かくしごとのレビュー・感想・評価
全105件中、81~100件目を表示
「書く仕事」かと思ったら…。
認知症になった父親の面倒をみるために故郷に帰ってきた女性が、記憶を失った9歳の子と出会い、自分の子と偽って3人で暮らし始める話。
飲酒運転で子供を跳ねた友人と同乗していた主人公が、通報せずに気を失っている子を連れ帰ったら、身体中痣だらけだし、足首にロープが結ばれているしと虐待と思われる様相があって…と始まっていく。
父親のエピソードは、最初はとぼけているのかな?な自分を認識しない以外最近のことを理解している様にみえる父親だったけれど、そこはちゃんと回収してくれたし、その後の展開もとても良かった。
しかしながら子どもとのエピソードはそんなキレイごと?が長く続き、粘土食べる流れからそんな展開?そんな無茶な…大オチの部分は少し想像してたけど…そして友人の妨害の説得力のなさよ…。
どちらとの関係性も面白かったけれど、メインである子どもとの部分がもうちょいすんなり入って来たらね…という感じ。
原作は「嘘」、映画は「かくしごと」
予告を観て、サスペンスかミステリーだと思っていましたが、家族愛の話だね。
基本は母と息子の家族愛ですが、どちらかと言うと、奥田瑛二さんが凄すぎて、娘と父の介護の辛さも感じてしまいます。
中須くんも良かったです。この辺りは演出の良さだと思います。
もちろん杏さんの演技が良い。眼力というか、眼だけで喜怒哀楽の表現がすごい。
性別が全て入れ替わったら、違うストーリーと結末になるんだろうな。
いろいろな嘘が上塗りされて話が展開します。
途中、すこし中だるみしたような最後までどうなるか分からない展開でした。いろいろとヒントが出てきますが、どんな終わり方かいろいろ想像させられます。
私はちょっと予想通りの最後でしたが、その見せ方と最後はとても良かった。
「嘘」よりも「かくしごと」の方が優しいがありますね。
見る人それぞれの答えがあると思います
最後の子供のセリフに全部持って行かれました。
子供を見つけた時に取るべき正しい行動と、虐待に有っていると思われる子供を守ろうとする行動は必ずしも同じではないと言う事ですね。
いやむしろ守ろうとすればする程、正しい道とは反対へ進んでしまうのでしょう。
母として子供に愛情を注ぐ千紗子と、本当は真実を知っていながらその母の愛を受け入れた少年・拓未。そしてやはりすべてを知っている千紗子の友人久枝を含めて、その嘘は罪か愛かと問われれば、このすべてが真実であると、答えにならない答えしか持ち合わせていないように思います。
非常に難しい役であると思われますが、杏ちゃん見事に演じていましたね。素晴らしかったです。
大好きな佐津川愛美さんも良かった。認知症の父を演じた奥田瑛二さんは言わずもがなです。子役の子も難しい役だったと思いますが、彼の最後のセリフで涙が溢れました。
色々と考えさせられ、そして心に残るいい映画を見ました
飲酒運転、ダメ、絶対
「ミッシング」という社会派ヒューマンドラマの傑作を見たばかりだと、なんか核心に迫れていないというか、そもそもテーマが定まっておらず、ちょっと粗が多いかなと思ってしまった。
かくしごとというよりも、認知症の父、子を失ってしまった女性、DV被害を受けていた少年の三つ巴的な、3人の家族愛みたいなのが主軸だから、予告とは結構印象が違うな〜ってのが正直な感想。杏の海から這い上がるシーンなんか特にそうだけど、無駄に感じる演出が多く、全体的にリアリティに欠けているため、何かが足りないと思ってしまったのかも。
ただ、認知症の父を演じた奥田瑛二がとんでもない演技を見せてくれるため、ストーリーどうこうより、彼の怪演だけでも一見の価値のある作品だと思う。ああ、もう奥田瑛二って認知症になっちゃったんだ、ってレベルで上手い。あまりに上手くて怖かった。加えて、認知症に対する考え方はこの作品随一であるため、深く心に残った。「得体の知れない壁と戦っている(曖昧)」。酒匂芳もいい味出してた。
ここで結末にもっと独自性があればよかったんだけど、まあそうだよなっていう普遍的な方向に走っちゃったから、もうひとひねりあればすごい作品になっていたと思う。でも、いい映画ではあった。粘土に色を塗るシーン、グッと刺さったな...。だからといって、飲酒運転を肯定しちゃアカンぞ!!!
