ルックバックのレビュー・感想・評価
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原作を上回る感動作
地元の映画館での上映がなかったので、天童まで出かけて鑑賞した。原作コミックスは鑑賞済みである。非常に切ない物語で、コミックスで胸を打たれた時の感動がもう一度感じられるだろうかと不安だったが、全くの杞憂だったばかりでなく、コミックスの感動を上回っていた。鑑賞記念に原作のネームが貰えたので、どれだけ原作に忠実に作られたのかが実感できた。僅か1時間にも満たない短い作品であるが、2時間の映画に全く引けを取らない立派な作品だった。
物語の発端は、主人公たちが小学4年生の頃に遡る。学級新聞に4コマ漫画を描いていた藤野に担任が1話分のスペースを不登校の級友の京本に譲るようにと依頼されるところから始まる。快諾した藤野は、印刷された最新号を見て、京本の画力の凄まじさに圧倒され、自分の絵の未熟さを痛感して、負けまいと絵の練習に本気を出すが、この2人が対面するのは小学校の卒業式の日まで遂に来なかった。藤野は絵の練習を2年近く続けるが、どうしても勝てないという敗北感から漫画の練習を6年生の途中で放棄してしまっていた。
卒業式の当日も京本は不登校だったため、卒業証書を届けるようにと担任から頼まれて嫌々ながら京本家を訪ねると、京本宅には人の気配があるものの、誰も出て来ないので卒業証書だけ置いて帰ろうとするが、京本の部屋の前の廊下に置かれたスケッチブックの数の多さとその描かれた風景の質の高さに驚く。挨拶がわりに思いつきの4コマ漫画をその場で描き上げて置いて帰ろうとすると、その描き上げた紙が京本のドアの下から部屋に吸い込まれるように入ってしまい、それを見た京本が、届けに来たのが藤野だと知って部屋から飛び出して藤野の後を追い、藤野の描いた漫画のファンだったと告白する。
実に見事な導入である。風景として描かれている山は鳥海山の山形県側の眺めなので、この小学校は酒田市付近にあるはずであるが、京本の訛りは庄内弁ではなくて山形弁なのが少々気になった。やがて、漫画のメインのキャラクターとストーリーを藤野が描き、背景を京本が描くというコンビ作業で漫画を描いて、高校生の頃には少年誌に投稿して入賞するまでとなり、連載を持てるまでに話が進むが、そこまで藤野に従って来た京本が絵の勉強を本格的にしたいので大学に行きたいと袂を分つ。京本の進学先は山形市の東北芸術工科大学である。
雑誌連載という限られた能力ある者にのみ許された仕事は、趣味で漫画を描いている者たちには夢のような話であるはずなのに、京本は何故それを放り出して進学を選んだのだろうか?その理由は明らかにされていないが、私見ながら自分の能力に対してこの先の不安を感じて、4年間の猶予をもらって画力をアップさせたら藤野の下に戻るつもりだったのではないだろうかと思われてならない。藤野は猛反対したものの結局は京本の希望を尊重する。
その後京本を襲った悲劇は、京都アニメーション事件を彷彿とさせる事件だった。その激しく暴力的なシーンは、作者があの事件をどれほど憎悪しているかを、痛いほど見る者に感じさせた。藤野は、小学校の卒業式の日に自分が描いたあの漫画のせいで、京本を引きこもっていた部屋から出て来させ、その先にこんな事件に巻き込んでしまったのではないかと深く後悔する。もし、あの時漫画を描いていなければ、という想像はリアルに羽を広げて見る者たちを巻き込んでいく。実に痛切なシーンである。
原作が非常に共感を呼んだこのアニメ映画に生命を与えられるかどうかというのは、連載コミックにはない声優たちの演技と、音楽にかかっていると言って良い。主役の二人はどちらも女優で、声優としての仕事は初だったというのが驚きである。藤野役は、クドカンのドラマ「不適切にもほどがある」のジュンコ役で大ブレイクを果たした河合優美で、京本役は映画「カムイのうた」などで主役を務めた吉田美月喜である。どちらも小学生の時は小学生に聞こえたし、大学生の時は大学生に聞こえたのが流石と思われた。吉田は山形弁の訛りも完璧だった。
音楽は haruka nakamura という初耳の方が書いたものだったが、クラシカルな弦楽四重奏というスタイルが見事にハマっており、しかもその端正なスタイルを守りながら圧倒的な情感を感じさせていて見事だった。主人公2人のリアリティが感じられる演出も見事なもので、見る者にこの2人のどちらにも深い共感をもたらすのは、細部まで徹底したキャラ作りの賜物である。本当に見事な映画である。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点。
なんでこんなに混んでるの?
