ルックバックのレビュー・感想・評価
全720件中、41~60件目を表示
過去と共に前へ進め
とても良い映画だった。
原作が発表された時、
見始めたら止まらずあっという間に読めたので
30ページぐらいの短編だったと思ったら
コミックス1巻分あって驚いた。
漫画からのアニメになった意味のある映画だった。
躍動感のある絵、美しい美術、そして声
原作をさらにドラマチックにしていたし、
見始めたらワンカットも見逃せない素晴らしい出来でした。
前半は自分の小学生の時も負けず嫌いに絵を描いてた
事を思い出し、
一緒に漫画を描き始めた時は羨ましく感じたし
二人がとてもイキイキして二人じゃないとダメな感じが
グッと来た。
どこまでが半生でどこからがフィクションなのかは
分からないけど、
藤本タツキさんは今日も前へ前へと進みながら
過去と一緒に原稿に向かってペンを走らせてるのだと
思います。
ひねくれ者の表現がすごい
少しひねくれた素直じゃない人間が面と向かって褒められたとき、どんな行動をするか
という見方をしたときに、このような形で表現された作品を観たことがなかったです。
私自身も似た経験があるからか、
観てよかったと思える作品でした。
観てよかった短編アニメ映画
先日(2024年11月9日)観ました。
アマプラ独占配信という事で、前々から少し気になりつつも、出来るだけ予備知識なしで臨もうと、関連記事などから目を逸らしていました。
今回観て知ったのは、チェンソーマンの作者の作品である点や、中学生の女の子2人の漫画に関する物語であり、最先端のデジタル技術ではなくアナログの手書きにこだわった作風などです。
基本的に学生ものの作品は食指が伸びにくい所がありますが、本作は再生から5分とかからず引き込まれました。
クラスで漫画がうまい藤野。ちょっといい気になっている所に登場する京本のずば抜けた景色たち。クラスメイトの関心は京本の画力に移り、居場所を失いそうになった藤野が一念発揮。交友関係すら断ち、絵の稽古に没頭していく…と言った展開です。
60分を切るとっかかりやすい尺と手書きならではの温かみのある絵のタッチ、ジャンル分けするのに難儀してしまう物語の変化に、気がついたら画面にかじりつかんばかりに観入っていました。
同じ場面が繰り返されるシーンがあり、どういう状況か分からなくなってしまった箇所がありましたが、エンドロールの余韻までお腹いっぱい堪能することができました。
5年前の夏に起こった凄惨な放火殺人事件を思い出すシーンがあり、当事者でなくとも胸が締め付けられました。
藤野と京本は出会えてよかったと、個人的には思っています。
この作品は家族で観てもらって、鑑賞後に家族みんなで話をしてほしいです。色んな意見が出てきそうですね☺️
追記
咲夜(2024/11/24)に妻と一緒に観ました。
やっぱり考えさせられますね😞
前を向いて頑張ろう!って単純な話じゃない気がする
ルックバックというワードから連想できそうな事柄は全て盛り込まれており
全編が 背後や背景、背中、過去、回想や回帰などに関連付けられている見事なショートショート。綺麗なコンセプト作品でした。
本質的には北野たけしの
あの夏1番静かな海 にも、近いテーマ性も感じました
ストーリー全体の枠はおそらく作者のパーソナルな体験や事情を強く含んでいるように感じるが
泣かせる 感動させる というのは短編ストーリーとして成立させるための装飾またはサービスであり
核となる部分はクリエイターが抱える業と呪いと希望の作品だったように思える。
小説や詞や絵、作曲など物を創作する作家を志す人の99%は陽の目を浴びることはない。
そもそも、そういった創作活動は基本的に誰にも求められていない行為だ。
ある日『あなたに漫画を描いてほしい』と知らない人に言われて漫画を描き始めた人なんて1人もいないだろう。
誰にも求められていないのに作家はある日から絵や漫画や歌の創作を始めるのだ。
『では何故、作家は作品を作るのか』
という部分を掘り下げた作品です。
ルックバックの主人公フジノは終盤で
自分が描いていなければ友人は死ななかった
のに、と絶望し過去を思い出す。
