ルックバックのレビュー・感想・評価
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描くと言う事
鬼才、藤本タツキの作品はチェンソーマン(第1部のみ)を読了。また曲者の作者が出てきたなあ〜と思ってました。 本作の原作本は、無料公開してたのも知らず、気になって内容も知らず衝動買い。 なのに封を切らず寝かしてた。 その後アニメ化を知ってどうせなら、映画見てから読もうと寝かし続けた。 良い映画で、良い原作でした。 観る前に泣かせる話なのだと勝手に思ってたので、劇場で号泣してやると、 腕ブンブン回して臨んだんだけど、泣く事は無かった。 まあ、泣かそうとしてる感じも無かったけど。 大筋としてマンガ創作で出会った2人のバディ物で、出会いと創作欲求の違いから袂を分ける事、その後永遠の別れと存在の確認という、 それほど珍しくない話ではある。 ただその間に描かれた才能に対する嫉妬や憧れ、独善的な考えや、従属的な部分、他者の才能に巻き込まれたり、自分の才能で人を巻き込んだりする様子、単純に褒められた時の高揚感などなど、かつて美大生の端くれだった者には、刺さりまくりでした。 本作は基本的に原作をトレースしたかのような映像化ではありましたが、 表現方法としてマンガとその映像化は、 相反する部分があってマンガは切取り、省略、枠の拡大やレイアウトで語り、映像化は間を埋める作業となる上で、読み手個人の持つリズムと映像化のリズムが合わないと、印象が変わってしまうと思います。 そう言う意味では、私は少し違和感を感じるシーンもありました。(主に台詞のない同じ大きさのコマの止め絵の連続のシーンの映像化) ただ藤野が京本に褒められた帰りの雨の中、歩きからスキップし、踊り出すシーンは映像化で高揚感が増してました。(原作の3コマ+見開き、計3ページも素晴らしいけど) 原作の持つ細かい描写も網羅しようとしている姿勢は好感が持てて、ずぶ濡れのまま藤野が机に向かう廊下の足跡など、きっちり再現されてました。 そして原作の魂を受けて足された細かいマンガには無い描写、夕暮れの光の反射を受けて走る電車とか、引きこもりだった京本のドアを描いた絵画の色だとか、とても素晴らしかったです。 少し不満だったのは、町に繰り出し手を繋いではしゃぐ2人の手をアップで映し、袂を分つ時に手を離す描写を入れた事、結局2人は手を離す事なく繋がっていたのだから、この描写は少しくどいと思いました。 とはいえ、京本不在の部屋の机の読者アンケートで泣きそうになったので、本当に良い原作だし、映画だと思います。 最後に、この原作の発表時からの実際の事件を下敷きにしている点の賛否について触れるとしたら、私見としては表現者が現実の事象に対してのリアクションとして、表現するのは当然であるし、それが表現者の責務とさえ思う部分もあります。 今までも小説や映画、舞台等で現実の事件は表現されてきた事です。 ただ、それを行うには並大抵では無い勇気と思慮が必要です。 私にはこの作品を藤本タツキ氏が描くにあたり、その勇気と思慮深さを感じました。 描かずにはいられない叫びを感じ感銘を受けました。 長々とレビュー言えない感想文、失礼致しました。
アニメーションの力を感じる
原作発表の時点で物語については優れた考察や意見が多数出ているので、敢えて内容の詳細には触れない。アニメーションになったことで、もともとの素晴らしい内容がさらに素晴らしくなった。 背景の描写が素晴らしく、私が東北出身ということもあるだろうが、舞台となった東北(山形)の小都市の雰囲気がよく出ている。そのことにより、作品の没入感やリアリティが一層に増した。 また、京本の話し方に訛りを強調したことで、キャラクターがさらに生き生きと存在するように思えた。 わずか1時間の映像だが、多重にもわたるテーマは創作や年齢に関わらずに心を揺さぶるものだったので、是非多くの人に見て欲しいアニメだ。
