チェンソーマンじゃん、と思ったら
とんでもないヒューマンドラマ見せつけられた
藤本さんのキャラクター特有の
人間の感情がむき出しな感じ
余計なオブラートがなく
どこか社会性のブレーキが欠けたような
人物の描写
だから生々しいヒューマンドラマが一段と
迫ってくる。手書きの背景がまた
映像の凄まじさを増幅しつつ、
「あ、背景担当と脚本担当だからね」
とメタな考察を巡らせてしまうところまで
練られた設定。
本編にキーアイテムにもなっている
4コマの紙切れ。
冒頭の空から降りていく回転するカメラワークって
実は紙切れとシンクロしている、、!?
は、、ともすればありふれた話なのに
魅せ方でこんなにも凄まじくなるのか。
有り体にいってやばい映画である。
アニメ映画の最高傑作
まず映像美すぎる。藤本先生の絵がそのまま動いてるみたいだし、こんな作画いいことある?って終始驚いてたし、ほぼ全部手書きなのがおかしい。
柔らかな表情の描き方が好きです。あと藤野ちゃんが雨の中走るシーンが褒められて嬉しいの全身で表してて小学生のころを思い出して良かった。
二人が都会に買い物に行くシーンは幸せそうで思わず涙が出ました。
恐らく京アニ事件のオマージュらしいシーンは遺族や藤本先生の悲しみに訴えかけられてるようで辛かったです。
二人のすれ違い、だけど、少しだけど違う世界では生きてるんじゃないかという少しの希望があるかないかでこの作品への評価は大分違ったかなと思います。
めちゃめちゃ最高でした。
濃密な1時間、グッときた
何度もグッときた。
僕も小さいときから絵を描きつづけているから、なおさらね。
が、あんな形で京本を消すのは、ちょっと安易だなという気も。
何も殺さなくたっていいじゃないか(と思ったけど、ひょっとすると、京アニ事件に触発されてこの物語は生まれたのかな? 犠牲者への追悼でもあるのかな? どうなんでしょう)。
でも観てよかった。
余韻を残すラストシーンもよかったです。
この上映時間でこの完成度…!
前情報ほぼなく話題になっていたのは知ってたレベルで観ました。
この上映時間でこの完成度と満足感はえぐいと思います。
でも正直こういう展開になるとは思っておらず、何ならハッピーハートフルなストーリーだと勝手に思ってて、気軽な気持ちで観たのでその分倍心抉られすぎて二度と見返すことはないでしょう泣笑
泣く展開になるとは…!
本当に個人的な問題だけど悲しい展開は苦手で…!!
私が観た時は私と同じように前情報なしで気軽に見に来てた人が多かったのか、終わった後はマジでお通夜の空気感でした笑
主人公が再び描き続ける道を歩む選択をしたことが唯一の救いだけどそれじゃ浮上しきれないところまで落とされる!
火垂るの墓とはまた違った次元に落とされました。日本に住んでいる身としては戦争よりもより現実的に想像出来る悲劇だったのがごっそり抉られた要因でしょうね。
映画館を出た後私はメンタルケアの為に某アニメショップに行って無意味に店内を徘徊し、お気に入りのたい焼きを買って帰る必要がありました。。
気分が落ちやすい人には安易におすすめ出来ない映画だと思います…!