めっちゃ傑作でめっちゃシュールでメッチャマニアックなのに、なんであんなに人が押しかけててなんでこんなに評価高いの?メチャクチャ高度なアニメで、これって一般に受ける要素があるの?もちろん自分だけがこのアニメの凄さ分かるなんて言う気はさらさらないが、それにしても公開からいきなり人気出過ぎじゃね?なんでなんで・・・。エヴァの監督・押山清隆さんの力だよね?もう井上武彦に肉薄してんじゃん・・まぁアニメ監督だから当たり前だろうけど・・でもどっちかって言うとメカの方ですよね??なのに・・シュールでSFで青春ものでサスペンスで・・・そして結末は・・とにかくこんなに早く時間が経つ映画も珍しい。まったくの予備知識なしですよ、僕は。これマジ今年ナンバーワンクラス早くも出ちゃった感じです。
なんか人気のアニメ映画、知らんけど
ルックバックは知りませんでした。チェーンソーマンは、ずっとNetflixのお気に入りリストに入ったまま未視聴のままでした。
なんかやたら評価が高いアニメ映画だなと思いつつ、価格が固定な事(ある意味良心的)時間が60分未満ということで、スルーすると思っていましたが、翌週に観る映画が無いので鑑賞しました。
初見は、行間の多い普通の映画だと思いました。
ここまでファンを惹きつけるのだから、それなりの話の展開があることを予想して鑑賞です。ある意味予想通り、やっぱりそうなるのか、という感想です。
ここからネタバレですが、、、
正直、どちらかが死ぬのだろうと思って見ていましたし、それが事故なのか事件なのか自死なのか、それが分からないと思っていた程度です。
話の展開で、「京本」の性別がハッキリしないので、もしかしてマイノリティか、男の子なのか、2人は恋愛するのかな?とかも思いました。
そして最後、ニュースを聞いた瞬間、「京本も殺された」と一瞬思いましたが、「いや、それだと単純すぎるので、ぎゃくに男の子の京本が犯人なのか?」と頭をよぎりました。
ある意味、予想通りで言葉に要約すると、よくある?「死」を連想する青春ストーリーなのかなと思います。
ただ、所見から、変な間やシーンがあるので、何か意味があるのだろうと、随分行間の多い作品だなと思いました。
そこで、いろいろ調べて、その行間の意味、熱烈なファンが多いことも納得しました。
まず、初見でも、「どういう意味だろう?」「私の理解出来ていない何かがある」と感じさせる作品としてはかなり素晴らしいのだと思います。
同時に、それが映画を見ただけでは伝わらないのであれば、問題のある作品とも言えると思います。
一緒に行った友人も、まったく同じ感想で、単純だけどよく分からない、何か意味があるのかと、後で調べたい、と言っていたので、初見の人の共通的な感想だと思います。
もう少し間を置いて、いろいろ予備知識がある状態でもう一度観たいとも思いました。
