コンセント 同意のレビュー・感想・評価
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文学なら許されるだとー?
前半はどのシーンも官能的なのに、最初からガブリエルが小児性愛者という事が分かっているので、甘い言葉にただただ白けるばかりでした。
作品自体は一つの芸術作品を観ているようで、ヴァネッサが精神的に追い込まれていく様が生々しかったです。そして、ヴァネッサを演じたキム・イジュランの泣き叫ぶしゃがれた声が良かった。
フランス中を震撼させたと記事にもあったので友人のフランス人に意見を聞こうとしたところ、全く知らんと言う事でした…。
257 館内ジジイばかり。若い子といい思いできると思ってんのか?
2024年公開
ま、ワタシもそのうちの一人か(笑)
おフランスの自由という考えって
14歳でタバコは吸うわ、酒飲むわ、36歳年上と淫行するわ
規律を守る概念的なものが出来ないので
日本人から見ると自分本位にしか見えないがどう思われます?
欧米はだからこそ法律(が現実的でないにしても)こそ一番。
日本は規律がしっかりしているからこそ評価にはアバウト。
意識高い系はそこが気にくわないんでしょうが。
たいてい舞い上がったジジイが後でヒジ鉄喰らわされることに
なることが多いが、この作家さんは結構計算ずくで
天罰くだされるシーンがなかったが天誅!あってしかるべき。
物語は結構スムーズに運びグダグダ感はなく
おもったより面白かったです。
60点
2024年8月15日 アップリング京都
日本でいうところのホストとホストにハマる女性
映画の世界観に見入ってしまったが
日本でいうところの「ホスト」ではないかと気がついたら、芸術的な話では無いと思った。
また、女性も性を売りにして男性から搾取している事件があったよね。
おぞましい、恐ろしい…… が、性加害者(関係者も含む)への啓蒙として強制的に見せるのはありじゃないか?と思った作品
鑑賞前から気持ちよく観終えることは無いだろうと思っていたけれど、シーンが進むほどに肌が粟立ち寒気がしてくる、そんな作品でした。
役柄としてのヴァネッサは聡明で少しおませさんなのでしょう。そして演じた役者さんも素晴らしかった。
だけど作家のガブリエル、コイツ、最初は歯の浮くような愛の言葉を並べ立てているけれど、結局はまだ視野が開けていない幼子(敢えてそう呼びます)を篭絡するための詭弁に過ぎず、相手の女子に少しずつ自我が目覚めてくるともっともらしい御託を並べ上から押さえつけにかかる。結局調教ですよね。
そりゃあ成長するにしたがってトラウマを抱え、自己否定に走るのもやむを得ず、自我が崩壊するのも致し方無い。
征服する方には罪の意識など欠片も無くったって、される側は生きている間ずぅっと心に闇を抱え、フラッシュバックに苛まされるだろうなぁ。
事実に基づく作品だそうで、随分と年月はかかってしまったけれども、ヴァネッサが生き続けていて、前を向いてくれたのが救いに感じられました。
胸糞悪い作品でしたが、性加害者本人やそれを容認(黙認)する周囲の者に繰り返し繰り返し見せ続け意識を変えてやりたいと思ってしまいました。
特別だと思いたがる子供と利用する大人
すっごく胸糞悪くなる。観ながらずっと腹が立つ。ずっと気持ち悪い。
しかし、これらは全て、この映画の前では褒め言葉だ!
