ルックバックのレビュー・感想・評価
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Don't look back in anger
漫画で読んで分かりにくかった部分、描かれていなかった部分も58分尺ということで映画では細めに描かれていた。
なにかにチャレンジするという意味では、私たち他の人間にも藤野と京本に共通する点があるのではないか。違う才能を持った2人(特に京本)の藤野に追いつきたい。並びたいという気持ちが痛いほど伝わってくる。
いつかは超作画の漫画を藤野と一緒に連載するために大学で絵の勉強をしながらも、影ではシャークキックを応援していたところに気づく藤野のシーンには涙。
今もこれからも藤野は京本の為に漫画を描き続けるだろう。
藤本タツキ先生のバックグラウンドを知ると、より楽しめると思う。
運命の出会いと別れ
人は一人では頑張れないし、変われない。自分より絵の上手い不登校の同級生に触発され、絵に真剣に向き合うようになった主人公。一方、不登校の同級生も主人公の漫画に触発されていた。2人が出会い、化学反応が起こるも、ずっと一緒にはいられない。別れの痛み、そして…。キッズリターンズ的な展開を予想していたが、大いに裏切られた。1時間とは思えない濃密な映画だった。
心が揺さぶられて‼️❓肌が泡立ち‼️❓感動に咽せた‼️❓
はるばる観てきました。
ああ、前半、その魅力に吸い寄せられ。
二人の出逢いとその個性に打ちのめされた。
結末が、京アニを彷彿させられて、意気消沈したけど、近所だし、子供も漫画描いてるし、どんでん返しの、また、どんでん返しで、ああ、キツクで終わりならば、なんて、なんて運命なんでしょう。
でも、引きこもりから、抜け脱させたからじゃないよ、死んだのは、君のせいじゃない。
ああ、なんて深い、深い物語なんでしょう。
ああ、バイオレット観て以来ですよ、アニメ観て泣いたのは。
あゝ、凄い映画でした🎞️🎟️🎬ありがとうございました😭
一生懸命生きたいな
何かを選ぶということは、何かをやめたり、置き去りにしたり、あきらめたりするということ。彼女たちのようにあれほどの情熱を持って、何かを選び取れたなら…。わたしはこの映画を観て、一生懸命生きようと思いました。
「絵描きの才能」をめぐるクセの強い友情物語に、アニメーターたちがガチンコ作画で挑む!
基本的には、王道のバディものであり、シスターフッドもの。
泣けるかといえば、ちゃんと少しだけ、ラストで涙がちょちょぎれた。
でも、結構くせのある話だよね、これ(笑)。
くせがある分、心に残る良いアニメ、ということだろうけど。
何が一番くせがあるかというと、ヒロイン・藤野の性格設定。
というか、この性格設定でヒロインに「挫折させない」のは、結構「斬新」だと思う。
いや、精確にいえば、彼女だって挫折していないわけじゃないし、相応にダメージもくらってるんだけど、物語として、こういうタイプのヒロインが「断罪されないままのさばって、そのまま終わる」話って、意外と少ないと思うんですよ。
とにかく偉そうで、高慢で、マウントを取りたがるタイプ。
お調子のりで、努力家ではあるけど、融通がきかない。
頑張った結果が伴わなければ、自尊心が折れて逃亡する。
でも、褒められたら有頂天になって、今度は大望を抱く。
相手との関係性を、「あたしについてこい」で規定して平気な人間。
相手の有り余る才能を自分の夢のために搾取して、なんとも思わない人間。
相手の善意と友情をナチュラルに「主従関係」にすり替えて、恬として恥じない人間。
こういうヒロインはいていいと思うし、
むしろ嫌いじゃない。
人間くさいし、生々しいし、意外に悪いヤツじゃない。
表面に出さないだけで猛烈に葛藤しているあたり、可愛いところもある。
でも、この手のヒロインって、たいがい物語のなかで「鼻をへし折られる」し、隷属させていた相手に反逆されたり、才能の逆転を見せつけられたり、周囲に性格の問題を指摘されたりして、「自分の分を知る」展開が待っていることがほとんどだと思う。
でも、このお話では、そういう「罰」がヒロインに与えられない。
そこは、本当に「珍しい」というか、「くせがある」と思う。
彼女は、たしかに「後悔」する。
取り返しがつかない現実が起きたあとで。
自分が京本に対して相応に遇してこなかったことを。
素直に、相手の才能への賞賛を与えてこなかったことを。
あなたが一緒にいてくれてよかったと伝えてこなかったことを。
だが、物語上の流れからいうと、