ついていい嘘、つかなければならない嘘
認知症の父、記憶喪失の少年、そして過去に傷を抱える女がつづる心揺さぶるヒューマンミステリー。三人の生活は、最初はぎこちなかったが次第に心を通わせていく。しかし、その幸せな生活は長くは続かなかった。
人生は人と人が正しいと思うことのぶつけ合いで、自分が正しいと思うことが貫けない時に、自分と大切な人を守るために、人は嘘をつくのだと思う。私もそうしているところもあるし、自分では、それはついていい嘘、つかなければならない嘘だと信じています。
もちろん、嘘が明るみにでたときに自分に降りかかるものを覚悟しながら。そうやって、人生が、社会が、うまくまわって進んでいけば良いと私は思います。
主役の千紗子役杏さんの表情(特に最後のシーン)に吸い込まれました。やはり凄い役者さんです。
☆☆☆★★ ほぼ原作に忠実に映像化してはいるのだが、最後の最後に原...
☆☆☆★★
ほぼ原作に忠実に映像化してはいるのだが、最後の最後に原作を変更し、無理矢理に感動作品へと作り変えたラストの為、中途半端感が増してしまっているのが勿体ない。
原作読了済み。
原作の題名は【嘘】なのだが、映像化にあたっての映画題名は『かくしごと』
成る程!確かに、観客に対して「感動させよう!」とした様に感じる強引なラストを見ると、少年拓未から見た【かくしごと】に相違ない。
おそらくは感動作品として製作したかった為に、あのようなラストになったのでしょう。
それはまあ理解出来る。
但しそれにより、幾つかの疑問を持たざるを得ない箇所も生まれてしまった感は強い。
そんな一つが、洋一の母真紀の描き方。
映像化に於いては、DV男の父親安雄が悪役としてクローズアップされている。
が、しかし。この物語での1番と言える【悪の権化】《悪魔》は、実は洋一の母親真紀なのだ!
千紗子は身分を偽りこの夫婦に接触する。
その際に、始めは警戒していた母真紀。
お金が貰えると分かるや態度は急変し、(もう死んでいるに決まっていると決めつけ)「保険金が下りないのが許せない!」…と怒りを露わにする。
しかも、入会金が必要と言われると、手のひらを返すかの様に、狂った様に怒り出す。
その姿に憤った千紗子は、自分が少年を育てる決意をする。
千紗子の正体を突き止め、DV夫を「お金を巻き上げよう!」とそそのかし。裁判では、子供を奪われ、夫を惨殺された悲劇の母親として、平気で嘘泣きをする《悪魔》なのだ!
そんな洋一の母親真紀を、映像化に於いては、何故DV男に怯えるか弱い母親として描いたのか?
おそらくは、(原作とは変更した)この作品のラストシーンで洋一が放つ一言により、感動作品とする意図が感じられる。
原作だと洋一の母親は、【悲劇の母親】として、その後は洋一を引き取るのだが、やがて育児放棄をする。
だが洋一=拓未は、裁判前から「自分の名前は拓未です!」と言い続ける。
裁判以後、服役し厚生する千紗子。
育児放棄をした母親から、叔父・叔母の家で育てられるも馴染めず、亀田に引き取られ拓未の母親千紗子の出所を待つ。
流石に《その後》を詳しく描くと、更に尺が伸びてしまうのを嫌った為…と考えたならば合点は行く。
たがそれゆえに、原作でのプロローグがエピローグへと繋がり、原作のラスト1行の秀逸な【嘘】は、残念ながら生かされずに終わる。
原作だと、ブーメラン現象と言える箇所が有り、その後の千紗子に色々と影響を及ぼしている場面が。
そんな一つが、千紗子が虐待夫婦に接触した時に、子供をペットの様に扱う夫婦につい説教をする千紗子。
だがそんな千紗子も、当初は父親を嫌っていた。
そんな千紗子に、介護認定調査員は「親を施設に入れて自分は楽しみたいのね!」と叱る場面は秀逸な描写だったのだけれども、映像化では描かれてはいない。
原作だと、千紗子は拓未に《嘘のノート》を。
拓未は《記憶のノート》を。
父親(おじいちゃん)は日記を残していた。