フランスの実話の映画化。こんな事が、つい最近まで黙認されていたという事実が恐怖だ。
子供は背伸びをするもの、それを巧みに利用する大人。子供は利用されている事に気付かず、自分は特別だと勘違いする。
これは全ての事に当てはまると思うが、この映画で描かれてるのは小児性愛。それも、才能のある文学少女だからこそ陥った、美しい言葉による才能惚れ。憧れと愛の区別付かない青い時代。それを利用し、欲望を満たす大人。客観的に観てる側からすると、何故こんな奴に騙されるのか分からない。特に日本語訳された言葉の数々はあからさま過ぎる(この辺り原語との印象の違いはあるのだろう)。しかし、自分を特別だと思いたい少女には、全てが魅力に映るのだろう。
バブル期の日本も似たようなモノだったのかも知れない。
それどころか、日本では「東ヨコ」等、違う問題が起こっている。
キツイ映画だが、現在公開される事に意味のある映画だ。
グロテスクに生々しい
そんなにあからさまに生々しくみせなくても、と思ってしまったけれど、原作者ご本人がみせたかったもの知らしめたかったことは、このグロテスクな生々しさだったのかもしれない、とも思った。
先日『メイ・ディセンバー ゆれる真実』みたときにも思ったけれど、やはり未成年と性的につながりたがる大人はどうかしている。どこかが、なにかが確実にぶっこわれていて、それでもふつうに優雅に生活していて、そのバランスがとてもおそろしかった。
(30も40も年の離れた「運命の恋」も否定はしないけど、運命の恋の相手なら尚のこと、幼い相手との性的なつながりに固執せず、成長するまで待てるのでは?)
ともかくずっときもちわるい。
そして、マルグリット・デュラスの『愛人 ラマン』の書き出し「私は18歳で年老いた」という一節をおもいだす。
作者は一見苦悩しているように見えるのだが・・
ガブリエル・マツネフは今も87歳でご顕在の様であるが、何故今更彼女は告発したのだろうか?
作者の年齢が50を迎えるような遅い時期に何故?
もっと早く告発していれば彼も少なからず社会的制裁を受けたかもしれないのに?
また、このような彼の悪趣味な数多の本を称賛し制裁どころか名誉を与えてしまったフランス社会にも個人的に少し疑問を感じた。
文化の違いと言えばそれまでだが・・・
フランス社会への批判的な映画としての制作なら合点がいくのですが・・
作者は一見苦悩しているように見えるのだが、本当のところはわからない。
観る人間による解釈に任せられる映画だろう。
余計なことだが、マツネフが許されるなら、ジャニーさんも許されてしまう気がするが
すさまじく怖かった
すさまじく怖かった。
子どもが、敬愛・尊敬する大人に認めてもらいたくって、背伸びして自分を大きく(可愛らしく、または性的に)見せるということは、決して「性的同意」ではないということを示していて。
ある意味では、とっても教育的な映画でもありました。
作中出てくる実在の小児性愛者作家、ガブリエル・マツネフが、未成年の心と身体と人生そのものを搾取する、本当のクソ野郎なんで、何度も観ている自分の中に湧き上がる殺意を抑えるのが大変なくらいでした。
あと、主人公バネッサの13~18歳を演じた女優さん、実年齢は22歳前後らしいんですが、15歳前後にしか見えなくて、女優さんって怖ーってなりました。
凄まじすぎて、語彙力が低下しちゃった(苦笑)
無共感
14歳の少女と50歳の初老の作家との禁断の愛のお話といえばいくらか聞こえがいいんですが、思いっきり未成年に手かけてますやんというところに引き込まれたので鑑賞。
胸糞ムービーっちゃ胸糞なんですが、なんか登場人物たちの考えや行動が無鉄砲すぎるところがあって、リアルでもしっかりこんな感じだったんだろうなとなってエンタメとしてうまいこと咀嚼できずじまいだったなとなりました。
ヴァネッサが荒みに荒まくっていくのが言い方はアレですが面白くて、どんどん態度も悪くなっていくし、自主退学を勧められるレベルでの素行の悪さで生活してるという阿呆っぷり。
果てには関わってきた人を小馬鹿にしたり、ガッツリタバコを吸いまくるしで悪さが目立ち、タバコを吸うシーンでこんなに腹立った経験が無いのでとても新鮮でした。