個人的に大事な一本
子供が美大出身で、絵師として活動していることもあり、終始自分の子供を観ているようで個人的に大事な一本になりました。机でひたすら漫画を描く後ろ姿のカットが印象的ですが、絵を描くのが好きな人は本当にあんな感じで、起きてから寝るまでずっと描いている感じ。描く=生きるなんでしょうね、本当にうらやましい。寝食忘れ没頭できるものがあるというのは本当に素晴らしい才能だと思います。 そんな子供も就職で家を出て、いつも絵を描いていた机はぽっかりと空いています。映画を観終わって、ついLINEしてしまいました。たまには帰っておいで。 上映時間が短いこともあってか、映画が終わっても余韻に浸っていたい感じでなかなか席が立てなかった。幸せな時間でした。
うまく言葉にできないけど
なんと言って良いか、作り手にここまで心を揺さぶられる作品に出会ったのは久しぶりかもしれない。 もう会えない家族、しばらく会っていない友人、今の仕事、将来、色んなことが頭の中に浮かんでは消えて言葉にすると何か違ってしまいそうで。 でもこの作品に出会えて良かったと言えることだけは確かです。
短いながらも秀作
丁寧に作られたアニメでした。コンビ解消してもペンネームを藤野キョウから変えなかったのは、いつかまた二人で漫画を描く日がくるのを信じていたんだろうな。編集者との電話での受け答えに主人公の成長を感じました。
原作の漫画は京都アニメーションの放火事件を思わせる描写があるということでネットで炎上したそうですが、俺のネタをパクっただろ!と事件を起こした犯人のアイデアをパクるというメタな「パクり」はむしろ犯人に対する皮肉が効いてると感じました。炎上して内容を修正したそうですが、修正後のものしか知らないわたしには修正するような内容だったのかはよくわかりません。
季節の移り変わりが、淡々と窓の外の景色の変化で表現されていたり、小津安二郎作品を思わせる低ーいアングルからの固定ショットがそこここに出てくるのもわたし好みでした。
映画館は高校生〜大学生ぐらいのお客さんが多かったです。上映時間58分は昭和生まれのわたしは短いかなと思うけど、YouTube世代の彼らにはちょうどいい長さなのかもしれない。
音楽がとても良い
病み上がりの後の第1作目は キングダムにするかこちらにするか迷ったけど なやみに悩んでこちらにしたしだい。 原作未読。 デデデデストラクションと同じで、 全くチェックしていないし、 原作者も知らない。 でも皆様のレビューを拝見していると 行かなくてはと思い、 土砂降りの8:15朝イチから行って来ました 30人程の入り。 けっこう入っている。 カップルの何人かはポップコーン🍿あり。 1時間で朝から食べられるのと 余計な心配。 内容はレビュー通り良かったです。 短い時間で良くまとめられたかなと。 途中から涙腺緩みっぱなしでした。 それは音楽がけっこう場面に合っており 盛り上げ方が良い感じでした。 ラストは前向きに又漫画を書いて行くのだろうど思いますが、 パラレルワールドの2人も幸せになって欲しいです。
マンガを描く少女の成長譚
自分より上手い絵を見て受ける衝撃、その相手に認められた喜び、描く辛さ、描きあげる喜び、受賞の喜び、パートナーとのすれ違いと別れ、絶望からの再生…色んな感情をマンガの線の質感を忠実に再現しつつ美しい映像として昇華されている。
が、そこまで心に刺さる感動にはならなかった。レビューには泣けた話がたくさんあるが、クリエイティブに対する経験不足なのか感性の問題なのかいまいち感情移入しきれず。
この空気感を味わうのにこのストーリーでよかったのか
主人公2人が手を引き、引かれながら街中を駆け抜けるシーンを予告編で見て魅力的に思い、普段アニメを見ないのだが本編を鑑賞。
