ルックバックのレビュー・感想・評価
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藤野と京本、最高の2人
高評価とネットでの宣伝のシーンが心に残って鑑賞しました。
面白くなりそうな出だしに期待が膨らみ嫉妬・独占欲など人間味溢れる中盤
同性の友情以上にお互いに必要な存在へ
一体どうなるのか終盤への期待が溢れて…
からの突然の・・・大事件
わかります、わかりますよ。人生には不条理な事が降り掛かる事がある事も
でもこの短い作品でそれは不合理な気がします、消化する時間がとても、余りにも足りません、倍の上映時間は必要かと
藤野と京本のその後が、結末が、見たかった。そう強く、強く、感じた作品でした。
映画のボリュームとしてはどうなのか…
元々前後編の読み切りの短編だからか、話のボリュームとしては、いまいち物足りさなを感じた。
漫画仲間の友人が殺された後、パラレルワールド的展開を見せてはいるが、それが現代に生きる主人公にどのように作用し、どのように乗り越えていくのか、もっと葛藤を見せてもいい気がした。
一緒に漫画を描き、二人でデビューしたからこそ、藤野は京本のことを縛っていくようになってしまう。
だからこそ、自分が京本を殺してしまったと思い込む藤野は、もっと苦しみながら漫画を描いていくことになるだろうに、葬儀のあとのシーンで全てを解決させてしまうのは、違うような気がした。
もっとその後の苦しみながらも、贖罪のように漫画を描いていく藤野を見たかった。
ほぉ。
だいぶ前にSNSで作品が素晴らしいと話題になっていて、たしか無料公開もしていてそのときに読んだ記憶があった。ただその内容はほとんど覚えていない。
ちなみに同じ作者の作品で大ヒットしたチェーンソーマンの存在は知っているし、地上波の深夜アニメは一応全話録画しているものの、なんだかんだ未だに見ていない。
本作の予告編が公開されたときも何やら感動するだの話題になっていたことや、作品自体が短くサクッと鑑賞できそうなことに加え、一般料金が1,700円と多少リーズナブルだったことなどから観に行くことに。
まず全体的なBGMが良かったようにおもった。
動きも走るシーンだったり、後半でツルハシを持って学校で暴れる犯人の動きも躍動感があって良かった。
ただ、後半で世界戦が入り混じる?ようなところは素人には良くわからなかった。
Aという世界線とBという世界線があり、それぞれ二人の主人公が進んだ別々の物語があった的なことなのかなと勝手に解釈。
あと、途中から二人で漫画の共同制作をすることになるのだが、何の前触れもなく急に始まったので「どういう流れで始めたの?」とちょっと疑問におもった。とはいえ話の展開から何となく推察することはできるのだが。
それと学校の4コマ漫画で活発な方の主人公がひたすら画力を挙げようと練習して描いた方のあるときの4コマ目が「沢北」にしか見えなかったのは私だけではないはず・・・。
入場特典として非売品のこの作品のラフ画みたいな単行本をもらった。事前に知ってはいたがちょっとだけ得した気分。(もちろんパラパラとめくっただけでちゃんと読んではいない)
エンディングのスタッフロールで「方言指導」みたいなのが目に入って、あの方言本格的にやっていたんだとおもって「へぇ~」となった。
なお、作品自体の上映時間は、スタッフロール終了まで「57分」と1時間もなかった。
こういうサクッと鑑賞できる短い作品もいいものだね。
「死」は安易すぎないか
前半は良かったが、京本が美大に行く決心をしたところまで。
藤野は自己肯定感が高いのは良いことかもだが、周囲を見下している。
中学生くらいまでならありかもだが、それ以上の年令になったら痛い。
京本に対する態度も、実は京本を思っているが表現が下手なだけ、というわけではなく、友情はあるし感謝はしているだろうが基本的に自分の下僕のように思っていそうで、京本がついに自我に目覚めてふたりにとって良かったと思ったのに。
死を安易に使ったように見える。
こういうの、感動ポルノっていうのかも、と思ってしまった。
背景が素晴らしい。
エンドタイトルに背景なんとかとして男鹿和雄さんの名前が入っていて、やっぱりと思った。
普通に左利きの人物が出てきたことに、小さく感動しました。
感動
ルックバック最初に思ったことは「短い映画のくせに高いやないか!!」です。実際見たら短い時間でここまで考えさせるのはすごいと感じました。
小学生の頃誰もが味わったであろう喪失感、怒り、そのような感情がしっかり伝わってきました。大人になって同調してきたかと思いきや、片方は夢が違えてしまい、再び小学生の頃のような喪失感、怒り、嫉妬、などの感情がまた出てくるような感覚。面白かった...
