ルックバックのレビュー・感想・評価
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あの事件の事ですね😡つうか心にガツンと来たわ✊
ある意味テーマが重大で書きたい事が余りにもあり過ぎて自分みたいな人間には
簡単には感想なんて書けません🥺
自分の中で映画史上一番感想が直ぐに出てこない内容です🥹
頭の中で色々落ちついたら書くかもです(今は見終わったばかりだから整理がつかなくて書けないです✏️🗒️❌)
凄いとは思ったけども
映画館で見ようと何度も思ったけど時間が短いのに1700円はちょっとなぁ、、と悩んでいたらアマプラで登場していたので本日家で鑑賞。
独特な演出でとても展開も早くて凄いとは思った。
ただ細かい部分を端折りすぎてなんだかいまいちグッと来なかった。藤野と京本がせっかく仲良くなったのにずっと藤野は上から目線なのがなんか好きになれなかった。
でも、わかる。自分より凄いって心の中では思っているからこそ優しくはなれないよね。そうゆう経験があったから良くわかる。
京本は藤野の為にも自分の為にもレベルを上げようと思って美大を受けようと決心したのもわかる。
ただ時間が短かかったのか端折りすぎて頭の中が追いつけなかった。
あっけなく京本は亡くなって藤野もずっと連絡取ってなかったけど急に電話かけたのも
あれ?いつの間に仲良くなってたんだろ?とか考えてしまった。
でもわかるよ。京アニの事件をそのままリアルに再現してるんだよね。
何気ない毎日を過ごして絵を描いて仕事していたら訳のわからない犯人が沢山の人を殺してその犯人は濃厚と生きている。
許せないよね。
自分がその関係者や親族や友人だったらぜったいに許さない。
なんで私が2.5に評価してしまったか、、、、、、
心が揺るがなかった。
なぜだろう。
きっと
私も過去に同じ様な経験をした事があってそれを思い出したからこそ悔しくて点数をつけられないのかもしれない。
僻んでいる自分がいるからだと思う。
私はそれから何もやり遂げる自信がなくなっている。
広く浅く生きている。
シリアスな漫画家を目指す人々を描く
真っ直ぐな情熱
映像、演出、声優は5
京本は裸足で飛び出してくる
藤本タツキ氏の同名原作漫画がよくできているため
アニメ映画版「ルックバック」はその原作を
絵コンテとしてそのまま使用して描いたように見える
しかし原作漫画にはない演出が映画版には随所にあり
私が一番感動したシーンは、初めて京本が藤野に会う
シーンである
漫画では京本はサンダルを履いて藤野を追いかけるのだが
映画では京本は裸足のまま飛び出してくるのだ
この演出の違いが、映画版の素晴らしいところである
また藤野に手を引かれていく京本の手が
だんだんと藤野の手から離れていく様は
その後の藤野と京本の関係性を見事に映像として
表現している
最近の日本のアニメは心の動きや感情、動作までも
漫画のセリフのように「言葉」で表現するものが多く
幼稚園児や小学生を対象にしているのか?と
その表現の幼稚さに呆れ果てていた
漫画やアニメなら「言葉」や「セリフ」ではなく
「画」で表現すべきだと思っていたところ
今回の映画版「ルックバック」の演出方法をみて
「画」や「映像」で、登場人物の「心」の動きを
見事に表現していて、当たり前ながら驚いた
私は原作漫画を読まずに映画版を先に観たので
その感動や驚きは言葉に言い表せないくらいだった
おそらく、原作を先に観てしまっていたら
こんなに感動することはなかったのだろうと思う
それは映画版は
ほとんど原作漫画そのまんまであるからだ
本当は5点満点をつけたいところだが
個人的にどうしても納得いかないシーンが
一つだけある
それはラスト近くのシーンで
藤野が京本の部屋で、自作の「シャークキック」
第11巻のラストを見ながら泣いているシーンである
このシーンは、原作漫画、劇場で限定配布された
オリジナルストーリーボードでも確認したが
漫画のタイトルは異なっていたものの
(ネームの段階では「ラックラット」とある)
藤野が泣いているのは自分で描いた漫画を
読みながら京本との思い出を振り返る
(ルックバック)しているのである
このシーンは藤野が再び、京本のためにも
漫画を描き続けようと思わせる意図を
表現するため「シャークキック」11巻の
ラストで涙するような仕掛けなのだろうが
藤野が京本との思い出を振り返りながら
涙するのであれば、藤野と京本がまだ
合作をした作品を読みながら涙する方が
自然ではないだろうか?