今回は、何となく予告動画も観ずにフラットな気持ちで鑑賞しましたが、これだけ高評価なので、何かとんでもない展開を期待してしまいましたが、本当にフラットな状態で観れたらもう少し違ったのかもしれません。
ちなみに、良い機会なので、前夜からチェーンソーマンも鑑賞中です。ジャンプらしからぬ、「友情」「努力」「勝利」とはかけ離れた展開で一気にこれは人気作なのも納得です。藤本タツキさんという方は、とても刺さるセリフや展開、闇を含んだ展開、これは惹き付けられるのも納得です。
後ろで見ていてくれる人がいるから前に進める。
幼き日々の憧憬と共に
作品内容をスタッフが体現した稀有な作品
作画が本当に素晴らしい。人の手が感じられる線で、人物も背景も(!)軽やかに自在に緻密に動く。
藤野と京本が出会うシーン、そこから藤野が雨の中をスキップするシーン。大きな多幸感となぜかとめどもなく溢れてくる涙。なんとか叫び出したくなるのをこらえたが、自分の感情がコントロール不能になる。
後半も作画のクオリティーは衰えるどころかさらに深みを増して、主人公たちが運命にあらがう姿を丹念に描く。
河合優実と吉田美月喜の演技も本当に素晴らしい。セリフは少ないがひとつひとつが磨き抜かれて繊細。2人の成長と立場の変化、喪失と再生、すべて見事に表現していた。
音楽が画面のクオリティーに追いついていなかったのが唯一残念だったところ。
押山清高、井上俊之をはじめとするスタッフは、作中の藤野と京本のように「とにかく描く」を体現し、見事に原作コミックをさらに深化させた作品を創造した。まがうことなき傑作だと思う。
めっちゃいい
作者の都合で人を殺すな
作者の都合で登場人物が死ぬ話があんまり好きじゃないのね。
殺さなくても同じ内容を描けただろうと思っちゃうの。
人が死ぬと心が動くから、物語を描くのが簡単になるんだよね。
作者の技量が足りないが故に登場人物を酷い目に合わせるなよ。
物語的に京本が死ななきゃいけない理由も分かんないんだよね。これ本当に分からない。
京本を殺す通り魔の動機は京アニ事件のパクリなんだけど、あれは京アニだから起こる事件であって、地方の芸大の発表会程度では起きないでしょ。そこも安易だったな。
でもそこまでは良かったね。
『藤野先生!』って京本が飛び出すシーンは良かった。
藤野のキャラ設定もすごくいいね。
「これ原作はどんなだったんだろう」と思って原作読んだら、そのままだった。
そのまま、絵が動いただけだった。
絵が動いたから『藤野先生!』のシーンとか感動増してると思うけどね。
原作読んでたら、映像観なくていいね。
原作そのままの映像化は、今は多くの人が望んでることだね。
でも、原作のままなら、映像化する意味はないなとやっぱり思ったよ。
一緒に頑張ってきた親友が不幸な目にあって、それがひょっとすると自分のせいで、でも、そんなこともなくて、前を向いていくんだっていう小品だね。
マンガの短編で読むと、すこし余韻もあっていいけど、映画館で60分近くみたら「なんだこれ」と思ったな。
新感覚!