被害者のはずなのに、酷い目に合ってもまぁそうなるよなという変な納得感があったのが不思議なところです。
あと役者さんは流石に成人していたので安心と納得がありました。流石に14には見えないなと思っていたので。
ガブリエルはいいとこ無しの真っ当なクズ人間で、なんか上手い事言いくるめれる様な年頃の少女しか狙ってないのを大口叩いてロリコンを正当化しているところはとっても気持ち悪かったです。
嫉妬の感情をいい歳こいて撒き散らしていて、それでいて著書にはあたかも自分が少女たちに苦労しているかの様に記載しているので、なんなのコイツー!って怒りながら観ていました。
母親もなんだかだらしない人で、ヴァネッサを守るという行動をとるわけでもなく、かといって放りっぱなしではなく雑に干渉してきたりと、親としての接し方が下手だなぁと親でも無い自分ですら思ってしまったので、ヴァネッサが誇張して書いたものかもしれませんが、おおかたこの様な感じで育てられたら反抗してしまうのも考えものかもしれません。
終盤に出てきたジャーナリストの発言が的を得ていて、いやほんとその通りだよなとやっとこさ共感できる人が出てきて安心してたらあっという間に終わっていきました。
文学と名乗れば悪でも社会的にアウトな行為でも許容されるという中々にエグい様式がぶち込まれるので、そんなのありかよーと何度も思い、でもそれが罷り通っているからガブリエルはのうのうと生活できて名声も得れているんだよなと変な納得感とモヤモヤが同居していました。
終盤は流れる様に年代を飛ばして、16歳になって18歳になって、そこから現代まで飛んで告発本を出版するという流れになるので一瞬置いてかれますが、この期間の間ヴァネッサはどの様に過ごしていたんだろう、ガブリエルはあのまま過ごしていたのかなどなど細かく気になるところはありつつも、そこは原作を読んでくれって事なのかなと解釈しました。
全く共感できないお話で、完全他人事として観れたのは良かったです。
生々しさというよりかは人の愚かさが全面的に出ていたほろ苦い作品だなーという印象でした。
鑑賞日 8/8
鑑賞時間 10:15〜12:20
座席 I-3
反吐が出る、でも…
実話で、それを世の中に知らしめたということはとても意義があること。
母親が警察に相談してたら…とか色々考えさせられる。
映画自体は、ヴァネッサ役の無垢な少女からの転落具合と、ガブリエル役が大人で無害そうな雰囲気だけど始終心から気持ち悪いところが合っていて、よかった。
日本にはロリコン、ショタコンという気持ち悪いものが【文化】【ジャンル】として存在している。本来許されない犯罪的思考であると反吐が出るものだと認識すべき。
同意とは
タイトルの「同意」に違和感を感じました。
ストーリーを観る限り、母親との間にも同意はなく、世間的に同意を得られるものでもなく、いわゆる性加害が背景にあったように感じましたが、本人がタイトルを「同意」とした背景には、第三者には計り知れない二人の間の感情が存在したのかなと感じました。
たしかに、どこかの瞬間ではお互いに想い合えた時間もあったのかもしれませんが、ヴァネッサの過ごした時間を想像してみると、言葉では言い表せないものがありました。
終盤のテレビ画面に映った女性の言葉がすべてを言い表していましたね(正確な表現が頭から漏れてしまいました…)。
時間がかかってもヴァネッサが対処策を実行できたことが唯一の救いでした。
時代?
何とも後味の悪い作品である。
テーマがテーマだけに、重い気持ちになる。
"この国では文学と称せばどんな悪徳も許される" まさにこれ。
文学とか芸術というものは傑作か駄作か、紙一重。
谷崎潤一郎も文学として昇華出来たから、良いものの、でなければただの変態ジジイ。
この映画も、日本でいうところの文化勲章?まで受賞した国民的作家の実話を基に作られている。
大人の男女ならともかく、これ、対象が少女であり、既にこの時点で犯罪。
そのような実体験から生まれた文学を大衆は享受した訳で、そういう時代だったとはいえ、さすがにフランスでも問題となっているよう。
しかし、妖怪人間ベムと有村架純のお姉ちゃん(before)の年の差カップルはキツい。
感情移入できない!
洗脳って怖いね?