『こんな面倒な事やるなんてバカがやること』だと言うが、それならなぜ自分は(自分たちは)描きつづけたのか?という核心に気付く。
もちろん、それはフジノの第一のファンであり決別後にも裏で献身的に支えてくれていたキョウモトのため でもあるのだが
さらに突き詰めれば 自分のためなのだ。
フジノもキョウモトも自分のために描いていた。
その証拠にフジノが漫画を描かなかった世界線のキョウモトは自らの意思で美大に通っている。
キョウモトはキョウモトで自分の絵を突き詰めたい人間なのだ。
つまりフジノがいなかったとしたもキョウモトは絵を描き続けるし
逆にキョウモトが死んだとしてもフジノは漫画を描くことはやめたりしない。
これは少し無常で冷淡な人間関係にも見えるが、実際はその逆で
君がいなくなっても描く
僕が消えても描いてくれ
という真剣な作家同士の強靭な連帯感や信頼関係がそこにある。
ルックバックの解釈として
辛い過去があっても前向きに生きていこうね!という映画だ。という解釈もあるが
それはそれで間違っていないと思うのだが
私の解釈としては
作家性のある人間が作った作品には
その作家の積み上げてきた努力や研鑽、趣味嗜好などが、その作品の背景として見えてくる。
ルックバックは
そういった作家達の本音。声を出しては言えない部分
『自分の存在を見てほしい』という創作の業と願望をテーマにした物に思えた。
万人向けの作品というよりかは
作者が志す作家感を全肯定するための剥き出しのポエムのような作品。
多分作者は20代とか若い人なのだろうと思うが、作家として貫きたい物を両手いっぱいに抱えてるのだな、という事は分かりました。
Look back
藤本タツキ作品は、チェーンソーマンをはじめとして、その他短編集も読んでいる。私はファンのひとりである。
本作品は、2年ほど前、寝つきの悪い日曜日の夜に一気読みし、感動と切なさで余計に眠れなくなってしまったことを覚えている。
これは、鑑賞後にタイトルの真の意味がわかるタイプの映画である。なぜ漫画の表紙に描かれた主人公が窓際でひとりで絵を描いているところなのか。
主人公(藤野)は絵を描くのが得意で、学級新聞の四コマ漫画を担当し、絵を周りから褒めれることが大好き。あるとき、不登校の生徒(京本)が描いた四コマ漫画を見て、あまりのレベルの高さにショックを受ける。それでも藤野は、絵を勉強し、よりうまく描けるように努力を続ける。それでも差は埋まらず、一度は諦めてしまうが、たまたま会った京本に「先生」と言われ、気持ちよくなり、猛勉強を再開する。そこからは2人の漫画共作が始まっていく。
藤野が常に机に座り、その後ろで京本が低いテーブルで突っ伏しながら漫画を描くシーンがたくさん出てくる。
物語は高校生までは順調に進むが、2人の進路は漫画家と美大進学で完全に分かれてしまう。
そこで起こった事件により、京本は亡くなってしまう。
そのとき藤野は回想し、京本の人生の分岐点に、自分が大きく関与したことに気付いてしまう。そこからは藤野らしい明るく爽快な妄想と思われるシーンが繰り広げられる。そして新たな四コマ漫画を窓に貼って再び仕事に戻る。
ストーリーはほぼ原作通りで、色が入ることで、漫画を描いているときの窓の外の景色や背景の美しさが際立っていた。
58分という短い上映時間であるが、これ以上ない濃密さでストーリーは進んでいく。
辞書では、「look back=回想する」であるが、最後のシーンや京本と漫画を描いているシーン、藤野の性格からして、タイトルがその意味を表してしていないことは明らかだろう。
よくみるお涙頂戴アニメ映画とは完全に一線を画する。
やはり藤本先生おそるべしである。
凄かった
色々と物議をかもしたとの話は聞いてはいたけど
さほど興味があったわけでもなく
誰だかが最近紹介していたので観た。
なるほど。
彷彿とさせるわけですね。
しかし、結びつけがちょっと強引な気がしないでもない。
ビジュ的には淡い色使いが良かったり
キャラクターの表情が豊かだったり
見ていて気持ちのいい作品だった。
特に気になるとこも無かったし
話の流れも難なく受け入れることが出来た。
1時間に収まってるから余計に観やすかったのかな?