こうだったら、こうしていれば…という主人公の感情がとても響きました。
個人的にこの映画は、絵を通して感情を入れたりすることでまた面白い感覚になったので、よかったです。
漫画を好きな気持ち
1時間未満の上映とは思えないくらいの満足感と完成度でした。
漫画を通じて違う境遇の2人が一緒に漫画を制作するようになる、しかも藤田は自分の方が絵が上手くないので負けている気がしたのにその相手にファンと言われて舞い上がる様がなんとも可愛らしく、咄嗟に連載に向けて描いてるよ、って言ってくれて良かったと思う。
引きこもりだった京本と一緒の部屋で漫画を描くようになり、実際に賞を取り京本を外の世界に連れ出して楽しそうに遊んでる姿がなんとも楽しそうで、繋いでる手の描写が離れそうで怖かったがまさか本当に。。
藤田と京本、お互いに漫画に対する情熱と向上心が強いからこそ悲しい出来事が起こってしまったと思うとなんとも切ない。
認められる喜び、求められる嬉しさ
京本の才能に圧倒され、漫画をやめた藤野が、その京本に「ファンです」と言われた帰り道。スキップし、謎のステップになり、走り出す躍動感。それは藤野の抑えきれない喜び。認められることへの喜び。
不登校で引きこもりだった京本が、藤野と協力して作品を作り上げ、打ち上げで町に出て、クレープやファストフードを食べ歩き、自分の手を引く藤野の背中を見ながら頬を紅潮させる。自分を必要としてくれる誰かがいることの嬉しさ。
私自身は絵や芸術的な才能はないけれど、この普遍的な喜びと嬉しさへの共感が半端ない。
自分が外界へ連れ出さなければと後悔する藤野だけど、別のルートでも2人は出会う。そして、その出会いが掛け替えのないものだと再認識してくれたのが嬉しかった。
鑑賞後チェーンソーマンの作者による作品と知って、こんな喜びや嬉しさが原作者の背景にはあったのだろうと思いを馳せました。
秀作アニメ短編
ポスターの少女達の表情に惹かれて鑑賞。1時間弱ととても短いが、原作者と製作者の想いが密に込められていて後を引く作品。
このところ理不尽な理由で若いクリエイターの命が突然奪われることが続いた。美術大学での通り魔事件、大震災もそうだろうし、何より京アニ事件。この作品は原作者や製作者による犠牲者達への鎮魂歌のような気がした。
ストーリーはエモいし(二人で制作に打ち込む姿やドア越しのパラレルワールド展開)、精細な背景を含めて画がとても美しい(特に、嬉しくて舞い上がった主人公が畦道をチャポチャポしながら弾んで行く場面)し、主人公二人の声の演技もリアルですごく良かった。
振り返ってから前に進む
どういう映画か知らなかったが、好評だと目にし、癖のあるキャラ絵に引かれて鑑賞。
二人の若き創作者の関係性だけでも十分にエモかったのだけれど、悲劇的な事件と絶望からの物語の再生に揺さぶられて涙を抑えられなかった。
終業式後に逢わなかった世界の私の解釈は、自分が京本を殺したと自責の念に囚われていた藤野が、「自分の想像力で京本を救い、彼女に赦されて共に生きる未来」というナラティブを創り上げて自分を解放できたというもの。その象徴があの四コマなのだろう。藤野が呻吟の末にあれを描いたことで、心の中の京本と和解できたのではないか。
劇中の事件からの復活が、ちょうど先日大団円を迎えたユーフォと京アニのスタッフと重なって感じられた。(どんな分野であっても)日々苦しみもがき続けながら何かを創り出す方々に敬意と称賛を送りたい。
土砂降りの嬉し涙
この映画のハイライトはどこだろう。
この映画のクライマックスはどこだろう。
はじめから素晴らしかった。
月夜の星々から反転、町に灯る光。ただの光じゃない。それぞれに生き方や人生がある光。その一つにクローズアップ。そして背中が映し出されて、アバンタイトル。
「ルックバック」
ぼくたちは映画の中で何度も背中を見せられた。
そうか。「ルックバック」は「背中を見て」ってことでもあるし、「振り返って」ということでもある。物理的に後ろを向くことも意味するし、過去を顧みるということでもある。
初めて、京本のマンガが学級新聞に載った時、きっと藤野ちゃんは純粋に絵のうまさだけに衝撃を受けたのではないのだろうと思った。
「学校に来ていないくせに」なぜあんなに美しい校舎を描けるのだろう。「学校に来れないくせに」なぜあんなに美しい教室を描けるのだろう。
不登校の子にとって、学校や教室なんて地獄であるはずなのに、それをあんなにも美しく描けるのはなぜなんだ。
そんな思いがあったからこそ、藤野ちゃんは本気になれた。向き合えたのではないだろうか。
卒業式の日。