藤野は漫画に執着しているくせに努力を人に見せず、片手間で書けるように振る舞う。そこに強力なライバルの京本が現れ、必死に漫画に打ち込んだり、逆に筆を折ったりと漫画家生命を脅かされる。ある偶然が作用して、その京本とタッグを組むことになる。世知に長け虚勢を張る藤野とは対照的に、京本は純粋に藤野の才能を信奉する。
対人緊張で常に前髪で顔を隠している京本、普段はクールだが京本に褒められた嬉しさを一人になると爆発させる藤野。タイプの違う2人が出会い、広い世界に向けて自分を解放していくストーリーはちょうど「ソウルメイト」のようだ。
そうした2人の関係性が生き生きと伝わってくる映画なのだが、その空気感を味わううえで肝心のストーリーにひっかかってしまった。京本が事件に巻き込まれたあと、藤野は京本を漫画の世界に引き込んだこと自体を後悔する。それでも漫画を愛する気持ちは藤野も同じだったことを確認し、書き続けることを選ぶ。そのような結論だったように見えた。
しかしこのストーリーは、藤野と京本のすれ違いや別れのドラマを逆に薄めてしまったのではないか。あまりの大事件を持ち込むことで、それらの人間関係の機微が吹き飛んでしまったように思う。かつて藤野は京本に、「京本は背景を書いているだけ」と言い放った。人物を得意とする藤野と背景を描く京本、たとえばそのコラボレーションと葛藤などが深められるのかと思ったのだが(もしかすると「ルックバック」というタイトルに「背景」の含みがあるのだろうか)。
事件のあと回想シーンとして描かれる、2人が漫画に打ち込む長い時間。これも理不尽な事件のあとだからどうしても類型的な感動シーンのように見えるが、もう少し日常の姿として丁寧に描かれていたら本当に切ない場面になったのではと思う。
秀作
一時間に満たない上映時間で1700円はちょっと躊躇するけど、評判が良いようなので何かしら刺さったらいいなと思いつつ鑑賞。 何も刺さらなかった。 唯一二人が作品の結果を確認するシーンだけは良かった。ここが良かったのでもしかして大号泣あるかなとハンカチ握りしめてたけど特に没入もなくエンディングになってしまった。 この作者の作品はどれも未読。 でも人気作家の短編など秀逸な作品は多くあるのでこのように短編・オムニバス形式での映画制作もアリだなと思った。 芸術枠なのか割引も何も効かないので再度の鑑賞はない。
人間味溢れる主人公と純粋な相棒
視聴者に何を見せて、何を見せないかが巧みに選別されている。見せていない部分は表情や直後の展開でわかるようになっている。
本作のタイトルにもなっている「背中」
というテーマが、作中で別の表現で何度も登場する。いずれも展開を壊すことなくさりげなく組み込まれている。
上映時間が1時間とは思えないほど内容が濃く、もっと観ていたいと感じる不思議な魅力がある映画だった。
素直に感動したものの客観的評価はちょっと弱い
友達に誘われて鑑賞。特に原作、監督については何も知らないで見ました。若干、ファンの方々がたくさん見ている印象です。 ストーリーは切ないお話。恋愛ではなく、友情の話です。 田舎を舞台としているので、ジブリ、細川作品、新海作品のような日常が好きな方と相性はいいと思います。 逆に自分はそれらが苦手よりでしたが、恋愛要素がないためか、なかなか楽しめました。 ご家族で見に行くのも問題ないと思いますが、ちょっと切なさがショッキングになる可能性も。 おデートにも問題ないです。 さて客観的な評価ですが、ストーリーに関しては共感する、しないは別れるのはどんな作品でも一部仕方ないことでしょう。 しかし、そういう経験のない人たち、共感しないであろう人たちを巻き込む引力があったかというと、かなり弱いと感じました。 これは単純に、アニメーションとしての出来がちょっと目につくところが多かったからです。 例えば、音楽の面。 かなり似た雰囲気の音楽を多用し、食傷気味になります。