本当に最初から最後まで、引き込まれるとは違うんだけど
集中させられてしまった。
痛ましい出来事を描きながらも
勇気をもらえる作品。
とても良かった。
またね
初対面の二人の去り際の言葉が圧倒的期待感を持たせてくれて最高。
58分だけで映画として超傑作を作れるんだということを提示してくれる意欲作。映画内におけるダイジェストシーンって「君の名は」とかで象徴されるように演出的にも凝っていて面白いことが多いんで、「それだけで完成させればいいんじゃね」という狙いかどうかはわからないけど、メインに据えることで上手くハマって成功している。
初対面で尊敬しすぎて同級生を先生と呼んじゃう場面が序盤の名場面。後半の名場面はブラックコメディな4コマを実は相方も制作しており、それがけっこうクオリティ高いところ。オチの背中を見ろ=タイトルにもリンクするという構成が綺麗。個人的な心情だけど、あの4コマ切り取りが時空を越え、空手少女の主人公が正史になる終わりかたでも良かった気がするんだけどなー。
タツキはおそれている。
自身の出世作第二章を前に、今一度過去を振り返る様な自伝的漫画(だと勝手に思っている)。
とにかく病的に描く描く描く、その喜びと苦しみのループは、そっくりそのまま作者の頭の中なのだろう。突然挿入されるあの事件の描写は、漫画的に都合良く成敗する結末を選ばず、現実を突き付けて終わる。死んだ人は帰って来ない。
漫画から感じたそんな想いが全く表現されていない映画。
描き続ける丸めた背中がレクイエム
人気漫画家藤本タツキの自伝的漫画をアニメ化した作品で、1時間程度の中編ながらクリエイター達の苦悩と解放を凝縮した作品でした。漫画を描くのが大好きな小学生の女の子が、抜群の画力を持つ引きこもり少女と出会い、二人して漫画家を目指すお話しです。ところが、単なる予定調和的なストーリーではなく、二人のクリエイターの喜びや苦悩,悔恨、慟哭など怒涛の展開に呆然としながらも作品世界にのめり込んでしまいました。京本の部屋の机に置いたままの少年ジャンプの今週分の人気アンケートハガキには、京本の藤野への変わらぬ想いが感じられて思わず泣けてきました。全編通じて、黙々と原稿を描き続ける主人公の背中が映し出されるのは、何があっても何が起こっても真摯に地道にひたすら描き続けるのが、クリエイターとしての真実の姿でありスタンスだからだと思います。原作を映画ならではの演出を活かして映像にした、押山清高監督のタッチも素晴らしかったと思います。役者では、河合優美、吉田美月喜ともに、感情たっぷりの吹き替えがキャラを生き生きさせていましたね。
皆んなが憧れた世界の舞台裏。
内容は、週刊少年ジャンプの人気連載作家藤本たつきの読切単行本を忠実に映画化した作品。
当時の社会的背景を漫画家世界に落とし込んだ自伝的見方のできる作品。この作品で、藤本先生が作家とはこんな一面があるんだと叙事詩的に語った物語。
印象的な台詞は、『でも!絵もっと上手くなりたい!』京本の言葉。2人の決別のシーンであると同時に、その次の言葉を聞きたくなく生唾を飲む藤野の口元が号泣を誘う。この場面、言葉と裏腹な強気な藤野の台詞も非常に泣ける。
印象的な場面は、『出てこないで!』と4コマ漫画の、一場面が時を超えて妄想として蘇った場面。
もし?!の世界を描く漫画家にとって良くある妄想が、作家本人を勇気づける場面も号泣に値する。ありえない虚実の世界に生きる楽しさと辛さと息苦しさが伝わってくる様だ。
印象的な立場は、2人の対照的な性格と色合いだ。藤野と京本の才能の違いと性格の違いは、映画アマデウスのモーツァルトとサリエリを彷彿とさせる様で非常に息苦しかった。
才能と努力の狭間で苦悩する2人の関係性は、非常に対照的で、美しく感動的な其々の心象風景が映像で伝わり良かった。
自分的に一番好きな場面は、小学校の卒業式後、京本宅を訪問する藤野を追いかける、引きこもり京本の発する言葉。
『藤野先生サイン下さい!』
ここの場面から雨が降り始め、藤野の今まで誰にも本当に!認められてなかった!思いが満たされる様に、感動の涙となって降り注ぎ、雨の中踊りながら走る藤本の場面が好きだ。
鬱屈した思いが1人のファンの言葉によって報われる『絆』が深まるシーンは一番の見どころ。