藤野はやはり、厚遇されている。間違いなく。
どんなに藤野が上から京本に当たろうと、
どんなに同い年なのにマウントをとろうと、
藤野は京本に嫌われない。
京本にとって、藤野はつねに「先生」で「ヒーロー」で「恩人」だ。
京本の藤野「愛」は猛烈で、尽きることがなく、盲目的。
京本も最後は「自分の夢」に目覚めて、共同作業者としては藤野と袂を分かつことになるけれど、別段、藤野のことが嫌いになったわけではない。藤野への悪感情はないまま、「外に連れ出してもらって、成長させてもらったおかげで生まれた自分なりの夢」の実現のために「巣だっていった」というのが、正しい認識だろう。
「私についてくればさっ、全部上手くいくんだよ?」
「まあ、この子は背景を描いてるだけなんですけど」
こういう言いぐさを平気で出来るキャラでありながら、
藤野は最後まで「罰せられる」ことがない。
彼女は、引きこもりだった絵の天才を自分の「まんが道」に巧みに取り込み、才能を搾取し、友達面でさんざんこき使ったうえ、なんと最初の持ち込みチャレンジで、佳作を勝ち取ってしまう。
そこからもとんとん拍子で、中高を通じて読み切り7本を重ね、ついには連載をゲット。
彼女は結局、漫画家としては一度も「挫折」していない。
で、京本が美大進学のために共同作業から離れたら、とたんに画力が落ちて、人気がなくなり、泥を舐めるはめになるかというと(凡百の作品だとついやりがちだよね?)、まるでそんなことにはならない(笑)。
たしかにジャンプの人気投票システムは過酷だし、順位は上がったり下がったりで大変だが、彼女は持ち前の根性とたゆまない努力で、苛烈な漫画家間の競争を勝ち抜き、連載の巻数を重ね、ついにはアニメ化にまでたどり着く。
要するに、彼女には「本当に才能があった」のだ。
小学4年生のときに京本が信じ、ほれ込んだ才能が。
僕たち「外野」の人間(観客)から見ると、ヘタウマにしか見えない絵で(しかもあれだけ教本を買って練習し倒してもたいして成長しているようには見えなかった画力で)、4コマとしてもたいして面白いとはいいがたい内容だったとしても、「京本が見出した藤野の才能」は、本当の本当に、ホンモノだったのだ。
藤野は、なんにつけ偉そうだ。
藤野は、それでも断罪されない。
藤野は、成功する。
藤野は、それでも愛されキャラのままだ。
藤野は、許される。
藤野には、才能があるから。
このへんが、僕が「くせがある作品」と感じた中核だ。
「もしかして原作者の藤本タツキは、藤野と京本の関係性を、素で肯定的にとらえているんじゃないのか???」
「もしかして絵描きの世界では、本当に物語を作る才能を持った一握りの人間を支えるためなら、絵の巧いだけの有象無象はアシとして奴隷のように仕えてそれで良しという思想が当たり前だということなのか???」
こういった「違和感」を、藤本タツキは巧みな語り口と自然なキャラクター描写で、力業でねじ伏せてくる。僕たち観客にも、いつしか藤野というクセモノキャラを肯定的にとらえ、寄り添って応援し、ろくでなしだけど嫌えない友人であるかのように扱うよう強要してくる。
そこが「よくできているけど、くせがある」。
そういうことだ。
この「価値観」――端的にいえば「才能のある人間はマウントをとって良い」「主従関係で規定されてもなお女子の友情は成立する」――をふりかざして、漫画描きでもない読み手に同意を求めるというのは、結構無謀だし、あぶなっかしいやり口だと思う。
でも、藤本タツキはそれをちゃんとやり遂げた。
やり遂げているからこそ、「このマンガがすごい!」2022オトコ編で一位を獲得したわけだし、このアニメ化においても4点を超える高評価を見事に勝ち得ているわけだ。
僕も、観ながらいつしか「こういう友情もありかもなあ」と妙に「説得」されてしまった(笑)。
『チェンソーマン』のアニメ(僕は未見)を視聴したうちの妻曰く、そっちのヒロインも似たり寄ったりのキャラらしいし、主人公はそういう女にこき使われることになんの疑念も抱かないタイプらしい。そうなってくると、藤野と京本のキャラ設定は藤本タツキの作家的個性そのものと繫がっているということかもしれないが……。
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もう一点、クセがあると思ったのが、終盤の展開。
みんなは、唐突に訪れる京本のアレって、違和感なかったのかな?
申しわけないけど、僕は大ありだった。
いや、突然死んでもいいんだよ?
でも、なんでいきなり青葉ってんの??