「何」からの卒業だったのだろう。
あの日、2人ともが「卒業」したのだ。
あの4コママンガは藤野ちゃんの心の現れ。
「出てきてほしい」
自分にとって絵を描くことを本気にさせた不登校の同級生はどんな人なのか。
自分にマンガを諦めさせた同級生を一度は目にしたい。
「出てくるな」
自分を超える絵を描く不登校の子に会いたくない。もしかしたら、バカにされるかもしれない。下手だねって。
自分に現実を突きつけたライバルなんて見たくもない。
「あなたさえいなければ。」まだまだ自分は絵を描き続けていたのに。
「あなたがいてくれたから。」本気で漫画に向き合えたんだ。
藤野と京本にとって、あの雨こそが卒業式を意味するものだった。土砂降りを哀しみの心象として描く作品は数多くあれど、嬉し涙をあんな土砂降りで表現するとは恐れ入る。
2人で1つ。だから進める。でも自分じゃない。
そんな思いがあったのだろう。手を引っ張ってもらえる。いつも前を歩いて、振り返ってくれる。振り向いてくれる。ルックバック。
振り返るといつもそこにいてくれる。だから振り返りたい。別々の道を歩み始めて、振り返ることをしなくなった藤野ちゃんがまた振り返ったのは、ラストの部屋でのみ。
振り返ることで道を知る。だから前にも進めるんだ。
「こうなったらいいのにな。」
誰しもが抱えるそんな淡い願望、濁った諦め。
過去を見つめる。歩んできた道を辿る。後ろにいるから進める。振り返るためには立ち止まらないといけないこともある。
ルックバック。
振り返ってもいつか
ルックバック
背景画集に感銘を受けて、(同様に)美術学校に通い、絵への愛情は貫かれる。つまり「藤野との出会い」だけが異なっている。理不尽な出来事自体は、変わらずに起こる。しかし藤野が打ち込んでいたものがそっくり空手に入れ替わり、地元から離れる理由もなく、救うことができる。その後で、藤野がまた漫画家を志したとして、そこからでも二人は一緒にやれただろうか。その後でもまた、一緒に漫画を作って、笑い合いたかった。
離れてデビューして、静かに描いているときに、再会を目指している気がした。いつもまず京本に向けて、物語を紡いでいたように見えた。
突然届いたあの漫画は、いつ描かれたものだろうか。助けてくれたこと、自分を導いてくれたことをいつまでも覚えている。
演出が惜しい
原作勢。ストーリー自体は特に原作との差はなく、一枚絵の補足描写や時系列の整理がされている程度。キャラデザもタツキ先生のタッチでそのまま動いているような印象で、丁寧に作られているんだなと開始数分で思わされた。劇伴も雰囲気によく合ってる!!
ただ、ところどころ少しん?というポイントがみられた(これに関しては完全に私の好き嫌いが入るので的外れな観点かもしれませんが一応気になったので)。
まず4コマ漫画をコミカルなアニメーションにして描写したこと。個人的には声があてられる程度にしてほしかったなぁ。作品の雰囲気的に、極力コミカルな描写は抑えて二人の日常会話とかそっちの方を描いてほしかった。欲を言えば、作品を描いている最中の何気ない会話とか。
あと襲撃犯が京本に言い寄る場面も気になった。凶器持ってて、もう少し速いテンポで言ってるのかと思ってたから違和感が大きかった。
でも全体的にはクオリティの高い一作に仕上がってると思う。エンドロールがとりわけ印象に残った。
今を自分らしく生きる
憧れの藤野先生にサインをお願いした時、京本さんの心は喜びに弾けていました。卒業証書を届けた帰り道、藤野さんの抑えられない体は本当に生き生きしていました。
正直に生きる二人は本当に楽しそうで、私は嬉しいです。
【『ルックバック』4回目を観に行きDon't Look Back In Angerと「背中」の含意の深さに唸る】
※すみません、かなりの長文です。
やはり名作は何度観ても味わえる。
というか、ますます味わいが深くなる。
そして新たな発見を繰り返す。
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まずトリビア的な前振りから。
3回目を観たときから、
「藤野が、京本の手を引いてひたすら走る」
というシーンがこんなに多かったか、と思った。
一度目は、デビュー作を集英社に持ち込むために出てきた東京の街で。
二度目は、走っているよりほとんど歩いているが、発売されたジャンプを買いにコンビニに向かう雪深い田舎道で。
三度目は、もらった賞金で豪遊するために出た街角で。
四度目は、京本の部屋で一夜を過ごす藤本の記憶の中の故郷の畦道で。
もっとあったかな?