抑揚が少なく、ひたすら感動しろと言わんばかりに感動的なメロディのパターンを連発するので、ひたすら甘い物を食べまくる感覚です。 カット、コマ割り、つまり絵コンテ、演出が関わる部分に関してもかなり手数が少ないです。間を保てず一定のテンポですぐに切り替わってしまうところ、定番無難であろう手法の多用、さほど効果的と思えない小手先の技術はある意味原作(特典でもらった漫画)を忠実にしているのかもしれませんが、これがかなり気になりました。カメラアングルも、似たアングルが多いので、この辺に気づくと入り込めなくなる要因に繋がってきます。(これらは原作の方でも言えるところがあります。) だからか、名言と思い込めるシーン、名シーンの印象がかなり弱いです。 対して、作画、一枚絵に関してはかなりこだわりを感じ、心情を表すであろう空気感や、背景と人物のギャップにはこの作品の世界の人が描いているかのような感覚を味わえるのはなかなか良い世界感を出してくれます。 ストーリーについてはさほど斬新とは感じないのですが、作者の経験にもとづいているという点やリアルさがすごくぐっときました。クリエイターの苦悩も感じます。 チェンソーマンを見ている方、田舎系の空気感が好きな方には相性はいいと思うのですが、そういうコンテキスト(見る人の価値観、前提、文化)に依存するところは多く、ジブリ作品等のように海外、時代を超えるかというと怪しいラインの作品。駄作ではないですが、至高の作品とまでは届かないライン。 でも、原作者の方のマインドに関しては上昇志向があると作品から伝わってきますので、きっとまだまだ伸びると思います! 逆に監督の方は監督よりも作画担当の方がいいかもしれない、描くのも相当な枚数頑張ったと聞いていますので
じゃあ藤野ちゃんは、なんで描いてるの?
1時間に満たない映画で、ここまで心揺さぶられるとは思わなかった。頭っから、丁寧に作り上げられていることが伝わってきた。キャラの細かい動きも、感情を絶妙に表す間も、キャラと一体の声も、場面転換のテンポも、細部にまで行き届いた背景画も、鎮魂歌のような音楽も。すぐあとに別の映画を観ていてもずっと京本の声が耳から離れず、観ている映画そっちのけで途中で引き上げ、もう一回観だした。同日に二回みた映画なんて今までなかった。 この映画は、喪失と成長の物語。成功者が必ず一度は通るであろう、挫折と敗北感と反骨と努力が藤野を駆り立てる。いや、その努力は藤野にとっては苦労というより喜びかも知れない。そして京本というかけがえのない友の存在も喜びだ。照れ屋な彼女は素直な態度こそ見せないが、京本という友の存在すべてが藤野にとってかけがえのないものだ。 京本にとっても、藤野は特別。なにより藤野がいたからこそ外の世界に飛び出すことができた。藤野は、京本にとってヒロインなのだ。そのヒロインのためなら労を惜しまない気持ちは、アイドルとファンの関係性にも似ているな。一回目では、本棚に同じ巻が何巻もある理由に気付かなかったが、そうかアンケートを何枚を書いていたのかとハッとし、進む道が別々になっても支え続けているんだなと胸が熱くなった。だいたい京本にとっては、別の道を行っているつもりはないのだろう。美大進学はもっと絵が上手くなる手段で、また藤野の背景を描くつもりだと思うからだ。だから、藤野が「京本を部屋から出さなけりゃ死ぬことはなかった」と泣き崩れても、京本本人はその短い人生が不幸だと思ってないと思う。死んでよかったという意味ではけしてないが、部屋から出してくれたことに感謝こそすれ、後悔はないと思うのだ。(劇中、京本の"京"は京アニを匂わせているのか?とドキリとした) ある考察動画で、京本は藤野にとってイマジナリーフレンドだと言っていた。例えれば、のび太にとってのドラえもん。ドラえもん最終話『電池切れ説』のような、京本の喪失による藤野の成長という側面。だけど、そうなるとあくまで藤野が主人公で京本がサブキャラとなってしまう。