『君の膵臓をたべたい』で似たような展開が起きたときも、さすがに怒っていいのか笑っていいのかわからないくらい呆れたけど……。
というか、観ながら思ったんだよね。
「なんで、震災で亡くなったことにしないんだろう?」って。時代設定的に。
そっちのほうが、話としてはよほど自然じゃないのかな、と。
で、帰ってからパンフを見たら、まさに東日本大震災を契機に生まれた作品だというではないか。そうだとすると、逆に藤本タツキにとっては、震災というネタは「あまりに生々しすぎて、作品に取り入れ難いファクター」だったのかもしれない……。
でも、この物語の流れのなかで、罪のない京本が、才能のないルサンチマンの犠牲となる展開は、作品のテーマとあまりうまくフィットしているようにはどうしても思えず、いやな夾雑物というか、ちょっと何かが本質からズレてしまったような、「うまくいっていない」感じがしてならなかった。
それ以外は、多少強引なヒロインの性格や物語の展開も含めて大いに説得力があっただけに、気になったってところかなあ。
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で、ここまでが未読だった「原作」由来の感想だが、アニメ化としてはもう文句なしだったのではないでしょうか。
なんか、「絵を描くこと」と「才能」と「共同作業」と「友情」をメインテーマとする、ある意味「まさに自分たちの物語」に、監督とアニメーターがガチのがっぷり四つで挑戦して、死に物狂いで「自分たちも巧く描ける側の人間」であることを証明しようとしているかのような、そういうリアルなバトル感があって素晴らしかった。
冒頭の、手描き作画の夜空を満月を中心にぐるりと水平回転させたあと、今度は天地をぐるりと縦に回してみせる珍しい試みからして、「俺たちは今回手描きで勝負するんだ」という意気込みがビンビンに伝わって来る(笑)。
場面変わって、藤野の部屋。動かない画面と時間に、漫画を描くことに必要な「根気」と「身体性」がにじみ出る。貧乏ゆすりと床の紙ごみにはヒロインの煩悶があらわれる。鏡の映り込みを使って、表情だけ抜いてくるやり口は実に映画的だ。
動かない画面に退屈して、つい画面のすみずみにまで目をやってしまった観客は、そこに散りばめられた様々な前提となる要素に気付くことだろう。
低山を前方に臨む田舎の風景。一戸建ての二階に住むそれなりの家庭環境。前方の赤いランドセルからわかるヒロインの年齢と時代設定。机の上の4コマ漫画のネタ帳。棚にならんだ漫画誌。あとでパンフで確認したら「りぼん」「ジャンプ」「ふれんど」とある。「Salut」は「ちゃお」のフランス読みってことでよろしいか?(笑)。良く観たら時計は5時。要するにこの子は締め切りに間に合わなくて、「朝まで四コマ漫画を推敲しつづけていた」のだ。
アニメーターとしての押山清高監督の「勝利」を確信したのは、京本に認められた喜びを爆発させながら、雨のなかで藤野が奇怪なステップを踏みながら帰っていく描写を観たときだった。あれはマジで、アニメ史に残るくらいの名シーンではないだろうか。
あそこに、作り手は「セリフとしては語られない」藤野のさまざまな思いをすべてぶちこまねばならなかった。そして、それをガチで成功させた。
たかが引きこもりの京本に画力で負けたという挫折感。
いくら努力しても追いつけない、埋められない能力差。
命を懸けていた漫画から、距離を置くくらいの絶望感。
そんな凄い相手に自分が認められていたという望外の喜び。
自分には「本物のファン一号がいた」という矜持と自信。
やっぱり自分は漫画を描いていいんだ、という解放感。
そういったルサンチマンの解放が、雨のなか有頂天になって踊り歩く少女の「アニメーション/アクション」という形で、見事に結実している。
この「ロケットスタート」が、そのまま彼女を天下のジャンプ連載漫画家にまで導く原動力にもなっているわけで、そんな物語上の「重み」に負けないだけの「凄い作画&動画」に仕上がっている。これを観られただけでも、映画館に足を運んだ甲斐はあったと思う。
あと、持込漫画がいかにも手塚賞応募作っぽい外観をしていたり、そのあと徐々に画力があがるなかで、星野之宣や楳図かずおの初期作みたいな作風を示してたり、いろいろ細かいネタを投下してあって楽しい。ときどき挿入される湖上に遊び空を駆ける白鳥も、現地感と季節感を出している。
一番びっくりしたのが、京本が別れを切り出す場面。
後ろを向いた藤野の顔に、初めて「漫符」としての「汗」が描き込まれるのにも、どきっとさせられるのだが、そのあと一瞬、藤野がとにかくまあ凄い顔をするんだよね。
衝撃と反撥と危機感と焦りと怒りと悲しみと懇願がひしめき合っているような。
描き手が心から観客に自慢したくなるような、神作画。
でも、監督はそれを1秒で、さくっと流してしまう。
敢えて、強調しない。止めて、誇らない。
それは、藤野が誰にも見られたくない表情だから。
この辺に、監督の度量というか、本気度が伝わって来て本当に良かった。
あとは、IF分岐とも藤野の妄想ともいえそうな終盤の展開の解釈とか、河合優実の話とかをぜひしたかったのだが、残念、紙幅が尽きました(笑)。
まずは、ほんとに良いアニメでした!