この「繋がれた手」こそ『ルックバック』に込められた関係性の象徴だ。
結末を知っているからなおさら、最初の「繋がれた手」のシーンから繰り返し登場するに連れ、目頭が熱くなってしまう。
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そして手を引かれる京本は、藤野の背中を見ている。
当然、『ルックバック』には「背中を見ろ(見る)」という意味と「振り返る」の意味のダブル・ミーニングがある。
ここで、劇中のモヤモヤするやり取りが思い出される。
それは連載の話をもらったあとに田舎道を並んで歩く二人のやり取りだ。
画力と描くスピードの話になり、藤野が
「私、もっと上手くなる予定だからさ」と言い、
京本「じゃあ私、もっと絵ウマくなるね! 藤野ちゃんみたいに!」
藤野「おー。京本も私の背中みて成長するんだなー」
というやり取りだ。
これはかつて(小6)、藤野が京本の才能を超えられないことに絶望し、一旦は「やーめた」とペンを置いたことと矛盾するし、そんな藤野のセリフとしては不遜とも言える。
また、京本はなぜそこまで自分の技術と才能を肯定できないのか、とも取れる。
しかしこの一見逆転した関係こそ、『ルックバック』という物語の真髄かも知れない。
京本の背中を追い続けていたのは藤野であり、「私と離れて上手くいくわけがない」と詰る藤野こそが京本なしではやっていけない、と感じていたからだ。
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時空を超えて京本が藤野に届けた4コマ漫画のタイトルは「背中を見て」だった。
暗い部屋でヨロヨロと立ち上がった藤野の目に飛び込んできたのは、かつて藤野がサインした綿入れ半纏で、そこにはでかでかと「藤野歩」と書かれている。
京本は死ぬ日の朝までそれを着ていたはずだ。
つまり、毎日藤野を背負ってきた京本が「藤野、歩め」と言っているようにもとれる。
綿入れ半纏が掛けられているドアを開けて京本の部屋を出る時、藤野はその夜初めて呼吸するかのように「すうっ」と大きく音を立てて息を吸う。
まさに息を吹き返したように。
これは原作コミックにはないシーンで、映像監督の素晴らしい創造だと思う。
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そして本題のDon't Look Back In Anger"。
これはもう、ネットのマニアックな人々の間ではあまりにも有名となっているが、『ルックバック』というタイトルは、ロックバンドOASISが1996年英国チャートで1位を獲得した楽曲"Don't Look Back In Anger"に重ねているという符丁であり、しかも作画の中に巧妙にそれを練り込んでいる。
コミック版の最初の1コマでは、担任が
「はーい! 今週の学年新聞、配るぞー」
と言うその背景の黒板に
Don't
と書いてある。その先はコマに切れていて読めない。
そして物語の最後の1コマには、手前の床に散らばるDVDケースや大学案内?の冊子の他に「In Anger」と表紙にある冊子が見える。これもInの前に何があるのかは見えない。
つまり最初のコマの「Don't」と最後のコマの「In Anger」でコミックタイトル『ルックバック』を挟んでいて、続けて読むと"Don't Look Back In Anger"となる。
これが映画でどうなっていたか、改めて確かめに行った。
担任が学年新聞を配るシーンの背景はほんの一瞬しか写らず、しかも英語というより理科?の授業のようで、Don'tが見当たらない。。
だがそのシーンの前、まさにオープニングで月夜の街に降下していくカメラ目線の次に、呻吟しながら机に向かう藤野の後ろ姿のシーンで、机左手の本棚最下段の左から2冊目に背表紙が『DON'T』と読めるコミック誌が見える。見〜つけた♪
でも、ラストシーンでは残念ながらIn Angerがどこにも見つからない。
そこまではこだわらなかったのかもしれない。
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さて、OASISの楽曲はどんなものか。
YouTubeをちょっと漁ればすぐにMVを見つけることができるが、その歌詞を改めて確認すると二重三重に意味が込められているように思う。
作詞したノエル・ギャラガーによれば「俺の歌詞には意味はない」とうそぶいているようだが、英国でのとあるテロ事件の犠牲者追悼デモで、サビの部分に共鳴してか、この楽曲が参加者によって合唱されたという情報があった。
And so Sally can wait