このシーンは
個人的にとっても残念に思えて仕方がない
漫画、アニメ映画版ともに
その後、藤野が立ち上がり京本のはんてんに
書いた自分のサインを見つめるシーンがあるので
(映画版の方が、藤野は長くそれを見ている)
藤野の心に漫画を書き続けるという意思を
見出すことができるのだが
藤野が漫画を書き続ける理由それは
ライバルでもあり、尊敬もしている
京本に読ませたいためである
藤野と京本の二人の「漫画」を通じての
友情と切磋琢磨した日々を静止画ではなく
動くアニメでもっと見たかったというのが
本音ではあるが
近年稀に見る
「画」と「映像表現」で感動させてくれる
映画版「ルックバック」は地味な内容ながら
実写映画では表せないアニメーション映画だと思う
素晴らしい作品でした
原作盛り盛り
日本って不思議の国だわー。
追いかけるのか追いかけられるのか
運命的に、田舎で出会って戦友となった二人。
他愛もない言い争いで分かれたものの、道は別々になっても、どこかで元気にやってる、続けている、と信じていた存在、いわば魂の片割れのような人。
突然理不尽に奪われてしまって己の支えはどうなるのかと心配になってしまう。しかし、これまで歩んできた道が続けて先を照らすのには参った。
誰かの背中を追いかけてきたと思ったら、今度は自分が追いかけられる存在になっていた。じんさいではどちらかが歩みをやめてしまったり、なんならどちらも止まってしまうことの方が多い。この作品は理想的な関係の二人だった。だからこそ悲しい。
京アニ事件をどうしても思い出す。前を向いて奮闘していた人たちが理不尽に奪われてしまった。辛いし、悔しい。
過去と共に前へ進め
とても良い映画だった。
原作が発表された時、
見始めたら止まらずあっという間に読めたので
30ページぐらいの短編だったと思ったら
コミックス1巻分あって驚いた。
漫画からのアニメになった意味のある映画だった。
躍動感のある絵、美しい美術、そして声
原作をさらにドラマチックにしていたし、
見始めたらワンカットも見逃せない素晴らしい出来でした。
前半は自分の小学生の時も負けず嫌いに絵を描いてた
事を思い出し、
一緒に漫画を描き始めた時は羨ましく感じたし
二人がとてもイキイキして二人じゃないとダメな感じが
グッと来た。
どこまでが半生でどこからがフィクションなのかは
分からないけど、
藤本タツキさんは今日も前へ前へと進みながら
過去と一緒に原稿に向かってペンを走らせてるのだと
思います。
ひねくれ者の表現がすごい
前を向いて頑張ろう!って単純な話じゃない気がする
ルックバックというワードから連想できそうな事柄は全て盛り込まれており
全編が 背後や背景、背中、過去、回想や回帰などに関連付けられている見事なショートショート。綺麗なコンセプト作品でした。
本質的には北野たけしの
あの夏1番静かな海 にも、近いテーマ性も感じました
ストーリー全体の枠はおそらく作者のパーソナルな体験や事情を強く含んでいるように感じるが
泣かせる 感動させる というのは短編ストーリーとして成立させるための装飾またはサービスであり
核となる部分はクリエイターが抱える業と呪いと希望の作品だったように思える。
小説や詞や絵、作曲など物を創作する作家を志す人の99%は陽の目を浴びることはない。
そもそも、そういった創作活動は基本的に誰にも求められていない行為だ。
ある日『あなたに漫画を描いてほしい』と知らない人に言われて漫画を描き始めた人なんて1人もいないだろう。
誰にも求められていないのに作家はある日から絵や漫画や歌の創作を始めるのだ。
『では何故、作家は作品を作るのか』
という部分を掘り下げた作品です。
ルックバックの主人公フジノは終盤で
自分が描いていなければ友人は死ななかった
のに、と絶望し過去を思い出す。
『こんな面倒な事やるなんてバカがやること』だと言うが、それならなぜ自分は(自分たちは)描きつづけたのか?という核心に気付く。
もちろん、それはフジノの第一のファンであり決別後にも裏で献身的に支えてくれていたキョウモトのため でもあるのだが
さらに突き詰めれば 自分のためなのだ。
フジノもキョウモトも自分のために描いていた。
その証拠にフジノが漫画を描かなかった世界線のキョウモトは自らの意思で美大に通っている。
キョウモトはキョウモトで自分の絵を突き詰めたい人間なのだ。
つまりフジノがいなかったとしたもキョウモトは絵を描き続けるし