文学大好き、うら若き髪型真ん中分けオリーブ少女( 死語、既に埋葬済)が母親の紹介でペドフィリアで有名な作家に紹介したのが運の尽き、得意の文才を駆使して少女をデートに誘う事に成功し、ジジイの生涯をかけて鍛え抜いたテクニックで少女を骨抜きにする話し。
どう見ても肉欲の塊にしか見えない作家を、最初は母親は警戒するのだがうまく言いくるめられてしまい母親公認の交際が始まる。
肉欲の為なら、どんな言葉もすらすら出てくるのは流石、大御所作家。
初めての貫通成功( まぁ、お下品 ) の際は嬉しさのあまり、ペンを取り出しその喜びを書き留めたりするw
ここで、「 このジジイキモい!」 と思えば、そこで助かったものを「 まぁ、素敵!私、愛されている!」 と勘違いしたからジジイに飽きられるまで少女は振り回される事になる。
まぁ、若干やさぐれるのだが夜の校舎窓ガラス壊してまわったりはせずタバコを吸うだけ、可愛い反抗だな?
ジジイに捨てられた少女は唯一信用していた先生に声かけてもらうのだが、その先生はジジイが少女との「 あんな事や、こんな事をした暴露私小説」 を読んでいた事が分かる。この時の先生の表情が気色悪いったらありゃしない。
少女を演じるのは成人の新人女優、凄い熱演でセザール新人賞にノミネートされたそうな。
ジジイを演じたジャン・ポール・ヌーブの演技が鬼気迫っていて心底キモかった。
特に少女がバージンか否かを問い詰めるシーンは地獄のような光景で、これで生理的に無理と思う女性は多いと思う。役者って凄いなぁ、本物のペドフィリアにしか見えなかったよ?
当然、カップルで見るのはお勧めできません。特に今カノが昔、ジジイと付き合ってたらもう最悪のデートになること間違い無しです。
この地獄巡りにも終わりがきて、少女なりにジジイに復讐するシーンの痛快さは、まるでプロミシング・ヤング・ウーマンのラストシーンみたいでスッキリします。
日本にもいたよね?映画にはこのシーンが必要だからと芸術を言い訳にして少女を脱がすO林宣彦( 伏字にしております) は...やってるよね?やってる方に一千点!!
今回は下品すぎるので消されるかも。
はじめて恋を知り大人になる
13歳の初々しいあどけなさを見せつつもマツネフとの出会いを機に愛を知り、少女から女性へと成長していくヴァネッサが印象的だった。
マツネフは無垢なものほど、人としてではなく何も知らぬからこそ愛でることができたのだとしたら、いくら母親からその愛は利用されているに過ぎないと諭されても、関わるにつれ大人としての魅力を知ってしまった以上、後戻りができず、ヴァネッサは社会人になった。
ヴァネッサの母親は母親として厳格とは言わないが、小児性愛者を具体的に説明していたら違っていたのだろうか。
仮にもしヴァネッサが母親の訴えを理解したとしても、マツネフへの思いは消えるのか?
結局は失敗をしなければ、ヴァネッサも若さのまま突き進んでしまったがゆえに見落としがあったことを後になって知り、自らと同じ過ちをおかしてほしくないから告発本を出版したのではないだろうか。
そう考えてみたら自ずと、単なる告発することが目論見ではなく、若いからこそ盲目になりすぎていないかを啓発しているようにも思えた。
他の視点で見たときのこと
今年284本目(合計1,376本目/今月(2024年8月度)9本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「時々、私は考える」→この作品「コンセント 同意」→次の作品「風の吹くとき」)
さて、こちらの映画です。
ストーリーについてはPROレビューアや他の方が書かれているのでそこはばっさりとカットです。
個人的には他の方とは異なる考えでみました。
一つは「愚行権」、もう一つは「わいせつな文章の扱い」というところです。
愚行権というのは、ある行為が「自分にとって」明確に損であることがわかっていても本人の自主性を尊重し国なり地方自治体に関与されない権利をいいます。例えば成年者のたばこ、アルコールの摂取がそれにあたります(アルコールはまぁ量によりましょうが…)。しかしこれも当然絶対無制限のものではなく、未成年者では一部制限されますし、愚行権の行使の「王様」と言える「自死行為」については当然警察がやってくることになります。