なんて言えばいいのだろうか。。。
私は映画をそこそこ見る方だと思いますが、本当に何年かに1度、衝撃のあまり上映中は泣くことも出来ずただ呆然としたまま見終わったあと映画館を出てから涙が溢れ、翌日以降もその気持ちを引き摺ってしまうような映画に出会うことがあります。ルックバックもそんな作品でした。
ルックバックは少年ジャンプ+に掲載された時も読みましたし、その後に発売された単行本も買いました。それぐらい大好きな作品だったので映画化が発表された時は嬉しかったのですが、同時にあの内容をアニメで見てしまえば恐らく精神的にはやられるなと思っていたので怖くて見れていませんでした。でも、こんな好きな作品を劇場で見なくてどうする?と思い、勢いで映画館へ。今は見てよかったと思っています。
この作品を「面白い」や「悲しい」などという言葉では表せないし、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのかを区別することもできません。そもそも原作者の藤本タツキ先生が何を伝えたかったのか、アニメ会社の事件に対するメッセージがあるのかも分かりません。
ただ僕が言えるのは、是非見てください。この作品から感じる何かを、余韻を、ぜひ感じてください。誰かのレビューや感想で満足するのではなく、あなた自身の体でこの作品を味わってください。
頑張りと巡り合わせ
想い
ルックバックには、振り返る、思い返す。と言う直訳になる。この作品では、背中を見てともかけているのが天才すぎるる。
主人公は、自分のせいでと考えてしまう場面があるが、きっと京本はそんな事思ってるはずなのにそう思ってしまうのは相手が自分にとって大切な存在だったからなんだと思う。
京本の家であの日会ってなかったとしても、また再会してたし、漫画も書いていた。運命論的な側面もあるが、影響を与えた人間は、与えられた人間側からしたら一番幸せになって欲しいと思ってると自分は感じた。
この作品は、色んな感情の表現が最高に上手くて、この作品を作り上げたスタッフや関係者様々な想いを感じる事ができる素晴らしい映画だと感じた。
漫画の時から映画だったけど、営業だともっと映画だった。
上手く表現できないけど、そう思える良い映画だった。
振り返れば京本がいる
原作も知らずに観ましたが、メチャクチャ良かった!
60分あっという間!2人の人生が濃縮されていて深い感動に包まれた。
京本という恐ろしく絵の上手い存在を認知した時の延々と教室が増幅していく演出は井の中の蛙をうまく表現してるし、その京本から大ファンでベタ褒めされたあとの踊るように帰るシーンとか、観ているだけで楽しい!
初めて2人が描いた漫画が入賞してもらった賞金で街に繰り出すあたりなんかは、藤野は最高のパートナーを得たし京本は世界を広げてくれた人と出会えたし、本当にお互い補完し良さを引き出すバディとしての青春に満ち溢れていた。
そして自分のアイデアをパクられたと無差別に殺人を犯す事件からはどうしても京アニ事件を思い出す。
ニュースでは被害者の数だけが流れていくけれど、その1人ひとりにはこの作品のふたりと同じように絵や漫画に心血を注いできた人たちそれぞれの物語があって、痛いほど伝わるから胸が苦しくなる…。
藤野は、あの時私が京本を外に連れ出したから…私のせいで…と悔やむけれど、京本から「後ろを見て」というメッセージを読んだ時に後ろには自分がサインした京本の服が掛けてあって、いつも私が居るよと言ってくれているようで、死んでも京本は藤野の中にいて今も生きてるんだと思うし藤野も自宅へ帰って朝から晩までひたすら漫画を描き続けるし、それを後ろから映し続けるアングルがたまらなくて涙は止まらない…。
あんな事しなければという後悔ではなくて、振り返ればいつでも京本がいるという前向きな物語がたまらない!「ルックバック」というタイトルの意味と演出とがすべて繋がって胸が熱くなる!
何度も観たくなる名作!!