それによって、純=拓未となり、父親(おじいちゃん)は生涯会えなかった孫の《純》を想い続けていた事実が分かる。
更には、おじいちゃんに教わった技を伝授した純=拓未が存在する。
父親を嫌っていた千紗子。
唯一母親だけは千紗子の思いを受け止めてくれていた。
「あなたは母親にずーっと辛くあたった。」と言い放ち、母親が急死したのは父親のせいだと考えていた。
そんな父親は、母親の死後急に観音菩薩を掘り始め、粘土で地蔵を作り始める。
自らの認知症に不安を感じ、母親の顔を観音菩薩に掘り始めた父親。
どんどんと母親の顔を忘れて行くに従い、その不安からか作った観音菩薩を壊してしまう。
また粘土で作る児童菩薩は、母親の骨をすり潰し土に混ぜた粘土で作り。一度も会えなかった孫の純の霊を悼む為のものだったのを、千紗子は後に知る。
また、DV男に襲われた際には「娘に手を出すな!」と《マキリ(魔を切る》で立ち向かう場面の一言は重要だと思ってはいたのだけれども、、、
【嘘】がまた更なる【嘘】を上塗りする。
しかしその【嘘】が、強固なる【家族の未来】へと到達する。
だけどもこの映像化には、その原作が持つていた《意図》を見出せなかったのではないか?…との思いを強く抱いてしまったのです。
2024年6月7日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン11
ドラマMOTHERを思い出す
杏さんでなく山田花子さんで見てみたい^^/
まず導入部分の少年と出会う場面からの流れ、これどうにかならなかったのか?観てる者を納得させておくれよ、トホホじゃないか。監督はテレビ上りの人なのか?いくら原作がこうでも(知らんけど)ここで客を引っ張り込むのが監督の技量だしょ。何年もテレビドラマ見なくなったのと同じ流れ。そんなことないだろと、お~いお茶のキャップを前の客に投げつけるとこだったわwそしてやっぱりセリフ多すぎだろ。観客はそんなにアホなのか?僕らの泣けたのは、結局セリフのないシーンーーーお風呂でお父さんの汚れた身体を流す杏さんと、裁判でタクミ君に証言台で言われた言葉に心打たれる杏さんの顔でしょ。僕らの色んな感情と無言の(言葉少なの)演技が重なって高揚感増すって、、、。普通の生活で僕らってあんなにしゃべんないし、映画は演劇・舞台とは違う。
星1つにしなかったのは最後のタクミ君のセリフで泣けたのでwwwまあ値としたら三割位だけど砂の器の千代吉のあの有名なセリフのような位置づけか^^
最後に杏さんも安藤さんも少年もキレイ過ぎよ!もっと汚れ系のがいいと思う。杏さんの役を山田花子さん(若い人は分からんかw)でぜひ見てみたい^^/
今回もジジイ割引の1300円で鑑賞させていただきました。映画の正価としたら750円でした。映画館で観るにはどうでしょうねえ^^;
記憶と認知の物語
忘れられなくて苦しめられる記憶と、忘れていなかったから救われた記憶の物語。
忘れた振りをしたり、忘れたと思い込んでいたけどしっかり刻み込まれていたり、曖昧なようでふとした瞬間に鮮明に思い出すこともある、記憶。
そんな様々な記憶の積み重ねによって相手をどう認知するかも変わる。イメージや印象がガラリと変わるのも記憶の集積によるもの。
記憶と認知という人の持つ根源的能力によって3人の人間関係が波のように変容していく姿を描いたドラマ。
ひとつの出来事をとってみても、その見方や光の当て方によって見え方が異なり、残される記憶も異なってくる。たったひとつの角度からだけでは見えないものもある。そんなことをやわらかく教えてくれる作品。
タイトルからして物語の仕掛けには早々に気付くけれど、それ自体は核ではなく、それがどう作用するのかがこの映画の肝でありそれは最後まで観ないと分からない。
認知症や児童虐待というテーマを下敷きにはしているけれど、記憶と認知によって人の見方は聖者にも悪魔にもなるという危うさと救いを描いた物語。