裏を返せば映画の完成度がそれだけ高いってことなんですけどね泣
願わくば、パラレルワールドでの京本さんと藤野さんがあの後コンビで漫画家デビューして二人手を取り合ってその道を歩み、決してその手を離すことなく揃って長生きしますように…!!良い子は長生きしろ〜!!!泣
作り手に刺さるんだろうと思われる映画
上映時間が約1時間の作品。タイパのご時世に習って興行的には上場らしい。
作品としても良い映画だなと思う。この作品に関しては、主役のふたりが填まっていると感じた。そういう作りを意図した作品のようなので、これは監督の目論見がうまくいった例なのだろうと思う。
作品としてはほぼ原作をそのまま踏襲しているので、原作を読んでいる人間としては、話に注目するよりも絵作りに注目するような見方になってしまう。逆にこの作品、原作のマンガを読んでいないで観たときに、すんなり腹落ちするのかなというのは少し気になるところ。途中に挟まれる、藤野と京本が出会わなかったらのIFのシーンとかは、初見だとちょっと戸惑う人もいるかもしれない。原作のマンガでもこのシーンはどういう意図なのか、というところは明確にはなっていなかったように思うし。
感想のタイトルの通り、この作品は、創作的な仕事に就いている人にこそ刺さる映画なのではないかと思う。どんな仕事にもそれなりにクリエイティブな側面はあると思うが、芸術や娯楽などの、生活や、現代社会を成り立たせるのに必要なものではないけれど、それに触れることで心を豊かにする、楽しくするような、そういうものを作っている仕事に就いている人たちには、「わかる!」と感じるような内容の映画なのだろうなと思う。
そういう事を感じさせるという意味で、監督の試みは十分に成功している映画なのではないだろうか。
藤野は!京本の!どんだけ光なのよ…!!
光なの…!!
それはそうとして、エンディングクレジットで編集者が「原作担当プロデューサー」みたいな肩書きで流れてて、なにその表記??と思いました。「編集」じゃアカンのかったの??
編集ってほんとなんなの??
「編集」の肩書きじゃダメなら、それはなんでなの??
ちょ………っともやりました。
繊細な感情描写
作画のクオリティが素晴らしくキャラクターの表情から、背景まで作品への思い入れを感じられる作品でした👏🏻✨
久々、心が浄化されるような映画で、1時間とは思えないほどの満足感でした。
ドアを通じて別の世界線もある描写は、人によって様々な解釈も出来るのでおもしろいと思いました!
ニコイチ
漫画をきっかけに無二の親友となった藤野と京本。藤野は京本に触発されて画力を磨いた。京本にとっては藤野と同じ学年新聞に漫画を連載することで社会との接点が持てた。
偶然が彼らを引き合わせたが、出会った二人が共同作業で作品を作り上げるようになったのは必然だった。
13歳という若さでデビューを果たした彼らに編集者も注目する。たぐいまれな才能、高校卒業を機会に連載の話が持ち上がる。
藤野はこれからも京本と共に漫画を描いていけると思っていた。しかし京本の気持ちは違った。彼女は藤野と出会い本当に絵を描くことが好きになっていた。今までは引きこもりでほかにやることがないから描いていたが自分の絵が商業誌に掲載され、憧れの藤野の役に立てたことで本格的に絵を描くことに目覚めたのだ。
美大に通いたいという京本。引きこもりだった彼女にしたら大きな進歩だ、そして彼女をそうさせたのは誰でもない藤野だった。皮肉にも藤野はそれで無二のパートナーを失う。連載は順調ながらもやはり京本に代わる良きアシスタントはなかなか見つからない。
そんな時に訃報が飛び込んでくる。美大で起きた無差別殺人事件で京本が犠牲になってしまったのだ。
自分が引きこもりから抜け出させたせいで京本は殺された。こんなことなら部屋から出さなければ良かった。
そんな藤野の願望がかなえられたのか、藤野と京本が出会わなかった別の世界からまるで時空の扉の隙間をすり抜けてきたかのように四コマ漫画が藤野の元へ。そこには「背中を見ろ」の文字が。振り向いた藤野の目に飛び込んできたのは藤野が漫画家として初めて自分の熱烈なファンに向けてサインをしたはんてんであった。
ただ日々の締め切りに追われて描くことに苦痛を感じていた藤野。このまま連載を続けることはできないかも。そんな挫折しそうな彼女はまたしても京本に背中を押される。小学生のころ京本にかなわないと漫画をあきらめかけた時、自分のファンだとサインをねだった京本にあの時も背中を押された。今の自分があるのは京本のおかげだ。そして京本もたとえひと時ではあっても、藤野との出会いで自分の人生を謳歌することが出来た。
