「役者は頑張ってるのに音楽だけが残念」室町無頼 アラ古希さんの映画レビュー(感想・評価)
役者は頑張ってるのに音楽だけが残念
垣根涼介の原作は未読である。1462 年に発生した寛正の土一揆の首魁が蓮田兵衛で、室町期に発生した徳政一揆の指導者として、武士が一揆を指導したことで特に名が知られる人物である。「新撰長禄寛正記」に名前が記されている実在の人物で、史書に表れているのはそれが唯一である。対戦する骨皮道賢も同様で、史書での記述は極めて少ない。
室町時代は飢饉が頻発した上に、無能な支配層は収益減を恐れて税率を無計画に引き上げたため、払えない庶民は有力者から借金をする以外に生き延びる方法がなく、多額の借金の返済のために娘や妻を売りに出す者が後を絶たなかった。無能な岸田やゲルのせいで税額が上がり続けている昨今の状況に酷似している。そもそも、借金の原因は支配層の収入確保のための税率の高騰なのであるから、一種のバブルであって、回収できなかったとしても貸した側が首をくくるようなことにはならなかった。
衆生の救済が最大の存在意義であるはずの寺社も高利貸しをしており、取り立てのために女を連れ去るなどということを平気でやっていたのだから酷い話である。このため、一揆を起こして支配層に借金の帳消しをさせる徳政令を出させようという騒動が頻発した。大概は農民が主体であり、武装も農機具等の貧弱なものであったため、支配層が子飼いの武士集団を繰り出せばほぼ一方的に鎮圧できた。
ところが、寛正の土一揆は武士である蓮田兵衛が首魁となって数千人の一揆を指導しており、一揆勢を組織的に活動させて京への出入り口を封鎖し、東寺を制圧した後に糺の森に進出して相国寺東門を攻撃し、幕府(花の御所)にまで侵入するかの勢いを見せた。二条にあった高利貸し街に放火して借金の証文を焼き払い、一揆に参加した者らの借金を帳消しにしてやったのである。
幕府は侍所所司代や在京大名に鎮圧を命じ、兵衛は土豪百姓を糾合して一度は幕府勢の攻撃を退けたものの、再度の攻勢によってついに敗走した。史書に書かれているのはそうした概要だけであり、その他の人物や出来事は作家の自由な想像力によって創作されたものであるが、実に魅力的な人物が多く登場していた。
飢饉や疫病に苦しむ庶民を救済もせず、ただおのれらの利益ばかり追求する支配層や僧侶どもは、まさに現代の増税ばかりの有害な役人どもを彷彿とさせた。限界まで湧き上がった民衆の怒りは察するに余りある。だが、一揆は鎮圧されなければ世の中の秩序は守られない。史実での蓮田兵衛は捕縛されて処刑されるのだが、映画の結末とは違っている。
大泉洋の存在感は抜群で、殺陣の動作もキレキレだった。才蔵役の若い役者もそれは同様で見応えがあった。松本若菜の美しさは大変な目の保養だった。ただ、音楽は「相棒」シリーズの全作品を手掛けている人だったが、この映画の音楽は非常に不釣り合いだった。緊張感が必要な場面でも腑抜けのような曲が流れて雰囲気を台無しにしていた。こんな曲なら流さない方がマシだと思った。猛省を求めたい。
垣根涼介の作品がこれほど見事に映像化できるのであれば、宇喜多直家を描いた「涅槃」も是非お願いしたいものである。
(映像5+脚本4+役者5+音楽1+演出4)×4= 76 点。