観終わったあと、しっかりと噛み締めたくなる作品でした。
血のつながりがなんだ
思わぬサスペンス展開はいいけれど、論理がいい加減で浅く残念
認知症のお話でしょうから重いだろうなぁ、を覚悟して鑑賞しましたが、佐津川愛美演ずる友人役の久江が居酒屋でビールを二杯飲んだにも関わらず「これくらい平気よ」と帰途車を運転と言い放った瞬間に、私の中の違和感が一挙に暴発してしまいました。文化庁の援助も頂いている映画なのにアンチモラルな描写でいいのかしら?とドギマギしてましたら、案の定の必罰展開で逆にホッとしたくらい。ここから転調しサスペンス色が強まる作劇で、スクリーンへの集中を欠くことはありませんでした。
「かくしごと」ってタイトルが意味深で、主人公千沙子役の杏と友人の久江の2人の人には言えない事件の隠し事が第一義ですが、どんでん返し的ラストでもう一つの隠し事が明らかになり、エンタテインメントに真相の奥深さを描く力技を見せつけてくれる。さらに千沙子は「書く仕事」に就いておりそのセレブリティが悲劇を導いてしまう構造が巧みです。であれば東京を留守に長野の山奥に長期滞在しようと金銭的に何の支障もないわけで。脚本も監督の関根光才ですが、原作があるようでそのタイトルが「嘘」とのこと。その原題タイトルがラストにセリフで出される仕組みが巧妙でもあります。
それを(設定上9歳)少年役の子役の口から言わせ、あまつさえ悪役(なおかつ少年の継父)が殺害される瞬間を目の前で受け止める役を演じさせるとは大丈夫? と思って心配するくらい。扮する中須翔真君は実年齢が現時点で13歳ですが、ハードな撮影がトラウマにならなければいいのですがね。フツーはカットバックで殺害現場で恐怖の表情の子役を描いても、当然に別撮りでしょうから。
嘘に対峙すべき本作のテーマは認知症だったはず、ここでも本作は意外な展開に観客を引きずり込む。名脇役の酒向芳扮する医者のセリフ「認知症は逃げ場なのかもしれません」と。生真面目な人ほど思いの丈を押し殺し、救いの先の忘却に逃げてしまうと。原作由来と思われますが、確かに一面を表しているでしょうけれど、当のご本人達にしたら詭弁でもありましょう。なにより本作のキーマンであるべき奥田瑛二扮する認知症老人が、本作の主旋律に些かも関わらず、伴奏に終始しているようにしか見えないのも、そんな観点が遠因かもです。
演ずる奥田も常に猫背でうつむき状態、確かにセリフは奥田の声ですがお顔をなかなか正面から捉えないのは、他でもない本作自体が認知症と正面きっていない証左とも思われます。娘のセリフにも、父を要介護と認定さえしてくれればさっさと施設に送り込んでしまいたいと、あけすけに言うのですから。クライマックスでも最初に刃物を突き付けたのは父親だったのに、その後は裁判でも一切触れず仕舞い。忘却に逃避したと言う老人が娘の危機に、刃で立ち向かおうとした事実と論理が破綻していませんか? 本作の大きな瑕疵がここにある。
主役の杏は当然に実体験でも母親でしかも離婚と、身の丈にあった演技で、子供喪失の深みは十分に伝わりました。東京で颯爽とキャリアを積んだ大人の女性として、ふんわりボブのヘアスタイルが様になってます。けれど、いつまでたっても美しいヘアスタイルのままってのは、監督さんいけませんよ。フランスからちょいと日本に出稼ぎに、映画の主演しておりますって感が漂ってしまうのですから。少年の母親に裁判で吐露させるのも中途半端で奥がないのも残念。
わざわざ古臭い中古のクラウンバンを主人公の愛車にする意味も、一家を訪ねる際のスパイもどきの調査員なりすましも無謀で堂に入り過ぎ、バンジージャンプの真相も一切描かず、少年対軽自動車の事故なのにケガひとつない? 諸々推敲不足が否めず残念です。
ラスト「子供と動物には敵わない」と思い知らされる
介護の辛さに共感
全105件中、81~100件目を表示