何とも言えない誰しもが抱いて挫折したであろう様々な好きなことへの贖罪と諦観が後悔を呼び、もう一つの未来を予感させ感動させる。
藤本たつきの漫画は、難解でわかりにくいとは言われる。
しかし、この『ルックバック』単体だと分かりにくくても、『さよなら絵梨』と対になっている漫画なので、楽しみたい人にはオススメしたい。二つを読むと世界観が、よりよく分かりもう一度『ルックバック』してしまいそうな素晴らしい作品です。
京アニ事件を題材ではなくテーマとして捉えなければ駄作になる気がします。
コミックス版は、京アニ事件に対するクリエータとしての気持ち、自分事というか創作に携わるものとしてあの事件の消化という意味が感じられたし、そこに共感できたので評価しました。そこが重要であってクリエータ論としてはそれほど目新しくはないと思います。漫画表現としては見るべきものはありましたけど。
背景がすさまじく上手いという絵の才能と、漫画の内容・アイデアが面白いという才能がお互い認め合った。ちょっとしたハプニングが原因であきらめていた漫画の道に戻った。そのときクリエータの道に相手も引っ張り込んだ。それがかなり間接的な要因だけれど一人の命を奪った。それでも創作は続けざるを得ない。なぜなら創作者だから…ですね。
そこまでならいいですけど、明確な京アニ事件を題材とした出来事が含まれます。これが単なる創作論なら論外です。交通事故でも火事でも他の事故ならなんでもいいですけど、京アニ事件を取り上げるのは他の何かを描くためだとしたら内容的にはアウトだと思います。
藤野と京本ですからね。2人合わせて「藤本」の他に「京」の文字が入っています。つまり、そこにテーマがあるのは意図的なんだと読んでいました。
京アニの犠牲者を自分事として捉えた漫画家が自分の気持ちを消化しつつ、犠牲者を鎮魂する。そういう意味においてのみ許される描写かなと思いました。それ以外の意味性をこの映画に見るにはまだまだ時間の経過が足りないし、単なる才能やその道を進まざるを得ない的な創作論だけではあの事件を取り上げる必然性が弱すぎる気がしました。
その点でいえば2019年の事件に対して2021年の1巻で完結する漫画版だからこそ、その意味を感じられましたが、2024年の映画は演出過多だし尺として水膨れだし、意味として京アニ事件の消化のマインドが見当たらなくなっており、かなり意味も品も落ちたかなという気がします。
結論としてはコミックスとほぼ同じ内容ですが、その時期や商業的製作意図として映画は駄作と言える気がします。原作既読だから感じたことかもしれませんが、映画は京アニ事件に対する気持ちが漫画版に比べてかなり薄くなっている気がしたので、あまり評価できませんでした。
意味のある・なのか
面白かったです。
登場人物が亡くなる演出はあまり好きではなくて、なんというか、死なさずに感動させてくださいと思ってしまう。特にこの話ならその必要ある?と思ってしまうのですが。
犯人の動機がそのままあの事件と同じということは、ここにもこの映画のメッセージの一つがあるのでしょうね。ここでの死は突拍子のない出来事ではなくて、描かなくてはならないものだったということなのか。
結局、主人公は背中を見ることで前を向くことが出来た。
誰もが出来るとは限らないけど、利用出来そうなものがあればなんでも利用して、それを燃料にして進んでいけたらいいのですけどね。
とか感じました。
終盤の助けれるストーリーの方に変わったらよかったのに。
と、どんなに思っても現実は変わらない。
その厳しさも受け入れないといけないんだろうな。
Primeですが。
映画で上映してた時は、
まあチェーンソーマン売れたからね。
程度の感覚で見てませんでしたが。
なんとびっくり。単純に良い作品です。
ストーリーも映像も音楽もとにかく上手い。原作あるんですよね?短編ですか?ストーリーの完成度高いでした。
最後は少し切ないラストでしたがラストの回し方も美しく。
完成度の高さを感じた作品でした。
◎◎です。
漫画家を目指す者たちに捧げた作品
漫画家を目指す少女たちの世界
アニメーション
でも彼女らの表情にはリアルさがある。
タイトルのルックバック
直訳すれば背中を見ろだが、意訳して背後に気を付けろとでも言いたいのだろうかと思いながら見ていたが、それは4コマ漫画のオチにもなっていた。
集英社の企画だろうか?