この映画の主人公のヴァネッサは映画内では14歳から18歳くらいにまで描かれますが、この年齢というと、何の分別もつかない6歳7歳とは当然違い、できることは自分でやらせる、結果に責任を持たせることで自主性も尊重するというように少しずつ親離れしていくような時期にあたります。また、この映画が述べる「性的な行為」もまたこの権利に当たるものですが、一方でその性質上、「誰とやろうとどうこう言われる筋合いはない」のも確かです(明らかに不衛生である等は除く)。一方で母体保護等の観点なども考えれば特に女性は「ある程度合理的な」制約に服しえます。この点について映画でもう少し掘り下げた考察が良かったです。
二つ目は「わいせつな文章の扱い」です。映画内ではさも有名人のごとく(まぁ、有名になればなるほどアンチもでるわけですが。映画の描写参照のこと)出てきてあの本がどうだのといった話になりますが、日本では「悪徳の栄え事件」というのがあり、「たとえ芸術的・文学的な作品であってもそれを理由にわいせつ性に関して免責されるものではなく、それを打ち消すほどのものでなければわいせつ性を問われうる」という最高裁判例が有名です。この判例ほかによって一定の自主的な制限がかかるようになりました。
しかし後者に関しては判例は現在(令和6年)でも有効ですが、現在においては例えばコミケやインターネット上での発表、あるいはお金はかかっても自己出版…というように、「本は限られた才能が認められたものだけが発表できる媒体」ではなくなっています。しかしこれらを全て取り締まるのは事実上も何も無理なので、あまりに悪質なものについては当然検挙はされますが、現在令和6年においては、かなり抑制的になっています。フランスでもかかる趣旨(フランスにもコミケのようなものはあると思います)が妥当するかどうかは不明ですが、いずれにせよ「本は限られた人しか書けないし出版もできない」時代ではもはやないので、「どこまで取り締まるか」という問題は変わってきているはずです。この点についてももう少し掘り下げが欲しかったです。
採点については以下のようにしました。
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(減点0.2/上記の点について掘り下げた描写が欲しかった)
もっとも、この映画についてはその趣旨から扱う範囲を広げすぎると長くなる為論点をある程度絞ったのだろうと思われるし(ほか、フェミニズム思想、マンスプレイニング(男性が女性よりも優れているという思想のもとに、男性が女性にああしろこうしろと指示する類型を言う)等も映画では論じられるべき)、仕方がないかなというところですので、採点幅においては調整しています。
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悪用厳禁の心理テクニック動画が好きな人ならハマるが、本当に悪用厳禁ですよね
2024.8.6 字幕 アップリンク京都
2023年のフランス&ベルギー合作の映画(118分、R15+)
原作はヴァネッサ・スプリンゴラのノンフィクション小説『La Consentement』
13歳の少女が憧れの作家と関係を結ぶ過程を描いたスリラー映画
監督はバネッサ・フィロ
脚本はバネッサ・フィロ&ヴァネッサ・スプリンゴラ&フランソワ・フィロ
原題の『La Consentement』、英題の『Consent』はともに「同意」と言う意味
物語の舞台は、1985年のフランスのパリ
憧れの作家ガブリエル・マツネフ(ジャン=ポール・ルーヴ)のディナーに招待された13歳のヴァネッサ(キム・イジェラン、壮年期:エロディ・ブシューズ)は、母(レティシア・カスタ)とともにテーブルに着いていた
だが、大人同士の会話は退屈で、ヴァネッサは席を外して、ガブリエルの小説を読み始めた
それに気づいたガブリエルはヴァネッサに親身になり、いろんなアドバイスをしていく
文学の話をしたり、積もるような感情を露わにするヴァネッサは、ガブリエルの招待を拒めずに、彼と2人きりで会うことになった
ガブリエルは言葉巧みにヴァネッサを刺激しつつ、13歳と言う年齢もあって、それ以上のことはしない
だが、それが却ってヴァネッサに火を点けることになり、14歳になった彼女は、とうとうガブリエルと大人の関係になってしまう
母は最初は反対していたが、当時は同意が取れればOKのグレーゾーンの年齢でもあり、それ以上は追求することをしなかった