逆にキョウモトが死んだとしてもフジノは漫画を描くことはやめたりしない。
これは少し無常で冷淡な人間関係にも見えるが、実際はその逆で
君がいなくなっても描く
僕が消えても描いてくれ
という真剣な作家同士の強靭な連帯感や信頼関係がそこにある。
ルックバックの解釈として
辛い過去があっても前向きに生きていこうね!という映画だ。という解釈もあるが
それはそれで間違っていないと思うのだが
私の解釈としては
作家性のある人間が作った作品には
その作家の積み上げてきた努力や研鑽、趣味嗜好などが、その作品の背景として見えてくる。
ルックバックは
そういった作家達の本音。声を出しては言えない部分
『自分の存在を見てほしい』という創作の業と願望をテーマにした物に思えた。
万人向けの作品というよりかは
作者が志す作家感を全肯定するための剥き出しのポエムのような作品。
多分作者は20代とか若い人なのだろうと思うが、作家として貫きたい物を両手いっぱいに抱えてるのだな、という事は分かりました。
凄かった
描き続ける丸めた背中がレクイエム
人気漫画家藤本タツキの自伝的漫画をアニメ化した作品で、1時間程度の中編ながらクリエイター達の苦悩と解放を凝縮した作品でした。漫画を描くのが大好きな小学生の女の子が、抜群の画力を持つ引きこもり少女と出会い、二人して漫画家を目指すお話しです。ところが、単なる予定調和的なストーリーではなく、二人のクリエイターの喜びや苦悩,悔恨、慟哭など怒涛の展開に呆然としながらも作品世界にのめり込んでしまいました。京本の部屋の机に置いたままの少年ジャンプの今週分の人気アンケートハガキには、京本の藤野への変わらぬ想いが感じられて思わず泣けてきました。全編通じて、黙々と原稿を描き続ける主人公の背中が映し出されるのは、何があっても何が起こっても真摯に地道にひたすら描き続けるのが、クリエイターとしての真実の姿でありスタンスだからだと思います。原作を映画ならではの演出を活かして映像にした、押山清高監督のタッチも素晴らしかったと思います。役者では、河合優美、吉田美月喜ともに、感情たっぷりの吹き替えがキャラを生き生きさせていましたね。
皆んなが憧れた世界の舞台裏。
内容は、週刊少年ジャンプの人気連載作家藤本たつきの読切単行本を忠実に映画化した作品。
当時の社会的背景を漫画家世界に落とし込んだ自伝的見方のできる作品。この作品で、藤本先生が作家とはこんな一面があるんだと叙事詩的に語った物語。
印象的な台詞は、『でも!絵もっと上手くなりたい!』京本の言葉。2人の決別のシーンであると同時に、その次の言葉を聞きたくなく生唾を飲む藤野の口元が号泣を誘う。この場面、言葉と裏腹な強気な藤野の台詞も非常に泣ける。
印象的な場面は、『出てこないで!』と4コマ漫画の、一場面が時を超えて妄想として蘇った場面。
もし?!の世界を描く漫画家にとって良くある妄想が、作家本人を勇気づける場面も号泣に値する。ありえない虚実の世界に生きる楽しさと辛さと息苦しさが伝わってくる様だ。
印象的な立場は、2人の対照的な性格と色合いだ。藤野と京本の才能の違いと性格の違いは、映画アマデウスのモーツァルトとサリエリを彷彿とさせる様で非常に息苦しかった。
才能と努力の狭間で苦悩する2人の関係性は、非常に対照的で、美しく感動的な其々の心象風景が映像で伝わり良かった。
自分的に一番好きな場面は、小学校の卒業式後、京本宅を訪問する藤野を追いかける、引きこもり京本の発する言葉。
『藤野先生サイン下さい!』
ここの場面から雨が降り始め、藤野の今まで誰にも本当に!認められてなかった!思いが満たされる様に、感動の涙となって降り注ぎ、雨の中踊りながら走る藤本の場面が好きだ。
鬱屈した思いが1人のファンの言葉によって報われる『絆』が深まるシーンは一番の見どころ。
何とも言えない誰しもが抱いて挫折したであろう様々な好きなことへの贖罪と諦観が後悔を呼び、もう一つの未来を予感させ感動させる。
藤本たつきの漫画は、難解でわかりにくいとは言われる。
しかし、この『ルックバック』単体だと分かりにくくても、『さよなら絵梨』と対になっている漫画なので、楽しみたい人にはオススメしたい。二つを読むと世界観が、よりよく分かりもう一度『ルックバック』してしまいそうな素晴らしい作品です。
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