再び一人原稿に向かう藤野の背中がそこにはあった。これからも藤野は漫画を描き続けるだろう。その藤野の心の中にはいつも京本がいて、二人はこれからも共同作業を続けていく。彼らは二人で一つ、ニコイチの関係なのだ。
本作は理不尽な暴力によって命を奪われた犠牲者たちへの作者の藤本氏なりの哀悼の意を込めた作品なのだろう。自分と同じクリエイターたちが不条理にも命を奪われなければならなかったことへの悲しみ、理不尽な暴力への憤りが本作を通して感じられた。
あの事件で亡くなった犠牲者は作者の藤本氏にしてみれば同じ志をもって創作活動していた同志ともいえる存在。藤野にとっての京本だったのだろう。
藤野と京本足して藤本 ニコイチ
ズシンと重い一撃を食らわせてくる青春映画
原作漫画の発表当時、かなり話題になっていたのを覚えています。
原作漫画はジャンプ+で読んでいたため、ストーリーは知っている状態での鑑賞です。
本作を鑑賞した結論ですが、今映画館で一番観るべき傑作映画だったと思います。
上映時間が58分と非常に短いのに鑑賞料金が一律1700円(各種割引対象外)という映画の内容と関係ないところで正直不満がありますが、内容に関しては文句のつけようがないほどに素晴らしかったです。余計なオリジナル展開を追加したりせず、原作に忠実に58分で描き切ったことは評価したい部分ですね。
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絵が得意な小学4年生の藤野(河合優実)は学校で配布される学年新聞で4コマ漫画を連載させてもらっていた。同級生たちからの評判も良く、鼻高々だった藤野だったが、ある日担任の教師から「不登校の京本(吉田美月喜)にも4コマ漫画を一本描かせてもいいか?」と聞かれる。数日後に配布された学年新聞には藤野と京本の4コマ漫画が並んで掲載されたが、京本のプロ並みの画力の隣では藤野の絵はひどく貧相に見えた。プライドを打ち砕かれた藤野はその日から、一心不乱に絵の勉強と練習に取り掛かる。
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何か一つのことに一心不乱に取り組んだことがある人なら、藤野が痛感した劣等感と、血のにじむ努力と、圧倒的才能を前にして燃え尽きたように一気にその熱が冷めてしまうような感覚に共感できるんじゃないかと思います。
原作が有名なこともあって色んな方が本作を鑑賞し、感想を述べています。人によって刺さったシーンが違うことも興味深いですね。シンガーソングライターのオーイシマサヨシさんも本作を鑑賞し、「映画館の店員さんに心配されるくらい号泣した」とおっしゃっていました。オーイシさんも音楽という芸術に向き合ってきた方なので共感する部分も多かったそうです。そういう方の感想を観るのも非常に面白いですね。
『ルックバック』というタイトルも様々な意味をくみ取ることができて面白いですね。
京本が漫画の背景描写を担当しているので「背景を見て」という意味。藤野が京本の背中にサインを書いたのが映画後半の印象的なシーンにつながり「背中を見て」という意味にもなる。個人的にはラストシーンで窓際の席で一心不乱に漫画を描き続ける藤野の描写で、窓の外の背景が刻々と移り変わっていくのが非常に印象的で、これから初めて映画を観る方がいるのであれば、「ラストシーンの背景を見て」と伝えたいです。
本当に面白い映画でした。言葉では説明できない映像の美しさも魅力の作品なので、原作漫画を見てストーリー知っているという方でも、ぜひ映像でご覧になっていただきたいです。オススメです!!!
何回見ても良い映画
原作好きで楽しみにしてた映画なだけあって原作まんまの作画がとても良かった。
映画では漫画になかった4コマの映像化もされており、スキップシーンも主人公の感情を表現しており満足度が高い。音楽も綺麗でサウンドトラックをリピートしている。特に最後のlight songも歌詞は無いようだが歌声が透き通るようで鎮魂歌にぴったりだった。
複数回観ているが入場特典も漫画のネーム版、ブックカバーと新たに一冊の本が出来る仕様で粋。
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