たしかに物語は藤野主観で進むのだけど、二人は同列でいて欲しいと願う気持ちがあるので、それを京本が死んでしまう理由にしてほしくはないかな。それよりも、そもそも京本という存在が藤野の想像の世界の人間だった(それではまるで『ぼくは麻理のなか』のようになってしまうが)という仮定のほうが、個人的にはしっくり想像ができた。 ラスト、悲しみに立ち向かうように、そして亡き友に捧げるように、窓に張り付けた4コマ漫画をお守りにして机に向かう藤野の背中が勇敢にも見えた。何度も見せてきた藤野の背中。そう、Look Back!!と訴えているかのような藤野の背中。いつまでも京本に自分の背中を見せるように。この先も京本に恥ずかしくない漫画を描き続ける決意をにじませて。 そして最後に。エンドロールにずらずらっと流れる個人名やスタジオの名前。この誰にも人生がある。この映画に行きつくまでの日々と努力がある。彼ら彼女らの一人一人が藤野たちのように天才と言われ努力を重ねてエンドロールに名を連ねていることに、今更ながら敬意を持った。これだけ多くの情熱が集まって作られた映画なんだなって思えて胸熱になった。
1時間程度の映画だけど胸を打つものがあった。 藤野は何をやっても成...
1時間程度の映画だけど胸を打つものがあった。
藤野は何をやっても成立しそうだが、引きこもりだった京本は絵を描くこと以外では生きていけなさそうだ。だから、京本が家から出られるようになって、大学進学したのは喜ばしい。しかし、その後に事件に巻き込まれてしまうのはとても悲しかった。
藤野が京本が被害にあったことを自分のせいだと捉えていたが、それは共感出来なかった。
ルックバックって…
ルックバックっていうタイトルの意味がわかりました。劇中の「私の背中を見ろ」という意味と、過去を振り返るという意味も込めてたのですね。原作に忠実ですし、作品の世界観に広がりを与える声優さんも完璧でした。
アニメへの見事な昇華
原作を読んだ上での鑑賞。 漫画原作のアニメ化はイメージが変わってしまうことが多く基本的に好きではないが、本作品では見事に原作のイメージを損なうことなく映像化されており、とても良かった。 アニメならではの表現法を加えながら、漫画の質感を損なわず、生き生きと動くキャラクターの瑞々しさに心打たれ、涙が出た。 必要最低限の脚色で、冗長にならず58分に収めたのも良かった。 アニメーションの良さ、漫画の良さが見事に融合していた作品だった。
改めて映画は長さではなく、感動の質量である
全編に渡り感情の波が押し寄せてくる。 京本との出会いの直後の主人公の田園ランは、単なる喜びではなく、努力してきた成果を実感しながら自尊心を取り戻す凱旋の歩みであり、人間の心を豊かに描いていたと思う。 アニメーターのエモーションを紡ぎ出す力が卓越している。原作からあの脚本にした力もお見事。冒頭を学校ではなく、主人公の後ろ姿にしたこと。描く苦労を見せるところから、始めたのは大正解だと思う。また、お母さんこれ捨てといてのスケッチブックの上にある白紙の四コマ、飛び散るオレンジジュース、原作にないものが付け足されて、エモーションを足している。これぞ、演出だといえるだろう。 と同時に、少女が自分の情熱をこうやって追いかけていいということを現代の少女にこうも伝えられる映画があるということにも感動した。日本の未来は明るいとさえ感じた。 あまり製作陣に下心のない企画だろうけれど、だからこそ、当たり前を問い直して、きちんと登場人物の心情や、観客に伝えたかったものに向き合っている。だから、素晴らしい作品ができたんだと思う。 つくづく、プロデューサーのヒット作への下心が、業界をこれまでダメにしてきたと反例的に証明しているかもしれない。
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