漫画家を目指す人は年々多くなっているのだろうか?
漫画家を目指す姿勢
苦悩と苦労とその生活スタイル
これらを教えたかったのか?
学校もろくに行かずに漫画と格闘している。
やがて起きること
それはどんなジャンルの仲間たちにも起こること
別の道
しばらく前から感じていた違和感
それが何なのかがわかったとき、自分が進むべき道を選択するとき。
さて、
順調に連載を続けた藤野
美大へ進学した京本
その美大で事件は起きた。
京アニ事件と同じ構造
藤野は漫画の道に京本を巻き込んだことを激しく後悔する。
彼女の家 あの日と同じスケッチブックが廊下にまで積み重ねられている。
その上に置かれた少年ジャンプ 藤野の連載 そしてあの日京本に書いた4コマ漫画
それこそが、すべてのきっかけだったことに、藤野は激しく動揺し、それを破り捨てた。
その時、あの日と同じようにその一辺がドアの向こう側へと吸い込まれていった。
さて、
京本は、彼女の意思はどこにあったのだろう?
彼女には偏屈さのかけらもない。
優しさが満ち溢れている。
背景画
物語のない佇まい
そこに感じる京本だけのシーンがあるのかもしれない。
物語のない風景
その角度や天気やモノだけで、京本の想像が大きく膨らむのだろう。
漫画とは少し違う世界
ちょっとそこに立ち寄ってみたくなっただけなのかもしれない。
ちぎられた一片の漫画を見た「あの日」の京本は、その続きを描いてみた。
そこには藤野の知る世界がコメディタッチで描いてあった。
それを見た藤野は思わず部屋のドアを開ける。
誰もいない京本の部屋
ドアにかけられていたあの日のどてら
その背中には、あの日彼女が書いたサイン 藤野歩
「背中を見ろ」
おそらくそれは、天国の京本が私の背中を見ろと言っているのと同時に、その背中に書いてある自分自身を見ろと言うことなのだろう。
つまり、自分自身を信じて、これからも漫画を描けと言うことだろう。
そして連載の「シャークキック」
藤野の漫画の内容はわからないが、足のないサメのキックというのがポイントなのだろう。
空手のキック
もしもの世界
この藤野自身が作った漫画が、もしリアルであったなら、きっと京本を襲ったあのサイコをやっつけてくれたかもしれない。
その物語を、京本が描いて見せた。
ぐるぐると回る思考のように、現在と過去とがつながった感覚
その不思議さとリアルさに、藤野の心が揺れている。
少し考えさせられて、少しじわっと来る作品だった。
シャークキックって
サメには足が無いのに、蹴ってるから、
自分には無いものでも、得意技にできるって事だとすると、
背景だけを頑張って描いてるようなあのエンドロールは、藤野もシャークキックができるようになれたのかな
作り手も読者も尊敬し合う世界
私は子供の頃から絵を描くのが好きで、35歳をすぎてからたった8ページですが漫画を描いたことがある身です。
そんな境遇からか藤野の衝動を解像度高く共感できました。
と言いながらも自分の境遇の要素はほんの小さなことで、このプロット、ストーリー、情景、声、キャラの表情、アニメ映画としては少し崩れるくらい誇張した動き、すべてが藤野と京本の心境を増幅して伝える映像だったことが自分も多くの人も原作者の魂に触れる体験をしたのだと思います。
いろいろな意見を言われる題材を漫画作品、映画作品に仕立て上げた作り手に感謝と尊敬です。
全720件中、41~60件目を表示