だが、ある日を境に、ヴァネッサはガブリエルの目的に気づいてしまう
そして、彼からの寵愛は、単なる作品作りの道具であったことに気づくのである
映画は、告発のノンフィクションが原作になっていて、原作者が脚本に関わっている
なので、完全に被害者目線の展開になっていて、加害者がどのようなアプローチで誤認させていくのかを描いているように思える
いわゆる立場の差を利用したものだが、映画の流れだけを見ると無理やりと言う風に見えないところが狡猾な段階を踏んでいると言うことなのだろう
思春期の欲望が先走る中で焦らしたり、相手にYESと言わせる状況を作っていくのだが、これが純愛だったら告発と言うものもなかったかもしれない
だが、結局のところ、小児だったら誰でもOKと言う変態さんに捕まってしまったので、あの時に書店員が止めずに彼の作品を読んでいたら、思いとどまったようにも思えた
時系列は順列なのだが、1985年からいきなり2013年に飛ぶシーンが唐突で、一瞬何のディナーかわからなくなってしまう
そこで登場する50歳のヴァネッサがディナーを終えて告発本を執筆すると言うオチになっているのだが、さすがにこの演出はわかりにくいとしか言えない
てっきり、年を取った母親がパソコン画面に向かったのかなと思ったぐらいで、そこで30年飛んでますの説明がないのはさすがにキツいと思った
いずれにせよ、かなり気持ち悪い内容の映画で、トラウマがある人は避けた方が良い映画だろう
心理学的なアプローチと言うよりは、経験則から感じたままを描いているので、それゆえにリアルすぎる部分がある
悪用厳禁にも思える心理学的分析もできると思うものの、こう言った心の隙間を突いてくる輩もいる、と言うことを知るためには「教育」の一環で認知させるのもアリなのかとも感じる
それでも、かなり生理的に無理な部分があると思うので、鑑賞の際には注意された方が良いだろう
いや〜文字にするのは難しいな💦
こーゆー思うところがあり過ぎる映画を見たときほど自分が映画のレビューを書くのを生業としていなくてよかった〜と心底感じることは無いね😅
難しいな~
今の自分がこの映画を観て率直に感じた虫唾が走る感覚での気持ちの悪さは間違いなく本物。でも自分にも14歳のときにとっても年上の人に惹かれた経験があるから、あのときの自分の気持ちを全くそんな経験のない人から『14歳なんて何が愛かもわからない年齢』と勝手に本気ではなかったと決め付けられるのもモヤモヤするものがあるのよね。
もちろん今、相手が14歳と知りながら自分から近付いたり恋愛感情を持つことは無い。大人としての責任を自覚し、健全な若者を導くべき立場だと心得てる。でもそう頭でわかっていてもカラダは別の形で反応してしまうペドフィリアの人はとっても困った性癖の持ち主なんではないかと感じた(もちろんだからといってそれを正当化するのは許されないことだけど)。
ただの性的指向であって、病気ではない。それはわかってるけど、現実世界において個々の性的指向による欲求に従うことで被害を被る人がいるのだから、それはペドフィリアになるカラクリを医学的にとか解明すべきではないのかな??知らんけど。
(ただのボヤキ)
はじめは洗脳では全くないんだよ。
周りにはいない大人の魅力にクラクラする感じと、同じ年齢の子達とは一線を画してる自分が少し特別な存在になったような優越感。一方でその道をこのまま突き進んではいけないと本能が感じ取って知らせるアラート。だからヴァネッサもはじめのバス乗車に戸惑いを隠せなかったのよね。
子供だから、知らないから、わからないから、『大人』がやることをすべきだと思ってしまう。それは『洗脳』ではない。ただの『背伸び』。でも大人側は子供側が『大人のマネをしている』ことや『背伸び』していることには気が付かず、度重なる『背伸び』にある種の強制力か知らず知らずのうちに帯び始める。それでも大人はそれを『相手も喜んで。お互い合意の上で』おこなってるものだと勘違いしてしまう。結果として『したくもないのに洗脳されてた』という表現で一括りにされてしまう、のかな。
年の差がどうとか、モラル的にどうとか、それ以前に『無理』することが前提の恋愛は『愛』とは呼べないんぢゃないかな??
アレコレいろいろ考えて書きたくなるけど、纏まらないからコレくらいで離脱。
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