ストーリーについて
原作は未読でしたがレビューの高さに惹かれて鑑賞しました。
前半宮本が外に出られるようになって一緒に制作活動をする楽しさも描かれていてよかったのですが、後半唐突に京アニ事件を想起させる事件が起こります。
まさかそのようなことが起こるとは思っていなかったので、その後のストーリーも当時のことが甦ってしまい、引きずられるようにストーリーもあまり頭に入らず話が終わってしまいました。
制作活動にひたむきな青春物語なのかなと思って見に行ったので、できれば事件を連想させる描写があることをポスターやホームページに記載してほしかったのと、正直この事件を元に描かれる必要が本当にあったのか初見だと謎に感じ、見る側としてはただただ当時の感情を思い出して重たい気持ちになりました。それがゆえにこの事件を取り入れた理由も明確に知りたいと感じましたし、軽く扱われてしまっていると捉えられても仕方がないと思います。
この映画が流行っていることは個人的に複雑で、言葉を選ばなければ残念に思います。
描くと言う事
鬼才、藤本タツキの作品はチェンソーマン(第1部のみ)を読了。また曲者の作者が出てきたなあ〜と思ってました。
本作の原作本は、無料公開してたのも知らず、気になって内容も知らず衝動買い。
なのに封を切らず寝かしてた。
その後アニメ化を知ってどうせなら、映画見てから読もうと寝かし続けた。
良い映画で、良い原作でした。
観る前に泣かせる話なのだと勝手に思ってたので、劇場で号泣してやると、
腕ブンブン回して臨んだんだけど、泣く事は無かった。
まあ、泣かそうとしてる感じも無かったけど。
大筋としてマンガ創作で出会った2人のバディ物で、出会いと創作欲求の違いから袂を分ける事、その後永遠の別れと存在の確認という、
それほど珍しくない話ではある。
ただその間に描かれた才能に対する嫉妬や憧れ、独善的な考えや、従属的な部分、他者の才能に巻き込まれたり、自分の才能で人を巻き込んだりする様子、単純に褒められた時の高揚感などなど、かつて美大生の端くれだった者には、刺さりまくりでした。
本作は基本的に原作をトレースしたかのような映像化ではありましたが、
表現方法としてマンガとその映像化は、
相反する部分があってマンガは切取り、省略、枠の拡大やレイアウトで語り、映像化は間を埋める作業となる上で、読み手個人の持つリズムと映像化のリズムが合わないと、印象が変わってしまうと思います。
そう言う意味では、私は少し違和感を感じるシーンもありました。(主に台詞のない同じ大きさのコマの止め絵の連続のシーンの映像化)
ただ藤野が京本に褒められた帰りの雨の中、歩きからスキップし、踊り出すシーンは映像化で高揚感が増してました。(原作の3コマ+見開き、計3ページも素晴らしいけど)
原作の持つ細かい描写も網羅しようとしている姿勢は好感が持てて、ずぶ濡れのまま藤野が机に向かう廊下の足跡など、きっちり再現されてました。
そして原作の魂を受けて足された細かいマンガには無い描写、夕暮れの光の反射を受けて走る電車とか、引きこもりだった京本のドアを描いた絵画の色だとか、とても素晴らしかったです。
少し不満だったのは、町に繰り出し手を繋いではしゃぐ2人の手をアップで映し、袂を分つ時に手を離す描写を入れた事、結局2人は手を離す事なく繋がっていたのだから、この描写は少しくどいと思いました。
とはいえ、京本不在の部屋の机の読者アンケートで泣きそうになったので、本当に良い原作だし、映画だと思います。
最後に、この原作の発表時からの実際の事件を下敷きにしている点の賛否について触れるとしたら、私見としては表現者が現実の事象に対してのリアクションとして、表現するのは当然であるし、それが表現者の責務とさえ思う部分もあります。
今までも小説や映画、舞台等で現実の事件は表現されてきた事です。
ただ、それを行うには並大抵では無い勇気と思慮が必要です。
私にはこの作品を藤本タツキ氏が描くにあたり、その勇気と思慮深さを感じました。
描かずにはいられない叫びを感じ感銘を受けました。
長々とレビュー言えない感想文、失礼致しました。
アニメーションの力を感じる