高評価なのもうなずける。(再鑑賞・追記)
印象に残った場面はたくさん有ったが1つだけ上げる
2人が初めて出会い、お互いを見つめ合う場面。僕は、才能を認めあった2人の運命の出会いの瞬間に立ち会ったような高揚感で、少しドキドキ、ワクワクしてしまった。
きっと2人は僕以上にもっとドギマギしたと思う。京本は藤本を先生と思って尊敬していたが、藤本にとって京本は、自分がいくら努力しても及ばない画力の持ち主で、常に自分の上を行く少しねたましい存在として見てたようだ。
しかし会ってみれば、お互いがお互いの才能を認め、リスペクトしあう仲間だったことが判明する。
こういった話は実際、プロ野球選手やJリーガーの中学、高校時代の経験としてたまに聞く。何かお互い試合で初めて対戦して、自分よりスゴいヤツがいるんで驚いたと両方で思ってたという話。
観賞後wikiを見て、作者の小3の妹ながやまはるこのエピソードが笑えた。
◎訂正
ながやま こはる
⭕ こはる
❌ はるこ
見たのは2024/7/3(水) イオン村山
【再鑑賞 ・追記】 2024/7/17(水) 日の出
今回印象に残った所
京本が亡くなったあと京本の部屋で、藤野は、二人が初めて会ったときに藤野がサインをしたハンテンに気付く。
あの日、藤野は京本に、藤野先生はスゴイ、わたしは先生の漫画が好きだと褒められて漫画を書くのを再会した。
その時のハンテンを見て藤野は、かつて京本と交わした会話を思い出し、自分が何で漫画を書き続けているのかを再認識する。
会話は正確ではないが、こんな感じ。
藤野 「満額を書くのって好きじゃない、時間かかるし、部屋の中で地味だし」
京本 「じゃあ、何で書くの?」
ぞの問いに藤野は答えない。だが、藤野が京本に喜んでほしくて、先生はスゴイと褒めてほしくて書いてるのは明らかだ。今では、それに読者がプラスする。
自分が何で書くのかを再確認した藤野は、休んでいた漫画を再会する。
それと、藤野はこれも絶対に口にしないが、おそらく、「もっと上手くなって少しでも京本に近付きたいから」 というのも藤野が書き続ける理由だと思う。
全然進まないのに、それでも描く理由
後ろに築き上げたもの
自身も小学生の時に4コマ描いたりその後は同人活動もしていたこともあって原作未読でしたが鑑賞。
こう、色々と重なる部分も多々あり心がえぐられる映画でした。
周りにおだてられ天狗になったり虚栄癖から素直に引き留められなかったり。青春だねぇ…
自分も20代前半である日突然親友を亡くし自責の念にかられたこともあるので心が痛い痛い。
最後の4コマの刺さりっぱなしの斧は「たとえ後ろ(過去)に傷を負っても、それでも築いたもののためにそれを背負って前に進んで行かなくちゃならない」と解釈しているんですが、どうでしょう?
あと京本役の吉田氏の演技最高です。また聴くために再観に行くかも
音楽(サウンド)が惜しすぎる
映画の音楽、いわゆる劇伴は誰のものでもない、強いて言えば監督のものだと思う。
よほどのビッグネーム作曲家でも監督によっては「こんなんなっちゃうの?」なんてことはよくある。
ニーノ・ロータが「こんなのはどうだ?」とフェリーニに鍵盤を弾いて聴かせて曲を作り上げていったのは有名な話だが、ハンス・ジマーだってクリストファー・ノーランとドゥニ・ヴィルヌーヴじゃ全然違うでしょ。当方はヴィルヌーヴの方が音楽の使い方が上手いと感じている。それは同時に人使いが荒いということかもしれないが。
監督の音楽に対するイメージが薄いと「はい、感動映画ですよー」「はいここ泣くところですよー」というのが押し付けになって興醒めだ。またサウンドに対する知識がないと日本全国のスクリーンの後ろに陣取ってるスピーカーにまで意識の及ばない歪んだりうわずったりする耳に障る音になってしまう。
映画の内容については多くの人々が語るだろう。そんな皆が語りたくなる映画、と見受けはするが、安っぽい劇伴がせっかくの丁寧な作りを破壊する。
作曲家にしても演奏家にしても、スタジオの録音技師にしても、漫画を描くことに夢中になる少女たち同様、音楽に身を捧げてきた人々だろうに、そこに対する尊厳の意識がない。サウンドトラックは監督の美意識の集約でもある。自ら価値を下げているのは監督である。
よくある最初から最後まで音楽鳴りっぱなしの激安映画ならわざわざこんなことを書いたりしない。
思いがあるのなら、こんな3分で書ける感動音楽、みたいなのを発注してはいけない、作曲家を使い切ろう、スタジオマンを使い切ろう、と思うのだ。
それともプロデュース側に押し付けられましたか?
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