She knows it's too late
As she's walking on by
My soul slides away
But don't look back in anger
I heard you say
So Sally can wait
She knows it's too late
As we're walking on by
Her soul slides away
But don't look back in anger
I heard you say
このSallyは特定の個人を意味していない、というのが定説のようだ。『いとしのエリー』のエリーが誰でもいいのと同じように。
しかしなぜ原作者の藤本タツキはそうまでしてこの楽曲を持ってきたのか。
と同時に、なぜ藤野には「歩」という名が与えられているのに、京本には名がないのか。
これは本当に僕の妄想というか幻視なのだけれど、原作者は京本に密かに「サリー」という名を与えているのではないか。
上記の歌詞のSallyを京本とイメージして読んでみると、にわかに物語が色彩を帯びてくる。
だがそう言ってしまうとあまりにもベタすぎるので、まるで余白に大きな意味を持つ絵のように「下の名が明かされない京本」を創造したのかもしれない。
2人の軌跡
2人の少女がそれぞれに抱く相手への憧れと嫉妬、この2人がひとつのマンガを描くことで目標となり心を通わせる。
それと同時にそれぞれが夢見る未来。
夢、希望を互いに与え合える親友として描き、それぞれを鼓舞する存在として丁寧に描き切ってる。
そして自室でマンガを描き続ける姿が、2人が過ごしたかけがえのない時間であることを窓ガラス越しに映し出される後ろ姿がとても心を動かされた。
この時間(短編)にまとめきった作者も製作陣も素晴らしく感じた。
初見
漫画好きの友達につれられて鑑賞。
序盤めっちゃいい。ライバル心に絵の練習して参考書とスケッチブックが積み重なっていくところ。胸が熱くなった。
後半に関しても、藤野が京本に書いた四コマに合わせて話を展開していたところがすごく良かった。刺さった。
都会に行くときの電車のシーン、手を離さないシーン、良すぎる。
だけど“藤野歩”と呼ぶ人が誰もいなかったのは気になった。
オリジナルが“藤野”しか名前が無いからなんだろうけど。
原作未読ながら僅か1時間の物語に圧倒された
今更視聴しましたが、とにかく圧巻だった。泣けるとか興奮とかそういう感じではないんですが、とんでもなく引き込まれてしまいました。
事前情報一切なく観にきて楽しめるか不安だったんですがすぐにその不安は杞憂に終わりました。序盤の藤野の漫画が動いてるシーン。ここでこの作品が只者ではないことを理解しました。漫画的な表現の色を残したまま動かすのって中々難しいと思うんですが、この作品は見事にそれを完璧と言っていいほどのクオリティでやっています。
高まった期待を確信へと変えてくれたのは藤野と京本の4コマが並んだところです。友達がいて学校にも行きながら漫画を描いてる藤野は人間を動かすこと、つまり漫画を描くのが上手いのに対して京本は人間との関わりを避けてきた、つまり群像劇などを描く能力は全然ない代わりに一枚絵を描く能力は飛び抜けてるんですよね。
このように本作では登場人物の能力や言動にとんでもなく説得力があるんですよね。だからどんどん引き込まれていくんです。
藤野が京本の家で何気なく書いた漫画が終盤になって絡んできたのも驚きでした。その辺りは多少超展開な流れだったもののここまで徹底的に現実的な展開だったことも相まってそれすら物語のアクセントとしていい味出してました。超展開も直接的なハッピーエンドに繋がるわけではなく藤野が前を向くきっかけくらいで収まってそうなのも素晴らしい。
理解できてないとこもあるかもしれませんがそれでも最高すぎました。
刺さりすぎて辛い気持ちに。
原作未読で、世間の反響と予告と知人の『観に行ってよかった!』という感想で観に行くことを決めた。てっきり素敵な気分になる話かと思った。
絵が身近な職種なので感情移入し過ぎたのか、しんどい。
しかしこれほど映画に感情移入したのは初めての体験で、良い経験になった。
途中、別の世界線の話からハッピーエンドになるかと思って、そうなったらそうなったで意味わからないけど希望を持っちゃった。
自分より上手い人をみてがむしゃらに頑張れる人が成功するんだなと思って、それもしんどかった。
しんどさが刺さる美しい映画。
演出、映像の質もとても高く感じた。
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