原作発表の時点で物語については優れた考察や意見が多数出ているので、敢えて内容の詳細には触れない。アニメーションになったことで、もともとの素晴らしい内容がさらに素晴らしくなった。
背景の描写が素晴らしく、私が東北出身ということもあるだろうが、舞台となった東北(山形)の小都市の雰囲気がよく出ている。そのことにより、作品の没入感やリアリティが一層に増した。
また、京本の話し方に訛りを強調したことで、キャラクターがさらに生き生きと存在するように思えた。
わずか1時間の映像だが、多重にもわたるテーマは創作や年齢に関わらずに心を揺さぶるものだったので、是非多くの人に見て欲しいアニメだ。
個人的に大事な一本
子供が美大出身で、絵師として活動していることもあり、終始自分の子供を観ているようで個人的に大事な一本になりました。机でひたすら漫画を描く後ろ姿のカットが印象的ですが、絵を描くのが好きな人は本当にあんな感じで、起きてから寝るまでずっと描いている感じ。描く=生きるなんでしょうね、本当にうらやましい。寝食忘れ没頭できるものがあるというのは本当に素晴らしい才能だと思います。
そんな子供も就職で家を出て、いつも絵を描いていた机はぽっかりと空いています。映画を観終わって、ついLINEしてしまいました。たまには帰っておいで。
上映時間が短いこともあってか、映画が終わっても余韻に浸っていたい感じでなかなか席が立てなかった。幸せな時間でした。
うまく言葉にできないけど
なんと言って良いか、作り手にここまで心を揺さぶられる作品に出会ったのは久しぶりかもしれない。
もう会えない家族、しばらく会っていない友人、今の仕事、将来、色んなことが頭の中に浮かんでは消えて言葉にすると何か違ってしまいそうで。
でもこの作品に出会えて良かったと言えることだけは確かです。
短いながらも秀作
丁寧に作られたアニメでした。コンビ解消してもペンネームを藤野キョウから変えなかったのは、いつかまた二人で漫画を描く日がくるのを信じていたんだろうな。編集者との電話での受け答えに主人公の成長を感じました。
原作の漫画は京都アニメーションの放火事件を思わせる描写があるということでネットで炎上したそうですが、俺のネタをパクっただろ!と事件を起こした犯人のアイデアをパクるというメタな「パクり」はむしろ犯人に対する皮肉が効いてると感じました。炎上して内容を修正したそうですが、修正後のものしか知らないわたしには修正するような内容だったのかはよくわかりません。
季節の移り変わりが、淡々と窓の外の景色の変化で表現されていたり、小津安二郎作品を思わせる低ーいアングルからの固定ショットがそこここに出てくるのもわたし好みでした。
映画館は高校生〜大学生ぐらいのお客さんが多かったです。上映時間58分は昭和生まれのわたしは短いかなと思うけど、YouTube世代の彼らにはちょうどいい長さなのかもしれない。
音楽がとても良い
病み上がりの後の第1作目は
キングダムにするかこちらにするか迷ったけど
なやみに悩んでこちらにしたしだい。
原作未読。
デデデデストラクションと同じで、
全くチェックしていないし、
原作者も知らない。
でも皆様のレビューを拝見していると
行かなくてはと思い、
土砂降りの8:15朝イチから行って来ました
30人程の入り。
けっこう入っている。
カップルの何人かはポップコーン🍿あり。
1時間で朝から食べられるのと
余計な心配。
内容はレビュー通り良かったです。
短い時間で良くまとめられたかなと。
途中から涙腺緩みっぱなしでした。
それは音楽がけっこう場面に合っており
盛り上げ方が良い感じでした。
ラストは前向きに又漫画を書いて行くのだろうど思いますが、
パラレルワールドの2人も幸せになって欲しいです。
マンガを描く少女の成長譚
自分より上手い絵を見て受ける衝撃、その相手に認められた喜び、描く辛さ、描きあげる喜び、受賞の喜び、パートナーとのすれ違いと別れ、絶望からの再生…色んな感情をマンガの線の質感を忠実に再現しつつ美しい映像として昇華されている。
が、そこまで心に刺さる感動にはならなかった。レビューには泣けた話がたくさんあるが、クリエイティブに対する経験不足なのか感性の問題なのかいまいち感情移入しきれず。
全611件中、261~280件目を表示